「野呂佳代」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
(SDNキャプテンは歴代一人だけなので初代は不要)
(タイトル)
 
72行目: 72行目:
*「AKB48はところてん方式」というのが口癖らしく、『全じゃん』『AKB48のオールナイトニッポン』『踊るさんま御殿』などで発言。自分は押し出される形でAKB卒業となってしまったらしい。
*「AKB48はところてん方式」というのが口癖らしく、『全じゃん』『AKB48のオールナイトニッポン』『踊るさんま御殿』などで発言。自分は押し出される形でAKB卒業となってしまったらしい。
*11月、SDN48としてデビューシングル『GAGAGA』をリリース。この曲の選抜メンバーに選ばれ、4年前のAKB48のメジャーデビューシングル『[[会いたかった]]』以来の歌番組出演をした。
*11月、SDN48としてデビューシングル『GAGAGA』をリリース。この曲の選抜メンバーに選ばれ、4年前のAKB48のメジャーデビューシングル『[[会いたかった]]』以来の歌番組出演をした。
*2011年10月15日、劇場公演にてキャプテンである野呂が、SDN48メンバー全員の卒業を発表した。「SDN48を結成して、2年2ヶ月が経ちましたが、ファンの皆さんには当初より多大なる応援と温かいメッセージをいただき、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。SDN48は、それぞれのメンバーが進むべき道を目指すために、全員揃ってグループを卒業をすることになりました。2012年3月31日に現行メンバー揃ってのさよならコンサートをもって、SDN48としての第一章はその役目を終えます。私たちもどこかで区切りをつけなければいけない時期に差し掛かっています。メンバー一同、自分の夢をより具体的にするために、新たなステージへ旅立つことになりますが、これからも、これまでと変わらず引き続きの応援を何卒よろしくお願いします」<ref>http://ameblo.jp/sdn48official/entry-11048955915.html</ref>
*2011年10月15日、劇場公演にてキャプテンである野呂が、SDN48メンバー全員の卒業を発表した。「SDN48を結成して、2年2ヶ月が経ちましたが、ファンの皆さんには当初より多大なる応援と温かいメッセージをいただき、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。SDN48は、それぞれのメンバーが進むべき道を目指すために、全員揃ってグループを卒業をすることになりました。2012年3月31日に現行メンバー揃ってのさよならコンサートをもって、SDN48としての第一章はその役目を終えます。私たちもどこかで区切りをつけなければいけない時期に差し掛かっています。メンバー一同、自分の夢をより具体的にするために、新たなステージへ旅立つことになりますが、これからも、これまでと変わらず引き続きの応援を何卒よろしくお願いします」<ref>[http://ameblo.jp/sdn48official/entry-11048955915.html 【お知らせ】] - SDN48オフィシャルブログ 2011年10月15日</ref>
*発表後の本人のブログ。「ビックリさせてしまってごめんなさい<(_ _)> あと、半年間 SDN48として今まで以上にがんばりたいと思いますっ☆ これからも、みなさん 応援してくださいm(_ _)mお願いしますm(_ _)m」<ref>http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/605272696</ref>
*発表後の本人のブログ。「ビックリさせてしまってごめんなさい<(_ _)> あと、半年間 SDN48として今まで以上にがんばりたいと思いますっ☆ これからも、みなさん 応援してくださいm(_ _)mお願いしますm(_ _)m」<ref>http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/605272696</ref>
*2012年1月22日、[[AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100 2012]]最終日。SDN48の『孤独なランナー』が、3位にランクインした。過去最高だった24位の記録を大幅に更新し、“有終の美”を飾った。キャプテンの野呂は、「応援してくれたみなさんのことは絶対、忘れません」と涙ながらに“卒業宣言”し、この日一番の温かい拍手が送られた。鳴りやまない歓声に野呂、[[大堀恵]]、[[浦野一美]]らメンバー全員の瞳に涙が浮かんだ。全員で円陣を組み精神統一すると、挫折からはい上がろうとする気持ちを歌った同曲を熱唱。2009年8月デビューのSDNは、AKB48劇場での初回公演からこの曲を歌い続けてきたという“代表曲”。野呂も「私たちとファンの気持ちがつまった大切な曲」と説明する。実は昨年10月、メンバー全員の卒業発表後、ファン内では「SDNをランクインさせよう」と投票を呼びかけていた。歌唱後、野呂は「へこんだり、不安だった時期もあったけど、みなさんの励ましが自信をもたせてくれました」と号泣。最後は「私たちも泣いてばかりいられません。3月に卒業しますが、これからも何事にも全力で頑張ります」と約束した。そして、3月31日の卒業コンサートは、渋谷のNHKホールで行うことも発表された。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000032-sanspo-ent</ref>
*2012年1月22日、[[AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100 2012]]最終日。SDN48の『孤独なランナー』が、3位にランクインした。過去最高だった24位の記録を大幅に更新し、“有終の美”を飾った。キャプテンの野呂は、「応援してくれたみなさんのことは絶対、忘れません」と涙ながらに“卒業宣言”し、この日一番の温かい拍手が送られた。鳴りやまない歓声に野呂、[[大堀恵]]、[[浦野一美]]らメンバー全員の瞳に涙が浮かんだ。全員で円陣を組み精神統一すると、挫折からはい上がろうとする気持ちを歌った同曲を熱唱。2009年8月デビューのSDNは、AKB48劇場での初回公演からこの曲を歌い続けてきたという“代表曲”。野呂も「私たちとファンの気持ちがつまった大切な曲」と説明する。実は昨年10月、メンバー全員の卒業発表後、ファン内では「SDNをランクインさせよう」と投票を呼びかけていた。歌唱後、野呂は「へこんだり、不安だった時期もあったけど、みなさんの励ましが自信をもたせてくれました」と号泣。最後は「私たちも泣いてばかりいられません。3月に卒業しますが、これからも何事にも全力で頑張ります」と約束した。そして、3月31日の卒業コンサートは、渋谷のNHKホールで行うことも発表された。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000032-sanspo-ent</ref>
*2月4~16日、韓国オリジナルミュージカル『パルレ~洗濯~』で、初のミュージカルで主演もつとめる。「お話を頂いた時は、本当にちょ~うれしかったです。私は本当にミュージカルに挑戦してみたいと思っていたので」と今回のミュージカル出演について、素直にうれしさを語る野呂、そんな彼女には力強い見方がいるとか。「共演者の先輩方から声の出し方はもちろんですが、喉のケアの仕方など。あとは舞台役者としての礼儀です。私がわからないことをしっかり教えて頂けるというのが本当にうれしいです」。はじめてのミュージカルを迎える野呂だが、周りの先輩方に助けられながら、準備万端のようだ。これまで、AKB48に加入から、現在のSDN48まで、芸能界の活動期間が6年になる野呂、今回の舞台でも、その経験がいかされている。「もちろん、緊張で手が震えたりはするのですが、お客さんの前に出るという意味で、舞台慣れはできていると思います」。さらに、「あとは照明が当たるとうれしいです(笑) 今回は自分のために一人で(照明を)浴びたりするので(笑)」とも。ちなみに、野呂といえば、所属するSDN48のメンバーが3月に全員卒業することが発表され、野呂も同グループを卒業することになっている。ただ、同グループの“お家芸”といえばサプライズ。実は電撃的に次回のAKB48のオーディションの受験を狙っているのではないか…。本人にこのことを直接、たずねてみると、「なんですかそれ! いや~キツイっす」と完全否定。「また最初から、制服を着るというのは…楽しかったですけど、若いからできたことだと思うので」とのこと。これから、ソロでしっかりと頑張ってくということのようだ。最後に、「私の完全な新境地ですし、6年間やってきたことを次のステップに進むために、ぜひみなさんに見て欲しいです。私の新しい姿を見て頂き、今後もファンのみなさんと一緒に活動していきたいと思います」と意気込みを語った。<ref>http://npn.co.jp/article/detail/74016875/</ref>
*2月4~16日、韓国オリジナルミュージカル『パルレ~洗濯~』で、初のミュージカルで主演もつとめる。「お話を頂いた時は、本当にちょ~うれしかったです。私は本当にミュージカルに挑戦してみたいと思っていたので」と今回のミュージカル出演について、素直にうれしさを語る野呂、そんな彼女には力強い見方がいるとか。「共演者の先輩方から声の出し方はもちろんですが、喉のケアの仕方など。あとは舞台役者としての礼儀です。私がわからないことをしっかり教えて頂けるというのが本当にうれしいです」。はじめてのミュージカルを迎える野呂だが、周りの先輩方に助けられながら、準備万端のようだ。これまで、AKB48に加入から、現在のSDN48まで、芸能界の活動期間が6年になる野呂、今回の舞台でも、その経験がいかされている。「もちろん、緊張で手が震えたりはするのですが、お客さんの前に出るという意味で、舞台慣れはできていると思います」。さらに、「あとは照明が当たるとうれしいです(笑) 今回は自分のために一人で(照明を)浴びたりするので(笑)」とも。ちなみに、野呂といえば、所属するSDN48のメンバーが3月に全員卒業することが発表され、野呂も同グループを卒業することになっている。ただ、同グループの“お家芸”といえばサプライズ。実は電撃的に次回のAKB48のオーディションの受験を狙っているのではないか…。本人にこのことを直接、たずねてみると、「なんですかそれ! いや~キツイっす」と完全否定。「また最初から、制服を着るというのは…楽しかったですけど、若いからできたことだと思うので」とのこと。これから、ソロでしっかりと頑張ってくということのようだ。最後に、「私の完全な新境地ですし、6年間やってきたことを次のステップに進むために、ぜひみなさんに見て欲しいです。私の新しい姿を見て頂き、今後もファンのみなさんと一緒に活動していきたいと思います」と意気込みを語った。<ref>[http://npn.co.jp/article/detail/74016875/ 初ミュージカルで主演をつとめたSDN48 野呂佳代にインタビュー「照明が当たるとうれしいです!」] - リアルライブ 2012年2月7日</ref>
*3月23日、初のイメージDVD『打ち上がったマーメイド』をリリース。「私にアイドルっぽいお仕事が来るなんて思わなかった。ずっと応援して下さったファンの方々への卒業アルバムといった感じ。だから発売イベントで、直接お渡ししたいんです」。ちなみにこのタイトルは、2年前に友人の[[篠田麻里子]]、[[佐藤由加理]]、[[渡辺志穂]]の3人から「私たちで佳代ちゃんの写真集を自費出版する」と発案されたときに考えたもの。「『タイトルをパクったの? それにAVみたいになるからグラビアには向いてないよ』ってからかわれました。確かに、スタイルは気にしないで下さい」<ref name="ags1203">『AKB48グループ新聞』 2012年3月号</ref>
*3月23日、初のイメージDVD『打ち上がったマーメイド』をリリース。「私にアイドルっぽいお仕事が来るなんて思わなかった。ずっと応援して下さったファンの方々への卒業アルバムといった感じ。だから発売イベントで、直接お渡ししたいんです」。ちなみにこのタイトルは、2年前に友人の[[篠田麻里子]]、[[佐藤由加理]]、[[渡辺志穂]]の3人から「私たちで佳代ちゃんの写真集を自費出版する」と発案されたときに考えたもの。「『タイトルをパクったの? それにAVみたいになるからグラビアには向いてないよ』ってからかわれました。確かに、スタイルは気にしないで下さい」<ref name="ags1203">『AKB48グループ新聞』 2012年3月号</ref>
*3月27日、インタビュー。野呂は09年8月にAKBの活動と並行してSDN入りし、10年2月にキャプテンに就任した。AKB時代と比べ「もともと、洋楽寄りの格好いいダンスが好きだったので、SDNに入ることができてよかったと思った」と振り返る。ただ、現実はイメージと違う面もあった。「最初の1年間は自分がいなくなった。正直、つまらなかったですね」と打ち明ける。例に挙げるのが公演などのMC。切り返しやツッコミなど会話が弾んだAKBのチームK時代とは違い、自分が面白い発言をしても引かれてしまうことがあった。みっちり鍛え込まれていた野呂らAKBからの移籍組に対して、SDNからスタートしたメンバーは「自分のことで必死だった」という。周囲の期待と責任感に悩む葛藤の日々が続いたが、転機は10年秋に訪れた。AKBと一緒に行ったイベントで秋元康から「おまえには何も求めてないんだ」と言われた。この言葉がキャプテンを楽にした。「ああ良かったと思って胸のつかえが一気に下りた。自由でいいんだと心から思った」。今までの悩みが全てはじけた。それからはメンバーともしっかり向き合えるようになり、バラエティー志向の強い明るい自分を素直に出せるようになった。卒業まであと4日。SDNを通じ「人をしっかりと見られるようになったし、気を使えるようになった」。目標はバラエティー番組の司会を務めること。「実際にアイドルとして活動したから、アイドルを扱うのはうまいですよ。中居正広さんのようなマルチな存在を目指します」。豪快に笑う姿に迷いはなかった。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915140.html</ref>
*3月27日、インタビュー。野呂は09年8月にAKBの活動と並行してSDN入りし、10年2月にキャプテンに就任した。AKB時代と比べ「もともと、洋楽寄りの格好いいダンスが好きだったので、SDNに入ることができてよかったと思った」と振り返る。ただ、現実はイメージと違う面もあった。「最初の1年間は自分がいなくなった。正直、つまらなかったですね」と打ち明ける。例に挙げるのが公演などのMC。切り返しやツッコミなど会話が弾んだAKBのチームK時代とは違い、自分が面白い発言をしても引かれてしまうことがあった。みっちり鍛え込まれていた野呂らAKBからの移籍組に対して、SDNからスタートしたメンバーは「自分のことで必死だった」という。周囲の期待と責任感に悩む葛藤の日々が続いたが、転機は10年秋に訪れた。AKBと一緒に行ったイベントで秋元康から「おまえには何も求めてないんだ」と言われた。この言葉がキャプテンを楽にした。「ああ良かったと思って胸のつかえが一気に下りた。自由でいいんだと心から思った」。今までの悩みが全てはじけた。それからはメンバーともしっかり向き合えるようになり、バラエティー志向の強い明るい自分を素直に出せるようになった。卒業まであと4日。SDNを通じ「人をしっかりと見られるようになったし、気を使えるようになった」。目標はバラエティー番組の司会を務めること。「実際にアイドルとして活動したから、アイドルを扱うのはうまいですよ。中居正広さんのようなマルチな存在を目指します」。豪快に笑う姿に迷いはなかった。<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915140.html あっちゃんお先に!SDN 野呂佳代 卒業後は“中居クン”目指す!] - Sponichi Annex 2012年3月27日</ref>
*3月31日、SDNにとって最初で最後の単独公演「さよならコンサート」を開催。鳴りやまないアンコールの声を浴びながら、39人は純白ウエディングドレス姿で並ぶと、野呂が代表して挨拶。「私たちSDN48は、AKB48のように大きな記録は作れなかったかもしれませんが、皆様の記憶に残るグループでいられたなら嬉しいです。これにて私たちはSDN48を卒業します。本当にありがとうございました!」
*3月31日、SDNにとって最初で最後の単独公演「さよならコンサート」を開催。鳴りやまないアンコールの声を浴びながら、39人は純白ウエディングドレス姿で並ぶと、野呂が代表して挨拶。「私たちSDN48は、AKB48のように大きな記録は作れなかったかもしれませんが、皆様の記憶に残るグループでいられたなら嬉しいです。これにて私たちはSDN48を卒業します。本当にありがとうございました!」
:SDN48は、2009年8月1日のデビューから3月28日まで、AKB48劇場で計337回の公演を行った。2年8カ月の活動に幕を下ろした。2月には卒業撤回を求める5800人分の嘆願書が秋元康の元に届いた。これを受け、1年後に“同窓会”イベントを開催することも発表。野呂は終演後に「またね~」と再会を約束した。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/04/01/kiji/K20120401002950930.html</ref><ref>http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012040102000069.html</ref>
:SDN48は、2009年8月1日のデビューから3月28日まで、AKB48劇場で計337回の公演を行った。2年8カ月の活動に幕を下ろした。2月には卒業撤回を求める5800人分の嘆願書が秋元康の元に届いた。これを受け、1年後に“同窓会”イベントを開催することも発表。野呂は終演後に「またね~」と再会を約束した。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/04/01/kiji/K20120401002950930.html</ref><ref>http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012040102000069.html</ref>