野澤玲奈

提供:エケペディア
2015年4月4日 (土) 21:56時点における三菱善次郎 (トーク | 投稿記録)による版 (→‎外部リンク)
ナビゲーションに移動 検索に移動
AKB48 チームB
JKT48 兼任終了
野澤 玲奈 のざわ れな
2014年AKB48プロフィール 野澤玲奈.jpg
公式ニックネーム

レナチャン

所属事務所

AKS

生年月日

1998年5月6日 (25歳)

出身地

東京都

血液型

B型

身長

167cm

合格期

JKT48 1期生

選抜回数

AKB48 0回
JKT48 2回

野澤 玲奈(のざわ れな、1998年5月6日 - )は、AKB48チームBのメンバー。AKB48兼任以前の日本語メディア向け表記は「レナ・ノザワ」だった。東京都出身。AKS所属。

略歴

2011年
  • 11月2日、JKT48第1期生としてお披露目。
2012年
  • 5月17日、ジャカルタ市内の仮設劇場で公演デビュー。
  • 12月23日、チームJを結成。
2013年
  • 5月11日、1stシングル「RIVER」で選抜入り。
  • 6月18日、AKB48との兼任を発表(所属先未定)。
  • 8月21日、3rdシングル「Fortune Cookie in Love」で選抜入り。
  • 9月1日、AKB48大島チームKに所属することが発表。
  • 10月9日、チームK公演に初出演。
  • 11月10日、握手会イベントでJKT48の「カレンダー選抜」メンバーが発表 2805票で12位、2014カレンダー12月の顔になる。
2014年
  • 2月24日、『AKB48グループ大組閣祭り~時代は変わる。だけど、僕らは前しか向かねえ!~‎』にて、チームBへの移動とJKT48との兼任を解除することが発表される。
  • 4月24日、JKT48チームJの兼任を解除(AKB48へ完全移籍)。
  • 5月26日、表紙と付属CDの英語ナレーションを担当した英会話本『中学でならった9の動詞でいますぐ英会話[1]』が発売。
  • 6月11日、ジャカルタ市内で開催されたJKT48のコンサート『“GINGHAM CHECK” LAUNCHING CONCERT “ARIGATOU”』に出演。AKB48へ完全移籍したことについてファンの前で別れの挨拶をした。
2015年
  • 2月20日、ジャカルタ市内で3年ぶりに開催された『AKB48&JKT48合同コンサート』にAKB48メンバー14人と共に出演。また、仲川遥香と共にMCを担当した[2]
  • 3月26日、「春の人事異動」において、チーム4への移動が発表[3]
  • 3月28日、BSスカパーにて『AKB48がジャカルタにやって来た!AKB48 and JKT48 CONCERT TOGETHER~Holding hands together with the first sister~Presented by WAKUWAKU JAPAN 1st Anniversary』と題してAKB48&JKT48合同コンサートの模様が放送され、ナレーションを担当した。

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは、AKB48では「玲奈、恥ずかしくってみんなのこと見れない。でも、みんなちゃんと玲奈のこと見てね。JKT48チームJ、AKB48チームKの中学3年生、野澤玲奈です。よろしくお願いします」
JKT48では「Aku ingin menjadi teddy bear punya kalian, I'm a dreamer, not yet a writer, I'm Rena, Ganbarena! Yoroshiku Onegaishimasu」。
  • ニックネームは、「レナチャン」「レナ」「野沢菜ちゃん」「のざ」。
  • 家族は、父、母、弟。横浜に父方の、名古屋に母方の祖父母が住んでいる。
  • 父親の仕事の関係で、3歳からタイに、4歳から7歳までオーストラリア、11歳から15歳までインドネシアに在住していた。
  • 日本語、英語、インドネシア語を話すトライリンガルである(インドネシア語はJKT48加入後に習得した)。ちなみに日本語よりも英語が得意。他に趣味でフランス語と中国語を勉強している。語学力を生かし、Google+内で「インドネシア語講座」をたびたび投稿している[4]

JKT48として

2013年

  • 6月、ジャカルタの中学校(インターナショナル・スクール)を卒業したがその後、日本に帰国。現在、日本の公立中学校に通っている(日本へ帰国したことにより、AKB48兼任への布石につながる)。
  • 6月18日、AKB48との兼任が発表される(発表時点では所属チーム未定)[5]
  • 同月19日、AKB48劇場での篠田チームA公演において兼任の挨拶。Google+「こんにちは!JKT48とAKB48さんを兼任させていただくことになりました、野澤玲奈です。18日にジャカルタのJKT48劇場で、発表させていただきました。その後そのまま、日本に飛んできました。そして、昨日19日、秋葉原のAKB48劇場で、チームAさんの公演でファンのみなさん、メンバーのみなさん、スタッフのみなさんに挨拶させていただきました。チームAのメンバーのみなさんは、やさしくしてくださって本当にうれしかったです。経験も足りない事もたくさんありますが精一杯がんばります。まだAKB48での所属チームは未定ですが、応援よろしくおねがいします」[6]
  • 9月1日、大島チームKへの所属が決定。Google+「本日、戸賀崎さんのブログにて、私のチームの発表がありました。9月1日より、大島チームKに所属させて、いただくことになりました。チームKさんのみなさん、そして、チームKさんのファンの皆様本当によろしくお願いします。チームKのみなさん、にくらべては、経験も少ない事もありますが、一生懸命がんばるので、応援よろしくお願いします。正直、兼任発表されてから、チーム未定ということで、ドームツアーに参加させていただいて、最後まで発表されなくて、私はずっとチーム未定かななんておもってて、本当に心配だったのですが、発表されて、本当にうれしいです。私の事を応援してクダッさっていた、皆さんにも心配かけて申し訳ないです。でも、みなさんがぐぐたすやツイッターなどで、早くチーム決まるといいねって言われるたび本当に心強かったです。まだ、いつ、チームKの皆さんと一緒に公演に出れるかはわからないのですが、一日でも早くできるように、がんばります!!!これからも、応援よろしくお願いします!!!皆さん、一緒にやってください!みんなーーーーがんばれな!!!」[7]
  • 10月16日、Nottv「AKB48のあんた、誰?」に初登場。他の出演メンバーは阿部マリア鈴木紫帆里藤田奈那。進行は浦野一美が務めた。
  • 11月2日、JKT48のオーディションから2年を受けて、Google+で心境をコメント。「おはよー!今日はJKT48の一期生のオーディションから2年そして、はるかさんあきちゃさんがJKTに来てくれて1年だよー!JKTは私にとって本当に大切な場所です!引っ込み思案で何も喋らなかった私をみんなの前で喋れるようにしてくれた。JKT48の一期生は家族のようなに仲良がいいのです。全メンバーがそれぞれ家族のなかの役割があって。例えば、mama ve は優しいお母さん、ka melody は、怒りながらもたっくさんのことを教えてくれるお姉さん、シャニアは私のオバサン!笑 (お姉ちゃんだよ、)歳はれなのほうが一ヶ月年上なんだけどねぇー。はるかさんは、いっつも一緒に遊ぶちょー仲良しのお姉ちゃんだよー、あきちゃさんはたくさんのことを教えてくれる優しいお姉ちゃん!れなはどんな役だろうね?わかんないー。れなの日本への兼任が決まった時不安で不安でたまらなかった。でも、みんな大丈夫だよーって抱きしめてくれた。れな不安で泣いちゃったんだー。でも、一緒に泣いてくれた。みんないっつも「大丈夫?」って聞いてくれる。今はAKBにいられて本当にうれしいし、楽しいよー!みんな本当に大好きっ!みんなのおかげで、れなここまでこれたよ。今日、ジャカルタにいたかったなぁー。一年前のこの日teamJになったねー。一期生、全員team Jになれて、本当にうれしかった!その前は、インドネシア語がまった話せなかったオーディションの時。この2年間楽しい思い出ばかりじゃあなかったけど、たくさん思い出作ったねー。Heavy rotation から shonichi 、oogoe diamond, koisuru fortune cookie、たくさんの思い出だねー。みんな大好き!そして、ありがとう!来年のこの日はもっと思い出がたくさんになってるねー」[8]
  • 11月10日、JKT48カレンダー2014のメンバーにファン投票によって「12月」に選ばれる。なお「1月」は仲川遥香

2014年

  • 2月24日、大組閣において、AKB48チームBへの異動とJKT48チームJの兼任解除が発表。「大組閣についての気持ち。私は、JKT48チームJの兼任が解除されました。一期生として、JKTのことを誰も知らない状態から一期生みんなとがんばってJKTを作ってきました。埋まらない劇場、誰?と聞かれる日々。今では様々な賞などをいただけるほどに成長しました。しかし、私はあのとても忙しく、前の見えない日々があったからこそ今があるのだと思います。今は、日本でがんばって行こうと思います。初期メンバーだけでがんばった一年半。二度と忘れません。毎回選抜され、JKTを引っ張って行かなければと自覚しはじめた時期の帰国。私にとっては本当にさみしいことでした。しかし、日本でAKB48と兼任ができることを知り本当にうれしかったです!今回の兼任解除はとても悲しいことです。JKT48を離れたくないです。でも、今は日本で頑張ります。がんばって、JKT48のファンの方にありがとうが伝えたいです。私はJKT48のファンの方がいるから、ここにいられるのです。だから、これからも心の中ではJKT48メンバーとして頑張っていき、いつかこんなに成長したよってみんなに言える日までここでがんばります!いつか、れなは何もできない、かられなにだったらたくせる!と言われるようになりたいです!そして、ジャカルタでのように、毎回選抜され、たくさんの人に知っていただきたいです。そして、いつか、ジャカルタに帰れるかなぁ?だから、遠くにいても、これからも応援よろしくおねがいします!ぐぐたす、twitterに遊びに来てね!」[9]
  • 4月12日、大組閣前チームKとしての公演最終出演。「今日は私にとってのチームKとしての最後の公演でした!短い間でしたがチームKメンバーとして活動できて本当にうれしかったです!そして、最終べるが鳴る公演のレッスンをし始めてから、みなさんに教えていただいたりして、やっと馴染めて来たのに、組閣になってしまって本当に残念です。だから私はチームKでも学んだことを生かしてチームBでも、庭の端っこの野草からひまわりになれるようにがんばります。しかし、今の自分が本当に満足できません。JKT48を背負って来たのに、なにもできてない。JKTでは毎日のようにテレビに出れていたのに今ではなにもできない日々を過ごしているのが悔しいです。だから、一生懸命がんばります!そして、いつかひまわりになるからね。。。。では、おやちゅみちゅみ」[10]
  • 4月22日、チームB新公演の初日メンバー発表がされたが、野澤は初日公演のメンバーに入れず。「新チームBの初日メンバーが発表されたそうです!悔しいです。そして、パジャマドライブ、JKT48の始めての公演セットリストでたくさんの思い出があり、私にとってはとても大切なセットリストです。ジャカルタとは環境が全く違い悩んだこともたくさんあります。K4thで初日にたてない悔しさをはじめて知りました。本当に悔しいです。でも、それはれなの実力不足そして、まだまだ日本の方に存在を知られてないからだと思っています。みんなが考えないでーというのですが、考えないのはおかしいと思います。考えるに決まってます。考えなければ自分の改善点は見つからないからです。私は不器用でできないことだらけですが、あきらめません。絶対いつか、そのポジションを勝ち取ります!そして、やったことのあるセットリストだということを自信にこのパジャマドライブで輝けるようにがんばります!れなはふんわりしてる、前に出る気持ちがないとよく言われます。私は私で前に出ようとがんばってます。私がもしその気持ちのない人だったら、ここにいません!だから、これからも応援よろしくお願いします!」[11]
  • 4月24日、この日をもって、高城亜樹とともにJKT48の兼任が解除される(AKB48へ完全移籍)。

AKB48として

  • 5月6日、16歳の誕生日を迎え、パシフィコ横浜での個別握手会場にてレーン前でファンから祝福される。「こんばんはー!今日の握手会は、本当に楽しかったです!そして、最後のサプライズは本当に感動しましたー。日本にもこんなにたくさんの方が応援してくださっているなんて本当にうれしいです!これからの16歳の1年間は大人っぽく、なんでもできる優等生的な人日なれるようにがんばるので、応援よろしくおねがいします!」[12]
  • 5月9日、劇場において、チームB公演初日デビューおよび16歳生誕祭公演。手紙は仲川遥香。ユニットは「鏡の中のジャンヌ・ダルク」で大家志津香ポジション。「こんばんまらむー!今日の公演は、本当に楽しかったです!自分の中でもまだまだな所もあります。もっと、もっと練して、みなさんの目に止まるようになりたいと思います!そして、みなさんが誕生日を覚えててくれて本当にうれしかったです!生誕Tシャツもうれしかったです!これからも、もっともっとがんばるので、応援よろしくおねがいします!!では、おやちゅみちゅみっ!」[13]
  • 8月25日、Google+において、初めてファンとの「討論会」を野澤自身の企画として実施-14|[14]し、500コメントが埋まる。AKB48の専任メンバーになって、自身初の快挙[要出典]

2015年

交友関係

  • JKT48加入時は、母親が日本人で日本語が話せるアヤナ・シャハブや、英語が話せるメンバーに頼っていた。
  • しゃべり始めると止まらなくなる時があり、アヤナ・シャハブ曰く「うざい。でもいないと寂しい」。
  • チームJのメンバーであるシンディ・グラは1歳年上であるが、自分の方が大人だと思っている。逆にシンディは自分の方が大人だと思っている。Twitter上で二人が論争していると、仲川遥香が「二人とも子供だ」と参戦した。それに対して「遥香さんも子供ですよ。一人で起きられないんだもん」と発言した。
  • 同じ年で1ヶ月年下のシャニア・ジュニアナタの事は「おばさん」だと思っている。
  • JKT48の全体キャプテンであるメロディー・ヌランダニ・ラクサニが時々怖い。でも怒られるまでイタズラを仕掛けたりする。
  • 元メンバーのステラ・コルネリアに私服で怒られ、誕生日プレゼントに洋服をもらった事がある。
  • ジェシカ・フェランダのことを、「ママ」と呼ぶことがある。
  • ヘアースタイルが思い通りに決まらないと何度でもセット仕直すが、チームJのキャプテンであるデフィ・キナル・プトゥリ曰く「どこが変わったのかわからない」。
  • ベビー・カエサラ・アナディラは広いおでこの持ち主で、そのおでこをペチペチと叩いたり撫でたりして本人に迷惑がられている。
  • 一時、公演中のMCで主にジェシカ・ファニアやナビラ・ラトナ・アユ・アザリアの鋭いツッコミに舞台袖に引っ込んで拗ねるというお決まりのコントをやっていた。
  • 高城亜樹とは母親が一緒にテニスをした事がある。「あきちゃさんはとっても優しくってお姉ちゃんみたいな人ー!」「あきちゃさんの尊敬するところは、かわいいところ、優しいところ、ダンス、プロ意識、ファッション、優しすぎるところ、かっこいいところ、大人っぽいところ、あと、もっとたくさん!!!」[15]
  • Twitter上で、インドネシアの人気司会者・Deddy Corbuzierの事を「ハゲおじさん」と発言した。これを本人が知り、「うるさいな。ドラえもん」と返信があった。ちなみに、Deddy Corbuzierは番組中にたびたび、野澤を怖がらせて楽しんでいる。
  • AKB48では、平田梨奈らと仲が良い。
  • SKE48メンバーの中で「ちゅり(高柳明音)さんと、なお(古畑奈和、AKB48・チームK兼任でもある)さん仲良くしてもらってるよー」[16]
  • 牛タンを食べたことがないというので宮崎美穂が食べに連れて行ったところ、野澤は牛タン屋にしてなんとチキンを注文した。

性格・趣味

  • 性格は、人見知り。仲良くなるのに時間がかかる。
  • 将来の夢は、小説家、ハリウッドデビュー。
  • 趣味は、読書、ゲーム、ペットショップで動物や魚を眺めること。
  • 好きな作家は、ロアルド・ダール。
  • 好きな場所は、図書館。
  • 好きな番組は、「奇跡体験!アンビリバボー」「世界の果てまでイッテQ!」。
  • 好きなキャラクターは、リラックマ。自らリラックマの全身スーツを着て握手会に臨んだ事がある。
  • 好きな食べ物は、納豆、バッソ。梅干し、おうどん、明太子[16]
  • 嫌いな食べ物は、ゴーヤ。
  • 好きな学校の教科は、「休み時間!!!」[16]
  • 好きな洋服ブランドは、リズリサ[16]
  • 好きな色は、ベービーピンク[16]
  • AKB48で好きな曲は、「天使のしっぽ」「白いシャツ」。
  • 特技は、開脚、ジャンプ力、バイオリンがやや弾ける。体操を少しやっていた[17]
  • 得意料理は、「お湯」。

ギャラリー

参加曲

シングルCD選抜曲

AKB48

JKT48

アルバムCD選抜曲

AKB48

JKT48

劇場公演ユニット曲

AKB48

チームK ウェイティング公演
  • キャンディー
チームK ウェイティングII 「最終ベルが鳴る」公演
  • 初恋泥棒
B6th「パジャマドライブ」公演
  • 鏡の中のジャンヌダルク
  • 天使のしっぽ

JKT48

JKT48 1st「Pajama Drive」公演
  • Tenshi no Shippo
  • Kagami no Naka no Jeanne D’Arc
J1st「Aturan Anti Cinta」(「恋愛禁止条例」)公演
  • Heart gata Virus
  • Tsundere!

出演番組

Wikipedia(インドネシア語版)を参照。

脚注・出典

外部リンク