「大家志津香」の版間の差分

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大家 志津香(おおや しづか、1991年12月28日 - )は、[[AKB48]][[チームA]]のメンバー。福岡県福津市出身。<ref>http://www.sanspo.com/akb48/news/120122/aka1201220504006-n2.htm</ref>ワタナベエンターテインメント(ビスケットエンターティメント)所属。
'''大家 志津香'''(おおや しづか、1991年12月28日 - )は、[[AKB48]][[チームA]]のメンバー。福岡県福津市出身<ref>http://www.sanspo.com/akb48/news/120122/aka1201220504006-n2.htm</ref>。ワタナベエンターテインメント(ビスケットエンターティメント)所属。


==略歴 ==
==略歴 ==
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:大家は「誇れるものが一つもない。歌も得意じゃないし、ダンスも苦手。MCもアドリブとか利かないし、急に振られるのとか苦手。容姿も良いわけじゃない」と語り、自分にコンプレックスを持っている。では周りの者は大家をどう思っているのか。インタービューが続く。[[戸賀崎]]「いいヤツですね。メンバーからもすごく人気がある。1[[期生]]のチームAの子たちだったり、後輩からも。男の子みたいな性格をしてるので、裏表がなく誰にでも分け隔てなく話しかけたりとか」。[[指原莉乃]]「AKBのみんな、しーちゃんの事を必要としている。たぶんしーちゃんの事を嫌いな人はいないです」。[[高橋みなみ]]「研究生時代が一番長い子だったんですよね。だからその分、苦しい時期もあったと思うんですよ。研究生では年期が上で、みんなをまとめなきゃいけなかったり。そういう意味ではすごく感謝してます」。[[小森美果]]「私が研究生に入って、しーちゃんがダンスとかMCとか喋り方とか、全部教えてくれました」。
:大家は「誇れるものが一つもない。歌も得意じゃないし、ダンスも苦手。MCもアドリブとか利かないし、急に振られるのとか苦手。容姿も良いわけじゃない」と語り、自分にコンプレックスを持っている。では周りの者は大家をどう思っているのか。インタービューが続く。[[戸賀崎]]「いいヤツですね。メンバーからもすごく人気がある。1[[期生]]のチームAの子たちだったり、後輩からも。男の子みたいな性格をしてるので、裏表がなく誰にでも分け隔てなく話しかけたりとか」。[[指原莉乃]]「AKBのみんな、しーちゃんの事を必要としている。たぶんしーちゃんの事を嫌いな人はいないです」。[[高橋みなみ]]「研究生時代が一番長い子だったんですよね。だからその分、苦しい時期もあったと思うんですよ。研究生では年期が上で、みんなをまとめなきゃいけなかったり。そういう意味ではすごく感謝してます」。[[小森美果]]「私が研究生に入って、しーちゃんがダンスとかMCとか喋り方とか、全部教えてくれました」。
:大家は、全チームのアンダーをこなし、研究生時代は大黒柱として、スタッフやメンバーから絶大な信頼を得てはいた。だがその活動は、あくまでそれは別のメンバーの「代役」としての活動。本人にスポットライトが当たっていた訳ではない。4期の同期はもちろん、後輩までも続々と昇格していったり、また逆に昇格できずに、夢を諦めAKBから去っていったメンバーもいる。大家は最初は親に芸能活動を反対され、無理して送り出して貰っていたが、この様な状況が続くのならば、福岡に帰って親孝行した方が良いのかとも思っていた。しかし負けず嫌いな性格もあり、今帰ってしまったら「頑張ってね」と言ってくれば人達に合わせる顔がない。それに周り子が頑張れているのに、自分も頑張れないわけない。だから今は、帰る事はまったく考えていないと語る。そして今現在の目標として、握手会で列が途切れない様にする事を挙げた。
:大家は、全チームのアンダーをこなし、研究生時代は大黒柱として、スタッフやメンバーから絶大な信頼を得てはいた。だがその活動は、あくまでそれは別のメンバーの「代役」としての活動。本人にスポットライトが当たっていた訳ではない。4期の同期はもちろん、後輩までも続々と昇格していったり、また逆に昇格できずに、夢を諦めAKBから去っていったメンバーもいる。大家は最初は親に芸能活動を反対され、無理して送り出して貰っていたが、この様な状況が続くのならば、福岡に帰って親孝行した方が良いのかとも思っていた。しかし負けず嫌いな性格もあり、今帰ってしまったら「頑張ってね」と言ってくれば人達に合わせる顔がない。それに周り子が頑張れているのに、自分も頑張れないわけない。だから今は、帰る事はまったく考えていないと語る。そして今現在の目標として、握手会で列が途切れない様にする事を挙げた。
[[高橋みなみ|高橋]]「こんな事言っちゃあれなんですけど、しーちゃんほど報われなかったメンバーはいない。だから本当にチームAに入った時、良かったなと思った。自分のチームで一緒にやれる事が、本当に嬉しかった。研究生時代が長かった分、花開いて欲しい。花に例えるなら、しーちゃんはタンポポ。ずっと咲いていたんですよ。でもなかなか綿毛が飛ばなくて。タンポポって身近な存在じゃないですか。でもなかなか誰にも気付いて貰えない。それがやっと綿毛が飛んで、地に綿が刺さって、ちょっとずつ芽が出ている時なんです。だからいつか咲いてほしいですね」。
:[[高橋みなみ|高橋]]「こんな事言っちゃあれなんですけど、しーちゃんほど報われなかったメンバーはいない。だから本当にチームAに入った時、良かったなと思った。自分のチームで一緒にやれる事が、本当に嬉しかった。研究生時代が長かった分、花開いて欲しい。花に例えるなら、しーちゃんはタンポポ。ずっと咲いていたんですよ。でもなかなか綿毛が飛ばなくて。タンポポって身近な存在じゃないですか。でもなかなか誰にも気付いて貰えない。それがやっと綿毛が飛んで、地に綿が刺さって、ちょっとずつ芽が出ている時なんです。だからいつか咲いてほしいですね」。
*11月19日、同じく『[[週刊AKB]]』にてその後が放送された。それによると反響は大きく、通常100件ほどのブログのコメントが、放送終了後は3500件も寄せられていたこと。そして11月14日に行われた『Beginner』の個別握手会での様子が放送された。この握手会の応募の締め切りは、前回の放送前にすでに終わってしまっているため、途中で列が途切れてしまうなど、人数が極端に増えた訳ではなかったが、昨今のバラエティでの活躍などもあり、それでも前回の握手会よりはファンは増えていた。また前回の『[[週刊AKB]]』を見たファンからは、温かい応援メッセージが寄せられた。<ref>『[[週刊AKB]]』 2010/11/19</ref>
*11月19日、同じく『[[週刊AKB]]』にてその後が放送された。それによると反響は大きく、通常100件ほどのブログのコメントが、放送終了後は3500件も寄せられていたこと。そして11月14日に行われた『Beginner』の個別握手会での様子が放送された。この握手会の応募の締め切りは、前回の放送前にすでに終わってしまっているため、途中で列が途切れてしまうなど、人数が極端に増えた訳ではなかったが、昨今のバラエティでの活躍などもあり、それでも前回の握手会よりはファンは増えていた。また前回の『[[週刊AKB]]』を見たファンからは、温かい応援メッセージが寄せられた。<ref>『[[週刊AKB]]』 2010/11/19</ref>
:放送後のブログには、「全然昇格できんで毎日バックダンサーをやりよった時『もうダメかも』って思った日もあったけど、1人でもうちの夢を応援してくれる人がおる限り頑張るって決めたやん』って自分に言い聞かせて頑張ってきたっ。昔から応援してくれよった人達のおかげで 今うちはAKBを辞めずにここにおるんやと思う。うちは、昔からうちを好きでおってくれとるファンの方も、[[週刊AKB]]を見てファンになってくださった方も、今うちの事を応援してくれとる全ての人をもう悲しませるような事はしたくないと思っとる。これからも夢に向かって頑張るので、こんな未熟者ですが よろしくお願いします!」と投稿した。<ref>http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/11/post_173.html</ref>
:放送後のブログには、「全然昇格できんで毎日バックダンサーをやりよった時『もうダメかも』って思った日もあったけど、1人でもうちの夢を応援してくれる人がおる限り頑張るって決めたやん』って自分に言い聞かせて頑張ってきたっ。昔から応援してくれよった人達のおかげで 今うちはAKBを辞めずにここにおるんやと思う。うちは、昔からうちを好きでおってくれとるファンの方も、[[週刊AKB]]を見てファンになってくださった方も、今うちの事を応援してくれとる全ての人をもう悲しませるような事はしたくないと思っとる。これからも夢に向かって頑張るので、こんな未熟者ですが よろしくお願いします!」と投稿した。<ref>http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/11/post_173.html</ref>

2013年7月14日 (日) 09:49時点における版

[[カテゴリ:研究生→チームAチームBのメンバー]]

AKB48 [[研究生→チームAチームB]]
大家 志津香 おおや しづか
ファイル:AKB48Profile2013 ooya shizuka.jpg
所属事務所

ワタナベエンターテインメント

生年月日

1991年12月28日 (32歳)

出身地

福岡県

血液型

O型

身長、体重

164cm

スリーサイズ

B84 W63 H89

合格期

4期生

選抜回数

1回

Property "チーム" (as page type) with input value "研究生→チームA→[[梅田チームB|チームB" contains invalid characters or is incomplete and therefore can cause unexpected results during a query or annotation process.

大家 志津香(おおや しづか、1991年12月28日 - )は、AKB48チームAのメンバー。福岡県福津市出身[1]。ワタナベエンターテインメント(ビスケットエンターティメント)所属。

略歴

2007年

2009年

2010年

  • 5月4日、AKSからワタナベエンターティメントに移籍。
  • 7月27日、チームA6th公演開始と同時に正式に正規メンバーに昇格。

2011年

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは、「できませんはいいません。福岡県から来ました、チームA大家志津香です」。
  • 公式ニックネームは「しいちゃん」だが、「しーちゃん」「しちゃん」など微妙に違うバリエーションがある。また一部ファンから「しーごり」と呼ばれることもある。「しーごりってあだ名がいままでのあだ名の中で一番気に入ってます。←寝言です」[2]
  • (2012年2月現在)メンバーの中で、最も昇格が遅かった。
  • 『なるほどHS』で行われたAKBの1番のバカを決める「ドッキリ学力テスト」にて小学生レベルの問題に挑戦し、100点満点中7点しかとれず最下位となる。「なるほどHSみた方! あのメンバーやったけん最下位なだけで、AKBにはもっとガチバカモンスターがおるよ。これまじまじ。ちなみにうちはバカじゃなくて、興味あることにしか興味ないタイプやけん。記憶力はないけど、暗記力は天下一品やとおもう。瞬間的に覚えるのは得意なんやけどねー。それを覚え続けるのが苦手やね。まあまあ元気に生きれてるだけで、よしとしましょう。健康が一番よ 健康が~」[3]
  • 現在、調理師免許を取得するために独学で勉強中。免許は、料理番組に出たいから取るらしい。[4]
  • 将来の夢は、バラドル。「今、目標はおらんかも。誰ともかぶらんような人になりたい」。[5]目標のタレントは、磯野貴理子。「息が長いマルチタレントになりたい。座る姿勢がキレイで体も細い。見習いたい」[6]

幼少期

  • 1991年12月28日、福岡県福津市で[7]父・正浩と母・清恵(すみえ)の子として生まれる。[8]
  • 「志津香」という名前の由来は、「まゆ」という名前の子がみんな可愛かったから、「まゆ」と付ける予定だったが、両親は生まれた大家の顔を見た瞬間に「まゆはダメだ」と思ったらしく、せめて静かな子になるようにという事で「志津香(しづか)」になった。[5]
  • 「しか」を「しか」と間違って書かれる場合もあるが、本人は「自分的に『づ』より『ず』の方がスキなんで大事な場面じゃない限り訂正しません」とのこと。[5]
  • 実家は、いけす料理「磯太郎」。[9]
  • 学生時代はダイビング部に所属しており、AKBに入っていなかったら、インストラクターになっていた。[5]
  • 初恋は16歳。相手は小林先輩。[10]

2007年

  • 5月、AKB48の第4期研究生オーディションに合格。AKBに入る以前からお笑い指向だったらしく、オーディションでは「合格したら劇場で何をしたいですか?」という質問に、「漫才」と答えていた。[10]
  • ところが運営側から一向に連絡が来ず。「あの時は、私もすぐに憧れのステージに立てると思った。なのに、いくら待ってもデビューの連絡は来ず、AKB48のホームページばかりを見ていました」[11]
  • 9月、やっとレッスンがスタート。「まだ正式じゃないってことで、安ホテルを探してそこから通いました」[11]
  • 10月、後輩となる5期生が加入。
  • レッスン期間が終わると福岡へ戻る。それからまたしばらくは間が空く。[11]
  • 12月、5期生の早い者が劇場公演デビューを飾る。「いつの間にか次の5期生の何人かがデビューしていて、あぜんとしたこともあったっけ」[11]

2008年

  • 2月、4期生の佐伯美香がチームBに昇格。翌月には倉持明日香がチームKに昇格するまど、同期の中から実力を認められて正規メンバーへ昇格する者も出始める。
  • 2月、4期と5期の地方出身者5人(指原莉乃(大分県出身)、北原里英(愛知県出身)、元研究生の冨田麻友(香川県出身)、現SKE48の中西優香(愛知県出身))で、約1ヶ月間だが共同生活をする。「東京では、マンションの一室で数人のメンバーと共同生活をする事になりました。みんな初対面でしたが、4期生は私ともう一人だけで、あとは5期生。(私は)デビューはまだでしたが、レッスンは受けていましたから、一応先輩だったんです。[11]
  • 数日後、チームBの曲『純情主義』のバックダンサーを再度選考する事が告げられました。まだ出番はなかったものの、すでに私はメンバーに選ばれていたんです。「なぜまた選考するんだろう」と不思議に思いました。それでも、前日は、部屋に戻ってからも朝方まで練習しました。先輩としての意地というか、がんばりを見せたかったんです。ところが、選考が終わってみると、後輩たちは全員選ばれたのに、私だけが外されてしまいました。悔しくて情けなくて、でも同じ家に帰らなくちゃいけないのがつらくて、「コンビニに寄るから」と一人、近所の公園へ向かいました。今度こそ、ステージに立てると思ったのに、どうして私だけ。本当は必要とされていないのかな…。家族にも心配をかけて、両親ががんばって稼いだお金で東京にまで出してもらって、なのに私は後輩にも抜かされて、夜中に一人でブランコに揺られている。何やってるんだろう。寂しかった…。でも同室の子たちには電話できません。甘えてはいけないと知りながらも、母に電話していました。もう夜中の1時過ぎでしたが、受話器から眠たそうな声が聞こえてきました。「どうしたん?」。その瞬間、こらえていたものが、後から後からあふれ出て私のほおを濡らしました。私はその日のことを話しながら、心の中で叫びました。帰りたい!福岡に帰りたい! 「夜中に一人で外にいちゃダメよ」と優しくしかった後、母が言いました。「志津香。人と比べたらいかん。結果は今じゃないって思わんといかんよ」。父母は地元で小料理店を営んでいます。だからいつも忙しくて、夜ご飯さえ家族で食べることはほとんどありませんでした。「友だちの家みたいにご飯は一緒に食べたい!」。母にせがむと、いつも申し訳なさそうに「人と比べたらいかんよ」と言われたことを思い出しました。父も母も私のために、一生懸命働いてくれている。まだ帰るわけにはいかない。人と比べたらいかん。結果は今じゃない。私はケータイを取り出すと、ルームメイトに電話をかけ、心配させたことをわび、そして、「これからもよろしくね」と告げました。夜空を見上げると、きれいな月が浮かんでいました」[11]
  • 3月1日、北原や指原が、チームB3rd公演の『純情主義』バックダンサーで劇場デビュー。
  • 約1ヶ月間で地方組での同居終了。その中の一人であった北原と2人暮らしを始める。
  • オーディション合格からおよそ1年後に、大家は劇場公演デビュー。
  • 7月、一緒に住んでいた後輩の北原がチームAに昇格。さらに宮崎・指原・仁藤などの後輩も続々と昇格を決め、さらには選抜入りやレギュラーラジオ番組を持つなどの活躍を始める。
番組で北原に宛てた手紙。「今だから言いますが、一緒に住んだ事を後悔したこともありました。一緒に住んですぐ、りえこは色んな仕事があり忙しい中、お仕事がほとんどない私は、家にいる日々。りえこにばれないように、よくベランダで泣きました。一緒に住んでなければ、これほど差を実感することはなかったかもしれないのに…と思いました。仕事の報告をされても素直に喜べず、冷たい態度をとったこともありました。でも今思えば、りえこみたいに素直に感情を出せず、冷めた態度をとり続けていた私に、『好き!好き!』と、今でもずっと言ってくれることを、不思議に思うと同時に、りえこに心からありがとうを言いたいです」[12]
  • 指原によると、この頃の大家はなかなか昇格できなくて悩んでいたらしい。[13]

2009年

  • 1月、研究生に対し初めてセレクション審査が行われる。対象はその時いた4~7期研究生だが、この時の審査に落ち卒業となったのは、全員4期生か5期生だった。つまり、研究生として長いこと頑張ってはきたが、なかなか昇格できないとか、ファン人気がついてこないという、言わば“芽が出なかった古い世代”。メンバーをAKBから強制的に卒業させるというセレクション審査が行われる様になったのは、夏まゆみの「ちゃんと宣告することも優しさ」という言葉を元に、行う様になったもの。はっきり言ってしまえば、クビ宣告。
実は運営側は、大家をこの時に行われた審査で落とす予定だったが、その時にたまたま小嶋陽菜篠田麻里子が劇場に居て、事情を聞いて「大家は頑張っているから、絶対に落とさないでください」と言ってきた。もちろんその言葉のみで合否を決めた訳ではないが、「誰を残すべきか?」という事を考え直すキッカケにはなり、最終的に大家の様な子を落としちゃしけないんだなと思い、大家はクビを免れる事になった。大家はその二人の一言により、奇跡的に救われていた。[14]
  • 8月23日、『AKB104選抜メンバー組閣祭り』最終公演にて、チームのメンバーシャッフルが行われ、大家も研究生からチームAへと昇格する事が発表された。戸賀崎が名前を読み上げると、大家も腕を突き上げて喜びを表し、高城亜樹と抱き合いながら嬉し涙を流した。大家の苦労を知るファンからは「おぉ」というどよめきが起こった。
だが当時の大家はメディア出演が少なく、劇場公演を見ていないファンの中には、知らない人も多かった。ちなみに大家は4期生。同期が昇格し、後輩の5期、6期の一部メンバーにも抜かされ、7期生らと同じタイミングでの昇格となった。そのため今のファンからは、7期の一人ぐらいに思われているらしい。4期(同期)や5期(後輩)のメンバーとは普通にタメ口で接しているが、ブログに「なんで先輩を呼び捨てなの?」などと書かれた事もあるとか。[15]
  • 2007年5月にAKB48研究生となってから、2010年7月に正規メンバーに昇格するまで、実に3年2ヶ月(劇場デビューから数えても2年4ヶ月)という最長研究生在籍記録を持ち、長い下積み時代を送ってきたという誰もが認めるAKB1の苦労人。AKB48には、生まれ持ったアイドル性で、あっという間にスターダムにのし上がった子もいるが、その対極に居るとも言えるのが大家。無ければ作るしかない。同期や後輩までもが次々と日の当たる場所に飛び出して行くのを横目で見ながら、それでも今、自分に出来る事を最大限の努力で行ってきた。ダンスや歌の練習で流した汗は誰よりも多い。[16]
  • 大家は研究生として、他のメンバーの振り付けまで覚え、主に正規メンバーの代役(アンダー)として長い間活動してきた。しかし、同期や後輩がどんどん昇格して行き、大家は勝手に「大家はそろそろ潮時」みたいな空気を感じ、自暴自棄になってた時期もあった。それが研究生時代の一番辛かった事と、後に語っている。[5]
  • 3年間も研究生で頑張れた原動力は、「まず4期オーディションで落ちた子の分も頑張らないとってのが1つ。あと応援してくれる人が1人でもいるうちは頑張るって決めたからってのが1つ。まぁ1番はやりたいことがあるから。あとは負けず嫌いってのもあるかな」。[5]
  • 一番励みになった言葉は、「みんなが出来なくて、しーちゃんには出来ることがあると思う」[17]
  • また歌やダンスだけではなく、笑いのとれるMCや一発芸を猛勉強し、『AKBINGO!』では、一点倒立やマトリックス牛乳のみなどの身体を張った一発芸を披露し、笑いを取った。『なるほどハイスクール』ではスカイダイビングにも挑戦した。
  • 大家の正規メンバーへの昇格が決まると、指原の母親は自分の娘の事のように喜んでくれたとか。
  • ファンに一言。「いつ消えるかわからないような私を信じて、今までついてきてくれて、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします」[10]
  • 大家にとってAKB48とは、「賭け」らしい。[5]その意味は「失敗したら大切なものを失う覚悟で、思い切ってすること」[10]

2010年

  • 「Cトーク」という話術を身に付け、2010年5月、ラジオ『明日までもうちょっと。』に初登場した時には高評価を受けた。
  • 7月からは、ラジオ『AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』の第3期パーソナリティに選ばれた。現在は、AKB48のバラエティ担当として、体を張ったり、身を削ったトークで活躍している。
  • 7月27日、チームAへの昇格が発表されてからおよそ1年。延期に次ぐ延期で、延び延びになっていた6th「目撃者」公演にて、AKB48チームAの正規メンバーとしてデビュー。大家は自身のブログで「ほんとにteamAなんだと実感しました。自分の衣装がありました。自分のポジションがありました。自分のユニットがありました。幸せでした」と感想を綴っている。[18]
  • 8月、『AKBINGO!』のムチャぶりドッジボールに初参加。ジャンプボールを相手に取られ、そのまま一瞬でアウトになってしまった。大家へのムチャぶりは「かき氷を1分間で食べる」というもので、かき氷がブルーハワイだったため口から水色の液体が零れているという異様な絵面に、さらには鼻水まで出すというAKBのバラエティ班として、アイドルを超えたシーンが放送された。
  • その後もよく番組などには呼ばれる事が多くなってきており、特に『AKBINGO!』ではレギュラー出演している。10月のムチャぶりドッジボールでは「水風船キャッチ」に挑戦。上から落下してくる水風船を額のザルで受け止めるゲームだが、ザルの縁にはギザギザが付いており少しでもズレると顔が水浸しになるというもの。バラエティ担当としてはある意味おいしい場面だったが、水風船はザルにバウンドしてそのまま地面に落下。テレビ的には最悪の結果になってしまった。見ているメンバーは苦笑いし、本人も「(やっちまった)」という感じで手で顔を隠した。大家にとっては、水を被るよりも辛い罰ゲームになってしまった。[19]
  • 9月に行われるじゃんけん選抜について。「センターを取りたいとは思ってないんですよ。だって私がセンターなんかになったらAKBの未来が…。たくさんのアンチに不本意に叩かれそうだし(笑)。センターは荷が重いです。私のファンの人もそこまでは求めていないと思います」とコメント。[20]大会当日は大波乱となり、選抜未経験だった8名が選抜入りを果たしたが、残念ながら大家は勝ち進む事は出来なかった。
  • 11月5日、『週刊AKB』にて特別企画「大家志津香の苦悩」が放送された。これで知名度を上げる事になり、その苦労に満ちたAKBメンバーとしての経歴が広く知れ渡ることになった。
番組の内容は、突如涙のインタビューから始まり、次にその理由の一つ9月5日幕張メッセで行われた劇場盤『ベビーローテーション』握手会の模様が映し出された。「劇場盤」とは、通販サイト・キャラアニで販売されているもので、ここでの売り上げ枚数によって、次の握手会に参加する時間が決まってくる。大島優子前田敦子などの人気メンバーは、1日に6部(9時間)もの握手を行うのに対し、売れ行きが芳しくなかったメンバーの時間は短く設定され、最短の場合わずか1.5時間。全国握手会の場合は参加するメンバーが限られており、レーンはメンバーは2人1組でペアを組んだりして、なるべく人気が分散する(列の長さが同じようになる)ようになっているが、「個別」握手会の場合は全員参加で、レーンは一人ずつ。メンバーの人気は、「列の長さ」として露骨に出てしまう。その為、メンバーやそのファンは辛い思いをする事になり、「残酷」という意見は昔からあった。[21]
この日の握手会では、大家は最短の1.5時間。それでも列に並ぶファンは少なく、度々列が途切れてしまっていた。そして大家は涙を浮かべ、バックステージへと戻っていってしまった。後日『週刊AKB』のスタッフが大家本人からインタービューしたところ、やはりファンが少なかった事、そしてファンが列を途切れさせない様に必死で走り回ってくれていた事などを挙げた。泣いてしまった理由は、人数の少なさを見たファンから「何でしーちゃんの魅力を分かってくれないんだろうね」「列が少ないのは、僕たちもショック」と言われ、自分が辛いだけではなく、ファンにも辛い思いをさせてしまった事で、思わず涙が出てしまったのだという。
大家は「誇れるものが一つもない。歌も得意じゃないし、ダンスも苦手。MCもアドリブとか利かないし、急に振られるのとか苦手。容姿も良いわけじゃない」と語り、自分にコンプレックスを持っている。では周りの者は大家をどう思っているのか。インタービューが続く。戸賀崎「いいヤツですね。メンバーからもすごく人気がある。1期生のチームAの子たちだったり、後輩からも。男の子みたいな性格をしてるので、裏表がなく誰にでも分け隔てなく話しかけたりとか」。指原莉乃「AKBのみんな、しーちゃんの事を必要としている。たぶんしーちゃんの事を嫌いな人はいないです」。高橋みなみ「研究生時代が一番長い子だったんですよね。だからその分、苦しい時期もあったと思うんですよ。研究生では年期が上で、みんなをまとめなきゃいけなかったり。そういう意味ではすごく感謝してます」。小森美果「私が研究生に入って、しーちゃんがダンスとかMCとか喋り方とか、全部教えてくれました」。
大家は、全チームのアンダーをこなし、研究生時代は大黒柱として、スタッフやメンバーから絶大な信頼を得てはいた。だがその活動は、あくまでそれは別のメンバーの「代役」としての活動。本人にスポットライトが当たっていた訳ではない。4期の同期はもちろん、後輩までも続々と昇格していったり、また逆に昇格できずに、夢を諦めAKBから去っていったメンバーもいる。大家は最初は親に芸能活動を反対され、無理して送り出して貰っていたが、この様な状況が続くのならば、福岡に帰って親孝行した方が良いのかとも思っていた。しかし負けず嫌いな性格もあり、今帰ってしまったら「頑張ってね」と言ってくれば人達に合わせる顔がない。それに周り子が頑張れているのに、自分も頑張れないわけない。だから今は、帰る事はまったく考えていないと語る。そして今現在の目標として、握手会で列が途切れない様にする事を挙げた。
高橋「こんな事言っちゃあれなんですけど、しーちゃんほど報われなかったメンバーはいない。だから本当にチームAに入った時、良かったなと思った。自分のチームで一緒にやれる事が、本当に嬉しかった。研究生時代が長かった分、花開いて欲しい。花に例えるなら、しーちゃんはタンポポ。ずっと咲いていたんですよ。でもなかなか綿毛が飛ばなくて。タンポポって身近な存在じゃないですか。でもなかなか誰にも気付いて貰えない。それがやっと綿毛が飛んで、地に綿が刺さって、ちょっとずつ芽が出ている時なんです。だからいつか咲いてほしいですね」。
  • 11月19日、同じく『週刊AKB』にてその後が放送された。それによると反響は大きく、通常100件ほどのブログのコメントが、放送終了後は3500件も寄せられていたこと。そして11月14日に行われた『Beginner』の個別握手会での様子が放送された。この握手会の応募の締め切りは、前回の放送前にすでに終わってしまっているため、途中で列が途切れてしまうなど、人数が極端に増えた訳ではなかったが、昨今のバラエティでの活躍などもあり、それでも前回の握手会よりはファンは増えていた。また前回の『週刊AKB』を見たファンからは、温かい応援メッセージが寄せられた。[22]
放送後のブログには、「全然昇格できんで毎日バックダンサーをやりよった時『もうダメかも』って思った日もあったけど、1人でもうちの夢を応援してくれる人がおる限り頑張るって決めたやん』って自分に言い聞かせて頑張ってきたっ。昔から応援してくれよった人達のおかげで 今うちはAKBを辞めずにここにおるんやと思う。うちは、昔からうちを好きでおってくれとるファンの方も、週刊AKBを見てファンになってくださった方も、今うちの事を応援してくれとる全ての人をもう悲しませるような事はしたくないと思っとる。これからも夢に向かって頑張るので、こんな未熟者ですが よろしくお願いします!」と投稿した。[23]
  • 12月15日、パーソナリティを務める番組『AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』にて、勝つと「ビッグエコー招待券(30時間分)」が貰えるというコーナーが行われる。大家は景品に異様に興奮し、ガチで獲りに行くと宣言。テーマは「自虐バトル」で、自分の気持ち悪い所を発表するというもの。大家が公表したのは、「排水溝に溜まった石鹸カスが付いた髪の毛を、ジッパーに入れてこねるのが好き」と、「研究生公演が6日連続3公演あった時、4日間下着を替えなかった」というもの。ちなみにパンツの、「大切な所に当たる部分はシートはしてました」だとか。あまりにもぶっちゃけ過ぎるトークにメンバーも「最低だ」とドン引き。大家はスタッフに「ピー」を入れて欲しいと頼んでいたが、結局全てオンエアされてしまった。しかし勝負には勝利し、見事景品は手に入れた。[24]
  • 12月17日、大家のブログは面白いと度々『AKB48のオールナイトニッポン』の「メンバーのこのブログが凄い!」でも取り上げられ、この日は年間ランキングの2位を獲得した。記事は「[[1]]」」で、内容は大家がQRコードを模写し、それが読み込めるかどうかに挑戦したというもの。高橋と河西が次の1位を取った指原のブログを紹介していると、前田が突如「すご~い」と騒ぎ始める。どうやらスタッフがコピーした大家のブログを、実際に前田が携帯で読み込んでみたところ、成功したらしい。すると次の瞬間、前田と河西が大爆笑。理由は、そのQRコードを読み込むと、ワタナベガールズモバイルの大家の所に繋がるらしい。それが前田のツボだったらしく、顔が真っ赤になるほど笑っていた。結果、1位を取ったはずの指原と高橋(指原のブログの内容が高橋についてだった)が、スベッた感じになってしまったが、前田曰く「これ(大家のブログ)が1位でいいんじゃないかな」[25]
  • 12月28日、AKBに入って初めての生誕祭が行われた。「入ってから3年半くらい経ったけど、生誕祭をちゃんとこうやってステージの上でやってもらう事がまだなくて。やってもらえないままAKBから居なくなっちゃうんじゃないかと思った日はあったけど、それでもファンの方みんなついて来てくださって、今日生誕祭をやって頂いて、本当にありがとうございます」[26]

2011年

  • 1月、ナベプロ移籍後、露出は格段に多くなった。しかし推される者が、叩かれるのはAKBの宿命。色々とバッシングも多くなった。そんな大家には、言いたい事があるという。
「私はブサイクだ。自覚はある。なのになぜ色々な所で、『ブス』と叩かれなければいけないのだろうか。分かっている事を、なぜ言われなければいけないのだろうか。確かに、私がこの顔で、『すげー自分大好き。可愛過ぎる』みたいなオーラを放っていたのならば、叩いても構わない。それは、自分がブサイクな事に気づいてないから、教えて貰うべきだと思う。私の顔が嫌いな人は、私がテレビに出ていたりしたら不快な気持ちになるだろう。それは謝る。ごめん。でも、それをブログに書く必要があるだろうか? 私の顔が嫌いなら、直接会いに来て欲しいと思う。握手券を買ってまで、私に『ブス』と言いに来るがよい。そこまでして伝えたいのならば、私は認める。ブログに『ブス』と書いてもいいぞ。おめでとう。ただし、私は思う。お金を払ってまで、私に『ブス』と言いに来ること、それはもはや、私の事は嫌いじゃないと思う。本当に嫌いなら、そんな事はしないだろう。嫌いな人のためなんかに、アクションを起こそうとは思わない。だから言いたい。ブログに『ブス』と書いたり、掲示板に『ゴリラ』と書いたりする人は、きっと知らぬ間に私に興味を持っているのだろう。あぁそうだろう。きっと私の事を嫌いだったはずなのに、だんだんと惹かれ始めている自分に気付きはじめたんだと思う。でも、その事実を認めたくなくて、悪口を書いて、自分に『好きじゃない』と思い込ませようとしているのだ。よって、行動力のあるアンチ大家の諸君、君は今日から大家ファンに認定する。おめでとう」
このスピーチにメンバーからは拍手喝采。大家の主張には共感できるという。大家「同意できるでしょ」。石田「すごい同意できる」。大家「これは全員の意見が一致しました」。石田「ブログに書くなよ。お前ら」。咲子「そうだよ。それで1時間語れるぞ」。田名部「分かってんだよって思うよね」。石田「意外に傷つくんだぞ。お前ら」。[27]
  • 5月25日、第3回総選挙の速報が発表。「私は32位でした。速報の32位で名前呼ばれた時はびっくりした。びっくりというか…ほんとに自分には珍しく頭が真っ白になりました。今までの総選挙3回とも40位以内に入った事なかった私は、正直速報も入ってないやろ って思ってました。予想外の出来事で、どうしたらいいか分からんくて呆然とした。だってこんな凄いことないよ本当に…! 今冷静に考えたら、ちゃんとステージでみなさんにありがとうございますって言えばよかった。すごい後悔。この場をかりて…みなさんありがとうございます!! ほんとにありがとうございます!! まだ速報ですが、6月9日まで見守ってください!」[28]
  • 6月9日、最終結果ではさらに順位を上げ、29位で終えた。「29位なんて考えられません本当に…。これは私の力なんかじゃないです。みなさんの応援 支えがあったからこその、みなさんのおかげで頂けた大切な順位です。 どうしても伝えたい事があるけんここに書きます。大家は 去年に『週刊AKB』で特集をやっていただきました。大家は自分の実力不足のせいで、傷付く必要のないファンの方を傷付けてしまいました。その思いを汲んでくださり、週刊AKBでやらせていただいたファン増員大作戦企画。あの企画で、たくさんの方が握手会に来てくださるようになりました。1年前じゃ考えられないほど新しいファンの方が増えました。でも、昔から応援してくださってるファンの方の中には《自分たちは前から応援してたのに遠くにいってしまった気がする》とか《寂しい》とか思っている方もいる事を握手会で言われたり、お手紙を頂いたりで知っています。でも大家は、昔から応援してくれてる人の事を忘れたりしてませんから! まじ大切やし…。まず、昔から応援してくれよった人あっての現大家で現大家あっての 今応援してくれよるみなさんやけん!! やけん寂しいとか遠くにいったとか思わんで。大家にとって昔から応援してくれよる人も、最近大家を知って応援してくれよる人、みんな同じ心から大切で大好きな《大家族》やけんね。みんなのことをこんな大切に思っとる気持ち分かってくれまじで。…だいぶ力説したはずやけど伝わったかいな? とにかくしーちゃんは、しーちゃんを応援してくれて必要としてくれとるみんなが大好きです。このご恩を少しずつ返していけるように、日々精進してまいります!! これからも応援よろしくお願いいたします!! とかまじ真剣すぎる自分ワロス いやーこれあれやね。夜の妙な感情に任せて熱く語ったものの、次の日見たらまじ恥ずかしくなるやーつやね完全に 笑。ポエマーポエマー 笑。でもいっか今日くらい 笑。みんなも後日見て一緒に恥ずかしくなろうぜ★ 当分真面目なブログは書かんやろな!笑」[29]
  • 総選挙後のインタビュー。―初ランクインおめでとうございます。「ありがとうございます。でも、後になってやっぱり不安になりましたね。私がこの順位なのはおかしいと思う人がいるかもっていうのと、こんな順位を貰ったのにそれに見合う活躍ができるのかなって」。―今回良い結果が出たし、自信は付きました? 「結果は嬉しい…けど自信は…(付かない)。今回は自分の力は一切無くて、ファンの皆さんのおかげと、やっぱり『週刊AKB』の特集が大きいです」。―今後について。「いちばん嬉しい誉め言葉は『おもしろい』なんてすよね。『AKBとXX!』で毎回いろいろなことをやらせて頂いて。バラエティはすごく楽しくて、自分に合ってる気がします。将来は森三中さんみたいに、体当たりロケが出来るようになりたいです」[30]
  • 7月16日~31日(東京公演)と8月10日~14日(大阪公演)、舞台『DUMP SHOW!』に、星組として倉持明日香と共に主演。
  • 9月20日、第2回じゃんけん大会には、魅惑のバニーガール姿で登場。理由は、「バニーガールの衣装で負けたら恥ずかしいな、と。そうやって自分を追い込んでみました」。[31]初戦でAKB48加入前からファンだった小林香菜を下すと、その後は波に乗って勝ち上がり、見事6位に。念願の初選抜を決めた。長い下積みでも決して腐らずにチャンスを待った大家。メンバーからの人気が非常に高く、誰からも信頼されるムードメーカーだ。選抜経験は1度もないが、ひたむきに努力を続ける姿と、その苦労人生がじわじわと人気を集め、第3回総選挙では29位に躍進。今回は小嶋、篠田や北原と共に夢の選抜入りを果たした。前田敦子も自身のブログで「大好きなしーちゃんも6位に。初選抜入りおめでとう! 跳び跳ねて喜びました」と大家を祝福した。[32]
  • 11月、特番のクイズ番組『ミラクル9』に出演。翌年1月11日から『ミラクル9』がレギュラー番組化され、以後も回答者として引き続き出演している。
  • 12月8日、AKBは米グーグルと提携し、同社のSNS「Google+」を活用していくという、世界戦略を発表した。開始からメンバーは次々に投稿し、他のメンバーとのやりとりなど、SNSらしいファンサービスなども行っている。しかし、あるメンバーたちの行為がにわかに話題となっている。発端は、大家が「問題です。私はいまどんな体勢で寝てるでしょう?」と投稿したことから始まった。この質問にさまざまな答えが寄せられ、メンバーの松井咲子も「卍(まんじ)」とコメント。大家は「正解者は咲子でした~」として、手でポーズを取ったのだが、実はこれが卍形ではなくハーケンクロイツでは、と話題になった。間違いに気付いた松井が「いやいや正しくはこれ」と、正しい卍の形を自ら表現し、訂正写真をアップしている。
では今回問題になった「ハーケンクロイツ(逆さ鉤十字)」とは何なのか。これは、まんじと同起源で、右鉤。すなわち、卍とは逆になっているマーク。この印は、1919年以来、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党旗に、35~45年にはドイツの国旗にも用いられたことで有名なマーク。ナチスは1939年にポーランドへ侵攻し、それがキッカケとなり第二次世界大戦が勃発。また、大戦中にはユダヤ人を大量虐殺しており、欧米諸国では「ナチス」や、その象徴である「ハーケンクロイツ」を未だにタブー視する傾向が強い。実は、以前にもロックバンド・氣志團が軍服を模した衣装にハーケンクロイツが付いた腕章を付けテレビに出演し、ユダヤ人人権団体からクレームを受け、謝罪する騒動になった事もあった。番組側も再放送の予定を中止し、ウェブサイト上での放送告知や写真の記事を削除した。また、人気ゲームである『ポケットモンスター』のカードゲーム版でも、ハーケンクロイツに見える描写があり、ユダヤ人団体からクレームが付けられ、デザインを変更したこともある。
ではなぜ今回、この様な問題が起こってしまったのか。それは、「Google+」がスタッフによるチェック(検閲)を受けていないため。通常、芸能人のブログというのは、投稿内容によって何か問題が起きない無いように、不適切発言やNG項目に抵触していないか、きちんとチェックしてから掲載される。AKBも大抵の事務所はブログをチェックしているが、実はこのチェックという作業は大変で、事務所によっては1日何件という投稿制限がある場合もある。しかし「Google+」に関しては、開始時に運営側が「メンバーの投稿内容はチェックしない」ことを明言している。秋元康「私も正直どうなるか分からない。メンバーの発言は、どこかで大人がチェックするものだったが、今後はメンバーを信じてやってみます。言葉足らずだったり、誤解されることもリアルなこと。心配はあるが、親として独り立ちさせたい」[33]
現在AKBは、利用規約に抵触する13歳未満以外の姉妹グループを含む百人以上のメンバーが「Google+」を利用しており、投稿される記事や、他のメンバーの記事に対するコメントなどは膨大な数に上る。すべてをチェックすることは非常に困難であるが、チェックが無いぶん、タイムラグがなくやり取りにリアルタイム感があること、深夜であっても更新されるなど(ブログやモバメは時間指定もある)、ファンにとっては嬉しい一面もある。
今回の件は、何らか意図があってのものではなく、ただの間違いだと思われ、大きな騒動になることも無いと思われる。しかしAKBはこれまでにも、ブログやモバメ、ツイッターなどのツールを使用して、騒動となるような問題がたびたび起きており、「Google+」だけ起きないという保証はどこにもない。だがそれを承知で運営側は、メンバーに任せるという選択肢を選んだ。「JKT48」や「TPE48」など、海外姉妹グループも増えつつあるAKB48グループ。それに伴い、海外公演の数も「交流」という形で増えることも考えられ、グローバル化を進めるには「Google+」は欠かせないツールになる可能性があるが、迂闊なことをしてしまうと、海外規模の大問題に発展してしまう危険性も孕んでいるという諸刃の剣でもある。[34]

2012年

  • 4月2日、TBS系情報番組「ひるおび!」で柏木由紀と森田美位子が担当していたお天気キャスターを、この日から柏木を含むAKBメンバーが日替わりで担当することが番組内で発表された。担当は、ナベプロ所属の柏木、高城亜樹倉持明日香大家志津香佐藤夏希の5人。[35]
  • 5月8日、昨年の選抜総選挙で、初めて圏外を免れ29位にランクインした。テレビ東京系『週刊AKB』の企画で選挙活動をしたことが勝因だった。「今年はその企画がないから真価が問われる。マジで下がりたくないっすね」。週3回、1時間ほどのランニングで4キロ減量に成功。テレビ朝日系クイズバラエティー『ミラクル9』にも解答者として出演するなど活躍の場を広げてきた。[6]
  • 5月、戸賀崎「『ミラクル9』が始まってから、バラエティでの立ち位置を確立してきている感じ。公演で篠田のムチャぶりに応えたり、進んでバカをやる姿が、チームの雰囲気を良くしている。飛び抜けたムードメーカーになりました」[36]
  • 6月6日、第4回総選挙では59位にランクイン。「結果は59位でした。まず謝りたいことがあって、舞台上でのコメント、すごくヘラヘラしてごめんなさい。真面目に話そうと思ったけど、真面目に話したら泣いて喋れないと思ったんです。生放送という事もあり、自分のコメントで時間を取るわけにはいかないと思って、なんだか変なコメントで終わらせてしまいました。不快に思われた方、申し訳ありませんでした。本当はいっぱい言いたいことがあります。私は、順位は下がったとしても去年の票数を上回りたいな、と。それが目標でした。でも現実的には、2000票近く票数が落ちていました。去年は『週刊AKB』などで特集していただき、私のファンじゃないかたも投票してくださったのが現実です。で、今年の票数がきっと私の真意になるんだろうなと思ってましたから、これが 私の本当の数なんだと思います。でも 票数が減ったとしても、もしかしたらこの票数の中には、小学生が一生懸命お小遣いを貯めて入れてくれた一票があるかもしれません。食事大好きな人が食費を削って入れてくれた一票があるかもしれません。一票一票に 心から 感謝してます。ありがとうございます。それしか今は言えないです。選挙期間中、きっとみなさんも息苦しい日々をおくっていたんじゃないかな。なにかに終われる日々だったんじゃないかな。終わりました、選挙。ありがとう、お疲れ様です。今日はゆっくり休んでください。そんな思いをさせてごめんねっ。、、ごめんなさい。いつでもみなさんは私の大切な人です。ありがとうございました!」[37]
  • 6月16日、先日の騒動の責任を取る形で、親しかった指原莉乃HKT48へ移籍することが発表された。「さしはらHKT移籍なんですか。指原は昔から、ひとりでかかえこんで、なんも話してくれんけんもう分からんよ…。千葉コンサートの時に指原がなんか変だなときづいたけど、もっと前から頼ってくれればよかったのに 」[38]「私にできる事はほんと些細でしょうが、少しでも指原を支えていけたらと思います。ファンのみなさま、メンバーはみなさんのコメント、コンサート等での声援にみなさんの思ってる以上に支えられているものです…。一緒に指原の力になれたらとおもいます。応援してます 指原」[39]
  • 6月21日、NHKバラエティー番組「日村・土田・塚地の爆笑TEPPANストリート」の収録が行われ、メイン司会を務めるバナナマン日村勇紀、土田晃之、ドランクドラゴン塚地の他、ゲスト出演する梅田彩佳と大家志津香、元モーニング娘の矢口真里が収録後の取材に応じ、コント番組の感想を語った。収録を終えて矢口は開口一番「身を削りました」と声を上げ、「今までで一番緊張しましたし、いろいろ出しすぎちゃった。オンエアを観るのが怖い」と赤面。AKB48でコント番組経験者の梅田は「今年の目標は売れることですが、今までいかにぬるま湯にいたか思い知らされました」と恐縮。昔モーニング娘。のオーディションを受けたこともあるといい、「矢口さんを見て、売れるためにはあれだけ身を削らないといけないんだとわかりました」と脱帽した。また、天然キャラとしてバラエティーで定評のある大家も「矢口さんは面白いプラスかわいいので最強だなと思いました。わたしももっとお茶の間でうけるようにがんばりたい」といい刺激を受けた様子で、「ファンの方はこういうわたしを嫌がるけど、本来はこういうお笑いをしたいので、受け止めていただけたらと思います」とアピールした。[40]
  • 6月25日、「“努力は必ず報われる”かと問われると、はい。と答えられない現実的な自分がいる。でも、やって無駄なことってないと思うのです。後ろ向きな発言と思われるかもしれないが、私は過去が凄く好き。それはネガティブな意味でなく。辛い事 悲しい事あるけど、過ぎてしまって振り返ると、その辛い過去も悲しい過去も全部素敵な思い出に思えるんです。私はね。そういう意味ではきっと、過去が好きと未来が好きは紙一重な気がするのです。研究生のときの辛い時間も悔しい時間も、あの時は苦しくて苦しくて早く抜け出したくて..でも今となっては素敵な思い出、そしてあの時間があってよかったな。と思える。きっとみんなもそうだと思う! 素直な涙が出て素敵な気持ちにさせてくれた。色んな気持ちを思い出したよ。ありがとう 昇格おめでとう、なぁな まりんちゃん いずりな わかにゃん あーやろいど なっつん! 私も負けないように頑張るよー!!!!」[41]
  • 7月10日、『有吉AKB共和国』で行われた“メンバーの噂を検証する”という企画。有吉「“大家志津香を救ったのは小嶋陽菜と言われているが、実は小嶋は救う気が無かった”」。小嶋「どういうこと」。有「“AKBをクビになりかけたが、小嶋と篠田が救ってあげた” これ本当?」。大家「篠田さんが直接『大家辞めさせないで』って言ってるのを聞いたんですよ。けど小嶋さんのを聞いてなくて」。指原「でもさ、2人ってことになってるよね」。小嶋「なってる」。大家「サイトではそういう風になってるし、公式の本とかでもそういう風になってるから。もしかしたら、小嶋さんも陰で言ってくれてたんじゃないかって思ってるんです」。有「そうだな」。小嶋「あの、研究生のレセプションっていうのがあって…」。指原「それセレクション」。一同「レセプションパーティー?」。大家「研究生うかれ過ぎ」。小嶋「研究生になったけど、その後に大人の人達が審査をして、ふるいにかけられる。そういうのがあって、しーちゃんが色々協議にかかっている所を、麻里ちゃんが『しーちゃんめっちゃ面白いから辞めさせないで』みたいな。『ねっ!』って言われたから、『うん』って」。一同「(笑)」。大家「そういうこと?」。有吉「『うん』って言ったのね? 言ったのね?」。小嶋「言いました(笑)」。有「じゃあ、もう恩人だよ。小嶋さんが『ううん、ダメダメ』って言ってたら終わりだったんだから」。大家「そっか。良かった」。有「本当だったということで」[42]
  • 7月15日、「普段一緒にいたら当たり前で気付かないけど、みんな本当に本当にかわいいんだね。なんかすごい みんなを遠くに感じたよ 」[43]「わたしはみんなのように輝けないやー。みんなきらきらのアイドル。なんか勝手にテレビ見て勝手に孤独感ww 寝よっと」[44]「あ。自分を卑下しないで、などとコメントありますが、自分がダメとかいうネガティブな発想ではなく、ただいつも一緒にいる北原横山指原、みんながきらきらして遠い別世界に居るみたいでさみしくなっただけです 笑」[45]
  • 7月27日、ロンドン五輪男子サッカー1次リーグD組の初戦で、優勝候補のスペインから値千金の決勝ゴールを奪った大津祐樹選手。一夜にして国民的ヒーローとなった彼に、同じく国民的グループのAKB48のメンバーから熱いラブコールが送られており、国民的カップル誕生かと注目を集めている。大家志津香は、試合翌日にGoogle+ページを更新。いきなり冒頭で「私大津祐樹選手に恋をしました(にわかw)」と綴り、大津選手に関する情報をくださいとサッカー好きなファンに呼びかけた。ちなみに、ウィキペディア、ツイッター、ブログはすでに“読破”したそうで、「完全にファンです。スポーツ選手好きになったの初めてだ」と、大津選手に対する熱い思いを興奮気味に述べている。さらに恋心はエスカレートし、「大津選手と結婚したら大家志津香から大津志津香ってあんま変わらないからいいね。とかいう話をしてました」と、大津選手との結婚まで妄想。その後、「好きな人の苗字と自分の名前くっつけるとか中学生か!」と自らツッコミを入れている。サッカー五輪日本代表の第2戦となるモロッコ戦は、日本時間30日午前1時キックオフ。大津選手には、スペイン戦を凌ぐパフォーマンスで、日本中の女子をメロメロにしてほしいところだ。[46]
  • 8月24日、東京ドームコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、ラストに戸賀崎が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。大家はチームBに異動することとなった。[47]

交友関係

性格・趣味

  • 性格は、一人好きの寂しがり。[10]
  • 一人称は「うち」。
  • チャームポイントは、肌がキレイなところ。[10]
  • 長所は、なんだかんだで心が折れない。[31]
  • 短所は、ネガティブ。[31]
  • 趣味は、キッチン掃除。[31]節約。[5]
  • 特技は、尋常じゃないぐらいの治癒力。[10]
  • 腕相撲には自信があり、秋元才加以外には負けないとか。[20]しかし、NMB48山本彩と勝負したら負けた。
  • 座右の銘は、「自分が辛い時は、自分より辛い人が周りにいる」[5]
  • 好きな男性のタイプは、「やんちゃなアホ。でも男らしくて、同性に好かれてて、しーちゃんの事が大好きな人」。[10]「次の日、顔を思い出せない人」[31]
  • 女々しい男が嫌い。絶叫マシーンに乗れなかったり、虫が嫌いな男はダメ。[54]
  • 本気の彼氏には、尽くしたいタイプ。男(K太郎)からすると、重いタイプ。[55]
  • 料理を作るのが好き。本人曰く、得意な訳ではない。[5]指原曰く、結構いろいろ作ってくれるので、メンバーの中では上手い方。[56]
  • 寝言が多い。[57]
  • メンバー曰く、部屋が綺麗。
  • 潔癖症。電車の吊革、トイレのドアノブ、エスカレーターの手すりなど、すべて触れる事が出来ない。[58]
  • 自分のジュースを他人に飲まれると、もう飲めなくなる。いくら仲の良いメンバー(指原莉乃)でも無理。[59]
  • メンバーと一緒にお風呂に入るのは、絶対無理。[9]
  • 福岡県出身なので、やっぱりラーメンは「とんこつ」しか食べない。[5]
  • 昔は明太子が嫌いだったが、東京に来てから好きになった。[9]
  • 好きな漫画は『ドラゴンボール』。[5]
  • 好きな雑誌は、『Popteen』か『お笑いポポロ』[10]
  • いつも変わったレッスン着を着ている。宮崎曰く「ドラゴンボールとかね、ガチャピンとムックとか。何を着てるんだと」。指原「しーちゃんはダサいね。ほんと裏切らない」。[60]

参加曲

シングルCD選抜曲

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

  1. ^ http://www.sanspo.com/akb48/news/120122/aka1201220504006-n2.htm
  2. ^ https://plus.google.com/108367535733172853340/posts/iTzwqjL1nHz
  3. ^ http://ameblo.jp/shizuka-oya-we/entry-11173675344.html
  4. ^ 『AKB48×プレイボーイ 2011』
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p オフィシャルブログ blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/ 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ob"が異なる内容で複数回定義されています
  6. ^ a b 『日刊スポーツ』 2012年5月8日
  7. ^ http://www.sanspo.com/akb48/news/120122/aka1201220504006-n2.htm
  8. ^ 『人生が変わる1分間の深イイ話』 2012/03/12
  9. ^ a b c AKB48のオールナイトニッポン』 2011年5月13日
  10. ^ a b c d e f g h i j k 『AKB48 VISUAL BOOK 2010』
  11. ^ a b c d e f 『週刊朝日』 2011年10月28日
  12. ^ 『AKBINGO』 2012年2月29日
  13. ^ 『まるっとAKB48 スペシャル2 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』
  14. ^ FLASH SPECAIL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』
  15. ^ 『AKB5400sec.』 北原編
  16. ^ 『AKB48総選挙公式ガイドブック』
  17. ^ http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/08/post_98.html
  18. ^ http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/07/post_72.html
  19. ^ AKBINGO!』2010年10月20日
  20. ^ a b c d 『AKB48 じゃんけん選抜 公式ガイドブック』
  21. ^ http://www.cyzo.com/2010/11/post_5808.html
  22. ^ 週刊AKB』 2010/11/19
  23. ^ http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/11/post_173.html
  24. ^ AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』 2010年12月15日
  25. ^ AKB48のオールナイトニッポン』2010年12月17日
  26. ^ 『まるっとAKB48 スペシャル3 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』
  27. ^ AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』 2011年1月5日
  28. ^ http://ameblo.jp/shizuka-oya-we/entry-10902983301.html
  29. ^ http://ameblo.jp/shizuka-oya-we/entry-10918602298.html
  30. ^ 『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2011』
  31. ^ a b c d e 『AKB48じゃんけん大会 総集号 2011』
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  34. ^ http://www.menscyzo.com/2011/12/post_3330.html
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  36. ^ 『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』
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  43. ^ https://plus.google.com/108367535733172853340/posts/CGNc8Xmv9nW
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  53. ^ 『AKB48総選挙 公式ガイドブック2011』
  54. ^ AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』 2010年11月17日
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  57. ^ http://blog.watanabepro.co.jp/ooyashizuka/archives/2010/12/post_192.html
  58. ^ AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』 2010年8月4日
  59. ^ 明日までもうちょっと。』2010/12/20
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外部リンク