「平嶋夏海」の版間の差分

劇場公演名のリダイレクト解消, replaced: [[A2nd「会いたかった」 → [[チームA 2nd Stage「会いたかった」, [[A3rd「誰かのために」 → [[チームA 3rd Stage「誰かのために」, [[B3rd「パジャマドライ...
(冒頭のチーム表記削除)
(劇場公演名のリダイレクト解消, replaced: [[A2nd「会いたかった」 → [[チームA 2nd Stage「会いたかった」, [[A3rd「誰かのために」 → [[チームA 3rd Stage「誰かのために」, [[B3rd「パジャマドライ...)
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==== 2006年 ====
==== 2006年 ====
*4月15日、チーム[[A2nd「会いたかった」]][[公演]]が開始。これは前回の1stに比べ、よりメンバーのポジションに格差があるような作りになっている。それはメンバー自体に格差が出来はじめたということ。それまで、なんとか皆でお客さんを増やそうと一致団結して頑張っていた直後。チームAメンバーにとってはこのセットリストが一番辛く、「2nd公演の事は思い出したくない」と言っているという<ref name="qj87">「QuickJapan」 Vol.87</ref>より。
*4月15日、[[チームA 2nd Stage「会いたかった」]][[公演]]が開始。これは前回の1stに比べ、よりメンバーのポジションに格差があるような作りになっている。それはメンバー自体に格差が出来はじめたということ。それまで、なんとか皆でお客さんを増やそうと一致団結して頑張っていた直後。チームAメンバーにとってはこのセットリストが一番辛く、「2nd公演の事は思い出したくない」と言っているという<ref name="qj87">「QuickJapan」 Vol.87</ref>より。
:この公演で前田敦子は、『渚のCHERRY』で初めてソロを担当する事になった。正確には4人のユニット曲だが、実際にはソロとバックダンサー3人という構成であり、明確な差がある(衣装の色も違う)。前田はソロを任されると知ったとき、「一人だけ目立つのはイヤ」「やりたくない」と言って大泣きした<ref name="bingo20100714">「[[AKBINGO!]]」2010年7月14日放送。</ref>。目立つ事が苦手だったから嫌だったのもあるが、理由はもう一つ。それは、同年代だった、[[峯岸みなみ]]や[[平嶋夏海]]、[[増山加弥乃]]が自分のバックダンサーを務める事になったからで、前田が直接言われた訳ではないが、彼女たちも負けず嫌いな性格で、「2人が嫌がっている」という話が前田の耳にも届いていたからだった<ref name="qj87"/>
:この公演で前田敦子は、『渚のCHERRY』で初めてソロを担当する事になった。正確には4人のユニット曲だが、実際にはソロとバックダンサー3人という構成であり、明確な差がある(衣装の色も違う)。前田はソロを任されると知ったとき、「一人だけ目立つのはイヤ」「やりたくない」と言って大泣きした<ref name="bingo20100714">「[[AKBINGO!]]」2010年7月14日放送。</ref>。目立つ事が苦手だったから嫌だったのもあるが、理由はもう一つ。それは、同年代だった、[[峯岸みなみ]]や[[平嶋夏海]]、[[増山加弥乃]]が自分のバックダンサーを務める事になったからで、前田が直接言われた訳ではないが、彼女たちも負けず嫌いな性格で、「2人が嫌がっている」という話が前田の耳にも届いていたからだった<ref name="qj87"/>
:平嶋「3人で事前に仮歌を聴いて、『多分あっちゃんが歌う箇所が多いよね。覚悟しておこう』って」。ところが現実はもっと厳しかった。パート表を見ると、「前田」と「オール」という名前のみ。「センター」と「それ以外」という扱いだった。しかも3人が担当する歌詞は「チェーリチェリガール」と「チェーリチェリボーイ」だけ。つまりただのバックコーラス。平嶋「この曲をステージに出て歌ったら…私の事を応援してくれているファンの人たちはどう感じるんだろう」。悔しさと申し訳なさで胸はいっぱいだったが、スタジオでは涙を見せなかった。だが、「スタジオを出た瞬間、他のレコーディングで来ていた[[戸島花]]ちゃんと会ったんです。その顔を見た瞬間、私とみぃちゃんは、花ちゃんの胸で泣きました。そうしたら『あっちゃんがもうすぐ来るよ。この姿を見せたらダメだよ』ってトイレに連れて行かれて。でもあっちゃんも、そのパート表を見て泣いたんだよって聞かされました。その後も『渚のCHERRY』の練習をやったんですけど、歌のパートの話は4人とも一切しませんでした」<ref name="AKB48history">{{要出典|text=正確な出典文献名?|「AKB48ヒストリー」}}より</ref>
:平嶋「3人で事前に仮歌を聴いて、『多分あっちゃんが歌う箇所が多いよね。覚悟しておこう』って」。ところが現実はもっと厳しかった。パート表を見ると、「前田」と「オール」という名前のみ。「センター」と「それ以外」という扱いだった。しかも3人が担当する歌詞は「チェーリチェリガール」と「チェーリチェリボーイ」だけ。つまりただのバックコーラス。平嶋「この曲をステージに出て歌ったら…私の事を応援してくれているファンの人たちはどう感じるんだろう」。悔しさと申し訳なさで胸はいっぱいだったが、スタジオでは涙を見せなかった。だが、「スタジオを出た瞬間、他のレコーディングで来ていた[[戸島花]]ちゃんと会ったんです。その顔を見た瞬間、私とみぃちゃんは、花ちゃんの胸で泣きました。そうしたら『あっちゃんがもうすぐ来るよ。この姿を見せたらダメだよ』ってトイレに連れて行かれて。でもあっちゃんも、そのパート表を見て泣いたんだよって聞かされました。その後も『渚のCHERRY』の練習をやったんですけど、歌のパートの話は4人とも一切しませんでした」<ref name="AKB48history">{{要出典|text=正確な出典文献名?|「AKB48ヒストリー」}}より</ref>
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==== 2007年 ====
==== 2007年 ====
*1月20日、チームAの[[折井あゆみ]]の卒業に伴い、今度はチームAのメンバーが足りなくなったため、チームBへ異動予定だった[[増山加弥乃]]がチームAに残留する事になる。
*1月20日、チームAの[[折井あゆみ]]の卒業に伴い、今度はチームAのメンバーが足りなくなったため、チームBへ異動予定だった[[増山加弥乃]]がチームAに残留する事になる。
*1月25日、[[A3rd「誰かのために」]]千秋楽を以て、結成時から所属していたチームAから離れる。それでも弱音を吐かず、泣き虫だった気持ちに蓋をして、まとめ役として踏ん張ってきた<ref name="guide2010"/>。
*1月25日、[[チームA 3rd Stage「誰かのために」]]千秋楽を以て、結成時から所属していたチームAから離れる。それでも弱音を吐かず、泣き虫だった気持ちに蓋をして、まとめ役として踏ん張ってきた<ref name="guide2010"/>。
*6月、チームBの5人(渡辺・平嶋・多田・仲川・菊地)でプロダクション尾木への移籍と、派生ユニットの結成も知らされる。[[平嶋夏海]]「私は、はるごんと菊地と聞いたから。今日ちょっとこの後、秋元さんとお話がありますって。それから尾木プロ移籍を言われて、『ホントですか』みたいな。信じられなかった。麻友たちは?」。渡辺「(多田と)普通に仕事して終わって、呼ばれて。秋元さんとか偉い人がいっぱいいて、『あぁなんかヤバい』ってなって、どうしようって2人でおびえてて。で、なんか『最近どう?』みたいな世間話をずっとしてて、夜も遅いし帰ろうかってなった時に、『じゃあ2人、尾木プロ移籍するから』って。最後の最後に言われて、『えー?』ってなってやっぱビックリしたけど。まぁでも嬉しかったよね。仲良いみんなと一緒に事務所に移籍できると思ってなかったから嬉しかった」<ref name="Nnd-c-dvd">『大人ジェリービーンズ』初回生産限定盤C 映像特典「渡辺麻友 × 平嶋夏海」より</ref>
*6月、チームBの5人(渡辺・平嶋・多田・仲川・菊地)でプロダクション尾木への移籍と、派生ユニットの結成も知らされる。[[平嶋夏海]]「私は、はるごんと菊地と聞いたから。今日ちょっとこの後、秋元さんとお話がありますって。それから尾木プロ移籍を言われて、『ホントですか』みたいな。信じられなかった。麻友たちは?」。渡辺「(多田と)普通に仕事して終わって、呼ばれて。秋元さんとか偉い人がいっぱいいて、『あぁなんかヤバい』ってなって、どうしようって2人でおびえてて。で、なんか『最近どう?』みたいな世間話をずっとしてて、夜も遅いし帰ろうかってなった時に、『じゃあ2人、尾木プロ移籍するから』って。最後の最後に言われて、『えー?』ってなってやっぱビックリしたけど。まぁでも嬉しかったよね。仲良いみんなと一緒に事務所に移籍できると思ってなかったから嬉しかった」<ref name="Nnd-c-dvd">『大人ジェリービーンズ』初回生産限定盤C 映像特典「渡辺麻友 × 平嶋夏海」より</ref>
*10月、ユニット「[[渡り廊下走り隊]]」を結成。リーダーとして、同じ事務所に所属の[[多田愛佳]]、[[仲川遥香]]、[[渡辺麻友]]と共に活動を開始。
*10月、ユニット「[[渡り廊下走り隊]]」を結成。リーダーとして、同じ事務所に所属の[[多田愛佳]]、[[仲川遥香]]、[[渡辺麻友]]と共に活動を開始。
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:壇上スピーチ「ああいうやめ方をしてしまったので謝罪しか出来ませんでした。この場で改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。みなさんの票数は私の未来です。本当にありがとうございます!」<ref>[http://mdpr.jp/news/detail/1250728 AKB48、卒業生から初当選「票数は私の未来」<第5回AKB48選抜総選挙>] モデルプレス 2013年6月8日</ref>
:壇上スピーチ「ああいうやめ方をしてしまったので謝罪しか出来ませんでした。この場で改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。みなさんの票数は私の未来です。本当にありがとうございます!」<ref>[http://mdpr.jp/news/detail/1250728 AKB48、卒業生から初当選「票数は私の未来」<第5回AKB48選抜総選挙>] モデルプレス 2013年6月8日</ref>
:Google+「フューチャーガールズの平嶋夏海です!投票してくださったみなさん本当にありがとうございました!11806票という票数、62位という順位は、私の未来です。ステージ上から感謝の気持を伝えることができて良かったです。62を逆にしたら26、やはり、切っても切れない数字なのかな?笑」<ref name="g+QZk9MPKP1nf">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110865913368376328033/posts/QZk9MPKP1nf|by=平嶋夏海|date=2013-06-08}}</ref>
:Google+「フューチャーガールズの平嶋夏海です!投票してくださったみなさん本当にありがとうございました!11806票という票数、62位という順位は、私の未来です。ステージ上から感謝の気持を伝えることができて良かったです。62を逆にしたら26、やはり、切っても切れない数字なのかな?笑」<ref name="g+QZk9MPKP1nf">{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110865913368376328033/posts/QZk9MPKP1nf|by=平嶋夏海|date=2013-06-08}}</ref>
*8月23日、東京ドームでの「[[AKB48 2013真夏のドームツアー ~まだまだ、やらなきゃいけないことがある~]]」東京ドーム2日目公演において、[[B3rd「パジャマドライブ」]]オリジナルメンバーである渡辺麻友、[[仲川遥香]]と共に「パジャマドライブ」を披露した<ref name="nikkan1177647">[http://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/f-et-tp0-20130823-1177647.html 渡辺麻友&仲川遥香&平嶋夏海トリオ復活] 日刊スポーツ 2013年8月23日</ref>。
*8月23日、東京ドームでの「[[AKB48 2013真夏のドームツアー ~まだまだ、やらなきゃいけないことがある~]]」東京ドーム2日目公演において、[[チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」]]オリジナルメンバーである渡辺麻友、[[仲川遥香]]と共に「パジャマドライブ」を披露した<ref name="nikkan1177647">[http://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/f-et-tp0-20130823-1177647.html 渡辺麻友&仲川遥香&平嶋夏海トリオ復活] 日刊スポーツ 2013年8月23日</ref>。
*11月14日、渡り廊下走り隊が、12月25日発売のベストアルバム『渡り廊下をゆっくり歩きたい』の発売をもって、解散することが明らかになる(その後、解散ライブの実施が決定)。「私が活動をお休みしていた間も、ワロタ(渡り廊下走り隊)のことはテレビで見てたし、出ている雑誌をコンビニでちょっと前のほうに出したりして応援するくらい好きなユニットです(笑)AKBが仲間ならワロタは姉妹。そういう仲の良さをファンの人も愛してくれていたんじゃないかなって思います」<ref name="oricon2030888">[http://www.oricon.co.jp/news/2030888/full/ 渡り廊下走り隊、解散へ まゆゆ「ワロタのこと忘れないで」] ORICON STYLE 2013年11月14日</ref>。平嶋はこのベストアルバムに参加し、渡り廊下走り隊へ事実上、復帰を果たす。
*11月14日、渡り廊下走り隊が、12月25日発売のベストアルバム『渡り廊下をゆっくり歩きたい』の発売をもって、解散することが明らかになる(その後、解散ライブの実施が決定)。「私が活動をお休みしていた間も、ワロタ(渡り廊下走り隊)のことはテレビで見てたし、出ている雑誌をコンビニでちょっと前のほうに出したりして応援するくらい好きなユニットです(笑)AKBが仲間ならワロタは姉妹。そういう仲の良さをファンの人も愛してくれていたんじゃないかなって思います」<ref name="oricon2030888">[http://www.oricon.co.jp/news/2030888/full/ 渡り廊下走り隊、解散へ まゆゆ「ワロタのこと忘れないで」] ORICON STYLE 2013年11月14日</ref>。平嶋はこのベストアルバムに参加し、渡り廊下走り隊へ事実上、復帰を果たす。
:「私が思い出に残っているのは「アッカンベー橋」。この曲から菊地が加入したんですけど、その発表がジャケット写真を撮影する前日だったんですよ!めっちゃ急だったので、さすがに最初の頃は、ちょっとぎこちない空気が流れてました(笑)。でも、みんなすぐに仲良くなったし、菊地が入ったおかげで、そのあと7人になったときには、もう誰も抵抗感がなくなっていましたね(笑)。それにデビュー当時はミュージックビデオ(MV)をずっと外で撮っていて、そのときは雨ばかりだったんですよ。なのに、7人になってスタジオで撮るようになったら急に晴れるようになったので、あれ?みたいな感じでした(笑)」<ref name="oricon2030888">[http://www.oricon.co.jp/special/869/ 渡り廊下走り隊『解散は残念……青春時代を過ごしたユニット活動を振り返る!』] ORICON STYLE 2013年12月25日</ref>
:「私が思い出に残っているのは「アッカンベー橋」。この曲から菊地が加入したんですけど、その発表がジャケット写真を撮影する前日だったんですよ!めっちゃ急だったので、さすがに最初の頃は、ちょっとぎこちない空気が流れてました(笑)。でも、みんなすぐに仲良くなったし、菊地が入ったおかげで、そのあと7人になったときには、もう誰も抵抗感がなくなっていましたね(笑)。それにデビュー当時はミュージックビデオ(MV)をずっと外で撮っていて、そのときは雨ばかりだったんですよ。なのに、7人になってスタジオで撮るようになったら急に晴れるようになったので、あれ?みたいな感じでした(笑)」<ref name="oricon2030888">[http://www.oricon.co.jp/special/869/ 渡り廊下走り隊『解散は残念……青春時代を過ごしたユニット活動を振り返る!』] ORICON STYLE 2013年12月25日</ref>