増田有華

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2015年11月3日 (火) 12:07時点におけるみゃお推し (トーク | 投稿記録)による版 (→‎シングルCD選抜曲)
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AKB48 卒業生
増田 有華 ますだ ゆか
2012年AKB48プロフィール 増田有華.jpg
公式ニックネーム

ゆか

所属事務所

フレイヴ エンターテインメント

生年月日

1991年8月3日 (32歳)

出身地

大阪府

血液型

B型

身長

162cm

スリーサイズ

B84 W63 H88

合格期

2期生

選抜回数

5回

増田 有華(ますだ ゆか、1991年8月3日 - )は、AKB48チームKの元メンバー。現・歌手、女優、タレント。大阪府大阪市出身。[1]フレイヴ エンターテインメント所属。

略歴

2006年
  • 2月、AKB48第2期オーディションに合格。
  • 4月1日、新設されたチームKの一人として劇場公演デビュー。
2009年
2010年
2011年
2012年
  • 8月24日、再組閣により、大島チームKに異動。
  • 11月1日、大島チームKとしての活動開始。
  • 11月28日、自身の公式ブログで、AKB48の活動を辞退することを発表。
  • 12月17日、第2回AKB48紅白対抗歌合戦をもって、AKB48としての活動を終了。

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは「笑顔ニコニコ、元気モリモリ、たこ焼きめっちゃ好きやねん! 大阪魂炸裂の18歳、増田有華です」。
  • 公式ニックネームは「ゆか」。「ゆったん」も多い。名付け親は、河西智美[2]たまにキャッチフレーズの「たこやき」とも呼ばれる。現在、ブログの最後に記述している「゜+。Chiro。+゜」は、昔のニックネーム「チロ」から。チロの由来は、チロルチョコが大好きだったので佐藤夏希に「チロって名前、可愛いいじゃん」と言われそうなった。「チロ」は次第に呼ばれなくなったが、現在でもブログだけは「Chiro」を使用している。[3]ちなみに、同じくブログの最後にある「にゃもし」とは、「なんか雰囲気がかわいいのとみんなが幸せになりますようにーって想いを込めた言葉です。ゆるーく皆さんに使っていただけたら嬉しい」[4]
  • 最近は、胸が大きいことからメンバーに「ゆったん」+「おっぱい」で「ゆっぱい」と呼ばれている。[5]
  • AKB48加入以前から数々のヴォーカルコンテストに出場し、「のど自慢」でもグランプリになったことがあるという[6]、AKBトップクラスの高い歌唱力を持つ歌姫。[7]
  • 歌手活動以外にも、舞台、映画、ドラマなどにも単身果敢に挑戦し、才能の枠を広げている。[7]将来の夢は、歌手。アーティスト。役者。[8]
  • 戸賀崎智信「歌はもちろん、彼女は演技がとても上手い。劇場の寸劇パフォーマンスが舞台や映画に展開した理想型です。あと、ぜひ公演ラストの彼女の最後の挨拶『またきたってな~』を生で聞いて下さい」[7]

幼少期

  • 1991年8月3日、父・健作、母・真知子の間に、一人っ子として生まれる。[9][10]
  • 「有華」という名前の由来は、逆に読んで「華が有る子に育つように」という意味でつけられた。[11]
  • 2歳の頃、小児がんに侵され、膵臓、脾臓、肝臓など14カ所に転移する。[12]広範囲にわたっていたため手術は困難で、さらに先天性の免疫不全であり、免疫力は通常の人の3分の1。抗がん剤は正常の免疫細胞まで殺してしまうため、抗がん剤治療は出来ず、免疫力を強化する薬を投与するしかなかった。[10]
  • その後体調が回復し一時帰宅を許され、さらにその数ヶ月後、腫瘍が完全に消滅。医師によると、通常は抗がん剤を使わずに腫瘍が消える事はなく、非常に稀なケースだという。[10]
  • 奇跡的にがんは完治したものの、現在も先天性の免疫不全を抱えている。それでも「がんがあったからこそ、今がある」と、過去を前向きにとらえる。そこには計り知ることのできない歌の力があった。―かつて小児がんだったことを告白していますね。「発病したのは2歳のころです。わたしのがんは、最初にどこの臓器で生まれたものかは分かりませんが、見つかった段階で、既にすい臓や腎臓、肝臓など、幾つかの場所に転移していたそうです。だから、2歳から2歳半までの間は大阪の病院に入院して、毎日のように点滴をつながれ、注射をされていました。「点滴をしている自分が当たり前」という感覚だけは、かすかに覚えています」。―ほかに当時のことで覚えていることはありますか。「入院中かどうかは分かりませんが、「いつも病院にいた」という程度の記憶はあります。がんだったことを初めて聞いた時のこともよく覚えていません。小学生のころには知っていましたが、「何となく重い病」ということしか分かりませんでした。大変な病気にかかっていたと本当に理解できたのは、10代の後半になってからですかね」。―その後、がんはどうなったのですか。「2歳半くらいの時、がんが半分に減って、退院できました。その後も治療を続けるうちに、がんは徐々になくなっていきました。今、この話をしても、「医学的に証明できない」とか言われて、誰にも信じてもらえないんですけど(笑)」。―なぜ完治できたんだと思いますか。「なぜですかね。わたしにもよく分かりません(笑)。ただ、病院で担当してくれた先生が、「いろいろな小児がんの子を診てきたけれど、この子は本当によく笑う。病人の顔じゃない」と言って母を励ましながら、懸命に治療を続けてくれました。そうした強い思いが、完治につながったのかもしれません。もう一つ、「歌の力」も大きかったと思います。入院していた時、音楽好きの父が個室の病室でギターを弾いてくれました。わたしはそれに合わせてラムネのお菓子が入ったおもちゃのマイクを握って、元気に歌っていたみたいです。たとえ点滴がつながっていても、その時間はすごく楽しかったというのは、かすかに覚えています」。―気丈なご両親だったんですね。「そうですね。でも、いつも強かったわけでもないと思います。特に母は、わたしががんで入院してからだいぶ弱ってしまって、体重が10キロ以上も減ってしまいました。「周りの子は公園で元気よく遊んでいるのに、なぜ有華だけ病院で点滴につながれる生活を送らなきゃいけないんだろう」って。すごくショックを受けて、「この子はもう駄目かもしれない」って、喪服まで用意したくらいですから。そんな母が頑張れたのは、本当にささやかな夢があったからだと言っていました。それは、わたしが退院したら、一緒にファミリーレストランに行くこと。普通、特別なお出掛けと言ったらテーマパークとか、動物園とかですよね。でも母は、もっと「ごく当たり前のこと」をしたかったみたい。それがファミレスでのお食事だったんです(笑)。退院してファミレスで一緒にご飯を食べた時、小さな手でおいしそうにスープを飲むわたしの姿を見て、それがすごくうれしかったと言っていました」。―がんだった経験で、今につながっていることはありますか。「がんだった経験は、今のわたしのとても大きな要素になっています。マイナスの要素とはとらえていなくて、むしろ、がんを通じて強くなれたとも思っています。今こうして活動できているのも、がんがあったからなんです」。―どういうことですか。「私がオーディションに合格したのは、中学2年の終わりごろでした。当時は大阪に住んでいたんですが、両親は快く一人っ子のわたしを東京に送り出してくれました。理由は、わたしががんで一度命の危険にあったにもかかわらず、こうして奇跡的に生きているから。母は「有華にはきっと特別な使命がある。生きていてくれるだけでもありがたいんだから、東京でやりたい夢をかなえてきなさい」って言って送り出してくれました。がんのおかげで大好きな歌を歌えているというのは、不思議なものです。もし、わたしががんを乗り越えていなかったら…。過保護な母のことです。東京に行くことなんて認めてくれなかったでしょう」。―そして今、歌手として活躍されていますね。「私にとって、生きていること自体が歌うこと、表現することそのものなんです。それくらい大切なものです。実際、家に着くと、自然と好きな音楽をかけちゃうし、外ではストリートミュージシャンの演奏に聞き入ってしまう自分がいます。歌がない人生は考えられません。ただ、そんなわたしでも「歌をやめてしまいたい」と思うことが何度かありました。ステージでスポットライトを浴びたくない。マイクも握りたくない。そのくらいに落ち込んだこともありました。でも、ある時気付いたんです。「歌をやめたい」と思うのは、それだけ歌が好きということなんだと。つまり、「歌を自分の誇れるものにしたい」という強い思いがあるからこそ、形にならないもどかしさで、「やめたい」と思ってしまっていたんです。一生懸命夢を追っているからこそ、落ち込んでしまったんです。このことに気付いてからは、つらいことがあっても、「つらい、苦しいは好きの裏返し。つらいことがあれば、きっといいこともある」と、前向きに思えるようになりました。知らず知らずのうちに、がんだった2歳のころの自分に励まされているんですね」。―現在も病気を抱えていらっしゃると聞きました。「実は、今も先天性の免疫不全があります。血液検査を受けると毎回、「白血球の数値が低いね」と言われます。でも、不思議と不安はないです。なぜかというと、ファンの皆さんから求められていると実感できる瞬間があるから。ライブを見に来てくれたり、握手会に来てくれたり。大好きなこの活動をしているからこそ、わたしは元気でいられると思うんです。ファンの方の中に、治療が難しい病気と闘っている方がいらっしゃいます。それでも車いすに乗って握手会にいらしてくれたり、手紙を書いてくださったりしてくれる。「ライブのMCを見て、よく笑っています」という話をお聞きすることもあります。そんな姿を見ていると、「わたしも負けちゃいけない」と元気が出てきます」。―最後に、いろいろな病気に苦しむ患者さんへのメッセージをお願いします。「病気だからといって、マイナスの方に、マイナスの方に考えてしまうと、どこまででも落ち込んでしまいます。「わたしは病気だから何もできないんだ」というように。わたしもそう思う時がありました。でも、逆に笑顔で楽しいことを考えれば、毎日が楽しくなると思うんです。例えば、病室の中であっても絵を描き始めるとか。何か一歩でも踏み出してみれば、新しい自分を発見できたり、夢をかなえるきっかけになったりすると思うんです。だから、未来を見詰めて、ぜひいろんなことに挑戦してほしいなって感じます」。[13]
  • 初恋は保育園の時。[1]
  • 芸能界に入りたいって思ったのは、保育園の頃から。[1]
  • 昔、地元大阪で毎月ストリートライブなどもしていた。[14]

2006年

  • AKB48に入ったキッカケは、母親が応募したから。最終審査に行ったら受かったので、ためらうことなく上京した。[15]

2009年

  • 7月8日、AKBの中では、決して目立つ活躍場所は多くはないが[7]、選抜メンバーをファン投票で決定するという選抜総選挙では25位にランクインするなど、根強いファン人気を持つ。

2010年

  • 4月28日、アニメ『一騎当千』の4期オープニング・テーマ「Stargazer」でCDデビューを果たした。AKB48メンバーとしては、大堀めしべに続く2人目。ちなみに、秋元康のプロデュース(作詞)ではない。
  • 6月9日、第2回総選挙でも去年と同じく25位にランクイン。
  • 6月、漫画『野田ともうします。』の実写ドラマ化作品に、富沢役で出演。
  • 8月、『G.I.ゴロー』では、稲垣吾郎、次長課長の二人から、推しメンに選ばれた。理由は、稲垣「さわやかでいい」。河本「オーラが出ている」。ちなみにこの番組では「マスカルポーネ」というニックネームが付けられている。[16]
  • 7月11日、コンサート「サプライズはありません」にて、大阪難波にNMB48の結成が発表されたが、増田は大阪出身のため、メンバーから深刻な顔で「…行かないよね?」と聞かれたらしい。増田が鎌をかけて「あぁ」と意味深に返事をしたら、「え?有華ちゃんNMB行っちゃうフラグ?」とビックリされた。その後もメンバー、スタッフ、ファンからも「行かないでね」と言われている。本人によるとNMBに移籍する気はなく、AKBのメンバーとして、NMBとコラボしてみたいと語っている。しかし「私(一人の考えでは、移籍について)判断できないんですけどね」とも語っている。[17]
  • 同コンサートでは、19thシングルの選抜メンバーを決める「じゃんけん大会」の開催も発表され、出場枠の抽選が行われたが、増田の引いたブロックは、1回戦で渡辺麻友と戦い、勝って2回戦に進んでも、今度は前田敦子に勝たなければ、選抜入りは出来ない。佐藤夏希によると増田は「どうしよう。どうしよう」とずっと言っているらしい。[18]だがインタビューでは、「あ~ヤバいじゃん! めっちゃいい戦いに参加できる! 良いところに入れたな~」と逆に喜んでいる。[19]
  • 7月31日、映画『ひとりかくれんぼ 新劇場版』で初主演。
  • AKBと××!』の川藤幸三(元プロ野球選手)とのガチ悩み相談というコーナーにて、他のメンバーが「私服がダサいと言われる」「爪が割れやすい」という悩みを相談する中、
増田「もう4年半くらい活動してるんですけど、選抜メンバーに最近全然入れてなくて…私だけ今回の(ロケ)メンバーで選抜メンバーじゃないんですね」
川藤「4年で終わりか? んじゃ高校野球3年しかないわな。レギュラー取れる人間って限られとるわな。そっから外れたらどうすんねん? それで終わりか?」
増田「いや、違いますね」
川藤「大学もあるし、次の世界もあるし。今この4年間があくまでも自分の下積みだ。基礎や」
増田「うん」
川藤「先生はその野球時代、現役19年レギュラーになったことないねん。ぜーんぶ補欠。毎年、下から下から若い勢いの良い選手が出てくんねん。ほんで全部抜かれていくねん」
増田「はぁ…」
川藤「だけど、だけどここからやで。ここで揉まれて何かを掴むんよ。目の前の事ばっかり追って行くんじゃない。“今”しっかり…。4年ぐらい何やねん! これからじゃ!」
増田「はい」
川藤「はい、がんばれ!」
ナレ「レギュラーなどでなくとも、無駄な時間は無い。これこそ川藤の人生そのものなのだ」
  • 9月6日、『有吉AKB共和国』の占い師ラムメスによると、じゃんけん大会の優勝者は渡辺麻友。増田の1回戦敗退という予想となった。「昨日あれだけジャンケンの必勝方を聞いてた矢先に有吉共和国の選抜予想占いでまさかのまゆゆセンター!?あれ タイミング悪くないかーい? 皆さんにいろいろコメントしていただいたのに申し訳ない。でもゆったんそんな逆境に負けないんだから。負けないんだから~~ってゆってもあんまプレッシャーかんじてないんですけどね。楽しみで仕方ないのだ」[20]
  • 9月21日、ジャンケン大会当日。増田は勝負服とも言えるMARIAの衣装で臨んだが、渡辺に負けてしまい久しぶりの選抜入りとはならなかった。「負けちゃったよ。悔しい思いすると思ってなかったけど、いざ武道館のステージの真ん中でまゆに負けるとあとからかなり来ましたね。あとね…オモローなくらい不吉なことがあったんです。本番中名前を呼ばれてステージにあがる直前にMARIAの衣装のネックレスから十字架がちぎれてポトンって落ちたの。落ちただけならまだいいけど折れたの十字架が。この瞬間にステージあがるまえに鳥肌がたちました」[21]
  • 10月10日、野外ライブ「東京秋祭り」のカラオケ大会にて、絢香の『みんな空の下』を披露。見事優勝し、ハワイ旅行をゲットした。

2011年

  • 2月27日、同事務所(office48)所属の秋元才加梅田彩佳宮澤佐江と共に、4人組ユニット「DiVA」を結成。4月にCDデビューする事が発表。[22]
  • 3月8日、ツイッターを開始。[23]
  • 4月8日、『AKB48のオールナイトニッポン』で佐藤亜美菜に、「最近、ゆかちゃん(増田)、楽屋で“ゆっぱい”って呼ばれてるの。なんでかっていったら、この時間だしストレートに言っちゃうけど、ゆかちゃんはおっぱいが大きいの。ホントにゆかちゃんっておっぱいが大きいの。ゆかとおっぱいで“ゆっぱい”」と暴露される。「ちょっと待って!」とあせる増田を振り切り、佐藤はさらに、番組収録の前に増田が一緒に入浴した時の話、「生まれてはじめて、人のおっぱいの上で寝たの」とも。この発言が、AKB48のファンを刺激させたことは間違いないようで、番組の終了から、増田のブログには“ゆっぱい”のコメントで爆発。その後、増田は、「みなさま、ライブなどでゆっぱい! と叫ぶのだけはやめてください。握手会などでもネタにしないでください。笑」とコメントした。[24]
  • 4月16日、21stシングル『Everyday、カチューシャ』の選抜メンバー情報が解禁。増田は2007年7月の4th『BINGO!』以来、17作(3年10ヶ月)ぶりの選抜復帰となった。「いつの間に次の選抜発表されたんだぁぁ。コメントみてビックリです。改めて言わせていただくと…次の21stシングル選抜メンバーに入りましたっ。わーい。皆さんの応援のおかげです。ほんまにありがとうございます。自分が思ってる以上に周りのスタッフさん、ファンの皆さんが喜んでくださっていて涙が出そうになりましたっ。これを活力にしてAKBのメンバーとして、そしてDiVAとしても成長していこうと思います」[25]
  • 4月20日、DiVAのマスコミ向け記者発表が行われ、来月発売されるデビュー曲などをお披露目した。最後に秋元康からのメッセージが読み上げられ、新メンバーの加入が発表された。「最初聞いたときは素直にビックリしました。10人になるということで、どんな人がメンバーに加入するのか考えるだけで楽しみになりました! でもそれと共に不安や焦りも後からきて、上手くいくかとか、どんなグループになっていくのかとか、正直、考えてる自分がいます。でもでも! 今までいろんな不安を抱きながらも精一杯やってきて、後悔したことは1度もないので、この加入オーディションを新しい自分の刺激に変えよう!って気持ちになってきています。今後どうなっていくのか楽しみですね」[26]
  • 6月9日、これまで2回の総選挙では25位とアンダーガールズ止まりだったが、3度目にして20位を獲得し、総選挙では初めての選抜メンバー入りを果たした。「メンバーが150人もいる中、私の為に愛情の込もった票を入れてくださったんだと考えると、感謝してもしきれません。名前を呼ばれた瞬間、歌手も夢も諦める。と、何をするにも下向きになっていた頃の自分を思い出しました。諦める。そんなこと言いたくなかったけど、実際に1年前の自分はこれ以上は無理だと感じていました。でもそんなとき、ファンの皆さんが、ゆかちゃんの歌がだいすきだよ!って。ゆかちゃんの笑顔をみると幸せになる!って。そして、夢を諦めないで! と言ってくださいました。私は1人じゃないんだ。みんなが傍で見守ってくれている。と。だから私らしく楽しめたんだと思います。いままでは恩返ししたくてもなかなか出る場所がなく、上手く表現できなかったり強がっちゃったり、、、。でも、いまが皆さんに恩返しをする時だと、やっとこの時が来た!と感じています。皆さんに増田有華を応援しててよかった!と言っていただけるように、今この時からまた新たにスタートをきりたいと思います! 手加減せずに全力でいきますよーみんなついてきてね!! ほんまにほんっっまにありがとう」[27]
  • 総選挙後のインタビュー。―2年連続25位でしたが、3度目の正直でついに選抜入りですね。ファンの皆さんからはなんて言われました? 「『やっとだね』ってその言葉が何よりも嬉しかったです。私のファンの方達は、変な話、友達よりも私の心に踏み込んできてくれるんです。でも私には何もない状態で…。よく宙ぶらりんのままの私に5年間ついてきてくれたなって思うんです。本当にファンの皆さんは、私よりもプライドを持ってくれているんです。増田有華という人間に対して。それが私のプライドなんです。それが無かったら、私には何も無いんです。去年までは『AKBに入ってどうですか?』って言われても、『あんまり変わらないです』って言ってました。自分で気付かないぐらい強がっていた。でも壇上で、『選抜メンバーとしてここに立ちたかった』と、初めて本音で言えた時、良い意味で崩れて新しいアイドルとしての増田有華を築くことが出来たんだと思います。5年目にして」。―最後にファンにメッセージを。「これから私は応援して下さった方々に恩返しをする時だと思うんです。『無理しないで』って言われていますが、無理をさせて下さい。私の弱い部分、未完成な部分を見せていきたい。新しい増田有華をファンの方と作っていきたい」[28]
  • 10月6日~、ミュージカル『中野ブロンディーズ』に出演。
  • 10月6日、文化放送にてDiVAのラジオ初冠番組『ViVADiVA!』放送開始。
  • 10月8日、ドラマ『野田ともうします。シーズン2』に富沢役で出演。
  • 12月、雑誌インタビュー。「私が高校を卒業するまでは、母にとって「イバラの道」だったと思います。中学2年で私はAKB48に入り、大阪から一人で上京してきました。以来、私は、母が大阪から世話をしに来るたびに、手ひどく反抗し続けてきたのです。私の暴言に傷つき、台所で泣きながらキャベツを切っていた母が今でも忘れられません…。どうしてそうなってしまったのだろう。自分で言うのもなんですが、子供の頃の私は勉強も音楽も図工も体育も何でもできました。だから、初めは友達もたくさんいたのですけど、ある日、突然、手のひらを返したように敵に回されてしまい、長い間、いじめられ続けました。上京後もまだ中学生だったこともあり、どんどん人間不信になっていきました。正直、その頃の記憶がほとんどありません…。やがて、高校の友人やAKB48の仲間たち、ファンの方々のおかげで、少しづつ、私はいろんな感情を取り戻していったのです。だけど、一番自分に近い存在である母だけには、素直になれなかった。いえ、逆かもしれません。母にだけは,剥き出しの感情をぶつけられた。辛かった過去のはけ口を、母の愛に求めたのだと思います。母は、私からどんなにキツイ言葉をぶつけられても、何度でも何度でも起き上がってきてくれました。本当に最後まで、諦めずにいてくれました。あの頃のように。
私は2歳で小児がんに冒され、命を落としかけたことがあります。転移が発覚した時は、先生も両親も私の死が頭をよぎったと聞きます。母はそれでも最後の最後まであきらめずに、私を看病してくれました。病院のベッドの上で目を閉じるのが怖かった、ということだけは覚えています。世界が終わってしまいそうで…。でも、母が手を握ってくれたから、眠れた。何本も注射針を打たれ、管を通された、幼い娘の腕を、母はどんな思いで見ていたか。それを思うと、胸が張り裂けそうになります。そんな母に私はどうしてひどいことをするのだろう。
先日、私が出演した神戸でのミュージカルを観に、母が来てくれました。公演後、一緒に食事をしながら、「有華が真ん中に立っている姿を観られてよかった」とうれしそうに話す母。このまま大阪に返してしまったら、また距離が開いたままになってしまう。気が付くと私は、今まで言えなかったいろんなこと、いじめられていたこと、人間が嫌いになりかけたこと、親に干渉されたくない時期があったこと、母との関係をどうすれば変えられるのか分からないことなどを、数時間かけて告白しました。そして、最後に言いました。「ホンマにうちはお母さんが好きやし、一番感謝してるのはお母さんなんや!」。すると突然、母がわーって泣き出したんです! 私は目の前で少女のように泣きじゃくる母を見て、どれほど私のために悩んでくれていたのかを知りました。
今、私の夢は一人の歌い手になることです。歌で人を幸せにしたい。それが救われた命に対する、私の使命だと思っています。 そしていつか、私のコンサートの一番前に母を座らせてあげたい。母からもらった無償の愛の、ほんのささやかな恩返しとして…。ありがとうな、おかん」[29]

2012年

  • 3月21日に発売されるDiVAの3rdシングル『LOST THE WAY』に、増田のソロ曲『stargazer』が収録される。「皆さんにご報告!DiVAのカップリングソロ曲が決定しました! なんと!! stargazerに決定! あーやっと言えた。スッキリ! 以前ソロで歌わせていただいた曲を、2012年ver.として収録しなおしました。NEWバージョンのstargazerをたのしみにしていてください!」[30]
  • 3月24日、ウルトラマンシリーズの劇場版最新作「ウルトラマンサーガ」に、整備班のノンコ役で出演。[31]
  • 4月12日、NHK Eテレで放送中の“ネット”ドキュメンタリー『青春リアル』(毎週木曜 23:30)の新メンバーに加わった。高校生や新米社会人など10~20代のメンバーがネットで視聴者とつながり、意見交換しながら“なりたい自分”を目指し、模索する姿を半年間、長期取材する番組。増田は、半年かけて「努力の意味」を知りたいという。「いくら頑張っても結果につながらない時、あの時間はなんだったんだろうって思います。大切だって分かっているけど、いつも努力を100%信じられない。そんな自分を変えたいなと思います」[32]
  • 5月16日、抜群の歌唱力でAKBやDiVAなどで活躍を見せる一方、“一匹狼”タイプと呼ばれる自分との葛藤があった。そんな中で、主役を務めた舞台「中野ブロンディーズ」が自分を見つめ直すキッカケになった。「演出家さんから、『主役は、もっと周りに気を配らなきゃいけない』って言われて。自分にとって、ホントに衝撃的なことで…。責任感を持ってみんなをまとめていく大変さと、相手の立場に立って会話することの大切さに気付きました」。今年の目標は、前回を上回る17位だ。「今年はもっと愛嬌のある人になりたいんです。なんか強い子みたいに見られちゃうんですけど、結構寂しがり屋なんですよ(笑)」[33]
  • 5月、戸賀崎「最近は胸が大きい“ゆっぱい”キャラでも存在感を増してきていますね。歌以外のグラビアの仕事など、自分の中には興味がなかった表現の世界からもどん欲に学んで欲しいです」[33]
  • 5月20日、DiVAメンバーで、歌唱力はAKB48No.1とも言われるが、「ゆっぱい」という愛称が「AKB48人生を変えた」という。豊満なバストで、メンバーから「ゆっぱい」と名付けられた。ドリカム、MISIA、絢香といった本格派歌手になることしか考えていなかったが、バストに注目されるのは「最初は嫌だった」という。しかし、徐々に考え方が変わった。「男の人は本当におっぱいが好きだと分かった。それで世界が平和になれば」。数々のグラビアを飾り、知名度も一気に上がった。「本格的な歌手を目指すことでお堅いイメージがあったと思う。それが『ゆっぱい』で親しみやすくなった」。もちろん歌で勝負していくことに変わりはない。だが魅力あるカラダを隠す必要もないと「ゆっぱい」が総選挙へ一肌脱いだ。[34]
  • 6月6日、第4回総選挙では26位にランクイン。「私はこの度、26位という順位をいただきました。本当にありがとうございました! 前回20位。結果だけをみると順位を落としてしまいました。悔しい。そういう気持ちがないといえば嘘になります。悔しいです。ですが、今まで3度の総選挙を通して、結果だけが全てだったという私の考えが変わりました。握手会でバイトの時間を増やして、その分投票するね! 今月は買いたい物を我慢します! ゆったんのために毎日頑張ります! そう言ってくれるひとがたくさんいました。わたしのために投票するために自分の時間、身を削ってがんばってくださった皆さんがいると思うと、悔しいだけとは言い切れません。暖かい気持ちになり、本当に嬉しく思います。1万3166票。この票数を噛み締めます。噛み締めて、自分に足りないところ、これから伸ばせるところ、、、いろんな自分をプラスに持っていけるといいな。そして、いままでと変わらず。私は私らしく。皆さんと共にいただけた立ち位置から素敵な景色を眺められたらと思います。いや、私が見せなきゃいけないんだな。だからついて来てください! もっと上にもっともっと。素敵な景色を。総選挙が始まる前は、いつもファンのみなさん、メンバー、スタッフ、身内、いろんな人からの緊張や期待、不安をみて、胃が痛くなりそうな自分がいます。でもおわったあとはいつもやってよかったなって思えます。メンバー1人1人の真っ直ぐな眼差し、声を震わせながらも自分らしく想いを伝えるコメント、そんなみんなの意識の高さにAKBにいることを誇らしく感じます。舞台上でしか分からないあの手足が震える緊張感は何とも表現できません。気づけなかったことに毎回気づかせてくれるのが選抜総選挙です。その時々に自分の答えをみつけていきたい。自分に絶対負けない!諦めない! 本当にありがとうございました! 今後ともよろしくお願いします!」[35]
  • 6月27日、宮本亜門演出で9、10月に上演されるミュージカル「ウィズ~オズの魔法使い~」の主人公・ドロシー役を48グループから選び出すオーディションにて、第1次・第2次審査に合格し最終オーディションまで駒を進める。[36]
  • 6月29日、NMB48渡辺美優紀がAKB兼任メンバーとして、チームB公演に初出演した。レッスン中のエピソード。増田「みるきーがいずりなに、『(チームBで)一番怖い先輩って誰?』って聞いたんだって。そしたら『ま、増田さんは、怖い…っていうか、厳しい』って言ったらしいの。そしたらみるきーが、私の事が一番怖かったらしくて。でも私はみるきーが短時間で覚えてるの知ってたから、助けてあげたいなと思って行ったら、『増田さん、怖いこと言わないで下さいね』とかいきなり言ってきて。あの子、すっごいズバズバ言ってくるから。逆に私、そういう子超好きなのね。珠理奈とかも言ってくるから。『絶対言わへんよ』って言っててんけど、結局終わった後に、私がおらん所で、『一番優しくしてくれたの増田さんだった』ってスタッフさんに言ってたらしくて。可愛すぎて、食べちゃおうかと思いました」。野呂「こらこら。でも…あれなんだね。有華って貫禄…」。高城「ありますよ」。増田「やだもう」[37]
  • 7月2日、「AKB48プロジェクト全国オーディション」の最終選考に、AKBの増田、梅田彩佳中村麻里子仲谷明香、SKE研究生の斉藤真木子、NMBの山本彩の計6人が参加し、増田が主役・ドロシー役に決定した。決め手となったのは、最後の歌唱審査。AKBの中でも歌唱力に定評のある増田は、劇中ラストで主役のドロシーがソロで歌う「HOME」を、表情豊かに体をめいっぱい使って熱唱。難点とされていた10代半ばには見えないという容姿も、髪を短く切って初めて茶髪にし、マネージャーが選んでくれたという服装でカバー。歌い終わるなり泣き出すほど感情移入した。オーディション後、取材に応じた宮本は「増田さんの歌を聴いていて、あるまじきことに号泣してしまいました。チキショーってくらい愛に満ちた壮大な世界観が伝わってきて、歌い終わった瞬間、増田さんと一緒にやっていきたいという決意がわいてきました」と絶賛。増田は「私の分岐点になるというか、10皮くらいむけてつるつるになっちゃいそう」と茶目っ気たっぷりに笑い、この舞台を機に「生まれ変わりたい」と誓った。ミュージカル『ウィズ~オズの魔法使い~』は、9月18日(木)~28日(日)まで東京国際フォーラム ホールC 、28日(金)~30日(日)まで横浜・KAAT 神奈川芸術劇場ほか、大阪、名古屋でも上演予定。[38]
  • 7月8日、「第3回じゃんけん大会」本戦の組み合わせ抽選が行われたが、増田は出場を辞退することを発表した。理由は、先日合格したミュージカルに集中するため。[39]
  • ブログで報告。「皆さんに言わなきゃいけないことがあります。この度、9月に行われるじゃんけん大会を辞退させていただくことになりました。ミュージカルの稽古が8月から、本番が9月から始まるということで急ですが、こういう形となりました。応援してくださっているファンの皆さんには一つのチャンスを逃した形になってしまい、本当に申し訳ないと思っています(>_<) その分、本当に後悔させないように、全力で稽古を頑張ります!集中します! 急なお知らせでビックリさせちゃってたらすみません。応援していただけるとうれしいです。がんばります!」[40]
  • 7月10日、全国ツアー「野中美郷、動く」のチームB大阪公演にて、8月の東京ドームコンサートも、稽古に集中するため出演しないことを発表した。[41]
  • ブログにて再び説明。「8月の下旬に行われる3daysの東京ドームコンサート。ミュージカルの稽古と重なってしまう為、欠席させていただくことを決めました。じゃんけん大会に引き続き、皆さんには突然のお知らせで本当に申し訳ありません。東京ドームはAKB48の目標であり、みんなが目指してきた場所でした。そこに出ないのは、、、すごくすごく迷いました。きっと良いように思わない方もたくさんいると思います。私も、もし逆の立場だったらAKBと両立させてこそじゃないの?と感じると思います。ですが、私は今回のミュージカルに命がけでぶつかっていく気持ちです。稽古に出なくなると、キャストの皆さんにも迷惑をかけてしまう。秋元先生からオーディションが終わった直後にメールをいただきました。やっとチャンスの順番がきたね。と。私自身もやっと、やっとチャンスの順番がきたと感じています。だからこそ本気でぶつかっていきたいです。ここまでしたからには本当に本当に、、、成功させたい。応援してくださいとは言えないけど、、、どうかご理解いただけると嬉しいです。応援してくださる皆さんに素敵な景色が見せられるよう、頑張ります!」[42]
  • じゃんけん大会に続き、東京ドームのコンサートも出演しないことにした増田。しかし今回の決断について、ファンの間でも賛否両論となっている。「これはAKBメンバーとして最低の行為」「AKBとしての夢はどーでもいいってことか? なんか寂しいな」「DiVAはどうなるの?」「AKBを軽くみてる」「めちゃくちゃ忙しい選抜メンバーはどうなるんだ」との意見もあれば、「頑張れ」「夢をあきらめるな」「AKBは夢へのステップなので、自分の夢を優先するのは当たり前」との意見も。「これだけ大きなイベントを欠席するのだから、卒業も覚悟しているのでは?」と想像するファンも少なくないという。自身のブログでは、「応援してくださいとは言えないけど、どうかご理解いただけると嬉しいです」ともコメントしている増田。彼女がファンを納得させるためには、ミュージカルでより一層、成長した自信の姿をファンに見せる以外にはないのかもしれない。[43][44]
  • 7月12日、仲の良い仲川遥香がコメント。「みなさんに、『ゆか東京ドームコンサート出ないけどどう思う?』って聞かれます。正直一緒に出たかった。でも一番辛いのはゆかだと思う。出たいけど舞台もあるし。。。両方やってどっちとも中途半端になるのが嫌だと思います! 私も中途半端な気持ちでやるのは嫌だし、そんな気持ちで出ても楽しめないと思う。ゆかはすごく悩んだと思う。だからゆかの決断は間違ってなかったと私も思います。AKB48は夢を叶える場所です。東京ドームも夢だったけど、ゆかにはその先の夢が近づいてるんだと思う。今回のミュージカルでたくさんのことを経験して今後変わるかも知れない。だから私はゆかを応援したいな。そしてゆかの分まで東京ドームコンサートを盛り上げたい。そして素敵なコンサートにしたい! ゆかは出れない分、ミュージカル素敵なものにしてほしいな! 私も見に行きたいな♪ ゆか!頑張ってね! 私の率直な気持ちでした」[45]
  • 7月12日、増田「こんなに大きくニュースになってしまいましてビックリしてます(>_<) 中には、AKBはあまり知らなかったけど、、、とコメントしてくださっている方をたくさん見かけました。温かいお言葉、ありがとうございます。私の体調や、精神状態を気遣ってくださっているコメントもたくさんありましたが、ゆかは皆さんが思ってる以上に元気です!ピンピンです! 決めたことに後悔はないし、いま目の前にある道を突き進むだけだと思っています」[46]
  • 8月3日、インタビュー。AKB48の一員として活躍する傍ら、近年は映画や舞台にも活躍の場を広げている彼女が、AKB48やNMB48、HKT48、SKE48の全メンバーを対象にした激しいオーディションをくぐり抜け、宮本亜門演出のミュージカル『ウィズ』の主役に決まった。同作は、宮本が国内外からトップクラスのスタッフを集めて創る『オズの魔法使い』のミュージカル版。これまで舞台経験はあるものの、本格ミュージカルは初めてとなる増田に、本作に賭ける思いについて語ってもらった。「元々歌うことは好きだったんですが、ミュージカルに興味を持ち始めたのは14歳でAKB48に入った後のこと。初めはステージの勉強のために観に行っていたんですけど、段々『大好きな歌もダンスも、お芝居も出来る“ミュージカル”っていいとこどりじゃん!』と思うようになって(笑)。それからは、時間があれば何でも観に行くようにしています。今は、私もライブをやっているので役者さんの緊張感が分かるし、お客さんの期待に満ちた空気や、舞台が進むにつれて劇場が高揚していくあの感じが本当に好きです。それでいつからか、ミュージカルの舞台に立ちたいと思うようになりました」。本作のオーディションで宮本は、“自分に欠けていると思うものを探して”かかしやライオンたちと旅に出る少女ドロシーを、経験は少ないながら将来性を秘めたネクストスターの姿に重ね合わせたという。20歳の増田の奮闘はそのままドロシーの役作りの過程として、今後ドキュメンタリー番組でもオンエアされる予定だ。「私、普段は負けず嫌いなので誤解されがちなんですが、実は小心者で自分に全く自信がないんです。歌が上手いと言っていただけることが多いものの、あとひと息の表現力が足りないのは自分でも感じていて、もがいている状態が何年も続いていたんですね。でも今回、ドロシーという女の子はまさに私みたいな子なんじゃないかと気づいて、初めて自分をさらけ出してオーディションを受けることが出来たんです。だからドロシー役に決まった時は、役を勝ち取ったというよりこの作品でミュージカルのスタートを切れるのが嬉しかった。まだ始まったばかりですが、やっと光が見えたって思っています」。表現力で悩んでいた頃、あえて厳しい言葉で「あとひと息」と励ましてくれたファンの存在が、背中を押し続けてくれたと話す増田。その距離感は“会いに行けるアイドル”AKB48ならではのものだろう。悩みながら過ごした時間が、新しいフィールドでどう花開くか。その行方に注目したい。[47]
  • 8月24日、東京ドームコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、ラストに戸賀崎が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。増田はチームKに異動することとなった。[48]
  • 8月26日、最終日のラストに急きょ出演した。事前に休演を発表していたが、45曲目、本編ラストの『ここにいたこと』では、大島優子と並んで歌声を披露。終演後のGoogle+では「東京ドーム3日目、敦子を一緒にステージに立てました!! 今日はほんと、ほんと泣いた。あぁ来れてよかった」とつづった。[49]
  • 9月15日、インタビュー。オーディションで勝ち取った役に「自分がAKBの中で1番になったという気持ちは全くない」としながらも、「この作品に参加することで、自分の中に軸ができたと思う」と、自身の成長の手応えを感じていることをアピールした。オーディションに合格してから約2か月。稽古場で毎日、汗を流す増田の顔つきには、自信がみなぎっていた。「他のメンバーと1か月ぶりに会ったら、『顔が変わって、誰か分からなかった』って。トレーニングでやせたというのもありますが、『目がしっかりした』とか『毎日、充実しているからだね』とか言ってくれて…うれしかった」。合格発表時、「これで、私の人生が変わると思う」とまで言い切った今回の出演。以前から「AKBの中で、歌のうまさはNO1」と言われてきた。が、同時に重圧とも戦ってきた。「『歌といえば増田有華』と言われていて…もちろん『うまい』とは言われたい。でも、これまでも実力以上に評価されることが多くて…。『うまい』というのが前提でスタートするので、実際に歌を聴いて『想像と違う』と言われたことも何度もありました。オーディションも歌が一番、不安だった。みんなが求める以上の表現をしないといけないと思ったし」。そんな時、支えになったのは前田敦子だった。「敦子も、いつも1位だったじゃないですか。『1位』って言われることって、2位になっちゃいけないと思って、すごく力んでしまう。それで、いつの間にか自分の個性がなくなっちゃったり。だから、今回も『1位になった』とは思っていません。敦子も卒業して、自分が進みたい道に向かったように、自分もタイミングよく選ばれた今回のチャンスを生かしたいと考えています」。先月、AKBは念願であった東京ドーム公演を実現。だが、増田は稽古を最優先して最終日にゲスト出演したのみ。18日に行われる「第3回じゃんけん大会」(日本武道館)の出場も辞退した。「最終的な決断は自分でしました。葛藤はありましたけど、長くは悩みませんでした。秋元先生は、AKBのコンセプトは『自分の夢をかなえるための養成所、学校みたいなもの』とおっしゃってるんですが、日々の活動の中で、それをファンもメンバーも忘れがちになっていたんじゃないか、というのが、私の正直な気持ちだったんです」。本来あるべき姿を他のメンバーたちに自らが示そうと“夢の舞台”に立つことを断念した。「東京ドームに行くことも大事だけど、今やるべきことを自分で決めることの方が大切、と思って…すごく勇気がいることですけど、それで周りの研究生とか昇格してきた子たちが『自分のやりたいことを実現するために、AKBはあるんだ』ということに気付いてくれれば…。このミュージカルに出演することで、私は『やっと夢をつかめた』という思いがすごくある。絶対に成功させたい。だから後悔はありません」。今回は陣内孝則やISSAなど個性的な共演陣に囲まれての出演。稽古では毎日が勉強と刺激の連続という。「共演者の方はとにかくすごい。個性が強くて、横にいたら自分が主演でも消えちゃうんじゃないか、と。それだけに自分自身も際立つようにしていきたい。その結果、相乗効果でお互いを高めていければいいし、それができるキャストだと思います」。稽古を続けている中で、自分自身が“高められている”瞬間を感じ取れるようになってきた。「演じること、歌うこと、表現することに関して、軸が出てきたというか…何かぶれないものが出てきていると思う」。ミュージカル女優としての増田の舞台が楽しみだ。[50]
  • 10月11日、スリーサイズを測ってもらったところ、「衣装さんにすごい痩せたからってサイズ測ってもらったら、峰不二子に限りなく近いって言われた!」と喜びを報告している。峰不二子といえば『ルパン三世』でルパンを惑わせるグラマーな悪女であり、セクシーな女性の代名詞だ。それだけに増田も「ちょーうれしいこと言われた!」とテンションが上がっていた。もちろん身長や体重の違いから同じスタイルではないが、衣装さんは彼女のプロポーションのバランスが峰不二子に限りなく近いと評価したのだろう。ファンからも反響のコメントが届いており、「峰不二子さんってB99.9 W55.5 H88.8ですよね」「すげぇ! 誰もが憧れる不二子になれる人間がいるなんて!」「前にテレビで実写版不二子を探してたけど、モデル30人集めても1人もいなかったよ?」と驚きを隠せない様子だ。「今度のグラビアが楽しみですな」と改めて彼女のナイスバディを確認できる日を待ち望む者もいれば、「本当に実写版不二子の声がかかるのでは」と期待する声も出ていた。[51]

交友関係

  • 仲の良いメンバーは、佐藤夏希小野恵令奈[15]
  • 誰とでも仲良くなれるが、女の子同士の輪みたいなのが苦手。一匹狼タイプで、「一人が好き」。[52]
  • 推しメンは、大島麻衣[8]現在は「推し!」と言える子はいない。「ステージ観てて引き付けられたのは、きたりえとゆきりん。あと佐江かな」[14]
  • 南キャン・山里の2推しが増田。[5]
  • 尊敬しているメンバーは、「みんな尊敬するけど、たかみなの頭の回転の速さには驚きます。すごい!」[14]
  • 高橋みなみ「ソロ歌手という夢がある私としては、有華の歌唱力は無視できません。以前『ヒグラシノコイ』を二人で歌った時も、お互いに歌い方が違うし、声質も違うから、意見が分かれぶつかり合ったんです。でも最後には納得のいく形を見つけて、二人で『良かったね』って。本当にプロ意識が高くて、一緒にやるとためになる事がたくさんあるんです」[53]
  • Berryz工房の清水佐紀は高校時代の同級生で、ダンス同好会も結成していた。[54]

性格・趣味

  • 性格は、明るい。頑固。うるさい。[8]
  • 裏の性格は、「現在19歳、しかし周りからは32歳といわれる。なんか明るいキャラが浸透してるけど普段は結構話さない(笑)。三日坊主」[11]
  • 長所は、マイペース。[55]
  • 短所は、短気。[55]
  • 趣味は、アロマキャンドル集め。[55]作詞。すでに100編以上の詞を書き上げている。選抜総選挙前のマニフェストは「作詞作曲した歌を出す」。
  • 特技は、人間観察。[8]
  • スポーツ万能で、中学時代はバスケットボールの大会で大阪市の選抜に選ばれた経験がある。[56]体育祭では走り高跳びで何度か優勝した事がある。[57]
  • AKBINGO!』ムチャぶりドッジボールでは、このゲームに強い大島優子といい勝負を繰り広げ、最終的には大島を撃破した。大島は巻き添え以外では初のアウトで、「ウソだー!」と絶叫した。結果的には、白チーム全員を増田一人でアウトにしていた。ちなみに本人も「本気でやったつもりじゃない」[58]と言っている通り、大島以外にはかなり力をセーブして投げている。また一応気を遣ってか、前田敦子や見方に何度かボールをパスしている。[59]
  • 運動神経が良いと思う人は、「Kは優子、才加。Bならアタシ運動はまけません。笑」[1]
  • 好きな男性のタイプは、「人のことを思いやれる人。容姿は求めません」。[1]「空気読める人」。[11]
  • 匂いと、肩のフェチ。[1]
  • SかMかで言うと、「わ、わ、わたしってMなのかもー!と感じました。前までドSとか言ってたくせにね。笑 根はMなもんですから、なんか強気な人に見られがちなのが嫌で嫌で。いつも内心、子猫のように震えているのです。←クレーム受け付けません」[60]
  • 寮で一人暮らし。[15]両親から仕送りを貰っていたが、それは増田が貯めていた給料から出ていたらしく、結局、自分のお金だった。[61]
  • 化粧品やコスメにお金をかけており、特に香水を集めるのが好き。匂い好きで、アロマがないと夜は眠られない。[62]

ギャラリー

参加曲

シングルCD選抜曲

DIVA

  • 月の裏側
    • Fade out
    • インフォメーション
    • Blue rose -DiVA ver.-
    • 月の裏側 -RoyalMirrorball Mix-
  • Cry
    • No way out
    • 地下水道
    • MARIA -DiVA ver.-
    • MARIA -Original Track Cover-
  • Lost the way
    • 悲しみのMirage
    • 君はペガサス -DiVA Ver.-
    • 君はペガサス -Original Track Cover-
  • DISCOVERY
    • Believe in myself
    • Surrender
    • WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~

アルバムCD選抜曲

AKB48

  • 神曲たち」に収録
    • 君と虹と太陽と
  • ここにいたこと」に収録
    • 恋愛サーカス - Team B名義
    • 人魚のバカンス
    • ここにいたこと - AKB48+SKE48+SDN48+NMB48名義
  • 1830m」に収録
    • ノーカン - Team B名義
    • 青空よ 寂しくないか? - AKB48+SKE48+NMB48+HKT48名義
  • 次の足跡」に収録
    • 強さと弱さの間で

DIVA

  • 「DIVA」に収録
    • DIVA!
    • 一人想い
    • You should know it… - 秋元才加・増田有華名義
    • For tenderness

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html
  2. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10497432204.html 本人公式ブログ「4周年★増田有華」
  3. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10801472663.html
  4. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-10929726298.html
  5. ^ a b AKB48のオールナイトニッポン』 2011年4月8日
  6. ^ 『AKB48現象』
  7. ^ a b c d 『AKB48総選挙公式ガイドブック』
  8. ^ a b c d 『AKB48 VISUAL BOOK 2010』
  9. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10506402812.html
  10. ^ a b c 『奇跡体験!アンビリバボー』 2012/03/01
  11. ^ a b c http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10643057946.html
  12. ^ 2010年4月18日の日刊スポーツより
  13. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120108-00000001-cbn-soci
  14. ^ a b c http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10806668210.html
  15. ^ a b c http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10591682302.html
  16. ^ G.I.ゴロー』2010/08/02
  17. ^ 『明日までもうちいっちょ!』2010/08/13
  18. ^ AKB48のオールナイトニッポン』 2010/07/16
  19. ^ 『AKB48 じゃんけん選抜 公式ガイドブック』
  20. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10642240722.html
  21. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10655313620.html
  22. ^ http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10815590689.html
  23. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10824947141.html
  24. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10856110058.html
  25. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10863332174.html
  26. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10867743930.html
  27. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10918613728.html
  28. ^ 『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2011』
  29. ^ 『週刊朝日』 2011年12月23日号
  30. ^ 増田有華 投稿 - Google+ 2012年3月2日 ArKaiBu Gugutas
  31. ^ http://eiga.com/news/20111122/2/
  32. ^ http://www.oricon.co.jp/news/movie/2009564/full/
  33. ^ a b 『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』
  34. ^ 『日刊スポーツ』 2012年5月20日
  35. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11270959452.html
  36. ^ 『AKBINGO!』 2012年6月27日
  37. ^ 『柱NIGHT!』 2012/07/09
  38. ^ http://career.oricon.co.jp/news/2013768/full/
  39. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120708-00000082-spnannex-ent
  40. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11297864035.html
  41. ^ 戸賀崎智信 投稿 - Google+ 2012年7月10日 ArKaiBu Gugutas
  42. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11299489479.html
  43. ^ http://npn.co.jp/article/detail/13613219/
  44. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120712-00000006-scn-ent
  45. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年7月12日 ArKaiBu Gugutas
  46. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11300901658.html
  47. ^ http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201208030001
  48. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000313-oric-ent
  49. ^ http://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/f-et-tp0-20120827-1006928.html
  50. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120915-00000301-spht-ent
  51. ^ http://japan.techinsight.jp/2012/10/akbmasudayuka-minefujiko-gugu20121011.html
  52. ^ 『DVD MAGAZINE VOL.5D』
  53. ^ 『たかみな』
  54. ^ http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/menscyzo_20Oct2012_11998
  55. ^ a b c 『じゃんけん大会 公式ガイドブック2011』
  56. ^ 週刊AKB』2009年12月18日
  57. ^ AKBINGO!』2009年11月11日
  58. ^ http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10617045846.html
  59. ^ AKBINGO!』2010/08/11
  60. ^ http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11277367765.html
  61. ^ 明日までもうちょっと。』 09/08/31
  62. ^ 『明日までもうちょっと。』 09/08/31

外部リンク