「浦野一美」の版間の差分

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{{メンバー情報
{{メンバー情報
| 画像 = [[File:urano_kazumi2.jpg|250px]]
| 画像 = [[File:noro_kayo.jpg|250px]]
| 所属事務所 = プロダクション尾木
| 所属事務所 = 太田プロダクション
| ニックネーム = CinDy
| ニックネーム = ノンティー
| 生年月日 = {{生年月日|1986|10|23}}
| 生年月日 = {{生年月日|1983|10|28}}
| 出身地 = 東京都
| 出身地 = 東京都
| 身長、体重 = 154cm
| 身長、体重 = 162cm
| スリーサイズ = B79 W57 H77
| スリーサイズ = B85.5 W64 H92
| 合格期 = 1期生
| 合格期 = 元2期生
| チーム = チームA→チームB<br>→SDN48→卒業
| チーム = チームK→SDN48<br>→卒業
| 選抜回数 = AKB48 2回<br>SDN48 1回
| 選抜回数 = 1回
| 第1回総選挙 = 17位
| 第1回総選挙 = 圏外
| 第2回総選挙 = 不参加
| 第2回総選挙 = 不参加
| グループ = AKB48
| グループ = AKB48
| 名前 = 浦野 一美
| 名前 = 野呂 佳代
| 読み = うらの かずみ
| 読み = のろ かよ
| 選抜総選挙 = {{総選挙}}
| 選抜総選挙 = {{総選挙}}
| じゃんけん大会 = {{じゃんけん大会}}
| じゃんけん大会 = {{じゃんけん大会}}
}}
}}


浦野 一美(うらの かずみ、1985年10月23日 - )は、元・[[AKB48]]および[[SDN48]]のメンバー。現在はソロタレント、[[渡り廊下走り隊7]]のメンバーとして活動中。埼玉県出身。プロダクション尾木所属。
野呂 佳代(のろ かよ、1983年10月28日 - )は、元・AKB48および[[SDN48]]のメンバー。東京都出身。太田プロダクション所属。






==略歴 ==
==略歴 ==
'''2005年'''
===2000年===
*10月、オープニングメンバー(1期生)オーディションに合格。
*ムーン・ザ・チャイルドに所属し芸能界デビュー。
*12月8日、[[AKB48]]としてデビュー。


'''2007年'''
===2006年===
*4月8日、チームBメンバーとして活動開始。
*2月、AKB48第2期生オーディションに合格。
*4月1日、チームKの一員として活動を開始。


'''2009年'''
===2009年===
*7月、[[第1回総選挙]]では17位。
*2月21日、チームK5th「逆上がり」公演千秋楽をもってAKB48を卒業。SDN48へ完全移籍し、キャプテンに就任。


'''2010年'''
===2010年===
*4月16日、AKB48を卒業。[[SDN48]]専属メンバーとなる。
*3月25日、『[[満席祭り希望 賛否両論]]』にて太田プロへの移籍が発表。<ref>[http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/414820616] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」</ref>


'''2011年'''
===2011年===
*10月15日、SDN48からの卒業を発表。
*10月15日、SDN48全メンバーの卒業が発表される。


'''2012年'''
===2012年===
*3月10日、[[渡り廊下走り隊]]7に加入。
*3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。
*3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。


==人物 ==
==人物 ==
===キャラクター ===
*ニックネームは「ノンティー」、名付け親は[[戸島花]]。SDN48に移籍してからは「キャップ」と呼ばれることが多くなり、特に篠田麻里子にはブログ上で「キャップ」と呼ばれている。
*AKB48の中ではお笑い担当であり、佐藤夏希とお笑いコンビ「なちのん」を組んだ事もある。担当はボケで、M-1グランプリにも出場した事がある。
*かなりふくよかな体型が特徴。『AKB0じ59ふん!』の体力測定のコーナーで競馬に倣った出走名に際して『ノロコトオウシュウ』。<ref>「Akepedia」のコーナーで「野呂と大堀が琴欧洲と同じ年生まれである」と紹介されたのがきっかけ。</ref>と命名されたり、『AKBINGO!』で小学校の卒業写真を公表した際に大溝清人に「ハワイ力士みたい」と言われたり、「体、仕上がってるね」と言われたり(そのときのナレーションでも「野呂佳代関」と呼ばれた)するなど、体型に関する揶揄が多い。但し、前述の体力測定では好結果を残し、「サスケマニア」で優勝を経験するなど、身体能力は高い。
===AKB48として ===
===AKB48として ===
*キャッチフレーズは、「私に惚れたら上級者」。
*2004年10月、AKB48に入る前に「朝倉佳代」という名でTBS系列のドラマ「ことぶきウォーズ」に主人公の同僚役・絵里として出演していた。<ref>「今夜は帰らない」2007年10月6日</ref>
<!--//「チームBのおねえちゃま」-->
*AKB48の第2期生オーディションに合格。チームKのメンバーとしてデビューする。実はオーディション時に、年齢や靴のサイズなどを偽っていた。年齢は当時22歳だったが、2歳サバを読んで20歳。靴のサイズは本当は25.5だったが、すぐに「オーバー」という返信がきたため、25にして再応募したら通った。応募写真は、縦に引き伸ばしスレンダーに見える様に加工していた。面接は2期生の時はテレビ電話だったので、バレなかった。最終審査で審査員の前に行ったら、みんなビックリして「(誰が呼んだんだこいつを)」みたいな空気になったらしい。<ref>『[[柱NIGHT!with AKB48]]』 10/4/19</ref>結局それでも、秋元が「面白いじゃん」と言って合格させた。曰く「どんな石ころでも磨けば大丈夫」。<ref name="fsmap">FLASH SPECAIL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>ちなみに、野呂が年齢詐称をしたせいで、22歳だった年齢制限が次の3期生では20歳まで下げられたらしい。<ref>『[[柱NIGHT!with AKB48]]』 11/1/31</ref>4期生オーディションからはさらに下げられ、現在の18歳になった。
 
*AKB48時代は[[大堀恵]]と同学年で共にメンバー最年長だったが、大堀のほうが誕生日が先なので、「最年長キャラ」は大堀。SDN48では、大堀、三ツ井裕美と同級生だが、大堀の方が誕生日が2ヶ月、三ツ井の方が1ヶ月早いため、4番目の年長メンバーになる。
*ニックネームは、「CinDy」(シンディー)。由来は、憧れているシンデレラに因んだもの。「CinDy」と名乗り始めたのは、チームBに移籍したあたりからで、それまで(チームA時代)は「MIHO」(ミホ)だった。サインも「MIHO」と書いているので、初心者は非常に混乱した。なぜ「MIHO」を名乗っていたのか、その由来は将来有名になって「徹子の部屋」に出た時に話す予定だったしらしい。が、いま浦野は「その話には触れないで」と言っているらしい。<ref name="asu">ラジオ『明日までもうちょっと。』より。</ref>
*2007年7月、同じチームKの[[佐藤夏希]]と「なちのん」を結成。同年10月のM-1グランプリに出場したが、2回戦敗退となった。
 
*2008年、去年に続き、M-1グランプリに再び参戦、結果は2回戦敗退。
*ティアラを好んでおり、よく着用している。しかしこのティアラは、心が綺麗な人にしか見えないんだとか。
*2008年、[[SKE48]]の結成時には[[秋元康]]から移籍の話もあったが、結局実現はしなかった。
 
*2009年1月、『真里亜 その愛の果てに』で主演として初舞台を経験する。
*2005年12月、初期メンバーとしてAKB48グランドオープンで劇場公演デビュー。
*8月1日、[[佐藤由加理]][[大堀恵]][[浦野一美]]とともに[[SDN48]]としても活動開始。
 
*2010年2月21日、チームK 5th Stage「逆上がり」公演千秋楽をもってAKB48を卒業。
*2006年10月、メジャーデビューシングル『[[会いたかった]]』をリリース。元々はチームAの公演曲で、Aのメンバーが担当するかと思われていたが、実際はAとKからメンバーが“選抜”されて歌を担当する事になった。「私は選抜に入ってなかったですからね。選抜が発表になった日、友達とご飯を食べてたんですけど、『どうしたの?元気ないね』って言われて。そしたら後から後から涙がこぼれてきて、止まらないんですよ。もう、その後の事は覚えてないんです。記憶が無くなっちゃうほど悔しい思いをした事なんて初めてでした」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
 
*2006年12月、3期生(チームB候補生)のオーディションが終了。しかしデビュー前にかなりの人数がAKBを去る事になり、チームBの立ち上げが難しくなる。そこでチームAから3名(最初は4名の予定だったが、今度はチームAからも卒業者が出たため減らされた)チームBへサポートメンバーとして異動する事になる。そのメンバーとは、[[浦野一美]]、[[平嶋夏海]]、[[渡辺志穂]]。
浦野「3人に決まった時点で、役割を決めたんですよ。なっちゃんは、Bの子たちと歳が近いから、仲良くなって話を聞く役。私は嫌われても良いから叱る役。志穂ちゃんは二人の中間でフォローする、みたいな」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
 
*2007年4月8日、チームBが劇場公演デビュー。異動したチームBでは、年長者である事や、[[秋元康]]からもリーダー的役割や任されたため、教育係として活動。<ref name="N618">『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』 10/06/18</ref>「あの頃は…正直辛かったです。声も低くして、口調も強めにして…怒りたくもないのに怒って…。でもやっぱり、あの子たちは『挨拶が出来てない』とか『言葉遣いを知らない』『意識が低い』とか…。自分がいたチームAと比べて、気になる事が多かったですね」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
 
*そしてある日、[[仲川遥香]]や[[多田愛佳]]からすごい剣幕で「CinDyちょっと来て!」と呼ばれ、浦野のやる事に対して「納得がいかない」と言われてしまった。自ら嫌われ役を買って出て、自分なりに頑張ってきたつもりだったが、やはりメンバーの率直な気持ちを面と向かって聞かされると、泣いてしまったという。だがその内、チームBのメンバーにも認められるようになって、仲良くなったとか。<ref name="N618">『[[AKB48のオールナイトニッポン]]』 10/06/18</ref>
 
*「公演が終わったら、『(浦野が)みんなうがい手洗いしてー!』って言って。ご飯食べるにしても、お菓子食べるにしても、すごいうるさいんですよ。なんか姑みたい。でも、それでみんな風邪ひかないから、ありがたい」<ref name="N90214">『今夜は帰らない…』 09/02/14</ref>
 
*10月11日、チームB公演の最後に、プロダクション尾木への移籍を発表。<ref>http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10050737747.html</ref>
 
*2008年8月、チームBのオリジナル公演もやっと開始され、軌道に乗りつつあったころ、名古屋にSKE48が誕生する事に。そこで[[秋元康]]は、浦野にSKE48への移籍を提案。冗談かと思って軽くOKしたら、秋元は本気だったらしく、本当に移籍が決まりかけた。<ref>『週刊プレイボーイ』</ref>
 
*2009年7月、[[選抜総選挙]]で17位となり、初の選抜入りを果たした。そして公約通り「AKBを変える」と当選挨拶した。
 
*2009年8月、今度はAKBのお姉さん的グループ[[SDN48]]が結成され、浦野は他の3人と共にAKBとSDNの兼任メンバーとなる。浦野は、これまでAKB48(チームA)、チームB、SKE48は見送られたが、SDN48と、3チーム(グループ)の立ち上げに関わっているという特殊な経歴を持っている。
 
*8月23日、『[[組閣祭り]]』にて、SDN48専属となる事が発表。つまりAKB48からは卒業する事に。結果的に総選挙での選抜入りが最後となり、選挙公約の「AKBを変える」ことは出来なくなった。
 
*2010年1月、『[[リクエストアワーセットリストベスト100 2010]]』で、『[[言い訳Maybe]]』が1位を獲得。2008年度1位の『[[桜の花びらたち]]』、2009年度1位の『初日』に続き3年連続1位楽曲のメンバーだった(2011年の『[[ヘビーローテーション]]』の選抜メンバーではないため、記録は3年で途絶えている)。
 
*2010年4月16日、[[B4th「アイドルの夜明け」]]公演千秋楽をもって、AKB48メンバーとしての活動を終了。以後は、SDN48メンバーとして活動を開始。


===SDN48として ===
===SDN48として ===
*2010年11月24日、SDN48の1stシングル『GAGAGA』でSDN48として初選抜。選抜メンバー決定の投票では、第5位。
*同日付けでSDN48へ完全移籍となり、同グループのキャプテンに就任した。
 
*3月25日、横浜アリーナで行われた『[[満席祭り希望 賛否両論]]』夜公演にて、芸能事務所の太田プロダクションへの移籍の打診を受けた事が発表。後日、正式に移籍した。<ref>[http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/414820616] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」</ref>
*2011年10月15日、SDN48からの卒業を発表。
*4月、「ON8」(ベイエフエム)の月曜日のDJに就任。
 
*「AKB48はところてん方式」というのが口癖らしく、『全じゃん』『AKB48のオールナイトニッポン』『踊るさんま御殿』などで発言。自分は押し出される形でAKB卒業となってしまったらしい。
*10月18日、「沢山のコメント本当にありがとう。どの声も想いが詰まってて感激した。まさかこんなにもみんなが私を気にかけてくれるなんて…。本当、いつも心配かけてゴメン。なんか波瀾万丈な感じになっちゃってゴメン。先が見えないのはいつものことで、未来日記があるわけでもなぃぢゃん。だから怖くて不安になる。正直みんなからの声を聞くまでは私もすっごく不安だった。ケドみんなの声を聞いて、一人ぢゃないって思えた。みんなの不安も寂しさも悲しさも、それに応援の声も沢山書いてあって。そんな風に言葉にしてくれるみんなの気持ちが、嬉しくて切なくて。読みながら受け止めて、ずっと考えてた。どうしたらみんなが笑顔になってくれるかって。どうしたらいつもみたいに笑顔で会えるかって。やっぱり、多くの場所で活躍できる人になることが一番だと思う。私はまだまだこれからで、ここからが新しいスタート。ピンチはチャンスだから。みんながいてくれるって信じて。大丈夫! どこにいても私は私。とにかく今はできることを 全力で!! ステージに立ちます!! 大好きなみんなが笑顔になってくれるよぉに。本当にありがとう。君も私も一人ぢゃなぃょ」<ref>http://ameblo.jp/uranokazumi/entry-11051455123.html</ref>
*11月、SDN48としてデビューシングル『GAGAGA』をリリース。この曲の選抜メンバーに選ばれ、4年前のAKB48のメジャーデビューシングル『[[会いたかった]]』以来の歌番組出演をした。
 
*2011年10月15日、劇場公演にてキャプテンである野呂が、SDN48メンバー全員の卒業を発表した。「SDN48を結成して、2年2ヶ月が経ちましたが、ファンの皆さんには当初より多大なる応援と温かいメッセージをいただき、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。SDN48は、それぞれのメンバーが進むべき道を目指すために、全員揃ってグループを卒業をすることになりました。2012年3月31日に現行メンバー揃ってのさよならコンサートをもって、SDN48としての第一章はその役目を終えます。私たちもどこかで区切りをつけなければいけない時期に差し掛かっています。メンバー一同、自分の夢をより具体的にするために、新たなステージへ旅立つことになりますが、これからも、これまでと変わらず引き続きの応援を何卒よろしくお願いします」<ref>http://ameblo.jp/sdn48official/entry-11048955915.html</ref>
====2012年 ====
*発表後の本人のブログ。「ビックリさせてしまってごめんなさい<(_ _
*3月10日、秋元康が[[渡り廊下走り隊]]7から脱退した[[平嶋夏海]]の代わりのメンバーとして、浦野を加入させることを発表した。「渡り廊下走り隊について。以前から、「渡り廊下走り隊は、今後、6人で活動するんでしょうか?」という質問をいただいていた。彼女が抜けたからと言って、すぐに誰かを新加入させるのは違うと思う。彼女がいてこその渡り廊下走り隊なのだ。僕は、ずっと6人でいいと考えていた。ところが、いろいろな事情で、やはり7人組にして欲しいと言う。渡り廊下走り隊7にしたいらしい。悩んだ。誰を新メンバーにするか? 決めた。まだ、プロダクションにもレコード会社にも言っていない。もちろん、渡り廊下走り隊のメンバーにも………。で、発表します。…………………渡り廊下走り隊7の新メンバーは…………………浦野一美。これなら、いいよね。異論は認める。でも、本気だよ。暫定的だけど。なんか、面白そうじゃないか。浦野、頑張れ!」「渡り廊下はいろいろな契約などで、7人組にして欲しいと言われました。でも、彼女が辞退してすぐに新しいメンバーを入れたくなかった。彼女と歩んだ渡り廊下の歴史があるからです。浦野ならその歴史も知っているので、適任と思ったのです。それに、ここで浦野の空気の読めない明るさが必要だと感じたからです」「渡り廊下はいろいろな契約などで、7人組にして欲しいと言われました。でも、彼女が辞退してすぐに新しいメンバーを入れたくなかった。彼女と歩んだ渡り廊下の歴史があるからです。浦野ならその歴史も知っているので、適任と思ったのです。それに、ここで浦野の空気の読めない明るさが必要だと感じたからです」<ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/X6yajqC6We4</ref><ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/X6yajqC6We4</ref><ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/6WiFyKCLYKM</ref><ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd</ref>
*)> あと、半年間 SDN48として今まで以上にがんばりたいと思いますっ☆ これからも、みなさん 応援してくださいm(_ _)mお願いしますm(_ _)m」<ref>http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/605272696</ref>
 
*2012年1月22日、[[リクエストアワーセットリストベスト100 2012]]最終日。SDN48の『孤独なランナー』が、3位にランクインした。過去最高だった24位の記録を大幅に更新し、“有終の美”を飾った。キャプテンの野呂は、「応援してくれたみなさんのことは絶対、忘れません」と涙ながらに“卒業宣言”し、この日一番の温かい拍手が送られた。鳴りやまない歓声に野呂、[[大堀恵]]、[[浦野一美]]らメンバー全員の瞳に涙が浮かんだ。全員で円陣を組み精神統一すると、挫折からはい上がろうとする気持ちを歌った同曲を熱唱。2009年8月デビューのSDNは、AKB48劇場での初回公演からこの曲を歌い続けてきたという“代表曲”。野呂も「私たちとファンの気持ちがつまった大切な曲」と説明する。実は昨年10月、メンバー全員の卒業発表後、ファン内では「SDNをランクインさせよう」と投票を呼びかけていた。歌唱後、野呂は「へこんだり、不安だった時期もあったけど、みなさんの励ましが自信をもたせてくれました」と号泣。最後は「私たちも泣いてばかりいられません。3月に卒業しますが、これからも何事にも全力で頑張ります」と約束した。そして、3月31日の卒業コンサートは、渋谷のNHKホールで行うことも発表された。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000032-sanspo-ent</ref>
*茅野しのぶ「SDN48の浦野一美からのコメントを、代わりに載せさせて頂きます。以下原文ままになります」
*2月4~16日、韓国オリジナルミュージカル『パルレ~洗濯~』で、初のミュージカルで主演もつとめる。「お話を頂いた時は、本当にちょ~うれしかったです。私は本当にミュージカルに挑戦してみたいと思っていたので」と今回のミュージカル出演について、素直にうれしさを語る野呂、そんな彼女には力強い見方がいるとか。「共演者の先輩方から声の出し方はもちろんですが、喉のケアの仕方など。あとは舞台役者としての礼儀です。私がわからないことをしっかり教えて頂けるというのが本当にうれしいです」。はじめてのミュージカルを迎える野呂だが、周りの先輩方に助けられながら、準備万端のようだ。これまで、AKB48に加入から、現在のSDN48まで、芸能界の活動期間が6年になる野呂、今回の舞台でも、その経験がいかされている。「もちろん、緊張で手が震えたりはするのですが、お客さんの前に出るという意味で、舞台慣れはできていると思います」。さらに、「あとは照明が当たるとうれしいです(笑) 今回は自分のために一人で(照明を)浴びたりするので(笑)」とも。ちなみに、野呂といえば、所属するSDN48のメンバーが3月に全員卒業することが発表され、野呂も同グループを卒業することになっている。ただ、同グループの“お家芸”といえばサプライズ。実は電撃的に次回のAKB48のオーディションの受験を狙っているのではないか…。本人にこのことを直接、たずねてみると、「なんですかそれ! いや~キツイっす」と完全否定。「また最初から、制服を着るというのは…楽しかったですけど、若いからできたことだと思うので」とのこと。これから、ソロでしっかりと頑張ってくということのようだ。最後に、「私の完全な新境地ですし、6年間やってきたことを次のステップに進むために、ぜひみなさんに見て欲しいです。私の新しい姿を見て頂き、今後もファンのみなさんと一緒に活動していきたいと思います」と意気込みを語った。<ref>http://npn.co.jp/article/detail/74016875/</ref>
「CinDyこと浦野一美です! ググタスのアカウントが無くってしのぴーのアカウントから失礼します!!! 先程 沢山の関係者さんから連絡がありまして‥秋元先生のググタスを見て今に至っております‥私自身、渡り廊下走り隊の曲は大好きですし、特に完璧ぐーのね!をTeam Ogiのライブでやらせて頂いた時に、好きからもはや憧れに変わっていました。正直いきなりの発表に戸惑いはありますし、AKB48チームAからチームB、そして今SDN48‥4回目の移籍が、まさかの渡り廊下走り隊‥急ではありますが‥精一杯頑張らせて頂きます!!! やるからには私‥センター狙ってます!!!!!!!!!」<ref>https://plus.google.com/112435502021367429566/posts/bu2EzVYE89C</ref>
*3月23日、初のイメージDVD『打ち上がったマーメイド』をリリース。「私にアイドルっぽいお仕事が来るなんて思わなかった。ずっと応援して下さったファンの方々への卒業アルバムといった感じ。だから発売イベントで、直接お渡ししたいんです」。ちなみにこのタイトルは、2年前に友人の[[篠田麻里子]][[佐藤由加理]][[渡辺志穂]]の3人から「私たちで佳代ちゃんの写真集を自費出版する」と発案されたときに考えたもの。「『タイトルをパクったの? それにAVみたいになるからグラビアには向いてないよ』ってからかわれました。確かに、スタイルは気にしないで下さい」<ref name="ags1203">『AKB48グループ新聞』 2012年3月号</ref>
 
*3月27日、インタビュー。野呂は09年8月にAKBの活動と並行してSDN入りし、10年2月にキャプテンに就任した。AKB時代と比べ「もともと、洋楽寄りの格好いいダンスが好きだったので、SDNに入ることができてよかったと思った」と振り返る。ただ、現実はイメージと違う面もあった。「最初の1年間は自分がいなくなった。正直、つまらなかったですね」と打ち明ける。例に挙げるのが公演などのMC。切り返しやツッコミなど会話が弾んだAKBのチームK時代とは違い、自分が面白い発言をしても引かれてしまうことがあった。みっちり鍛え込まれていた野呂らAKBからの移籍組に対して、SDNからスタートしたメンバーは「自分のことで必死だった」という。周囲の期待と責任感に悩む葛藤の日々が続いたが、転機は10年秋に訪れた。AKBと一緒に行ったイベントで秋元康から「おまえには何も求めてないんだ」と言われた。この言葉がキャプテンを楽にした。「ああ良かったと思って胸のつかえが一気に下りた。自由でいいんだと心から思った」。今までの悩みが全てはじけた。それからはメンバーともしっかり向き合えるようになり、バラエティー志向の強い明るい自分を素直に出せるようになった。卒業まであと4日。SDNを通じ「人をしっかりと見られるようになったし、気を使えるようになった」。目標はバラエティー番組の司会を務めること。「実際にアイドルとして活動したから、アイドルを扱うのはうまいですよ。中居正広さんのようなマルチな存在を目指します」。豪快に笑う姿に迷いはなかった。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915140.html</ref>
*3月18日、よみうりランドでラストシングル『負け惜しみコングラチュレーション』の発売記念イベントを開催。「渡り廊下走り隊7」への加入がすることが発表されている浦野は、「走るからにはセンターを走りたい! [[渡辺麻友|まゆゆ]]をおびやかす存在になっていけたら」と意欲を語った。SDN48は31日で卒業が決まっていることから、浦野さんは「アイドル寿命が延びました!」といたずらっぽく話した。同ユニットの最年長となる浦野は、現メンバーの最年長・[[仲川遥香]]から「私になんでも聞いてね」と言われたと“新入り”扱いされことを苦笑い。SDN48の[[野呂佳代]]からは「奇跡を起こしてほしい」などエールを送られると、浦野さんは「気持ちは最年少でいきたい!」と鼻息は荒かった。<ref>http://mantan-web.jp/2012/03/18/20120318dog00m200008000c.html</ref>
*3月31日、SDNにとって最初で最後の単独公演「さよならコンサート」を開催。鳴りやまないアンコールの声を浴びながら、39人は純白ウエディングドレス姿で並ぶと、野呂が代表して挨拶。「私たちSDN48は、AKB48のように大きな記録は作れなかったかもしれませんが、皆様の記憶に残るグループでいられたなら嬉しいです。これにて私たちはSDN48を卒業します。本当にありがとうございました!」SDN48は、2009年8月1日のデビューから3月28日まで、AKB48劇場で計337回の公演を行った。2年8カ月の活動に幕を下ろした。2月には卒業撤回を求める5800人分の嘆願書が秋元康の元に届いた。これを受け、1年後に“同窓会”イベントを開催することも発表。野呂は終演後に「またね~」と再会を約束した。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/04/01/kiji/K20120401002950930.html</ref><ref>http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012040102000069.html</ref>
 
*3月23日、コンサート「[[業務連絡。頼むぞ、片山部長! in さいたまスーパーアリーナ]]」にて、 [[渡り廊下走り隊7]]の新曲『少年よ 嘘をつけ!』(発売未定)を既存メンバー6人と浦野の7人で初披露。「CinDy」コールが飛び交うなか、「新加入、ニューフェイスのCinDyこと浦野一美です」と自己紹介すると、メンバーは「暫定です!」とブーイングを浴びせた。[[小森美果]]は歯に衣着せず、「シンディーさんのあだ名考えました。“ザンディー”(暫定加入のシンディー)で」と言って笑いを誘った。[[渡辺麻友]]は「センター取られないかなって不安です」と漏らすと、「私、センター取っちゃいますか!?」と満面の笑みで渡辺を追いかけまわした。10代メンバーが大半の若さが売りのユニットに、20代半ばの初期メンバーがどう絡んでいくのか、ファンの間で大きな関心を集めそうだ。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120323-00000349-oric-ent</ref>
 
*3月27日、インタビュー。浦野にとってまさに青天のへきれきだった。今月10日午後11時38分。交流サイト「Google+」を通じて秋元康氏が「渡り廊下走り隊7」への移籍を発表した。浦野が知ったのは自室から風呂場へ向かっている時だった。事務所関係者から電話があり「見た?」と聞かれた。「サイトを見たら発表になってて…。パニック過ぎて“無理です~”って半泣きだった」。しかし、その2分後には腹を決めた。「SDNで大人の冷静さを培っていたから」。秋元氏に直接電話をすると「“頑張れ”と応援された。その瞬間から一気に楽しみに変わった」。もっとも、浮かれた様子はない。AKBグループの人気を支えてきた「開拓者」の自負がある。劇場公演の出演は現メンバー最多の820回以上。05年12月にAKB1期生としてデビューしてから、今回で4度目の移籍。つらくて、悩んで泣き続けた日もあった。それでも前を向いて努力を積み重ねた。今はそれが自信の源だ。「幸いなことに私には“廊下”がいっぱいある。アイドル、大人路線、バラエティー…。柔軟性で言ったら私はトップ。自分を見失うことはない。今の私ならできる」。タレント業と並行して、パティシエのおじの影響で興味を持ったスイーツ教室の開業へも動き始めている。ファンとの交流を増やそうと考案。1年間通ったケーキ教室を3月に卒業し、スイーツ検定も3級を取得した。「努力の上に運がある」と秋元氏は言うが、目標に向かって全力で走る姿にはその言葉がよく似合う。<ref>http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915200.html</ref>
 
*3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業した。
 
*4月20日、インタビュー。―秋元Pが浦野さんの加入を発表した瞬間を振り返ってみます。浦野さんはいつ加入について知ったんですか。「午後11時38分、ベッドでゴロゴロしながら、そろそろお風呂に入ろうかなって時に、マネージャーさんから電話がきて、一言、「シンディー見た?」って。瞬間、「'''やばい、なんか流出したか!?'''」って泣きそうになりました」。一同「(爆笑)」。浦野「いや、心当たりとか一切ないんですけどね(笑)。ちなみに、渡り廊下走り隊って[[恋愛禁止]]だよね?(※SDNはOKだった)」。多田「もちろんです。スキャンダルには気をつけて下さいね」。浦野「大丈夫。女は恋愛すると老けるらしいし。年下のメンバーに若いエキスを貰いながら、今は仕事が恋人ですからっ!」<ref>『AKB48グループ新聞』2012年4月号</ref>
 
*6月16日、男性スキャンダルが報じられた[[指原莉乃]]が、秋元康と共にラジオに出演。騒動の責任を取る形でHKT48への移籍が発表された。そして秋元はこの処分を、かつてAKBで行われた、[[チームA]]メンバーを[[チームB]]創設時に派遣した事と同じことと説明した。
 
*6月19日、「なんだか あの日以来もやもやしていて だけど 簡単に言葉にするのは 失礼だと思って...。やっと思っていることがまとまったので書いてみました...。さっき『火曜曲!』を見て、さっしーのANNの放送を見ました。あの日の放送で秋元先生は移籍に関して、私や他のメンバーの名前をだしてくれていましたが、今回の移籍は私が経験してきた移籍とは 違うって思います。というのも、土地も違うし 一人だし....スタッフさんだって 今まで一緒だった方々は少ないと思います。だから、きっと私の移籍の時よりずっとずっと辛くて、寂しくて不安だと思います.....。よくファンの方々から『声をかけてあげてください』『アドバイスを」等々、ありがたいことに 色々なコメントを頂く事が多いのですが、きっと 今の彼女は、皆が思って居る程弱くないし、ヘタレでもないと思います。そんな彼女に 声をかけるなんて、ましてや 私なんかがアドバイスなんて、おこがましいとさえ思ってしまいます。逆を言えば、そんな期待を込めて...彼女は私とは違う意味のしぶとさを持っていると 信じて.....。それから彼女を応援してくれている方々を信じて....。今は「指祭り」で48グループのユニットとして 良いパフォーマンスが出来るようにレッスンを頑張るし 当日 出演させてもらえること 共演出来ること 会えることを楽しみに 頑張ろうと思います。みんなと一緒に応援させてくださぃ」<ref>https://plus.google.com/104239976758048507102/posts/XYymYDZfHtj</ref>
 
*6月28日、インタビュー。「みんなと同じチームだったこともあるし、AKBに入ってきた時、挨拶からなにからすべて私が教えていたんです。AKBを卒業してSDNに入りましたが、メンバーが家族のような存在であることに変わりはなかったので、すんなりと輪に入れました。ファンの方にも「違和感ない」「安定している」と言われています。また握手会に参加できるのが一番の楽しみです。渡り廊下で私がどんなポジションなのかという疑問はありますが、やっぱりまゆゆのセンターの座を狙うべきかなと。それに尽きると思います(笑)」<ref name="maru3">『まるっとAKB48 スペシャル3 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』</ref>
 
*8月3日、Google+で[[多田愛佳]]とちんちん電車に乗ったと投稿。以後コメントでのファンとのやり取り。「おばあちゃんとか言ったやつ謝れやーーーーごるぁ!!!! さもなくば一生モテない呪いかけるかんなッッ!!!」「保護者とかみんなあやまれ」「こーなったら全員モテない呪いかけてやるーーー」「本当、女心わかってなぃわね」「紳士を育てる会でもやりたいな~」「紳士を育てる会開いたら、全員 私のタイプのmen'sに変身させるょ笑」「品の良いジョークを言えたり、空気読めたり、スマートにエスコートしてくれたり、抱きしめてほしーときに抱きしめてくれるよーなマンガみたいな人ーーーどこーーーーッッ笑」「あとねー器がおーきー人。多少のロリコンは許せるけと、過度のロリコンは無理だなぁ~てへぺろ笑」「なんかどーせーしてる友達の彼がお家で アロマキャンドルすると 怒るんだってそんなのやーーーだーーーどーなのょ」「私はお家でキャンドルして、ポップコーンとか食べながら借りてきたDVDとかを見てイチャイチャとするのが夢です笑」「だからキャンドルダメとか言われたらショックだょね(_) しかもその彼は 家に無駄な物置くなって言うんだって(_;)」「私だったら無理ね。もし 『ファンレターとか置くな』とか言われたらマジキレるな笑」「趣味押し付けんなよ笑」「アイドルDVDは好き同士で観るのがオススメね」「私、仕事に熱中したらメールも電話もあんまり返さないし、なんか了解って自己完結しちゃったりするから。お友達にそんなだから、多分無理ね笑」「付き合ったら忘れないよっても沢山付き合った人がいたら忘れちゃうんかも笑」「忙しい時って半端ないんだ。尋常ぢゃなぃんだわ。だから彼氏いらんな笑。アイドルと付き合う位なら、普通のかわぃぃ子と付き合ったほーが楽だし楽しいんぢゃないかなって思うと、やっぱ妄想が一番って思うよね笑 」「イケメソってさ、見たりちょっと話したりするのはいいんだけど、実際付き合いたいとか思えないゃな」「なんか、もんのすっごい寝不足で撮影。朝までとかの時、誰か抱きしめてくんないかなぁ~って思ったことあるけど、大体 それって一瞬の隙だから、次の瞬間座ったまま寝てたりするんだょな。んですぐ起こされて撮影したりさ。だからなに考えてたかわかんなくなっちゃうのね」「恋愛したらほぼ失職ってなんか凄いやね。恋愛して 死活問題になるのよ(_)」「海外はさ。オープンだったり、祝福してたり、逆にファンが増えたり、祝福ムード多くない? 風潮なの?」「だけど実際、お仕事楽しいし大好きなんだゃな(_) だから続けてるんだけどね笑。辞めたらみんなと会えなくなるしね(_)」「私は魔性な感じでいこーっと笑。魔性ってかっこいいぢゃん。その気にさせて付き合わないわっみたいなさ笑」「ずっと芸能の世界で生きていたいと思ってるょ。もーOLには戻れないかも」「ちんちん電車だけでこんなに釣られる男子ってかわぃぃよね←魔性発言(^^) さー沢山お話したねー楽しかったな」<ref>https://plus.google.com/104239976758048507102/posts/eto1wNBaHoS</ref>
 


===交友関係 ===
===交友関係 ===
*浦野と同じくサポートメンバーとして異動した[[平嶋夏海]]によると、「CinDyにちょっかい出されて出されて、もう全然ね。仲良くなかった。結構ね、嫌いなタイプ。CinDyちょっかい出すの好きじゃん? 私はちょっかい出されるの好きじゃなかったから、『CinDyもうやめて!』」とつい言ってしまったとか。それから平嶋は浦野を避けて、楽屋とかで過ごしてた。その後、二人ともチームBに異動し、平嶋から無視されるようになった浦野は、[[渡辺麻友]]とかを可愛がるようになったらしい。
*仲の良いメンバーは[[大島優子]]
 
*[[秋元康]]のモノマネが得意で、度々『[[AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!]]』などのラジオなどで披露している。秋元のことは「秋P」と呼んでいる。
*[[柏木由紀]]は、浦野から遊びの誘いを受けていたが、全て断っていた。理由は「CinDyディズニー好きじゃん…だから絶対一緒に行ったら連れ回される…っていう話をなっちゃん([[平嶋夏海]])から聞いたの!」。<ref name="asu623">ラジオ『明日までもうちょっと。』08/06/23より。</ref>
*AKB48時代、MCでは、旧チームK最年少の奥真奈美から「野呂はどうなの?」と、話を振られるのが定番になっていた。
 
*現在では平嶋との仲は良い。浦野「AKBに入ってなかったら絶対出会わなかったし、こんなに仲良くなれなかったと思う…こんなに歳が離れてるのに…そんなこと考えたらなんだか不思議だけど、本当大好きな存在なんだょね☆」<ref>http://gree.jp/urano_kazumi/blog/entry/475857619</ref>平嶋「私も本当にその通りだと思う。うちらってAKBじゃなかったらこんな関係になれなかったよね、きっと。CinDyだいすきなんだよん」<ref>http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/4225/0</ref>


===性格・趣味 ===
===性格・趣味 ===
*一人っ子。
*実は怖がりで、特に爬虫類や両生類が苦手。『AKB0じ59ふん!』のコーナーでカエルやヘビが登場した際には、号泣してスタジオの隅に逃げてゲーム参加を拒否したり、鉢巻きで目隠しして見ないようにするなど、徹底的に拒絶していた。
 
*スタンドマイクも苦手なほどの先端恐怖症。
*母親は看護師。<ref>『柱NIGHT!』 2008/08/18</ref>
*読売ジャイアンツのファン。
*弟がいる。
*父は美容師でデビュー前は美容室を手伝っていたことがある。


==参加曲 ==
==参加曲 ==
===AKB48名義 ===
===AKB48名義 ===
*[[桜の花びらたち]](インディーズ)
*1st [[会いたかった]]
*[[言い訳Maybe]]


===SDN48名義 ===
===SDN48名義 ===
*GAGAGA
*1st GAGAGA


==出演番組 ==
==出演番組 ==
[[Wikipedia:浦野一美#.E5.87.BA.E6.BC.94|Wikipedia]]を参照。
[[Wikipedia:野呂佳代#.E5.87.BA.E6.BC.94|Wikipedia]]を参照。


==脚注・出典 ==
==脚注・出典 ==
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==外部リンク ==
==外部リンク ==
*[http://www.sdn48.co.jp/members/profile/urano/ SDN48公式プロフィール]
* [http://www.sdn48.co.jp/members/profile/noro/ SDN48公式プロフィール]
*[http://ameblo.jp/uranokazumi/ 浦野一美 official blog「Cinderella Magic」]
* [http://www.ohtapro.co.jp/ohta_pro/profile/NoroKayo/index.html 太田プロダクション公式プロフィール]
*[http://www.ogipro.com/talent/urano/index.html 所属事務所尾木プロダクション]
* [http://gree.jp/noro_kayo/blog/ 野呂佳代 公式ブログ]


[[Category:AKB48]]
[[Category:AKB48]]

2013年6月25日 (火) 18:23時点における版

[[カテゴリ:チームK→SDN48
→卒業のメンバー]]

AKB48 [[チームK→SDN48
→卒業]]
野呂 佳代 のろ かよ
ファイル:Noro kayo.jpg
所属事務所

太田プロダクション

生年月日

1983年10月28日 (40歳)

出身地

東京都

身長、体重

162cm

スリーサイズ

B85.5 W64 H92

合格期

元2期生

選抜回数

1回

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野呂 佳代(のろ かよ、1983年10月28日 - )は、元・AKB48およびSDN48のメンバー。東京都出身。太田プロダクション所属。


略歴

2000年

  • ムーン・ザ・チャイルドに所属し芸能界デビュー。

2006年

  • 2月、AKB48第2期生オーディションに合格。
  • 4月1日、チームKの一員として活動を開始。

2009年

  • 2月21日、チームK5th「逆上がり」公演千秋楽をもってAKB48を卒業。SDN48へ完全移籍し、キャプテンに就任。

2010年

2011年

  • 10月15日、SDN48全メンバーの卒業が発表される。

2012年

  • 3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。

人物

キャラクター

  • ニックネームは「ノンティー」、名付け親は戸島花。SDN48に移籍してからは「キャップ」と呼ばれることが多くなり、特に篠田麻里子にはブログ上で「キャップ」と呼ばれている。
  • AKB48の中ではお笑い担当であり、佐藤夏希とお笑いコンビ「なちのん」を組んだ事もある。担当はボケで、M-1グランプリにも出場した事がある。
  • かなりふくよかな体型が特徴。『AKB0じ59ふん!』の体力測定のコーナーで競馬に倣った出走名に際して『ノロコトオウシュウ』。[2]と命名されたり、『AKBINGO!』で小学校の卒業写真を公表した際に大溝清人に「ハワイ力士みたい」と言われたり、「体、仕上がってるね」と言われたり(そのときのナレーションでも「野呂佳代関」と呼ばれた)するなど、体型に関する揶揄が多い。但し、前述の体力測定では好結果を残し、「サスケマニア」で優勝を経験するなど、身体能力は高い。

AKB48として

  • 2004年10月、AKB48に入る前に「朝倉佳代」という名でTBS系列のドラマ「ことぶきウォーズ」に主人公の同僚役・絵里として出演していた。[3]
  • AKB48の第2期生オーディションに合格。チームKのメンバーとしてデビューする。実はオーディション時に、年齢や靴のサイズなどを偽っていた。年齢は当時22歳だったが、2歳サバを読んで20歳。靴のサイズは本当は25.5だったが、すぐに「オーバー」という返信がきたため、25にして再応募したら通った。応募写真は、縦に引き伸ばしスレンダーに見える様に加工していた。面接は2期生の時はテレビ電話だったので、バレなかった。最終審査で審査員の前に行ったら、みんなビックリして「(誰が呼んだんだこいつを)」みたいな空気になったらしい。[4]結局それでも、秋元が「面白いじゃん」と言って合格させた。曰く「どんな石ころでも磨けば大丈夫」。[5]ちなみに、野呂が年齢詐称をしたせいで、22歳だった年齢制限が次の3期生では20歳まで下げられたらしい。[6]4期生オーディションからはさらに下げられ、現在の18歳になった。
  • AKB48時代は大堀恵と同学年で共にメンバー最年長だったが、大堀のほうが誕生日が先なので、「最年長キャラ」は大堀。SDN48では、大堀、三ツ井裕美と同級生だが、大堀の方が誕生日が2ヶ月、三ツ井の方が1ヶ月早いため、4番目の年長メンバーになる。
  • 2007年7月、同じチームKの佐藤夏希と「なちのん」を結成。同年10月のM-1グランプリに出場したが、2回戦敗退となった。
  • 2008年、去年に続き、M-1グランプリに再び参戦、結果は2回戦敗退。
  • 2008年、SKE48の結成時には秋元康から移籍の話もあったが、結局実現はしなかった。
  • 2009年1月、『真里亜 その愛の果てに』で主演として初舞台を経験する。
  • 8月1日、佐藤由加理大堀恵浦野一美とともにSDN48としても活動開始。
  • 2010年2月21日、チームK 5th Stage「逆上がり」公演千秋楽をもってAKB48を卒業。

SDN48として

  • 同日付けでSDN48へ完全移籍となり、同グループのキャプテンに就任した。
  • 3月25日、横浜アリーナで行われた『満席祭り希望 賛否両論』夜公演にて、芸能事務所の太田プロダクションへの移籍の打診を受けた事が発表。後日、正式に移籍した。[7]
  • 4月、「ON8」(ベイエフエム)の月曜日のDJに就任。
  • 「AKB48はところてん方式」というのが口癖らしく、『全じゃん』『AKB48のオールナイトニッポン』『踊るさんま御殿』などで発言。自分は押し出される形でAKB卒業となってしまったらしい。
  • 11月、SDN48としてデビューシングル『GAGAGA』をリリース。この曲の選抜メンバーに選ばれ、4年前のAKB48のメジャーデビューシングル『会いたかった』以来の歌番組出演をした。
  • 2011年10月15日、劇場公演にてキャプテンである野呂が、SDN48メンバー全員の卒業を発表した。「SDN48を結成して、2年2ヶ月が経ちましたが、ファンの皆さんには当初より多大なる応援と温かいメッセージをいただき、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。SDN48は、それぞれのメンバーが進むべき道を目指すために、全員揃ってグループを卒業をすることになりました。2012年3月31日に現行メンバー揃ってのさよならコンサートをもって、SDN48としての第一章はその役目を終えます。私たちもどこかで区切りをつけなければいけない時期に差し掛かっています。メンバー一同、自分の夢をより具体的にするために、新たなステージへ旅立つことになりますが、これからも、これまでと変わらず引き続きの応援を何卒よろしくお願いします」[8]
  • 発表後の本人のブログ。「ビックリさせてしまってごめんなさい<(_ _
  • )> あと、半年間 SDN48として今まで以上にがんばりたいと思いますっ☆ これからも、みなさん 応援してくださいm(_ _)mお願いしますm(_ _)m」[9]
  • 2012年1月22日、リクエストアワーセットリストベスト100 2012最終日。SDN48の『孤独なランナー』が、3位にランクインした。過去最高だった24位の記録を大幅に更新し、“有終の美”を飾った。キャプテンの野呂は、「応援してくれたみなさんのことは絶対、忘れません」と涙ながらに“卒業宣言”し、この日一番の温かい拍手が送られた。鳴りやまない歓声に野呂、大堀恵浦野一美らメンバー全員の瞳に涙が浮かんだ。全員で円陣を組み精神統一すると、挫折からはい上がろうとする気持ちを歌った同曲を熱唱。2009年8月デビューのSDNは、AKB48劇場での初回公演からこの曲を歌い続けてきたという“代表曲”。野呂も「私たちとファンの気持ちがつまった大切な曲」と説明する。実は昨年10月、メンバー全員の卒業発表後、ファン内では「SDNをランクインさせよう」と投票を呼びかけていた。歌唱後、野呂は「へこんだり、不安だった時期もあったけど、みなさんの励ましが自信をもたせてくれました」と号泣。最後は「私たちも泣いてばかりいられません。3月に卒業しますが、これからも何事にも全力で頑張ります」と約束した。そして、3月31日の卒業コンサートは、渋谷のNHKホールで行うことも発表された。[10]
  • 2月4~16日、韓国オリジナルミュージカル『パルレ~洗濯~』で、初のミュージカルで主演もつとめる。「お話を頂いた時は、本当にちょ~うれしかったです。私は本当にミュージカルに挑戦してみたいと思っていたので」と今回のミュージカル出演について、素直にうれしさを語る野呂、そんな彼女には力強い見方がいるとか。「共演者の先輩方から声の出し方はもちろんですが、喉のケアの仕方など。あとは舞台役者としての礼儀です。私がわからないことをしっかり教えて頂けるというのが本当にうれしいです」。はじめてのミュージカルを迎える野呂だが、周りの先輩方に助けられながら、準備万端のようだ。これまで、AKB48に加入から、現在のSDN48まで、芸能界の活動期間が6年になる野呂、今回の舞台でも、その経験がいかされている。「もちろん、緊張で手が震えたりはするのですが、お客さんの前に出るという意味で、舞台慣れはできていると思います」。さらに、「あとは照明が当たるとうれしいです(笑) 今回は自分のために一人で(照明を)浴びたりするので(笑)」とも。ちなみに、野呂といえば、所属するSDN48のメンバーが3月に全員卒業することが発表され、野呂も同グループを卒業することになっている。ただ、同グループの“お家芸”といえばサプライズ。実は電撃的に次回のAKB48のオーディションの受験を狙っているのではないか…。本人にこのことを直接、たずねてみると、「なんですかそれ! いや~キツイっす」と完全否定。「また最初から、制服を着るというのは…楽しかったですけど、若いからできたことだと思うので」とのこと。これから、ソロでしっかりと頑張ってくということのようだ。最後に、「私の完全な新境地ですし、6年間やってきたことを次のステップに進むために、ぜひみなさんに見て欲しいです。私の新しい姿を見て頂き、今後もファンのみなさんと一緒に活動していきたいと思います」と意気込みを語った。[11]
  • 3月23日、初のイメージDVD『打ち上がったマーメイド』をリリース。「私にアイドルっぽいお仕事が来るなんて思わなかった。ずっと応援して下さったファンの方々への卒業アルバムといった感じ。だから発売イベントで、直接お渡ししたいんです」。ちなみにこのタイトルは、2年前に友人の篠田麻里子佐藤由加理渡辺志穂の3人から「私たちで佳代ちゃんの写真集を自費出版する」と発案されたときに考えたもの。「『タイトルをパクったの? それにAVみたいになるからグラビアには向いてないよ』ってからかわれました。確かに、スタイルは気にしないで下さい」[12]
  • 3月27日、インタビュー。野呂は09年8月にAKBの活動と並行してSDN入りし、10年2月にキャプテンに就任した。AKB時代と比べ「もともと、洋楽寄りの格好いいダンスが好きだったので、SDNに入ることができてよかったと思った」と振り返る。ただ、現実はイメージと違う面もあった。「最初の1年間は自分がいなくなった。正直、つまらなかったですね」と打ち明ける。例に挙げるのが公演などのMC。切り返しやツッコミなど会話が弾んだAKBのチームK時代とは違い、自分が面白い発言をしても引かれてしまうことがあった。みっちり鍛え込まれていた野呂らAKBからの移籍組に対して、SDNからスタートしたメンバーは「自分のことで必死だった」という。周囲の期待と責任感に悩む葛藤の日々が続いたが、転機は10年秋に訪れた。AKBと一緒に行ったイベントで秋元康から「おまえには何も求めてないんだ」と言われた。この言葉がキャプテンを楽にした。「ああ良かったと思って胸のつかえが一気に下りた。自由でいいんだと心から思った」。今までの悩みが全てはじけた。それからはメンバーともしっかり向き合えるようになり、バラエティー志向の強い明るい自分を素直に出せるようになった。卒業まであと4日。SDNを通じ「人をしっかりと見られるようになったし、気を使えるようになった」。目標はバラエティー番組の司会を務めること。「実際にアイドルとして活動したから、アイドルを扱うのはうまいですよ。中居正広さんのようなマルチな存在を目指します」。豪快に笑う姿に迷いはなかった。[13]
  • 3月31日、SDNにとって最初で最後の単独公演「さよならコンサート」を開催。鳴りやまないアンコールの声を浴びながら、39人は純白ウエディングドレス姿で並ぶと、野呂が代表して挨拶。「私たちSDN48は、AKB48のように大きな記録は作れなかったかもしれませんが、皆様の記憶に残るグループでいられたなら嬉しいです。これにて私たちはSDN48を卒業します。本当にありがとうございました!」SDN48は、2009年8月1日のデビューから3月28日まで、AKB48劇場で計337回の公演を行った。2年8カ月の活動に幕を下ろした。2月には卒業撤回を求める5800人分の嘆願書が秋元康の元に届いた。これを受け、1年後に“同窓会”イベントを開催することも発表。野呂は終演後に「またね~」と再会を約束した。[14][15]

交友関係

  • 仲の良いメンバーは大島優子
  • 秋元康のモノマネが得意で、度々『AKB48の全力で聴かなきゃダメじゃん!!』などのラジオなどで披露している。秋元のことは「秋P」と呼んでいる。
  • AKB48時代、MCでは、旧チームK最年少の奥真奈美から「野呂はどうなの?」と、話を振られるのが定番になっていた。

性格・趣味

  • 実は怖がりで、特に爬虫類や両生類が苦手。『AKB0じ59ふん!』のコーナーでカエルやヘビが登場した際には、号泣してスタジオの隅に逃げてゲーム参加を拒否したり、鉢巻きで目隠しして見ないようにするなど、徹底的に拒絶していた。
  • スタンドマイクも苦手なほどの先端恐怖症。
  • 読売ジャイアンツのファン。
  • 弟がいる。
  • 父は美容師でデビュー前は美容室を手伝っていたことがある。

参加曲

AKB48名義

SDN48名義

  • 1st GAGAGA

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

  1. ^ [1] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」
  2. ^ 「Akepedia」のコーナーで「野呂と大堀が琴欧洲と同じ年生まれである」と紹介されたのがきっかけ。
  3. ^ 「今夜は帰らない」2007年10月6日
  4. ^ 柱NIGHT!with AKB48』 10/4/19
  5. ^ FLASH SPECAIL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』
  6. ^ 柱NIGHT!with AKB48』 11/1/31
  7. ^ [2] 公式GREEブログ「昨日m(__)m」
  8. ^ http://ameblo.jp/sdn48official/entry-11048955915.html
  9. ^ http://gree.jp/noro_kayo/blog/entry/605272696
  10. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000032-sanspo-ent
  11. ^ http://npn.co.jp/article/detail/74016875/
  12. ^ 『AKB48グループ新聞』 2012年3月号
  13. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/03/27/kiji/K20120327002915140.html
  14. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/04/01/kiji/K20120401002950930.html
  15. ^ http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2012040102000069.html

外部リンク