「倉持明日香/ノート」の版間の差分

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→‎写真週刊誌「FLASH」による中学生時代の手ブラ写真掲載を巡る騒動: 劇場公演名のリダイレクト解消, replaced: [[K5th「逆上がり」 → [[チームK 5th Stage「逆上がり」
(→‎写真週刊誌「FLASH」による中学生時代の手ブラ写真掲載を巡る騒動: 日本語修正(「絶対に控えて…」だと弱いし、意味が…))
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:本来この様なスキャンダル記事に、スクープされたタレント本人が登場する事は少ないが、なぜか本人がインタビューに応じ、撮られた状況について解説するという不自然な体裁になっている。掲載した「FLASH」自身も悪質なことは書いておらず、スキャンダルをすっぱ抜いたという印象は全くない。倉持自身も笑いながらインタビューに答えている。しかし肝心の写真が撮られた状況の説明はなく、AKBに加入した時の話や、武道館公演をインフルエンザで休み、同期の卒業公演に出られなかったこと。そしてそれが原因でAKB48を辞めようと思い、[[佐藤亜美菜]]に電話で「辞める」と話したが、泣きながら止められたエピソードなど、写真とはまったく関係の無いほっこりする話まで掲載されている。だがその不自然さ故、別のアイドルゴシップ誌やネット上で、撮影された写真の状況(後述)から「援助交際」や「ブルセラ」など、倉持がいかがわしいアルバイトに関わっていたのではないかとも囁かれた<ref name="bubka200911">白夜書房「BUBKA」 2009年11月号より</ref>。
:本来この様なスキャンダル記事に、スクープされたタレント本人が登場する事は少ないが、なぜか本人がインタビューに応じ、撮られた状況について解説するという不自然な体裁になっている。掲載した「FLASH」自身も悪質なことは書いておらず、スキャンダルをすっぱ抜いたという印象は全くない。倉持自身も笑いながらインタビューに答えている。しかし肝心の写真が撮られた状況の説明はなく、AKBに加入した時の話や、武道館公演をインフルエンザで休み、同期の卒業公演に出られなかったこと。そしてそれが原因でAKB48を辞めようと思い、[[佐藤亜美菜]]に電話で「辞める」と話したが、泣きながら止められたエピソードなど、写真とはまったく関係の無いほっこりする話まで掲載されている。だがその不自然さ故、別のアイドルゴシップ誌やネット上で、撮影された写真の状況(後述)から「援助交際」や「ブルセラ」など、倉持がいかがわしいアルバイトに関わっていたのではないかとも囁かれた<ref name="bubka200911">白夜書房「BUBKA」 2009年11月号より</ref>。
:「FLASH」という雑誌は光文社が発行しているが、AKB48関連では、メンバーの写真集、[[じゃんけん選抜]]関連のムック本、月刊誌である「小説宝石」にメンバーが月替わりでレギュラー出演、さらには「FLASH」自身がAKB48のみを特集した増刊号を何度も出版するなど、AKB48とは非常に“友好的”な関係。当然「FLASH」側は載せないスタンスであったが、実はこの倉持の写真を持ち込んだ人物は何社か廻っていたため、「載せない」という選択肢は取れず(別の出版社がスキャンダルとして報じるだけなので)、運営サイドと話し合い、あの様な形で掲載する事になったという<ref name="bubka200911"/>
:「FLASH」という雑誌は光文社が発行しているが、AKB48関連では、メンバーの写真集、[[じゃんけん選抜]]関連のムック本、月刊誌である「小説宝石」にメンバーが月替わりでレギュラー出演、さらには「FLASH」自身がAKB48のみを特集した増刊号を何度も出版するなど、AKB48とは非常に“友好的”な関係。当然「FLASH」側は載せないスタンスであったが、実はこの倉持の写真を持ち込んだ人物は何社か廻っていたため、「載せない」という選択肢は取れず(別の出版社がスキャンダルとして報じるだけなので)、運営サイドと話し合い、あの様な形で掲載する事になったという<ref name="bubka200911"/>
*9月12日、AKB48劇場で行われた[[K5th「逆上がり」]]公演では、冒頭にメンバーによる寸劇が行われていたが、この日は倉持の話題にあえて触れており、劇中で写真が撮られた状況などを語られた。それによると、中学生時代に街でスカウトマンに声をかけられ、その人物は当時倉持が憧れていたプロダクションの関連会社のマネージャーを名乗った。芸能界に憧れていた倉持はその話に乗り(倉持が中学生時代に芸能界入りを目指していたのは、このスキャンダルが出る前のインタビューでも答えており本当)、「プロモーション用の写真を撮りたい」と言われたので、言われるがままにグラビア用の写真撮影を行った。少し嫌だったし、撮影用の本格的なカメラではなく、いわゆるチェキ。さらに撮影場所にはベッドが写っており、スタジオなどではなくホテルのような場所だった。さすがにおかしいとは思ったが、当時は何も分からず、芸能界とはそういうものだと思い、相手のなすがままにしてしまった。しかしあくまで写真を撮られただけで、それ以上の特別な関係などは無かったとした。つまり、よくある“芸能界”を謳い文句に、少女たちにいかがわしい事をするという、ありがちな手に引っ掛かってしまった、というのが倉持の説明。
*9月12日、AKB48劇場で行われた[[チームK 5th Stage「逆上がり」]]公演では、冒頭にメンバーによる寸劇が行われていたが、この日は倉持の話題にあえて触れており、劇中で写真が撮られた状況などを語られた。それによると、中学生時代に街でスカウトマンに声をかけられ、その人物は当時倉持が憧れていたプロダクションの関連会社のマネージャーを名乗った。芸能界に憧れていた倉持はその話に乗り(倉持が中学生時代に芸能界入りを目指していたのは、このスキャンダルが出る前のインタビューでも答えており本当)、「プロモーション用の写真を撮りたい」と言われたので、言われるがままにグラビア用の写真撮影を行った。少し嫌だったし、撮影用の本格的なカメラではなく、いわゆるチェキ。さらに撮影場所にはベッドが写っており、スタジオなどではなくホテルのような場所だった。さすがにおかしいとは思ったが、当時は何も分からず、芸能界とはそういうものだと思い、相手のなすがままにしてしまった。しかしあくまで写真を撮られただけで、それ以上の特別な関係などは無かったとした。つまり、よくある“芸能界”を謳い文句に、少女たちにいかがわしい事をするという、ありがちな手に引っ掛かってしまった、というのが倉持の説明。
:続くMCパートでは、写真週刊誌に掲載され、両親と話し合った時のことを説明した。「父に話した時に、怒られるんじゃないかとか、それ以上の事を覚悟していました。でも父は、最後まで私の話を黙って最後まで聞いてくれて、最後に一言『AKBのファンの皆さん、メンバ-、スタッフの皆さんに迷惑をかけてしまったなぁ…』と、父はすごく悲しい顔をしていました。私は大切な父を悲しませてしまった事が何よりも辛くて、不安で、悔しくて悔しくて、でも私の力じゃ謝る事しかできなくて…。夜、母と父は、寝る時間を割いて、私にとって何が一番良いかを考えてくれたり、スタッフの方に電話をして、私のために頭を下げている父の姿を見て、私は一人で泣いても泣いても、涙が尽きなくて、でも泣いてばかりじゃどうにもならない事も知っていて、正直、このまま続けるのはどうかとも悩んだんですが、ファンの皆さまからのお叱りや、温かい言葉を頂いて、メンバーからも電話やメールを毎日のように心配してくれて、スタッフの方々も私の事を気にかけて下さって、私はこのままじゃいけないんだと感じました。そして、こんなに多くの方に支えられている事をあらためて実感しました。あるスタッフさんから言われた言葉が、『風当たりは強いぞ。夢を諦められるなら、逃げ出せ』。私はこの言葉を聞いて決心しました。私は逃げません。私は真っ直ぐ前を向いて、これからもファンの皆さん、スタッフさん、家族、メンバーに支えられて、前へ前へと進んでいきたいと思います。皆さん、私をAKBに置いて下さい」。
:続くMCパートでは、写真週刊誌に掲載され、両親と話し合った時のことを説明した。「父に話した時に、怒られるんじゃないかとか、それ以上の事を覚悟していました。でも父は、最後まで私の話を黙って最後まで聞いてくれて、最後に一言『AKBのファンの皆さん、メンバ-、スタッフの皆さんに迷惑をかけてしまったなぁ…』と、父はすごく悲しい顔をしていました。私は大切な父を悲しませてしまった事が何よりも辛くて、不安で、悔しくて悔しくて、でも私の力じゃ謝る事しかできなくて…。夜、母と父は、寝る時間を割いて、私にとって何が一番良いかを考えてくれたり、スタッフの方に電話をして、私のために頭を下げている父の姿を見て、私は一人で泣いても泣いても、涙が尽きなくて、でも泣いてばかりじゃどうにもならない事も知っていて、正直、このまま続けるのはどうかとも悩んだんですが、ファンの皆さまからのお叱りや、温かい言葉を頂いて、メンバーからも電話やメールを毎日のように心配してくれて、スタッフの方々も私の事を気にかけて下さって、私はこのままじゃいけないんだと感じました。そして、こんなに多くの方に支えられている事をあらためて実感しました。あるスタッフさんから言われた言葉が、『風当たりは強いぞ。夢を諦められるなら、逃げ出せ』。私はこの言葉を聞いて決心しました。私は逃げません。私は真っ直ぐ前を向いて、これからもファンの皆さん、スタッフさん、家族、メンバーに支えられて、前へ前へと進んでいきたいと思います。皆さん、私をAKBに置いて下さい」。
:客席のファンからは「明日香」コールが起こり、それに対し倉持は感謝の言葉を述べた。また、最初の寸劇は所々で笑いが起こるなど、多少茶番劇仕立てになっているが、それに対し[[秋元才加]]は「皆さんにとって茶番劇だと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、私たちにとっては、とっても辛い茶番劇です」と答えた。またこの日の前日は倉持の20歳の誕生日であり、続けて[[生誕祭]]が行われた。倉持は20歳の抱負を聞かれ「私はつい1週間前までは、もうこのステージに上がれないと思っていたんですが、今日この日を迎えられる事が、本当に嬉しくて、何よりファンの皆さまのおかげで、私は今ここに立てている事を心から感謝したいと思います。そして皆さまに少しずつでもお返しできるように、精一杯、全力でAKB48として頑張って行こうと思います。温かい声援、本当に嬉しいです。今日この日が、一生の宝物となりました。皆さま本当にありがとうございました。そしてこれからも、AKB48の倉持明日香をどうぞ応援よろしくお願いします」と挨拶をした。
:客席のファンからは「明日香」コールが起こり、それに対し倉持は感謝の言葉を述べた。また、最初の寸劇は所々で笑いが起こるなど、多少茶番劇仕立てになっているが、それに対し[[秋元才加]]は「皆さんにとって茶番劇だと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、私たちにとっては、とっても辛い茶番劇です」と答えた。またこの日の前日は倉持の20歳の誕生日であり、続けて[[生誕祭]]が行われた。倉持は20歳の抱負を聞かれ「私はつい1週間前までは、もうこのステージに上がれないと思っていたんですが、今日この日を迎えられる事が、本当に嬉しくて、何よりファンの皆さまのおかげで、私は今ここに立てている事を心から感謝したいと思います。そして皆さまに少しずつでもお返しできるように、精一杯、全力でAKB48として頑張って行こうと思います。温かい声援、本当に嬉しいです。今日この日が、一生の宝物となりました。皆さま本当にありがとうございました。そしてこれからも、AKB48の倉持明日香をどうぞ応援よろしくお願いします」と挨拶をした。

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