秋元康

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総合プロデューサー
秋元 康 あきもと やすし
秋元康 2.jpg
ニックネーム

やすす、秋元先生

所属事務所

株式会社秋元康事務所

生年月日

1958年5月2日 (66歳)

出身地

東京都

秋元 康(あきもと やすし、1958年5月2日 - )は、放送作家、作詞家、プロデューサー、小説家、映画監督、タレント。48グループや坂道シリーズの総合プロデューサーを務めている。自身が取締役を務め、妻の高井麻巳子が監査役を務める株式会社秋元康事務所に所属。東京都出身。

人物

本項では、AKB48総合プロデューサーとしての秋元康について記述する。秋元康自身についてはWikipediaを参照。

インタビューなど

AKB48関連

  • AKB誕生のいきさつ。
「構想は、何年も前からありました。ずっと、テレビの仕事をして来たので、画面を通してではなく、観客がわざわざ足を運んでくれる小劇団やロックバンドに嫉妬のようなものを感じていました。テレビは、スイッチを入れるだけで観ることができますが、小劇団やロックバンドの公演は、時間とお金をかけるわけですから。10人が20人、20人が40人、40人が80人…というように、観客が増えてゆく、リピーターの多い「刺さるコンテンツ」に興味があったんですね。初めは、僕なりの小劇団を作ろうと思ったんですけど、毎日、公演をやりたいなと思って…。歌とダンスを観せるレビューのようなものにしようと、行きついたのが「会いに行けるアイドル」というコンセプトでした」。[1]
  • 秋葉原を本拠地にした理由。
「劇場を渋谷か原宿か青山に作ろうと思って探したんですが、いい場所がなくて…。ちょうど、その頃、秋葉原が注目されていて、「発信基地として、秋葉原も面白いかも…」ということになり、スタッフがドン・キホーテの8階を見つけて来たんです。秋葉原のことも、全く、リサーチしませんでした。むしろ、「秋葉原で、日曜日にグラビアアイドルのイベントをやっても100人も集まらないんだから、毎日、公演するなんて無理ですよ」と、みんなに反対されました。だから、面白いと思ったんです。みんなが行く野原には、野イチゴはありませんから。「あそこに行っても、野イチゴはないよ」と言われる場所こそに、野イチゴはあるんです」。[1]
  • 秋葉原48シアター構想。
「次のアイドルはどこから誕生するか? 業界関係者は、目を凝らし耳を澄まして、その予兆を察知しようとしている。そして、やはり、秋葉原から生まれるだろうというのが、大方の予想である。なぜなら、秋葉原に集まる 「萌え系(オタク系)」の若者のエネルギーは、目を見張るものがあるからだ。アイドルが誕生するためには、まず、一部の熱狂的ファンの力が必要不可欠なのだ。ドミノ倒しの初めの一個目。これが、倒れないと、大衆まで広がらない。秋葉原で開かれるグラビアアイドルのサイン会は、どこも満員盛況だそうだ。「萌え系」の人たちには、独特の情報網と行動力がある。今、音楽業界でCDが売れなくなって来ているのも、わざわざCDショップまで買いに行きたくなるようなものがないということだろう。テレビやラジオから流れるだけでは、もはや、CDを買いに行こうというモチベーションが上がらないのである。自分たちだけの秘密となるような仕掛けが必要だ。イベントから、コンテンツを作るのがいい。僕は考えた。秋葉原に情報発信基地を作ろう。そこで、二十一世紀型アイドルを誕生させよう。それが、今年の十月にオープン予定の「秋葉原48シアター 」である。月曜から金曜までは、毎日、十七時、土日、祭日は、十一時、十三時、十五時、十七時の四回、三十分のショーを行なう。ショータイム以外は、ビデオコンサートを流したカフェとなる。早い話、劇場と今、流行の「メイドカフェ」をあわせたようなものを想像して貰えればいい。つまり、二十一世紀型のアイドルのコンセプトは、「会いに行けるアイドル」。秋葉原に行けば、いつでも、会えるというのがミソだ。劇場兼カフェには、一軍二十四人、二軍二十四人のアイドル予備軍がいて、ウェイトレスをしながら客の人気を獲得し、ステージの主役を射止めるのである(全員が、ウェイトレスをするわけではない)。「萌え系」のファンが、自分の贔屓の女の子を応援してスターに仕上げて行く、アイドル育成シュミレーションゲームのリアル版だ。先に、劇場で盛り上げ、その噂を聞きつけたマスコミによって、一気に秋葉原の熱気が日本を席巻するという寸法である。僕の思惑通り、秋葉原48シアターはブレイクするだろうか?」[2]
  • 最初はお芝居をやろうと思った。でもそれでは毎日持たないと思い、歌とダンスをパフォーマンスするアイドルグループになった。[3]
  • 「小劇団とかが小さな小屋から大きな劇場へ変わっていく姿とかを見ていて、お客様ってすごい力があるなと思ったんです。だから始めは劇団を作りたいなって思っていて。小さなところから始めて少しずつ大きくなっていくところを見たいと思ったんです。で、そのうちに毎日見ていただけるものならそれはコンテンツとして成立するのではないかと思いました。ただ、毎日お芝居をやるのはさすがに難しいかなと思いまして、レビューみたいなものにしようと。どうせやるならアイドルの方が面白いんじゃないかということで、どんどん(構想が)固まっていきました」[4]
  • ステージは地味にした。バックが黒で、床は木。テクノロジーに頼ると、すぐ飽きられてしまう。生身の人間たちが世界観を作り出していくのが良い。[3]
  • 1期生オーディションについて。
最初は「秋元康」という名前を出さず、東京ドーム公演ができるぐらいになってから名前を出したかった。でもそれでは募集が集まらないと言われ、結局名前を出すことになった。[3]
  • AKBのメンバーは、クラスで2~3番目に可愛い子を選んだ(宮澤によると10番目)。[5]
  • 上記の補足。
「そこをみんなちょっと誤解しているのですが、別に5番目にかわいい子を集めているわけではないんです。1番目にかわいい子という言い方があるとしたら、1番目に足が速い子でもいいんです。何か1番を持っているかということ、その1番を集めたいということなんです。中にはまだその1番が見つからなくて、もがいている子もいます。でも、それはいいと。悩んでもがいているところがリアルであれば[6]
  • ―最初のオーディションの時、秋元さんは「こういう子を採ろう」というポイントがあったと思うのですが、もう出来上がった子というより、まだまだ分からない子をお採りになったのですか? 色がないというか。
「それはそうですね。やっぱりちょっと経験があるとか、そういう人は外しましたね。あるいは「多分、芸能界とはこういうものだろう。アイドルとはこういうものだろう」というものを持っている人は不合格だったような気がします。つまりまだ何も分からない、海のものとも山のものとも分からない感じの24人が少しずつ、少しずつ」[6]
  • スタッフについて。
「スタッフも、今までそういうステージの人と組んだことのない人たちが集まってやりました。例えば、まずは“ブカン”に「ちゃんとこういう風にやらなきゃダメだよ」ということを言うじゃないですか。ブカンは舞台監督の略ですね。でも、一生懸命みんな真面目にメモをとっていると“武官”とすごい恐ろしそうな感じになっていたり。「そこをバミっといて[7]といった言葉も通用しないところでした」[6]
  • 「会いに行けるアイドル」
「今までのアイドルは、毎日テレビ局やラジオ局などいろんなところを行ったり来たりで、コンサートもあったりして動いているので、“追っかけ”というファンの人たちは追いかけていたわけです。でも、「そんなことをしなくても、定時になったらここにいますよ」というアイドルが面白いんじゃないかと。それが「会いに行けるアイドル」という言い方になったんですね」[6]
  • 「おニャン子クラブはレッスンしていないそのままの女の子。レッスンを積んで、かつ能力のある子たちが集まったのがモーニング娘。です。音楽的にもすばらしかった。AKB48はむしろ、そこに行くまでの過程を見せるドキュメンタリーなんですね」[4]
  • AKB48の“48”というのは何で48なんですか?
「全然意味なかったんですよ。商品開発番号みたいなものを作って、無機質にしたわけです。僕もずっといろんなアイドルをやっていて、動物の名前とか花の名前とかあったのですが、それよりも無機質な方が面白いと。でも、それが結果的に海外で認知されやすいということになるんです。その時は何も考えていないですよ。「何でもいいんじゃないの」というようなことで、暫定的に秋葉原48と最初は言っていて、そのうちAKB48となりましたから。そのころからだんだんパッケージビジネスが厳しくなっていて、「秋元さん、ライブにいち早く目を付けましたね。さすがです」とか言われますが、そんなことまるで考えていないですからね」[6]
  • AKB48のメンバーであるための基準
「何も考えてないですよ。歌、ダンス、演技が上手いとかいろいろありますが、結局は人が魅力なんです。AKB48というグループに存在することによって、あなたは何を見せたいのか、ということです。ある子はブログが面白かったり、ある子はコントで間を取るのが上手かったり、ある子は絵を書くのが上手だったりとか、将来的には何の才能があるかわからない。でも見習いで入ってから、絵の才能や作詞の才能とか何でも試す場になればいいと思っています。そこにあるのはリアルさなんです。こうじゃなきゃという基準はありません。韓国のグループ「少女時代」には厳しい決まりがあると思いますが、AKB48にはない。オンリーワンであってほしいんです。[8]
  • AKBが大人数グループである理由
「コンセプトは、卒業アルバムを友達の所で見て、『この子かわいいね』とか、それぞれ自分の好みが違うところだと思うんですよね」。だからこそメンバーを多くして、様々な容姿や性格の子を揃え、ファンが自分の好きなタイプの子を選べる様にするため。その為に100人以上在籍するという大所帯のグループになっている。[9]
  • AKB結成時のメンバーの印象は、まるで「弱小野球部」。『7人のサムライ』にでてくる農民。みんなは「大丈夫ですか? あのメンバーで」と心配していたが、「僕は自信があった」。[10]
  • 「イメージでいうと僕はかつて高校野球で“おニャン子クラブ”というチームを優勝に導いたことのある監督。その監督が秋葉原でチームを作り、甲子園を目指そうっていうところから始まっているんですよ。甲子園で優勝するまでがAKBなんですよ」[4]
  • 劇場グランドオープンでは7人しか客が来なかったが、まったく焦ってはいなかった。7人を14人に、14人を28人、56人へとするのが最初からの目的。[11]
  • ファンの意見を取り入れているとは?
初期は劇場でお客さんに直接話しかけて意見を聞くこともあった。現在はまずない。ブログや掲示板なども見ない。ただし、スタッフが「面白いの出てますよ」と言ってプリントアウトして見せてくる事はある。現在はその程度。[3]
  • ファンとの対話をする
「実際に会話をしていなくても、やりとりをしているかのようにコンテンツを作っていくことが今の時代に合っているのではないかと思います。昔はテレビがすごく強くて、僕らが「とんねるずでこういうことをやったら受けるかな」というのをやっていたのですが、今は「みんなどう思っているんだろう」とか、そういうことを考えますよね。昔は送り手と受け手しかなかったのですが、ネット社会だと今度はファン同士とか、横に対して送り手になったり、受け手になったりするんですよね。だから、「今度の○○はすごくいいぞ」とか「今度の○○は見る価値なし」とかそういう言葉が飛び交う。そこが多分、面白いんじゃないですかね」[6]
  • AKB48とはどんなグループであるのか?
「将来的なビジョンとしては、本当の意味でのタレントを発掘するできる。つまり才能を発掘できる場にしたい。歌手であり、女優であり、お笑いがここ(AKB48)から生まれるかもしれませんし、作曲家、シンガーソングライターが出てくるかもしれません。あるいは小説家が出てくるかもしれない。つまり、あの子はこういう風に導いたら、こういう才能を磨けるんじゃないかというような“ショーケース”にしたい」。
  • オーディションやCDの選抜で、どの程度の決定権を持っているのか?
「スタッフとの話し合いの場はありますが、僕が中心ですね。最終的には僕が決めます」[3]
  • 「AKB48は10年計画でじわじわやるつもりだった」[3]
  • アイドルのファンは、みんなそれぞれ理想像がある。ネットでは個人ブログやサイトで、「こうした方が良い」「こうした方が売れる」とか書くし、掲示板でも「あーしろ」「こーしろ」という意見が多い。だから自分の様な“仕掛け人”であるプロデューサーに抵抗を持つ人は多い。[3]
  • 「AKBはOSで言うと、WindowsではなくLinux」
個々のユーザーが開発者となって、全世界で改良&バージョンアップが行われていく。オープンソースのソフトウェア。[3]
  • 「チーム」を作った理由
「初めは24人で毎日公演やって、土日は3回公演やるんです。そのうちにみんなすごい疲れて、「これ1チームじゃ無理だな」と気付くんです。それで2期生を募集しないと大変だというので2期生を募集して、それがチームKとなったんです。チームA(1期生)、チームKができたなら、(次に)チームBもあった方がいいんじゃないのと。初めから僕がすごく考えていたわけでもないし、戦略なんて何もないですよね」[6]
  • 正規メンバーが異なる芸能事務所に所属するようにしたのはなぜか?
「AKB48がショーケースだからです。芸能プロダクションのみならず、様々なプロデューサーからも声がかかるのを待っています。このシステムはオーバーに言えば『教育』です。最近の子は時間が守れないとか、すぐへこたれるとか色々言われますが、厳しいレッスンを受け、常に団体行動をすると、次第に変わっていく。そうした真摯なメンバーの姿が観客をの心を動かす要素になると思っています」[12]
  • 総選挙など思い切った試みをする理由。
「色々なプロジェクトをプロデュースしているので、確実にヒットを狙ってバットを短めに持って打席に入らないといけないケースもあります。しかしAKB48のようなタイプは、計算してしまうと振りが小さくなるので、バットは長めに持つ。空振りをしてもいいから、長打を狙う。そういう気持ちで大胆にやっている」[12]
  • デビューから2008年までの話。
デビューシングルから2007年までは、CDの売り上げは平均2万枚程度。「この時期は種まきの時期だった」。そこから2007年の年末には紅白歌合戦に初出場。「アキバ枠」とも揶揄されたが、それでも知名度はかなりアップ。「ファン層が広がる大きな要員だった」。
そして2008年、深夜枠ではあるが地上波のレギュラー番組が開始。人気が出始める。去年まで地方のコンサート会場は空席というのも多々あったが、この頃からソールドアウトするようになる。販売方法を巡り、レコード会社との契約解除と移籍。初期メンバーの大量卒業などもあったが、研究生からの昇格組や、この頃名古屋で誕生したSKE48のメンバーをいきなりセンターで起用するなどした『大声ダイヤモンド』が、大きく売り上げを伸ばした。CDも、これまでは握手会などを目当ての購入で初週のみしか売れなかったが、2週目以降も売り上げを維持するなど、曲が好きという新しいファン層が増えた。
  • AKB48の今後の展開は?
「何も決まっていない。決めるとつまらないから」。[13]「僕が予定を立ててしまったら、それこそ、予定調和になってゆきますから。どうであれ、「ガチ」を観せ続けたいと思います。結果がわからないものを、時代は求めているんですよ」。[1]
  • 予定調和は嫌い。ファンの「こうなるだろう」という期待を(良い意味で)裏切るのが重要。[14]
  • 公演は、歌とダンスのセットリスト以外は、できるだけ作り込まないようにしたそうですね? 「はい。エンターテインメントの基本は、「予定調和を壊すこと」にあると思っていますので。AKB48のメンバーが、曲と曲の間で、だらだら話すのを観て、「秋元さんが台本を書いたら?」とアドバイスされましたが、それでは、当たり前のステージになってしまうと思ったんです。だから、アドバイスはしても、台本を書くことはしませんでした。MCが下手なのを、そのまま、観せたいと思ったんです。言葉が詰まったり、白けたり、泣きだしたり…。その日しか観られないステージにこだわっていました。例えば、ある日、メンバーが足を捻挫したことがありました。「痛みはなくなったらしいのですが、大事を取って休ませたい」とスタッフが言うので、そのメンバーに僕が聞きました。「椅子に座って、歌うことはできるか?」と…。メンバーは、「そうできるなら、出たいです」と言いました。結局、椅子に座って歌ったんですが、そんな彼女を観ることができたのは、その日に入場したお客様だけです。ライブというのは、同じセットリストでも、毎日、違うんだということを示したかったんですね」。[1]
  • AKBっていうのは、料理で言えば「まかない料理」。表だけではなく、裏側を見せる事で輝くアイドル。[15]
  • エース前田敦子キャプテン(リーダー)高橋みなみ。これがAKB48の図式。[16]この2人は「卒業させない」[17]
  • 好きなメンバーは、前田敦子松井珠理奈。これは、片山陽加が何かの雑誌で読んだ情報だとか。
  • 握手会について。「いちばん大事なのは握手会。CDを売る手段ではなく、握手会そのものをエンタテインメントに昇華してほしい」[18]
  • 芸能界で生き残るアイドルに必要なこと
「例えばお寿司があって、最後にトロとかが一つ残っていたら、それを自分から進んで食べる奴が芸能界では生き残れる。誰かに譲るような性格の者は向いていない」[19]
  • 秋元は現在、AKB48、SKE48、SDN48の各公演が16曲で合計80曲、さらにノースリーブス渡り廊下走り隊など別働ユニットもあり、年間100曲程度AKB48関連の作詞をしている。ちなみに、AKB48は常時1,000曲はストックがあると言われている。[20]
  • 作詞は早い。何を書こうかという切り口が見つかれば書ける。1曲2時間あればでできる。[11]
  • 岩崎夏海「長年ヒットアイドルを作れなかったことに忸怩たる思いがあり、いつかそれをやり遂げるようとされていたのでは。80年代のおニャン子クラブ以降、推定少女(秋元氏が作詞を担当)、チェキッ娘(秋元康事務所として番組制作に参加)があっても、おニャン子に匹敵するものが作れなかった。だから、直接聞いたことはありませんが、モーニング娘。がヒットしていた状況に悔しい思いはあったと思いますよ。[20]
  • おニャン子クラブは人気はあったが、実質2年半しか活動していない。[20]岩崎「昨年の選挙で、運営が選んだ選抜と大差なくて秋元さんが一番ほっとしたんじゃないでしょうかね」[20]
  • 作詞家としてCDセールスは4000万枚以上、その他の仕事でも稼ぎ、AKBでは「AKB商法」とも呼ばれる手段で稼ぐ。その為、「守銭奴」や「金満体質」とも言われるが[21]、本人は「もうお金に興味はない」「月にいくら稼いでいるかも分からない」。[22]
  • TVでは「ヒットメーカー」とも呼ばれ、挫折や失敗をした事がないとでも思われているが、実は失敗も多い。[11]売り上げは4000万枚以上だが、作詞した曲も4000曲以上。全部がシングル曲として発売された訳ではないが、まったく売れなかったという曲も多い。[22]
  • AKBでも新公演のセットリストが始まると、ファンから「駄作」と言われてしまう曲も多い。本人曰く「傷ついている」[23]
  • 「(スキャンダルが)もし出たとしても、僕は逆におもしろいと思う」[24]
  • 「僕は“刺さる”って言葉をよく使っているんですけど、もう最大公約数の時代ではないから。AKBもそれがコンセプトなんです」[24]
  • 「多くの人に知ってもらいたいっていうのはあるけど、AKBは濃いアイドルグループでいたい。確かにフランチャイズとか、そういう事をどんどんしていますけど、例え武道館でやろうと東京ドームでやろうと、翌日には秋葉原の劇場でやっていたいんです」[24]
  • 「『昔はバカなことをやっていた』って言うのは、それがメジャーになることなのかも知れません」[24]
  • 「モーニング娘はすごいですよ。もちろんライバルではありますけど、一番良いのは共存することなんです。ライバルがいるから盛り上がる。だから80年代のようにアイドルブームが起きたら面白いなと」[24]
  • 秋元さんがやっているから面白いっていう人も多いとは思いますが、逆にブランド色が付きすぎて嫌がる人も多いのかも知れません。
秋元「それはすごくあると思います。マイナスの方が大きいと思う。秋元康がプロデュースすることで、その術中にはまりたくないっていうか、だけど一周回ると、秋元がやろうが誰がやろうが面白いじゃんって」[24]
  • 「BUBKAみたいな本音を言う雑誌が『面白いじゃん!』って言ってくれるから、信用できる。でもメジャーな雑誌が『いいよね』って言っても、みんな信用しないでしょ」[24]
  • 「AKBは時々地上に出て、また地下に戻っていく。それが面白い」[24]
  • メンバーの高年齢化と、卒業について。
「正直あまり先のことは考えてないんです。だから卒業に関しても、ルールがない。次の公演に進むのかとかも、メンバーと話して決めてます。中には学業に専念したいとか、ソロ活動したいって言ってソロに進む人もいる。まだ雛形がない。だけどルールは作りたくない。なぜなら、みんな違うじゃないですか」[24]
  • SKEの松井珠理奈をAKBのシングル曲のセンターに置いた理由。
「AKBがだんだんちょっと売れ始めて、誰がって訳じゃないんですけど、緩んだ空気があって。僕が羊飼いだとすれば、羊たちが散漫になった感じがしたんですよ。ここに全然違う羊が入ったら、キュッと締まるんじゃないかなと思ったんです」[24]
  • 「『またこんな仕掛けしながって』とか(ファンから)言われるけど、やりたくてもそんなに出来ませんよ。なんでも僕にクレームがくるからね。『前田の写真が酷い!』って言われても、僕が撮ってるわけじゃないのにな」[24]
  • 「どこまで仕掛けで、どこまでが偶然か分からないのが面白い」[24]
  • イ「『BUBUKA』が突然AKBのことを取り上げだした事とかも、おかしいって言われてるんです。『秋元がBUBKAからページを買い取ったんじゃないか』とか言われてるんですよ(笑)」
秋元「…それ面白いね」[24]
  • 『BUBKA』に対して。「応援して下さいよ。絶対『BUBKA』のファンとかぶってるから。それは提灯記事を書いてくれっていうのではなくて、『BUBKA』が面白いっていうことが、絶対ファンに“刺さる”から」[24]
  • 「AKB48総会」で、ずさん運営について「専門家だけで集まてもムーブメントは起こらない。予定調和になる。全ては完璧にはできないけど、1歩だけでも進めたらと思う。今回の歌劇団を通して0.5歩くらい進めたと思う」と弁明。秋元康自身が面白がれない予定調和をやっても意味がない。そのためには多少の犠牲があっても仕方ないというのが、秋元の言い分だ。それをどう受け取るかは意見が分かれれるところだろう。2010年、AKB48が何を仕掛けるのか? 運営が何を反省点とし、どう生かすのか、注目していきたい。[25]
  • 「AKBはいつも進化してなきゃいけないと思ってて、泳いでないと死んでしまう魚みたいなものだと思うので、いつも歩みつづけたいと思います」[26]
  • AKBには、まだまだ秘密兵器がいっぱいいる。[27]
  • 初期メンバーには、そのままでいて欲しい。[13]
  • AKB48はアイドルになるためのシステムではなくて、彼女たちが将来自分のやりたいことをなし得るためのシステム、あくまでも通過点である。[28]
  • 「多様化が進んだ現在、誰もが満足する“最大公約数”のコンテンツを作ることは困難です。そこで“最小公倍数”のファンに刺さるコンテンツを作り、それを繰り返して広げていく構想でした」
多様化が進んだ現在は、バラバラであることが魅力になると語り、AKB48のメンバーにも多様な人材を集めている。秋元氏はライブ会場にも足を運び、来場客の生の声にも耳を傾けてきた。ファンに感想を尋ねたり、会場の盛り上がりぶりを肌で感じ取ったりしていたという。
「僕がファンの生の声を聞いたのは、そうしないと進むべき方向が本当に分からなかったから。AKB48はファンが運転する“レールが無いゴーカート”です。AKBのプロデューサーは“ファン”なのです」
AKB48を盛り上げるため、秋元氏も数多くのアイデアを提案するが、採用するかどうかを決めるのはファンだという。
「実際、僕のアイデアが拒絶されたことは何度もありますよ。例えば初期に思いついた、会場で最も盛り上がってくれたファンをMVPに選出してTシャツをプレゼントするアイデアには、『応援スタイルは様々なのに、大騒ぎした人をMVPに決めるのか』というクレームをいただきました。僕はその通りだと思い、この制度を1日でやめました」
「人間には、よく知っているものを省略していく性質があります。よく訪れるファストフード店で新メニューが出ると1回は試しますが、一度食べたものは注文頻度が下がるでしょう。同じものは予定調和でつまらないからです。偶発的な要素を入れて予定調和を壊していかなければなりません。偶発的な要素を生み出すには、異質の人材を組み合わせることが効果的です。これは僕の持論ですが、女子高生は2人以上集まると、さほどかわいらしくなくても目を引きます。会話などで摩擦が起こり、エネルギーが増すのでしょう。人数が集まることで“化学反応”を起こすのです。そこでAKB48のチームメンバーは、あえてバラバラにしています」
メンバーを固定すると予定調和に陥ってしまう。曲ごとに選抜制度を実施したり、ファン投票でメンバーを入れ替えたりしている理由はここにあるという。
「スタッフやAKB48のメンバーが思いついたアイデアも積極的に公演に採り入れています。失敗しても教訓が得られればいいのです」[29]
  • 「アイドルっていうのは期間限定で、その時代の花火みたいなもの」[30]
  • AKB48が社会現象になるほどのブームになった要因はなんだと思いますか?
「う~ん…。ゆっくり、時間をかけたことですかねえ。ブレークまで4年半、かかっていますから。少しずつ少しずつ、ファンが増えたんでしょう。「刺さるコンテンツ」になったんだと思いますよ。大切なのは、「ガチ」だということじゃないですか?予定調和ではなく、本当に、普通の女の子がアイドルになってゆく過程を、編集なしで観せたドキュメンタリーですから。AKB48は、4年半、ドキュメンタリーを提供し続けているんだと思います。高校球児に近いです。秋葉原にできた無名の高校の野球部が、野球経験もない部員を集めて、一生懸命練習して、予選を勝ち抜き、甲子園に出場し、何回かの挑戦の後、優勝したというような…。地元の応援団のように、ファンのみなさんと喜び合えるのがAKB48ですね」。[1]
  • おニャン子クラブやモーニング娘。とは、どこが違うんでしょう?
「おニャン子クラブは、テレビから生まれたアイドルです。素人がアイドルのように歌を歌うのが新鮮でした。まるで、女子高の部活のようでした。ファンは、放課後の部活を女子高の金網越しに観ていたんですね。「新田恵理ちゃんは、中間テストのためにお休みです」という報告がリアルでした。それまで、アイドルは仕事優先でしたから。視聴者の身近な存在だったんです。さらに、進化したのが、モーニング娘。です。つんく♂がミュージシャンなので、音楽のクオリティーが高いです。みんな、可愛い上に、歌やダンスが巧いことに驚きました。つまり、おニャン子クラブは、普通の女の子をそのままを観せましたが、モーニング娘。は、厳選した女の子にさらにレッスンさせて、プロにしたということでしょうか。AKB48は、そのプロセスを観せるアイドルということです」。[1]
  • AKB48システムの今後の展開について。
「最終的には、プロ野球チームのホームのように、東京にはジャイアンツがあったり、名古屋には中日ドラゴンズがあったり、関西には阪神タイガースがあるようになれば面白い。これからもいろいろな所に作っていきたい」。[31]
  • Q、今年もAKB48の勢いは止まらない。その勝因は?
「データに基づいたマーケティングをしないからでしょうか。小劇団やロックバンドが初めは20人くらいのファンから公演を繰り返すうちに40人、80人、160人……と増えていくのを見ていて、ああいう“時間がかかるもの”をやってみようと思ったんです。ブレイクするまでの4年半は長いとよくいわれますが、僕自身はこんなに早く成功するとは思っていませんでした。勢いが加速したのは、やはりネットの力。秋葉原の劇場でメンバーの卒業を発表すると、1分後にはもう情報がブログや掲示板に上がっている。そのようなファンの声に、手探りながらも応える手法を取ってきたことが大きい。当初よりかなり大きくなりましたが、それでもこれからもファンによってもっとカスタマイズされていくでしょう。 [32]
  • Q、ファンの声を重視していると、想定もしていなかった事態が発生することもあるのでは?
「総選挙の盛り上がりを含めて想定外の出来事の連続です。そもそも結果が想定できることばかりやっていても、飽きられてしまいますから。だから僕自身もあまり先のことを決めずにいます」[32]
  • 「現在もオフブロードウエーのミュージカルをはじめ、商品開発や漫画の原作など100くらいのプロジェクトを抱えていますが、40歳を過ぎたころから、自分が面白いと思うこと以外はやらないようにしています。若いころは、消費者のニーズに合わせようと考えたりもしたが、それはおごりだと気づきました。自分も大衆の一人であることを忘れてはいけませんね」[32]
  • かつて自身がプロデュースしたおニャン子クラブを「テレビ番組が作ったプロジェクト」と引き合いに出し、AKB48は「劇場で毎日公演して、ネットと双方向で活動してきた。もしかしたら、AKB48はネットアイドルかもしれないですね」と分析。苦節5年で花開いた“娘たち”の大躍進を受け、肩の力が抜けたのか、「人数多くて、まとまんないですよ。女子校の先生とか大変だなと思いますよ。(メンバーは俺に)嘘つくしなあ」と思わず本音を吐露。[33]
  • 「5年前のグループ立ち上げ当初から、絶対当てると思って自信満々でしたよ。周りにはいろいろ言われましたけど、絶対行けるという気はしてましたよね。くじけそうになったこと? ないですね」
おにゃんこクラブをヒットさせた自分を、甲子園に行った「監督」としたら、AKBというのは「弱小野球部」。AKBが国民的アイドルになったというのは、名監督が、弱小野球部を甲子園に連れて行き、優勝させたようなもの。そのサクセスストーリーが人々に受け入れられた理由。[34]
  • メンバーから「クリスマスパーティやってます」とかメールが来ると、「俺も呼べよ」って思う。[35]
  • 「AKB48の場合、ロードマップを描いて、それに従って進んで行くというよりは、その時々で「何が起きるんだろう?」と皆さんが思うようなことをやっています。もちろん、初めに企画やイメージを決めておけばスムーズなんですが、「これだ!」と思いついたらすぐやってみる、ということがどこまでできるか。AKB48って、ドキュメンタリーですから。(ヒットのために)何が必要かではなく、面白いか面白くないか、驚くか驚かないか、といった部分が大きい。一番分かりやすい例が、「選抜じゃんけん大会」。2010年は、10月27日の『Beginner』でシングルのリリースは終わりの予定だったんです。でも、急きょ、12月8日に“臨発”(臨時発売)に近い形でシングルをもう1枚リリースしました」。じゃんけんで一番勝ったメンバーが、新曲(『チャンスの順番』)をセンターで歌えるという「選抜じゃんけん大会」は、秋元流サプライズの最たるものだった。「この企画をやろうと思ったのは、第一は、ファンの皆さんの声がきっかけですね。「選抜総選挙」といっても、結局はメディアに頻繁に出ているメンバーのほうが認知度は高いし、有利なんです。「これは公平な選挙ではありません。年に1回のお祭りですから」と以前から言っているんですけどね。ただ、第2回の選抜総選挙が終わってみて、ファンの皆さんから「やっぱり劇場で頑張っているメンバーは不利ですよね」という声が聞こえてきたので、「じゃあ一度、じゃんけんで決めよう、これなら公平だろう」と。7月に開催した国立代々木競技場第一体育館でのコンサートで発表したんですけど、そのとき客席から「ワーッ!」という盛り上がりが起こりました。これは、ファンとの連帯感だと思うんです。まさか、じゃんけんで選抜メンバーを決めるとは思わないだろうという仕掛けに、「今度はこうきたか!」というファンの反応が生まれて、相互のやり取りとなるところが面白い。意外性という点は、いつも意識しています。僕が言うのは生意気かもしれませんが、今のエンタテインメントは予定調和で、サプライズが仕掛けにくくなっているんです。その理由は、お金がかかるし、時間も制約されるから。選抜じゃんけん大会だって、早い段階でメンバーが決定していれば、ミュージックビデオから、衣装、ジャケット、メンバーに合った何十曲もの楽曲の候補に至るまで、準備ができるわけです。でも、9月21日に日本武道館で決まるということにこだわると、すべての段取りを約2カ月でやらなくてはならない。これは大変だから普通はやらないんだなとは思いましたけどね。でも、こういう冒険は、AKB48が存続する限り、やり続けます。メジャーになったことによって、動きにくくなってしまうことが一番危機だと思うんです。予定調和を壊すことを恐れてはいけない。ブームは必ず終わるわけですが、僕の中には、また秋葉原に戻ればいい、みたいな考えもありますし」。[36]
  • メジャーデビューの次に掲げた目標「東京ドームコンサート」。いつ実現する?
「たぶん、東京ドーム公演もできると思うんですけど、やり方が普通じゃつまらない。相当のことをやらないと。まだ早いですね。今年(2011年)はないかな。AKB48は本当にロードマップがないんですけど、大所帯だとそういうわけにもいかなくなってきていて、コンサート会場だって押さえないといけない。そういう意味では、先行するところはあります。その分、常に新しいことを模索したい。例えば、前半がお芝居で後半が歌謡ショーとかね。今まではアイドルのコンサートとしての勢いがベースでしたが、もっと作り込んだものにしたいんです。「今年は何々がテーマだったね」と話題になるような。一番の問題はリハーサルの時間です。もともとずっとライブを繰り返しているので、コンサート自体はできるんですけど、演出も含めて作り込んでいくと、物理的な時間が必要ですから」[36]
  • メンバーインタビューなどでは、秋元康からもらった言葉のエピソードが出てくる。具体的にはどんな感じで接しているか。
「自分の役割は、野球の監督に似ていると思います。選手の力をチームの中でどう引き出すか。直接会う時間がなかなか取れないので、ここぞというときにはメールをしますが、2時間くらいかけて長文メールを送っても、「ラジャー」の一言で済まされたりして(笑)、分かったんだか、分からないんだか。でも、その後を見ていると、ああ、ちゃんと理解しているなという進歩が見えるので、それでいいんだと思うんですけどね。特別に誰というのはないけど、ライブやテレビ、雑誌などの発言、あるいはすれ違ったときの表情とかで、悩んでいそうだなとか、そういうときは一声かけます。選抜メンバーで新たな手を打つと何かが動くので、例えば外れちゃった子には、あれはこういう意味だということを説明しておかないとな、とか。たかみな(高橋みなみ)には、「嫌われる勇気を持て」とアドバイスしたことがあります。まあ、本当に女子校の先生とかって大変だと思いますね。[36]
  • 全曲作詞は限界に
「だんだん限界にきているかもしれませんね。派生ユニットも増えているし、どこかではパート分けをしていかなければいけないかな、と思っているんですけど、SKE48はこういうイメージなんですよとか、あるいはNMB48は…、というように、今はまだひな型をつくっているところなので。楽をしちゃったらダメかなと。結局はどこまでこだわるかじゃないですか。その一つひとつにこだわるのは大変ですが…」[36]
  • 最終的にどうなっていく?
「おそらく、最終的には、各地域の精鋭が集まるJPN48(日本代表)のようなものができるのかなと。野球やサッカーのように、地域密着型で盛り上がって、今年は阪神が優勝だとか、いや中日だとかいうように、AKB48やSKE48、NMB48が競い合う。そこから何人を日本代表に送り込めるか、とか」[36]
  • K-POPについて
「クオリティーが高いです。KARAにしても少女時代にしても、歌もダンスもビジュアルも一流。K-POPは国策として、国がバックアップしていますよね。日本のコンテンツはなかなかそういうふうにならない。経済産業省の「クール・ジャパン」などが関係してくると思いますが、AKB48に限らず、日本のコンテンツをもっと海外に出していくべきです。例えば、K-POPがかっこいいとなると、そこからパソコンなどの韓国製品がすごくかっこよく見えてくる。それは60年代、70年代に、アメリカにあこがれて、アメリカ製のものが売れた図式とまるで同じなので、これは日本も国策として頑張らないとだめだと思うんですよ。資金的なことではなく、背中を押してくれるようなバックアップをしてほしい。各国の大使館と一緒になって集客に協力してくれたり、あるいは海外での番組を作ることに、一緒に動いてくれたりしたら、状況は違ってくると思います。資金だとかえって、遠慮を生む可能性がある。お金をもらったことで、こういう表現はできないといった規制がかかったり、重荷になると思うんですよね。だからお金はいらないんだけれども、応援してほしいです」[36]
  • AKB48がK-POPと違うところ
「AKB48の1番の面白さはどこにあるか――。例えば少女時代を見るとやっぱりすごいです。ダンスも歌も素晴らしい。では少女時代のオーディションをどれだけの人が受けてみようと思うかというと、普通は気後れしますよね。でもAKB48は誰でも合格できるんじゃないかと思える。実際、AKB48は誰にでもチャンスがある。みんな誤解しているが、別に5番目にかわいい子を集めているわけではないんです。1番になる可能性があればどんな子だっていい。まだ自分の中に「1番」が見つかっていない子でもいい。見つけるためにもがけばいいんだと思っています。AKB48のメンバーの成長ぶりにびっくりすることがあります。こんな芝居ができたのか、こんなに歌えるようになったのかと、どんどんできるようになってくるんです。ファンの中には「AKB48の子たちが頑張っているから、私も資格をとるために頑張る」とか、サラリーマンの方でも「AKB48のみんなが頑張っているから嫌なことあっても仕事を頑張る」という人がいます。AKB48はできるだけドキュメンタリーで、正直でいたいと思っています。[8]
  • 2011年10月現在のAKBの成長具合。「僕のイメージでは甲子園で優勝したくらい。これからプロの野球チームのスカウトマンたちが選手を見て、あの人をどこに使おうとか言っているところじゃないかな。これからはプロ野球。AKB48を卒業して、今度は芸能界のプロ野球でどう活躍していけるかじゃないかな」[4]
  • これから流行るものは「わからないもの」
「メンバーには『ベランダーに置いた鉢植え』だと伝えています。日が当たるところもあれば、当たらないところもある。「総選挙」や「じゃんけん」で鉢植えの位置を変えて、どこかで日が当たるようにしたい。チャンスには順番があると言っています。でも余計な気遣いをするほど過保護ではありません。ポップコーンみたいに僕が一生懸命フライパンを動かして1個でも多く弾ければいい。でもなかには弾けられない子もいるということです。みんな不安と自信を持ってやっています。ここまではできたが、次もできるかわからない。1軍と2軍はよく入れ替わりますし。でも美空ひばりも少女時代も同じです。いままではアンダーグランドが見えなかっただけなんです。デビューして光り輝いたところから、お客さんは見てきた。でもAKB48はその前の段階から見せている。それだけです。
今後のことは何もわかりません。これからは、「わからないもの」が1番いいと思います。最近、僕にとって衝撃だったのはフランスから来た公演「ジンガロ」。つまり馬のショーです。ちょっと前だと女子十二楽坊とかブルーマンにも衝撃を受けた。韓国のドローイングショーもすごかった。つまり見たことがないものが良いものなんです。AKB48については僕が優れているわけではありません。偶然です。アイドルの総選挙やじゃんけんは、たかだか次のシングルのセンターを決めるだけのイベントなのに、まだ誰も見たことがなかったから面白がった。他のグループもやっていたらAKB48の総選挙やじゃんけん自体は面白いものではないと思います。
この間、「秋元さん、“漫読家”って知ってる?」と聞かれました。井の頭公園で漫画を芝居風に朗読する人だそうです。僕はすごく面白いと思いました。そういう人が世の中にたくさんいます。コンテンツというと、すぐアニメ、ゲーム、アイドルとかが思い浮かびますが、もっと適当で面白そうなものがある。
昔、とんねるずの番組のために毎週会議をやっていました。会議中は面白いことがなかなか思いつかない。でも中村江里子と石橋貴明とご飯たべているときに、中村が紅しょうがを食べられないと言っていた。焼きそばに紅しょうがの赤い色がついてしまうのは耐えられないとか。石橋は20歳のときにしゃぶしゃぶを食べて、お酒をたくさん飲んで吐いてしまって以来、ポン酢が苦手になったと言っていた。僕はお餅がダメでした。子どものころからです。喉につまらせたわけではないけれど、これでお腹がいっぱいになるのが許せなかったんです。そういうことを当てるゲームができないか、と思いついたが「食わず嫌い王決定戦」でした。
僕らは昔、文通相手と渋谷のハチ公前で待ち合せなんかしていました。その時は「きっとこんな人がくるはず」とか考えていたはずです。いまは同じように、「コンテンツとはこういうものだ」と考え過ぎていると思います。枝豆を殻から押し出す感触を楽しむというおもちゃがあります。ただ枝豆を出す感触が気持ちいいと考えた人が、立派なコンテンツを作ったんです。[8]
  • 止まっている時計は1日に2度、正しい時間を示す
「僕は40歳まで勘違いしていました。テレビはこの時間にこの層が見ているとか、この映画はこの層に向けて作るとか、必ずターゲットを想定していました。大衆はこういうものを欲しているだろうと予想していたんです。でも自分自身がその番組を観なかったり、映画を観に行かなかったりすることもありました。つまり、大衆のために作っていると言いながら、自分も大衆の1人だということに気づいていなかったんです。自分も面白いと思わない限り、ターゲットが誰であれ、面白いものにはならない。コンテンツが当たる時はドミノ倒しのように広まる。まず自分が倒れないと他には誰も倒れない。それまでの僕は「みんなこういうの好きでしょ」って立ちっ放しで作っていました。でも自分も倒れるくらい面白くなければだめだったんです。周りを見ながら作るのではなく、自分が良いと思うものを作る。止まっている時計は1日に2度、正しい時間を示します。でも周りをうかがっていると絶対に合わない。正しい時間を追いかけ続けるだけです。 [8]
  • 特定メンバーの贔屓について。
「ひいきもありますが、「AKB48というのはそこも含めて何か面白いんだな」と思うのは、初めに集まった時はあいさつもできないような子たちなわけですね。リーダーもいなくて、年上がちょっと年下の面倒を見るくらい。でも、年上が卒業していったりすると、そこに自然にリーダーができて、そのリーダーによって統制がとれるようになって、夢を一緒に目指していくという。「人間は夢を持っていると、本当にまとまるんだな」と思いました。あれは彼女たちから教えられたことですね」[6]
  • メンバー間の競争について。
「徒競争でも、順位を付けない時代になってきました。僕も無理な競争や格差というのは、本人が望まないものにおいてはあってはならないと思うんです。でも、彼女たちは芸能界を目指すオーディションを受けたところで、もう競争が始まっているんですね。だから、AKB48の中で競争しないということは、芸能界全体の中でも競争できないことになってしまう。例えば野球部があって、一軍と二軍がある。二軍だからといってやめるわけではなくて、みんな一軍になるために頑張る。そういうことでいうと、AKB48はもちろん思春期の女の子たちなので、周りのメンバーとの競争意識ももちろんありますが、でもやっぱりもうちょっと上を見ていますね。つまりAKB48での順位というより、「プロになった時、どういう風にしたらいいところまで上がれるのか」ということを考えているような気がします。総選挙とかをやって1回目にもし何かギスギスしたらやめようと思ったのですが、むしろポジティブになりました」[6]
  • 人気の理由をどう見ているのか。
「AKBはドキュメンタリーだからじゃないでしょうか。つまり、今までのアイドルやK-POPのように良いところだけを見せるのではなく、一人一人の女の子が泣いたり笑ったり悩んだりしながら頑張っている姿をリアルに見せることで、みんなが共感したり応援しようと思ったりするのでしょう」
  • 「前へ進め」「自分を信じろ」「がむしゃらに」といったメッセージ性の高い歌詞が、なぜ若い世代に共感されるのか。
「50歳を過ぎたおじさんがなぜ歌詞を書けるかというと、彼女たちをずっと見ていて観察日記を歌にしているから。例えば、売れてきて次の目標を見失いかけた時期に『川を渡れ!』と歌う。詞は僕から彼女たちへのメッセージ。そこにリアリティーが生まれ、共感する人が増えていった」。
ストレートな歌詞は、「くさい」とか「気恥ずかしい」と共感されにくそうだが。
「冷めているようで、意外と熱いのが今の若い人たち。こんなことを言ったら一昔前の学園ドラマみたいで恥ずかしいと思っているのは、一昔前の人たちなんです。今は、日本経済が小さくなり、物欲では満たされない精神的な何かを求めている時代。コミュニケーションツールはあるが、本当に繋がっているのか、みんな疑心暗鬼。寂しくて、でも何かに必死になりたい。正月の駅伝やなでしこジャパンに注目が集まるのも、本気で汗を流していることに憧れがあるからだと思います。AKBは、格好悪いところも見せて、それでも手を伸ばして夢をつかもうとする。AKBを見てそれが格好悪いことではないと伝わればいいし、今の子たちはそこをAKBに託しているのではないでしょうか」[37]
  • 2011年12月15日、新聞インタビューにて、「来年のAKBは、これまでと違う新しい方向性を打ち出します。僕の中では、AKBの再生です。批判を受けるかもしれないが怖がってやめたら動かなくなる」と語った。批判を覚悟の決断という内容から、いったいどんなグループに変わるのかと、メンバーを大量に卒業させるのではないかなど、憶測を交えた激しい議論が展開されている。AKBは4作連続で前人未踏のミリオンヒットを記録。国民的アイドルの貫禄を見せたわけだが、2011年は様々な「限界説」も囁かれた。篠田麻里子(25)を筆頭に、アイドルとしては「高齢化」が進んでいること。そして、映画で主演した前田や、今年CM女王になった大島など超売れっ子はいるのだが、こうした知名度のあるメンバーは固定され、他のメンバーへの広がり、特に若手が育っていない。「サプライズ」や「予定調和を崩す」というコンセプトのはずが、去年と同じ事の繰り返しのマンネリ化で、すでに飽きられかけているなどだ。
では、いったい「再生」とはどんな計画なのか。秋元康事務所に問い合わせてみたところ、詳細については発表する準備を進めているため、もう暫く待っていてほしい、ということだった。[38]
  • ―AKB48のビジネスモデルが機能する理由は? 率直に言って、発売当日に100万枚のシングルをどうやったら売れるのか。
「僕がよく会議で言うのは「刺さるコンテンツじゃないとだめだ」ということ。「刺さる」というのは何かというと、釘が刺さるとか、何とかが刺さるというように、人の心をつかむことです。例えばAKBの劇場公演は最初(客が)7人しかいなかった。それを僕はぜんぜん気にしていなかった。むしろ、この7人が本当におもしろいと思ってくれたかどうか、この7人に刺さったのかどうかが気になった。本当に面白いと思ってくれれば、その7人から確実に広がっていくからです。AKBはファンの心に刺さるものを持っていたことが、この成功に繋がったのだと思います。一番近いのは、野球の熱狂的なファン。野球の熱狂的なファンは、優勝がかかった試合をなんとしても見に行くと思う、そういうような気持ちじゃないか。もっと近くにいって、「応援しているよ。この間よりダンスうまくなったね、歌うまくなったね。髪をもう少し切ったほうがいいよ」といいった関係を築ける。ファンの皆さんもプロデューサーなのです。この連帯感が多分楽しいのです。もちろんCDがAタイプ、Bタイプある。でもそんなことは他のアーティストもやっている。でもそれだけでは売れないでしょう」[39]
  • ―何人くらいのファンが1人で何枚もシングルを買うのか。熱狂的なファンがAKBの成功に大いに貢献しているので、数字が示すほどの成功は納めていないとの批判もあるが。
「CDが100万枚以上のセールスを達成しているが、ここで大事なのは、コアファンの人達以外にも、AKB48のことを楽しそうだと思ってもらうことができ、より広い層の人達を取り込んで興味を持ってもらってきている、という点です。AKBが面白いのは、それぞれの土地で同じように女の子を16人、20人、30人集めてスタートすれば、そこにまたストーリーが、ドラマが生まれますよと。AKBのコンセプトというのは、ユニークなフォーマットです。僕は先のことは考えない。まず、人が集まればそこにビジネスが生まれる。キーワードは今の時代「誰かを応援したい」ということ。誰かを応援することによって自分もがんばる。つまり応援することによって自分もがんばれる対象を作ったことがAKB48で一番面白いことじゃないかと思う。例えばディズニーのアニメでそれを見ると勇気が出る」[39]
  • ―通称「業界の鮫」の由来は?
「いろんなところで火事が起きたとして、僕が毎回一番燃えているところにいるとする。世間は僕のことを「奇遇だね。いつも最前列で火事を見ているね」と言うが、これは運などではなく、僕がしょっちゅう火をつけていることに原因がある。火がついた時にコントロールしないこと。どっちに広がっていくかを見る」[39]
  • ―秋葉原にこだわる理由は?
「完成されたものだけでは面白くなくて、完成する手前を見せようと。たとえば、映画の世界で言えば、ある時から、「メイキング」が見えるようになった。みんな、何が起きているかをちゃんと見たい。でも、それをなかなか見せない。でもそこで何が起きているのかをやはり見たい。そこで一番下手なのは政治でしょう。政治はどういうことでこういう結論が出たのか見せない」[39]
  • ―AKB48の日々の運営にどの程度関与しているのか。歌を書いたり、歌詞を書いたり、スタジオにも同伴するのか?
「全部やっている。まずメロディーをつめ、1つのシングル曲を作るのに、有名無名問わず、だいたい1000曲ぐらい集める。1000曲を毎日ずっと聞いて、この曲をこういうアレンジしたい、こういうアレンジしたいという曲を作って、それに僕が詞を書いてまず歌を作って、それからこれのプロモーションをどうしようかとか、例えばテレビ番組はどうしようかとか、今ではオンラインゲームはどうしようかとか、グッズはどうしようかとか、全部をやっている」[39]
  • ―自身としては実業家なのか芸術家なのか?
「プロデューサーだ。AKB48のプロデューサーだ。プロデューサーは何かというと、AKB48という建物を建てる建築家ということになる。建築するわけだから、この壁の色をこうしようかとか、窓の形をこうしようかとか、照明はこれじゃあ強すぎるとか、全部考える。家具が入ったら家具の位置も考える。業者の人、それぞれの専門家の人が入ってきたとき、そこの窓はそれじゃないんだよとか、そのカーテン違うとかがあるので、全部を見なければいけない」[39]
  • ―AKB48の形式でアジアではどんな展開が可能か?
「地元でオーディションをやって、地元の「ジャカルタ48」「台北48」をつくる。彼らは自分たちの言葉で歌い、自分たちに近い人たちがパフォーマンスするわけだから絶対人気がでる。そして、ジャカルタ48は今度は台湾でやりますよとか、台北48がジャカルタでやりますよとか、ぐるぐるまわって、最終的にはアジアの1番を決めるアジア版の総選挙をやって、みんなが見たい組み合わせを見る。日本のだれか、台湾のだれか、ジャカルタのだれかを集めたグループを見たいといったときにアジアが1つになる。そのころにはアメリカもイギリスもあれはなんだと、不思議なものがはやっているというふうになるんじゃないかと思う」[39]
  • ―誰もしくは何に刺激を受けているのか?
「一番のキーワードは、知らないものに対するどきどき感。人はどんどん知らないものは無くなっていく。子供のころは知らないものだらけ。だから何を見てもどきどきする。大人になるとどんどんどきどき感がなくなる。僕が心がけているのは、例えばAKB48でもなんでもそんなもの見たことがないっていうものが一番どきどきする。こういう仕事をしているので、いまだに子供のようにどきどきしていたいからじゃないかと思う」[39]
  • ―西洋のアーチストで最も称賛しているのは?あるいは、コラボを考えるとしたら?
「やっぱり、レディー・ガガがすごいと思う。ただ曲や詩がいいだけじゃ売れなくて、どれだけ時代を作るか、「movement」になるかだと思う。例えば、日本に来たときに彼女はエルメスのバッグを持ってきたが、まずあんな反体制な人がエルメスなどというコンサバティブなバッグを持っていること自体が面白い。さらに、日本の女の子にそのバッグにいたずら書きをさせ、それをかっこよく持っている。昔から大切にしているものに対して落書きをして、それをかっこよく持つということを考えたプロデューサーあるいはレディー・ガガというのが今の時代を象徴して一等賞を取れる」[39]
  • ―AKB48のコマーシャルは男性をターゲットにしているようだが、男性ファンを標的にしているのか?
「そんなことは全く無い。火をつける時(一番始め)にはターゲットが必要だが、いったん火がついたらその勢いに任せるだけ。それは後、風が吹くまま。だから、全然AKBが男性ターゲットにCMをやろうなんて・・・むしろ何でもいい。AKBだけが出てれば良いというCMはやらず、AKBが出ることによって何かが起きるCMをやる。それがまたネタになって広がっていくという仕組み。だから、CMとしての何か燃える燃料がなかったらやらない」[39]
  • ―まず、どの層をターゲットにしていたのか?
「もちろん、アイドルが好きだという人達。だから秋葉原の小さな小屋で若い女の子達が歌って踊って楽しいレビューを作る、「それが面白い!」という人達。最初に確かにCDを2枚、3枚買ってくれたのはそういう人達だった。重要なのは、今やAKBファンの95%が1回も劇場に行ったことが無い、行きたくても行けないという人達だということ。たとえば、皆キリスト教でエルサレムまでなかなか行けない。でも近くに教会があったらお祈りが出来るようになる。それは、もしかしたらインドネシアのジャカルタかもしれないし、台北かもしれないし、皆、もしかしたら総本山である秋葉原の劇場に来て見たいんだけど、それだけじゃなくて近くにこんなに素敵なものがあると、ここでやりたいという風に思うんじゃないか」[39]
  • ―AKB48のファンの多くが男性のようだが、こうしたグループを特にターゲットとしているのか?
「ターゲットにはしない。僕は40年近くプロジュースしているが、そんなものをやるのは難しい。だって押し付けられている感じじゃないか。「あなた、こういうのが好きでしょう」と。大事なのは、火がついた時にコントロールしないこと。どっちに広がっていくかを見る。AKBはオールラウンド。全然どこかに偏っていない。男の子は普通の異性として疑似恋愛として、その可愛い、それからもうちょっと上の世代は応援したい、「自分の妹のように応援したい」「自分の娘のように応援したい」。ティーンエイジャーは恋愛対象で応援したい。AKBのファンの女の子は「自分もああいう風になりたい」「自分もああいうステージに立ちたい」と思う」[39]
  • ―10代の女の子たちがミニスカートや学生服を着ているAKB48のイメージは、米国民には奇妙に映る可能性もある。多くの人は、これは女の子に力を与えるイメージではないとみなす可能性もある。それについてはどうか。
「例えばアメリカのショービジネスの人達に「これはアメリカでは当たらない」と言われたら自分は何よりもチャンスだと考える。当たるわけない、と考えられているものの中に必ずヒットが生まれる。エルビス・プレスリーは腰の動きがだめだと言った国だから、そういうのはあると思う。でも、そういう中にかならずヒットが生まれる。ビジネスマンだったらリスクを考えるけど、僕はビジネスマンじゃないから、クリエーターだから、それは最大のチャンスだ」[39]
  • 2012年4月7日、秋元康が、一部のファンを「モンスターペアレンツ」と例え、話題となっている。Googleにて「AKBグループは女子高のようなもの」と前置きし、自分は“校長”、劇場の支配人は“各クラスの担任の先生”、マネージャーは“学校のスタッフ”、ファンは“PTA”になぞらえた。Google+は「学校のインターネットの伝言板」であり、生徒やPTAの意見を知ることができると述べた上で、そこに書き込まれたもの全部に目を通すことは無理と告白。「うちの子もちゃんと書いてるのに、なぜ、読まない? エコヒイキだ」とクレームを入れるモンスターペアレンツの対応が大変です。と、一部のファンから寄せられた苦情に困惑していることを明かした。また、メンバーの身体的・精神的ケアはマネージャーらが相談しながら管理していると強調し、「無理をしてしまう生徒(メンバー)がいるのが心配」と綴っている。「校長、あなたは全員に目が行き届いているのか?」という質問には、「努力はしていますが、全員は無理です。でも、その分、何十人というスタッフの目が行き届いています」と返答。続けて、校長はいろいろな責任を負いますが、すべてを把握できているわけではありません。と、相次ぐスキャンダルにおける自分への責任論を牽制するようなコメントを発した。ネットでは反響さまざまで、今回の秋元の発言に対し、「素晴らしい例えですねw」「わかります。ただ、親は我が子が一番可愛いと思うもの」「例え話の多い奴を信用してはならない。わざわざ例え話を用いてボカすのはやましい事がある証拠」といった声があがっている。「生徒、PTA、我々スタッフが力を合わせて、芸能界合格率一番の進学校にしましょう」と締めくくっている秋元。“AKB女子高”に、どのような未来が待っているのか、その行方が気になるところだ。[40]
  • 2012年4月、ブログでAKB48の税金問題に苦言を呈し、話題となった沖縄アクターズスクールのマキノ正幸社長。「秋元康氏がプロデュースしているAKB48と文化庁の取り組みを、秋元氏と評論家の方々が解説しているのを見て、久しぶりに頭にきました」という一文から始まる内容に、ネットではブームが去った沖縄アクターズスクール社長がやっかみで書いたという見方も少なくなかったが、実は両者には過去にトラブルを起こしている事実があるという。「1983年に『沖縄アクターズスクール』を開校したものの、スターが育たないどころか沖縄ですら話題にならず悩んでいたマキノ社長は、秋元康にプロデュースを依頼。87年~91年ぐらいまで秋元康が特別顧問みたいな形で、アクターズスクールの運営に関わっていた過去があるんです」(芸能ライター)。秋元康のネームバリューを借り、88年5月から約1年間、地元のテレビ局で『夕やけニャンニャン』風のアイドル育成番組『CATCH TV』をスタート。そこで選ばれた早坂好恵や里中茶美(ISSAの姉)、奥永知子の3人はポニーキャニオンとのプロジェクト『HeBeE』から歌手デビュー。また89年には3人組のバナナ輸入推進アイドルユニット・BANANAもデビューさせている。その甲斐あり地元でアクターズスクールの名を広めることに成功した。しかし突然、両者は決別することとなる。「金銭面でトラブルがあったようです。自分の力でデビューさせ、仕事を取ってきてやったと主張する秋元は、かなりの報酬額を当校に提示したと聞いています。しかしデビューはできたものの、お世辞にも歌手としてはブレイクしたとはいえない卒業生の活躍に、マキノ社長は納得できなかったようですね」(前出のライター)。またマキノ社長がブログで「16才からドリブルの練習を始めてJリーグに入りたいと夢を語れるのかと一緒の話で、中高生が街で『君かわいいね』と声をかけられるだけではプロにはなれないのです」と綴っていたように、キチンとしたレッスンを受けさせぬままデビューさせる方針にも納得がいかなかったようだ。「歌って踊れる歌手の育成を目的にしていた同校のスタンスに反して、『BANANA』はほとんどレッスンをさせないままデビューさせ、使い捨てにされてしまった。『それが芸能界、アイドルというものだ』という秋元の考え方についても疑問視していたようです。安室奈美恵が過去に所属していたスーパーモンキーズを秋元康プロデュースでデビューさせる話もあったようですが、結果的にはそこから離れてよかったのでは」(地元のマスコミ関係者)。秋元康が同校を離れ、初心に戻り本格レッスンに力を入れることで安室奈美恵やSPEED、DA PUMPなど多くのスターを輩出することに成功した同校。そんな経験があるだけに、マキノ社長は秋元康に苦言を呈したかったのだろう。[41]
  • 2012年6月6日、第4回総選挙をフジテレビが独占生中継する。フジと秋元は『夕やけニャンニャン』以前からの付き合いで、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の構成も手がけている。フジが独占中継をゲットしたのは順当のようだが、実際はこれが“歴史的和解”となるらしい。マスコミ関係者「良好に見える両者の関係は“30年戦争”といわれるほど冷え切っていました。秋元氏が企画したおニャン子の番組が強引に打ち切りになったことが発端といわれています」。TBSが「有吉AKB共和国」、日テレが「AKBINGO!」、テレ東が「週刊AKB」と各局がAKBの冠番組を抱えていたが、フジはずっと持っていなかった。事情通「今回は秋元氏から歩み寄ったようです。AKB人気をキープするにはフジと握手した方が賢明と判断したのではないか。今年からフジで深夜番組『AKB自動車部』がスタート。和解の流れはできていました」。これを苦々しく見ているのは他局。これまでAKBの宣伝に協力してきたと思っているし、何より総選挙当日の編成に頭を抱えている。制作会社スタッフ「中でも困っているのはワイドショーです。昨年までお祭り騒ぎでしたが、今年は取り上げればフジの番宣になってしまう。かといって無視もできない。“恩知らず”という怨嗟の声が上がっています」[42]
  • 4回目にして、初めてフジテレビで完全生中継されることも決まったが、これに日本テレビが猛反発しているという。ついには現場に「AKB総選挙ネタはNG」という指令まで下されてしまった。鉄壁のメディア戦略を誇ってきたAKB48にとって、蟻の一穴となるかもしれないこの事態。「これまでAKBは、写真集などの出版利権を各社に割り振りることで、週刊誌にスキャンダルが書かれないよう体制を築いてきました。テレビやスポーツ新聞はいわずもがな、AKBのスキャンダルを書くのはもはや『週刊文春』と『週刊新潮』だけ、というイビツな状況だったのです」(マスコミ関係者)。ところがいま、思わぬところから火の手が上がったという。それは身内も身内だった日テレだ。日テレはどこの局よりも先駆けていち早く、ゴールデン帯でAKBグループをメインにした番組『なるほど!ハイスクール』を放送。昨年の総選挙は同番組の1コーナーという形で一部だけ中継された。もちろん今回の総選挙中継を巡っても、日テレは手を挙げたというが、選ばれたのはよりによって昨年最後まで視聴率争いを繰り広げたフジテレビ。これに日テレ上層部が激怒したというのだ。「その結果『AKBを取り上げるのはいいけど、総選挙の話題はNG』という困った指示が現場に出されました。選挙前にメンバーがイベント等に出演すれば、当然話題は総選挙になるのですが、この部分は基本的に使うなということです」(日テレ関係者)。だからといって、日テレとAKBが全面戦争に突入する可能性は限りなく低いという。「総選挙が終わったら、バンバン選挙の話題を取り上げていいそうです。ただ選挙前に煽って、フジテレビの視聴率に貢献する必要はない、という判断の元NG指令が出ているだけですよ」(前出関係者)。天下の日本テレビを右往左往させるほどの巨大勢力に成長したAKB48。フジテレビの生中継番組の視聴率にも注目が集まっている。[43]
  • 8月26日、東京ドーム公演が最終日を迎え、明日27日にグループから卒業する前田敦子のプレ卒業式といった演出となった。前田を父親のようなまなざしで見守ったのは、生みの親、秋元康だった。「初めのアレ(『桜の花びら』ソロ)で泣いちゃったよ。たぶん娘が結婚するときって、こんな感じなんだろうな…」。涙顔でゴンドラから客席に「ありがとう」を言い続けながら、手を振った前田を「本当は自分が一番ボロボロになっているはずなのに、一生懸命、応援してくれたファンに向かっていた。不器用な子が、不器用なりに、精いっぱい感謝を表していたね」
エースの去ったAKB48は、第2章に入る。「ポスト前田だとか、そういうことではない。ポジションで人を決めるものじゃないから。つまりメンバーそれぞれが、いかに自分の個性を出していくかだよね」と突然、勢い良く殻を破る瞬間を楽しみにしている。代わりはいなくとも、違ったタイプが出現してくることを信じて疑わず、引き続き活性化していく。[44]
  • 9月3日、前田敦子卒業報道が過熱し、スポーツ紙や夕刊紙ばかりか、キー局のニュース番組でも取り上げられる事態に。これに対し、8月30日売りの『週刊新潮』が「誰も批判しない『前田敦子』卒業バカ騒ぎ」と題して批判的な記事を掲載した。同誌の記事では、雑誌メディア“御用化”の極め付きであるとし、JR秋葉原駅構内に各社がご祝儀広告を出したことを問題視している。
「記事の中では、文藝春秋が3枚の『お付き合い広告』を出したと嫌みたっぷりに書いていますが、AKB48関連のスクープでは『週刊文春』が『週刊新潮』を圧倒していますから、負け惜しみと言えなくもないですね(笑)」(別の週刊誌関係者)
『週刊文春』とAKB48の関係は、これまでの芸能マスコミの中では異例のものだ。文春は個別メンバーの異性問題などを次々とスクープする一方、グラビアページではAKB48の撮りおろし写真が掲載され、別部署からは単行本まで発売されている。ここには、秋元康周辺による独特のメディア対応術が見られるという。
「AKB48にまつわるメディア対応は秋元康事務所が取り仕切っているのですが、メンバーのスキャンダル報道が出ても、一定の抗議はするものの、最終的には『秋元康への中傷や批判でなければ黙認する』というスタンスに見えますね。メンバーはそれぞれ芸能プロに所属しているので、異性問題などが出るのは事務所の管理が悪い、という理屈があるようです。個別の対応やクレームも、それぞれの所属事務所が行っているようです」(同)
AKB48の場合、そうした“ユルい”メディア対応が功を奏し、テレビ・新聞・雑誌など全メディアで“卒業”や“組閣”のニュースが大々的に出る結果となった。これに対し、従来型のコワモテ型のメディア対応で存在感を落としているのが、大手レコード会社のエイベックスだ。
「エイベックスはバーニングプロダクションなどのやり方を踏襲し、所属歌手やバンドの悪いニュースを出したメディアを徹底して締め出すことで、にらみを利かせています。しかし、今のようにタイアップを取ってもヒットにつながらず、広告宣伝費があまり使えない時代には、悪いニュースでもどんどん出して話題になったほうがCDや配信の売上につながるという面もある。実際、エイベックスの浜崎あゆみの場合、スポーツ新聞などに提灯記事がたくさん出たのに、最新アルバムの売れ行きはサッパリ。ニュース化することで話題を作り出すマーケティングにおいては、秋元さんのほうがエイベックスよりも数段上でしょう」(同)
CDのパッケージ販売に頼れなくなったエイベックスをはじめとするレコード会社では、社内のマネジメント部門を増強するなどして、総合芸能会社化を急いでいる。しかし、そうした業態では所属タレントや歌手を守ることが最優先されるため、“話題になればいい”式のマーケティングには対応できない可能性がある。現時点では、運営会社とマネジメントを分離させている秋元方式に分がありそうだ。[45]
  • 9月19日、「週刊新潮」の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社などへ1億1000万円の損害賠償と謝罪広告掲載を求める訴えを東京地裁に起こした。訴状によると、同誌は9月20日号で「『AKB48』の原点となった『振り込め詐欺』の金!」との記事を掲載。それに対し、秋元氏側は「犯罪収益を事業に用いたなどという事実は存在せず、悪意に満ちたねつ造記事」などと否定し、「原告の社会的評価を低下させ、名誉を著しく毀損するものだ」と主張した。[46]

SKE48関連

  • SKE48の躍進について
「AKB48は当初、何を目指せばいいのかわからなかった。SKE48は、すでにAKBというひな形があった分、成長は早かったと思います」[31]
  • SKE48のカラーは?
「東京では、どこを歩いていてもスカウトされたりして、芸能界がすごく近いところにある。名古屋はそんなに荒らされていない。本当にピュアで純な女の子たちが多い。芸能ズレしてない子たちが集まったかんじです」[31]
  • NMB48の誕生は、SKE48にとってもかなり刺激になるのでは?
「名古屋の歴史は、東の文化と西の文化がぶつかったところにある。その中で、独自の文化を作ってきたわけです。そういう意味では面白いと思いますね。それに、自分たちは2年早くスタートしているということもあって、自信もある。難波には抜かれたくないという思いは強いでしょう」[31]

SDN48関連

  • 「“アイドルは若くないとだめ”という定説を覆したいからです。なんか、年上のアイドルの時代が来るような気がするんですよね」。[1]

NMB48関連

  • 初日公演を見て
  • 「まず一番はやっぱりね。NMB48は恵まれていると思った。これだけの劇場を作って頂いて、彼女たちは満を持してレッスンし今日お披露目だったので、やっぱり完成度がすごい。今までの(全グループ全チームの)初日の中で、一番完成度高いと思いますよ。恐るべしNMB48。これからどんな風に成長していくか楽しみです」
  • NMBのオリジナル公演について
「NMB48も、夏くらいからはオリジナル公演をやっていくと思いますが、AKB48の曲をNMB48のメンバーがマスターすることで、個性が分かるんですよ。あの子はセンターに持ってこようとか、この子はこういう役割が合っているとか、イメージしやすいですね。あとは、AKB48のトーン&マナーを継承するという意味合いもあります」[36]

坂道シリーズ関連

  • 2022年3月2日、乃木坂46、櫻坂46(旧・欅坂46)、日向坂46(旧・けやき坂46)の楽曲から46曲を選んだ歌詞集「こんなに美しい月の夜を君は知らない」(幻冬舎)を発売。これにあわせて、同日、秋元が放送作家デビューしたニッポン放送の番組に終日生出演する[47]

海外進出について

  • 「面白そうじゃないですか? どこまで、世界に通用するのか…。野茂選手がメジャーリーグに行くと行った時も、みんな、半信半疑だったでしょう? でも、今、イチローを始め、多くの日本の選手がメジャーリーグで活躍するようになりましたよね。そんな夢を見ています。台湾、ロシア、中国、韓国、アメリカ、イタリア…いろいろな国からオファーが来ていますが、どうですかねえ。歌もダンスも、世界に通用するレベルではないんですけど、みんな、AKB48が持っている不思議なエネルギーに魅了されるんです」。[1]
  • AKB48での海外進出について。
「歌やダンスの下手なチームが、世界に出るのはなかなか難しい。(AKB48では)世界進出は無理でしょうね」。AKBが海外公演を頻繁に行っているのは、AKBというシステムを理解して貰うため。「その土地のおもしろさが出てこないとダメだと思う。たぶんロサンゼルスでやる場合には、健康的でセクシーなグループじゃないですか。その土地で採用していくので色々なカラーが出ておもしろい」[48]
  • Q、海外に目を向けているのも、想定外の出来事を期待してのことか。
「何が起きるか楽しみではあります。来年、台湾やロシアでも、AKBが出演するテレビ番組がスタート予定ですが、海外進出だとか、海外にフォーマットを売ります、などと意気込むつもりは全然ありません」[32]
  • Q、AKBは世界で通用するのか
世界のレベルからいえばAKBのような、歌とダンスが下手なユニットは、NYにもパリにもないから、最初は誰もが驚く。ところが4、5曲聴くうちに手拍子して乗り始め、彼女たちの一生懸命な姿に引き付けられていく。その不思議なエネルギーを皆が面白がる。そこに海外から誘いが来る理由があるのでしょう。7月のLA公演では、3分の1くらいしか客席が埋まりませんでしたが、来年再び公演したら、どうなるかわかりません。秋以降、イタリア、シンガポール、マカオ、上海、モスクワと海外公演が続きますが、何かが始まるような予感がします。 [32]
  • ロシア公演での話
「2010年にロシアでライブをやったとき、「あっちゃん! あっちゃん!」ってすごい大声援だったんですよ。ところが、前田がいないと分かったら、急にしょぼんとしちゃった。そういう意味では、誰が行っているかというのは重要です。ただ、最終的には盛り上がったので、やはり、AKB48そのものを楽しんでいただけるようにしなければいけないと思いますね」[36]
  • 「世界戦略」について2010年4月のインタビューでは、「70%ぐらいは失敗しそうだけど勝機はある」と語っていた。[36]
  • 2011年5月からは、月2回の定期公演を開始。
「今年(2011年)はシンガポール、タイ、台湾から定期的にライブを、と言われています。僕は「毎週やる」と言っているんですけど、現場は「さすがに毎週は無理です」というので、今、戦っているんですけどね(笑)。「できないことはない、うちは何人いると思っているんだ」と。「隔週はだめですか」「いや、毎週やるから面白いんだ」というところでせめぎ合っていて。普通はやらないというところにカギがあると思うんですよね。これが月1回だったら、普通じゃないかと思っちゃうんですよ。16人じゃなくて、ユニットで3人とか5人のときもあるかもしれないけれど、毎週行くことが面白い。ビジネス的には、採算が合わないでしょう。でも夢がある」[36]
  • シルク・ドゥ・ソレイユ
「例えが極端かもしれないですけど、将来的には、シルク・ドゥ・ソレイユのようになったらいいと思うんです。今、名古屋のSKE48や大阪のNMB48を足すとトータルで200人近くいますから。ただそれでも、世界に行くとなると、回していくのは難しいと感じていますが…。とにかく、まずはお披露目なので、世界各国をどんどん回って、見ていただく。ロシアにしても、シンガポールにしても、秋葉原のように固定ファンを作れるか、そこからどういうふうに進化していくかですよね」[36]
  • フォーマット販売
「AKB48は世界的にフォーマット販売するんですかとか聞かれますが、できないでしょう。ただ、僕は何かが起きると思っています。AKB48は、ニューヨークに行っても、ロスに行っても、パリに行っても、初めはドン引きされるんです。「この子たち、こんなに歌がへたで、ダンスがへたで、何をしに来たの?」という目で見られるんだけれど、4曲目くらいから何だか分からないけど盛り上がる。こんな若い子たちが一生懸命汗をかいて踊っているんだぞ、これは見たことないだろう、というのが面白いと思っているんです。それが実際、香港やマカオ、シンガポール、台湾、タイで受けているわけですから。「見たことがない」ということが、一つの突破口のような気がするんですよね。現地でオーディションをして、AKB48的なものをつくることも視野に入れていますが、それより先に、まずAKB48たるものは何かというものを見せていかないと」[36]
  • 台湾版AKB
まず台湾では、AKB48のテレビ番組が2011年8月から始まる予定だった。初めはAKB48のメンバーが数名出演し、最終的に現地でオーディションをして、台湾版のAKB48をつくるという企画。[36]
  • ロシア版AKB
「ロシアでも、現地でグループを作ろうとしているんです。狙いは、秋葉原のAKB48劇場で、「今日はモスクワ48公演です」というのをやること。それで今、台湾同様にオーディションの話が出てきているんです。25年前のおニャン子クラブのときと絶対的に違うのは、インターネットです。今は手軽にネットで映像を見られるので、僕らが行く前からAKB48の存在を知っていて、シンガポールに行くと、そこに僕のファンまでいたりするわけです。初めて行ったところで、「AKB48を呼んでくれてありがとう」みたいなことが起こっている。だから、日本の経済がシュリンクしているなかで、こういう打ち上げ花火があると、盛り上がるんじゃないかなと思うんです。[36]
  • 韓国&欧米版AKB
「韓国の『冬のソナタ』からの流れはすさまじかったし、1月の「SMTOWN LIVE in TOKYO」だって、すごかったじゃないですか。当然K-POPも欧米を狙っています。彼女たちは英語の教育も受けていますしね。でも僕は、AKB48は英語がしゃべれないところがいいと思う。行くたびに少しずつ覚えていくところに、AKB48のヒントがあるような気がします。少しずつ英語が話せるようになっていく成長を、現地のファンは喜ぶんじゃないかな。少し前ですけど中国の「女子十二楽坊」とか、ああいうことが起こるんですよ、絶対。僕はAKB48に、ワンチャンスあると思っているんです」[36]
  • 日本のコンテンツが海外で成功する方法
「AKB48は鍋で煮込んでいるスープみたいに、すごく出汁がでています。どのタイミングでも同じAKB48は存在しない。毎日違っている。逆にK-POPのすごさは、いつも同じクオリティであることです。プロとして、それはそれで素晴らしいことです。AKB48が面白いのは「今日はしょっぱくない?」とかも含めて毎日違う味を楽しんでもらえるところ。よく「AKB48は海外に進出できるか?」と聞かれるが、たぶんすぐには成功しないと思っています。そんな簡単なものではないですから。でももし海外で成功するなら、AKB48しかいないでしょう。AKB48はニューヨークやロサンゼルスで公演してきましたが、はじめの3曲はお客さんがドン引きしていました。歌がヘタで、ダンスもヘタですから。でも4曲目から突然、盛り上がった。熱気と一生懸命さ。ここにAKB48の勝機がある。僕らは欧米に憧れて、音楽やファッションを真似してきました。でも同じことをやっても彼らは越えられないんです。日本人が同じことをやったって相手にしれくれない。でも、例えば日本のホラーは海外でブームになりました。リングのリメイク、呪怨のリメイクが出たりして、つまり日本にしかない「怨念」みたいな感覚がウケた。日本にしかないもので挑戦すればいいんです。
納豆に例えてみましょう。納豆を国外に輸出するとき、まず「においが無理ではないか」という意見が出て、じゃあ匂いを消しましょう、ねばりも無理だろうからねばりも消しましょう。こんなふうに我々は欧米のスタイルに合わせてきました。でもそんな納豆なんて誰も食べない。AKB48は納豆なんです。歌やダンスはヘタ。でもそういう納豆をみんなが味わっている様子がYouTubeで広まって、納豆の味がわからないとだめだよね、という雰囲気になった。こういうのがウケそうとか余計なマーケティングはしないほうがいいんです。迎合してしまうだけですから。やってみなければ何もわからない。納豆にはいろいろな粒の大きさや粘着のある豆が混ざっている。だから競争相手も戦いにくいし、真似もしにくい。たとえばAKB48に似たグループはいろいろな国にあります。ネットでいくらでも見つかります。でも完全に真似できないのは、形だけ似せて強力な個性がないからです」[8]
  • 今後の海外展開
「AKBは、インターネットで予想より早く世界に広まっている。肩に力を入れてプロモーションするよりも、来てくれというところを中心に展開しようと思っています」。ジャカルタ・台湾に続き、タイでも準備が進んでいる。シンガポール、上海、北京、ロシア、パリ、ロサンゼルスなどからもグループ設立のオファーがあり、既に上海、香港、シンガポール、台湾にはAKBのショップがある。[37]
  • CNNの番組「トーク・アジア」で、女性記者のアンナ・コレンと対談。インタビューでまず、インドネシアにできた姉妹グループ「JKT48」について、「なぜイスラム圏なのですか?」と突っ込んだ。肌の露出はご法度ともされるだけに、疑問を持ったらしい。これに対し、秋元は、イスラム圏での理由は明確に答えず、家の近くでもアイドルに応募できる身近なAKB48でなければいけないからとだけ説明した。さらにコレンさんは、歌詞のいくつかは性的表現が過ぎると批判があるとし、メンバーにまだ13、14歳の女の子もいると指摘した。秋元さんは、「批判はないですね」と反論し、ストレートな性的表現はなく、歌詞でロマンティックな風に変換していると話した。不埒な遊びをしたいなどの表現がある曲『制服が邪魔をする』については、リアルな言葉をつづった日記を読んでいるわけではなく、メンバーたちがお芝居のようにただ演じているだけだと理解を求めた。しかし、コレンさんの追及は止まず、こう疑問を投げた。「日本社会には現在、若い女の子たちの性的な搾取が多いとの声もあります。あなたが手がけたミュージックビデオにも、制服やビキニ、セクシーな下着に身を包んだ女の子たちが、お互いの顔をなめたり、キスしたり、お風呂に入ったりといった表現があります。ご自身も、この問題に関与していると思いますか?」。この追及には、秋元は即座に、「思わないですね」と関与を否定し、「それはアートですから」と強調。「芸術かアートかわいせつか、ということと同じ」だとして、「それをどう感じるかは個々の判断だと思いますね」と一蹴した。[49]

トリビア・その他 

  • 出演番組については「秋元康(ウィキペディア)」を参照。
  • じゃがりこ好き。ダンボールでストックしているんじゃないかとAKBメンバー内では噂になっている。[50]
  • 話をしている時によくむせるらしい。それを高橋みなみなどによくマネされていたが、最近気にし出すようになって、むせそうになると我慢している。
  • 高橋みなみがどういう風に作詞しているのかを聞いたら、「『ポニーテールとシュシュ』はな、ポニーテールにシュシュを付けて書くんだよ」と言われた。[51]
  • 指原莉乃曰く、餅が苦手。[52]
  • 野呂佳代曰く、天の邪鬼(何事につけ、人の意見や忠告にさからうこと。ひねくれ者のこと)。[53]
  • 睡眠時間。「もともと、あまり寝ないんですよ。17歳で放送作家になってから、あまり変わっていないですが、多分今は3~4時間くらいだと思いますね。面白そうなことがあると、眠いというより起きていたいという……除夜の鐘を聞きたい子どものようなものだと思うんです」[6]
  • 2013年2月11日、NHK BSプレミアムで「密着!秋元康2160時間~エンターテインメントは眠らない~」(120分)が放送された(3月8日再放送)。
  • 755のコメントに対する返答として「ばれ」(「がんばれ」の後半部分)を多用する。
  • SHOWROOMでは、自身の似顔絵アバターを所有しており、イベント配信やメンバーの配信に突如出現し、通常来賓は壇上6位席に位置する、アイテムの「タコ」を投げていくことがある。

役員を務める企業 

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脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h AKB48は無名の「高校野球部」 応援団のファンと喜びを分かち合う 総合プロデューサー秋元康さんに聞く/創刊4周年記念インタビュー最終回 - J-CASTニュース 2010年9月19日
  2. ^ 『WiLL』2005年9月号
  3. ^ a b c d e f g h 『QuickJapan』 Vol.87
  4. ^ a b c d http://news24.jp/entertainment/news/1619706.html
  5. ^ 『行列のできる法律相談所』 10/08/22
  6. ^ a b c d e f g h i j http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=IT20111028022&cc=07&nt=00
  7. ^ バミる……役者の立ち位置、カメラ、機材の位置を後で確認できるように、テープなどで印をつける作業のこと。「場を見る」が語源の業界用語」。
  8. ^ a b c d e http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111027-00000000-blogos-pol
  9. ^ 『サンデー・ジャポン』2010年6月6日放送より。
  10. ^ 『AKB5400sec.』
  11. ^ a b c 『ソロモン流』2010年12月19日
  12. ^ a b 『日経エンタテインメント!』2009年7月号
  13. ^ a b 『オールナイトニッポン』 10/06/25
  14. ^ NHK『仕事学のすすめ』より。
  15. ^ 『スッキリ!!』 11/01/24で、山里談
  16. ^ 『AKB48総選挙公式ガイドブック』
  17. ^ 『週刊文春』でAKB関係者が、秋元の言葉として語ったもの。本当かは不明。
  18. ^ AKB48 大特集 DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう? - CDjournal 2011年1月21日
  19. ^ 週刊ノースリー部』10/06/18放送分。ある打ち上げでノースリーブスのメンバーが秋元に言われた事。
  20. ^ a b c d 『もしドラ』とAKB48の相関関係 岩崎夏海が明かすAKB48大ブレイクの真相(前編) - 日刊サイゾー 2010年6月12日
  21. ^ AKB48「喜び組」問題の裏に無節操プロデューサー・秋元康の金満体質 - 日刊サイゾー 2010年2月18日
  22. ^ a b 『お笑いワイドショー マルコポロリ』 2010/12/29
  23. ^ 『AKB48総選挙 水着サプライズ発表』
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『BUBKA』 2009年1月号
  25. ^ AKB48"疑惑の伏魔殿"非難集中 - livedoor News 2009年12月28日
  26. ^ AKB48主演ドラマ『マジすか学園』記者発表レポート - スクランブルエッグ on the web 2009年12月6日
  27. ^ 『AKBINGO!オフィシャルBOOK』
  28. ^ http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20100713/1032349/
  29. ^ 日経情報ストラテジー2010年5月号の記事を基に再構成
  30. ^ http://tv.jp.msn.com/columns/wideshow/article.aspx?articleid=356373
  31. ^ a b c d http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/interview/news/20100817-OHT1T00011.htm
  32. ^ a b c d e 日経トレンディ http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20101101/1033502/?ttr
  33. ^ 『第23回小学館DIMEトレンド大賞』の「話題の人物賞」を受賞時。
  34. ^ http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20101216mog00m200021000c.html
  35. ^ 『中居のかけ算』 11/01/02
  36. ^ a b c d e f g h i j k l m n o http://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A9C93819499E2E0E2E1968DE2E0E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE0EA
  37. ^ a b http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20111206dde012200011000c.html
  38. ^ 「AKB48」賞味期限切れで大量卒業? 秋元康の「2012年再生計画」で大騒ぎ - J-CASTニュース 2011年12月16日
  39. ^ a b c d e f g h i j k l m http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/12/29/akb48%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%BF%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%80%81%E7%A7%8B%E5%85%83%E5%BA%B7%E6%B0%8F%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F/
  40. ^ http://www.kon-katsu-news.com/news_aKIr2pGkpE.html
  41. ^ 秋元康と沖縄アクターズスクール、諍いで決別していた過去 - サイゾーウーマン 2012年4月25日
  42. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120519-00000005-nkgendai-ent
  43. ^ 日テレが「AKB48ネタはNG」指令! ついに身内から火の手が上がった!? - サイゾーウーマン 2012年6月6日
  44. ^ 秋元P泣けた「娘が結婚する感じ」 - 日刊スポーツ 2012年8月27日
  45. ^ http://www.cyzo.com/2012/09/post_11341.html
  46. ^ http://www.sanspo.com/geino/news/20120920/sca12092005070000-n1.html
  47. ^ 秋元康さん「生き方に迷う人たちの背中を押す」「坂道」選抜46曲の歌詞集が2日発売 - スポーツ報知 2022年3月2日
  48. ^ 『情報7daysニュースキャスター』 10/07/17
  49. ^ 秋元康に米CNNが厳しい追及 「性的搾取に関与しているのか」 - J-CASTニュース 2012年1月16日
  50. ^ 『チユウ奔放 教えて!とも~み先生』
  51. ^ 『AX 2011』DVDコメンタリーより。
  52. ^ たかみなさん - 指原莉乃オフィシャルブログ 2011年1月8日
  53. ^ 柱NIGHT! with AKB48』 2011年2月7日
  54. ^ 電子チケットのプラットフォームを運営。欅坂46および日向坂46のコンサートで採用。その他のグループでは、=LOVEのコンサートでも採用されている。また、志田愛佳の公式モバイルサイトの運営を行っている
  55. ^ 秋元 康氏が当社の特別顧問に就任しました。 EMTG株式会社 - 2017年2月8日
  56. ^ 連結子会社(株式会社KeyStudio)と株式会社Y&N Brothers及び株式会社allfuzとの業務提携契約の締結及び秋元康氏の当社特別顧問就任に関するお知らせ - 株式会社KeyHolder(IRリリース)2018年6月18日

外部リンク