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湯浅洋

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SKE48劇場支配人
湯浅 洋 ゆあさ ひろし
湯浅洋.jpg
ニックネーム

ゆあたん

所属事務所

AKS

生年月日

1962年8月9日 (54歳)

出身地

東京都

湯浅 洋(ゆあさ ひろし、1962年8月9日 - )は、SKE48劇場支配人、元AKB48劇場支配人。東京都出身。AKS所属。

略歴

2008年
  • SKE48劇場支配人に就任。
2011年
  • 11月1日、ピタゴラス・プロモーションから、AKSへ転籍。
2013年
  • 1月26日、劇場支配人異動でAKB48劇場支配人候補となるが、投票で不信任となり、「AKB48劇場支配人研究生」へ異動となる。
  • 8月24日、AKB48劇場支配人に昇格。
2015年

人物

キャラクター

  • SKE48草創期から、劇場支配人として活動。その後、AKB48劇場支配人(研究生)に転じるが、再びSKE48劇場支配人に復帰。
  • 恰幅のいい体型と黒い髭が特徴。チョイ悪オヤジ風。
  • 愛称は「ゆあたん」。755のトークにおいても、「ゆあたん」のアカウント名を利用している。

支配人就任以前

  • 会社を経営する裕福な家庭に生まれる[1]
  • 父親が経営に失敗。大きな家から団地へ移る[1]
  • 子供の頃になりたかったのは、パイロット、ホテルマン[1]
  • 学生時代、ディスコブームが到来。サーフィンやスキーなど、遊び三昧の青春を送る[1]
  • 百貨店や不動産の仕事を転々。留学などもする[1]
  • 2000年、当時、テレビ朝日アナウンサーの辻義就(現・辻よしなり)が退社、独立する際、一緒に会社を始める。
  • 株式会社ピタゴラス・プロモーションの東京本社に勤務し、アナウンサーや芸能人のマネジメントを行う。

支配人として

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2008年

  • ピタゴラス・プロモーション社長の前田哲治から「週に2日、名古屋にいく仕事なんだけど、どう?」と言われ、新しく誕生するアイドルグループの仕事を振られる。アイドルに興味は無かったが、先輩グループに当たるAKB48のステージを観て感動。「これは面白い!」と思い、引き受ける。
  • 7月30日、SKE48の第1期生となるメンバーの最終オーディション日。総合プロデューサーを務める秋元康も審査員として加わっていたが、松井珠理奈の番になった途端、いきなり立ち上がり興奮しながら話し出す。「すごいのが居た。AKBもうかうかしていられない」と。
また、最初の話ではSKE48のマネージメントと制作を担当するはずだったが、ファンがいつの間にか「支配人」と呼び始め、会社や秋元から「お前がやるしかないだろう(笑)」と言われ、正式に「劇場支配人」という役職になる。

2009年

2010年

  • 3月、チームSの新海里奈森紗雪が、学校の成績不振を理由にSKE48を辞めたがる(実際は降格し、その2ヶ月後に卒業)。「僕は理解できないんですよ。すごい事をして選ばれているのに、彼女たちはまた戻れると思ってるかも知れない。SKEは簡単に来ちゃったんです。(劇場を)満員にするまで苦労したAKBの様な経験をしていれば、簡単に辞めたいとは言わないと思うんです。ファンの人を裏切る事にもなるし」[要出典]
  • 10月頃、SKE48メンバーを名乗る者が、湯浅とメンバーが交際していると投稿(詳細は/ノートを参照)。これに対しSKE48側は噂を全面否定。

2011年

  • 11月1日、SKE48の運営事業をAKB48を運営するAKSへ移譲。これに伴い、他のメンバー・スタッフとともにAKSへ転籍。

2013年

  • 1月15日、チームKII公演において、9名の卒業発表が行われる。一度に大量の卒業発表が行われるのは極めて異例な事態(AKB48で過去に5名の同時卒業発表が行われたが、これを上回る当時では最多の同時卒業発表であった。卒業#48グループにおいての卒業の記事を参照)。
この事態を受けて、湯浅は翌16日未明にGoogle+で、経緯説明を行った。
「卒業発表。本日、SKE48のメンバー9名(桑原みずき高田志織平松可奈子矢神久美(これより前にGoogle+において卒業発表済)、赤枝里々奈小木曽汐莉上野圭澄原望奈美小林絵未梨)の卒業を公演終了後に、ファンの皆様の前で発表せていただきました。
このメンバー達からそれぞれ相談を受けたのは、昨年の夏くらいからです。各々やりたい事があり、しかしSKE48の活動も続けたい、という気持ちの中で葛藤があったと思います。夜遅くまで話し、時には泣いたり、色々な事を話しました。私はメンバーのご両親よりも年が上な事もりますが、なんか、家族の話し合いの様でした。この活動はご家族の支えがあり成り立っている部分もかなりありますが、活動内容に関してはご両親に話しても理解しにくい部分も多々あります。本当に父親の感覚でした。このメンバーにはこうしてあげたい、またこのメンバーにはこの様な活動を望んでいるので期待に応えたいと思いました。しかし、全てのメンバーが望んでいる事が出来る簡単な世界でもありません。応援して下さるファンの皆様の期待にも応えたい、選抜メンバーに選ばれたい、舞台をやりたい、役者さんになりたい、声優さんになりたい、大学にも行きたい、海外留学したい、若い彼女らには沢山の夢があります。
しかし、最終的にメンバーの気持ちは、SKE48に入れて、活動出来て幸せだった事は間違いありません、今でも、公演や活動する事は大好きです、という言葉を皆、言ってくれる事は嬉しかったです。毎日のように多くのメンバーと接していると、各々考えていることの違いがある事が良くわかります。グループとして活動する時はそれが一つになります。それがまた、近くにいると素晴らしいモノに見えます。いつも真剣に取り組んでいます。桑原が紅白出演が終わった直後の楽屋で、湯浅さん覚えてますか?劇場公演の初日(2008年10月)が終わった後のミーティングで、湯浅さんが、「いつかはSKE48として紅白歌合戦に出演させてもらおう」って言ったの。遂に実現しましたね。桑原は泣いていました。他のメンバーも一様に感動し、興奮していました。私はSKE48のメンバー達のパワーで紅白に連れて行って貰いました。もちろん、その時にこれだけ沢山の応援をくださったファンの皆様には感謝しきれないねと、語り合いました。ここまで、オリコンで1位を取らせていただいた事、初めて、名古屋のボトムラインでの外コンサート、新しい劇場がオープンした事、道はここで分岐します。これからもSKE48で活動して行くメンバー、今回卒業を決めたメンバー、それぞれの道には別れてしまいますが、それぞれがまだ夢の途中であります。私は出来る限りそれぞれの道に進むメンバー達の今後を見届けたいと思います。そして残ってこれからもSKE48をひっぱり続けてくれるメンバー達の今後の頑張りにも期待します。
SKE48を最初から見させていただいている私にとっても、今回の発表は応援頂いているファンの皆様の気持ちを考えると辛かったです。今日の発表前にメンバー皆から、「湯浅さんが一番緊張しているじゃない」「湯浅さんはいつも通り居て欲しい」と言われ精一杯の発表を私なりさせて頂きました。卒業するその日まで、卒業メンバーへのご声援を宜しくお願い致します。最後になりましたが、今回の卒業メンバーの気持ちを書いて頂いた、秋元先生に心より感謝致します。これからも、SKE48への応援を宜しくお願い致します」[2]

2015年

  • 1月25日、東京・TDCホールで行われた「AKB48 リクエストアワー セットリストベスト1035 2015」最終日(夜)公演において、SKE48劇場支配人への就任が発表される(AKB48の後任劇場支配人は、芝智也が湯浅と入れ替わる形で復帰予定であったが就任を辞退したため、茅野しのぶが代わって就任。今村悦朗は新設されるNGT48の劇場支配人へ就任)。
  • 3月31日、AKB48劇場支配人を退任。
  • 4月1日、SKE48劇場支配人に復帰。

インタビューなど

SKE48劇場支配人として

  • 50人以上居るメンバーの話を聞くだけでも一苦労ですよね?
「すごい大変なんですよ。前に出たい人ばかりで。それをまとめるっていうのはね。それで、湯浅に媚びを売れば選抜に入れるとか。そんな状況を作り上げたら終わりですよ」
  • メンバーも湯浅さんにしか言えない事もあるでしょうしね。
「他のメンバーに言えない悩みや相談事があるから、お茶でも飲みに行くかってなります。メンバーと誰よりも一緒にいなければならない。お父さんなんですから。イベントの後にご飯に行ったりもしますけど、マネージャー連れてみんなで行きますからね」
  • 難波でNMB48が結成されましたけど、危機感は?
「まったく無いです。相乗効果として凄い良いと思ってます。ただ大阪の方が都市としては大きいからバーンと行くとは思ってますけど、僕は地道に名古屋でやっていけばいいと思ってますから」
  • セットリストは湯浅さんが決めてるんですか?
「うちのマネージャーや制作陣と話して、僕の方ではこうやりたいとか離しますけど、外のイベントに関してはメンバーの意見も聞きますね。決めつけてやるのは良くないので。コンサートは我々でやりますけど、面白いイベントに関してはメンバーの意見も取り入れた方が面白いと思うので。それを秋元さんに確認していただきます」[3]

AKB48劇場支配人(研究生)として

  • 湯浅さんは、48グループの屋台骨であるAKB48を担当されるようになり、SKE48も含め姉妹グループとの違いを感じることはありますでしょうか?
「東京に来てから、明確な違いとして感じたのは、情報量の多さ。東京にいるとつねに、新鮮な情報が得られるわけですよ。だから研究生でも、早い時期からプロとしての意識をしっかり持つことができる。これはいけないとか、これは参考になるとかの情報がすぐに得られる環境。そういう意味では、地方のグループからAKBを兼任したり、AKBのメンバーが地方を兼任したりするのは、グループ全体の活性化につながっていくと思います」[4]

性格・趣味

「湯浅洋、支配人、おひげ、湯浅さん
好き:香水、ファンの方との撮影会、エクレア
嫌い:打ち合わせ、むちゃぶり、オクラ
ひげを触るくせがある
口癖は「やばいよねぇ」
小さいころはサッカー選手になりたかった
初恋は小学3年生
好きな寿司ネタはサーモン
睡眠時間は平均4時間
私服はカジュアル可愛い
眼鏡は16個くらいもっている
血圧は高め
メンバーからのバレンタインに期待している
チョコよりクッキー派かもしれない
みんなでご飯を食べるのが好き
憧れの人、戸賀崎さん
飼ってみたい動物はオランウータン
足のサイズは25センチ
最近はまっていること、支配人Twitter
まだスマホでうまく文字が打てない」[5]
  • 都築里佳(前述、小林のGoogle+投稿に対するコメントで)「夜型人間のため、休日朝かかってきた電話に出る確率はとても低く、出ても声のトーンがだいぶ低い(スタッフさん情報)」[5]
  • SNSの投稿では、メンバーのオフショットを「ゆあ撮」と称して、投稿している(AKB48へ異動して以降)[6]
  • 老眼の影響もある様で、SNSへの投稿ではメンバーの名前を誤入力してしまうことも多く、メンバーやファンからコメントで指摘されることも多い[7]。よく間違えるのは永尾まりや(「長尾」、過去Google+投稿では計5回、間違えている)[8]など。
  • 22歳(2012年5月時点)の娘がいる[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 集英社 「SKE48×プレイボーイ2012」
  2. ^ 湯浅洋 投稿 - Google+ 2013年1月16日 ArKaiBu Gugutas
  3. ^ 「BUBKA」 2011年3月号より
  4. ^ 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2013」P132 インタビューより。
  5. ^ a b 小林亜実 投稿 - Google+ 2012年2月4日 ArKaiBu Gugutas
  6. ^ 湯浅洋 投稿 - Google+ 2015年1月24日 ArKaiBu Gugutas
  7. ^ 湯浅洋 投稿 - Google+ 2014年4月27日 ArKaiBu Gugutas
  8. ^ 湯浅洋 投稿 - Google+ 2014年4月27日 ArKaiBu Gugutas

外部リンク

先代:
(設立前)
今村悦朗
SKE48劇場支配人
初代:2008年 - 2013年1月
第4代:2015年4月 -
次代:
芝智也
-
先代:
戸賀崎智信
AKB48劇場支配人
第2代:2013年8月 - 2015年3月
次代:
茅野しのぶ


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