「前田敦子」の版間の差分

辞退→不参加、{{更新}}{{雑多}}(過去の遺物が…)
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{{更新|text=記事全般を[[ヘルプ:メンバーページのスタイル]]に基づき、改稿していただける編集者を求めています。}}
{{雑多}}
{{メンバー情報
{{メンバー情報
| 元グループ = AKB48
| 元グループ = AKB48
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| 出身地 = 千葉県
| 出身地 = 千葉県
| 血液型 = A型
| 血液型 = A型
| 身長 = 161cm
| 身長 = 161cm{{要出典}}
| 体重 =  
| 体重 =  
| スリーサイズ = B76 W60 H83
| スリーサイズ = B76 W60 H83{{要出典}}
| 靴のサイズ =  
| 靴のサイズ =  
| 合格期 = 1期生
| 合格期 = 1期生
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| 第2回総選挙 = 2位(30,851票)<!--速報:1位・6,846票、中間:1位・20,966票-->
| 第2回総選挙 = 2位(30,851票)<!--速報:1位・6,846票、中間:1位・20,966票-->
| 第3回総選挙 = 1位(139,892票)<!--速報:2位・16,452票-->
| 第3回総選挙 = 1位(139,892票)<!--速報:2位・16,452票-->
| 第4回総選挙 = 辞退
| 第4回総選挙 = 不参加
| 第1回じゃんけん大会 = 15位
| 第1回じゃんけん大会 = 15位
| 第2回じゃんけん大会 = 2回戦敗退
| 第2回じゃんけん大会 = 2回戦敗退
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;2012年
;2012年
*3月25日、AKB48からの卒業を発表。
*3月25日、AKB48からの[[卒業]]を発表。
*8月27日、卒業。
*8月27日、AKB48で卒業公演が行われる(同日、AKB48としての活動を終了)。


;2016年
;2016年
*3月9日、43rdシングル『[[君はメロディー]]』でシングル表題曲選抜メンバーにAKB48卒業メンバー枠で選ばれる。
*3月9日、43rdシングル『[[君はメロディー]]』では、AKB48卒業メンバーとして、シングル表題曲選抜メンバーに選ばれる。


== 人物 ==
== 人物 ==
{{更新|text=特に、'''2013年以降の出来事'''について、加筆していただける編集者を求めています。}}
=== キャラクター ===
=== キャラクター ===
*AKB48&[[チームA]]のエース。これまでに全て([[じゃんけん選抜]]は除く)のシングル曲で選抜メンバーに選ばれており、そのほとんどの曲でセンターポジション<ref>[[桜の花びらたち]]、[[軽蔑していた愛情]]、[[チャンスの順番]]、[[上からマリコ]]を除く。</ref>を務めることから、“絶対的エース”とも呼ばれる。総選挙では2度の1位を獲得。<ref>http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20100527-634410.html</ref>
*AKB48&[[チームA]]のエース。これまでに全て([[じゃんけん選抜]]は除く)のシングル曲で選抜メンバーに選ばれており、そのほとんどの曲でセンターポジション<ref>[[桜の花びらたち]]、[[軽蔑していた愛情]]、[[チャンスの順番]]、[[上からマリコ]]を除く。</ref>を務めることから、“絶対的エース”とも呼ばれる。総選挙では2度の1位を獲得。<ref>http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20100527-634410.html</ref>
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*[[秋元康]]「前田敦子というエースは本当に不器用なんです。すぐ顔に出てしまう。心にないことは言えません。だから、すごく誤解されます。やる気がないように見えることもあり、『ぶすっとしている』とバッシングを受けました。でもそれでいいんです。もちろん他のメンバーのように、いつも挨拶できる子も魅力的ですが、でも前田敦子みたいな子がいてもいいと思っています。『秋元さん、前田敦子に注意しなくていいのか』と言われるが、まあいいと思っています」<ref name="N11027">http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111027-00000000-blogos-pol</ref>
*[[秋元康]]「前田敦子というエースは本当に不器用なんです。すぐ顔に出てしまう。心にないことは言えません。だから、すごく誤解されます。やる気がないように見えることもあり、『ぶすっとしている』とバッシングを受けました。でもそれでいいんです。もちろん他のメンバーのように、いつも挨拶できる子も魅力的ですが、でも前田敦子みたいな子がいてもいいと思っています。『秋元さん、前田敦子に注意しなくていいのか』と言われるが、まあいいと思っています」<ref name="N11027">http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111027-00000000-blogos-pol</ref>


==== 幼少期 ====
=== AKB48加入前 ===
*1991年7月10日に生まれる。「敦子」という名前の由来は、祖父が「敦」という字を絶対に付けたかったらしく、もし男に生まれていたら、前田敦(あつし)になっていた。<ref name="N0101020">『前田敦子のHEARTSONGS』 2010/10/20</ref>
*1991年7月10日に生まれる。「敦子」という名前の由来は、祖父が「敦」という字を絶対に付けたかったらしく、もし男に生まれていたら、前田敦(あつし)になっていた。<ref name="N0101020">『前田敦子のHEARTSONGS』 2010/10/20</ref>
*幼稚園の時に、『ポンキッキ』や『天才テレビくん』などのテレビを見ていて、同世代の子供たちが出ていると「楽しそうだな」とは思った。うらやましいとも思ったが、「自分も出たい」とかそういう事を言えるような子供ではなかった。
*幼稚園の時に、『ポンキッキ』や『天才テレビくん』などのテレビを見ていて、同世代の子供たちが出ていると「楽しそうだな」とは思った。うらやましいとも思ったが、「自分も出たい」とかそういう事を言えるような子供ではなかった。
*中学生の頃、もともと目立つ事が苦手で、授業中先生に指される事さえ怖かったという、どこにでもいる内気な普通の女の子。<ref>『AKB48総選挙公式ガイドブック』より。</ref>それがいつしか「女優になりたい」という夢を持つようになった。
*中学生の頃、もともと目立つ事が苦手で、授業中先生に指される事さえ怖かったという、どこにでもいる内気な普通の女の子。<ref>『AKB48総選挙公式ガイドブック』より。</ref>それがいつしか「女優になりたい」という夢を持つようになった。


=== AKB48として ===
==== 2005年 ====
==== 2005年 ====
*母と2人でいた時に「秋葉原48(AKB48)」というアイドルグループのオーディションのチラシを見つける。かなり怪しげなチラシだったが、懐かしのアイドル特集などで「おニャン子クラブ」は知っており、そのプロデューサーだった[[秋元康]]が載っていたので興味を持った。AKBの“それぞれの夢へと巣立っていく場所”というコンセプトに惹かれ、リアルなレッスン場のつもりで、<ref name="N381">http://news.livedoor.com/article/detail/2622381/</ref>このグループに入ってみたいと思ったが、母親にも「オーディションを受けたい」と言える子でもなかった。そんな娘の気持ちを察してくれたらしく、母が「やってみれば?」と言ってくれた。当然これが人生で初めて受けたオーディションで、<ref name="uchi822">『ウチくる!?』2010年8月22日</ref>秋葉原に来たのはAKBになってから。テレビで知っていた程度の知識しかなく、「行きたいとも思っていなかった(笑)」とか。<ref name="N381">http://news.livedoor.com/article/detail/2622381/</ref>
*母と2人でいた時に「秋葉原48(AKB48)」というアイドルグループのオーディションのチラシを見つける。かなり怪しげなチラシだったが、懐かしのアイドル特集などで「おニャン子クラブ」は知っており、そのプロデューサーだった[[秋元康]]が載っていたので興味を持った。AKBの“それぞれの夢へと巣立っていく場所”というコンセプトに惹かれ、リアルなレッスン場のつもりで、<ref name="N381">http://news.livedoor.com/article/detail/2622381/</ref>このグループに入ってみたいと思ったが、母親にも「オーディションを受けたい」と言える子でもなかった。そんな娘の気持ちを察してくれたらしく、母が「やってみれば?」と言ってくれた。当然これが人生で初めて受けたオーディションで、<ref name="uchi822">『ウチくる!?』2010年8月22日</ref>秋葉原に来たのはAKBになってから。テレビで知っていた程度の知識しかなく、「行きたいとも思っていなかった(笑)」とか。<ref name="N381">http://news.livedoor.com/article/detail/2622381/</ref>
*10月、1次、2次と合格し、最終審査日。当日の印象は、年上の人([[小嶋陽菜]]のことらしい)や可愛い人がいて、すごい自分が場違いな感じがした。すでに女の子同士のグループなども出来ていたが、自分は誰とも喋らなかった。まずダンス審査で全然踊れず、それを引きずってしまい歌唱審査もダメだった。絶対に落ちたと思ったら、自分の番号が呼ばれた。でも、母親が喜んでいる姿を見て、ほっとした。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*10月、1次、2次と合格し、最終審査日。当日の印象は、年上の人([[小嶋陽菜]]のことらしい)や可愛い人がいて、すごい自分が場違いな感じがした。すでに女の子同士のグループなども出来ていたが、自分は誰とも喋らなかった。まずダンス審査で全然踊れず、それを引きずってしまい歌唱審査もダメだった。絶対に落ちたと思ったら、自分の番号が呼ばれた。でも、母親が喜んでいる姿を見て、ほっとした。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*[[戸賀崎]]の当時の印象は、「歌い終わった前田は暗かったが、質問されて最後にニコッと笑った顔が凄く可愛かった。その笑顔はみんなをキュンとさせるものだった。審査員の間で“暗いけれど最後の笑顔が凄かったね”という話になった。前田が通過した理由はそれだけだった」<ref name="N2740">http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/06/kiji/K20111206002182740.html</ref>「ニコっと笑った時に、何か引っ掛かるんですよ。地味なんだけど、不思議な感じがしましたね。ただ、特別にオーラがあった訳ではないので、将来センターに立つなんて思ってもいなかったです」。<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*[[戸賀崎智信]]の当時の印象は、「歌い終わった前田は暗かったが、質問されて最後にニコッと笑った顔が凄く可愛かった。その笑顔はみんなをキュンとさせるものだった。審査員の間で“暗いけれど最後の笑顔が凄かったね”という話になった。前田が通過した理由はそれだけだった」<ref name="N2740">http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/06/kiji/K20111206002182740.html</ref>「ニコっと笑った時に、何か引っ掛かるんですよ。地味なんだけど、不思議な感じがしましたね。ただ、特別にオーラがあった訳ではないので、将来センターに立つなんて思ってもいなかったです」。<ref name="fsmap">FLASH SPECIAL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*11月、デビューに向けてレッスンが開始。振付師は、モーニング娘などの振付も担当した夏まゆみ。かなりのスパルタで、1回無断欠席した子はクビにされ、レッスンの厳しさに耐えられず何人かは自主的に辞退した。1期生は24人が合格したが、デビューまで残ったのは20人だった。前田が耐えられたのは、『[[桜の花びらたち]]』の立ち位置を決めるとき、この曲は5人しかマイクがもらえないが、自分が貰えたからだった。嬉しさと、他人には負けたくないという事でがんばれた。同じく『[[スカート、ひらり]]』というユニット曲のメンバーにも選ばれた。最初に前田を推したのは[[秋元康]]ではなく、夏まゆみだった。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*11月、デビューに向けてレッスンが開始。振付師は、モーニング娘などの振付も担当した夏まゆみ。かなりのスパルタで、1回無断欠席した子はクビにされ、レッスンの厳しさに耐えられず何人かは自主的に辞退した。1期生は24人が合格したが、デビューまで残ったのは20人だった。前田が耐えられたのは、『[[桜の花びらたち]]』の立ち位置を決めるとき、この曲は5人しかマイクがもらえないが、自分が貰えたからだった。嬉しさと、他人には負けたくないという事でがんばれた。同じく『[[スカート、ひらり]]』というユニット曲のメンバーにも選ばれた。最初に前田を推したのは[[秋元康]]ではなく、夏まゆみだった。<ref name="qj87">『QuickJapan』 Vol.87</ref>
*12月8日、AKB48劇場のグランドオープンで劇場公演デビュー。初日は70人近くお客さんがいたが、これには関係者も含まれており実際は7人。2日目、3日目、進んでいくと、お客さんの数は数人という日もあった(ステージのメンバーよりも少ない)。不安から、泣いたり、辞めたがるメンバーもいた。季節は冬だったが、寒空の下、メンバー自ら何度かビラ配りなどもし、客を増やそうと努力した。「なんで人気が出ないんだろう。これ以上人気が出なかったらみんなでやめちゃおうって話をしていました」。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
*12月8日、AKB48劇場のグランドオープンで劇場公演デビュー。初日は70人近くお客さんがいたが、これには関係者も含まれており実際は7人。2日目、3日目、進んでいくと、お客さんの数は数人という日もあった(ステージのメンバーよりも少ない)。不安から、泣いたり、辞めたがるメンバーもいた。季節は冬だったが、寒空の下、メンバー自ら何度かビラ配りなどもし、客を増やそうと努力した。「なんで人気が出ないんだろう。これ以上人気が出なかったらみんなでやめちゃおうって話をしていました」。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
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