user-upload
3,547
回編集
細 (リンクの修正) |
|||
82行目: | 82行目: | ||
*モデルだけあり、女性ファンが多いのが特徴。「女性特有の感覚かも知れませんが、同性から好かれる、ファンになってもらえたって、なんか認められた感じがして嬉しいんですよね」。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』より。</ref> | *モデルだけあり、女性ファンが多いのが特徴。「女性特有の感覚かも知れませんが、同性から好かれる、ファンになってもらえたって、なんか認められた感じがして嬉しいんですよね」。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』より。</ref> | ||
*競馬番組も担当し、競馬マニアや中高年なども含めて幅広い層に支持されてる。篠田は「今年に入って休みがない」と語るほどの人気者となった。<ref>www.menscyzo.com/2010/04/post_1084.html</ref>篠田本人のブログを信じるならば、確かにほとんど休みは無く、忙しい時には睡眠時間が1~2時間という日もある。ちなみに、今欲しいものは睡眠時間。本人曰く「眠いと不機嫌になる」<ref name="note100">[[篠田麻里子]] 100の激白より。</ref> | *競馬番組も担当し、競馬マニアや中高年なども含めて幅広い層に支持されてる。篠田は「今年に入って休みがない」と語るほどの人気者となった。<ref>www.menscyzo.com/2010/04/post_1084.html</ref>篠田本人のブログを信じるならば、確かにほとんど休みは無く、忙しい時には睡眠時間が1~2時間という日もある。ちなみに、今欲しいものは睡眠時間。本人曰く「眠いと不機嫌になる」<ref name="note100">[[篠田麻里子]] 100の激白より。</ref> | ||
*将来の夢は、[[ | *将来の夢は、[[Wikipedia:ジェーン・バーキン|ジェーン・バーキン]]。<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref> | ||
====幼少期==== | ====幼少期==== | ||
102行目: | 102行目: | ||
#div(end) --> | #div(end) --> | ||
*10月、AKB48の1期生オーディションの最終審査日。歌唱審査で歌った曲は、中島みゆきの『悪女』。理由は、歌詞の出始めが「マリコの部屋へ~」だから。[[秋元康]]に「それ狙いですか?」と言われた。絶対に受かると思っていたが、まさかの不合格だった。<ref name="note110119">『ズームイン!!SUPER』 2011/01/19</ref>「当時は19歳で今よりも自身があったから、正直『絶対受かる』と思ってました。隣がゆかりん([[佐藤由加理]])で、素朴なタイプじゃないですか。『こんな田舎っぽい子は受からないだろうな』って思ってたし、その隣には(高橋)みなみがいて、大人っぽいというか老けてて、『この人いくつなんだろう』って思ってました。…だから私は絶対受かると思ってたんですけど、名前が呼ばれなくて、『え? なんで? 意味分かんない!』って」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref> | *10月、AKB48の1期生オーディションの最終審査日。歌唱審査で歌った曲は、中島みゆきの『悪女』。理由は、歌詞の出始めが「マリコの部屋へ~」だから。[[秋元康]]に「それ狙いですか?」と言われた。絶対に受かると思っていたが、まさかの不合格だった。<ref name="note110119">『ズームイン!!SUPER』 2011/01/19</ref>「当時は19歳で今よりも自身があったから、正直『絶対受かる』と思ってました。隣がゆかりん([[佐藤由加理]])で、素朴なタイプじゃないですか。『こんな田舎っぽい子は受からないだろうな』って思ってたし、その隣には(高橋)みなみがいて、大人っぽいというか老けてて、『この人いくつなんだろう』って思ってました。…だから私は絶対受かると思ってたんですけど、名前が呼ばれなくて、『え? なんで? 意味分かんない!』って」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref> | ||
*だがその後、劇場に併設されるカフェで「カフェッ娘」として働く事を打診され、「落ちて悔しい気持ちが大きかったから、『やります!』って。…でも本当に悔しかったです」。<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>そしてしばらくはそこで毎日のように働いていた。当時の思い出は「座っていると仕事にならないので、立ちっぱなしというのが大変でした。これを1日12時間、1カ月半やっていました。正直なところ、AKBの活動よりも辛かったですね」。<ref name="bing"> | *だがその後、劇場に併設されるカフェで「カフェッ娘」として働く事を打診され、「落ちて悔しい気持ちが大きかったから、『やります!』って。…でも本当に悔しかったです」。<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>そしてしばらくはそこで毎日のように働いていた。当時の思い出は「座っていると仕事にならないので、立ちっぱなしというのが大変でした。これを1日12時間、1カ月半やっていました。正直なところ、AKBの活動よりも辛かったですね」。<ref name="bing">[http://keyword.jp.msn.com/bing/talent01.htm bingインタビュー]</ref>ちなみに当時は劇場にお客さんが入らず、篠田は戸賀崎などと共に外でビラやチケットを配っていた。『逃した魚たち』というビデオクリップ集では、その時の篠田の姿が映っている。 | ||
====2006年==== | ====2006年==== |