「誰かのためにプロジェクト」の版間の差分

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*震災発生を受けて3月14日から「AKB48プロジェクト義援金口座」を開設して義援金を募り、また、3月16日にはAKB48プロジェクトによる、5億円の義援金寄付を発表した。その後、ファンからの義援金を合わせて、6億1769万1133円を寄付している。
*震災発生を受けて3月14日から「AKB48プロジェクト義援金口座」を開設して義援金を募り、また、3月16日にはAKB48プロジェクトによる、5億円の義援金寄付を発表した。その後、ファンからの義援金を合わせて、6億1769万1133円を寄付している。
*その後、3月25日から27日にかけて行われる予定であった、横浜アリーナでのコンサート「[[たかみなについて行きます]]」を中止し、代替としてチャリティイベント(26日・27日)を開催し、413万7593円の義援金を寄付した。「誰かのために」プロジェクトはこの時に命名されている。
*その後、3月25日から27日にかけて行われる予定であった、横浜アリーナでのコンサート「[[たかみなについて行きます]]」を中止し、代替としてチャリティイベント(26日・27日)を開催し、413万7593円の義援金を寄付した。「誰かのために」プロジェクトはこの時に命名されている。
*4月1日、震災復興チャリティソングとして『誰かのために -What can I do for someone?』をダウンロード配信シングルとしてリリース。当該曲のダウンロード料のほか、震災以降発売のAKB48のシングル・アルバムからの一部を義援金として寄付することを発表した。
*4月1日、震災復興チャリティソングとして『[[誰かのために -What can I do for someone?-]]』をダウンロード配信シングルとしてリリース。当該曲のダウンロード料のほか、震災以降発売のAKB48のシングル・アルバムからの一部を義援金として寄付することを発表した。
*興行再開後の各劇場の公演前の影アナでは「東日本大震災で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます…」という言葉が添えられている。
*興行再開後の各劇場の公演前の影アナでは「東日本大震災で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます…」という言葉が添えられている。
[[ファイル:2015年震災復興支援公演 NMB48劇場.JPG|400px|thumb|2015年3月11日、NMB48劇場で行われた「東日本大震災復興支援特別公演」。]]
[[ファイル:2015年震災復興支援公演 NMB48劇場.JPG|400px|thumb|2015年3月11日、NMB48劇場で行われた「東日本大震災復興支援特別公演」。]]
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*2012年2月18日、義援金口座へのファンからの募金とCDの販売収益の一部、そして「誰かのために」プロジェクトからの義援金(5億円)を含めた5億8525万9888円の寄付を決定。
*2012年2月18日、義援金口座へのファンからの募金とCDの販売収益の一部、そして「誰かのために」プロジェクトからの義援金(5億円)を含めた5億8525万9888円の寄付を決定。
*同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~』を実施([[SDN48]]については、握手会を行っていた東京ビッグサイトで実施)。
*同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~』を実施([[SDN48]]については、握手会を行っていた東京ビッグサイトで実施)。
*2013年3月8日、新しい震災復興応援ソング『掌が語ること』を全世界で無料配信を開始すると同時に義援金を募る。
*2013年3月8日、新しい震災復興応援ソング『[[掌が語ること]]』を全世界で無料配信を開始すると同時に義援金を募る。
*同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~』を実施)。劇場に募金箱を設置し義援金をあらためて募ったほか、“「誰かのために」プロジェクト”Tシャツも販売し売上を全額寄付。
*同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~』を実施)。劇場に募金箱を設置し義援金をあらためて募ったほか、“「誰かのために」プロジェクト”Tシャツも販売し売上を全額寄付。
**これ以降、毎年3月11日の震災発生当日には、メンバーがいくつかのグループに分かれて東北地方の被災地を訪問するのに加え、国内48グループの各劇場において『東日本大震災復興支援特別公演』を行うことが慣例となっている。
**これ以降、毎年3月11日の震災発生当日には、メンバーがいくつかのグループに分かれて東北地方の被災地を訪問するのに加え、国内48グループの各劇場において『東日本大震災復興支援特別公演』を行うことが慣例となっている。

2015年12月7日 (月) 01:19時点における版

誰かのためにプロジェクト」とは、AKB48グループが2011年より実施している、慈善活動プロジェクトのこと。

東日本大震災発生と支援活動

  • 2011年3月11日、東日本大震災が発生。東京・秋葉原にあるAKB48劇場が罹災。また、12期研究生オーディションを受験していた岩田華怜(当時、宮城県仙台市在住)も罹災し、避難生活を余儀なくされた(詳細は本人記事参照)。また、他の国内48グループについても興行を見合わせた。
    • 岩田以外にも2014年に加入したチーム8では、現地で東日本大震災の被害を経験しているメンバーが何名かいる。佐藤朱(宮城県代表)は中学2年生の時に罹災。避難所生活を送っていたが、被災地訪問(後述)に来ていたAKB48を見たことがきっかけとなり、オーディションを受験している。舞木香純(福島県代表)は中学1年生の時に罹災。東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、家族とともに近隣地区へ避難している。佐藤七海(岩手県代表)は仙台市に在住していた時に罹災。自宅が全壊し避難所生活を経験した[1]。また、2004年10月23日に発生した新潟県中越地震で、佐藤栞(新潟県代表)は自宅が罹災。約2年間の仮設住宅での避難生活を経験している[2]
  • 震災発生を受けて3月14日から「AKB48プロジェクト義援金口座」を開設して義援金を募り、また、3月16日にはAKB48プロジェクトによる、5億円の義援金寄付を発表した。その後、ファンからの義援金を合わせて、6億1769万1133円を寄付している。
  • その後、3月25日から27日にかけて行われる予定であった、横浜アリーナでのコンサート「たかみなについて行きます」を中止し、代替としてチャリティイベント(26日・27日)を開催し、413万7593円の義援金を寄付した。「誰かのために」プロジェクトはこの時に命名されている。
  • 4月1日、震災復興チャリティソングとして『誰かのために -What can I do for someone?-』をダウンロード配信シングルとしてリリース。当該曲のダウンロード料のほか、震災以降発売のAKB48のシングル・アルバムからの一部を義援金として寄付することを発表した。
  • 興行再開後の各劇場の公演前の影アナでは「東日本大震災で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます…」という言葉が添えられている。
2015年3月11日、NMB48劇場で行われた「東日本大震災復興支援特別公演」。

以降、東日本大震災においての慈善活動は次の通りである。

  • 2011年5月16日、握手会で集まった募金、3225万5873円を寄付。
  • 同年9月15日、同年5月17日以降のAKB48握手会やその他イベントなどで集まった募金1483万1486円を寄付したと発表。
  • 同日付発表のプレスリリースにて、被災地支援活動の継続と、23rd シングル震災復興応援ソング『風は吹いている』の収益金の一部を義援金として寄付することを発表。
  • 同年9月16日、今と未来を支援する「ウルトラマン基金」のマイクロバス寄贈活動と「AKB48」がコラボレーションし「ウルトラマン」と「AKB48」のラッピングバスを贈呈。
  • 2012年2月18日、義援金口座へのファンからの募金とCDの販売収益の一部、そして「誰かのために」プロジェクトからの義援金(5億円)を含めた5億8525万9888円の寄付を決定。
  • 同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~』を実施(SDN48については、握手会を行っていた東京ビッグサイトで実施)。
  • 2013年3月8日、新しい震災復興応援ソング『掌が語ること』を全世界で無料配信を開始すると同時に義援金を募る。
  • 同年3月11日、各48グループ劇場で『東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~』を実施)。劇場に募金箱を設置し義援金をあらためて募ったほか、“「誰かのために」プロジェクト”Tシャツも販売し売上を全額寄付。
    • これ以降、毎年3月11日の震災発生当日には、メンバーがいくつかのグループに分かれて東北地方の被災地を訪問するのに加え、国内48グループの各劇場において『東日本大震災復興支援特別公演』を行うことが慣例となっている。
  • 同年3月14日、AKB48グループ“「誰かのために」プロジェクト”への義援金窓口に集まった義援金や各イベントでの募金の総額は2011年3月から2013年3月12日時点までで、総額13億4万5904円と発表。

被災地訪問活動

  • 2011年5月22日より、AKB48グループに属するメンバーのうち、6~8名前後がほぼ1か月ごとに被災地を訪問し、慰問ライブを行っている。トラックを利用して機材を持参したうえで、学校などの公共施設を利用してライブを行う。また、ライブまでの合間には観光地や被災状況を視察し復興を支援・PRする活動や、経年による災害被害の風化を防ぐための広報活動などの役目も担っている。また、2013年以降は東日本大震災発生当日となる3月11日に複数のグループに分かれて、被災地を訪問している。
  • スタート当時は東日本大震災の被災者に対する支援を主に活動していたが、2014年以降は、新潟県中越地震(新潟県小千谷市)、阪神・淡路大震災(兵庫県神戸市)、平成27年9月関東・東北豪雨(茨城県常総市)などほかの災害も含めた支援活動に範囲を広げ、活動している。また、全国47都道府県から選出されたチーム8が結成されたことで、訪問先の都道府県代表のチーム8メンバーも加わることがある。
  • 各メンバーは、東日本大震災発生直後の訪問では「『誰かのために』プロジェクトTシャツとデニム」を衣装代わりとしていたが、2年目以降は公演での衣装を着用して訪問している。
  • 被災地以外のファンが押し掛けることを避ける必要性から、訪問日程は関係者以外は極秘事項とされている。訪問の様子は公式ブログ、Google+などで随時報告されている。ミニライブの様子はドキュメンタリー映画に収録され、NHKが報道の一環として「AKB48 SHOW!」などで訪問の様子が公開されている。
  • 48グループの支援活動に際し、活動当初は一部の心無いネットユーザーから『偽善だ』『被災地商法だ』『売名だ』との批判が続出していたと、あるテレビ局関係者は言う。
「命日を静かに過ごしたいと思う被災者がいるのは事実で、総監督の高橋みなみらメンバーも『このタイミングに被災地に来るのは申し訳ない気がする』と苦悩を明かしたこともあった。ネット上の罵詈雑言を目の当たりにし、ショックのあまり号泣してしまったメンバーもいました」
これに対し、秋元康は「偽善者と思われても、何もやらないよりはいい」と伝えたことで、高橋らメンバーは気持ちが楽になったとのこと。
「3月11日しか報道されず、毎月1回の訪問活動は伝えられないこともある。ただ、継続して支援し続けることは簡単ではない。気仙沼で被災したサンドウィッチマンは『いろんな場所に行くけど、だいたい先にAKBが行ってる』と驚きながら、『ありがとう』と感謝している」(あるテレビ局関係者)[3]
  • 被災地訪問などが縁となり、メンバーが地域の親善大使などに委嘱されるケースもある。代表例はSKE48松村香織で、2013年9月に岩手県下閉伊郡山田町を訪問して以降、Google+で町の紹介や被災者に対する応援メッセ―ジを投稿したこと[4]などもあり、町から「山田町ふるさと大使」に2年間(2016年10月25日まで)の予定で委嘱されている[5]

被災地訪問の記録

2011年

2012年

2012年6月9日(第14回)、岩手県大船渡市を訪問した際の様子。衣装は「誰かのためにTシャツ」とデニムが基本となっていた。

2013年

  • 第21回(1月13日):宮城県宮城郡七ヶ浜町:伊豆田莉奈、川栄李奈、篠田麻里子、島崎遥香、藤江れいな、松井咲子
  • 第22回(2月17日):宮城県岩沼市、東松島市:小嶋陽菜、北原里英、岩佐美咲、入山杏奈小林茉里奈古畑奈和
  • 第23回(3月11日、東日本大震災発生後2年を経過し、メンバーがそれぞれ分かれて各場所を訪問)
    • 岩手県上閉伊郡大槌町:菊地あやか、内田眞由美、大島優子、倉持明日香、武藤十夢、竹内美宥
    • 岩手県下閉伊郡山田町:川栄李奈、高橋朱里、横山由依、大家志津香、名取稚菜、松井玲奈
    • 岩手県陸前高田市:入山杏奈、篠田麻里子、秋元才加、阿部マリア、前田亜美、野中美郷
    • 岩手県釜石市:高橋みなみ、仁藤萌乃、梅田彩佳、田名部生来、仲川遥香、鈴木まりや
    • 宮城県気仙沼市:佐藤すみれ、鈴木紫帆里、柏木由紀、片山陽加、山本彩、多田愛佳
    • 宮城県亘理郡亘理町:田野優花、中塚智実、松井咲子、永尾まりや、松井珠理奈、高城亜樹
    • 宮城県牡鹿郡女川町:渡辺麻友、岩佐美咲、小嶋菜月、島崎遥香、藤江れいな、兒玉遥
    • 宮城県多賀城市:岩田華怜、大島涼花、小嶋陽菜、小森美果、小林香菜、指原莉乃
    • 福島県南相馬市:北原里英、宮崎美穂、大場美奈、山内鈴蘭、渡辺美優紀、峯岸みなみ
    • 福島市いわき市:河西智美、板野友美、佐藤亜美菜、島田晴香、加藤玲奈、宮澤佐江
  • 第24回(4月13日)福島県二本松市[注釈 1]:石田晴香、柏木由紀、加藤玲奈、河西智美、名取稚菜、山内鈴蘭
  • 第25回(5月19日)宮城県宮古市:秋元才加、梅田彩佳、松原夏海、小森美果、小林茉里奈、朝長美桜、渡辺麻友
  • 第26回(6月22日)宮城県宮城郡松島町:岩佐美咲、大場美奈、川栄李奈、菊地あやか、北原里英、田野優花
  • 第27回(7月28日)岩手県久慈市:田野優花、阿部マリア、板野友美、島田晴香、永尾まりや、島崎遥香
  • 第28回(8月31日)福島県会津若松市[注釈 2]:菊地あやか、高橋みなみ、北原里英、近野莉菜、加藤玲奈、小嶋菜月
  • 第29回(9月14日)岩手県下閉伊郡山田町:入山杏奈、高橋朱里、阿部マリア、名取稚菜、松井玲奈、松村香織
  • 第30回(10月6日)福島県南相馬市:岩田華怜、北原里英、梅田彩佳、高城亜樹、岡田奈々小嶋真子西野未姫
  • 第31回(11月9日)宮城県気仙沼市(気仙沼大島):伊豆田莉奈、大島涼花、佐々木優佳里、森川彩香、横山由依、渡辺麻友
  • 第32回(12月22日)宮城県仙台市:岩田華怜、佐藤すみれ、市川美織、大場美奈、柏木由紀、島崎遥香

2014年

2014年12月21日(第43回)、福島県郡山市を訪問した際の様子。クリスマスが近いこともあり、衣装はクリスマス調の特別衣装を着て臨んだ。
  • 第33回(1月11日)宮城県岩沼市:川栄李奈、高橋みなみ、田野優花、相笠萌篠崎彩奈、峯岸みなみ
  • 第34回(2月9日)岩手県大船渡市、陸前高田市:入山杏奈、柏木由紀、島崎遥香、岩立沙穂、小嶋真子、村山彩希
  • 第35回(3月11日、東日本大震災発生後3年を経過し、メンバーがそれぞれ分かれて各場所を訪問)
    • 岩手県宮古市・グリーンピア三陸みやこ :市川美織、入山杏奈、大場美奈、柏木由紀、加藤玲奈、倉持明日香、小嶋真子、藤江れいな、峯岸みなみ、渡辺麻友、木﨑ゆりあ、松村香織、白間美瑠、山田菜々、松岡菜摘、宮脇咲良
    • 宮城県石巻市・石巻市総合体育館:岩田華怜、梅田彩佳、大島優子、川栄李奈、菊地あやか、田野優花、永尾まりや、前田亜美、武藤十夢、高柳明音、須田亜香里、松井珠理奈、上西恵、渡辺美優紀、穴井千尋、多田愛佳
    • 福島県南相馬市・テクノアカデミー浜:北原里英、佐藤すみれ、島崎遥香、高城亜樹、高橋朱里、中村麻里子、山内鈴蘭、横山由依、木本花音、古畑奈和、矢倉楓子、山本彩、指原莉乃、森保まどか
  • 第36回(4月20日)岩手県:三陸鉄道(釜石駅→盛駅):相笠萌、小嶋真子、北原里英、田野優花、大島涼花、渡辺麻友
  • 第37回(5月18日)宮城県石巻市:横山由依、大家志津香、大和田南那、峯岸みなみ、向井地美音、茂木忍
  • 第38回(6月28日)岩手県下閉伊郡山田町:相笠萌、阿部マリア、北原里英、高柳明音、松井玲奈、松村香織
  • 第39回(7月28日)宮城県気仙沼市:伊豆田莉奈、大家志津香、大和田南那、川本紗矢、平田梨奈、渡辺麻友
  • 第40回(8月24日)宮城県石巻市:小嶋菜月、高橋みなみ、中西智代梨、内山奈月、小笠原茉由、竹内美宥
  • 第41回(9月21日)福島県いわき市:小嶋真子、大森美優、岡田奈々、木﨑ゆりあ、佐々木優香里、西野未姫、舞木香純
  • 第42回(10月23日)新潟県小千谷市:小嶋陽菜、島崎遥香、高橋みなみ、武藤十夢、大島涼花、大和田南那、川本紗矢、高橋朱里、渡辺麻友、岡田奈々、加藤玲奈、木﨑ゆりあ、西野未姫、峯岸みなみ、向井地美音、佐藤栞
  • 第43回(11月30日)宮城県亘理郡山元町:岩田華怜、横山由依、川本紗矢、峯岸みなみ、向井地美音、村山彩希
  • 第44回(12月21日)福島県郡山市:谷口めぐ、中西智代梨、武藤十夢、田野優花、田名部生来、渡辺麻友

2015年

2015年3月11日(第47回)、岩手県宮古市を訪問した際の様子。震災から4年経過後の訪問。
  • 第45回(1月15日)兵庫県神戸市:柏木由紀、横山由依、城恵理子森田彩花永野芹佳山田菜々美[6]
  • 第46回(2月21日)宮城県宮城郡七ヶ浜町、多賀城市:小嶋真子、大和田南那、高橋朱里、木﨑ゆりあ、向井地美音、佐藤朱
  • 第47回(3月11日、東日本大震災発生後4年を経過し、メンバーがそれぞれ分かれて各場所を訪問)[7]
    • 岩手県宮古市・市立藤原小学校:北原里英、横山由依、川本紗矢、込山榛香、横山結衣、松村香織、山本彩、朝長美桜
    • 岩手県釜石市・イオンスーパーセンター釜石店:高橋みなみ、武藤十夢、岡田奈々、加藤玲奈、佐藤七海、須田亜香里、上西恵、多田愛佳
    • 宮城県石巻市・市立広渕小学校:岩田華怜、島崎遥香、岩立沙穂、西野未姫、佐藤朱、高柳明音、渋谷凪咲、指原莉乃
    • 宮城県本吉郡南三陸町・町立志津川中学校:大島涼花、柏木由紀、高城亜樹、村山彩希、谷川聖、宮澤佐江、白間美瑠、森保まどか
    • 福島県南相馬市・鹿島生涯学習センター(さくらホール):小嶋真子、永尾まりや、大和田南那、倉持明日香、舞木香純、松井珠理奈、矢倉楓子、宮脇咲良
    • 福島県相馬市・総合福祉センター(はまなす館):小嶋陽菜、梅田綾乃、小笠原茉由、高橋朱里、早坂つむぎ、松井玲奈、渡辺美優紀、松岡菜摘
  • 第48回(4月26日)福島県いわき市・チャイルドハウスふくまる、双葉郡広野町・福島県立ふたば未来学園高等学校[注釈 3]:市川愛美、北原里英、大家志津香、福岡聖菜、佐藤朱、舞木香純[注釈 4]茅野しのぶ[注釈 5]
  • 第49回(5月24日)岩手県下閉伊郡山田町:岩田華怜、阿部マリア、名取稚菜、込山榛香、西野未姫、峯岸みなみ、佐藤七海
  • 第50回(6月21日)宮城県牡鹿郡女川町:武藤十夢、北原里英、横山由依、大島涼花、大和田南那、川本紗矢
  • 第51回(7月22日)岩手県上閉伊大槌町:小嶋菜月、中西智代梨、前田亜美、後藤萌咲、小笠原茉由、峯岸みなみ
  • 第52回(8月20日)宮城県気仙沼市(気仙沼大島・気仙沼市街地):飯野雅、大島涼花、渡辺麻友、岩立沙穂、岡田奈々、加藤玲奈、佐藤朱
  • 第53回(9月20日)岩手県下閉伊郡山田町:阿部マリア、込山榛香、佐藤七海
  • 第54回(10月12日)宮城県亘理郡山元町・町立坂元小学校:田野優花、湯本亜美、木﨑ゆりあ、後藤萌咲、小嶋真子、込山榛香
  • 第55回(11月21日)茨城県常総市・石下総合運動公園野球場:岩田華怜、高橋みなみ、谷口めぐ、宮崎美穂、横山由依、高城亜樹、峯岸みなみ、向井地美音、武藤十夢、茂木忍、加藤玲奈、木崎ゆりあ、後藤萌咲、渡辺麻友、岡部麟本田仁美

注釈

  1. ^ 東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により警戒区域となった、双葉郡浪江町の集団避難先。
  2. ^ 東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により警戒区域となった、双葉郡大熊町の集団避難先。
  3. ^ 2015年4月8日に開校した高校で、将来的に中高一貫校となる予定。2015年4月の時点で、広野町立広野中学校校舎を仮校舎として利用している。
  4. ^ 高校進学前は、みらい学園が仮校舎として使用している広野中学校に通学していた[8]
  5. ^ 秋元康を通じて、ふたば未来学園高校の制服をデザインしている。なお、秋元も同校の校歌を作詞している[9]

出典

  1. ^ NHK BSプレミアム「AKB48 SHOW!」2015年3月24日放送分より。
  2. ^ 中越地震から10年 - NHK-BSプレミアム「AKB48 SHOW!」ブログより 2014年11月15日
  3. ^ AKB48 心ないネットの中傷に負けず被災地支援継続 - 東京スポーツWEB 2015年3月11日
  4. ^ マブリットキバのGoogle+投稿より ‐ 2014年10月10日
  5. ^ 松村香織 投稿 - Google+ 2014年10月27日 ArKaiBu Gugutas
  6. ^ 震災20年前に34万人が防災訓練、AKBも参加 神戸 - 神戸新聞NEXT 2015年1月15日
  7. ^ AKB48、10ヶ所243人で祈り捧げる「これからも元気と笑顔届ける」 - ORICON STYLE 2011年3月11日
  8. ^ NHK BSプレミアム「AKB48 SHOW!」2015年5月9日放送より。
  9. ^ AKB48の衣装デザイナー起用=来春開校の「ふたば未来学園」福島県 - 東書Eネット 2014年12月26日

外部リンク