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野呂佳代

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AKB48
SDN48
野呂 佳代 のろ かよ
2013年総選挙プロフィール 野呂佳代.jpg
公式ニックネーム

ノンティー

所属事務所

太田プロダクション

生年月日

1983年10月28日 (33歳)

出身地

東京都

血液型

A型

身長

163cm

合格期

2期生

選抜回数

AKB48 1回
SDN48 3回

野呂 佳代(のろ かよ、1983年10月28日 - )は、AKB48およびSDN48の元メンバー。東京都出身。太田プロダクション所属。

略歴

2000年
  • ムーン・ザ・チャイルドに所属し芸能界デビュー。
2006年
  • 2月、AKB48第2期生オーディションに合格。
  • 4月1日、チームKの一員として活動を開始。
  • 10月25日、1stシングル『会いたかった』でシングル表題曲選抜メンバーに初めて選ばれる。
2009年
  • 2月21日、チームK5th「逆上がり」公演千秋楽をもってSDN48へ完全移籍(AKB48としての活動を終了)。SDN48キャプテンに就任。
2010年
2011年
  • 10月15日、SDN48全メンバーの卒業が発表される。
2012年
  • 3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。

人物

キャラクター

  • ニックネームは「ノンティー」、名付け親は戸島花。SDN48に移籍してからは「キャップ」と呼ばれることが多くなり、特に篠田麻里子にはブログ上で「キャップ」と呼ばれている。
  • AKB48の中ではお笑い担当であり、佐藤夏希とお笑いコンビ「なちのん」を組んだ事もある。担当はボケで、M-1グランプリにも出場した事がある。
  • かなりふくよかな体型が特徴。『AKB0じ59ふん!』の体力測定のコーナーで競馬に倣った出走名に際して『ノロコトオウシュウ』。[2]と命名されたり、『AKBINGO!』で小学校の卒業写真を公表した際に大溝清人に「ハワイ力士みたい」と言われたり、「体、仕上がってるね」と言われたり(そのときのナレーションでも「野呂佳代関」と呼ばれた)するなど、体型に関する揶揄が多い。但し、前述の体力測定では好結果を残し、「サスケマニア」で優勝を経験するなど、身体能力は高い。K5th「逆上がり」公演の『エンドロール』ではダンス中に側転を見せていた。

AKB48として

  • 2004年10月、AKB48に入る前に「朝倉佳代」という名でTBS系列のドラマ「ことぶきウォーズ」に主人公の同僚役・絵里として出演していた。[3]
  • AKB48の第2期生オーディションに合格。チームKのメンバーとしてデビューする。実はオーディション時に、年齢や靴のサイズなどを偽っていた。年齢は当時22歳だったが、2歳サバを読んで20歳。靴のサイズは本当は25.5だったが、すぐに「オーバー」という返信がきたため、25にして再応募したら通った。応募写真は、縦に引き伸ばしスレンダーに見える様に加工していた。面接は2期生の時はテレビ電話だったので、バレなかった。最終審査で審査員の前に行ったら、みんなビックリして「(誰が呼んだんだこいつを)」みたいな空気になったらしい。[4]結局それでも、秋元が「面白いじゃん」と言って合格させた。曰く「どんな石ころでも磨けば大丈夫」。[5]ちなみに、野呂が年齢詐称をしたせいで、22歳だった年齢制限が次の3期生では20歳まで下げられたらしい。[6]4期生オーディションからはさらに下げられ、現在の18歳になった。
  • AKB48時代は大堀恵と同学年で共にメンバー最年長だったが、大堀のほうが誕生日が先なので、「最年長キャラ」は大堀。SDN48では、大堀、三ツ井裕美と同級生だが、大堀の方が誕生日が2ヶ月、三ツ井の方が1ヶ月早いため、4番目の年長メンバーになる。
  • 2007年7月、同じチームKの佐藤夏希と「なちのん」を結成。同年10月のM-1グランプリに出場したが、2回戦敗退となった。
  • 2008年、去年に続き、M-1グランプリに再び参戦、結果は2回戦敗退。
  • 2008年、SKE48の結成時には秋元康から移籍の話もあったが、結局実現はしなかった。
  • 2009年1月、『真里亜 その愛の果てに』で主演として初舞台を経験する。
  • 8月1日、佐藤由加理大堀恵浦野一美とともにSDN48としても活動開始。
  • 2010年2月21日、チームK 5th Stage「逆上がり」公演千秋楽をもって、AKB48としての活動を終了。

SDN48として

  • 同日付けでSDN48へ完全移籍となり、同グループのキャプテンに就任した。
  • 3月25日、横浜アリーナで行われた『満席祭り希望 賛否両論』夜公演にて、芸能事務所の太田プロダクションへの移籍の打診を受けた事が発表。後日、正式に移籍した。[7]
  • 4月、「ON8」(ベイエフエム)の月曜日のDJに就任。
  • 「AKB48はところてん方式」というのが口癖らしく、『全じゃん』『AKB48のオールナイトニッポン』『踊るさんま御殿』などで発言。自分は押し出される形でAKB卒業となってしまったらしい。
  • 11月、SDN48としてデビューシングル『GAGAGA』をリリース。この曲の選抜メンバーに選ばれ、4年前のAKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』以来の歌番組出演をした。
  • 2011年10月15日、劇場公演にてキャプテンである野呂が、SDN48メンバー全員の卒業を発表した。「SDN48を結成して、2年2ヶ月が経ちましたが、ファンの皆さんには当初より多大なる応援と温かいメッセージをいただき、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。SDN48は、それぞれのメンバーが進むべき道を目指すために、全員揃ってグループを卒業をすることになりました。2012年3月31日に現行メンバー揃ってのさよならコンサートをもって、SDN48としての第一章はその役目を終えます。私たちもどこかで区切りをつけなければいけない時期に差し掛かっています。メンバー一同、自分の夢をより具体的にするために、新たなステージへ旅立つことになりますが、これからも、これまでと変わらず引き続きの応援を何卒よろしくお願いします」[8]
  • 発表後の本人のブログ。「ビックリさせてしまってごめんなさい<(_ _)> あと、半年間 SDN48として今まで以上にがんばりたいと思いますっ☆ これからも、みなさん 応援してくださいm(_ _)mお願いしますm(_ _)m」[9]
  • 2012年1月22日、AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100 2012最終日。SDN48の『孤独なランナー』が、3位にランクインした。過去最高だった24位の記録を大幅に更新し、“有終の美”を飾った。キャプテンの野呂は、「応援してくれたみなさんのことは絶対、忘れません」と涙ながらに“卒業宣言”し、この日一番の温かい拍手が送られた。鳴りやまない歓声に野呂、大堀恵浦野一美らメンバー全員の瞳に涙が浮かんだ。全員で円陣を組み精神統一すると、挫折からはい上がろうとする気持ちを歌った同曲を熱唱。2009年8月デビューのSDNは、AKB48劇場での初回公演からこの曲を歌い続けてきたという“代表曲”。野呂も「私たちとファンの気持ちがつまった大切な曲」と説明する。実は昨年10月、メンバー全員の卒業発表後、ファン内では「SDNをランクインさせよう」と投票を呼びかけていた。歌唱後、野呂は「へこんだり、不安だった時期もあったけど、みなさんの励ましが自信をもたせてくれました」と号泣。最後は「私たちも泣いてばかりいられません。3月に卒業しますが、これからも何事にも全力で頑張ります」と約束した。そして、3月31日の卒業コンサートは、渋谷のNHKホールで行うことも発表された。[10]
  • 2月4~16日、韓国オリジナルミュージカル『パルレ~洗濯~』で、初のミュージカルで主演もつとめる。「お話を頂いた時は、本当にちょ~うれしかったです。私は本当にミュージカルに挑戦してみたいと思っていたので」と今回のミュージカル出演について、素直にうれしさを語る野呂、そんな彼女には力強い見方がいるとか。「共演者の先輩方から声の出し方はもちろんですが、喉のケアの仕方など。あとは舞台役者としての礼儀です。私がわからないことをしっかり教えて頂けるというのが本当にうれしいです」。はじめてのミュージカルを迎える野呂だが、周りの先輩方に助けられながら、準備万端のようだ。これまで、AKB48に加入から、現在のSDN48まで、芸能界の活動期間が6年になる野呂、今回の舞台でも、その経験がいかされている。「もちろん、緊張で手が震えたりはするのですが、お客さんの前に出るという意味で、舞台慣れはできていると思います」。さらに、「あとは照明が当たるとうれしいです(笑) 今回は自分のために一人で(照明を)浴びたりするので(笑)」とも。ちなみに、野呂といえば、所属するSDN48のメンバーが3月に全員卒業することが発表され、野呂も同グループを卒業することになっている。ただ、同グループの“お家芸”といえばサプライズ。実は電撃的に次回のAKB48のオーディションの受験を狙っているのではないか…。本人にこのことを直接、たずねてみると、「なんですかそれ! いや~キツイっす」と完全否定。「また最初から、制服を着るというのは…楽しかったですけど、若いからできたことだと思うので」とのこと。これから、ソロでしっかりと頑張ってくということのようだ。最後に、「私の完全な新境地ですし、6年間やってきたことを次のステップに進むために、ぜひみなさんに見て欲しいです。私の新しい姿を見て頂き、今後もファンのみなさんと一緒に活動していきたいと思います」と意気込みを語った。[11]
  • 3月23日、初のイメージDVD『打ち上がったマーメイド』をリリース。「私にアイドルっぽいお仕事が来るなんて思わなかった。ずっと応援して下さったファンの方々への卒業アルバムといった感じ。だから発売イベントで、直接お渡ししたいんです」。ちなみにこのタイトルは、2年前に友人の篠田麻里子佐藤由加理渡辺志穂の3人から「私たちで佳代ちゃんの写真集を自費出版する」と発案されたときに考えたもの。「『タイトルをパクったの? それにAVみたいになるからグラビアには向いてないよ』ってからかわれました。確かに、スタイルは気にしないで下さい」[12]
  • 3月27日、インタビュー。野呂は09年8月にAKBの活動と並行してSDN入りし、10年2月にキャプテンに就任した。AKB時代と比べ「もともと、洋楽寄りの格好いいダンスが好きだったので、SDNに入ることができてよかったと思った」と振り返る。ただ、現実はイメージと違う面もあった。「最初の1年間は自分がいなくなった。正直、つまらなかったですね」と打ち明ける。例に挙げるのが公演などのMC。切り返しやツッコミなど会話が弾んだAKBのチームK時代とは違い、自分が面白い発言をしても引かれてしまうことがあった。みっちり鍛え込まれていた野呂らAKBからの移籍組に対して、SDNからスタートしたメンバーは「自分のことで必死だった」という。周囲の期待と責任感に悩む葛藤の日々が続いたが、転機は10年秋に訪れた。AKBと一緒に行ったイベントで秋元康から「おまえには何も求めてないんだ」と言われた。この言葉がキャプテンを楽にした。「ああ良かったと思って胸のつかえが一気に下りた。自由でいいんだと心から思った」。今までの悩みが全てはじけた。それからはメンバーともしっかり向き合えるようになり、バラエティー志向の強い明るい自分を素直に出せるようになった。卒業まであと4日。SDNを通じ「人をしっかりと見られるようになったし、気を使えるようになった」。目標はバラエティー番組の司会を務めること。「実際にアイドルとして活動したから、アイドルを扱うのはうまいですよ。中居正広さんのようなマルチな存在を目指します」。豪快に笑う姿に迷いはなかった。[13]
  • 3月31日、SDNにとって最初で最後の単独公演「さよならコンサート」を開催。鳴りやまないアンコールの声を浴びながら、39人は純白ウエディングドレス姿で並ぶと、野呂が代表して挨拶。「私たちSDN48は、AKB48のように大きな記録は作れなかったかもしれませんが、皆様の記憶に残るグループでいられたなら嬉しいです。これにて私たちはSDN48を卒業します。本当にありがとうございました!」
SDN48は、2009年8月1日のデビューから3月28日まで、AKB48劇場で計337回の公演を行った。2年8カ月の活動に幕を下ろした。2月には卒業撤回を求める5800人分の嘆願書が秋元康の元に届いた。これを受け、1年後に“同窓会”イベントを開催することも発表。野呂は終演後に「またね~」と再会を約束した。[14][15]

交友関係

  • 仲の良いメンバーは大島優子
  • 秋元康のモノマネが得意で、度々『AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』などのラジオなどで披露している。秋元のことは「秋P」と呼んでいる。
  • AKB48時代、MCでは、旧チームK最年少の奥真奈美から「野呂はどうなの?」と、話を振られるのが定番になっていた。

性格・趣味

  • 実は怖がりで、特に爬虫類や両生類が苦手。『AKB0じ59ふん!』のコーナーでカエルやヘビが登場した際には、号泣してスタジオの隅に逃げてゲーム参加を拒否したり、鉢巻きで目隠しして見ないようにするなど、徹底的に拒絶していた。
  • スタンドマイクも苦手なほどの先端恐怖症。
  • 読売ジャイアンツのファン。
  • 弟がいる。
  • 父は美容師でデビュー前は美容室を手伝っていたことがある。

ギャラリー

AKB48

SDN48

卒業後

参加曲

シングルCD選抜曲

AKB48

SDN48

アルバムCD選抜曲

AKB48

SDN48

その他の参加楽曲

  • Enjoy your life !
    河西智美の2ndシングル「Mine」のカップリング曲として収録された。

出演番組

Wikipediaを参照。

出典

  1. ^ [1] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」
  2. ^ 「Akepedia」のコーナーで「野呂と大堀が琴欧洲と同じ年生まれである」と紹介されたのがきっかけ。
  3. ^ 「今夜は帰らない」2007年10月6日
  4. ^ 柱NIGHT! with AKB48』 10/4/19
  5. ^ FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』
  6. ^ 柱NIGHT! with AKB48』 11/1/31
  7. ^ [2] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」
  8. ^ http://ameblo.jp/sdn48official/entry-11048955915.html
  9. ^ http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/605272696
  10. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000032-sanspo-ent
  11. ^ http://npn.co.jp/article/detail/74016875/
  12. ^ 『AKB48グループ新聞』 2012年3月号
  13. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915140.html
  14. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/04/01/kiji/K20120401002950930.html
  15. ^ http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012040102000069.html

外部リンク

先代:
(役職新設)
SDN48キャプテン
2010年2月 - 2012年3月
次代:
(チーム活動休止)