「神門沙樹」の版間の差分

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秋元康、湯浅洋755投稿より(プライベートな件であるものの、触れざるを得ないと考える)
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(秋元康、湯浅洋755投稿より(プライベートな件であるものの、触れざるを得ないと考える))
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:ドラフトで神門を指名した高柳明音はあいさつで「沙樹ちゃんはSKEに入って、チームKIIで良かったですか?」と問い、神門は「良かったです」と答えている<ref name="memo19162"/>。
:ドラフトで神門を指名した高柳明音はあいさつで「沙樹ちゃんはSKEに入って、チームKIIで良かったですか?」と問い、神門は「良かったです」と答えている<ref name="memo19162"/>。
:公演終演後、神門は最後の一言は発することなく、舞台袖へ去って行った。
:公演終演後、神門は最後の一言は発することなく、舞台袖へ去って行った。
=== SKE48卒業後 ===
*2016年1月16日、[[秋元康]]が[[755]]のトークで、
<pre>
神門沙樹へ。
「その距離を競うより
  どう飛んだか
  どこを飛んだのか
  それが一番 大切なんだ」
「365日の紙飛行機」を、えーちゃんに捧げます。
秋元康
</pre>
:と、神門へ向けての投稿を行った<ref>[http://7gogo.jp/akimoto-yasushi/8941 秋元康のトーク] - 755 2016年1月16日</ref>。ファンの間ではネット上の掲示板において、文に書かれた「えーちゃん」という人物についてなど、様々な憶測を呼んでいた。
:さらに、「えーちゃんの友達」と名乗るユーザの「先生からえーちゃんに捧ぐと言う文字を見て感謝の気持ちでいっぱいです。彼女は本当に尊敬できる道を飛びました。これからも私達はえーちゃんを尊敬し愛しています。 えーちゃんは賢いので完璧な紙飛行機で大空に飛んでいけたと思います。 最高の曲をありがとうございました。私達の応援歌としても、ずっと大切に聞き続けます」というコメントに対し、
<pre>
「飛んで行け!
 飛んでみよう!」
 大空を飛んでいるよ。
 えーちゃんの紙飛行機。
</pre>
:と、コメントを返している<ref>[http://7gogo.jp/akimoto-yasushi/8944  秋元康のトーク] - 755 2016年1月16日</ref>。
*その2日後の同月18日、SKE48劇場支配人の[[湯浅洋]]が同じく755で「先日、神門から手紙が届き、昨年(2015年)神門の実姉が他界したこと」「闘病中の実姉が、AKB48の『365日の紙飛行機』を愛唱していたこと」「神門から来た手紙を秋元が読んだことで前述の投稿につながったこと」を明かした<ref>[http://7gogo.jp/yuasa-hiroshi/42413 ゆあたん 湯浅洋] - 755 2016年1月18日</ref><small>(以下、誤記部分を修正)</small>。
<pre>
神門が卒業してから、突然手紙が来ました。
内容はSKE時代はお世話になりました、と言うものでしたが、その中でも実は、
昨年、神門のお姉さんが25歳という若さでこの世を去りました。
そのお姉さんが闘病中、病院で「あさが来た」を楽しみに観ていて、「365日の紙飛行機」をよく口ずさんでいたそうです。
“”365日の紙飛行機”に救われて最後まで希望を捨てなかったことを感謝して、秋元先生に手紙を書き、
僕はそれを、秋元先生に渡しました。
先日、それを読んだ秋元先生が、755にメッセージを書いて下さったと思うのですが、
それを見た時、自然に涙が出てきました。
神門に秋元先生が、755にメッセージくれているよと、連絡もしました。
神門からも、ありがとうございましたと、嬉しそうな返事をもらいました。
歌の力って、本当に凄いと思いました。
神門のお姉さんのご冥福を改めて、お祈り致します。
</pre>


=== 交友関係 ===
=== 交友関係 ===
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