誰かのためにプロジェクト

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2014年4月13日 (日) 14:21時点におけるStaygold (トーク | 投稿記録)による版 (→‎被災地訪問の記録: 第35回(2014年3月11日)訪問メンバーを追記。)
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誰かのためにプロジェクト」とは、AKB48グループが2011年より実施している、慈善活動プロジェクトのこと。現在、東日本大震災の被災者に対する支援について活動している。

東日本大震災発生と支援活動

  • 2011年3月11日、東日本大震災が発生。AKB48においては東京・秋葉原にあるAKB48劇場が罹災。当時、12期研究生であった岩田華怜(宮城県仙台市在住)も、避難生活を余儀なくされた。また、他の国内48グループについても興行を見合わせた。
  • 震災発生を受けて3月14日から「AKB48プロジェクト義援金口座」を開設して義援金を募り、また、3月16日にはAKB48プロジェクトによる、5億円の義援金寄付を発表した。その後、ファンからの義援金を合わせて、6億1769万1133円を寄付している。
  • その後、3月25日から27日にかけて行われる予定であった、横浜アリーナでのコンサート「たかみなについて行きます」を中止し、代替としてチャリティイベント(26日・27日)を開催し、413万7593円の義援金を寄付した。「誰かのために」プロジェクトはこの時に命名されている。
  • 4月1日、震災復興チャリティソングとして『誰かのために -What can I do for someone?』をダウンロード配信シングルとしてリリース。当該曲のダウンロード料のほか、震災以降発売のAKB48のシングル・アルバムからの一部を義援金として寄付することを発表した。
  • 興行再開後の各劇場の公演前の影アナでは「東日本大震災で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます…」という挨拶で始まっていた。現在は行われていない。

以降、東日本大震災においての慈善活動は次の通りである。

  • 2011年5月16日、握手会で集まった募金、3225万5873円を寄付。
  • 同年9月15日、同年5月17日以降のAKB48握手会やその他イベントなどで集まった募金1483万1486円を寄付したと発表。
  • 同日付発表のプレスリリースにて、被災地支援活動の継続と、23rd シングル震災復興応援ソング『風は吹いている』の収益金の一部を義援金として寄付することを発表。
  • 同年9月16日、今と未来を支援する「ウルトラマン基金」のマイクロバス寄贈活動と「AKB48」がコラボレーションし「ウルトラマン」と「AKB48」のラッピングバスを贈呈。
  • 2012年2月18日、義援金口座へのファンからの募金とCDの販売収益の一部、そして「誰かのために」プロジェクトからの義援金(5億円)を含めた5億8525万9888円の寄付を決定。
  • 同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~』を実施(SDN48については、握手会を行っていた東京ビッグサイトで実施)。
  • 2013年3月8日、新しい震災復興応援ソング『掌が語ること』を全世界で無料配信を開始すると同時に義援金を募る。
  • 同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~』を実施)。劇場に募金箱を設置し義援金をあらためて募ったほか、“「誰かのために」プロジェクト”Tシャツも販売し売上を全額寄付。
  • 同年3月14日、AKB48グループ“「誰かのために」プロジェクト”への義援金窓口に集まった義援金や各イベントでの募金の総額は2011年3月から2013年3月12日時点までで、総額13億4万5904円と発表。

被災地訪問活動

  • 2011年5月22日より、AKB48グループに属するメンバーのうち7、8名が被災地を訪問し、慰問ライブを行っている。トラックを利用して機材を持参したうえで、学校などの公共施設を利用してライブを行う。また、ライブまでの合間には観光地や被災状況を視察し、被災地の復興をPRする役目も担っている。
  • 各メンバーは、震災発生当初の訪問では「『誰かのために』プロジェクトTシャツとデニム」を衣装代わりとしていたが、震災発生2年目以降は通常の劇場公演での衣装を着用して訪問している。
  • 被災地以外のファンが押し掛けることを避ける必要性から、訪問日程は関係者以外極秘事項とされている。訪問の様子は公式ブログ、google+などで随時報告されている。

被災地訪問の記録

2011年

2012年

2013年

  • 第21回(1月13日):宮城県宮城郡七ヶ浜町:伊豆田莉奈、川栄李奈、篠田麻里子、島崎遥香、藤江れいな、松井咲子
  • 第22回(2月17日):宮城県岩沼市、東松島市:小嶋陽菜、北原里英、岩佐美咲、入山杏奈小林茉里奈古畑奈和
  • 第23回(3月11日、震災発生後2年を経過し、メンバーがそれぞれ分かれて各場所を訪問)
岩手県上閉伊郡大槌町:菊地あやか、内田眞由美、大島優子、倉持明日香、武藤十夢、竹内美宥
岩手県下閉伊郡山田町:川栄李奈、高橋朱里、横山由依、大家志津香、名取稚菜、松井玲奈
岩手県陸前高田市:入山杏奈、篠田麻里子、秋元才加、阿部マリア、前田亜美、野中美郷
岩手県釜石市:高橋みなみ、仁藤萌乃、梅田彩佳、田名部生来、仲川遥香、鈴木まりや
宮城県気仙沼市:佐藤すみれ、鈴木紫帆里、柏木由紀、片山陽加、山本彩、多田愛佳
宮城県亘理郡亘理町:田野優花、中塚智実、松井咲子、永尾まりや、松井珠理奈、高城亜樹
宮城県牡鹿郡女川町:渡辺麻友、岩佐美咲、小嶋菜月、島崎遥香、藤江れいな、兒玉遥
宮城県多賀城市:岩田華怜、大島涼花、小嶋陽菜、小森美果、小林香菜、指原莉乃
福島県南相馬市:北原里英、宮崎美穂、大場美奈、山内鈴蘭、渡辺美優紀、峯岸みなみ
福島市いわき市:河西智美、板野友美、佐藤亜美菜、島田晴香、加藤玲奈、宮澤佐江
  • 第24回(4月13日)福島県二本松市[1]:石田晴香、柏木由紀、加藤玲奈、河西智美、名取稚菜、山内鈴蘭
  • 第25回(5月19日)宮城県宮古市:秋元才加、梅田彩佳、松原夏海、小森美果、小林茉里奈、朝長美桜、渡辺麻友
  • 第26回(6月22日)宮城県宮城郡松島町:岩佐美咲、大場美奈、川栄李奈、菊地あやか、北原里英、田野優花
  • 第27回(7月28日)岩手県久慈市:田野優花、阿部マリア、板野友美、島田晴香、永尾まりや、島崎遥香
  • 第28回(8月31日)福島県会津若松市[2]:菊地あやか、高橋みなみ、北原里英、近野莉菜、加藤玲奈、小嶋菜月
  • 第29回(9月14日)岩手県下閉伊郡山田町:入山杏奈、高橋朱里、阿部マリア、名取稚菜、松井玲奈、松村香織
  • 第30回(10月6日)福島県南相馬市:岩田華怜、北原里英、梅田彩佳、高城亜樹、岡田奈々小嶋真子西野未姫
  • 第31回(11月9日)宮城県気仙沼市(気仙沼大島):伊豆田莉奈、大島涼花、佐々木優佳里、森川彩香、横山由依、渡辺麻友
  • 第32回(12月22日)宮城県仙台市:岩田華怜、佐藤すみれ、市川美織、大場美奈、柏木由紀、島崎遥香

2014年

  • 第33回(1月11日)宮城県岩沼市:川栄李奈、高橋みなみ、田野優花、相笠萌篠崎彩奈、峯岸みなみ
  • 第34回(2月9日)岩手県大船渡市、陸前高田市:入山杏奈、柏木由紀、島崎遥香、岩立沙穂、小嶋真子、村山彩希
  • 第35回(3月11日、震災発生後3年を経過し、メンバーがそれぞれ分かれて各場所を訪問)
岩手県宮古市・グリーンピア三陸みやこ :市川美織、入山杏奈、大場美奈、柏木由紀、加藤玲奈、倉持明日香、小嶋真子、藤江れいな、峯岸みなみ、渡辺麻友、木﨑ゆりあ、松村香織、白間美瑠、山田菜々、松岡菜摘、宮脇咲良
宮城県石巻市・石巻市総合体育館:岩田華怜、梅田彩佳、大島優子、川栄李奈、菊地あやか、田野優花、永尾まりや、前田亜美、武藤十夢、高柳明音、須田亜香里、松井珠理奈、上西恵、渡辺美優紀、穴井千尋、多田愛佳
福島県南相馬市・テクノアカデミー浜:北原里英、佐藤すみれ、島崎遥香、高城亜樹、高橋朱里、中村麻里子、山内鈴蘭、横山由依、木本花音、古畑奈和、矢倉楓子、山本彩、指原莉乃、森保まどか

脚注・出典

  1. ^ 東京電力福島第一原子力発電所事故で罹災した、双葉郡浪江町の集団避難先。
  2. ^ 東京電力福島第一原子力発電所事故で罹災した、双葉郡大熊町の集団避難先。

外部リンク