倉持明日香

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AKB48
倉持 明日香 くらもち あすか
2015年AKB48プロフィール 倉持明日香.jpg
公式ニックネーム

もっちぃ

所属事務所

ワタナベエンターテインメント

生年月日

1989年9月11日 (35歳)

出身地

神奈川県

血液型

A型

身長

156.5cm[1]

スリーサイズ

B82.5 W59 H85[2]

合格期

4期生

選抜回数

6回

倉持 明日香(くらもち あすか、1989年9月11日 - )は、AKB48の元メンバー、元AKB48チームBキャプテン(第3代)。神奈川県横浜市出身[3]。ワタナベエンターテイメント所属。

略歴

2007年
  • 5月27日、AKB48第4期研究生オーディションに合格。
  • 7月1日、ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」公演で、同期の佐藤亜美菜と共に劇場公演デビュー。
2008年
  • 3月10日、チームK公演にて、正規メンバーへの昇格と(初代)チームKへの所属が発表される。
2009年
2010年
2011年
2012年
  • 5月、ワタナベエンターテインメントへ転籍。
  • 8月24日、組閣(チーム再編成)により、大島チームKに異動。
  • 11月1日、大島チームKとしての活動開始。
2014年
2015年
  • 3月26日、「春の人事異動」において、チームBキャプテン退任が発表される[4]
  • 7月19日、サンケイスポーツ紙面において、卒業を発表[5]
  • 8月17日、卒業公演(AKB48としての活動を終了)[5]

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは、「もっちぃこと倉持明日香です」
  • 主なニックネームは「もっちぃ」だが、他に「もちくらさん」と呼ばれたり、自分でも「もちくら」と名乗る事もある(例:自身がパーソナリティーを務めていたFM横浜「もちくらさんでーらじお」)。
初代チームKのメンバーであった秋元才加梅田彩佳大島優子増田有華宮澤佐江や、同期の中田ちさと藤江れいななどからは「明日香」と呼ばれている。チームKに昇格したばかりの時は、「チャゲ」と呼ばれていた。理由は、名前が「明日香(アスカ)」(「チャゲ&飛鳥」から)だからというだけ[6]
また、語尾に「~けろ」[7]と付けていた時期もあり、「けろちゃん」[8]と呼ばれたことも。
  • 大きな前歯がチャームポイント。好きではないが、チャームポイントにすれば好きになれるかなと思ってそうしている[9]
  • 特技はくびれを作る事[10]。「くびれの女王」の異名を持ち[11]、スタイルの良さはAKB48の中でもトップクラスと言われる[12]
  • 父は、元・プロ野球選手で「炎のストッパー」と呼ばれた倉持明(現在はチバテレ・プロ野球解説者)[13]。何度かテレビで共演した事や父娘始球式を務めたこともある(後述)。
明「娘の出演している番組は見ますし、ビデオにもとっています。秋葉原にも3~4回は行ってます。イベントとかで、結構前に座っているんですが、わたしに目を合わせてくれないし、なんか複雑な気分なんです」とはにかんでいた[14]
明日香「ライブでは私を見てない。他のメンバーばっかり見ていて、特に秋元才加ちゃんが好きなんです(笑)」と暴露した[15]
  • 2人の兄(いずれも2010年の時点で既婚)がいる。長男が10歳上、次男は8歳上と、かなり年が離れている。そのためケンカした事などなく、非常に可愛がられている[2]
  • 劇場支配人評。
「チームK5th公演千秋楽で秋元才加に『ずっとこれがしたかった』と泣きながら逆水平チョップを食らわせた話は有名。二十歳ですが少年の心をもった、風変わりなおもしろいコです。自分に厳しい面もあり、今後が楽しみ」(2010年・戸賀崎智信[16]
「今まではお父様(元プロ野球選手の倉持明氏)の名前ありきでしたが、この1年はもっちぃの名前だけで話されることが多くなりました。やんちゃな甘えっ子ですが、ユニットでは女のコらしい面も。これからが楽しみですね!」(2011年・戸賀崎)[17]
「劇場公演でたかみなが不在のときなどは、積極的に『リハーサルをやろう!』と声をかけたり、チームを引っ張ってくれる頼もしい存在。誰にでもユーモアも持って接してくれるから、もっちぃはみんなに好かれるんです。いいコです!」(2012年・戸賀崎)[18]
「誰にでも笑顔で、ユーモアを持って接してくれるみんなの人気者。ソロデビューにも期待です」(2013年)[19]
「大島(優子)キャプテンを支えたひとり。公演の感想やファンへのメッセージには彼女の人柄がよく出ています」(2014年・湯浅洋[20]
  • 将来の夢は、スポーツキャスター[19]。父を超えること[21]柴咲コウのような女優も出来て歌も歌える人[10]

AKB48加入前

  • 1989年9月11日、元プロ野球選手の倉持明の長女として生まれる。「明日香」という名前の由来は、「父親の一文字を取ると娘は幸せになれる」という事で「明」を使った「明日香」と名付けられた。ただし父は珍しい名前のつもりで付けたが、多い名前ベスト3に入るぐらいポピュラーな名前になってしまった為、「この名前失敗だったな」と後悔しているらしい[22]
  • 芸能界に憧れるきっかけとなったのは、SPEED[10]
  • 中学時代は、芸能界に憧れて、いろいろなオーディションを受けていた[23]。後述する「手ブラ写真」が撮影されたのがこの時期である。
  • 高校生になってからは学業に専念[23]。将来は歯科衛生士になろうと考えていて、高校時代は無欠席であった[16]
  • 2007年2月 - 6月頃、AKB48のチームA4th公演を観て[24]、「父のようにテレビに出る人になりたい」という、忘れかけていた夢を思い出す[23][16]

AKB48として

2007年

  • 5月、進路決定を控えた高校3年生の時に、AKB48の第4期生オーディションに応募[16]。ちなみにそのとき両親は、受かる思っていなかった為、「受けたいなら、楽しそうだから行ってきたら」という軽い気持ちでOKしてくれた[25]
しかしオーディションに合格し、AKB48の研究生となると、両親は芸能界入りには反対。11歳年上の兄が必死に親を説得してくれて、芸能活動を許して貰った[26]
倉持明「親としては早く結婚して子供を産んで、という普通の女の子になって欲しいです。芸能界入りにはずっと反対していたんですよ。中学時代はスカウトの名刺を十数枚破ったことがあります。ただ、高校3年の時、本人の夢だったという事を聞いて認めました」[27]
  • また通っていた高校が芸能活動禁止だったため転校したが、その時の担任の先生が手紙に手書きの卒業証書を書いて送ってくれた。そして卒業式でも、倉持の名前を読み上げる事はできないが、倉持の番の時に心の中で名前を読み上げていたらしく、しっかりと間を開けていたらしい[28]

2008年

  • 研究生として9か月ほど活動し、2008年3月10日のチームK 4th Stage「最終ベルが鳴る」公演にて、チームKの正規メンバーへ昇格することが発表。研究生からの正規メンバー昇格は、佐伯美香に次ぐ2人目で、チームKへの昇格者は初。
  • しかし正規メンバーとなっても、シングル選抜からは相次いで落選。倉持がAKB48に入ったのは17歳とかなり遅かったため、不安と焦りを感じていたという。AKB48を辞め、歯科衛生士も目指そうかとも思ったが、再び兄に「頑張っていても、すぐに結果が出る訳じゃない。でも見てくれている人は必ずいる」と励まされ、思い止まった[26]

2009年

  • 3月、昇格から1年後の11thシングル『10年桜』にてシングル初選抜。
  • 7月8日、第1回総選挙では21位にランクインし、13thシングル『言い訳Maybe』で2度目の選抜入りとなった。
  • 9月、光文社の写真週刊誌「FLASH」(2009年9月22日号)に、倉持が中学生時代に撮影されたという、上半身裸で胸を手で覆っただけという‘手ブラ’写真が掲載される。「AKB48人気メンバー衝撃写真!」「デビュー前に撮影された“SEXY宣材”を発見!」というキャッチが打たれているが、この号には倉持本人が登場し写真に対してコメントもしている(詳細は/ノート#写真週刊誌「FLASH」による中学生時代の手ブラ写真掲載を巡る騒動を参照)。

2010年

  • 3月25日、横浜アリーナで行われたコンサート「満席祭り希望 賛否両論」2日目公演で、倉持はワタナベエンテーテインメントへの事務所移籍の打診を受けたことが発表される。
  • 5月4日、移籍打診を受けていたワタナベエンターテインメント傘下子会社であるビスケット エンターティメントへ移籍。
  • 6月9日、第2回総選挙では23位に終わってしまい、3度目の選抜入りは叶わなかった。挨拶で倉持は「本当はすごく悔しいです。でもその悔しい思いを胸に、私は絶対に成長します。みなさん、私のことを応援してくれたことを絶対に後悔させません。これからも私についてきてください」とコメントした。
  • ちなみに倉持の父・明は、総選挙の対策に乗り出して、「トップ5入りを目指したい」と意気込みを語っていた[29]。そして家族や親戚で投票権付きCDを500枚近く購入していたという[30]
  • 6月、ワタナベエンターテインメントに所属するAKB48メンバーによる新たなユニットフレンチ・キス」のメンバーに選ばれる。
倉持「3人が自然体でいられるユニットだと思うので、そこに注目してください」。また、「フレンチ・キス」というユニット名については「本当に甘酸っぱいイメージ。なんか恥ずかしいです。『フレンチ・キス』って今まで言ったことがないくらい馴染みのない単語で、今日初めて自分で言ってみたけど、まだ歯がゆい感じです(笑)。でも、言えば言うほど、なじんでくる気がします」と答えた[31]
  • 9月8日、フレンチ・キスとしてデビューシングル『ずっと 前から』をリリースした。
  • 9月13日、21歳の生誕祭が行われた。手紙の朗読。「明日香へ。21歳の誕生日おめでとう。最近ではフレンチ・キスのデビューも決まり、家族のみんなは大喜びしていますよ。もちろん、私も誇りに思います。一人娘だから心配していることもたくさんあります。だけど、笑顔で映っているテレビや雑誌を見ているだけで、私の心は温かくなります。生まれてきてくれてありがとう。チームA・松原夏海」※家族からの手紙に見せかけた松原のドッキリだった[32]
  • 9月21日、19thシングルの選抜メンバーを決めるAKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会では、10位となり3度目の選抜入り。しかも今回は初めてのメディア選抜となった。

2011年

  • 3月6日、プロレスのZERO-1両国国技館大会にゲスト出演し、故・橋本真也の長男、橋本大地のデビュー戦で、花束贈呈を行った[33]
  • 4月2日、TOKYO FMにてフレンチ・キスの冠ラジオ番組『フレンチ・キスのKissラジ!~あなたへのYELL~』を放送開始。
  • 6月に行われる第3回総選挙について、父である倉持明は「結果はどうでもいいよ。今年は1枚も買っていない。昨年は投票しても21位に入れなかったからね。今年はファンの皆さんに任せます」と笑顔で話した[30]
  • 6月9日、第3回総選挙開票。倉持は今年は一昨年と同じく21位にランクインし、選抜入り。
翌日のブログ「総選挙での私の不安を和らげてくれたのは、温かく見守ってくださっているファンのみなさんでした。“21”という数字に妙な縁があるのか、第1回総選挙の時は21位、今回の第3回総選挙も21位、そして今の私の年齢も21歳、ちなみに言うと父の現役時代の背番号も21。今回いただいた21という順位は昨日までの順位。みなさんの温かく、熱い思いのこもった12387票という素敵な数字を胸に刻んで、今日6月10日からまた初心にかえって一生懸命頑張っていきます」[34]
  • 集英社「AKB48総選挙! 水着サプライズ発表2011」のインタビューより。
―いつから総選挙を意識してましたか?
倉持「1年前からですね」
―早っ。
倉持「実は毎年、お母さんから『来年の壇上で言う事を考えておきなさい』って言われてるんです。なので、つい意識しちゃうんですよね。あと、昨年21位から23位に落ちたのがショックで、絶対に選抜に戻るって誓ったんです」
―この1年でどう変わりました?
倉持「フレンチ・キスとしてデビューできて、メディアに出る機会が増えたんで、発言とかあらゆる面で責任感を持つようになりましたね。あとは…甘えん坊になりました(笑)。私、これまでメンバーに弱音を吐いたり、悩みを相談することはなかったんですけど、最近はゆきりん、あきちゃとか年下メンバーにも甘えるようになって。絆が増したんですね」
  • 7月16日から行われた舞台『DUMP SHOW!』に、星組として大家志津香と共に主演。大胆な衣装で、セクシーなポールダンスも披露するというAKB48の公演とはひと味違った大人な演出。4人は「AKB48のセクシー担当を目指したい」と新境地開拓にやる気満々、色気ムンムン。倉持の父、明さんはすでにチケットを手に入れているが、詳しい内容までは知らないという。倉持は「娘が胸を寄せていたら、お父さん、びっくりしますね。何も言わずにどっか行っちゃいそう。ドキドキしてます」と笑わせた(31日(東京公演)までと8月10日 - 14日(大阪公演))[35]

2012年

  • 1月5日、自身のブログにて、祖母が昨年12月31日に亡くなっていた事を報告した。長い間ブログを更新していなかったことについて「年明けてから更新してなくて、すみません。言い訳になっちゃうと思うんですが、もしよかったら聞いてください」と、祖母の死についてコメントした。30日に容態が悪化したが、仕事のため病院に行くことができず、31日の朝に亡くなったという。「1日の朝方自宅に帰ってやっと会えた、冷たくなった祖母に『ごめんね』しか言えませんでした」と、最期に会えなかった辛さを語った。また、「レコード大賞を受賞したステージや紅白歌合戦、CDTVにユニットで出演した私の姿は見せることが出来なかったけれど、これからは一番近くで見守っていてくれると信じて、頑張ります!」と、気持ちを切り換えて仕事に取り組むことを誓った[36]
  • 4月2日、TBS系情報番組「ひるおび!」で柏木由紀森田美位子が担当していたお天気キャスターを、この日から柏木を含むAKBメンバーが日替わりで担当することが番組内で発表された。担当は、同事務所に所属する柏木、高城亜樹、倉持、大家志津香佐藤夏希の5人[37]
  • 4月14日、BS朝日のスポーツバラエティー「SPORTS X(スポーツクロス)」(土曜午後0時30分、4月14日スタート)でスポーツキャスターに初就任。元東京ヤクルトスワローズの監督、捕手で野球解説者の古田敦也とタッグを組み、さまざまなスポーツの魅力を探る[38]
  • 5月、ビスケットエンターティメントから、親会社のワタナベエンターテインメントへ転籍。
  • 5月25日深夜3時頃、自身のGoogle+で意味深な更新をしている。「眠れない…」というつぶやきから始まり、「ほんと人生いろいろ。」「次生まれ変わるとしたら人間にはなりたくないなあ」と、精神的に参っていると思わせる投稿を続けた(後に「眠れない…」以後のコメントは削除)。理由は不明だが、先日発表された総選挙の速報で34位と、前年の21位から大きく出遅れた事などがが原因と考えられている。ファンからは「もっちぃ、心配だよ でも俺らにできることはただここに少しでももっちぃを元気づけれるようなコメントを残すだけ…」「選挙でナーバスになってるんだろうけど、ぶっちゃけどうでもいいよ。けろちゃんは自力で頑張ってるだけでこんなに人気がでてファンもいっぱいいるんだから気にせず頑張ろうよ」「理性でわかってても気持ちがついてこない時もあるよね それぞれのメンバーがこんな思いをしてるんでしょうね」などのコメントが寄せられている[39]
同日朝8時、倉持らが所属するワタナベエンターテインメント取締役の大澤剛は、「皆さまには感謝してますm(_ _)m そして頑張ります (期間中なのでこのつぶやきで察していただければ・・・」とツイッターに意味深な投稿をしている[40]

選抜入りの重要さを痛いほど感じた1年だった。去年、2009年と同じギリギリの21位で、2年ぶりに選抜に復帰。2010年の23位から2つ上昇しただけだったが、舞台『DUMP SHOW!』の主演を皮切りにBS朝日『SPORTS X』でスポーツキャスターなど、仕事の幅が一気に広がった。だからこそ言う。「AKB48を知らない方にも見てもらえるからメディアに出たい」。21人から16人へと減枠になっても選抜入りは譲れない。目標を達成したら、大好きなプロレスラー・小橋建太に“ラブコール”を送ろうと思っている。試合に招待してもらったお礼に公演に招待したが、恥ずかしがって来てくれなかったという。「選抜に入って歌っている私の姿を見てほしい」。思いは募る一方だ。

  • 6月6日、第4回総選挙開票。22位にランクインし、アンダーガールズに選出。
ブログ「私は第22位をいただきました。悔しいは言いません。きっと1位以外、みんな悔しいと思っているはずなので、ありがとうと言わせてください。速報では34位で、正直、すごく不安で、いろんなことを考えていました。下がるかも上がるかもしれない順位に、いつ名前が呼ばれるか分からない状況で緊張に押しつぶされそうになりながら、ファンのみなさんを思い出しながら発表を待ってました。ホッとしています…。壇上で私が言った言葉。つい、本音が出てしまいました。でも、ひとつ言えるのが、私は“今”を生きているけど、“今日”のために頑張って生きてきたわけじゃありません。自分の夢のために、歯をくいしばって笑顔で生きてます。きっとみんな、そう。麻里子さまが言っていたけど、みなさんからいただいた票は、これからの私への期待だと思って笑顔で夢に向かって進んでいきます。たくさんの無理をして、私のために頑張ってくださったみなさん、私の誇りです。私の好きな本に【かんじんなことは、目に見えないんだよ】という言葉があります。みなさんが投票してくださった一票一票には思いが込められていて、目に見えている数だけではないということを心に刻んで頑張ります。本当に本当に本当にありがとうございました! P.S.母からのメールで気づいたんですが、去年に引き続き、私と同い年の順位でしたガーン(笑)」[41]
  • 7月18日、フレンチ・キスが横浜スタジアムで行われたプロ野球・横浜DeNA‐東京ヤクルト戦で始球式を行った。一昨年9月以来、約2年ぶりの再登板となった元ヤクルトの投手の長女・倉持が全力投球したボールは、左にそれながらワンバウンドし打席の内村賢介にデッドボール。ノーバウンド投球の再現とはならず意気消沈していた。横浜で生まれ育ち、何度も通ったという横浜スタジアムでの始球式に、父親とのキャッチボールと“ハマの番長”三浦大輔のアドバイスも受けて準備万端で臨んだ倉持だったが、結果はまさかの死球。「三浦投手に横浜の選手だから当てていいよって言われて、“そんな、そんな”って言ってたら本当に当たってしまって…」と恐縮しきりだった。登板後、両親に迎えられた倉持は「お父さんに、お前バウンドかよ」と言われたと明かし残念がったが、柏木は「足が上がった瞬間、スイッチが切り替わってかっこよかった」と称賛。高城亜樹は「スポーツが得意なので、投げる機会があったら私も投げたい」と意欲をみせたが、柏木は「2人が投げて、その後に回ってきたらやります…」と終始及び腰だった[42]
  • 8月24日、東京ドームコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、ラストに戸賀崎が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。倉持はチームK(大島チームK)に異動することとなった。
終了後のブログ「前回の組閣では病気でライブを休演していたため、今回が初めて目の前で体験する組閣でした。私はチームKになりました。AKBっていろんなことがあって、今しか出来ないことばっかりで“今”を生きてるって実感できる。本当におもしろいなあ。人生楽しまなきゃ損! チームKは22名。でもステージに立てるのは16人。ここからだ!野球でいうスタメンになる!」[43]
  • 11月1日、チームKのメンバーとして活動を開始。
  • 11月6日、スポーツニッポンの記事より。

言葉が次から次へとよどみなく出てくる。AKBのメンバーの中で屈指のトーク力だ。その才能が番組で存分に生かされている。
「スポーツに興味がない同世代の女の子、男の子たちがこの番組を見ることで、少しでも興味を持ってくれるようになるとうれしいです。単純に“この子、可愛い!”でもいいんです。私は自分の気持ちを自分の言葉で話していますが、同世代だからこそ伝えられることがあると思います」
先日放送された永里亜紗乃選手との対談では、お互いに好きな漫画や永里選手もファンだというAKBの話題で、ふだんは見られない永里選手の女性らしい一面をうまく引き出した。それはキャスターとしての力量があってこそだ。
しかし、もともとは引っ込み思案で話も下手だったのだという。
「学校に通っていたころは人前に出るのもしゃべるのも苦手でした。授業中は、先生が出す問題の答えが分かっても、当てられて答えるのが嫌だったので、手を挙げませんでした。存在をいかに消すかということばかり考えてましたね。だから今こうやって話していることは親にも友だちにもびっくりされます」
転換のきっかけはAKBだった。オーディションに合格したのは07年5月。アイドルグループに入って活動すれば人前で歌い踊り話さざるを得ない。5年の歳月が秘められた能力を引き出した。
「本当は人前に出るのが好きだったんだと思います。今思えば、子供の時は自分で制限していたというか、自分を隠していたのかもしれません」
大観衆の前で華々しく活躍した元プロ野球選手の父・倉持明氏(60=当時)の遺伝子を受け継いでいる。明氏は投手としてロッテオリオンズなどでプレーし、現在は解説者を務めているが、AKBに入ったのは父にあこがれていたからだという。
「父は野球が大好きで、自分がやりたいことを仕事にしています。そういう背中を見て育ってきたので、私も本当にやりたいことをやらなくちゃいけないと学びました。それに父は誰よりもストイックです。今でも現役時代の体重制限を守っていて、1キロ太ったらその日のうちにスクワットをしたりサウナに入ったりして1キロやせるんです。そういう姿を見ると、かっこいいなと思います」
そして、スポーツの魅力を人に伝える仕事で才能を発揮している。

「こういう仕事をするとは思っていなかったので、やはり遺伝なのかなあって思いますね。最近は母や兄から“大きくなるにつれて性格がお父さんに似てきた”とも言われるんです」と楽しそうに笑った。[44]

  • 11月17日、AKB48のメンバー数人が極秘渡米し、ブロードウェーミュージカルの短期レッスンを受けていたことが分かった。
突撃取材を試みると「お仕事で来ています。ただ、まだ詳しくはお話しできないんです。すみません」とだけ言い残して、ビルに入っていった。そこはミュージカル俳優の養成学校。増田有華秋元才加のほかにも、ミュージカル経験者の倉持明日香と大家志津香に、若手の大場美奈永尾まりやの姿を確認できた。スタジオは立ち入り禁止だったが、ニューヨーカーのレッスン生に交じって潜入。彼女たちのレッスンに励む姿が見えた。14日夜には、そのレッスン室で、ミュージカル関係者らと思われる約30人の前で、小さなお披露目会を行っていた。同行していたスタッフを取材すると、「いきなりブロードウェーの舞台に立てるわけもなく、そんな予定はございません。ただ、AKBには多彩なメンバーがいますので、チャンスがある限り、いろんな方面に挑戦していくということです」との返答があった。現実に総勢300人近くに膨れ上がった48グループは、多彩な才能を持ったメンバーも多くなった。これまでは、グループでの海外進出をしてきたが、すでに中国・上海のSNH48やインドネシア・ジャカルタのJKT48に移籍するメンバーも出てきた。今後はメンバー個々のソロ活動での世界進出も、積極的に展開されていきそうだ[45]
この時の様子は同年12月23日(初回放送)に、CS放送・ファミリー劇場「AKB48 ネ申テレビスペシャル~ブロードウェイへの道!~」で放送されている。
  • 12月5日、プロレスリング・ノアの鉄人・小橋建太に戦力外通告が出されていたとのニュースが波紋を広げている。プロレス界の顔といえる小橋だけにファンへの衝撃は大きく、Yahoo!の検索キーワードでは「ノア」が急浮上。小橋の熱心なファンとしても知られるの倉持も自身のブログでショックな気持ちをつづっている。4日昼に更新されたブログでは「今日ってエイプリルフールですよね? うそだ」と短い言葉で、この知らせを信じたくという気持ちをつづった。ブログタイトルには通常顔文字を使用しているが、この日は「2012/12/04」と日付のみのシンプルなもの。何より雄弁に現在の心境を表していた[46]
  • 12月22日、急性扁桃腺炎で休養していることが分かった。この日、所属事務所取締役の大澤剛がGoogle+で明らかにした。倉持は20日の劇場公演を体調不良のため休んでいた。大澤は「『急性扁桃腺炎』という診断で、無理して仕事に復帰させると慢性化してしまうという事でしたので、まずは、大事をとって治療に専念させることにいたしました」と説明。経過は順調のようで「昨日の夜の段階では熱も下がり回復に向かっておりますので、もう少しで仕事復帰できると考えております」と報告。24日のTBSテレビ系の情報番組「ひるおび!」から仕事復帰の予定としている[47]
  • 12月23日、AKB48メンバーが5週連続でJRAのGIレースを予想する企画「AKB48のガチ馬2 リベンジ」で倉持が逆転優勝した。23日の有馬記念で、300ポイントかけていた馬連(6)-(13)を的中させ1万1190ポイントを獲得。前週まで7860ポイントで首位だった秋元才加を一気に逆転した。
優勝が決まり、自身のGoogle+では「前回も今回も1回も当たったことがなかったので とりあえず、逆転優勝を最優先にポイント賭けしました(笑) まさかまさか…です! 来年すてきなスタートがきれそうです」と大喜びだった。一方の秋元はツイッターで「残念だったな… 明日香おめでとう」と祝福。「どうも。マクラーレン才加です」と自嘲気味にコメントしている。今年春の「ガチ馬」第1回で優勝した河西智美にはCM単独出演やCDソロデビュー、ソロ写真集発売などの「賞品」が贈られたが、今回は未定(後述の通り、後日ソロデビューを果たしている)[48]
  • 12月24日、TBSテレビ「ひるおび」で仕事に復帰。早速この日の番組でも「ガチ馬2」優勝についてスポットを浴び、倉持は有馬記念で人気薄のオーシャンブルー(単勝10番人気、2着)を指名した理由について「青が好きなので。AKBでも青の衣装が多いんです。名前だけで選びました」と笑みを浮かべ、強運ぶりを披露。馬券は買っておらず「買っておけばよかったですね」と話した[49]

2013年

  • 4月6日、幕張メッセでの個別握手会において「ガチ馬2」優勝賞品として、5月29日にデビューシングルをエイベックスから発売すること、さらに5月26日に開催される「第80回日本ダービー」をのJRAプロモーションCM出演(同曲をCMソングとして使用)、1stソロ写真集発売(秋田書店)を併せて発表。
競馬騎手のスタイルで登場し「この歌を通じていろんなことに挑戦できたら」という倉持は、カップリング曲(タイトル未定)の作詞も担当。「今、少しずつ作詞しているんですけど、秋元先生の気持ちがわかりました。AKBの曲って、直前で(詞が)変わることがよくあるんですけど、私も毎日書き直していて」と笑い「妄想が好きなので架空の設定を考えて、恋愛ものだったり、私が伝えたいメッセージ性をイメージして書いています」と明かした。
シングルは「通常盤」(CD+DVD)とは別に、税込500円の「ワンコイン盤」5形態を発売。それぞれのジャケット写真撮影をヤングチャンピオン(秋田書店)、フライデー(講談社)、B.L.T.(東京ニュース通信社)、週刊プレイボーイ(集英社)、週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)の5誌が担当し、ファンが売上順位を当てる「ジャケ1GP」(ジャケワングランプリ)を開催することも决定した。ワンコイン盤に封入されたマークシートで「5連単」(1~5着まで着順どおりに予想する投票法)を予想すると、全問正解者の中から抽選で「倉持と行く東京競馬場 競馬予想観覧権」が抽選で当たるとのこと[50]
  • 5月11日、JRAの第80回日本ダービーのプロモーションCMの放映開始。同CMにおいてデビュー曲『いつもそばに』(同月29日発売)も公開されている。なお、同曲は倉持自ら作詞を手掛けている[51]
倉持と親交のある小橋建太(左)。
  • 同日、東京・日本武道館で行われた、プロレスラー小橋建太の引退試合が行われ、倉持も観戦。さらにセレモニーでは花束を贈呈した。
倉持は小橋の引退試合観戦記を、同月15日付の東京スポーツに寄稿している。

どうしても来たかった、行かなければならなかった尊敬するプロレスラー・小橋建太25年のレスラー人生を締めくくる引退試合。花束贈呈という大役を私もさせていただけることになり、数時間前…いや、数日前から緊張していました。
リング上の小橋さんに花束を渡す。何も難しいことではないはず。私たちAKB48は握手会などで限られた時間の中で話すことが多く慣れていたはずだったのですが、言葉が出てこない。花束を渡した時に言ったひと言は「小橋さん! きょ、きょうも…あの、かっこいいです!!」。小橋さんに笑われたけど、大好きな笑顔が見れたからよかったと…前向きに前向きにと言い聞かせました。
引退セレモニーで小橋さんの口から出た「あと1試合残ってます」。実感が湧かなかったのですが、プロレスラー・小橋建太の試合はあと1試合しかないんだという思いがこみ上げてきました。
引退試合が近づいてきて会場もそわそわしたムードに。豪華な選手が次々に入場してくる。最後に小橋選手の入場曲「GRAND SWORD」が流れた瞬間、今か今かと待ちわびるようにスタンディングオベーション。そして、超満員の武道館に響きわたる小橋コールに包まれながら姿を現した鉄人は、いつもと変わらず強く鋭いまなざしで輝いていました。
豪華な選手たち、入場曲という名の名曲、華麗なコンビネーションで会場を巻き込むチョップの嵐、レフェリーとの掛け合い、技とともに飛び散る汗、見ているだけなのに体の内側から熱くなってくる感覚、一瞬一瞬何が起こるか分からない。「これがプロレスだ!」。昔ながらのプロレスを体と体で伝承していく光景を見ることができました。小橋さんがムーンサルトを決め、最後の3カウントをこの目で見た瞬間、こらえていた思いがあふれてきました。今まで見てきたどの3カウントより遅く、そして重く熱く感じて…。真っすぐで不器用で、誰よりも熱く思いやりがあって、エンターテインメントとは正反対にいるような選手、それが小橋建太という男なのです! 世代交代なんて言葉は似合わないけれど、相手に打ち込んだ185発のチョップの一発一発に“これからのプロレス界を頼んだぞ”という思いが込められている気がして。そして、小橋さんに技をかける選手の姿にも「これから俺たちに任せてください」。そう言っているように感じました。
「KENTA~!」と叫びながら打ち込んだ逆水平チョップに愛を感じ、赤くなった選手の胸元を見て“プロレス界をひっぱってきた小橋建太への感謝の証し”なんだと。リング一面に飛び交ったオレンジ・紫・銀色の紙テープと声援はファンからの感謝の気持ちでした。
最後に聖地を後にする小橋さんに会うことができました。多くの人に見送られ、車に乗り込んだ小橋さん。窓が開き、手を振り最後に言ったひと言が「明日香ちゃん! ありがとう!」。私なんかに声をかけてくださって…。頭が真っ白になりましたが、“ファンを大切にする”優しさがたくさんの人々に愛される理由の一つなんだと。引退試合でもいつもと変わらず、四方八方のファンに手を振りお辞儀をし、最後にまた深くお辞儀をして去っていきました。

25年のレスラー人生の中で私が知っているのはほんの一部です。けれど小橋さんが歩んできた“青春”という名のプロレスを目で見て、耳で、肌で感じることができました。「2013・5・11」で改めて確信したことがあります。やはりプロレスラー・小橋建太はすごい! 絶対王者・小橋建太はプロレスの歴史に名を刻み、永遠不滅の唯一無二の存在だということを。たくさんの感動を夢を希望をありがとうございました。そして、本当にお疲れさまでした! これからもあなたの青春に付いていきます![52][53]

神宮球場で父の倉持明と父娘始球式に臨む明日香。
  • 5月18日、東京・明治神宮野球場で行われたプロ野球セパ交流戦・東京ヤクルトスワローズ対千葉ロッテマリーンズ戦で、両チームに在籍していた父・倉持明とともに父娘始球式に臨んだ。
明日香は「ノーバウンドで投げられるように」と気合を入れ、背番号「80」のユニフォームでマウンドに立ち、父に放ったボールは左に大きく反れ父が球を取りに行く結果になった。
始球式後に倉持は「4回目の始球式だったけど、しっくりくる内容ではなかった。投げた瞬間やっちまったなと」と悔しい表情を浮かべた。父の明は「しょうもないボールでした」と渋い表情を浮かべるも「次回はしっかりと練習させて、式に臨みます。多少の遺伝子はあると思いますし、多少ね」とコメント[54]
  • 6月8日、第5回総選挙開票。倉持は第36位にランクインし、昨年のアンダーガールズから陥落。ネクストガールズに選出。

2014年

  • 2月24日、大組閣において、倉持はチームBへの異動とともにキャプテン就任が発表される。
  • 4月6日、自身初の冠番組・FM横浜「もちくらさんでーらじお」(毎週日曜21時30分-22時00分)がスタート。
  • 6月7日、第6回総選挙開票。倉持は第52位にランクインし、ネクストガールズからも陥落し、フューチャーガールズに選出。結果的に自身最後の総選挙参加となる。

2015年

  • 3月26日、さいたまスーパーアリーナにて、「AKB48春の単独コンサート~ジキソー未だ修行中!~」において、人事異動がサプライズ発表され、倉持はチームBキャプテンの退任が発表される[4]
  • 3月29日、第7回総選挙立候補届け出締め切り日を迎えたが、倉持は立候補を届け出なかった。
  • 7月19日、サンケイスポーツ紙上において、AKB48からの卒業を発表。新聞媒体において卒業を発表するのは、48グループでは初。

AKB48の倉持明日香(25)が18日、サンケイスポーツ紙上でグループからの卒業を宣言した。「8年間に悔いはありません。東京五輪をリポートする夢をかなえたい」とスポーツキャスターをめざすことを告白した。チームBキャプテンを経験したことで独り立ちの覚悟を決めたという。
AKB年長メンバーの朗らかな人柄で親しまれる倉持が、グループからの卒業を決断した。
8月17日に東京・秋葉原のAKB48劇場でラストステージを踏む。サンケイスポーツの取材に倉持は「8年間で宝物のような仲間ができました。悔いはありません」と晴れやかだった。卒業後の夢はスポーツキャスターと告白。父の明氏が現役時代、ロッテのクローザーとして活躍しただけにスポーツは身近。自身も野球やプロレス、サッカーが好きだ。2012年からBS朝日のスポーツ番組「SPORTS X」(金曜後11・30)で古田氏とMCを担当。ロンドン五輪の取材などを通じて思いを強くし、「スポーツの楽しさを自分の言葉で伝えたいと思った。東京五輪をリポートする夢をかなえたい」と力を込めた。
迷いがない言葉は、8年間の積み重ねのたまもの。昨春からチームBキャプテンを務めたことが卒業の決め手になった。
もともと、言いたいことをメンバーに直接言えないタイプだった。就任当初は「向いていない」と悩んだが、古田氏が師匠の元ヤクルト監督、野村克也氏(80)の名言「地位が人をつくり、環境が人を育てる」を引き合いに励ましてくれた。現役時代、名だたる投手陣を操る名捕手として活躍し、選手晩年は兼任監督も務めた古田氏の言葉は説得力があった。「注意をすると発奮する選手とヘソを曲げる選手がいると聞いて、私も伝える言葉をメンバーによって変えました」
ステージでは歌詞の意味を理解して歌うことをみんなに呼びかけた。自分なりにリーダーシップをとり、全国ツアー中だった昨年11~12月ごろからチームの充実と、自身の成長を感じたという。「やるべきことは終わった」と卒業を決心した。
AKBでは選抜メンバーの常連ではなく、縁の下の力持ち的存在だった。「順風満帆ではなかったけど、経験として大きく、濃密だった。自分の言葉で伝えることの大切さを一番学びました」と胸を張る。
新聞紙上での卒業宣言はメンバー初だが、言葉を大切にする彼女らしいサプライズ。「違う方法で発表したかった。スポーツキャスター志望だから、スポーツ新聞を選びました」とほほえんだ。

今後の予定される握手会は今月25日(東京ビッグサイト)、8月7、8、9日(千葉・幕張メッセ)の計4回。同1、2日にさいたまスーパーアリーナで行われるAKB48のコンサートにも出演する[5]

  • 同日のサンケイスポーツ紙面では、父である倉持明の手記も掲載されている。

明日香がAKBを卒業することについて私に相談はなく、本人が以前から決めていたようです。
娘は私が現役引退後に生まれました。11歳上、9歳上の兄がおり、女の子がずっと欲しかったので、生まれた翌日にタバコをやめました。以来、吸っていません。ですが、女の子だからとベタベタせず、厳しいときには厳しく接してきました。
AKBに入る前、芸能事務所にスカウトされたことがあり、最初は芸能界入りに反対しました。歯科衛生士になると約束していたのに、AKBに合格したと事後報告で知り、やっと許しました。
車でレッスンの送り迎えをしたり、娘が出るものは家内に聞いて、番組は録画、記事は切り抜いています。子供のころは学校で目立たず、表に出るタイプではなかったので、キャプテンも経験して、こんな能力があったのだと驚きました。AKBのおかげでここまで来られました。

卒業後はスポーツキャスターを目指すそうですが、仕事は幅広く挑戦してほしいです。これからが芸能生活の本番だと思います[55]

  • 同日、改めて自身のブログにおいて、卒業を報告する投稿。
「今日のサンケイスポーツさんで発表させていただきましたが、私、倉持明日香はAKB48を卒業します。
私は一期研究生として[注釈 1]合格してから約8年間、AKB48として活動してきました。組閣でチームBのキャプテンになり、今まで、キャプテンという立場を経験したことがなかった私にとって、毎日が新鮮で毎日が勉強でした。
去年チームでツアーをさせていただいた時に、たくさんの後輩たちの成長を感じることができました。表に見えるパフォーマンスだけでなく、MCだったりレッスンの時だったり…その時、私の役目は終わった気がしました。今まで苦手だった、チームをまとめるということも、1人1人のことを見るということも克服できたような気がします。こんなに心から大好きになれたチームだからこそ、このチームで卒業したいって思いました。
そして、私がAKB48の活動を通して見つけたのが【伝えること】です。今、挑戦させていただいているスポーツキャスターのお仕事でも、選手や選手を支えている方を自分の言葉で伝える難しさを実感していますが、それ以上にスポーツの素晴らしさに気づくことが出来ました。大好きなスポーツを通して言葉を伝えることは、これからも積極的に挑戦していきたいことのひとつです。
そしてもうひとつ。「セリフ」という力強い言葉を通して、皆さんを元気にするお芝居にも挑戦していきたいと思っています。だから今、新しい目標・夢に向かって歩き出したいと思い卒業を決意しました。
本当に濃厚な8年。たくさんの方に“出会い”いろんな“経験”をして、私の知らなかった“自分”を見つけました 。その全てが私の宝物です。これからはAKB48の倉持明日香ではなくなりますが、1人の倉持明日香という人間をこれからも支えてもらえたら嬉しいです。
卒業公演は8月17日。残り約1ヶ月の活動となりますが、1日1日を大切に、まだまだたくさん吸収して、成長したいと思います!
本当に8年間、ありがとうございました。今まで応援してくださったファンの皆様、支えて下さったスタッフの皆様に感謝をしながら卒業の日を迎えたいと思います」[56]

昼公演では、スポーツキャスターになる夢に向かうため卒業を発表した、倉持明日香の卒業セレモニーが行われた。一面ピンク色に染まった会場の中『桜の木になろう』をソロでしっとりしなやかに歌いあげ、「8年前、わたしは父の反対を押し切りアイドルという夢に歩み始めました。最初は不安ばかりでしたが、周りを見れば大切な仲間たちがいて、目の前にはどんな時も応援してくれるファンの皆さんがいて、今もこうしてこのステージでこの景色を見れている。私のこの8年間は決して間違ってなかったと心から思います」と話す。さらに、「次のステップへと進むことが、大切な仲間のいるAKB48にとって恩返しになれたらうれしいです。これからも皆さんの心の中に倉持明日香という存在が生き続けていけるよう、これまでの8年のように一歩一歩前を向いて進んでいきたいと思います」と涙で声をつまらせながらも、硬い意思を感じる強いまなざしでファンへ感謝の気持ちを述べた。そして大切な仲間たちである倉持チームBのメンバーに囲まれ『白いシャツ』を、そして同期の中田ちさと大家志津香らも加わり『ファンレター』を涙を流しながらも笑顔で披露した[57]

卒業公演で倉持に贈られた卒業アルバム。写真は倉持の「オーディション写真」。
  • 8月17日、AKB48劇場において卒業公演(同日、AKB48としての活動を終了)。
開演前、チームメート全員に感謝の手紙を渡して臨んだという。ファン有志は、父・明の現役時代の背番号や自身の選抜総選挙最高順位に因む「21」の背番号が付いた特製Tシャツを用意していた。公演のMCでは、渡辺麻友からは「歴代のどのチームより、後輩がのびのびできるチームだった。キャプテンのもっちぃがどんな垣根も超え、どんな種族(笑)からも愛されるすばらしい人格の持ち主なので」語り、名取稚菜は「円陣の前にみんなで号泣した。円陣から泣く公演ってあまりない」と、倉持の人柄を語る。また、高橋朱里は「ナイスバディーなメンバーは倉持さんに襲われる」と暴露し、柏木由紀は「もっちぃに襲われる“スキンシップタイム”を一度もされたことがない。あと(公演が)2時間くらいあるので期待して待っていたい」と、倉持の性癖を弄った。
客席では父の明と母、11歳上と9歳上の2人の兄が鑑賞。当初は訪れる予定はなかったそうだが、娘が母に「お父さんは来なくていいの?」と話していたと聞き、急きょ訪れたとのこと。また、明日香がファンとして公言する、元プロレスラー・小橋建太は、公演に際し花を贈っていたが、初めてAKB48劇場を訪れ、鑑賞。演目の『キスして損しちゃった』で男の子の名前を呼び捨てにする台詞では、明日香は『小橋~!』『建太~!』と叫んだ。この日、妻の演歌歌手・みずき舞が第1子を出産した小橋は「(明日香は)すごく自分を持っている子なので、今の気持ちでぶつかっていけば、いいスポーツキャスターになれるんじゃないかな」「こんな1日ないですよ。朝にうれしい報告ができて。ほんとハッピーな誕生と卒業です」と語っている。
アンコールでは、同期の中田ちさと藤江れいなと『向日葵』を歌い、その後、この日は休演の梅田綾乃横島亜衿川本紗矢野澤玲奈も登場。仲の良い梅田綾乃からは「倉持チームB物語」と称した絵本が贈られた。続いて、さらに、チームK時代のチームメイトであった宮澤佐江梅田彩佳小林香菜の3人が登場。宮澤は「アキラー!卒業おめでとうー!」と絶叫して、明日香に抱き付きながら、客席にいる明を弄り、客席は爆笑。3人とともに『To be continued.』を歌い、さらに宮澤より花束、中田からは「明日香のオーディション写真」(画像参照)が表紙となったアルバムが贈呈された。
最後にメンバー全員で明日香のソロ曲『いつもそばに』を歌うと、終始笑顔だった明日香も大粒の涙を流した。以下、倉持から、メンバーとして最後の挨拶。

「えーと、そうですね、伝えたいことは本当にいっぱいあるんですけど。ちょっと待ってください・・・。
私はAKB48を卒業して、スポーツキャスターになりたいという目標を持って新たな一歩を踏み出すんですけど、それはAKB48に居たからこそ見つかった夢で。
AKBは色んなイベントがあったりとか、日々色んなことがある中で、メンバーが、若いメンバーも若いメンバーなりに色んなことを感じて。
でもその感情っていうのが、こんなにいっぱい表現方法がある日本語でも見つからないぐらい複雑な感情というか、色んな感情をこのAKB48に入ってこの8年間教えてもらいました。
AKBに入って、普通の女の子がするようなことができなかったとしても、AKB48に入ってこの17歳から25歳の間ではできないぐらいほんとにこの8年間でたくさんのことを経験させていただいて、たくさん色んな自分の中で感情が生まれて、たくさんの想いが生まれて、たくさんの感謝の気持ちが生まれて、それを私は自分の言葉で伝えていきたいと思って、自分の言葉で伝えるということが一番難しいことをこのAKB48で知ったので、だからこそ自分の言葉で皆さんに届くように、伝わるように伝えていきたいと思ってスポーツキャスターになりたいという目標を持ちました。
AKB48に入って、私個人の目標だったりとか夢だったものがいつしか周りのメンバーだけじゃなくて、応援してくださるファンの皆様と一緒に追いかける夢になってました。だから、不安はあるけど寂しさはないです。握手会とかお手紙とか色々なコメントとかでファンの方が「これからもずっと応援してるからね」っていう言葉が今の私にとっては最大の力になるし、それを支えにして、明日からも頑張れって思う、そんな魔法の言葉です。だからその言葉を信じて、これから進んでいきたいと思います。
あとは私の努力次第なので、ファンの皆さんはAKB48グループを応援しつつ、私、倉持明日香個人としてもこれからも今まで通り温かく見守っていただけたら嬉しいなと思います。
AKB48には本当にたくさんのメンバーがいて、まだまだ知らない部分がたくさんあって、まだまだファンの方にお伝えできていない部分が本当にたくさんあります。だからそれをファンの方の目で見つけていただきたいなと思ってます。この劇場公演がある限りAKB48は行き続けていくと思うので、ファンの皆さんがメンバーを支えて、そしてAKB48を支えていって欲しいなと思います。私も卒業してからもAKB48グループを応援して、支えられるぐらい大きな存在になりたいと思います。

今日こうして集まってくださった皆様、そしてロビーでこの劇場公演を観てくださってる皆様、オンデマンドで観てくださってる皆様、本当に皆さんに感謝の気持ちを込めて、これから一歩一歩、私は子供の頃から大器晩成型と言われ続け育てられたので、まだまだ開花はしないかもしれませんが、少しずつですが成長して、いつか大きな花を咲かせられるように頑張っていきます。なので、これからも倉持明日香の応援どうぞよろしくお願いします。これからもよろしくお願いします」

終演後、父の明は取材に応じ、「8年間、AKBにお世話になってひとつの区切り。AKBに入って一人住まいをしたり、本当に勉強になって大人になった。ここからがスタートなので、応援したい」「舞台(三ツ星キッチン「DREAM」のこと)を見に行ったけど、よかったんだよ。女優さんとしても頑張ってほしい」と、娘について語った[58][59][60][61][62]

AKB48卒業後

  • 引き続き、ワタナベエンターテイメントに在籍し、タレント、女優、スポーツキャスターとして活動。

2015年

  • 8月27日、チームB 6th Stage「パジャマドライブ」千秋楽公演のアンコールにサプライズ出演。チームB全員で『初日』を披露し、締めの挨拶を行った[63]
  • 10月22日~11月1日、人気ゲーム「BIOHAZARD」を原作とした舞台「BIOHAZARD THE STAGE」(EX THEATER ROPPONGI)でヒロインのメアリー・グレイ役に出演。AKB48卒業後、初の舞台出演[64]

交友関係

下口ひななの耳を堪能する倉持。
倉持と阿部マリア(右)の「みみた部」。中央は永尾まりや
  • 仲の良いメンバーは、佐藤亜美菜仁藤萌乃小林香菜[10]
  • 推しメンは佐藤亜美菜[10]。亜美菜とは同期でもあるため仲が良い。チームが違うため一緒になる事は少ないが、仕事が一緒の時は、いつも一緒にいる。亜美菜の方が甘えているイメージがあるが、どちらかというと倉持の方が亜美菜に甘えているとか[65]
  • AKB48の中で目標にしているのは、高橋みなみ[9]
  • チームKに所属していた時は秋元才加と仲が良かった(ラリアットを受けてくれるので)。旧チームKが2010年2月に千秋楽を迎え、秋元とは違うチームになってしまう為、泣きながら「逆水平チョップさせて」とお願いをして、最後に食らわせた[66]
  • チームBへ異動してからは、キャプテンに就任したこともあり年下の後輩メンバーとの交流も多い。倉持のツイッターに頻繁に登場するメンバーとして、梅田綾乃[67]朝長美桜[68]などがいる。
  • 仲の良い同期(4期生)メンバー4人で、「TEAM4」を組んでいる(チーム4とは別物)。メンバーは、倉持、佐藤亜美菜成瀬理沙出口陽(以上、卒業生)。「4」とは「4人」の事で、「4期」という意味ではなかったらしい[69]
  • 同期の大家志津香は、「初めてオーディションの時に出会った時は、仲良くなれないと思ってた」。現在は同チーム・同事務所所属という事で、仲は良い[70]
  • SKE48メンバーの中では、前述の出口のほか、小林亜実とも仲が良かった[71]
  • 同じプロ野球選手を父に持つHKT48若田部遥とは、日本テレビ「HaKaTa百貨店」(2012年11月19日放送)では「野球選手の娘あるある」で意気投合、番組ラストで若田部を推しメンを選んでいる。エンディングでは倉持は若田部に「ちゃんこちゃん」のニックネームを命名している。また、大森美優も含め「野球選手三姉妹」と称している[72]
  • 人数の多いAKB48においても、同学年(1989年度)は先輩(1期生)の大江朝美(6月15日生)と同期の佐伯美香(10月29日生)しか居らず、大江は2008年11月23日にAKB48を卒業、佐伯は2009年1月から足の怪我(棚障害)の治療により休養に入ったため、翌2010年以降、毎年恒例で行われる「AKB48グループ成人式」は行われず、成人式は一人で行った。[要出典]また、当時は9月生まれのメンバーもいなかった。元メンバーだと、大島麻衣と誕生日が一緒だった。
  • メンバーの二の腕をハーモニカのように吸ったり、耳たぶを触ったり噛んだりする癖がある[73]。以下、主なエピソード。
    • 倉持が自身と同じ性癖を持つメンバーを探さんと独自に「みみた部」を結成。倉持の影響で耳を触る癖がついた阿部マリアを「みみた部」に引き入れた[74]
    • 好きな二の腕は松原夏海。耳たぶは高城亜樹[75]
    • テレビ東京系『週刊AKB』では、「耳ソムリエ」となりメンバーの耳を評価するというマニアックなコーナーも行われた[76]
    • 仲谷明香には「綺麗なお姉さんだけどちょっと変態」と言われている[77]
  • メンバーに独自のニックネームを付けて呼ぶことが多い。
一例を挙げると、秋元才加を「もっさん」、北原里英を「うなたま」、指原莉乃を「ぴーや」、高城亜樹を「おたまる」、宮澤佐江を「ぽっちゃん」など。中には北原の「うなたま」をさらに派生させた「たまやまさん」など、意味がよくわからないものも多数ある。
詳細は/ノート#独自のニックネームを参照。

性格・趣味

  • 非常に温厚な性格で、メンバーも倉持が怒った所を見た事が無いらしい[78]。倉持に影響を与えたのは松原夏海で、彼女の「えっ何で怒ってんの? 笑ってる方が楽しいじゃん」という言葉を聞き、怒る事や悩む事は少なくなったとか[65]
TBSテレビ『有吉AKB共和国』の企画(2010年4月26日放送分)で、研究生(当時)の石黒貴己島田晴香の2人が倉持を怒らせようとしたが、なかなか怒らせることが出来なかった。最終的に怒ったものの、ドッキリだとバラされた後は泣いてしまった。
  • 長所は、くだらない事でも大笑いできる。短所は、面倒くさがり[79]
  • かなりの潔癖症で、電車のつり革などには触れない。マイバスタオルがあり、家族であっても他人のは使えない[80]。マイブームはトイレ掃除という超綺麗好き。AKB48のメンバーは大勢のファンと握手しなければならないが、人は平気なのだとか[10]
  • 学生時代は野球やソフトボールの授業があると、父親が先生として呼ばれる事が多かったが、「先生」と呼ぶのは嫌だし、「お父さん」と呼ぶのも恥ずかしい。そのため、ほとんど無視していた[25]
  • 倉持曰く母親はかなり天然。しかし増田有華曰く倉持もかなり天然。「トマト」を「卵」、「メロン」を「みかん」と言ったりする。公演中、間違ったフリをしている時もあったとか[81]
  • 中学生時代は太っており、顔がパンパンだった。その為あだ名は「たまちゃん」「肉まん」「マッシュ(髪の毛が短かったため)」など[82]
  • 高校は女子校[83]。ミッション系の学校だったらしい[84]
  • 自分の声が嫌い[75]
  • ラジオのフリートークだと、よく「そうや」「~やん」という関西弁のような喋り方になる。
  • 原稿を読むのは苦手で、自分が書いてきた台本なのに毎回、何回も噛んでしまう。高橋と柏木が数えたところ、わずか2~3分のコーナーで6回も噛んでいた[85]
  • オフィシャルブログの最後にある「ぱ」は「バイバイ」の意味である[75]
  • AKB48で好きな曲は、『軽蔑していた愛情』『MARIA』[10]
  • 趣味は、スポーツ観戦[9]。美術館巡り[79]
  • プロ野球ファンとして。
    • 父親の影響で、子供の頃に素振りなどをやらされていた。ラジオ『明日までもうちょっと。』のおまけ動画では、中島の打撃フォームや、千葉ロッテマリーンズの渡辺俊介の物真似を披露しているが、本人曰く「細かすぎて伝わらない」[9]
    • 好きな球団は埼玉西武ライオンズ。理由は、子供の時に当時の監督であった東尾修と会った時、「おぉ明日香ちゃんか」と優しく頭を撫でてくれたから[86]との理由。ただし、東尾について「すごく酔っ払っているおじさんだな」と思ったとのこと[79]
    • 好きな選手では、中島裕之オリックス・バファローズ)のファン。西武がAKB48的な言い方で「1推し」なら、千葉ロッテマリーンズは「神推し」で好きを通り越している感情[87]
    • プロ野球繋がりで、ニッポン放送アナウンサーの松本秀夫(野球中継を主に担当)のファンでもある。AKB48のオールナイトニッポン』で電話共演し、[いつ?]夢が叶った。
  • プロレスファンとして。
    • ベースボール・マガジン社発行の『週刊プロレス』の愛読者。プロレス好きになったきっかけは、父や兄にはまったく関係なく、夜眠れないのでプロレス放送を見ていたらハマってしまった[66]
    • プロレスファンとしての入口は、大日本プロレス[注釈 2]。その後、新日本プロレスを見て「なんてスタイリッシュなんだ!」と新日のファンになり、さらに、プロレスリング・ノアを見たことで、小橋建太のファンになったとのこと[88]
    • 選手で言うと小橋建太のファンで、倉持にとっては「神様」みたいなものらしい[75]。日本テレビ系『AKBINGO!』(2009年8月12日放送分)では、小橋に関する逸話を直筆の紙芝居で熱弁する「小橋の小話」を何度も披露した。その後、番組では小橋本人からコメントをもらい感泣した。さらにその後の放送では、秋元才加河西智美と共に小橋の試合を観戦し、熱烈な声援を送った。試合後、「明日香ちゃんへ」と書かれたサイン入りのTシャツをプレゼントされた。また、最近(2014年12月)では、中邑真輔、真壁刀義、飯伏幸太などのファンでもある[88]
    • 逆に選手にも倉持のファンがおり、リアルジャパンプロレスリングに所属する間下隼人は倉持の大ファンであることを明かしている。2013年9月17日に行われた倉持の生誕祭では、間下は実行委員長を務めたが、当日は新宿FACEでの興行を終えてから生誕祭に駆けつけ、アンコールの口上では「さっきまで新宿FACEで試合をしてました。力が残ってないので、皆さんの力でアンコールを盛り上げて下さい」と盛り上げている[89]。なお、間下は2014年1月3日に「梅田彩佳似で大のアイドル嫌いという」元OLの女性と入籍しており、TO(トップ・ヲタ)から握手会にも参加しないライトヲタへ転向したとのこと[90]
    • 好きなプロレス技は、1位:丸藤正道の「不知火」(後方回転式リバースDDT)。2位:小橋建太「逆水平チョップ」[75]
    • プロレスファンということから、プロレスに関係する仕事も多い。前述の小橋建太引退試合での花束贈呈役や、2015年1月の新日本プロレス・東京ドーム大会の「イッテンヨン大使」就任[88]など。
  • 好きな男性のタイプは、格好良い人よりは、可愛い人。ぷにっとした体型で、毛むくじゃらな人。有名人で言うと、葉加瀬太郎[87]
  • ロン毛で後ろで縛っている様な人が好き。DANSO甲子園では、宮澤佐江の男装した姿を見て嬉しさのあまり泣いた。しかし清人(バッドボーイズ)には「(倉持の好きな)小橋建太さんは短髪ですけど」と突っ込まれた[91]
  • 好きな男性の仕草は、ふとした瞬間に見せる内股[9]
  • 好きな男性のタイプは、「モサモサした人。髪の毛が長くて、ヒゲがあって、優しい人。私の好きな野球やプロレスを否定しない人がいい」[92]
  • 尊敬する人は、お笑い芸人の江頭2:50[93]
  • 外出する時は、財布に最低でも1万円以上入れてないと外に出られない。理由は、欲しい物が買えなかったり、何があるのか分からないから[94]
  • 今一番欲しい物は、タクシーチケット。別荘。ネコ[21]
  • 好きな言葉は、「今は下積み」[21]
  • 好きな食べ物は、手羽先[10]
  • 嫌いな食べ物は、トマト[9]
  • 弁当屋でのアルバイト経験がある。しかし3時間立っているのが大変なので辞めてしまった[95]
  • ストレス解消法は、「日本酒をお風呂に入れて入ること。すごく温まるし、身体の毒素が抜けるらしいんですよ。湯船にゆっくり浸かる時間を今まではあまり大切にしてなかったんですけど、それをやることによって血行がよくなって次の日スッキリするんですよね」[96]
  • 猫を1匹買っている。名前は「しろみ」(オス、2014年3月25日生)で、文字通り白い猫。しばしば、自身のツイッターやブログなどに登場する[97]

ギャラリー

参加曲

シングルCD選抜曲

派生ユニットシングル曲

フレンチ・キス

チームZ

  • 恋のお縄
    • 私の彼氏は銭形平次
    • 会いたかった ~お江戸 Ver.~
    • 銭形平次 ~TEAM-Z Ver.~

ソロシングル曲

  • いつもそばに
    • 偶然の味方
    • 向日葵

アルバムCD選抜曲

AKB48

フレンチ・キス

  • French Kiss」に収録
    • サヨナラをあと何回…

その他の参加楽曲

出演番組

Wikipediaを参照。

注釈

  1. ^ AKB48初の研究生として、の意味。正しくは4期。
  2. ^ 「蛍光灯デスマッチ」などのハードコアスタイルのプロレスが中心のプロレス団体。詳細は大日本プロレス参照

出典

  1. ^ 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2015」P156より。
  2. ^ a b 光文社「AKB48 じゃんけん大会 総集号」P42より。
  3. ^ 【エンタがビタミン♪】“AKB48チーム神奈川”に倉持明日香が不満。「わたし神奈川歴24年なんですけど」 - Techinsight 2014年1月30日
  4. ^ a b AKB春の衝撃人事一覧――川栄卒業、北原NGT移籍、生駒留学解除 - ORICON STYLE 2015年3月26日
  5. ^ a b c 倉持明日香、AKB卒業宣言「スポーツキャスター目指します!」 - サンケイスポーツ 2015年7月19日
  6. ^ 光文社「まるっとAKB48 スペシャル2 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48」[要ページ範囲]
  7. ^ 倉持明日香 投稿 - Google+ 2013年12月26日 ArKaiBu Gugutas
  8. ^ 北原里英 投稿 - Google+ 2013年9月17日 ArKaiBu Gugutas
  9. ^ a b c d e f CBCラジオ『今夜は帰らない…』2008年11月29日放送分。
  10. ^ a b c d e f g h 東京ニュース通信社「AKB48 VISUAL BOOK 2010 featuring team K」[要ページ範囲]
  11. ^ 集英社『週刊プレイボーイ』[いつ?]
  12. ^ 集英社『週刊ヤングジャンプ』[いつ?]
  13. ^ AKB倉持明日香、2度目の“父娘”始球式 ワンバンも父から合格点 - ORICON STYLE 2015年5月1日
  14. ^ AKB48新ユニット「フレンチ・キス」!キュートなユニフォーム姿でファンに「想い」を熱投!! - シネマトゥデイ 2010年9月11日
  15. ^ AKB48新ユニットのフレンチ・キスが倉持明日香・父の投球に全員空振り! - ムビコレ 2010年9月11日
  16. ^ a b c d 講談社『AKB48総選挙公式ガイドブック』P50より。
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外部リンク

先代:
梅田彩佳
AKB48チームBキャプテン
2014年4月 - 2015年8月
次代:
木﨑ゆりあ