「増田有華」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
{{改稿中}}、キャラクター・加入前改稿(インタビューについてはYahoo!ニュース出典かつ要登録の「医療従事者向け」サイトであることから、記事抜粋へ。全文掲載の必要性はない)
({{改稿中}}、キャラクター・加入前改稿(インタビューについてはYahoo!ニュース出典かつ要登録の「医療従事者向け」サイトであることから、記事抜粋へ。全文掲載の必要性はない))
26行目: 26行目:
| 第3回じゃんけん大会 = 辞退
| 第3回じゃんけん大会 = 辞退
}}
}}
'''増田 有華'''(ますだ ゆか、1991年8月3日 - )は、[[AKB48]]の元メンバー。現在は歌手、女優、タレント。大阪府大阪市出身<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>。フレイヴ エンターテインメント所属。
'''増田 有華'''(ますだ ゆか、1991年8月3日 - )は、[[AKB48]]の元メンバー。現在は歌手、女優、タレント。大阪府大阪市出身<ref name="N926">[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html 久しぶりすぎるね;;★増田有華- 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年8月27日</ref>。フレイヴ エンターテインメント所属。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
;2006年
;2006年
*2月、AKB48第2期[[オーディション]]に合格。
*2月、AKB48第2期[[オーディション]]に合格。
*4月1日、新設されたチームKの一人として劇場公演デビュー。
*4月1日、新設された[[チームK]]の一人として劇場公演デビュー。


;2009年
;2009年
*7月8日、[[第1回総選挙]]は25位となり、[[アンダーガールズ]]入り。
*7月8日、[[第1回総選挙]]は25位となり、[[アンダーガールズ]]に選出される。
*8月23日、「[[AKB104選抜メンバー組閣祭り]]」において、[[チームB]]へ異動することが発表される。
*8月23日、「[[AKB104選抜メンバー組閣祭り]]」において、柏木[[チームB]]へ異動することが発表される。


;2010年
;2010年
*4月28日、『Stargazer』でソロデビュー。
*4月28日、『Stargazer』でソロデビュー。
*5月21日、チームBメンバーとして活動を開始。
*5月21日、チームBメンバーとして活動を開始。
*6月9日、[[第2回総選挙]]では25位となり、アンダーガールズ入り。
*6月9日、[[第2回総選挙]]では25位となり、アンダーガールズに選出される。


;2011年
;2011年
*6月9日、[[第3回総選挙]]では20位となり、選抜入り。
*2月27日、派生ユニット「[[DiVA]]」のメンバーの一員として活動することが発表される。
*6月9日、[[第3回総選挙]]では20位となり、22thシングル選抜メンバーに選出される。


;2012年
;2012年
*8月24日、「[[組閣#2012年|組閣]]」(チーム再編)により、大島チームKに異動することが発表される。
*8月24日、「[[組閣#2012年|組閣]]」(チーム再編成)により、大島チームKへ異動することが発表される。
*11月1日、大島チームKとしての活動を開始。
*11月1日、大島チームKとしての活動を開始。
*11月29日、自身のオフィシャルブログで、AKB48としての活動を辞退することを発表(詳細は[[/ノート]]を参照)。
*11月28日、自身のオフィシャルブログで、AKB48としての活動を辞退することを発表する(詳細は[[#2012年|後述]]および[[/ノート]]を参照)。
*12月17日、[[第2回AKB48紅白対抗歌合戦]]をもって、AKB48としての活動を終了。
*12月17日、「[[第2回AKB48紅白対抗歌合戦]]」への参加をもって、AKB48としての活動を終了。
 
;2013年
*1月7日、派生ユニット「DiVA」としての活動を辞退することが発表される。
 
;2014年
*8月14日、「DIVA」(「DiVA」より改称)の活動再開に伴い、再びメンバーとして復帰することが発表される。


== 人物 ==
== 人物 ==
=== キャラクター ===
=== キャラクター ===
*キャッチフレーズは「笑顔ニコニコ、元気モリモリ、たこ焼きめっちゃ好きやねん! 大阪魂炸裂の18歳、増田有華です」。
*キャッチフレーズは「笑顔ニコニコ、元気モリモリ、たこ焼き『めっちゃ好きねん』大阪魂炸裂の21歳になりました増田有華です」<ref>[http://akb48.blog48.fc2.com/blog-entry-7559.html 「私はやっぱり歌手になりたいです」 増田有華 21歳の生誕祭 (2012/10/01、「シアターの女神」公演 432回目)] - AKB48@メモリスト 2012年10月4日</ref>
*公式ニックネームは「ゆか」。「ゆったん」も多い。名付け親は、[[河西智美]]<ref> http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10497432204.html 本人公式ブログ「4周年★増田有華」</ref>たまにキャッチフレーズの「たこやき」とも呼ばれる。現在、ブログの最後に記述している「゜+。Chiro。+゜」は、昔のニックネーム「チロ」から。チロの由来は、チロルチョコが大好きだったので[[佐藤夏希]]に「チロって名前、可愛いいじゃん」と言われそうなった。「チロ」は次第に呼ばれなくなったが、現在でもブログだけは「Chiro」を使用している。<ref>http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10801472663.html</ref>ちなみに、同じくブログの最後にある「にゃもし」とは、「なんか雰囲気がかわいいのとみんなが幸せになりますようにーって想いを込めた言葉です。ゆるーく皆さんに使っていただけたら嬉しい」<ref>http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-10929726298.html</ref>
*公式ニックネームは「ゆか」<ref name="guide2012">講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2012」P100より。</ref>。
*最近は、胸が大きいことからメンバーに「ゆったん」+「おっぱい」で「ゆっぱい」と呼ばれている。<ref name="N10408">[[AKB48のオールナイトニッポン]]』 2011年4月8日</ref>
:公式ニックネーム以外では、「ゆったん」と呼ばれることが多い。本人によれば、名付け親は[[河西智美]]<ref>[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10497432204.html 4周年★増田有華] - 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年4月1日</ref>とのこと。
*AKB48加入以前から数々のヴォーカルコンテストに出場し、「のど自慢」でもグランプリになったことがあるという<ref>『AKB48現象』</ref>、AKBトップクラスの高い歌唱力を持つ歌姫。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
:また、キャッチフレーズの「たこやき」とも呼ばれることもある。
*歌手活動以外にも、舞台、映画、ドラマなどにも単身果敢に挑戦し、才能の枠を広げている。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>将来の夢は、歌手。アーティスト。役者。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>
:オフィシャルブログの最後に署名として記述している「゜+。Chiro。+゜」は、昔のニックネーム「チロ」から来ている。「チロ」の由来は、増田がチロルチョコが大好きで、メンバーの差し入れに箱買いした際に、[[佐藤夏希]]に「チロって名前、可愛いいぢゃん!!!」<ref>[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10495940119.html ランキング★増田有華] - 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年3月31日</ref>ということで決められてしまったが、現在はほとんど使用されていない。
*[[戸賀崎智信]]「歌はもちろん、彼女は演技がとても上手い。劇場の寸劇パフォーマンスが舞台や映画に展開した理想型です。あと、ぜひ公演ラストの彼女の最後の挨拶『またきたってな~』を生で聞いて下さい」<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
:また、個人のオフィシャルブログに移行した際、タイトルとなった「にゃもし」とは、「なんか雰囲気がかわいいのとみんなが幸せになりますようにーって想いを込めた言葉です。ゆるーく皆さんに使っていただけたら嬉しい」<ref>[http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-10929726298.html にゃもし★増田有華] - |増田有華オフィシャルブログ「増田有華のにゃもしな1日」2011年6月20日</ref>とのこと。
:胸が大きいことからメンバーに「ゆったん」+「おっぱい」で「ゆっぱい」と呼ばれている<ref name="N10408">ニッポン放送「[[AKB48のオールナイトニッポン]]」 2011年4月8日放送より</ref>
:本人によれば、幼なじみには、ゆぅちゃんって言われていたとのこと<ref name="N210">[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10806668210.html 久しぶりにやっちゃいまっす★増田有華- 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2011年2月19日</ref>
*AKB48加入以前から数々のヴォーカルコンテストに出場しては数々の賞を受賞してきた、大阪育ちの極上ディーバ。また、歌手活動以外にも、舞台、映画、ドラマなどにも単身、果敢に挑戦し、才能の枠をグンと広げてきた<ref name="guide">講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック」P74より</ref>。2011年の「[[東京秋祭り]]」のカラオケ大会では[[Wikipedia:絢香|絢香]]の『みんな空の下』で見事、優勝している([[#2011年|後述]])。
:その甲斐もあり、2012年には[[Wikipedia:宮本亜門|宮本亜門]]演出による「ウィズ~オズの魔法使い~」の主人公「ドロシー」役を48グループのメンバーから選ぶオーディションで、主役の座を射止めた(と同時に、後にAKB48を離脱する伏線にもなった)([[#2012年|後述]])。
*幼児期に小児がんに侵されたが、奇跡的に完治している。このため、現在も先天性の免疫不全を抱えているとのこと([[#AKB48加入前|後述]])。
*メンバー評。
:「楽屋でなっち([[佐藤夏希]])とハモっていると、思わず耳を傾けちゃう」([[平嶋夏海]])<ref name="guide2011">講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2011」P94より。</ref>
:「歌声が素晴らしいです。ずっと憧れの方です」([[出口陽]])<ref name="guide2011"/>
:「演技・歌唱力・ダンスがすべて完璧。増田さんみたいになんでもできるようになりたいです」([[原望奈美]]。舞台「中野ブロンディーズ」で共演)<ref name="guide2012">講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2012」P100より。</ref>
*劇場支配人評。
:「歌はもちろん、彼女は演技がとても上手い。劇場での寸劇パフォーマンスが舞台や映画に展開した理想型です。最近ファンになった方は、ぜひ、公演ラストの彼女の最後の挨拶『またきたってな~!』をナマで聞いて下さい」(2010年・[[戸賀崎智信]]<ref name="guide"/>
:「歌一本でやってきた彼女ですが、演技という新たな表現に出会ったことで、さらに歌の幅に広がりが生まれた。『DiVA』での活躍も期待できそうです。アーティスト志向の彼女だからこそ、真価を発揮してくれると思います」(2011年・戸賀崎)<ref name="guide2011"/>
:「歌への思い入れがものすごく強いです。最近は胸の大きい『ゆっぱい』キャラでも存在感を増していますね。歌以外のグラビアの仕事など、自分のなかには興味がなかった表現の世界からも貪欲に学んでほしいです」(2012年・戸賀崎)<ref name="guide2012"/>
*将来の夢は、歌手。アーティスト。役者<ref name="vb2010">{{要出典|text=要ページ範囲|東京ニュース通信社「AKB48 VISUAL BOOK 2010」}}</ref>


=== AKB48加入前 ===
=== AKB48加入前 ===
*1991年8月3日、父・健作、母・真知子の間に、一人っ子として生まれる。<ref>http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10506402812.html</ref><ref name="N20301">『奇跡体験!アンビリバボー』 2012/03/01</ref>
*1991年8月3日、父・健作、母・真知子の間に、一人っ子として生まれる<ref>[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10506402812.html 326~350★やらないと★増田有華] - 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年4月12日</ref><ref name="N20301">フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」 2012年3月1日放送より。</ref>
*「有華」という名前の由来は、逆に読んで「華が有る子に育つように」という意味でつけられた。<ref name="N946">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10643057946.html</ref>
*「有華」という名前の由来は、「有華」を逆に読んで「華が有る子に育つように」という意味でつけられた<ref name="N946">[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10643057946.html マカロニ★増田有華] - 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年9月8日</ref>
*2歳の頃、小児がんに侵され、膵臓、脾臓、肝臓など14カ所に転移する。<ref>2010年4月18日の日刊スポーツより</ref>広範囲にわたっていたため手術は困難で、さらに先天性の免疫不全であり、免疫力は通常の人の3分の1。抗がん剤は正常の免疫細胞まで殺してしまうため、抗がん剤治療は出来ず、免疫力を強化する薬を投与するしかなかった。<ref name="N20301">『奇跡体験!アンビリバボー』 2012/03/01</ref>
*2歳の頃、小児がんに侵され、膵臓、脾臓、肝臓など14カ所に転移する<ref>日刊スポーツ 2010年4月18日</ref>。広範囲にわたっていたため手術は困難で、さらに先天性の免疫不全であり、免疫力は通常の人の3分の1。抗がん剤は正常の免疫細胞まで殺してしまうため、抗がん剤治療は出来ず、免疫力を強化する薬を投与するしかなかった<ref name="N20301"/>
*その後体調が回復し一時帰宅を許され、さらにその数ヶ月後、腫瘍が完全に消滅。医師によると、通常は抗がん剤を使わずに腫瘍が消える事はなく、非常に稀なケースだという。<ref name="N20301">『奇跡体験!アンビリバボー』 2012/03/01</ref>
*その後、体調が回復し一時帰宅を許され、さらにその数ヶ月後、腫瘍が完全に消滅。医師によると、通常は抗がん剤を使わずに腫瘍が消える事はなく、非常に稀なケースだという<ref name="N20301"/>。
*奇跡的にがんは完治したものの、現在も先天性の免疫不全を抱えている。それでも「がんがあったからこそ、今がある」と、過去を前向きにとらえる。そこには計り知ることのできない歌の力があった。―かつて小児がんだったことを告白していますね。「発病したのは2歳のころです。わたしのがんは、最初にどこの臓器で生まれたものかは分かりませんが、見つかった段階で、既にすい臓や腎臓、肝臓など、幾つかの場所に転移していたそうです。だから、2歳から2歳半までの間は大阪の病院に入院して、毎日のように点滴をつながれ、注射をされていました。「点滴をしている自分が当たり前」という感覚だけは、かすかに覚えています」。―ほかに当時のことで覚えていることはありますか。「入院中かどうかは分かりませんが、「いつも病院にいた」という程度の記憶はあります。がんだったことを初めて聞いた時のこともよく覚えていません。小学生のころには知っていましたが、「何となく重い病」ということしか分かりませんでした。大変な病気にかかっていたと本当に理解できたのは、10代の後半になってからですかね」。―その後、がんはどうなったのですか。「2歳半くらいの時、がんが半分に減って、退院できました。その後も治療を続けるうちに、がんは徐々になくなっていきました。今、この話をしても、「医学的に証明できない」とか言われて、誰にも信じてもらえないんですけど(笑)」。―なぜ完治できたんだと思いますか。「なぜですかね。わたしにもよく分かりません(笑)。ただ、病院で担当してくれた先生が、「いろいろな小児がんの子を診てきたけれど、この子は本当によく笑う。病人の顔じゃない」と言って母を励ましながら、懸命に治療を続けてくれました。そうした強い思いが、完治につながったのかもしれません。もう一つ、「歌の力」も大きかったと思います。入院していた時、音楽好きの父が個室の病室でギターを弾いてくれました。わたしはそれに合わせてラムネのお菓子が入ったおもちゃのマイクを握って、元気に歌っていたみたいです。たとえ点滴がつながっていても、その時間はすごく楽しかったというのは、かすかに覚えています」。―気丈なご両親だったんですね。「そうですね。でも、いつも強かったわけでもないと思います。特に母は、わたしががんで入院してからだいぶ弱ってしまって、体重が10キロ以上も減ってしまいました。「周りの子は公園で元気よく遊んでいるのに、なぜ有華だけ病院で点滴につながれる生活を送らなきゃいけないんだろう」って。すごくショックを受けて、「この子はもう駄目かもしれない」って、喪服まで用意したくらいですから。そんな母が頑張れたのは、本当にささやかな夢があったからだと言っていました。それは、わたしが退院したら、一緒にファミリーレストランに行くこと。普通、特別なお出掛けと言ったらテーマパークとか、動物園とかですよね。でも母は、もっと「ごく当たり前のこと」をしたかったみたい。それがファミレスでのお食事だったんです(笑)。退院してファミレスで一緒にご飯を食べた時、小さな手でおいしそうにスープを飲むわたしの姿を見て、それがすごくうれしかったと言っていました」。―がんだった経験で、今につながっていることはありますか。「がんだった経験は、今のわたしのとても大きな要素になっています。マイナスの要素とはとらえていなくて、むしろ、がんを通じて強くなれたとも思っています。今こうして活動できているのも、がんがあったからなんです」。―どういうことですか。「私がオーディションに合格したのは、中学2年の終わりごろでした。当時は大阪に住んでいたんですが、両親は快く一人っ子のわたしを東京に送り出してくれました。理由は、わたしががんで一度命の危険にあったにもかかわらず、こうして奇跡的に生きているから。母は「有華にはきっと特別な使命がある。生きていてくれるだけでもありがたいんだから、東京でやりたい夢をかなえてきなさい」って言って送り出してくれました。がんのおかげで大好きな歌を歌えているというのは、不思議なものです。もし、わたしががんを乗り越えていなかったら…。過保護な母のことです。東京に行くことなんて認めてくれなかったでしょう」。―そして今、歌手として活躍されていますね。「私にとって、生きていること自体が歌うこと、表現することそのものなんです。それくらい大切なものです。実際、家に着くと、自然と好きな音楽をかけちゃうし、外ではストリートミュージシャンの演奏に聞き入ってしまう自分がいます。歌がない人生は考えられません。ただ、そんなわたしでも「歌をやめてしまいたい」と思うことが何度かありました。ステージでスポットライトを浴びたくない。マイクも握りたくない。そのくらいに落ち込んだこともありました。でも、ある時気付いたんです。「歌をやめたい」と思うのは、それだけ歌が好きということなんだと。つまり、「歌を自分の誇れるものにしたい」という強い思いがあるからこそ、形にならないもどかしさで、「やめたい」と思ってしまっていたんです。一生懸命夢を追っているからこそ、落ち込んでしまったんです。このことに気付いてからは、つらいことがあっても、「つらい、苦しいは好きの裏返し。つらいことがあれば、きっといいこともある」と、前向きに思えるようになりました。知らず知らずのうちに、がんだった2歳のころの自分に励まされているんですね」。―現在も病気を抱えていらっしゃると聞きました。「実は、今も先天性の免疫不全があります。血液検査を受けると毎回、「白血球の数値が低いね」と言われます。でも、不思議と不安はないです。なぜかというと、ファンの皆さんから求められていると実感できる瞬間があるから。ライブを見に来てくれたり、握手会に来てくれたり。大好きなこの活動をしているからこそ、わたしは元気でいられると思うんです。ファンの方の中に、治療が難しい病気と闘っている方がいらっしゃいます。それでも車いすに乗って握手会にいらしてくれたり、手紙を書いてくださったりしてくれる。「ライブのMCを見て、よく笑っています」という話をお聞きすることもあります。そんな姿を見ていると、「わたしも負けちゃいけない」と元気が出てきます」。―最後に、いろいろな病気に苦しむ患者さんへのメッセージをお願いします。「病気だからといって、マイナスの方に、マイナスの方に考えてしまうと、どこまででも落ち込んでしまいます。「わたしは病気だから何もできないんだ」というように。わたしもそう思う時がありました。でも、逆に笑顔で楽しいことを考えれば、毎日が楽しくなると思うんです。例えば、病室の中であっても絵を描き始めるとか。何か一歩でも踏み出してみれば、新しい自分を発見できたり、夢をかなえるきっかけになったりすると思うんです。だから、未来を見詰めて、ぜひいろんなことに挑戦してほしいなって感じます」。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120108-00000001-cbn-soci</ref>
*AKB48に加入した後、「医療介護CBニュース」(2012年1月8日)の取材で、自身の幼児期について明かされている(抜粋、一部修正)。
*初恋は保育園の時。<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>
<blockquote>
*芸能界に入りたいって思ったのは、保育園の頃から。<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>
「発病したのは2歳のころです。わたしのがんは、最初にどこの臓器で生まれたものかは分かりませんが、見つかった段階で、既にすい臓や腎臓、肝臓など、幾つかの場所に転移していたそうです。だから、2歳から2歳半までの間は大阪の病院に入院して、毎日のように点滴をつながれ、注射をされていました。『点滴をしている自分が当たり前』という感覚だけは、かすかに覚えています」<br>
*昔、地元大阪で毎月ストリートライブなどもしていた。<ref name="N210">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10806668210.html</ref>
「入院中かどうかは分かりませんが、『いつも病院にいた』という程度の記憶はあります。がんだったことを初めて聞いた時のこともよく覚えていません。小学生のころには知っていましたが、『何となく重い病』ということしか分かりませんでした。大変な病気にかかっていたと本当に理解できたのは、10代の後半になってからですかね」<br>
「2歳半くらいの時、がんが半分に減って、退院できました。その後も治療を続けるうちに、がんは徐々になくなっていきました。今、この話をしても、『医学的に証明できない』とか言われて、誰にも信じてもらえないんですけど(笑)」<br>
―なぜ完治できたんだと思いますか。<br>
「なぜですかね。わたしにもよく分かりません(笑)。ただ、病院で担当してくれた先生が、『いろいろな小児がんの子を診てきたけれど、この子は本当によく笑う。病人の顔じゃない』と言って母を励ましながら、懸命に治療を続けてくれました。そうした強い思いが、完治につながったのかもしれません。もう一つ、『歌の力』も大きかったと思います。入院していた時、音楽好きの父が個室の病室でギターを弾いてくれました。わたしはそれに合わせてラムネのお菓子が入ったおもちゃのマイクを握って、元気に歌っていたみたいです。たとえ点滴がつながっていても、その時間はすごく楽しかったというのは、かすかに覚えています」<br>
―気丈なご両親だったんですね。<br>
「そうですね。でも、いつも強かったわけでもないと思います。特に母は、わたしががんで入院してからだいぶ弱ってしまって、体重が10キロ以上も減ってしまいました。『周りの子は公園で元気よく遊んでいるのに、なぜ有華だけ病院で点滴につながれる生活を送らなきゃいけないんだろう』って。すごくショックを受けて、『この子はもう駄目かもしれない』って、喪服まで用意したくらいですから。そんな母が頑張れたのは、本当にささやかな夢があったからだと言っていました。それは、わたしが退院したら、一緒にファミリーレストランに行くこと。普通、特別なお出掛けと言ったらテーマパークとか、動物園とかですよね。でも母は、もっと『ごく当たり前のこと』をしたかったみたい。それがファミレスでのお食事だったんです(笑)。退院してファミレスで一緒にご飯を食べた時、小さな手でおいしそうにスープを飲むわたしの姿を見て、それがすごくうれしかったと言っていました」<br>
「実は、今も先天性の免疫不全があります。血液検査を受けると毎回、『白血球の数値が低いね』と言われます。でも、不思議と不安はないです。なぜかというと、ファンの皆さんから求められていると実感できる瞬間があるから。ライブを見に来てくれたり、握手会に来てくれたり。大好きなこの活動をしているからこそ、わたしは元気でいられると思うんです。ファンの方の中に、治療が難しい病気と闘っている方がいらっしゃいます。それでも車いすに乗って握手会にいらしてくれたり、手紙を書いてくださったりしてくれる。『ライブのMCを見て、よく笑っています』という話をお聞きすることもあります。そんな姿を見ていると、『わたしも負けちゃいけない』と元気が出てきます」
<!--二次出典(Yahoo!ニュースのアーカイブ)のためコメントアウト。出典元の「医療介護CBニュース」は無料ではあるが、「医療従事者向け」サイトでアーカイブ閲覧には利用者登録が必要(職業について登録が必要)なため、全文掲載を差し控える<ref>[http://web.archive.org/web/20120115060244/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120108-00000001-cbn-soci がんという通過点(2)増田有華さん−「がんだったから、今がある。歌がある」]</ref>。-->
</blockquote>
*本人によれば、芸能界に入りたいと思ったのは、保育園の頃からとのこと<ref name="N926"/>
*地元・大阪にいた頃は、[[Wikipedia:弁天町駅|弁天町駅]](JR大阪環状線)前で毎月、ストリートライブなどをしていたという。本人によれば「歌がだいすきになった場所」とのこと<ref name="N210"/>


=== AKB48として ===
=== AKB48として ===
==== 2006年 ====
==== 2006年 ====
*AKB48に入ったきっかけは、母親が応募したから。最終審査に行ったら受かったので、ためらうことなく上京した。<ref name="N302">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10591682302.html</ref>
*AKB48を応募した動機は、母親が応募したから。最終審査に行ったら受かったので、ためらうことなく上京した<ref name="N302">[http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10591682302.html 興奮ジョータイ★増田有華]- 1LDK6人暮らし(オフィシャルブログ)2010年7月15日</ref>。前述「医療介護CBニュース」(2012年1月8日)の取材では、
 
<blockquote>
==== 2009年 ====
「私がオーディションに合格したのは、中学2年の終わりごろでした。当時は大阪に住んでいたんですが、両親は快く一人っ子のわたしを東京に送り出してくれました。理由は、わたしががんで一度命の危険にあったにもかかわらず、こうして奇跡的に生きているから。母は『有華にはきっと特別な使命がある。生きていてくれるだけでもありがたいんだから、東京でやりたい夢をかなえてきなさい』って言って送り出してくれました。がんのおかげで大好きな歌を歌えているというのは、不思議なものです。もし、わたしががんを乗り越えていなかったら…。過保護な母のことです。東京に行くことなんて認めてくれなかったでしょう」
*7月8日、AKBの中では、決して目立つ活躍場所は多くはないが<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>、選抜メンバーをファン投票で決定するという[[選抜総選挙]]では25位にランクインするなど、根強いファン人気を持つ。
</blockquote>
:と答えている。


==== 2010年 ====
==== 2010年 ====
122行目: 154行目:
*4月12日、NHK Eテレで放送中の“ネット”ドキュメンタリー『青春リアル』(毎週木曜 23:30)の新メンバーに加わった。高校生や新米社会人など10~20代のメンバーがネットで視聴者とつながり、意見交換しながら“なりたい自分”を目指し、模索する姿を半年間、長期取材する番組。増田は、半年かけて「努力の意味」を知りたいという。「いくら頑張っても結果につながらない時、あの時間はなんだったんだろうって思います。大切だって分かっているけど、いつも努力を100%信じられない。そんな自分を変えたいなと思います」<ref>http://www.oricon.co.jp/news/movie/2009564/full/</ref>
*4月12日、NHK Eテレで放送中の“ネット”ドキュメンタリー『青春リアル』(毎週木曜 23:30)の新メンバーに加わった。高校生や新米社会人など10~20代のメンバーがネットで視聴者とつながり、意見交換しながら“なりたい自分”を目指し、模索する姿を半年間、長期取材する番組。増田は、半年かけて「努力の意味」を知りたいという。「いくら頑張っても結果につながらない時、あの時間はなんだったんだろうって思います。大切だって分かっているけど、いつも努力を100%信じられない。そんな自分を変えたいなと思います」<ref>http://www.oricon.co.jp/news/movie/2009564/full/</ref>
*5月16日、抜群の歌唱力でAKBやDiVAなどで活躍を見せる一方、“一匹狼”タイプと呼ばれる自分との葛藤があった。そんな中で、主役を務めた舞台「中野ブロンディーズ」が自分を見つめ直すキッカケになった。「演出家さんから、『主役は、もっと周りに気を配らなきゃいけない』って言われて。自分にとって、ホントに衝撃的なことで…。責任感を持ってみんなをまとめていく大変さと、相手の立場に立って会話することの大切さに気付きました」。今年の目標は、前回を上回る17位だ。「今年はもっと愛嬌のある人になりたいんです。なんか強い子みたいに見られちゃうんですけど、結構寂しがり屋なんですよ(笑)」<ref name="sog2012">『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』</ref>
*5月16日、抜群の歌唱力でAKBやDiVAなどで活躍を見せる一方、“一匹狼”タイプと呼ばれる自分との葛藤があった。そんな中で、主役を務めた舞台「中野ブロンディーズ」が自分を見つめ直すキッカケになった。「演出家さんから、『主役は、もっと周りに気を配らなきゃいけない』って言われて。自分にとって、ホントに衝撃的なことで…。責任感を持ってみんなをまとめていく大変さと、相手の立場に立って会話することの大切さに気付きました」。今年の目標は、前回を上回る17位だ。「今年はもっと愛嬌のある人になりたいんです。なんか強い子みたいに見られちゃうんですけど、結構寂しがり屋なんですよ(笑)」<ref name="sog2012">『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』</ref>
*5月、[[戸賀崎]]「最近は胸が大きい“ゆっぱい”キャラでも存在感を増してきていますね。歌以外のグラビアの仕事など、自分の中には興味がなかった表現の世界からもどん欲に学んで欲しいです」<ref name="sog2012">『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』</ref>
*5月20日、DiVAメンバーで、歌唱力はAKB48No.1とも言われるが、「ゆっぱい」という愛称が「AKB48人生を変えた」という。豊満なバストで、メンバーから「ゆっぱい」と名付けられた。ドリカム、MISIA、絢香といった本格派歌手になることしか考えていなかったが、バストに注目されるのは「最初は嫌だった」という。しかし、徐々に考え方が変わった。「'''男の人は本当におっぱいが好きだと分かった'''。それで世界が平和になれば」。数々のグラビアを飾り、知名度も一気に上がった。「本格的な歌手を目指すことでお堅いイメージがあったと思う。それが『ゆっぱい』で親しみやすくなった」。もちろん歌で勝負していくことに変わりはない。だが魅力あるカラダを隠す必要もないと「ゆっぱい」が総選挙へ一肌脱いだ。<ref>『日刊スポーツ』 2012年5月20日</ref>
*5月20日、DiVAメンバーで、歌唱力はAKB48No.1とも言われるが、「ゆっぱい」という愛称が「AKB48人生を変えた」という。豊満なバストで、メンバーから「ゆっぱい」と名付けられた。ドリカム、MISIA、絢香といった本格派歌手になることしか考えていなかったが、バストに注目されるのは「最初は嫌だった」という。しかし、徐々に考え方が変わった。「'''男の人は本当におっぱいが好きだと分かった'''。それで世界が平和になれば」。数々のグラビアを飾り、知名度も一気に上がった。「本格的な歌手を目指すことでお堅いイメージがあったと思う。それが『ゆっぱい』で親しみやすくなった」。もちろん歌で勝負していくことに変わりはない。だが魅力あるカラダを隠す必要もないと「ゆっぱい」が総選挙へ一肌脱いだ。<ref>『日刊スポーツ』 2012年5月20日</ref>
*6月6日、[[第4回総選挙]]では26位にランクイン。「私はこの度、26位という順位をいただきました。本当にありがとうございました! 前回20位。結果だけをみると順位を落としてしまいました。悔しい。そういう気持ちがないといえば嘘になります。悔しいです。ですが、今まで3度の総選挙を通して、結果だけが全てだったという私の考えが変わりました。握手会でバイトの時間を増やして、その分投票するね! 今月は買いたい物を我慢します! ゆったんのために毎日頑張ります! そう言ってくれるひとがたくさんいました。わたしのために投票するために自分の時間、身を削ってがんばってくださった皆さんがいると思うと、悔しいだけとは言い切れません。暖かい気持ちになり、本当に嬉しく思います。1万3166票。この票数を噛み締めます。噛み締めて、自分に足りないところ、これから伸ばせるところ、、、いろんな自分をプラスに持っていけるといいな。そして、いままでと変わらず。私は私らしく。皆さんと共にいただけた立ち位置から素敵な景色を眺められたらと思います。いや、私が見せなきゃいけないんだな。だからついて来てください! もっと上にもっともっと。素敵な景色を。総選挙が始まる前は、いつもファンのみなさん、メンバー、スタッフ、身内、いろんな人からの緊張や期待、不安をみて、胃が痛くなりそうな自分がいます。でもおわったあとはいつもやってよかったなって思えます。メンバー1人1人の真っ直ぐな眼差し、声を震わせながらも自分らしく想いを伝えるコメント、そんなみんなの意識の高さにAKBにいることを誇らしく感じます。舞台上でしか分からないあの手足が震える緊張感は何とも表現できません。気づけなかったことに毎回気づかせてくれるのが選抜総選挙です。その時々に自分の答えをみつけていきたい。自分に絶対負けない!諦めない! 本当にありがとうございました! 今後ともよろしくお願いします!」<ref>http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11270959452.html</ref>
*6月6日、[[第4回総選挙]]では26位にランクイン。「私はこの度、26位という順位をいただきました。本当にありがとうございました! 前回20位。結果だけをみると順位を落としてしまいました。悔しい。そういう気持ちがないといえば嘘になります。悔しいです。ですが、今まで3度の総選挙を通して、結果だけが全てだったという私の考えが変わりました。握手会でバイトの時間を増やして、その分投票するね! 今月は買いたい物を我慢します! ゆったんのために毎日頑張ります! そう言ってくれるひとがたくさんいました。わたしのために投票するために自分の時間、身を削ってがんばってくださった皆さんがいると思うと、悔しいだけとは言い切れません。暖かい気持ちになり、本当に嬉しく思います。1万3166票。この票数を噛み締めます。噛み締めて、自分に足りないところ、これから伸ばせるところ、、、いろんな自分をプラスに持っていけるといいな。そして、いままでと変わらず。私は私らしく。皆さんと共にいただけた立ち位置から素敵な景色を眺められたらと思います。いや、私が見せなきゃいけないんだな。だからついて来てください! もっと上にもっともっと。素敵な景色を。総選挙が始まる前は、いつもファンのみなさん、メンバー、スタッフ、身内、いろんな人からの緊張や期待、不安をみて、胃が痛くなりそうな自分がいます。でもおわったあとはいつもやってよかったなって思えます。メンバー1人1人の真っ直ぐな眼差し、声を震わせながらも自分らしく想いを伝えるコメント、そんなみんなの意識の高さにAKBにいることを誇らしく感じます。舞台上でしか分からないあの手足が震える緊張感は何とも表現できません。気づけなかったことに毎回気づかせてくれるのが選抜総選挙です。その時々に自分の答えをみつけていきたい。自分に絶対負けない!諦めない! 本当にありがとうございました! 今後ともよろしくお願いします!」<ref>http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11270959452.html</ref>
219行目: 250行目:


=== 交友関係 ===
=== 交友関係 ===
*仲の良いメンバーは、[[佐藤夏希]]、[[小野恵令奈]]<ref name="N302">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10591682302.html</ref>
*仲の良いメンバーは、[[佐藤夏希]]、[[小野恵令奈]]<ref name="N302"/>
*誰とでも仲良くなれるが、女の子同士の輪みたいなのが苦手。一匹狼タイプで、「一人が好き」。<ref name="dvd5d">『DVD MAGAZINE VOL.5D』</ref>
*誰とでも仲良くなれるが、女の子同士の輪みたいなのが苦手。一匹狼タイプで、「一人が好き」。<ref name="dvd5d">『DVD MAGAZINE VOL.5D』</ref>
*推しメンは、[[大島麻衣]]。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>現在は「推し!」と言える子はいない。「ステージ観てて引き付けられたのは、きたりえとゆきりん。あと佐江かな」<ref name="N210">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10806668210.html</ref>
*推しメンは、[[大島麻衣]]。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>現在は「推し!」と言える子はいない。「ステージ観てて引き付けられたのは、きたりえとゆきりん。あと佐江かな」<ref name="N210">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10806668210.html</ref>
236行目: 267行目:
*スポーツ万能で、中学時代はバスケットボールの大会で大阪市の選抜に選ばれた経験がある。<ref>『[[週刊AKB]]』2009年12月18日</ref>体育祭では走り高跳びで何度か優勝した事がある。<ref>『[[AKBINGO!]]』2009年11月11日</ref>
*スポーツ万能で、中学時代はバスケットボールの大会で大阪市の選抜に選ばれた経験がある。<ref>『[[週刊AKB]]』2009年12月18日</ref>体育祭では走り高跳びで何度か優勝した事がある。<ref>『[[AKBINGO!]]』2009年11月11日</ref>
*『[[AKBINGO!]]』ムチャぶりドッジボールでは、このゲームに強い[[大島優子]]といい勝負を繰り広げ、最終的には大島を撃破した。大島は巻き添え以外では初のアウトで、「ウソだー!」と絶叫した。結果的には、白チーム全員を増田一人でアウトにしていた。ちなみに本人も「本気でやったつもりじゃない」<ref> http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10617045846.html</ref>と言っている通り、大島以外にはかなり力をセーブして投げている。また一応気を遣ってか、[[前田敦子]]や見方に何度かボールをパスしている。<ref>『[[AKBINGO!]]』2010/08/11</ref>
*『[[AKBINGO!]]』ムチャぶりドッジボールでは、このゲームに強い[[大島優子]]といい勝負を繰り広げ、最終的には大島を撃破した。大島は巻き添え以外では初のアウトで、「ウソだー!」と絶叫した。結果的には、白チーム全員を増田一人でアウトにしていた。ちなみに本人も「本気でやったつもりじゃない」<ref> http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10617045846.html</ref>と言っている通り、大島以外にはかなり力をセーブして投げている。また一応気を遣ってか、[[前田敦子]]や見方に何度かボールをパスしている。<ref>『[[AKBINGO!]]』2010/08/11</ref>
*運動神経が良いと思う人は、「Kは優子、才加。Bならアタシ運動はまけません。笑」<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>
*運動神経が良いと思う人は、「Kは優子、才加。Bならアタシ運動はまけません。笑」<ref name="N926"/>
*好きな男性のタイプは、「人のことを思いやれる人。容姿は求めません」。<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>「空気読める人」。<ref name="N946">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10643057946.html</ref>
*好きな男性のタイプは、「人のことを思いやれる人。容姿は求めません」<ref name="N926"/>「空気読める人」。<ref name="N946">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10643057946.html</ref>
*匂いと、肩のフェチ。<ref name="N926">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10631563926.html</ref>
*匂いと、肩のフェチ<ref name="N926"/>
*SかMかで言うと、「わ、わ、わたしってMなのかもー!と感じました。前までドSとか言ってたくせにね。笑 根はMなもんですから、なんか強気な人に見られがちなのが嫌で嫌で。いつも内心、子猫のように震えているのです。←クレーム受け付けません」<ref>http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11277367765.html</ref>
*SかMかで言うと、「わ、わ、わたしってMなのかもー!と感じました。前までドSとか言ってたくせにね。笑 根はMなもんですから、なんか強気な人に見られがちなのが嫌で嫌で。いつも内心、子猫のように震えているのです。←クレーム受け付けません」<ref>http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/entry-11277367765.html</ref>
*寮で一人暮らし。<ref name="N302">http://ameblo.jp/akimoto100323/entry-10591682302.html</ref>両親から仕送りを貰っていたが、それは増田が貯めていた給料から出ていたらしく、結局、自分のお金だった。<ref>『[[明日までもうちょっと。]]』 09/08/31</ref>
*(2010年7月時点)寮で一人暮らし<ref name="N302"/>。両親から仕送りを貰っていたが、それは増田が貯めていた給料から出ていたらしく、結局、自分のお金だった。<ref>『[[明日までもうちょっと。]]』 09/08/31</ref>
*化粧品やコスメにお金をかけており、特に香水を集めるのが好き。匂い好きで、アロマがないと夜は眠られない。<ref>『明日までもうちょっと。』 09/08/31</ref>
*化粧品やコスメにお金をかけており、特に香水を集めるのが好き。匂い好きで、アロマがないと夜は眠られない。<ref>『明日までもうちょっと。』 09/08/31</ref>
*初恋は保育園の時<ref name="N926"/>。


== ギャラリー ==
== ギャラリー ==
349行目: 381行目:
[[Wikipedia:増田有華#.E5.87.BA.E6.BC.94|Wikipedia]]を参照。
[[Wikipedia:増田有華#.E5.87.BA.E6.BC.94|Wikipedia]]を参照。


== 脚注・出典 ==
== 注釈 ==
<references group="注釈" />
== 出典 ==
<references />
<references />


357行目: 391行目:
* [http://flave.co.jp/pages/talent/masuda_yuka/index フレイヴエンターテインメント公式プロフィール]
* [http://flave.co.jp/pages/talent/masuda_yuka/index フレイヴエンターテインメント公式プロフィール]
* [http://avexnet.or.jp/diva/ DiVA Official Website]
* [http://avexnet.or.jp/diva/ DiVA Official Website]
* [http://ameblo.jp/akimoto100323/theme-10020838053.html 1LDK6人暮らしのブログ](2010年3月23日 - 2011年6月19日)
* [http://ameblo.jp/akimoto100323/theme-10020838053.html 1LDK6人暮らしのブログ](2010年3月23日 - 2011年6月19日)(当時、Office48所属のAKB48メンバー([[秋元才加]]・[[宮澤佐江]]・[[梅田彩佳]]・増田・[[小林香菜]]・[[奥真奈美]])は、6名共同のブログとなっていた。その後、卒業した奥を除き個人ブログへ移行し「DiVA」の追加メンバーの共同ブログとなったが、以前の投稿も残されている。)
* [http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/ 公式ブログ「増田有華のにゃもしな1日」](2011年6月20日 - )
* [http://ameblo.jp/massuuu-yuttan/ 公式ブログ「増田有華のにゃもしな1日」](2011年6月20日 - )
* [http://twitter.com/yuka_masuda ツイッターアカウント]
* [http://twitter.com/yuka_masuda ツイッターアカウント]
15,440

回編集

案内メニュー