中西里菜

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AKB48
中西 里菜 なかにし りな
2008年
公式ニックネーム

りなてぃん

生年月日

1988年6月26日 (35歳)

出身地

大分県

身長

156cm

スリーサイズ

B85 W59 H80

合格期

1期生

選抜回数

8回(インディーズシングル含む)

中西 里菜(なかにし りな、1988年6月26日 - )は、AKB48の元メンバー。大分県出身。

略歴

2005年
  • 10月30日、AKB48オープニングメンバーオーディションに合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。
  • 12月8日、劇場グランドオープンでデビューと(初代)チームAを結成。
2006年
  • 2月1日、インディーズ1stシングル『桜の花びらたち』でシングル表題曲選抜メンバーに初めて選ばれる。
2008年
2010年
  • 6月6日に芸能活動を休止し、地元の大分へ帰郷することを発表[2]
  • 6月25日、講談社「フライデー」誌上で「やまぐち りこ」名義でヘアヌードグラビアが掲載される。
  • 7月13日、双葉社からヘアヌード写真集『DEPARTURE』を発売。
  • 8月27日、アリスJAPANから、AV女優デビュー。
2012年
  • 3月8日、この日に発売された作品をもって、アダルトビデオの活動から引退。

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは「大分県出身、片えくぼチャームポイントちなみに得意料理はあったか~いお味噌汁」。
  • ニックネームは「りなてぃん」。「てぃん」は「ピーターパン」に登場する妖精「ティンカーベル」に由来する。[要出典]
  • 2005年、AKB48の第1期オーディションに合格。高校を中退して、夢を叶えるために大分から1人で上京した[3]
  • AKB48初期からエース級として活躍。人気メンバーの証であるシングル選抜にも起用され続け、クリスタルボイスと評された清楚な歌声と、曲ごとに多彩に表情を変えるパフォーマンスで当時は、前田敦子篠田麻里子らも凌ぐ人気を獲得していた[3]
後に総選挙で1位を獲得した大島優子は、講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック」(P11)のインタビューにおいて、「これまでの並び順でいうと(前田敦子)、まいまいにゃんにゃんりなてぃんとかの次で4番手、5番手でしたから」と、AKB48での序列では中西の後塵を拝していたことを認めている。

AKB48として

2006年

  • 5月12日、NHK教育で放送された「アイドルと受験生の話@秋葉原.夢にかける舞台」に出演。

2007年

  • 4月、AKB48初の3人組スピンオフユニット「Chocolove from AKB48」に宮澤佐江秋元才加とともに選ばれる。ユニットでは、中西がセンターポジションを務めた[3]
  • しかしこの頃になると、持病の喘息と腰痛が悪化。当時の劇場支配人であった戸賀崎智信によれば「ステージで踊ると呼吸困難に陥り、歌うことが出来ないという状態です。それでも本人が無理を押して出演していたこともあったのですが、公演中に更衣室で倒れてしまったりと、非常に危険な状態です。劇場側として、本人と話をしまして、しばらく引き続き公演を行うことは、難しいだろう」[4]という判断から、公演を長期休演せざるを得なくなり、2007年10月の6thシングル『夕陽を見ているか?』以降は選抜からも選ばれる事はなくなった。

2008年

  • 6月の9thシングル『Baby! Baby! Baby!』で久しぶりに選抜に復帰する。中西にとって最後のシングル選抜メンバー選出となる。
  • 10月5日、AKB48劇場で行われた公演において、AKB48からの卒業を発表した。この日は、同じ1期生の大江朝美成田梨紗戸島花駒谷仁美が同時にAKB48からの卒業を発表している。

中西里菜はコンサートをもって、AKB48を卒業することになりました。
腰の状態が悪くて長期休暇をとる形になり、復帰してからの約半年間、自分なりに一生懸命頑張ってきました。
だけど腰の状態が悪く、公演を一部休んだりと自分の思うように踊れなく、とても悔しい思いをしました…。
次のステージのレッスンや公演そのものを、とても今の腰の状態で乗り越える自信がなく、自分の判断で卒業という道を選びました。
自分にとってこの三年間は言葉では表すことのできない濃い三年間だったと思います。
学んだことだって数え切れないぐらいあるし、嬉しかった事、悲しかった事、悔しかった事、本当にたくさんある。
たくさんの人に支えられて、とてもに幸せでした!!
メンバーやスタッフさん、そして応援してくれたファンのみなさん、本当にありがとうございました(^O^)
AKB48は夢の通過点だと思っています。だから諦めずにこれからも頑張っていきます!!!
自分の夢を掴んで、おもいっきり笑顔になれる日がくるように☆
残り少しの公演とラストのコンサート、三年間の想いを込めて悔いのないようにやりきります(>_<)
これからもよろしくお願いします。
中西里菜[1]

  • 10月11日、チームA 4th Stage「ただいま恋愛中」千秋楽が、AKB48劇場での最終出演となる。
  • 11月23日、東京・NHKホールで行われたコンサート『まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?』をもって、AKB48としての活動を終了。
  • 11月29日、AKB48劇場において「謝恩会」が開催され、同時に卒業した4名と共に出演する[5]

AKB48卒業後

  • 卒業後、中西はoffice48からアイ・クリエイト、アイプロダクション、プラチカと事務所を移籍。グラビアアイドルとして写真集1冊とイメージビデオ1本をリリースしている。

2010年

  • 6月6日、自身のブログにおいて「芸能活動を休止し、充電する」ことを理由に、大分へ帰郷することを発表している[2]
  • 6月25日、講談社の写真週刊誌「フライデー」(2010年7月9日号)にヘアヌードのグラビアが掲載され、同時に「やまぐち りこ」名義でヘアヌード写真集出版とアダルトビデオへ出演することが明らかになる。
  • 7月1日、中西がかつて所属していたAKSにより、双葉社から発売されるヌード写真集『DEPARTURE』の出版差し止めを求める仮処分を、東京地裁に申し立てていたことが分かった。
関係者によると、中西は2008年11月に事務所との契約を終えたが、その際に、AKSからAKB48のイメージを傷つけるような仕事を3年間は行わないという「合意解約書」に署名、捺印させられたという。AKS側はこの「合意書」を理由に、ヌード写真集とAV出演は契約に反していると主張していた。
その後、同地裁は差し止め仮処分を認めず、却下している[6]
この一連の係争により、中西が「やまぐち りこ」と同一人物であることが法的にも立証されている。
その後の「やまぐち りこ」に関する活動などについては/ノートを参照。

2012年

  • 3月8日、この日発売された作品をもって、AV女優としての活動も引退。

2013年

  • 6月13日、自身のブログにおいて、結婚したことを明らかにした[7]

2016年

卒業公演に集まった1期生と夏まゆみ。後列右端が中西。

交友関係

  • 高橋みなみとは「ソウルメイト」とも呼べる間柄であった[3]
  • 大江朝美と仲が良く、2人で「さくらんぼ姉妹」を結成した。それぞれのAKB48日誌や「柱の会」ブログに、しばしば2人揃って登場した。
  • SKE48小野晴香は、高校の1年先輩に当たる。
  • 「やまぐち りこ」として活動するようになってからは、運営側と係争になったこともあり、AKB48との関係を事実上断絶していたが、自身のブログで時折、メンバーについて触れることもあった。
2012年2月8日、やまぐちりこのブログより。

ホントに寒いですね。今日は起きてから梅昆布茶を三杯のみました。最近のマイブームは梅昆布茶というか…うめぼし。なぜか最近体調がきになり、健康に少し気を使うようになりました。薬局で青汁買って飲んだり、水を飲むようにしたり、ご飯をちゃんと食べるようにしたり。最近体が疲れやすいです。最近は少し考えることが増えてきて、その時間を大切にしています。いまね、大好きなおばあちゃんと交換日記をしています。ご飯食べたりする以外ずっと寝たっきりで、少しでも元気になってくれたらイイなという想いを込めてノートを贈りました。普段、文章書いたりする事があまりないし、おばあちゃんと久しぶりのやりとりで何を書いたら良いのか悩みました。いっぱい、いっぱい伝えたい事や聞いて欲しい事があってね、すごい量になっちゃったの。最近ノートが帰ってきて、涙がでました。あたし、幸せだと思った。おばあちゃん、あたしに負けないぐらいの量を消えちゃいそうな薄い字で書いてくれてて…。ずっとずっとおばあちゃんに会いに行けなかったのに、こんなに想ってくれてたんだと胸があつくなりました。おばあちゃんは、おじいちゃんがいるから幸せだと書いていました。あたしもいま幸せです。辛くて消えてしまいたいと考えこんだ時期もあったし、自分が何をしてるのか、どこに向かっているのかわからなくなる事もあったけど、幸せです。あたしがいま考えるのは、幸せのかたち。目の前に2つの道があったとき、あの時の私は夢を叶える事=幸せそう思ってた。それ以外考えられなかった。右に進んだら幸せになれると思ったから、左の道なんか考えてもなかった。今のわたしは大切な物があの時より増えた。守りたい物が増えた。いま目の前に2つの道が現れたら、正直、悩んでしまいます。人生一回しかないんだから、背伸びして生きなくてイイんぢゃないかなと最近強く思います。わざわざ難しい道に進まなくても目の前に幸せがあるなら、そこにいてもそこに甘えても、それが幸せならイイのかもしれないと思ってしまいます。最近少しだけ体調が悪いの。だから真剣に考える時間を、神様が与えてくれたんだと思う。
あと一つ。『いまに負けないで』。そう伝えたい大切な人がいます。でも伝える方法がないから、このブログをみてくれてる事を信じて。あなたにとっては私は過去のひとだと思います。でも私にとってあなたはあの時と変わらず大切な人です。立っている場所が違うだけで、わたしはいまでも大切に想っていて、大好きです。ずっと変わらないと思う。会えないし声も聞けない。だからとても心配です。お願いだから今に負けないで…。あなたの笑顔にたくさん救われたから、がんばることができて、乗り越える事ができて、いま笑えています。『ありがとー』って顔みて言えたらいいのにな。わたしにとって、“大切だった人”っていうのはありません。いまでも、これから先もずっと“大切な人”です。[9]

誰へ向けてのメッセージを送ったのかは不明だが、文面から推測されるところ、AKB48所属当時仲の良かった高橋みなみに向けてのものだったとみられている。
また、当時の劇場支配人戸賀崎智信は自身のツイッターで、「嬉しいね。仲間だもんね」と感想をツイートしており、メンバーへのメッセージだと受け取っているとみられる[10]

性格・趣味

  • 趣味は料理。キャッチフレーズにもあるようにお味噌汁を作るのが得意。からあげも得意で、メンバーや戸賀崎に作ってきていたという。
峯岸みなみは、チームAの加入したばかりの北原里英に「Aになったら、りなてぃんのからあげ食べないと」と勧めていた[11]
  • 父親は、学校の教師であったとされる[3]
  • 弟と妹(妹については/ノート参照)が1人ずついる。
  • 好きなアーティストは松浦亜弥[12]

ギャラリー

参加曲

シングルCD選抜曲

派生ユニットシングル曲

Chocolove from AKB48

アルバムCD選抜曲

Chocolove from AKB48

  • Dessert」に収録
    • チョコレート(rina-solo)
    • 彼のキッチン(rina-solo)
    • Waves
    • Waves(rina-solo)

脚注・出典

  1. ^ a b 卒業発表 - AKB48オフィシャルブログ 2008年10月6日
  2. ^ a b 報告があります - 中西里菜オフィシャルブログ 2010年6月6日(アーカイブ)
  3. ^ a b c d e やっぱり、中西里菜だった! 元AKB人気メンバーが全裸ヌード披露、AVデビューへ - サイゾー 2010年6月25日
  4. ^ 早起き - AKB48オフィシャルブログ 2007年10月6日
  5. ^ 謝恩会(初期メンバー5名、11/29) - AKB48@メモリスト 2008年11月30日
  6. ^ 元AKBがヌード写真集 事務所差し止め申し立ても却下 - MSN産経ニュース 2010年7月15日
  7. ^ 今までありがとう。 - やまぐちりこオフィシャルブログ 2013年6月13日(アーカイブ)
  8. ^ WonderSpace - 夏まゆみブログ「ありがとうを言いたくて」2016年4月12日
  9. ^ あったかーい飲み物☆ - やまぐちりこブログ 2012年2月8日(アーカイブ)
  10. ^ 戸賀崎智信 ツイート - Twitter 2012年2月8日
  11. ^ 文化放送「明日までもうちょっと。」2008年8月20日放送分
  12. ^ 「AKB48 ヴィジュアルブック 2008 featuring team A」[要ページ範囲]

外部リンク