チームK

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チームK」は、AKB48を構成する5つのチームのうちの1つ。AKB48は過去4度にわたり、チームの再編成を行っているため、以下のように5つの「チームK」が存在する。

  1. 初代チームK (2006年4月1日 - 2010年2月21日)
  2. 秋元チームK (2010年3月12日 - 2012年10月24日)
  3. 大島チームK (2012年11月2日 - 2014年4月16日)
  4. 横山チームK (2014年5月7日 - 2015年8月26日(予定))
  5. 峯岸チームK (2015年11月30日(予定) - )

ここでは、それぞれについて解説する。

初代チームK

2006年4月1日結成、2010年2月21日公演終了。なお、公式チーム呼称が発表されていないため、便宜上「初代」とする。

特徴

  • チームの特徴は「体育会系」で、熱いパフォーマンスを展開[1]
  • チームカラーは緑[2]
  • Kには、親指、人差し指、小指を立ててアルファベットの「K」を作るハンドサインがある。このサインは、第1回ドラフト会議で使用されたチームフラッグのイラストにも用いられている。
  • 週末はメンバー全員で食事に行く、メンバーが病気などになると全員から励ましのメールが送られてくるなど、姉妹の様に仲が良く、「自分たちは家族である」とも説明している[3]
  • メンバーにはスポーツが得意な者が多く、チームワークの良さ、勝ちに行く姿勢なども相まって、運動系イベントでは無類の強さを発揮している。
  • 結成当時から、チームAを追いつけ、追い越せを目標としていただけに、メンバー同士の結束力は強い[1]。そんなチームKの結束力を象徴するような出来事が、デビュー前日の2006年3月31日に起きている。
2006年、デビューの前日。年少組(奥真奈美小野恵令奈)が歌詞が書いてある紙に「サインどうしようか」を落書きしており、それを見た秋元才加が注意。だがそのキツい言い方に腹を立てた大堀恵がエレベーターホールに秋元を連れて行き「あの言い方はない」と強く注意。すると秋元も胸ぐらを掴み、「何だよ」と反論。
大堀「当時の才加は若かったし、我も強かったんです。だから私も言わなくちゃって大声で叫んだんです。『あなたの言っている事は正しいと思う。でもあの言い方はない! あの子たちを何歳だと思ってるの!』って。そうしたら次の瞬間『うわああ――ごめん』って泣き崩れたんですよ。私の方が酷い言い方をしちゃったって思って、『私の方こそごめん』って涙が出てきちゃって」
野呂佳代「チームKのほぼ全員が集まってきて、二人と一緒に号泣ですよ。私もそれまで、『熱くなるのは格好悪い』と思ってたから、感情を表に出さなかったんですよ。だけど、あの事件があって、やっとチームKが一つになって初日を迎える準備ができたんじゃないかと思いますね」[4]
  • また、当時の劇場支配人・戸賀崎智信は、「(Kは)常にAチームの幻と戦っていた」[5]と語る。
デビューの1週間前に1期生と初顔合わせ。当時2期生はレッスン場から実際の劇場での練習に変わっていた。レッスン後、劇場公演を行うためにやってきた1期生がステージに上がり、2期生は客席側に降り、互いに挨拶を交わす。秋元才加は後日談で「チームAがステージの上から私たちを見ているんですよ。その時に『あっこれだけ差があるんだ。ライバルなんだ』と。あの時はステージもチームAも遠くに見えましたね。『あぁ追いかけなくっちゃ』って。全員がそう感じたと思いますよ」と語る[4]
デビューのセットリストはA1st。初日公演から満員ではあったが、当然、最初はAと比較される事が多く[注釈 1]、当時、振り付けを担当していた夏まゆみには「チームAが作り上げたものをぜんぶ壊した」[6]と酷評され、ファンからも「元気が良いだけ」「所詮2軍」「初日から満員だったKは苦労してない」などのバッシングを受けた[7]
デビューしたばかりのKメンバーより、ファンはこの公演の事をよく知っており、戸賀崎は「チームA千秋楽の余韻が残っているお客様の前で行った初公演は、沢山のお客様から『チームAの公演を他の人が演じている』と写ったらしく、それを感じたチームKメンバーは全員、悔し泣きをしながら、絶対に頑張ろうと心に誓っていました」と、この日の事を語っている[8]
初日こそ満員御礼となったが、観客動員数も減っていくなど悔しい思いをさせられ、チームAとは別の意味で苦労したチーム。だが結果的には、その悔しさをバネにして団結してきた為、チーム内の結束は非常に堅い。[要出典]
その当時、チームKがAに唯一勝てる事。それはチームワーク。食事は半ば強制的に、円になって食べる。自分たちの公演について、メンバーについて、言いたい事があったら、ケンカになってもいいから意見を出し合う。大堀恵は「最初の頃だと思うんですけど。『今まで学校ではイジメられてました。だからこそ、ここでは良い仲間と出会いたい』って言ってくれたりするメンバーもいて。みんなで、親にも話せない様な事もいっぱい話ました」と語る。[要出典]
その後同年5月4日には、初の満員御礼を達成。初日の“お試し満員”ではなく、チームKの力で満員に出来た時、「やっと私たちのファンを手に入れた」と皆が涙したという[4]
  • チームKの人気が上昇していき、いつしかチームAとはライバル関係へと変わっていった。前田敦子は、「チームAとチームKはライバルでした」と語る[9]。また、チームAのファンは、メンバーそれぞれを応援する(いわゆる推しメン)が普通だが、チームKのファンは「チームK」というチームごと応援する(いわゆる箱推し)という特徴がある。プロ野球で例えると、選手個人を応援する人に対し、Kは「球団」ごと応援するファン、戸賀崎は阪神ファンに近いと表現している[9]。メンバーだけでなく、ファンも熱いのがチームKの特徴。
2006年7月から8月、劇場公演をしていたチームKに、大きな外仕事が舞い込む。フジテレビが行っていた「お台場冒険王」でのイベント。最初は週末のみだったが、8月に入ると平日も行われる様になった。だが、劇場公演→お台場→劇場公演というハードスケジュールに加え、季節は夏真っ盛り。倒れるメンバーが続出し、休演者も多く出た。少ない出演メンバーが途中で倒れ、アンコールではさらに減っている時もあった。だがチームKのボロボロになりながらも頑張る姿を見て、さらにファンは熱心に応援する様になる。チームAもお台場での公演は行っていたが、Aのファンの場合はチーム毎応援するのではなく、推しメンを応援するスタイル。当然メンバーが休めば、イベントにもファンは行かない。このイベントでの観客動員数は、AよりもKの方が多かったという意見もあるが、前述の理由もあり単純にKがAを抜かしたとは言えない。[要出典]
  • チームA(のメンバー)を推すファンとチームKを推すファンとは、前述のこともあり、ファン同士の衝突がしばしば発生している。
チームKが徐々に人気を上げ、チームAとライバル関係になっていく中、「アンダー」という制度ができ、チームAのメンバーの代わりにKのメンバーが公演に出演したりした。だが客席のファン層ははっきりと分かれ、別のチームのメンバーのステージではコールや声援を送らず、応援するチームのメンバーが出るときだけ盛り上げる。最初は悪意などそれほどなく、応援するメンバーだけ盛り上げるというのも至極まっとうな話。しかし、A・K合同のハイタッチ会が行われた際には、KのファンがAのメンバーだけを全員素通りするなど、メンバーを傷つける様な悪い意味でのライバル関係になっていってしまう[4]
2006年7月5日、K1stが千秋楽を迎える。ところが、サプライズでチームAのメンバーをステージに登場させエールの交換を行うと、「Kの大事な千秋楽のステージにどうしてAが来るんだ」とKのファンがエキサイト。AとKの対立はさらに激しくなってしまった[4]
最終的は、チームAとチームKの対立構造を緩和する策として、秋元康は「一度シャッフルしてファン同士の交流をさせよう」[9]と、頓挫した『ばら組・ゆり組』構想を経て、『ひまわり組』というチームシャッフルを行うこととなった。
  • メンバーによるチームK評。
    • 柏木由紀「なんか、チームKである事に対して、メンバーみんながすごい誇りを持っているというか」。秋元「“私はKです!”みたいな(笑)。そのノリはあると思う」[9]
    • 秋元才加「アイドルかって言われたら、たぶんアイドルじゃないですよ。『アイドルがそんな顔見せないだろ!』っていうところまで真剣にやったりする」[9]
    • (初代)チームAから、秋元チームKへ異動した板野友美は、チームKを運動系の部活とたとえ、古巣のチームAは「吹奏楽部」と評している。それは「それぞれが上手く自分の音を出して、結果としてハーモニーが出来るという感じ」から[10]
  • 円陣での掛け声は、
(いくぞ チームK!) K! (K!) K! (K!) K! (K!) K! (K!) K!。
()内は宮澤佐江の担当。チームKは円陣の前に「点呼」を行うのが特徴[11]

メンバー

結成メンバー

昇格

異動

卒業

秋元チームK

2010年3月12日公演開始、2012年10月24日公演終了。

特徴

  • 2009年8月の武道館コンサート『組閣祭り』で、一部メンバーを除いて、チームA・K・Bのメンバー組み替え、チーム内キャプテン制の導入、4名のSDN48への完全移籍(=AKB48からの卒業)、研究生12名の大量昇格などが発表された(実際昇格したのは11名)。
  • キャプテンは秋元才加
  • 発表と実際の変更点。チームB小原春香は、チームKへの移動する予定だったが、翌月SDN48に辞退者が出たためSDN兼任となり、翌2010年4月にSDNへ完全移籍しAKB48から卒業した。
  • 秋元「新生チームKは、ダンスが得意なメンバーが多く、一番化学反応が起こせるチームだと思っています。目指すところは、旧チームKとしての誇りを持ちつつ、チームの垣根を越えて言いたいことを言い合えるチームです。みんなの個性を生かして、助け合いながら成長していきたいと思います」
  • また、チームKのエース大島優子第2回総選挙で、“AKBの絶対的エース”と呼ばれた前田敦子に競り勝ち、チームKのメンバーがAKB全体のトップに立った。
  • 円陣での掛け声は
(チームKいくぞー!) じゃんじゃじゃ RESET!
()内はキャプテンの秋元才加の担当。

歴史

2010年

  • 3月12日、K6th「RESET」初日。ここから「新チームK」または「新生チームK」と呼ぶ。3チームの中では一番最初に再始動した。
  • 9月27日、旧チームKからのメンバーだった小野恵令奈がAKB48から卒業。
  • 10月10日、9期研究生だった横山由依がチームKに昇格。
  • 10月15日、キャプテンだった秋元才加がスキャンダルを理由にキャプテンを辞任。後任は立てられず。

2011年

  • 2月27日、秋元才加がチームKのキャプテンに復帰。

2012年

メンバー

結成メンバー

旧チームKから残留

チームAから異動

チームBから異動

研究生から昇格

昇格

兼任開始

異動

卒業

大島チームK

2012年11月2日公演開始、2014年4月16日公演終了。

特徴

メンバー

結成メンバー

旧チームからの残留

A から異動

Bから異動

4から異動

所属先未定からの所属

研究生からの昇格

光宗薫は、研究生からチームKへの昇格が発表されていたが、活動開始前に辞退。

昇格

ドラフト1期生

兼任開始

兼任解除

異動

卒業

横山チームK

2014年5月7日公演開始。

特徴

  • 2014年2月24日に行われた大組閣で結成されたチーム。
  • キャプテンには、横山チームAでキャプテンを務めた横山由依が就任。
  • 副キャプテンが新たに設置され、北原里英が就任した。

メンバー

結成メンバー

旧チームからの残留
Aから異動
Bから異動
4から異動
昇格
他グループからの移籍・兼任

昇格

卒業

峯岸チームK

特徴

メンバー

注釈

  1. ^ チームKのデビューの前日がA1st千秋楽で、宇佐美の卒業公演でもあった

出典

  1. ^ a b 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック」P57より。
  2. ^ AKBがいっぱい~SUMMER TOUR 2011~ 高知会場 part1 - AKB48オフィシャルブログ 2011年8月6日
  3. ^ 日本テレビ「AKBINGO!」第37回(2009年6月10日放送)より。
  4. ^ a b c d e 集英社「AKB48ヒストリー~研究生公式教本~」より。
  5. ^ 成長 - AKB48オフィシャルブログ 2006年4月20日
  6. ^ 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック」P109より。
  7. ^ 週刊AKB」大運動会において、河西智美のコメントより。
  8. ^ チームK千秋楽 - AKB48オフィシャルブログ 2006年7月6日
  9. ^ a b c d e 太田出版「QuickJapan」 Vol.87より。
  10. ^ 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック」P29より。
  11. ^ CBCラジオ「今夜は帰らない…」2009年2月14日放送分より。

関連項目