「田中美久」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
→‎キャラクター: スタイル微修正
(→‎キャラクター: スタイル微修正)
35行目: 35行目:
*名前の由来は、両親それぞれの名前の1文字ずつから。「こんな素敵な名前をつけてくれたパパとママに感謝です♪パパとママありがとう。」<ref name="g+20150111tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108158383330906277526/posts/JPLjesbcRXz|by=田中美久|date=2015-01-11}}</ref>
*名前の由来は、両親それぞれの名前の1文字ずつから。「こんな素敵な名前をつけてくれたパパとママに感謝です♪パパとママありがとう。」<ref name="g+20150111tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108158383330906277526/posts/JPLjesbcRXz|by=田中美久|date=2015-01-11}}</ref>
*劇場支配人[[尾崎充]]による紹介。「負けず嫌いな乙女座の12歳。人目もはばからず、見せる悔し涙は明日へと繋ぐ。彼女の眼力は、何かを予感させる。」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/116932464999954700023/posts/KQW5a1WteFG|by=尾崎充|date=2013-12-01}}</ref>
*劇場支配人[[尾崎充]]による紹介。「負けず嫌いな乙女座の12歳。人目もはばからず、見せる悔し涙は明日へと繋ぐ。彼女の眼力は、何かを予感させる。」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/116932464999954700023/posts/KQW5a1WteFG|by=尾崎充|date=2013-12-01}}</ref>
※ひとりっ子である。<ref>{{出典 Google+|https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/1YYzJneZzRg|by=田中美久|date=2014-09-01}}</ref>
* ひとりっ子である<ref name="g+1YYzJneZzRg">{{出典 Google+|https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/1YYzJneZzRg|by=田中美久|date=2014-09-01}}</ref>
 
==== 2013年 ====
==== 2013年 ====
*8月4日、HKT48第3期生オーディションに合格。HKT48に入ろうと思った理由は、「テレビのいろんな番組でAKBさんが出てるのを見て、笑顔や幸せをもらったので『次は私が』と思って、熊本からいちばん近いところで活動しているHKTを目指しました」<ref name="nishinippon57226">『[http://www.nishinippon.co.jp/nlp/hkt_news/article/57226 【西スポ特集】新鮮力よろしくネ HKT48 3期生9人 初インタビュー]』 2013年12月10日</ref>
*8月4日、HKT48第3期生オーディションに合格。HKT48に入ろうと思った理由は、「テレビのいろんな番組でAKBさんが出てるのを見て、笑顔や幸せをもらったので『次は私が』と思って、熊本からいちばん近いところで活動しているHKTを目指しました」<ref name="nishinippon57226">『[http://www.nishinippon.co.jp/nlp/hkt_news/article/57226 【西スポ特集】新鮮力よろしくネ HKT48 3期生9人 初インタビュー]』 2013年12月10日</ref>
==== 2014年 ====
==== 2014年 ====
*2月8日、九州ツアー長崎公演にて、HKT48 3rdシングル『[[桜、みんなで食べた]]』のリリースが発表され初選抜入り。
*2月8日、九州ツアー長崎公演にて、HKT48 3rdシングル『[[桜、みんなで食べた]]』のリリースが発表され初選抜入り。
*4月1日、本人の地元の新聞社、熊本日日新聞社のテレビCMに起用、および同社発刊の小中学生新聞「くまTOMO」にて「みくりんの日々きらきら」の連載がスタートすることが発表された。 <ref>[http://www.hkt48.jp/news/2014/04/009668.html HKT48オフィシャルサイト ニュース 2014年4月1日付]</ref>
*4月1日、本人の地元の新聞社、熊本日日新聞社のテレビCMに起用、および同社発刊の小中学生新聞「くまTOMO」にて「みくりんの日々きらきら」の連載がスタートすることが発表された。 <ref>[http://www.hkt48.jp/news/2014/04/009668.html HKT48オフィシャルサイト ニュース 2014年4月1日付]</ref>
*8月31日、HKT48 4thシングル「[[控えめI love you !]]」の選抜がYouTubeのHKT48オフィシャルチャンネルにて発表され、2度目の選抜入り。翌日のGoogle+「昨日は、HKT48オフィシャルサイトにて次の『4thシングルの選抜発表』があり、私は選抜に入らされて頂くことができました!本当に嬉しいです。正直、桜みんなで食べた。の時は話題性がまさっていて、実力はまだまだだったと思います…。でもこのチャンスを逃したらいけないと思い日々頑張ってきました。チャンスは何度も何度も来るわけではないし、もらうものでもない。自分で掴むものだ!と…。選抜発表がされた時、本当に嬉しくて、ホッとしました。選抜発表がまだある前、握手会などでよくファンの皆さんに、みくりんなら絶対入れるよ!とかみくりんが次も選抜に入れるように頑張るけん!などとたくさんの言葉を頂きました。それは私にとって、大きく気持ちを変えて行きました。凄く嬉しかったこともあり、良い意味でプレッシャーにもありました。なので多分選抜発表があった時はやったー!と言う気持ちより心から安心したんだと思います。私が選抜に入らせて頂いたこと。それはもちろん、私だけの力ではなく、ファンの皆様の愛があってからこそだと感じています。応援して下さった皆さん。本当にありがとうございます(^_^) これからも、選抜メンバーとして、恥じない様に日々頑張って行きますので応援よろしくお願いします。私も私なりにファンの皆さんの期待に応えられるよう努力し、頑張ります。」<ref name="g+20140901tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/iBHc3btsenn|by=田中美久|date=2014-09-01}}</ref>
*8月31日、HKT48 4thシングル「[[控えめI love you !]]」の選抜がYouTubeのHKT48オフィシャルチャンネルにて発表され、2度目の選抜入り。翌日のGoogle+「昨日は、HKT48オフィシャルサイトにて次の『4thシングルの選抜発表』があり、私は選抜に入らされて頂くことができました!本当に嬉しいです。正直、桜みんなで食べた。の時は話題性がまさっていて、実力はまだまだだったと思います…。でもこのチャンスを逃したらいけないと思い日々頑張ってきました。チャンスは何度も何度も来るわけではないし、もらうものでもない。自分で掴むものだ!と…。選抜発表がされた時、本当に嬉しくて、ホッとしました。選抜発表がまだある前、握手会などでよくファンの皆さんに、みくりんなら絶対入れるよ!とかみくりんが次も選抜に入れるように頑張るけん!などとたくさんの言葉を頂きました。それは私にとって、大きく気持ちを変えて行きました。凄く嬉しかったこともあり、良い意味でプレッシャーにもありました。なので多分選抜発表があった時はやったー!と言う気持ちより心から安心したんだと思います。私が選抜に入らせて頂いたこと。それはもちろん、私だけの力ではなく、ファンの皆様の愛があってからこそだと感じています。応援して下さった皆さん。本当にありがとうございます(^_^) これからも、選抜メンバーとして、恥じない様に日々頑張って行きますので応援よろしくお願いします。私も私なりにファンの皆さんの期待に応えられるよう努力し、頑張ります。」<ref name="g+20140901tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/iBHc3btsenn|by=田中美久|date=2014-09-01}}</ref>
*9月13日、チーム[[H2nd「青春ガールズ」]]公演にて13歳の生誕祭。当日のGoogle+のコメント「今日は、私の生誕祭でした!!!すごくすごく素敵な、生誕祭で感激してしまいました。ほんとにほんとに、ありがとうございます。[[矢吹奈子|なこちゃん]]の手紙も嬉しかった。大好きな[[秋吉優花|優花ちゃん]]からの言葉で、つい、ポロって涙が…泣かないと決めてたのに この1日で1年間分頑張れそうです。次の元気の素は、来年の生誕祭まで頑張れるもん♪最高の1日!13年間で1番の誕生日。いまから、誕プレのモツ鍋です。」<ref name="g+20140913tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/GzQUqqsvkrm|by=田中美久|date=2014-09-13}}</ref>
*9月13日、チーム[[H2nd「青春ガールズ」]]公演にて13歳の生誕祭。当日のGoogle+のコメント「今日は、私の生誕祭でした!!!すごくすごく素敵な、生誕祭で感激してしまいました。ほんとにほんとに、ありがとうございます。[[矢吹奈子|なこちゃん]]の手紙も嬉しかった。大好きな[[秋吉優花|優花ちゃん]]からの言葉で、つい、ポロって涙が…泣かないと決めてたのに この1日で1年間分頑張れそうです。次の元気の素は、来年の生誕祭まで頑張れるもん♪最高の1日!13年間で1番の誕生日。いまから、誕プレのモツ鍋です。」<ref name="g+20140913tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/GzQUqqsvkrm|by=田中美久|date=2014-09-13}}</ref>
:また、[[尾崎充]](劇場支配人)が生誕祭に寄せて、九州ツアーでのエピソードを交えながらGoogle+にてコメント、「本日、(日付けが変わってしまい昨日)9月12日に13歳の誕生日を迎えた田中美久の生誕祭を行いました。実は、矢吹よりも誕生日の遅い田中美久は、HKT48の最年少。“HKT48"九州7県ツアー〜可愛い子には旅をさせよ〜、熊本公演の前夜のことを話したい。HKT48では当時、メンバー内でインフルエンザがまん延していた。代わる代わるメンバーがダウン。田中美久もその一人となった。今回、ツアーの目玉の一つ。出身地のメンバーをフューチャーする企画があった。各地への恩返しの意味もあり・・・。当然、熊本出身の田中美久にもその場面を用意していた。やっと念願叶っての熊本出身者。HKT48に加入し、期待も大だった。そんな矢先だった。我々スタッフはやむなく田中美久の出演の変更を覚悟していた。医師からは完治。本人次第で出演の了解は得ていたが、昨日まで高熱が続き、体力的にもかなりの消耗をしているであろう小さな身体の12歳。本人へ、最終的な出演可否を確認に自宅を訪ねた。アパートの部屋の奥から飾りもせずにパジャマ姿で現れた。開口一番、強い目力で『出演をさせてほしい!』と訴えてきた。まさにこの瞬間、50歳近い私と、12歳の田中美久に年齢差はなく、対等にプロとしての会話が成り立った。私も、数多くの会話をそこでした覚えは無い。すぐに看病でそばに付き添っておられた田中美久の祖母とも確認をし、最終的に御両親の了解も得て出演を決めた。翌日、ご存知の通り、地元の大声援を受けて「シンクロときめき」を歌い出演を果たしている。当然、病み上がりとは関係なく、完成度の低いまだまだのパフォーマンスではあったが・・・”グッと”くるものがあった。アーティスト写真を撮る際も、決して妥協は許さない。カメラマンと積極的に話し、それを探求するその姿にプロ意識を垣間見る。この原石を上手に輝かせたい。誰にもそう思わせる能力を生まれながらに兼ね備えている。そう感じる。田中、おめでとう!!」<ref name="g+20140914OM">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/116932464999954700023/posts/aFNsAN5muxa|by=尾崎充|date=2014-09-14}}</ref>
:また、[[尾崎充]](劇場支配人)が生誕祭に寄せて、九州ツアーでのエピソードを交えながらGoogle+にてコメント、「本日、(日付けが変わってしまい昨日)9月12日に13歳の誕生日を迎えた田中美久の生誕祭を行いました。実は、矢吹よりも誕生日の遅い田中美久は、HKT48の最年少。“HKT48"九州7県ツアー〜可愛い子には旅をさせよ〜、熊本公演の前夜のことを話したい。HKT48では当時、メンバー内でインフルエンザがまん延していた。代わる代わるメンバーがダウン。田中美久もその一人となった。今回、ツアーの目玉の一つ。出身地のメンバーをフューチャーする企画があった。各地への恩返しの意味もあり・・・。当然、熊本出身の田中美久にもその場面を用意していた。やっと念願叶っての熊本出身者。HKT48に加入し、期待も大だった。そんな矢先だった。我々スタッフはやむなく田中美久の出演の変更を覚悟していた。医師からは完治。本人次第で出演の了解は得ていたが、昨日まで高熱が続き、体力的にもかなりの消耗をしているであろう小さな身体の12歳。本人へ、最終的な出演可否を確認に自宅を訪ねた。アパートの部屋の奥から飾りもせずにパジャマ姿で現れた。開口一番、強い目力で『出演をさせてほしい!』と訴えてきた。まさにこの瞬間、50歳近い私と、12歳の田中美久に年齢差はなく、対等にプロとしての会話が成り立った。私も、数多くの会話をそこでした覚えは無い。すぐに看病でそばに付き添っておられた田中美久の祖母とも確認をし、最終的に御両親の了解も得て出演を決めた。翌日、ご存知の通り、地元の大声援を受けて「シンクロときめき」を歌い出演を果たしている。当然、病み上がりとは関係なく、完成度の低いまだまだのパフォーマンスではあったが・・・”グッと”くるものがあった。アーティスト写真を撮る際も、決して妥協は許さない。カメラマンと積極的に話し、それを探求するその姿にプロ意識を垣間見る。この原石を上手に輝かせたい。誰にもそう思わせる能力を生まれながらに兼ね備えている。そう感じる。田中、おめでとう!!」<ref name="g+20140914OM">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/116932464999954700023/posts/aFNsAN5muxa|by=尾崎充|date=2014-09-14}}</ref>
*11月2日、3期生お披露目より一周年を迎えた。当日のGoogle+のコメント「今日、三期生一周年だよ この一年間色々ありました! お披露目前は、レッスンレッスンの日々でまだその時は、熊本から通ってましたよ。最初に仲良くなって一緒にいたのは、えれ![[坂本愛玲菜]]ちゃん。みんな仲良かったけどね。今だから言えるお披露目前のエピソード…その日は、ホークスタウンに用があって、せっかくだからとHKT劇場を見に行こうと(劇場内ではなく正面入り口)行った訳ですよ、顔バレしてないのをいい事に お披露目したら、正面入り口にはもう行けないと思い行きました!!その日は、ちょうど[[植木南央|植木さん]]の生誕祭で、人がいっぱい。みくは、まだ誰も知られてないのにずっと顔を伏せてたよ(笑)自意識過剰だよね メッセージカードを呼びかけてる人や、植木さんのTシャツ着てる人とかいて なんかワクワクしたの思い出したよ 三期生だけで、なにかやりたいと思うけど…時間合うかな…?写真は撮りたいねと話してました。一年間色々ホントにあったな 皆さん、三期生をこれからも見守って下さい。」<ref name="g+20141102tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/5aUhokkwRfT|by=田中美久|date=2014-11-02}}</ref>
*11月2日、3期生お披露目より一周年を迎えた。当日のGoogle+のコメント「今日、三期生一周年だよ この一年間色々ありました! お披露目前は、レッスンレッスンの日々でまだその時は、熊本から通ってましたよ。最初に仲良くなって一緒にいたのは、えれ![[坂本愛玲菜]]ちゃん。みんな仲良かったけどね。今だから言えるお披露目前のエピソード…その日は、ホークスタウンに用があって、せっかくだからとHKT劇場を見に行こうと(劇場内ではなく正面入り口)行った訳ですよ、顔バレしてないのをいい事に お披露目したら、正面入り口にはもう行けないと思い行きました!!その日は、ちょうど[[植木南央|植木さん]]の生誕祭で、人がいっぱい。みくは、まだ誰も知られてないのにずっと顔を伏せてたよ(笑)自意識過剰だよね メッセージカードを呼びかけてる人や、植木さんのTシャツ着てる人とかいて なんかワクワクしたの思い出したよ 三期生だけで、なにかやりたいと思うけど…時間合うかな…?写真は撮りたいねと話してました。一年間色々ホントにあったな 皆さん、三期生をこれからも見守って下さい。」<ref name="g+20141102tm">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/108970757420572548175/posts/5aUhokkwRfT|by=田中美久|date=2014-11-02}}</ref>
*12月1日、家電メーカー東芝の広告「地元代表がご紹介!東芝家電でひとつ先の新しい暮らし。」に熊本代表として起用された。
*12月1日、家電メーカー東芝の広告「地元代表がご紹介!東芝家電でひとつ先の新しい暮らし。」に熊本代表として起用された。


15,442

回編集

案内メニュー