「大島優子」の版間の差分

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{{メンバー情報
{{メンバー情報
| グループ = AKB48
| 元グループ = AKB48
| チーム = 卒業生
| 名前 = 大島 優子
| 名前 = 大島 優子
| 読み = おおしま ゆうこ
| 読み = おおしま ゆうこ
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| 第4回じゃんけん大会 = 1回戦敗退
| 第4回じゃんけん大会 = 1回戦敗退
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}}
'''大島 優子'''(おおしま ゆうこ、1988年10月17日 - )は、[[AKB48]][[大島チームK]]の元メンバー、[[キャプテン]]。現・女優。栃木県下都賀郡壬生町<ref name="jcast">http://www.j-cast.com/mono/2012/06/07134813.html</ref>出身。太田プロダクション所属。
'''大島 優子'''(おおしま ゆうこ、1988年10月17日 - )は、[[AKB48]]の元メンバー、[[チームK]][[キャプテン]]。現在は女優。栃木県下都賀郡壬生町<ref name="jcast">http://www.j-cast.com/mono/2012/06/07134813.html</ref>出身。太田プロダクション所属。


==略歴==
==略歴==
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;2013年
;2013年
*6月8日、日産スタジアムで開票された[[第5回総選挙]]で2位。
*6月8日、日産スタジアムで開票された[[第5回総選挙]]で2位。
*12月31日、NHK『第64回紅白歌合戦』において、AKB48からの卒業を発表。
*12月31日、NHK『第64回紅白歌合戦』において、AKB48からの[[卒業]]を発表。


;2014年
;2014年
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*必ず心掛けていることは、「楽しむということですかね。楽しいこと、うれしいこと、苦しいこと、悲しいことも全部含めて、何でも楽しんじゃえという感じですかね」<ref name="note8T00321">http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/interview/20120501-OYT8T00321.htm?from=navlk</ref>
*必ず心掛けていることは、「楽しむということですかね。楽しいこと、うれしいこと、苦しいこと、悲しいことも全部含めて、何でも楽しんじゃえという感じですかね」<ref name="note8T00321">http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/interview/20120501-OYT8T00321.htm?from=navlk</ref>


===幼少期===
=== AKB48加入前 ===
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_1991.jpg,110){};<br>(1991年頃、3歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_1992_12_24.jpg,110){};<br>(1992年、4歳)
|}
#div(end) -->
*1988年10月17日、栃木県内の木村産婦人科で大島家の長女として生まれる。<ref name="wad100">『[[週刊AKB]]』 DVD特典「大島優子100の質問」</ref>日本人の父親と、アメリカ人と日本人のハーフの母親を持つクオーター。<ref name="note1000">スポニチ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20100721000.html</ref>兄妹には、3歳上の兄がいる。<ref name="note100428">『AKBINGO!』 10/04/28。</ref>
*1988年10月17日、栃木県内の木村産婦人科で大島家の長女として生まれる。<ref name="wad100">『[[週刊AKB]]』 DVD特典「大島優子100の質問」</ref>日本人の父親と、アメリカ人と日本人のハーフの母親を持つクオーター。<ref name="note1000">スポニチ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20100721000.html</ref>兄妹には、3歳上の兄がいる。<ref name="note100428">『AKBINGO!』 10/04/28。</ref>
*「優子」という名前の由来は、「たしか、“優しい子”だった気がする(苦笑)」。[[秋元才加|才加]]「でも何でもOKじゃない? “優”って“すぐれてる”っていう」。「じゃあ、優れてる人間ってことで。いや忘れちゃった(笑)」。才加「一番簡単そうなのに(笑)」。ちなみに、名付け親は祖父。…だとずっと思っていたら、実は父だった。<ref>『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』 2011年8月26日</ref>
*「優子」という名前の由来は、「たしか、“優しい子”だった気がする(苦笑)」。[[秋元才加|才加]]「でも何でもOKじゃない? “優”って“すぐれてる”っていう」。「じゃあ、優れてる人間ってことで。いや忘れちゃった(笑)」。才加「一番簡単そうなのに(笑)」。ちなみに、名付け親は祖父。…だとずっと思っていたら、実は父だった。<ref>『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』 2011年8月26日</ref>
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*幼稚園の頃から人前に出ることが好きで、お遊戯会でも立候補する様な子。昔から元気で、木登りが好きだった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*幼稚園の頃から人前に出ることが好きで、お遊戯会でも立候補する様な子。昔から元気で、木登りが好きだった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*初恋も幼稚園の頃。あるAKBの握手会に「同じ幼稚園でした」という男の子が来て、母親に確認したところ、実はそれが初恋の男の子だったとか。「当時の写真を見て、確かに面影があるなって、やっと思い出しました」。ちなみにその子とは幼稚園の卒業式で別れてぶりの再開だった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*初恋も幼稚園の頃。あるAKBの握手会に「同じ幼稚園でした」という男の子が来て、母親に確認したところ、実はそれが初恋の男の子だったとか。「当時の写真を見て、確かに面影があるなって、やっと思い出しました」。ちなみにその子とは幼稚園の卒業式で別れてぶりの再開だった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>
===子役・ジュニアアイドル時代===
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_1996.jpg,110){};<br>デビュー作(7歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2000.jpg,110){};<br>2000年頃(11歳)
|}
#div(end) -->
*1996年、7歳(小学1年生)の時、母親のすすめで劇団に所属し、芸能活動を始める。<ref name="note623">『ズームイン!!SUPER』10/06/23</ref>子役としてのテレビデビュー作は、同年のドラマ『ひよこたちの天使』<ref>『ウチくる!?』2010年8月22日</ref>
*1996年、7歳(小学1年生)の時、母親のすすめで劇団に所属し、芸能活動を始める。<ref name="note623">『ズームイン!!SUPER』10/06/23</ref>子役としてのテレビデビュー作は、同年のドラマ『ひよこたちの天使』<ref>『ウチくる!?』2010年8月22日</ref>
*小3の時のドラマで、山中湖へ飛び込むシーンなどの撮影があった。母親もいたが、スタッフから「お母さんはこの現場を見ないで下さい」と言われ離された。後で聞いた話だと、保険金をかけられていた。危険な撮影などもあったが、既に女優を目指すようになっていたため、別に辛いとは思わなかった。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*小3の時のドラマで、山中湖へ飛び込むシーンなどの撮影があった。母親もいたが、スタッフから「お母さんはこの現場を見ないで下さい」と言われ離された。後で聞いた話だと、保険金をかけられていた。危険な撮影などもあったが、既に女優を目指すようになっていたため、別に辛いとは思わなかった。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
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*2004年、高校に進学し、男子バレーボール部のマネージャーになる。「けっこう世話好きなんですよ?」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*2004年、高校に進学し、男子バレーボール部のマネージャーになる。「けっこう世話好きなんですよ?」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*高1の時に、小学生以来会っていなかった母親と4年ぶりに再会。それまでは、たまにメールが来て、それに少しだけ返信をするだけの関係だった。「ママから『ご飯行こう』ってメールが来ました。パパには言いにくかったけど、今なら言えると思って。『ママとご飯に行ってきていい?』と聞いたんです。一瞬、ビックリしてたけど、すぐ優しい顔で『いいよ』って。ああ、これはもう溶けたんだなって思いました」。お母さんも楽になれたのかな? 「いや~なってないと思いますよ。少なくとも最近までは。ママ、悔やんでたから。私とお兄ちゃんに申し訳ないって、自分を責めてたから。それで私言っちゃったんです。『ママはママの人生なんだから、好きに生きてよ』って。ママ、『強くなったね』って寂しそうに笑ってた。ちょっと可哀想でしたけどね。でも今は、何かに悩んで相談すると、『もっと楽に生きたら? 優子の人生は優子のものよ』って言われます(笑)」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*高1の時に、小学生以来会っていなかった母親と4年ぶりに再会。それまでは、たまにメールが来て、それに少しだけ返信をするだけの関係だった。「ママから『ご飯行こう』ってメールが来ました。パパには言いにくかったけど、今なら言えると思って。『ママとご飯に行ってきていい?』と聞いたんです。一瞬、ビックリしてたけど、すぐ優しい顔で『いいよ』って。ああ、これはもう溶けたんだなって思いました」。お母さんも楽になれたのかな? 「いや~なってないと思いますよ。少なくとも最近までは。ママ、悔やんでたから。私とお兄ちゃんに申し訳ないって、自分を責めてたから。それで私言っちゃったんです。『ママはママの人生なんだから、好きに生きてよ』って。ママ、『強くなったね』って寂しそうに笑ってた。ちょっと可哀想でしたけどね。でも今は、何かに悩んで相談すると、『もっと楽に生きたら? 優子の人生は優子のものよ』って言われます(笑)」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2004.jpg,100%){};<br>Doll's Vox時代<br>(2005年)
|}
#div(end) -->
*寿命を終えた子役が、次のステップへと進める者はほとんどいない。それでも一度だけ光が射した瞬間があった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>フジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指して展開中のこのプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCDを1枚リリースしたが、それを最後にグループは自然消滅。所属メンバーは、個人個人の活動へと戻っていった。「これは期待のグループだ」と本人は思っていただけに、活動終了を聞かされ相当落ち込み、所属事務所も辞めた。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>ちなみにこのグループには、アイドリング!!!9号の横山ルリカも所属しており、のちにユニット「[[AKBアイドリング!!!]]」として共演している。
*寿命を終えた子役が、次のステップへと進める者はほとんどいない。それでも一度だけ光が射した瞬間があった。<ref name="yuuko">『優子』</ref>フジテレビの『SDM発i』という番組のタカミープロジェクト「Doll's Vox」に参加。これはTHE ALFEEの高見沢俊彦がプロデューサーとなり、新時代のアイドルユニット結成を目指して展開中のこのプロジェクトで、コンセプトは「業界初、50人組のアイドルオーケストラ」。その後プロジェクトはCSの『CS発!美少女箱』に移動し、メンバー25人で2005年にCDを1枚リリースしたが、それを最後にグループは自然消滅。所属メンバーは、個人個人の活動へと戻っていった。「これは期待のグループだ」と本人は思っていただけに、活動終了を聞かされ相当落ち込み、所属事務所も辞めた。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>ちなみにこのグループには、アイドリング!!!9号の横山ルリカも所属しており、のちにユニット「[[AKBアイドリング!!!]]」として共演している。
*2005年、当時は高校2年生で、そろそろ進路を決めなければならない時期だった。栃木から東京まで通うのも金銭的な負担がかかるし、小学生の時からやっていた手話を生かし、手話通訳士(フォトブックだと社会福祉士)になろうかとも考えた。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*2005年、当時は高校2年生で、そろそろ進路を決めなければならない時期だった。栃木から東京まで通うのも金銭的な負担がかかるし、小学生の時からやっていた手話を生かし、手話通訳士(フォトブックだと社会福祉士)になろうかとも考えた。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
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===AKB48として===
===AKB48として===
====2006年====
====2006年====
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2006.jpg,110){};<br>最終審査時<br>(06/2/26、17歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2006_4.jpg,110){};<br>デビュー当時<br>(2006/4、当時17歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2006b.jpg,110){};<br>2006年(当時18歳)
|}
#div(end) -->
*2月26日、AKB48の追加メンバー[[オーディション]]の最終審査に合格。「審査員の一人が手元の紙に○ってしたのが見えたんです。これは受かったなと(笑)」。<ref name="yuuko">『優子』</ref>しかしオーディション終了後、[[秋元康]]と夏まゆみが2期生の代表に選んだのは、[[秋元才加]]と[[宮澤佐江]]の2人で、大島ではなかった。[[戸賀崎智信]]も当時の大島について、「それが…まったくオーディションの時の優子はまったく印象にないんです。秋元、宮澤の印象が強すぎたせいですかね」と語っている。<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*2月26日、AKB48の追加メンバー[[オーディション]]の最終審査に合格。「審査員の一人が手元の紙に○ってしたのが見えたんです。これは受かったなと(笑)」。<ref name="yuuko">『優子』</ref>しかしオーディション終了後、[[秋元康]]と夏まゆみが2期生の代表に選んだのは、[[秋元才加]]と[[宮澤佐江]]の2人で、大島ではなかった。[[戸賀崎智信]]も当時の大島について、「それが…まったくオーディションの時の優子はまったく印象にないんです。秋元、宮澤の印象が強すぎたせいですかね」と語っている。<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*3日後ぐらいからレッスンが始まり、高校が終わった後に東京まで来てレッスンし、終わった後に栃木に帰るということを繰り返していた。送り迎えは父がしてくれて、お弁当なども作ってくれていた。<ref name="note20101013">『スーパーモーニング』2010年10月13日</ref>
*3日後ぐらいからレッスンが始まり、高校が終わった後に東京まで来てレッスンし、終わった後に栃木に帰るということを繰り返していた。送り迎えは父がしてくれて、お弁当なども作ってくれていた。<ref name="note20101013">『スーパーモーニング』2010年10月13日</ref>
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====2007年====
====2007年====
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2007a.jpg,110){};<br>2007年(当時19歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2007b.jpg,110){};<br>2007年(当時19歳)
|}
#div(end) -->
*4月、3rdシングル『[[軽蔑していた愛情]]』のPV撮影で、久しぶりに演技をする事に。今まで歌やダンス、MCをやってきたが、やっぱり自分は「演技がしたい」と再確認した。そして本気で女優になろうと決意した。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*4月、3rdシングル『[[軽蔑していた愛情]]』のPV撮影で、久しぶりに演技をする事に。今まで歌やダンス、MCをやってきたが、やっぱり自分は「演技がしたい」と再確認した。そして本気で女優になろうと決意した。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*7月1日、チームAとKのメンバーをシャッフルし「[[ひまわり組]]」を結成、この新体制で公演を行う事になる。色々といわくのあった両チームなので、当然賛否両論はあったが、メンバーによると、始まってしまえば素直に受け入れられ、お互いにかなり影響を与えたという。「チームAの技術やマイペースさには、本当に影響を受けました。『こんなに自由でいいんだ!』って。それまでのKって。私をはじめ“真面目で真剣”ってところがあったから、Aに殻を破ってもらって、自分の本来持っていた明るさを出せた気がします」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
*7月1日、チームAとKのメンバーをシャッフルし「[[ひまわり組]]」を結成、この新体制で公演を行う事になる。色々といわくのあった両チームなので、当然賛否両論はあったが、メンバーによると、始まってしまえば素直に受け入れられ、お互いにかなり影響を与えたという。「チームAの技術やマイペースさには、本当に影響を受けました。『こんなに自由でいいんだ!』って。それまでのKって。私をはじめ“真面目で真剣”ってところがあったから、Aに殻を破ってもらって、自分の本来持っていた明るさを出せた気がします」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
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====2008年====
====2008年====
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2008a.jpg,110){};<br>2008年(当時20歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2008b.jpg,110){};<br>2008年(当時20歳)
|}
<br>
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2009.jpg,110){};<br>2009年(当時21歳)
|}
#div(end) -->
*10月、10thシングル『[[大声ダイヤモンド]]』が発売。センターは、結成されたばかりでまだデビューすらしていなかった[[SKE48]]の[[松井珠理奈]]が務めると聞かされた。正直、「こいつはなんだ?」と思った。大島は選抜メンバーの20名には選ばれたが、フロントメンバーからは外された(衣装は制服がモチーフになっており、前列にいる10名は上着有りだが、後列10人は上着がなくシャツ。大島はジャケット無しだった)。実はこの曲の少し後に1期生が大量に卒業し、5期生など研究生あがりが重用されるようになってきた。AKBの中でもいろいろと変化の起こった時期だった。大島と同じく同期の[[秋元才加]]もフロントからは外され、2人で「とうとう来たよ、世代交代」と思った。でも珠理奈の存在は、逆にやる気を奮い立たされた。まだまだ負けてられないと思い、狂った様に頑張った。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*10月、10thシングル『[[大声ダイヤモンド]]』が発売。センターは、結成されたばかりでまだデビューすらしていなかった[[SKE48]]の[[松井珠理奈]]が務めると聞かされた。正直、「こいつはなんだ?」と思った。大島は選抜メンバーの20名には選ばれたが、フロントメンバーからは外された(衣装は制服がモチーフになっており、前列にいる10名は上着有りだが、後列10人は上着がなくシャツ。大島はジャケット無しだった)。実はこの曲の少し後に1期生が大量に卒業し、5期生など研究生あがりが重用されるようになってきた。AKBの中でもいろいろと変化の起こった時期だった。大島と同じく同期の[[秋元才加]]もフロントからは外され、2人で「とうとう来たよ、世代交代」と思った。でも珠理奈の存在は、逆にやる気を奮い立たされた。まだまだ負けてられないと思い、狂った様に頑張った。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*11月29日、急性虫垂炎になり入院。手術を受ける。<ref>サンケイスポーツ http://www.sanspo.com/geino/news/081202/gnj0812020503012-n1.htm </ref>
*11月29日、急性虫垂炎になり入院。手術を受ける。<ref>サンケイスポーツ http://www.sanspo.com/geino/news/081202/gnj0812020503012-n1.htm </ref>
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====2010年====
====2010年====
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2010.jpg,110){};<br>2010年(当時22歳)
|}
#div(end) -->
*3月12日、チームシャッフル後、新チームKが一番最初に公演を開始。K6th「RESET」初日直前に送られてきた大島のモバメには、「久しぶりに燃えてる自分がいる。この感情が懐かしく感じてうれしい」と書いている。始まった公演では、チームAから異動してきた[[板野友美]]と大島によるダブルセンターという形だった。<ref name="BB1005">『BUBKA』2010年5月号</ref>
*3月12日、チームシャッフル後、新チームKが一番最初に公演を開始。K6th「RESET」初日直前に送られてきた大島のモバメには、「久しぶりに燃えてる自分がいる。この感情が懐かしく感じてうれしい」と書いている。始まった公演では、チームAから異動してきた[[板野友美]]と大島によるダブルセンターという形だった。<ref name="BB1005">『BUBKA』2010年5月号</ref>
*3月25日、横浜アリーナのコンサートにて、去年に引き続き今年も「[[選抜総選挙]]」が行われる事が発表された。『総選挙ガイドブック』において戸賀崎から見た大島の印象。「普段は無邪気なお転婆娘。しかしポテンシャルの深さはどこまであるか分からない」。また「弱音を吐いたのをほとんど見た事がない」。『[[週刊AKB]]』の後藤P「大島は常に全力投球な所が良い。何をやってもらってもメンバーでは最高レベルだから、良いお手本になるんだよね。ウチの必需品。彼女はね、分かっているんだよ。アイドルには必ず寿命があるんだって事を。限られている期間で結果を出さないと、未来は拓けないってのを知っている」<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
*3月25日、横浜アリーナのコンサートにて、去年に引き続き今年も「[[選抜総選挙]]」が行われる事が発表された。『総選挙ガイドブック』において戸賀崎から見た大島の印象。「普段は無邪気なお転婆娘。しかしポテンシャルの深さはどこまであるか分からない」。また「弱音を吐いたのをほとんど見た事がない」。『[[週刊AKB]]』の後藤P「大島は常に全力投球な所が良い。何をやってもらってもメンバーでは最高レベルだから、良いお手本になるんだよね。ウチの必需品。彼女はね、分かっているんだよ。アイドルには必ず寿命があるんだって事を。限られている期間で結果を出さないと、未来は拓けないってのを知っている」<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
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====2011年====
====2011年====
<!-- #div(start)
{| class="wikitable"
|&imgfolder(img_ooshima_2011_4.jpg,110){};<br>2011年(当時22歳)
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#div(end) -->
*1月8日、『ドキュメンタリー オブ AKB48 ~1ミリ先の未来~』でコンサート「[[サプライズはありません]]」のリハの模様が放送された。1日目終了後、メンバーの指揮を執っている、高橋みなみが体調不良によりダウン。高橋を戦友だと語る大島は、「(高橋が)役割すべて背負ってたんで、だから倒れたんだなって思って、申し訳ないなと思って」と後悔。2日目、具合悪そうな高橋の隣にいた大島が、誰か([[佐藤由加理]]説が有力)を叱り飛ばすシーンが放送される。一体誰に対して怒っているのか話題になったが、後の2人の対談でもその件が話題になっている。高橋「優子のすごい所は、誰にでも思った事をストレートに言うところだよね。あの時も私のために、バーンって怒ってくれて」。優子「ああ~(笑)」。高橋「マジうれしかった」。優子「そんなんじゃなくって。前日のコンサートたかみな熱中症で倒れたのを見て、何でこうなる前に私が支えてやらなかっただろうって。リハーサルの時、私も他の子と一緒になって浮かれてたから…」。高橋「翌日も体調が戻らなくって。なのに、『みんな聞いて~』って言っても賑やかな子がいて。そしたら優子が『たかみな具合悪いんだから静かにねe&』って」。優子「今、気遣った? この本、嘘無しなので、そのままどうぞ」。高橋「『たかみな具合悪いんだから、ふざけんじゃねーぞ』(笑)」。優子「なんか、あそこだけドキュメンタリーにも出てた(笑)」。高橋「それ見て、思う人がいると思うの。優子がキレてるとか、怖いとか。でもあれは、優子が本当に私の体を心配して言ってくれたので、それをここで弁解したいです。私は」。優子「ありがとう。でも気にしてないよ。私のファンの方からは、あんまり悪評価を受けなかった。『カッコ良かったっす』とか言われたし(笑)。だから大丈夫」。高橋「本当? 良かった」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*1月8日、『ドキュメンタリー オブ AKB48 ~1ミリ先の未来~』でコンサート「[[サプライズはありません]]」のリハの模様が放送された。1日目終了後、メンバーの指揮を執っている、高橋みなみが体調不良によりダウン。高橋を戦友だと語る大島は、「(高橋が)役割すべて背負ってたんで、だから倒れたんだなって思って、申し訳ないなと思って」と後悔。2日目、具合悪そうな高橋の隣にいた大島が、誰か([[佐藤由加理]]説が有力)を叱り飛ばすシーンが放送される。一体誰に対して怒っているのか話題になったが、後の2人の対談でもその件が話題になっている。高橋「優子のすごい所は、誰にでも思った事をストレートに言うところだよね。あの時も私のために、バーンって怒ってくれて」。優子「ああ~(笑)」。高橋「マジうれしかった」。優子「そんなんじゃなくって。前日のコンサートたかみな熱中症で倒れたのを見て、何でこうなる前に私が支えてやらなかっただろうって。リハーサルの時、私も他の子と一緒になって浮かれてたから…」。高橋「翌日も体調が戻らなくって。なのに、『みんな聞いて~』って言っても賑やかな子がいて。そしたら優子が『たかみな具合悪いんだから静かにねe&』って」。優子「今、気遣った? この本、嘘無しなので、そのままどうぞ」。高橋「『たかみな具合悪いんだから、ふざけんじゃねーぞ』(笑)」。優子「なんか、あそこだけドキュメンタリーにも出てた(笑)」。高橋「それ見て、思う人がいると思うの。優子がキレてるとか、怖いとか。でもあれは、優子が本当に私の体を心配して言ってくれたので、それをここで弁解したいです。私は」。優子「ありがとう。でも気にしてないよ。私のファンの方からは、あんまり悪評価を受けなかった。『カッコ良かったっす』とか言われたし(笑)。だから大丈夫」。高橋「本当? 良かった」<ref name="yuuko">『優子』</ref>
*1月21日、「[[リクエストアワーセットリストベスト100 2011]]」2日目。新ユニット「[[Not yet]]」の結成をファンに発表。「最初ユニット結成を聞いたときは、正直、不安のほうが強かったのですが、自分もまた新しい可能性を見つけることができるんじゃないかなと思いました。今は楽しみな気持ちでいっぱいです」。<ref>http://natalie.mu/music/news/43834</ref>「秋元さんには、『ユニットをやっといて損はない』と言われました。当面の目標は単独ライブ。ミニライブでもいいからやってみたいです」<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*1月21日、「[[リクエストアワーセットリストベスト100 2011]]」2日目。新ユニット「[[Not yet]]」の結成をファンに発表。「最初ユニット結成を聞いたときは、正直、不安のほうが強かったのですが、自分もまた新しい可能性を見つけることができるんじゃないかなと思いました。今は楽しみな気持ちでいっぱいです」。<ref>http://natalie.mu/music/news/43834</ref>「秋元さんには、『ユニットをやっといて損はない』と言われました。当面の目標は単独ライブ。ミニライブでもいいからやってみたいです」<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
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