窪田康志

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窪田 康志 くぼた やすし
窪田康志.png
所属事務所

ワイケーエージェント

窪田 康志(くぼた やすし、1972年もしくは1973年生)は、AKB48の運営会社である株式会社AKSの元代表取締役社長で元「AKB48プロジェクト」エグゼクティブ・プロデューサー。ケーアールケープロデュース株式会社、株式会社ワイケーエージェント(旧社名・セントラル株式会社)、株式会社ワイケープロデュース(旧社名・有限会社レーヴ青山)・代表取締役社長。株式会社大樹レーシングクラブ元代表取締役社長(配当金流用騒動で解任)[要出典]乃木坂46の冠番組「乃木坂工事中」ではスーパーバイザーとしてクレジットに名を連ねる。

人物

  • AKBの最重要人物の3人の内の一人で、AKSの「K」は窪田の「K」。
  • 都内で電子部品製造業を営む資産家の御曹司であり、AKB48立ち上げ資金を提供した人物。
  • AKB48プロジェクトの役職でいうとエグゼクティブ(上級管理職)・プロデューサー。序列ではトータル(総合)・プロデューサー秋元の次に名前が載る。
  • マスコミに頻繁に登場する秋元康や、昔は劇場に顔を出していた芝幸太郎に比べ、露出は少ない。
  • 2010年2月時点で38歳と週刊文春が報じている。
  • 大樹レーシングクラブ社長を務めたこともあり、競馬業界に明るい馬主でもある。[誰によって?]
  • 2012年7月9~10日、日本最大の競走馬セリ市「セレクトセール2012」が開催された。上場された453頭のうち360頭が落札され、総額108億1,112万円の取引が行われた。かなりの盛況ぶりだったようだが、高額落札の常連として注目されたのは「ドラゴン」の冠号で知られる馬主親子。その親子とは、AKB48の運営会社「AKS」の窪田康志社長と父親の窪田芳郎氏だ。芳郎氏は以前から馬主として有名であり、息子の窪田社長も「タイキ」の冠号で知られる大樹レーシングクラブの代表取締役を務めたことがあるなど競馬界と縁が深い。今回のセリでは、芳郎氏がカリの2012(父・ディープインパクト)1億2,600万円、バイザスポーツの2012(父・ネオユニヴァース)6,510万円、スマイルトゥモローの2012(父・ディープインパクト)6,090万円、ビーチフェスタの2011(父・ファルブラヴ)1,480万円を購入、窪田社長はシャープキックの2011(父・マンハッタンカフェ)3,780万円、フィヨルドクルーズの2011(父・タイキシャトル)1,600万円を落札。親子で合計3億円以上の買い物となった。「芳郎氏は昨年のセレクトセールでも2億円以上を使っています。いくら息子がAKBで儲けているとはいえ、不況なんてどこ吹く風といった景気の良さ。最高額2億6,000万円のディープ産駒はセガサミーの会長・里見治氏が落札しましたが、総額では負けていません」(競馬紙記者)。窪田社長がAKB効果で景気がいいのは分かるが、大企業の会長に引けを取らないほどの大盤振る舞いを見せる芳郎氏とは何者なのか。
芳郎氏はトーテックや東京ウェルズ、東京コイルエンジニアリングといった電子部品会社の代表取締役などを務める人物。いわば筋金入りの資産家であり、窪田社長は二代目のボンボンといったところ。AKB設立に関しても、芳郎氏の力が大きかったといわれているようだ。「秋元康氏やオフィス48の芝幸太郎氏がAKBプロジェクトを温めている時期に、20億円といわれる準備資金の調達を買って出たのが窪田社長。この資金があったから電通も動いたが、ウェディング関連事業を興したもののパッとしなかった窪田社長が簡単に用意できるわけがない。この金は芳郎氏の援助が大きかったようだ。芳郎氏というパトロンがいなければ、AKBは誕生していなかったと言っても過言ではない」(芸能関係者)。[1]
  • 2017年にはノース・リバーの株式を京楽産業.に売却している。その際の売却益は京楽からの借入金と相殺したとされたが、2020年に入り、国税局から売却した時点の譲渡益の申告漏れを指摘され、修正申告に応じることとなった[2][3]

スキャンダル

喜び組問題

  • 2010年2月、『週刊文春』(2月18日号)は、運営スタッフや元AKBメンバーの証言を元にして、AKBがAKS社長の窪田の喜び組(某国で将軍様のために歌や踊り、性的奉仕などを行う女性たちの事)になっていると報じた。そして篠田麻里子の名前を挙げ、彼女は窪田社長と同じマンションに住んでおり、さらに社長名義のクレジットカードを渡され、好きに私服を買っているなど、事実上の愛人関係であると報道した。[4]
同じマンションに住んでいる事は、篠田本人もAKS側も認めているが、本人はマンションを変えた事について「過去にストーカー被害にあった為の引っ越し」であるとコメント。AKSは、「同じマンションに住まわせることがなぜ"不適切な関係"につながるのか」と、それぞれコメントした。[5]
  • またこの報道に対しAKBサイドは、公式ブログで次のように反論した。「タイトルおよび内容に至るまで事実無根であり、弊社としては大変遺憾に思っております。つきましては、出版社および媒体に対して断固抗議の姿勢を持って臨むべく、現在、顧問弁護士と法的手段を取るべく準備をしております。AKB48を応援してくださっているファンの皆様および関係各位におかれましては、本件において多大なるご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げると共に、事実無根の記事内容に翻弄されることなく、今までと変わらぬご支援ご声援を賜れますよう、改めてお願い申し上げる次第です」。
  • 2010年6月2日、AKS社長・窪田は、週刊文春の誤報で名誉を傷つけられたとして、発行元の文藝春秋や記者らに計約1億6800万円の損害賠償と、謝罪広告の掲載を求めて東京地方裁判所に提訴していたことが分かった。[6]
AKS側は「記事内容は全くの事実無根で、社長やメンバーらに回復困難な損害を与え、AKB48の活動にも深刻な影響を及ぼしている」と主張。[7]これに対し文春側は「記事内容には自信を持っている」として同日の第1回口頭弁論で争う姿勢を示した。[6]これにより「AKB喜び組」問題は裁判によって白黒付けられる事となった。
  • 2013年9月3日、東京地裁(相沢哲裁判長)は「不適切な関係があったと推認することは難しい。問題になった部分のほとんどは真実ではなく、真実と信じる理由もない」AKS側の訴えを認め、被告・文藝春秋側に165万円の賠償を命ずる判決[8]。文藝春秋側は控訴。
  • 2013年12月19日、控訴審となった東京高等裁判所(貝阿弥誠裁判長)は一審判決を支持し、被告側の控訴を棄却[9]

野球賭博

  • 2011年7月、AKB48劇場の管理会社Office48の芝幸太郎が同オフィス設立前にヤミ金融会社や裏カジノを経営していた疑惑を報じた「週刊文春」だが、8月11日・18日夏の特大号ではAKB48の運営会社「AKS」の窪田康志社長が、過去に野球賭博の常習者であったという疑惑を複数の関係者の証言をもとに報じている。
窪田氏は事業家で資産家の父親を持ち、馬主としても知られているが、「『文春』が芝氏の"黒い過去"を報じた記事によると、窪田氏は芝氏が経営する闇カジノの客で、ギャンブル好きとして知られている」(週刊誌記者)という。同誌に証言した野球賭博の胴元によると、窪田氏はAKB48が誕生する前年の2004年から昨年のシーズンまで、野球賭博に年間億単位の賭け金を注ぎ込んでいたというのだ。胴元は窪田氏と直接連絡を取らず、仲介者の飛ばし携帯を経由してメールを送り、ハンデ表や賭け金のやりとりをしていたと証言。例えば、昨年7月29日に窪田氏は「巨人150、ヤクルト150、ロッテ100、オリックス100」と、なんと1日で500万円も賭けていたという。ところが、窪田氏はギャンブルが強いわけではなく、胴元に紹介した、AKB48の関係者でもある仲介者に"カモ"にされ、窪田氏の負け金が一定の割合で仲介者の懐に入る取り決めが仲介者と胴元の間でなされていたというから、しっかり搾り取られたようだ。同誌の取材に対して窪田氏は代理人を通じて「お尋ねのような事実はまったくありません」と回答したが、以前からうわさはあったようだ。
「その筋の業界では、窪田氏が野球賭博にハマっていることは有名だった。それに加え、現在も記事をめぐって民事で係争中だが、以前、『文春』で窪田氏がメンバーの篠田麻里子と“不適切な関係”にあったことも報じられている。総合プロデューサーの秋元康は窪田と芝の“黒い過去”に頭を悩ませ、2人に対して『目立つとあれこれ書き立てられるから、あまり表に出るな』とクギを刺している」(同記者)
2009年7月、読売巨人軍75周年を記念した「ジャイアンツ・メモリアル・ウィークス」では前田、篠田らAKB48の人気メンバーが「応援隊」を結成し、野球人気の回復にひと役買っていたが、同球団の上層部も窪田の“黒い過去”を知ったら仰天するに違いない。
「前田は今年、警視庁の一日通信指令本部長を務め、犯罪防止にひと役買ったが、芝氏や窪田氏の"黒い過去"が事実だとすれば完全な犯罪行為だけに、今後、警察関係の仕事のオファーはなくなりそう。両氏はまだまだ叩けばホコリが出そう」(スポーツ紙デスク)[10]

関連項目

脚注・出典

外部リンク