「菊地あやか/ノート」の版間の差分

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(ページの作成:「== プリクラ流出騒動とAKB48解雇 == === 2008年 === *7月末、当時15歳になったばかりだった中学生の菊地と、同年代のある男性のツー...」)
 
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:「AKB48並びにプロダクション尾木を解雇された彼女ですが、社会的な制裁を真摯に受け止め、猛省し、自分の夢について真剣に考えたと聞きました。彼女が、再度オーディションを受けることには、相当の覚悟が必要だったでしょう。批判を受けることもわかっていたはずです。僕たちも悩みました。解雇という厳しい処分を下した責任があります。他のメンバーに対しての悪い見本になってしまうことも心配しました。「AKBのイメージが悪くなる」「復帰させるなら、解雇じゃなく、謹慎処分でよかっただろう?」「AKB全体のモラルへの意識が下がる」という沢山のファンの皆様の声もいただきました。しかし僕たちは、彼女がどういう気持ちでオーディションに応募して来たのかを考えると、応募書類を無視することは出来ませんでした。甘いと言われるかもしれません。僕たちの運営の在り方すら、疑問視されるでしょう。それでも僕たちは応募書類を受理し、特別に配慮することなく通常の気持ちで審査をしました。最後の最後まで、意見は分かれましたが、あるスタッフの言葉にみんなが頷きました。「俺が中学生の頃も、いろいろな過ちを犯しましたけど、次のチャンスがあったから、今、ここにいるんですよね」。
:「AKB48並びにプロダクション尾木を解雇された彼女ですが、社会的な制裁を真摯に受け止め、猛省し、自分の夢について真剣に考えたと聞きました。彼女が、再度オーディションを受けることには、相当の覚悟が必要だったでしょう。批判を受けることもわかっていたはずです。僕たちも悩みました。解雇という厳しい処分を下した責任があります。他のメンバーに対しての悪い見本になってしまうことも心配しました。「AKBのイメージが悪くなる」「復帰させるなら、解雇じゃなく、謹慎処分でよかっただろう?」「AKB全体のモラルへの意識が下がる」という沢山のファンの皆様の声もいただきました。しかし僕たちは、彼女がどういう気持ちでオーディションに応募して来たのかを考えると、応募書類を無視することは出来ませんでした。甘いと言われるかもしれません。僕たちの運営の在り方すら、疑問視されるでしょう。それでも僕たちは応募書類を受理し、特別に配慮することなく通常の気持ちで審査をしました。最後の最後まで、意見は分かれましたが、あるスタッフの言葉にみんなが頷きました。「俺が中学生の頃も、いろいろな過ちを犯しましたけど、次のチャンスがあったから、今、ここにいるんですよね」。
:僕たちは、彼女を研究生候補として、合格させることにしました。彼女の道は、まだまた前途多難です。この先、どうなるか、僕たちにもわかりません。ただ、そんな状況をわかっていながら、もう一度AKBのドアを叩いた彼女の意思と勇気に、せめてドアだけは開けてあげたいと思いました。オーディションの時、マイクを持つ手が震えていた15歳の精一杯の決心を無碍(むげ)にすることができなかった僕たちを許してください。研究生候補から研究生に昇格できるのか、研究生から正規メンバーに昇格できるのか、僕たちにもわかりません。彼女が生まれ変わったように輝き、ファンのみなさんがそれを認めてくださった時、初めて、彼女は復帰できたと言えるのでしょう。それまでは、他の研究生と同じように、暖かく見守ってあげてください。マネージメントに不慣れなため、お騒がせして申し訳ありません」
:僕たちは、彼女を研究生候補として、合格させることにしました。彼女の道は、まだまた前途多難です。この先、どうなるか、僕たちにもわかりません。ただ、そんな状況をわかっていながら、もう一度AKBのドアを叩いた彼女の意思と勇気に、せめてドアだけは開けてあげたいと思いました。オーディションの時、マイクを持つ手が震えていた15歳の精一杯の決心を無碍(むげ)にすることができなかった僕たちを許してください。研究生候補から研究生に昇格できるのか、研究生から正規メンバーに昇格できるのか、僕たちにもわかりません。彼女が生まれ変わったように輝き、ファンのみなさんがそれを認めてくださった時、初めて、彼女は復帰できたと言えるのでしょう。それまでは、他の研究生と同じように、暖かく見守ってあげてください。マネージメントに不慣れなため、お騒がせして申し訳ありません」
*このように、奇跡的ともいえる経緯でAKB48に復帰する事は出来たが、わずか{{年数|1993|06|30}}歳にして波瀾万丈ともいえるAKB人生を送る事となった菊地。今後、ファンにどのように受け入れられるのか。‘トラブルを巻き起こし、一部のファンからの強烈な逆風がある事を知りながら、再びAKBとして活動したいという思いから、オーディションへ参加を決意。懸命な努力と実力を評価され、見事再起を果たした菊地を応援する者’と、‘アイドルに「処女性」を求め、そして「恋愛禁止」というルールを破った菊地は許せないと言う者’。極めて異色な存在である菊地のAKB48復帰について、ファンの意見も分かれている。<ref name="cyz">http://www.cyzo.com/2010/02/post_3832.html</ref>
*このように、奇跡的ともいえる経緯でAKB48に復帰する事は出来たが、わずか16歳にして波瀾万丈ともいえるAKB人生を送る事となった菊地。今後、ファンにどのように受け入れられるのか。‘トラブルを巻き起こし、一部のファンからの強烈な逆風がある事を知りながら、再びAKBとして活動したいという思いから、オーディションへ参加を決意。懸命な努力と実力を評価され、見事再起を果たした菊地を応援する者’と、‘アイドルに「処女性」を求め、そして「恋愛禁止」というルールを破った菊地は許せないと言う者’。極めて異色な存在である菊地のAKB48復帰について、ファンの意見も分かれている。<ref name="cyz">http://www.cyzo.com/2010/02/post_3832.html</ref>
:菊地の騒動以降、AKBメンバーには度々男性スキャンダルが持ち上がっているが、「証拠が無い」「本人が否定した」として、菊地の様に厳しい処分が下される事はほとんど無くなった([[研究生]]の解雇はあるが、正規メンバーが処分された事は無い)。そのため菊地の復帰に対し否定的な者たちからは、「AKBが男に対して緩くなったのは、菊地の復活を認めたせいだ」と言われ続けている。<ref name="cyz">www.cyzo.com/2010/02/post_3832.html</ref>{{要出典|範囲=ネットでは誹謗中傷が溢れ、さらに『[[桜の栞]]』発売時に行われた撮影会の際には、解雇の原因となった例のプリクラ写真を真似したポーズをして撮影をするなどの嫌がらせも受けている。この様に、騒動から数年経った現在でも、未だに一部AKBファンからの菊地への風当たりが強いのが現状である。}}
:菊地の騒動以降、AKBメンバーには度々男性スキャンダルが持ち上がっているが、「証拠が無い」「本人が否定した」として、菊地の様に厳しい処分が下される事はほとんど無くなった([[研究生]]の解雇はあるが、正規メンバーが処分された事は無い)。そのため菊地の復帰に対し否定的な者たちからは、「AKBが男に対して緩くなったのは、菊地の復活を認めたせいだ」と言われ続けている。<ref name="cyz">www.cyzo.com/2010/02/post_3832.html</ref>{{要出典|範囲=ネットでは誹謗中傷が溢れ、さらに『[[桜の栞]]』発売時に行われた撮影会の際には、解雇の原因となった例のプリクラ写真を真似したポーズをして撮影をするなどの嫌がらせも受けている。この様に、騒動から数年経った現在でも、未だに一部AKBファンからの菊地への風当たりが強いのが現状である。}}


== 脚注・出典 ==
== 脚注・出典 ==
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