「ひまわり組」の版間の差分
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*メンバーをシャッフルした理由は、[[秋元康]]曰く、AとKの対立構造を無くするためと、2班に分け競争させる事で、メンバー同士を切磋琢磨させるためと語っている。<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref> | *メンバーをシャッフルした理由は、[[秋元康]]曰く、AとKの対立構造を無くするためと、2班に分け競争させる事で、メンバー同士を切磋琢磨させるためと語っている。<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref> | ||
*メンバーは16人で、2人1組のダブルスタンバイ制のため全32名が参加。ポジション毎にメイン(1st)とサブ(2nd)がおり、公演によってどちらかが出演する。実質的に、1軍・2軍制度の復活とも言える。 | *メンバーは16人で、2人1組のダブルスタンバイ制のため全32名が参加。ポジション毎にメイン(1st)とサブ(2nd)がおり、公演によってどちらかが出演する。実質的に、1軍・2軍制度の復活とも言える。 | ||
*1st「僕の太陽」公演は、[[研究生]] | *1st「僕の太陽」公演は、[[研究生]](4期生)がレギュラーとして出演した最初の公演でもある。 | ||
*ひまわり組公演終了後は、[[チームA]]と[[チームK]]はそれぞれ元のチームへと戻った。 | *ひまわり組公演終了後は、[[チームA]]と[[チームK]]はそれぞれ元のチームへと戻った。 | ||
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*[http://www.akb48.co.jp/song/01h.html ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」公演楽曲(AKB48公式サイト)] | *[http://www.akb48.co.jp/song/01h.html ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」公演楽曲(AKB48公式サイト)] | ||
*[http://www.akb48.co.jp/song/02h.html ひまわり組 2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」(AKB48公式サイト)] | *[http://www.akb48.co.jp/song/02h.html ひまわり組 2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」(AKB48公式サイト)] | ||
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2013年9月25日 (水) 19:48時点における版
「ひまわり組」(ひまわりぐみ)とは、チームA(旧)とチームK(旧)が合同で編成したチーム構成。
概要
- AKBは通常、チーム毎に公演に行ってるが、そのチームを一緒にして合同チーム「ひまわり組」として公演を行った。参加したのはチームAとチームKと研究生で、チームBのメンバーは参加していない。
- メンバーをシャッフルした理由は、秋元康曰く、AとKの対立構造を無くするためと、2班に分け競争させる事で、メンバー同士を切磋琢磨させるためと語っている。[1]
- メンバーは16人で、2人1組のダブルスタンバイ制のため全32名が参加。ポジション毎にメイン(1st)とサブ(2nd)がおり、公演によってどちらかが出演する。実質的に、1軍・2軍制度の復活とも言える。
- 1st「僕の太陽」公演は、研究生(4期生)がレギュラーとして出演した最初の公演でもある。
- ひまわり組公演終了後は、チームAとチームKはそれぞれ元のチームへと戻った。
メンバー
H1st「僕の太陽」・H2nd「夢を死なせるわけにいかない」を参照。
公演
2007年7月1日から11月30日まで1st公演を、2007年12月8日から2008年4月19日まで2nd公演を行った。
脚注・出典
- ^ 『AKB48ヒストリー』
外部リンク