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* 6月4日、卒業公演。 | |||
* 7月7日、幕張メッセでの握手会をもって、AKB48を卒業。 | |||
==人物 == | ==人物 == |
2014年7月16日 (水) 04:10時点における版
AKB48 卒業生 | |
---|---|
所属事務所 | プロダクション尾木 |
生年月日 | 1990年6月19日 (34歳) |
出身地 | 福岡県 |
血液型 | B型 |
身長 | 160cm |
スリーサイズ | B80 W58 H89 |
合格期 | 2期生 |
選抜回数 | 3回 |
松原 夏海(まつばら なつみ、1990年6月19日 - )は、AKB48の元・メンバー。福岡県出身。プロダクション尾木所属。
略歴
- 2006年
- 2009年
- 2010年
- 3月25日、『満席祭り希望 賛否両論』にて、プロダクション尾木への移籍打診を受け、5月17日に正式移籍。
- 6月9日、第2回総選挙は39位となり、アンダーガールズ入り。
- 7月27日、新チームAメンバーとして活動を開始。
- 2012年
- 8月24日、再組閣により、大島チームKに異動。
- 11月1日、大島チームKとしての活動開始。
- 2013年
- 5月5日、「思い出せる君たちへ」K3rd「脳内パラダイス」公演において、卒業を発表。
- 6月4日、卒業公演。
- 7月7日、幕張メッセでの握手会をもって、AKB48を卒業。
人物
キャラクター
- キャッチフレーズは「みんみんみん! なっつみん!!」。
- ニックネームは「なっつみぃ」。
- アイドル離れしたキレのあるダンスが自慢で、AKBトップクラスの実力者。その腕を生かしたい一心で、旧チームKのメンバー、梅田彩佳、大島優子、野呂佳代と共にユニット「梅島夏代」を結成した。[1]
- よく嘘をついたり、人を騙す。倉持には「なっつみぃの言うこと、8割はウソだよ」と言われた。本人はあくまでボケとして言っているらしく、ツッコんでくれない周りが悪いらしい。[2]
- 将来の夢は、「笑って喋って」[3]
2006年
- AKB48のオーディションを受けたキッカケ。「私はまだ“秋葉原48”だった頃、たぶんファッション誌だったと思うんですけど、2分の1の白黒ページに募集の広告が載ってたんですよ。それをお母さんに 『こんなのがあるんだって』と言って見せたら『じゃあ受けてみなよ』って言ってくれたのがキッカケですね。それで受けてみたら受かったんです。当時はそんなに大きいモノだとは思ってなかったし、軽い気持ちだったんですよ。AKB48に入ってから1ヵ月毎日レッスンに行って、あっという間にステージに出されて…という感じでしたね。前からずっと芸能界には興味は持ってたんですけど、まさかこの展開は予想していませんでした。秋元(康)さんのこともよく知らなかったし(笑)。でも、ダンスの夏(まゆみ)先生は知ってたんですよ。モー娘。とかの振り付けをやっていたので」[4]
2009年
- 5月、戸賀崎「誰もいないスタジオで一人、ダンスレッスンをしている松原をよく見かけた。向上心が強い努力家。内に秘めた情熱はトップクラス」。[1]
- 7月8日、1回目の選抜総選挙の結果は30位で、アンダーガールズ入り。
- 8月23日、『組閣祭り』にて、新チームAに異動することが発表。
- 『SMAP×SMAP』に登場した時に、選抜総選挙30位(ランクインギリギリ)だった人という事で、仲居にイジられる。
- 12月、『ネ申テレビ』の企画でバンジージャンプに挑戦するも、一人だけ飛ぶ事が出来なかった。しかし指原の時とは違い、松原は一人目で、しかも3分以内に飛ばなければならないという時間制限もあった。松原は次の4800メートルからのスカイダイビングは成功している為、指原と違いヘタレ扱いはされていない。ちなみにAKBに入って一番辛かった事に、このスカイダイビングを挙げている。[3]
2010年
- 2月21日、K5th「逆上がり」公演千秋楽をもって、4年間弱活動してきたチームKが解散。ちなみに松原は、K公演を一度も休演しなかったという偉業を達成している。古川「今日ちょっと体調がけっこうきついなっていう日もあったでしょう?」。松原「う~ん、そこら辺は言いません」。古川「ちょっと格好良すぎじゃない」。野呂「夏海が具合が悪いとか、あんま見たことが無い」。松原「ホントにそんなに無いんですよ。熱出すことが。だからもう両親に感謝ですよね」。古川「でもそれって強い精神が無いと、いくらその熱が出ないといえども、できない事だと思う。すごい事だと思う」[5]
- 6月9日、第2回総選挙では39位となったが、40位の石黒貴己が脱退してしまった為、また松原がアンダーガールズの最後というポジションとなった。
- 7月27日、A6th「目撃者」公演初日から新チームAのメンバーとして活動を開始。
- じゃんけん選抜について。「センターに立ちたいとは思わないです。ないです。ないです。もし選抜に入って、めちゃ売れなかったらどうするんですかね(笑)。私はまだ自由に生きていきたいから、センターはちょっと…。ベスト8がベスト(笑)。それ以上は嫌だっていうか、まだダメです。もっと力が付いたら狙っていきたいと思います」。[6]
- シードだった為、一度でも勝利すれば選抜入りだったが、松井咲子に負けてしまい、久しぶりの選抜復帰とはならなかった。
- 12月22日、同事務所所属の野中美郷と共に、DVD『なつみちゃ』をリリース。初のDVD作品ということで、「父親が10枚予約していました。店頭にあるDVDを売り切れさせたかったみたいです」というエピソードを明かした。[7]
- じゃんけん大会のDVDが発売。タイトルは「51のリアル」で、出場メンバー51人に51人のカメラマンが密着し、イベントの舞台裏をおさめるという物。担当カメラマンは性別、年齢、そして性格も当然違い、中にはメンバーと合わないと場合も見受けられた。松原の担当になったのは、男性で、性格は生真面目な熱血系。カメラマンは松原に心境を語って貰おうと、仕事熱心に話しかけ常に密着し続けるが、逆にその熱心さが仇になってしまった。最初は松原も相手をしていたが、しかしじょじょに鬱陶しくなってきたのか、露骨に嫌がりだし、「どこまでも来るな」「ずっと付いてくるから嫌になっちゃった」「あと30分したら戻ってきて下さい」と追い払ってしまった。しかしそれでも、待ち続けるカメラマンを見て、「ずっと居たんですか。かわいそう」とわずかだが心を開いてくれたらしい(カメラマン談)。最後はカメラマンの「(ふぅ~任務完了)」という溜め息で終わっていた。[8]
2011年
- 1月21日、朝日放送・テレビ朝日系列のテレビドラマ「悪党~重犯罪捜査班」に、交通課の婦警・平松亜美役で出演。
- 4月22日、チームA公演を休演。チームK時代から続いていた連続出演記録が途絶えた。
- 4月23日、シネマート六本木で開催される『シアターエアリー朗読劇本公演』で朗読劇に挑戦。映画館を使って絵本や漫画の映像をバックに朗読を行う“リアル朗読劇”で、松原はグリム童話をミックスしたオリジナル作品『グリムの森』に出演、主人公の少年・カケル役を演じる。「男の子って難しい(笑)。どんな声質がいいのか、言い回しは? 喋りの速さは? っと疑問だらけです。でも、こうやって試行錯誤していくのが本当に楽しいです。みんなでひとつの物語を素敵な作品にします!」と意気込みを語った。 [9]
- 5月13日、キレ味抜群のダンスでチームA公演のクオリティを上げてきた松原。しかしこの1年は葛藤の年でもあった。「私にはダンスしかない。それが評価して頂けるようになった。もっと活躍できるかなって期待してたんです」。だが、AKBが出演した番組のダンス企画に松原の名前は無かった。「劇場公演も無い時期で、見せる場所がない。頑張ったって意味ないじゃん。そう思いそうになる自分が嫌でした」。転機は冬。ドラマに抜擢され、違う世界から刺激を受けた。「お芝居を経験できたお陰で、私はダンスだけじゃない、だからこそもっと歌もダンスも頑張りたいって思えるようになったんです」。[10]2年連続、ギリギリではあるがアンダーガールズ入りをしている実力者。今年もランクインする事ができるか。
- 6月9日、3度目の総選挙にして、はじめて圏外に終わる。
- 8月6~14日、東北地方太平洋沖地震チャリティー舞台「ポチッとな。-Switching On Summer-」に出演。
- 10月13日、『なるほど!ハイスクール』スペシャルの「おネエ48vsAKB48」では、居並ぶおネエ軍団が“AKBにモノ申す”と言いたい放題。ミッツ・マングローブには、「AKBには、おブスちゃんが何人かいる」と言われ、名指しされたのが峯岸みなみと松原。[11]松原は、「私、ニューハーフの方に、『あなたもニューハーフ?』って言われた事がある」とコメントすると、敦には「確かに」と納得され、おネエには「おいでおいで」と言われてしまった。放送後のブログでは、「私、しっかり女です。まぁ、おいしかったと思おうではないかっっっ笑」とポジティブな感想を投稿している。[12]
- 10月17~25日、舞台「幸福レコード」に出演。
2012年
- 3月10日、秋元康が渡り廊下走り隊7の新メンバーは浦野一美になったと発表。[13]秋元「渡り廊下走り隊7のメンバーのみなさま。新メンバーを浦野一美にしようと思うんですが、どうですか?」[14]
- 小森「やすす先生! なっつみーさんが渡り廊下走り隊7に入りたいといってました! どうでしょうか?」[15](※48グループでプロダクション尾木に所属しており、渡り廊下に加入できる可能性があるのは、浦野か松原か野中のみ)。
- 松原「小森さんの優しさに感動☆ 素敵な後輩をもって幸せです(ToT) 私はもはやPTA(笑)」[16]「私もなかなか爽やかに渡り廊下を走れそうなのにな~(^^)笑笑笑」[17]
- 秋元「何か、考えます」[18]
- 3月15日、Google+で岩佐美咲が「ぶさみん」と自虐的な発言を投稿すると、「わさみんもしちゃんもブスじゃないよ。松原夏海と調べると「松原夏海 ブス」で出てもめげない私は強い子(笑)。オネェとの戦いの勲章なんだ。ふふふ」[19]
- 4月24日、大人の色香漂う21歳は、お尻に火が付いていた。「今年、(64位)圏内に入らなかったら、今度を見直す…。2年も入らなかったら…下の子を公演で注意できない。2期生のプライドもある」。30位(2009年)→39位(2010年)→圏外(2011年)と、順位を落としてきた。自分の立ち位置も理解している。「もう可愛い発言では勝負できない。ブリブリは似合わない」と、大人の様相で撮影に挑んだ。「私のファンに、石油王とかがいればいいんですけどね」と、不安もいっぱいだが、熱い思いもしっかり伝わってきた。[20]
- 5月、戸賀崎「高橋みなみがいない時のA公演は、彼女がまとめ役をやってくれるので助かっています。後輩の面倒も見てくれますから。あと、ダンスの上手さは相変わらずなので、もう一度ダンスユニットとかも見てみたいですね」[21]
- 5月26日、映画「骨壺」で主人公・絵里役を演じる。撮影期間はわずか1週間という弾丸スケジュールだったが、松原は「気持ちは全然疲れていないけど、目のクマは大変(笑)。かすり傷だらけになりながら寒い山道を走りまくったり、とりあえず何でもやりました」と語った。[22]
- 6月6日、第4回総選挙では圏外に終わる。チームAは辞退した前田敦子を除く15名が参加しており、14名はランクインしたものの、松原だけ呼ばれず、“Aの完全制覇”はならなかった。旧チームAは、「スター軍団」「AKBの顔」と呼ばれ、組閣後の新チームAも、前田敦子を筆頭に、高橋みなみ、篠田麻里子などの残留組に加え、移籍した指原莉乃など、未だに人気メンバーが名を連ねている。
- 総選挙はメンバーがステージの前に位置するという特殊な形で配置され、並び順はグループ毎、チーム毎に50音順で並ぶ。そしてランクインし名前を呼ばれたメンバーのみが、そこから壇上へと上がることを許される。64位までと枠が大幅に広がった今回の総選挙では、実は速報発表時点では、15人全員がランクインしており、全員“入閣”への期待が持たれていた。しかし総選挙当日、読み上げられた64人の中に、松原夏海の名前はなかった。きらびやかなステージに立つ仲間たちを松原は時折拍手をしながら、待機席からまっすぐ見つめるしかできなかった。松原の速報順位は57位。決してステージは手の届かない目標ではなく、悔しさがないはずがない。すべてが終わり、会場から立ち去る際、松原の顔は泣きそうな表情を浮かべる。ステージに上らなければ、悔しさを伝えることもできない。AKBとは決して華やかなだけでない、厳しさが垣間見えた瞬間だった。[23]
- 終了後のブログ。「まず、私に1票でも投票して下さったみなさん、ごめんなさい。ファンの方々の負担を考えたら、涙が止まりませんでした。あとはチームAみんなで壇上にあがりたかった。でもみんなのことを正面から見えたから良かったのかな!!! それに負けず嫌いの私は明日からの活力が満ち溢れています!!! 下を向くのではなく、上を向いて歩こう!!! 一緒に頑張ってくれたみんな本当にありがとう! 大好きです!!!!! お疲れ様でした」[24]
- 6月20日、22歳の生誕祭が劇場で行われた。父からの手紙。「なっちゃん21歳(※22歳の誤り)の誕生日おめでとう。中学を卒業してから6年間、辛い事も多かったけど、素晴らしい時を重ねて、素敵な女性になってくれたと思っています。21年前、なっちゃんが生まれた時のこと、今でもはっきりと覚えています。ビックリするぐらい可愛い顔で、めちゃめちゃ元気な赤ちゃんでした。とっても甘えん坊な女の子だったけど、2年後に妹が生まれてからは、しっかりした子になりました。お母さんを独り占めできなくなっても、ぐっと我慢して、妹の面倒を見てくれましたね。小学生の頃は、『将来アイドルになる!』『アイドルになった後に噂になったら困るんで、ボーイフレンドは作らない!』なんて言っていたけど、まさか本当にアイドルになるなんて思ってなかったよ。中3の冬は、高校受験とAKBのオーディションが重なって大変だったね。なんとかどちらも合格したけれど、不安を抱えた状態の中で、でもなっちゃんはいつも一生懸命だったね。旧チームKがとても大変だった時に、どんなに体調が悪くても、絶対に公演を休むことなく、一生懸命劇場を守ったのは素晴らしいことです。608回も連続で出演したんだ。『外での仕事が無いからだ』とか言われても、これは絶対誇りに思っていいことです。ダンスやお芝居の練習をいくら一生懸命やっても、なかなか結果が出ない。夢を叶えることが出来るのか…って、とても不安だったと思います。たぶん、今もそうだよね…。でも考えてみて。夢が叶っても、それは一瞬。夢に向かって進んでいること自体が、素晴らしい事だと思うから。なっちゃんの一番最初のファンとして、一番最後まで応援しています。この1年がなっちゃんにとって、素敵な1年でありますように。最後になりますが、メンバーの皆さん、いつも夏海を支えてくれてありがとうございます。何年のも時、楽しい時、辛い時を共に過ごしてきたメンバーの方々を、夏海は本当に大切に思っています。ファンの皆様、スタッフの皆様、本人なりに色々と考え、結果に繋がる努力を重ねておりますが、このことろの総選挙では、なかなか皆さんの期待に応えることが出来なくて、申し訳ありません。早いもので、夏海がAKBに入って7年目に入ります。こんな普通の女の子が、曲がりなりにも芸能界でやってこられたのは、やはり皆さんの支えがあってのことです。自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な子ですが、これからも応援よろしくお願い致します」
- 本人の挨拶。「私をたぶん最初から知っている人は、なんかすごくもどかしい気持ちになったりすると思うんですけど。結構、我が道を行くタイプで、『こうした方がいいんじゃない?』とか、(アドバイスを)上手く聞けなくて…。でも、なんだろうな…(涙)。今回の総選挙で、本当に…あんな絶望的な時間を過ごしたのは初めてだったし…。みんなが笑顔だったから、良かったのかなぁと思いますけど…。でも、みんなそれぞれ悔しい気持ちも持っていて、それは順位関係なく…。私は、“圏外”という二文字で…、まぁ明らかな差が出てしまったんですけど…。来年の総選挙がもしあるなら、あのステージに立てるように…、今年1年精進して、自分を磨いて、『応援して良かったなあ』って思えるような1年を過ごして、来年のこの季節にはまた笑顔で皆さんと会えることを抱負にして、この1年がんばりたいと思います。よろしくお願いします」
- 7月4日、サルオバ「7/3(火)は、「目撃者」公演でした。素人のサルオバが観ていても、振りの難しそうな演目…。そういえば、どのチームにも「danceable」なメンバーがいます。というわけで、danceableなっつみぃに、サルオバは聞いてみた。「どうしたら、そんなにかっこよくステキに踊れるの?」。松原「音に体をはめること!」。サル「AKB48に入ってきた当初、もちろんダンス経験がなかったけど、転機は、K4thの「最終ベルが鳴る」公演だったとか。今までとは違う動きやステップを使う公演曲の数々を前に、「自主的にダンスを習いに行くようになった」となっつみぃ。以来、まさに「いつでもどこでも四六時中」リズムを取ることを意識しているんだって。ダンス経験がなかったなんて意外と思える見せ方・魅せ方を心得たパフォーマンス。そういえば、梅ちゃん/優子ちゃん/なっつみぃ&のんてぃの通称「梅島夏代」による、K5thの「エンドロール」はそのダンスパフォーマンスに憧れるメンバーも多かったですね。サルオバは、衣装も大好きでした」[25]
- 7月20日、インタビュー。―6月6日の総選挙開票イベントでチームAで唯一圏外に終わった。次々と仲間の名前が呼ばれ大歓声があがる中、どの様な心境で椅子に座っていたのか…。彼女の本音に迫った。
- 呼ばれない…。焦りが絶望に変わった。辛く、苦しい3時間半だった。松原「もし、帰ってもいいんだったら、帰りたかったです。…ちゃんと最後まで座ってましたけど」。期待はあった。反面、覚悟もあった。「今だから言うんですが、正直、そこまで心配はしていなかったんです。速報ではチームA全員64位に入っていて、『チームA全員で壇上に登れるかも』って期待してたくらい。でも本番の武道館で59位のしーちゃんが呼ばれた時に『あぁ、もう(私のランクインは)ないな』って直感しました」。イベント終盤、指原莉乃がチームA最高位となる4位で名前を呼ばれて登壇すると、会場の最前列に並べられたチームAのメンバー用の椅子に座っているのは松原一人になった。「泣いていましたね。悔しくて、投票してくれた人にもチームAのみんなにも申し訳なくて」。10日後、劇場で生誕祭が行われた。総選挙を振り返り、「あんなに絶望的な時間は味わったとこがなかった」と涙を流した。「本当にあんな絶望、今までになかったですから。ランクインした子たちと比べたら、やっぱり私は何かが足りないところがある。でも、自信過剰になっていたところがあって、『私はあれもやってるのに…これもやってるのに…』って思っちゃって。何をしたらいいのか、分からなくなっちゃったんです」。一度は目の前が真っ暗になった。だが、生誕祭を境に気持ちを切り替えた。既に先を見据え、闘志を燃やしている。「今までの4回、総選挙を意識したことってほとんどなかったんです。だけど、次は違う。もしあれば、今から来年の総選挙のことで頭がいっぱいなんですよね。それだけ今回が衝撃的だったってことなんですけど。やっぱり、名前を呼ばれたい。だからそれに向かって歩いて行きたいです」
- 最後にファンへのメッセージを求めると、少し考えた後に答えが返ってきた。「私はマイペースで、人の言うことをあまり聞かないので、ファンの方もイライラしちゃうところがあるかもしれません。だけど、最終的に私のことを応援して良かったって思って貰えるように、全力でやっていきますので、これからもよろしくお願いします」
- 絶望を振り返るインタビューが辛かったことは想像に難しくない。だか彼女は努めて明るくし、笑顔も絶やさなかった。そして席を立ちながら、思い出したようにつぶやいた。「これも1つのチャンスだと思うんですよ。もしランクインしていたら、こうやって取材を受けることもなかったかもしれない。せっかくのチャンスなんだから、頑張らなきゃ」。残酷な逆境にもめげず、ポジティブに努力を続けている。絶望の先に希望があると信じて。[26]
- 8月24日、東京ドームコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、ラストに戸賀崎が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。松原はチームKに異動することとなった。[27]
- 9月18日、第3回じゃんけん大会で勝ち上がり、29枚目のシングルで選抜入りが決定。「選抜入りすることが出来ました! 4年ぶりの選抜です(^^) たくさんのお祝いメール。嬉しすぎる!! 応援してくれたみんな、ありがとう!!!」[28]
交友関係
- 推しメンは、岩佐美咲。[3]
- 仲の良いメンバーは、「自分が思っているだけかも知れないから秘密」。[3]『AKBINGO!』では、メンバーの中で3人を親友だと思っていると語っている。一人は大家志津香。[29]
- メンバーを「ちゃん」付け以外で呼べないらしく、同期であっても「佐江ちゃん」「優子ちゃん」の様に呼ぶ。[30]
性格・趣味
- 性格は、「典型的なB型」。[3]
- チャームポイントは肩。[3]
- 趣味はダンス。[6]
- 特技は、相づち。[3]
- 長所は、よく笑うところ。[31]
- 短所は、笑いすぎるところ。[31]
- AKBで好きな曲は『Baby! Baby! Baby!』。公演曲だと『ただいま恋愛中』[3]
- 好きなアーティストは、ファーギー。[3]
- ガムが好きで、メンバーによるといつも持っているとか。[32]
- 3歳下の妹がいる。[33]
- ペットの犬の名前は「スーパーエース」。[34]
参加曲
シングル選抜曲
- 1st 会いたかった
- 8th 桜の花びらたち2008
- 29th永遠プレッシャー
出演番組
Wikipediaを参照。
脚注・出典
- ^ a b 『AKB48総選挙公式ガイドブック』
- ^ 『AKB48のオールナイトニッポン』 10/06/11
- ^ a b c d e f g h i 『AKB48 VISUAL BOOK 2010』
- ^ http://www.deview.co.jp/interview/110107a.html
- ^ 『柱NIGHT! with AKB48』 2010/03/08
- ^ a b 『AKB48 じゃんけん選抜 公式ガイドブック』
- ^ http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20101225-717432.html
- ^ 『DVD MAGAZINE VOL.5C』
- ^ http://www.oricon.co.jp/news/deview/86455/
- ^ 『AKB48総選挙 公式ガイドブック2011』
- ^ http://japan.techinsight.jp/2011/10/akb48-gehin-onetalent.html
- ^ http://matsubaranatsumi.akb48teamogi.jp/?eid=193
- ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年3月10日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年3月10日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 小森美果 投稿 - Google+ 2012年3月10日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 松原夏海 投稿 - Google+ 2012年3月11日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 松原夏海 投稿 - Google+ 2012年3月11日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年3月11日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 松原夏海 投稿 - Google+ 2012年3月15日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 『日刊スポーツ』 2012年4月24日
- ^ 『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』
- ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120408-00000001-eiga-movi
- ^ http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/15697/
- ^ http://matsubaranatsumi.akb48teamogi.jp/?eid=375
- ^ Kyoko Nishiyama 投稿 - Google+ 2012年7月4日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 『AKB48グループ新聞』2012年7月号
- ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000313-oric-ent
- ^ 松原夏海 投稿 - Google+ 2012年9月18日 ArKaiBu Gugutas
- ^ 『AKBINGO!』 2011年3月2日
- ^ 『今夜は帰らない…』 10/06/21
- ^ a b 『AKB48じゃんけん大会 総集号 2011』
- ^ ラジオ『明日までもうちょっと。』より。
- ^ http://matsubaranatsumi.akb48teamogi.jp/?eid=384
- ^ 『明日までもうちょっと。』10/06/26より秋元談。
外部リンク
- AKB48公式プロフィール
- 松原夏海オフィシャルブログ「夏の大航海」(2013.5.28 - )
- 松原夏海オフィシャルブログ「夏の大航海」(旧ブログ、 - 2013.8.21)
- 松原夏海BLOG「夏の大航海」(携帯限定)
- プロダクション尾木公式プロフィール
- AKB48 TeamOgi公式サイト
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