「多田愛佳」の版間の差分

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(過去の総選挙ガイドブック支配人評、第8回総選挙不参加、選抜回数更新(HKT48)、小ネタ(かとれなの「ただ」事件))
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*将来の目標は、女優。声優。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>
*将来の目標は、女優。声優。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>


==== AKB48として ====
=== AKB48として ===
===== 2006年 =====
==== 2006年 ====
*12月、AKB48追加メンバー(3期生)[[オーディション]]に合格。
*12月、AKB48追加メンバー(3期生)[[オーディション]]に合格。


===== 2007年 =====
==== 2007年 ====
*4月8日、チームBの一員として劇場公演デビュー。
*4月8日、チームBの一員として劇場公演デビュー。


===== 2008年 =====
==== 2008年 ====
*1月24日、『AKB1じ59ふん!』の初回放送で、MCを務めるバッドボーイズと初対面。族車で登場して暴れる二人を見て、当時13歳の多田は怖くて泣きだしてしまった。
*1月24日、『AKB1じ59ふん!』の初回放送で、MCを務めるバッドボーイズと初対面。族車で登場して暴れる二人を見て、当時13歳の多田は怖くて泣きだしてしまった。
*2月27日、8thシングル『[[桜の花びらたち2008]]』で初選抜。
*2月27日、8thシングル『[[桜の花びらたち2008]]』で初選抜。
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*10月、AKB48を解雇された菊地を除いた4人(仲川・平嶋・渡辺)で「[[渡り廊下走り隊]]」を結成し活動を開始。
*10月、AKB48を解雇された菊地を除いた4人(仲川・平嶋・渡辺)で「[[渡り廊下走り隊]]」を結成し活動を開始。


===== 2009年 =====
==== 2009年 ====
*7月8日、第1回の[[選抜総選挙]]が開催。20位にランクインし、選抜メンバーに選ばれた。「私はほとんど選抜には入れてなくて…。一番最初に[[チームB]]から選抜されたのは『[[BINGO!]]』で、その時は[[渡辺麻友|麻友]]と[[柏木由紀|柏木]]ちゃんとなっちゃん(平嶋)だったんです。その時から毎回悔しくて。『なんで自分じゃないんだろう?』って。帰りの電車の中でずっと泣いていました。だからあの選挙で名前を呼ばれた時は…よく分からなくて、本気で『選抜に選ばれなかったら、AKBを辞めよう』って思っていたから、本当に嬉しかったです」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
*7月8日、第1回の[[選抜総選挙]]が開催。20位にランクインし、選抜メンバーに選ばれた。「私はほとんど選抜には入れてなくて…。一番最初に[[チームB]]から選抜されたのは『[[BINGO!]]』で、その時は[[渡辺麻友|麻友]]と[[柏木由紀|柏木]]ちゃんとなっちゃん(平嶋)だったんです。その時から毎回悔しくて。『なんで自分じゃないんだろう?』って。帰りの電車の中でずっと泣いていました。だからあの選挙で名前を呼ばれた時は…よく分からなくて、本気で『選抜に選ばれなかったら、AKBを辞めよう』って思っていたから、本当に嬉しかったです」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
*AKB48と集英社の雑誌『週刊プレイボーイ』がコラボしたユニット「[[チームPB]]」のメンバーに選ばれる。
*AKB48と集英社の雑誌『週刊プレイボーイ』がコラボしたユニット「[[チームPB]]」のメンバーに選ばれる。


===== 2010年 =====
==== 2010年 ====
*[[第2回総選挙]]では、去年から2ランク落としただけだが、順位は22位。選抜ラインにはあと一歩届かなかった。21位との票差はわずかであったが、それが「選抜」と「[[アンダーガールズ]]」という大きな差となって現われた。しかしアンダーガールズとしては最高位であり、UGのセンターポジションを担当する事になった。
*[[第2回総選挙]]では、去年から2ランク落としただけだが、順位は22位。選抜ラインにはあと一歩届かなかった。21位との票差はわずかであったが、それが「選抜」と「[[アンダーガールズ]]」という大きな差となって現われた。しかしアンダーガールズとしては最高位であり、UGのセンターポジションを担当する事になった。
<!--//当選挨拶では「皆さん、CDを1枚1枚めくるのがすごい大変だったと思うんですよ。みなさんが寝る間を惜しんで入れてくれた票を無駄にせず、アンダーガールズのセンターとしていい作品にできるようにがんばります」とコメントした。-->
<!--//当選挨拶では「皆さん、CDを1枚1枚めくるのがすごい大変だったと思うんですよ。みなさんが寝る間を惜しんで入れてくれた票を無駄にせず、アンダーガールズのセンターとしていい作品にできるようにがんばります」とコメントした。-->
*9月23日、『[[週刊AKB]]』チーム対抗球技大会のドッジボール収録中に、キャッチミスで右手の薬指を負傷。多田は痛くてずっと泣いていた。<ref>『柱NIGHT with AKB48』 2010/10/11</ref>病院に運ばれ診察を受けたところ、剥離骨折で全治3週間と診断された。<ref>http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/5023/0</ref>翌日の[[渡り廊下走り隊]]の握手会は不参加とアナウンスされたが、医師による診断の結果と本人の強い希望により、夕方の部から参加した。<ref>http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10657673815.html</ref>
*9月23日、『[[週刊AKB]]』チーム対抗球技大会のドッジボール収録中に、キャッチミスで右手の薬指を負傷。多田は痛くてずっと泣いていた。<ref>『柱NIGHT with AKB48』 2010/10/11</ref>病院に運ばれ診察を受けたところ、剥離骨折で全治3週間と診断された。<ref>http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/5023/0</ref>翌日の[[渡り廊下走り隊]]の握手会は不参加とアナウンスされたが、医師による診断の結果と本人の強い希望により、夕方の部から参加した。<ref>http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10657673815.html</ref>


===== 2011年 =====
==== 2011年 ====
*1月、雑誌インタビュー。「AKBがブレイクできたおかげで、私が中学1年生で入ったころとは比較にならないほど、忙しい日々を送っています。だけど不安になるんです。私からAKBというブランドが外れたら何が残るんだろう。AKBという山を登っているうちは、世間が注目してくれる。でも、いつか自分だけの山を登り始めたとき、私にお仕事が来るんだろうか…。16歳の私がこんなことを言うのはおかしいかもしれません。だけど、夢って少し現実味を帯びてきた頃が一番、不安になる気がします。私が独り立ちするためには、何が必要なんだろう。私を支えてくれる人っているんだろうか…。当たり前の話ですが、メンバーの数だけ親がいます。AKBの活動に口出しをしない母親が多いみたいですが、私の母は口うるさいんです。『玄関を出たら芸能人だと思え』『髪型はこうした方がいい』『ブログに載せる写真はかわいく』…とか。なんでウチばっかり厳しいんだろう。母も歌手を目指していたらしいんです。だからって私は母の代わりじゃない。去年の夏、シングルの選抜メンバーに漏れてイライラしていた私に、母が言ってきたんです。『選ばれたかったら、もっと痩せないさい』。ファンの人からも気にされていたし、自分でもダイエットしなくちゃって思ってた。でも、ムッとした私は、初めて口答えをしました。『うるさいな! 私より太ってる子だっているもん!』。すると、『人と比べて妥協しているうちは、自分の山には登れないよ』。母は真剣な顔でそう言いました。私にそういう癖があるのは知っています。その度に、母から同じ事を言われてきた。だけど、ファンの人でもスタッフでもない人に言われたくない! 翌日、家に帰ると、なぜか夕食がトマトづくしだったんです。手の込んだものばかり。母が説明しました。『リコピン効果で痩せるなら、体にもいいんだってさ』。会社の上司に相談したり、お料理の本などを見て調べてくれたんです。毎日、お仕事もしているのに…。思えば、私は母にずっと支えられてきました。駅までの送り迎え、私が深夜に帰っても母が最後にお風呂に入り、朝は早くに起きて会社に向かう。時間があれば劇場まで観に来てアドバイスをくれる。口うるさいのは、全部私の将来のため…。なのに、他の子の親と比べて、優しくないなんて思ってた。自分にとってママだけが母親であるように、AKBの中に多田愛佳は一人しかいない。誰かと比べることなんて意味がないんだ…。ママの言葉の意味が、やっと分かった気がしました。トマト料理を食べ始めて1ヶ月。忘れた頃に効果が出ました。体重が4キロも減ったんです。ダイエットとママの小言は、後で効いてくるんですね(笑)! これからもAKBという山を、ママと登っていこう。そして誰とも比べない、比べられない自分になれたら、その時は次の山にも挑戦してみたいと思っています」<ref>『週刊朝日』 2011年1月28日号</ref>
*1月、雑誌インタビュー。「AKBがブレイクできたおかげで、私が中学1年生で入ったころとは比較にならないほど、忙しい日々を送っています。だけど不安になるんです。私からAKBというブランドが外れたら何が残るんだろう。AKBという山を登っているうちは、世間が注目してくれる。でも、いつか自分だけの山を登り始めたとき、私にお仕事が来るんだろうか…。16歳の私がこんなことを言うのはおかしいかもしれません。だけど、夢って少し現実味を帯びてきた頃が一番、不安になる気がします。私が独り立ちするためには、何が必要なんだろう。私を支えてくれる人っているんだろうか…。当たり前の話ですが、メンバーの数だけ親がいます。AKBの活動に口出しをしない母親が多いみたいですが、私の母は口うるさいんです。『玄関を出たら芸能人だと思え』『髪型はこうした方がいい』『ブログに載せる写真はかわいく』…とか。なんでウチばっかり厳しいんだろう。母も歌手を目指していたらしいんです。だからって私は母の代わりじゃない。去年の夏、シングルの選抜メンバーに漏れてイライラしていた私に、母が言ってきたんです。『選ばれたかったら、もっと痩せないさい』。ファンの人からも気にされていたし、自分でもダイエットしなくちゃって思ってた。でも、ムッとした私は、初めて口答えをしました。『うるさいな! 私より太ってる子だっているもん!』。すると、『人と比べて妥協しているうちは、自分の山には登れないよ』。母は真剣な顔でそう言いました。私にそういう癖があるのは知っています。その度に、母から同じ事を言われてきた。だけど、ファンの人でもスタッフでもない人に言われたくない! 翌日、家に帰ると、なぜか夕食がトマトづくしだったんです。手の込んだものばかり。母が説明しました。『リコピン効果で痩せるなら、体にもいいんだってさ』。会社の上司に相談したり、お料理の本などを見て調べてくれたんです。毎日、お仕事もしているのに…。思えば、私は母にずっと支えられてきました。駅までの送り迎え、私が深夜に帰っても母が最後にお風呂に入り、朝は早くに起きて会社に向かう。時間があれば劇場まで観に来てアドバイスをくれる。口うるさいのは、全部私の将来のため…。なのに、他の子の親と比べて、優しくないなんて思ってた。自分にとってママだけが母親であるように、AKBの中に多田愛佳は一人しかいない。誰かと比べることなんて意味がないんだ…。ママの言葉の意味が、やっと分かった気がしました。トマト料理を食べ始めて1ヶ月。忘れた頃に効果が出ました。体重が4キロも減ったんです。ダイエットとママの小言は、後で効いてくるんですね(笑)! これからもAKBという山を、ママと登っていこう。そして誰とも比べない、比べられない自分になれたら、その時は次の山にも挑戦してみたいと思っています」<ref>『週刊朝日』 2011年1月28日号</ref>
*2月、くびれをつくる努力を始める。「この前の握手会で1人の方に『衣装ピチピチだね』って言われたのがきっかけです。ネガティブな意見じゃなく、ポジティブです! その人がいってくれなかったら私はくびれがないかもしれない(笑)」<ref>http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/6845/0</ref>
*2月、くびれをつくる努力を始める。「この前の握手会で1人の方に『衣装ピチピチだね』って言われたのがきっかけです。ネガティブな意見じゃなく、ポジティブです! その人がいってくれなかったら私はくびれがないかもしれない(笑)」<ref>http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/6845/0</ref>
125行目: 125行目:
*9月1日・3日、リーディングドラマ『もしもキミが。』に出演。
*9月1日・3日、リーディングドラマ『もしもキミが。』に出演。


===== 2012年 =====
==== 2012年 ====
*1月28日、渡り廊下走り隊7のリーダー・平嶋が、同グループおよび、AKB48からの辞退を発表。当日は握手会が行われていたが、その出演も取り止めていた。「なんだか心にぽっかり穴が開いたみたい。今日はいつも一緒だったメンバーがいなくて、ほんとに寂しかった。握手会で、ファンの皆さんの笑顔、ぬくもり、言葉、すべてが支えになりました。本当にありがとう。なっちゃんの存在感は、私たちの中でとても大きかったんだと気づかされました。これからは、なっちゃんのかわりになれるかわからないけど、渡り廊下を引っ張って行けるように、全力を尽くします。これからも渡り廊下を応援してください」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/115743581016964883134/posts/Vz97P3cfpJF|by=多田愛佳|date=2012-01-28}}</ref>「たくさんのコメントありがとう(>_<) 頑張るね。今年の目標は『強く』だから、もっと強くなる!! 強く、、、なりたい!! なっちゃんファンの皆さんのためにも強くなる!! ありがとう☆」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/115743581016964883134/posts/5MrQCC8AgTB|by=多田愛佳|date=2012-01-28}}</ref>  
*1月28日、渡り廊下走り隊7のリーダー・平嶋が、同グループおよび、AKB48からの辞退を発表。当日は握手会が行われていたが、その出演も取り止めていた。「なんだか心にぽっかり穴が開いたみたい。今日はいつも一緒だったメンバーがいなくて、ほんとに寂しかった。握手会で、ファンの皆さんの笑顔、ぬくもり、言葉、すべてが支えになりました。本当にありがとう。なっちゃんの存在感は、私たちの中でとても大きかったんだと気づかされました。これからは、なっちゃんのかわりになれるかわからないけど、渡り廊下を引っ張って行けるように、全力を尽くします。これからも渡り廊下を応援してください」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/115743581016964883134/posts/Vz97P3cfpJF|by=多田愛佳|date=2012-01-28}}</ref>「たくさんのコメントありがとう(>_<) 頑張るね。今年の目標は『強く』だから、もっと強くなる!! 強く、、、なりたい!! なっちゃんファンの皆さんのためにも強くなる!! ありがとう☆」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/115743581016964883134/posts/5MrQCC8AgTB|by=多田愛佳|date=2012-01-28}}</ref>  
*2月25日、吉村崇(平成ノブシコブシ)、大地洋輔(ダイノジ)がダブル主演したコメディ映画『ラブポリス~ニート達の挽歌~』に出演。
*2月25日、吉村崇(平成ノブシコブシ)、大地洋輔(ダイノジ)がダブル主演したコメディ映画『ラブポリス~ニート達の挽歌~』に出演。
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