「AKB48のオーディション」の版間の差分

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*概説
*概説
:オーディション合格は4人。その中でも正規メンバーへ昇格出来たのは高城と野中の2人と非常に少ない。高城は、公演デビューから昇格までの最速記録も持っている反面、野中が昇格したのは、翌2010年の[[組閣#2009年|組閣]]後新体制によるものである。6期生として選抜に選ばれたのは全て高城であった。しかしその高城も初めて選抜入りしたのは16thシングルの『[[ポニーテールとシュシュ]]』で、2008年12月の昇格からは、かなり時間がかかっている。なお、5期生は昇格から2ヶ月ほどで初選抜となっている。高城は[[第3回総選挙]]での第13位は、4期メンバー以降では当時最高位でもあった。しかし、高城も2012年にJKT48へ移籍。翌2013年4月からはAKB48兼任(大組閣体制以降はAKB48専任)する形となったが、シングル選抜でも外れ、総選挙でも順位を落とす様になった。
:オーディション合格は4人。その中でも正規メンバーへ昇格出来たのは高城と野中の2人と非常に少ない。高城は、公演デビューから昇格までの最速記録も持っている反面、野中が昇格したのは、翌2010年の[[組閣#2009年|組閣]]後新体制によるものである。6期生として選抜に選ばれたのは全て高城であった。しかしその高城も初めて選抜入りしたのは16thシングルの『[[ポニーテールとシュシュ]]』で、2008年12月の昇格からは、かなり時間がかかっている。なお、5期生は昇格から2ヶ月ほどで初選抜となっている。高城は[[第3回総選挙]]での第13位は、4期メンバー以降では当時最高位でもあった。しかし、高城も2012年にJKT48へ移籍。翌2013年4月からはAKB48兼任(大組閣体制以降はAKB48専任)する形となったが、シングル選抜でも外れ、総選挙でも順位を落とす様になった。
:2016年5月に最後まで残った高城亜樹も卒業したため、8期生、2期生に続いて全員が48グループから退くこととなった。
:2016年5月に最後まで残った高城も卒業したため、8期生、2期生に続いて全員が48グループから退くこととなった。


== 7期生 ==
== 7期生 ==
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:その反面、2012年1月23日号の講談社「週刊プレイボーイ」では、当時の7期生全員が集まり「緊急サミット」と銘打った対談企画が行われたが、そこで7期生達からは「7期生にスポットライトが当たることは少なく、すでに崖っぷちだ」と語られている。言い分は「6期以前の研究生みたいに苦労をしていないと思われている」「『組閣祭り』というイベントで早い時期にラッキー昇格したと思われている」「後輩の9期生はデビュー後すぐにテレビ番組のレギュラーを持ち、あっさり自分たちを追い抜いて行った」など、その思いを吐露している。
:その反面、2012年1月23日号の講談社「週刊プレイボーイ」では、当時の7期生全員が集まり「緊急サミット」と銘打った対談企画が行われたが、そこで7期生達からは「7期生にスポットライトが当たることは少なく、すでに崖っぷちだ」と語られている。言い分は「6期以前の研究生みたいに苦労をしていないと思われている」「『組閣祭り』というイベントで早い時期にラッキー昇格したと思われている」「後輩の9期生はデビュー後すぐにテレビ番組のレギュラーを持ち、あっさり自分たちを追い抜いて行った」など、その思いを吐露している。
:そのような状況の中で、鈴木まりやが2012年にSNH48へ移籍。翌2013年4月からはAKB48兼任と形で戻った(大組閣体制以降はAKB48専任)が、海外へ新天地を求める動きもあった。また、岩佐は演歌歌手として、松井もピアノのインストルメンタルアルバムでソロデビューを果たした。
:そのような状況の中で、鈴木まりやが2012年にSNH48へ移籍。翌2013年4月からはAKB48兼任と形で戻った(大組閣体制以降はAKB48専任)が、海外へ新天地を求める動きもあった。また、岩佐は演歌歌手として、松井もピアノのインストルメンタルアルバムでソロデビューを果たした。
:2018年1月をもって、7期生全員が48グループから退いている。
:2018年1月に佐藤がSKE48としての活動を終了したことで、7期生全員が48グループから退いたことになった。


== 8期生 ==
== 8期生 ==
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:さらに9期の中でも、格差が出始めていた。最初は出番が少なかった横山は、チームKに昇格したあとは、選抜入りやユニットデビュー、総選挙での躍進など華々しい道を登り続け、一時、同期の中で独り勝ちの状態となった。逆に大場は、チーム4のキャプテンに就任したものの、これに前後して過去のプロフ流出騒動により、キャプテンの辞任と活動を謹慎することとなった(その後、活動復帰)。また、大場とほぼ同時期に、過去のプロフ流出騒動が起きていた森も活動を辞退{{注釈|公式発表は「腰痛のため」であった<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11005822810.html 【お知らせ】] - AKB48オフィシャルブログ 2011年9月20日</ref>。}}している。2011年10月、9期が中心となったチーム4が劇場公演を開始。センターは島崎が担当し、これに並行してドラマ・CM・バラエティ番組なども選抜メンバーを一緒にこなすなど、一時期干されていた島崎が推されるようになっていた。その後、2012年8月の[[組閣#2012年|組閣]]ではチーム4が解体され、それぞれA・K・Bの3チームへ再編されており、終始安定した活動を続けている横山を除いて、依然として不安定な立場であった。
:さらに9期の中でも、格差が出始めていた。最初は出番が少なかった横山は、チームKに昇格したあとは、選抜入りやユニットデビュー、総選挙での躍進など華々しい道を登り続け、一時、同期の中で独り勝ちの状態となった。逆に大場は、チーム4のキャプテンに就任したものの、これに前後して過去のプロフ流出騒動により、キャプテンの辞任と活動を謹慎することとなった(その後、活動復帰)。また、大場とほぼ同時期に、過去のプロフ流出騒動が起きていた森も活動を辞退{{注釈|公式発表は「腰痛のため」であった<ref>[http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11005822810.html 【お知らせ】] - AKB48オフィシャルブログ 2011年9月20日</ref>。}}している。2011年10月、9期が中心となったチーム4が劇場公演を開始。センターは島崎が担当し、これに並行してドラマ・CM・バラエティ番組なども選抜メンバーを一緒にこなすなど、一時期干されていた島崎が推されるようになっていた。その後、2012年8月の[[組閣#2012年|組閣]]ではチーム4が解体され、それぞれA・K・Bの3チームへ再編されており、終始安定した活動を続けている横山を除いて、依然として不安定な立場であった。
:それでも、9期生がAKB48の中では中軸を担いつつある世代となっていた。横山は篠田卒業後のチームA(大組閣体制後はチームK)キャプテンに就任。さらに卒業を発表した高橋みなみから「AKB48グループ総監督」の後継指名を受け、2015年12月8日に2代目総監督に就任している。島崎は[[第3回じゃんけん大会]]で優勝しセンターを獲得。選抜常連となり、総選挙でも上位にランクインする様になった。さらに横山のほか、大場、中村、島田は[[キャプテン]](副キャプテン)に就任し、チームの司令塔として活動。バラエティを中心にソロの仕事が増加するなど多方面で露出が増えている。
:それでも、9期生がAKB48の中では中軸を担いつつある世代となっていた。横山は篠田卒業後のチームA(大組閣体制後はチームK)キャプテンに就任。さらに卒業を発表した高橋みなみから「AKB48グループ総監督」の後継指名を受け、2015年12月8日に2代目総監督に就任している。島崎は[[第3回じゃんけん大会]]で優勝しセンターを獲得。選抜常連となり、総選挙でも上位にランクインする様になった。さらに横山のほか、大場、中村、島田は[[キャプテン]](副キャプテン)に就任し、チームの司令塔として活動。バラエティを中心にソロの仕事が増加するなど多方面で露出が増えている。
:2021年12月9日に横山由依がAKB48としての活動を終了したことで、AKB48に残る現役メンバーは皆無となった(大場はSKE48へ移籍)。
:2022年5月に大場がSKE48としての活動を終了したことで、9期生全員が48グループから退いたことになった。
:2022年5月21日に大場美奈がSKE48としての活動を終了したことで、9期生全員が48グループから退いたことになった。


== 10期生 ==
== 10期生 ==