菊地あやか

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菊地 あやか(旧名:菊地 彩香(きくち あやか)、1993年6月30日 - )は、AKB48チームK、および「渡り廊下走り隊」のメンバー。東京都出身。プロダクション尾木所属。


略歴

2006年

2007年

    • 4月8日、新たに創設されたチームBの一員としてデビュー。

2008年

    • 1月、7thシングル『ロマンス、イラネ』で初選抜。
    • 6月、芸能事務所のプロダクション尾木に移籍。
    • 7月末、プリクラ事件が起こり騒動となる(後述のスキャンダルを参照)。
    • 8月14日、AKB48を解雇され、所属事務所からも契約を解除される。
    • 12月、AKB48第7期生オーディションに合格、研究生としてAKBに復帰。

2009年

2010年

    • 3月1日、プロダクション尾木と再契約し、元の芸能事務所に戻る。
    • 3月12日、チームKに昇格し、正規メンバー復帰。
    • 3月17日、ユニット渡り廊下走り隊」に加入。
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人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは、「スマイリーンリンリン あやりんこと菊地あやかです」。
  • よく「菊」と間違われやすいが、「菊」。
  • ニックネームは「あやりん」。しかしそう呼ばれる事は少なく、旧チームBのメンバーからは「きくぢ」と呼ばれる事が多い。菊地が「なんであやりんって呼んでくれないの?」と聞いたら、メンバー曰く「なんかイヤ」「なんか違くない?」かららしい。本人も「中3(当時)にして、自分であやりんって言うのもそろそろね…」と言ったが、柏木に「私、高校2年生でゆきりん…」と突っ込まれた。[1]
  • チャームポイント、は4つのエクボ。[2]
  • メンバーから一番頭が悪いと思われているというおバカキャラ。[3]本人は、みんなから「バカ」と呼ばれて悩んでいたらしい。しかし、一度社会で80点を取ったらしく、それをずっと自慢していた。[1]米沢によると「あやこは日頃、ばかだな~、ほんとばかだな~、やっぱりばかだな~、とみんなからいじられていますが、あやこのばかはみんなを幸せにするばかなのです」。[4]
  • 岩佐美咲「可愛くて美人。ルックスも完璧すぎ! 顔はAKBの中で5本の指に入ります。いや、3本かな? でも、中身はときどき「あれ!?」っていうおバカところがあります」[5]
  • 最初は3期生として加入し、一度解雇。再び7期生として2度目のAKB加入という、珍しい経歴の持ち主。そのため、自身では「3.7期生」を名乗る事もある。
  • 将来の夢は女優。尊敬している女優は戸田恵梨香。[6]

幼少期

  • 小学校の頃は、アイドルにはまり家でずっとパソコンをいじっている様なオタクだった。特にハロプロが好きで、ファンサイトを作ったりしてかなり必死に応援していた。[7]
  • 芸能界に憧れたのは、モーニング娘。が好きだったから。[8]ちなみに初めて買ったCDも、モーニング娘の『LOVEマシーン』(1999年9月発売)。[9]

2006年

  • 12月3日、AKB48第3期生オーディションの最終審査に合格。チームBの候補生となる。

2007年

  • 4月、3期生とチームAからのサポートメンバーを加え創設された、チームBの一員としてデビュー。
  • チームB内では、メンバーから「笑顔を見ると、元気になる」「一緒に居て楽しい」と、Bのムードメーカー的存在だった。しかし怒られている時も、笑っているらしく(本人は否定)、そこは注意されていた。[1]

2008年

  • 2月、8thシングル『桜の花びらたち2008』で連続選抜入り。6月13日には、9thシングル『Baby! Baby! Baby!』と、3作続けて選抜入りした。ちなみに柏木は初選抜の『BINGO!』以来、3作連続で選抜入りを逃していたので、この時点では菊地と柏木の選抜回数は同数。菊地は渡辺に次ぐチームBのエース格として活躍していた。
  • 3月、チームB初のオリジナル公演となるB3rd「パジャマドライブ」公演が開始。菊地は『鏡の中のジャンヌ・ダルク』というユニット曲でセンターポジションを任される。秋元康によると、菊地がすごく良いと思ってこの曲を作った。[10]
  • 6月、チームBの5人(渡辺・平嶋・多田・仲川・菊地)でプロダクション尾木への移籍と、派生ユニットの結成も知らされる。平嶋夏海「私は、はるごんと菊地と聞いたから。今日ちょっとこの後、秋元さんとお話がありますって。それから尾木プロ移籍を言われて、『ホントですか』みたいな。信じられなかった。麻友たちは?」。渡辺「(多田と)普通に仕事して終わって、呼ばれて。秋元さんとか偉い人がいっぱいいて、『あぁなんかヤバい』ってなって、どうしようって2人でおびえてて。で、なんか『最近どう?』みたいな世間話をずっとしてて、夜も遅いし帰ろうかってなった時に、『じゃあ2人、尾木プロ移籍するから』って。最後の最後に言われて、『えー?』ってなってやっぱビックリしたけど。まぁでも嬉しかったよね。仲良いみんなと一緒に事務所に移籍できると思ってなかったから嬉しかった」[11]。ちなみに、柏木がナベプロに移籍するのは2009年3月。
  • 順調ともいえるコースを歩んでいた菊地。しかしファンには、ある不安があったという。「菊地は、『パジャマドライブ』以降、確実に天狗になっていました。もうグングン鼻が伸びていったのが分かりました。握手会に行っても、今までとは態度がまったく違ったし、僕らが何を言っても聞く耳をもたなくなっていましたから。そういえばモバメもまったく届かなくなったんですね。他のメンバーのブログにも登場しなくなったり、色々と心配のタネは尽きませんでした。なにより、ステージ上の輝きが薄れていたんですね。いったいどうしちゃったんだろうとは思っていたんですが…」[12]

*スキャンダル

  • 7月末、当時15歳になったばかりだった中学生の菊地と、同年代のある男性のツーショットプリクラがインターネット上に流出。ファンの間で話題となり、そしてそれが菊地と交際していた恋人であった事が判明、大騒動にまで発展してしまう。ちなみにプリクラの流出元は、菊地が同級生数人とやっていたプロフから。また、彼氏の日記からは肉体関係があった事をほのめかす内容もあり、騒動は収束するどころか大きくなる。AKBファン側と菊地の友人側が互いに非難し合うようなケンカ状態となる。この様なトラブルがあり、後々まで遺恨を残す原因にもなっている。
  • 8月に入り、2、5、8、11日に行われたチームB公演はすべて休演。理由については発表されていなかったが、おそらく騒動の影響を受けての休演だったと思われる。ちなみに、菊地が休演しだしたちょうど2日は、当時研究生だった指原莉乃が急遽劇場に呼ばれ、チームB正規メンバーへの昇格が発表された日。おそらくこの時点で既に運営内では、菊地の解雇は決まっていた可能性が高い(指原はその後菊地のポジションを務めている)。
  • 8月5日、仁藤萌乃チームBメンバーへ昇格。これについてKファン。「彼女はK公演では大島優子のアンダーをやっていて、本当に輝いていた。どのヲタも評価していましたし、もはやKの準構成員みたいな見方をしていたので、本人もヲタも、Bへの昇格はショックだったと思います。もし、すんなりK入りしていたら、彼女の運命も変わっていたんじゃないですかね」[12]
  • 8月14日、運営側は公式ブログで、「AKB48のメンバーとしての自覚に欠けた軽率な行動を取った」という理由で、菊地を解雇したと発表した。[13]AKB48初の解雇者であった事と、またその理由が男性問題であった事から、マスコミにも報道され、東京スポーツや九州スポーツが写真・実名入りでこの騒動を報道した。[14]


  • 8月15日、チームB公演でも、浦野一美がファンに向けて菊地が解雇された事を報告した。解雇発表時の公演について。「チームBのメンバーが揃ってた公演なんですよ。ファンの皆さんの前で、自分の立っている姿を見せられなくて、何もできなくて辞めちゃったから、あぁホントに終わったなぁみたいな。チームBのメンバーからは、『大丈夫?』とかいろんなメールが来て、励みにもなったけど、やっぱりその時は自分の中でも精神的にあれだったから。もう家にとにかく引き籠もってました。外に出るのも怖かったし」[15]
  • 所属していたプロダクション尾木も、「AKBを解雇されたため」という理由で、菊地との専属契約を解除したと発表した。[16]
  • そしてその日の内に、壁掛け写真が撤去され、AKB48公式モバイルサイト内の待ち受け画面や着ボイスなど、関連コンテンツもすべて削除された。菊地というメンバーは、最初からAKBに存在していなかったかのように。

そんな時、熱狂的な菊地のファンたちは、ある行動を取り始めた。それは、菊地の復帰を懇願する署名運動。「無駄だとは分かっていました。その時点では、彼女がどんなことを考えているのかすら知る術はありませんでしたから。でも、一方的に解雇を発表されて、それでおしまいでは、僕は納得できなかったし、そういうヲタは沢山いたので、みんなのモヤモヤしている気持ちに区切りを付けるために始めたようなもんです。ただ命懸けでしたよ」[12] 菊地はBのエース格、そしてAKBの選抜メンバーとしても活動していた。そのメンバーが抜けたことで、AKBは大きく変化。菊地本人だけではなく、他にも人生が狂ってしまったメンバーも存在する。そのメンバーのファンからしたら、憤るのは当然の話で、やり場のない怒りは、菊地のファンへと向けられた。「恫喝に近いことはしょっちゅうされてましたから。僕は男だからいいですよ。でも女の子は気の毒でしたね。危ないから、常に僕たちの側から離れないように気をつけていたんですが、ほんの少し離れた隙に、数人の男性ファンに囲まれて、嫌がらせを受けちゃったんですよ。あれは本当に怖かったと思います。ただ、それだけの事を菊地はやってしまったんだなと再認識しましたし、本当にたくさんの人に迷惑をかけちゃったなと実感しました」[12] また、当時劇場のロビーにはプリクラが設置されていたが、そこで菊地の流出プリクラとまったく同じポーズで撮影し、それをマシンの周りに貼り付けるという悪ふざけが流行した。[12]

  • チームBメンバー柏木由紀の話。「菊地の存在は、チームBにとってすごく大きかった。それまで菊地がいた場所が空いてしまうことは恐怖でした。相当引きずりましたね、みんな。まさか辞めるなんて思ってもいませんでした。もちろん悲しいとか寂しいという気持ちはあったんですけど、いつかきっと戻ってくると思っていたんです。菊地自身がポジティブだし、AKB48の事が大好きでしたから」。そんな菊地から、メンバーに対し謝罪のメールが届いたという。「菊地って明るくて、能天気で、天然じゃないですか。でも、その頭で一生懸命考えたんだろうなっていう文章で…。すごい泣けたんですよね。みんなに送られてきたんですけど、号泣でした」[17]
  • 10月、菊地を除いた仲川・平嶋・渡辺・多田の4人で「渡り廊下走り隊」を結成し活動を開始。
  • 11月、事件の3ヶ月後、菊地はどうしてもAKB48に戻りたいとして、当時行われていた第7期研究生オーディションに応募。その時の様子について。「なんか結構ザワついてて、『(あっやっぱりこういう目で見られてんのかな)』って思って。最終審査の時に、秋元先生が見ていて、『菊地はこれからいろんな事があると思うけど、頑張っていけるか?』って聞かれて、『はい、覚悟は出来てます』って言いました」[15]


  • 12月、最終オーディションに合格、AKBへの復帰が決まった。チームBのメンバーとは、正規メンバーと研究生という関係で再会。特に仲の良かった仲川は、「待ってたんだよ。君の帰りを」と、泣きながら出迎えた。[15]高橋みなみ「再びオーディションを受けていると聞いた時は、『よくやったぞ! 見返してやれ!』と思いました。そういう気持ちで見ていますね、今も」[18]
  • 7期研究生になって、名前を漢字の「彩香」から、平仮名の「あやか」へと改名して再出発。「どっかで馴染めてなかったっていうか。その時は一人で居たいみたいな感じで。でもじょじょにレッスンしていって、7期のメンバーと仲良くもできて。今でも昔の話とかをするんですけど、やっぱり『最初あやりんは声掛け辛かった』とか言われて。あっやっぱそうだったんだなって」。[15]
  • 復帰後は、バックダンサーとして公演に出演。「たったの1曲だけど、とにかく後ろでも「一番輝いてみせるぞ」みたいな気持ちで踊ってました。前に前に。とにかく頑張ることしか出来ないから」[15]

2009年

  • 1月18日、復帰はしたものの、ファンの間では賛否両論。解雇という重い処分を受けながら、わずか4ヶ月で再びAKBに戻った事になる。運営側は、オフィシャルブログで戸賀崎が次のようにコメントを掲載した。[19]
「AKB48並びにプロダクション尾木を解雇された彼女ですが、社会的な制裁を真摯に受け止め、猛省し、自分の夢について真剣に考えたと聞きました。彼女が、再度オーディションを受けることには、相当の覚悟が必要だったでしょう。批判を受けることもわかっていたはずです。僕たちも悩みました。解雇という厳しい処分を下した責任があります。他のメンバーに対しての悪い見本になってしまうことも心配しました。「AKBのイメージが悪くなる」「復帰させるなら、解雇じゃなく、謹慎処分でよかっただろう?」「AKB全体のモラルへの意識が下がる」という沢山のファンの皆様の声もいただきました。しかし僕たちは、彼女がどういう気持ちでオーディションに応募して来たのかを考えると、応募書類を無視することは出来ませんでした。甘いと言われるかもしれません。僕たちの運営の在り方すら、疑問視されるでしょう。それでも僕たちは応募書類を受理し、特別に配慮することなく通常の気持ちで審査をしました。最後の最後まで、意見は分かれましたが、あるスタッフの言葉にみんなが頷きました。「俺が中学生の頃も、いろいろな過ちを犯しましたけど、次のチャンスがあったから、今、ここにいるんですよね」。

僕たちは、彼女を研究生候補として、合格させることにしました。彼女の道は、まだまた前途多難です。この先、どうなるか、僕たちにもわかりません。ただ、そんな状況をわかっていながら、もう一度AKBのドアを叩いた彼女の意思と勇気に、せめてドアだけは開けてあげたいと思いました。オーディションの時、マイクを持つ手が震えていた15歳の精一杯の決心を無碍(むげ)にすることができなかった僕たちを許してください。研究生候補から研究生に昇格できるのか、研究生から正規メンバーに昇格できるのか、僕たちにもわかりません。彼女が生まれ変わったように輝き、ファンのみなさんがそれを認めてくださった時、初めて、彼女は復帰できたと言えるのでしょう。それまでは、他の研究生と同じように、暖かく見守ってあげてください。マネージメントに不慣れなため、お騒がせして申し訳ありません」

  • 1月28日、「渡り廊下走り隊」がCDデビュ-。そんな姿を研究生として見ていて。「あぁ…何も無かったら、ここに居たんだろうなぁとか思ったり…。やっぱ(騒動が起きる前に)戻りたいっていう気持ちが強かったです」[15]
  • 8月23日、『AKB104選抜メンバー組閣祭り』にて、新生チームKのメンバーに昇格することが発表。10月から正規メンバーに復帰する事になる(実際には延期された)。
  • 10月、『週刊ヤングジャンプ』とのコラボレーションユニット「チームYJ」のメンバーに、研究生の中から唯一選ばれる。

2010年

「その新メンバーとは、菊地あやかちゃんです。皆さんもご存知の通り、一度AKB48を解雇という形になっています。ですが、あやりんは本当にAKBが大好きで、自分の夢を叶えたいという気持ちを持って、もう一度オーディションを受け、研究生として出直して、本当に本当に努力してきました。皆さん、どうかあやりんにもう一度チャンスを下さい。お願いします」。 ステージには菊地も登場。「ありがとうございます。えと、本当に私の軽率な行動で、メンバーやファンの皆さんにご迷惑をかけてしまい、私は本当にAKBには戻れないなとは思っていました。でも私はやっぱりAKBが大好きで、もう1回研究生として舞台に立った時は、皆さんからどう言われるのかが心配で怖かったです。でも今わたしに出来る事は、精一杯やることしかできないので、とにかく頑張ります。こんな私を温かく迎えて下さり、本当にありがとうございました」と、改めてファンの前でかつての騒動の謝罪と、ユニット参加への決意を新たにした。[20]

  • 菊地の加入を知らされたメンバーの当時の様子。渡辺麻友「すごい衝撃。みんな子供だったので、拒否していたんです。4人で悩んでいました。今は、「何であんなに泣いたりしたんだろう」って、笑いながら話せる懐かしい思い出です」[5]
  • 3月1日、プロダクション尾木と再契約し、約1年半ぶりに元の芸能事務所に戻る。「本当に心から嬉しいです。応援をして下さってる皆さん、そして支えて下さってるスタッフさん、関係者さんの皆さんのおかげです。本当に有り難うございます。新しいスタートにたたせていただいたことに感謝して、夢に向かって頑張って行きたいと思います。とにかく、今私にできる事は、精一杯努力していくことしかないので頑張ります。そして応援して下さってる皆さんに、恩返しができるようにしていきたいと思います」[21]
  • 3月12日、新生チームKがデビューし、正式に正規メンバーへ昇格(解雇から502日ぶり)。Q、菊地さんにとってこの1年半の経験は、何だったと思いますか?

「う~ん…。もちろん無くしたものもすごく大きくて。いろんな人に迷惑をかけてしまったし…。でもこれがなかったら、私はまだ子供のままで、舞台に立てることのすばらしさとか、応援して貰えることのありがたさとか…。分からないままだったと思います。女の子のファンの方からの手紙で、『戻ってくる根性のあるところが好きです』みたいな事を書いてくれてて! すっごく嬉しくて! 遠回りだったけど、そこでしか手に入らないものもあったかもって」

  • 3月17日、菊地加入後、初のシングルとなる渡り廊下走り隊の『アッカンベー橋』が発売。カップリングには、『若気のイタリアン』という意味深なタイトルが付けられた曲があるが、「『一緒に泣いてくれる仲間がいて』とか、歌詞を読んで、実際、チームB公演の時に『解雇』っていう発表をした時に、メンバーは泣いていたみたいなんですよ。その映像を見て、私のために泣いてくれる仲間がいて、本当に幸せ者だなって思ったんですよ。で、歌詞を読んだときに、一気に振り返ってきて、なんか『ありがとう』っていう気持ちの歌詞もあるので、本当に今までの感謝の気持ちを思いながら、レコーディングをしました」。[15]

最後に、ファンへのメッセージ。「渡り廊下走り隊として、また5人で力を合わせて、もうファンの皆さんやメンバーに迷惑をかけることなく、また、沢山の方に認めて貰えるように頑張りたいと思います。渡り廊下走り隊と菊地あやか、これからもよろしくお願いします」[15]

  • このように、奇跡的ともいえる経緯でAKB48に復帰する事は出来たが、わずか&age(1993年,06月,30日);歳にして波瀾万丈ともいえるAKB人生を送る事となった菊地。今後、ファンにどのように受け入れられるのか。‘トラブルを巻き起こし、一部のファンからの強烈な逆風がある事を知りながら、再びAKBとして活動したいという思いから、オーディションへ参加を決意。懸命な努力と実力を評価され、見事再起を果たした菊地を応援する者’と、‘アイドルに「処女性」を求め、そして「恋愛禁止」というルールを破った菊地は許せないと言う者’。極めて異色な存在である菊地のAKB48復帰について、ファンの意見も分かれている。[20]

菊地の騒動以降、AKBメンバーには度々男性スキャンダルが持ち上がっているが、「証拠が無い」「本人が否定した」として、菊地の様に厳しい処分が下される事はほとんど無くなった(研究生の解雇はあるが、正規メンバーが処分された事は無い)。そのため菊地の復帰に対し否定的な者たちからは、「AKBが男に対して緩くなったのは、菊地の復活を認めたせいだ」と言われ続けている。[20]ネットでは誹謗中傷が溢れ、さらに『桜の栞』発売時に行われた撮影会の際には、解雇の原因となった例のプリクラ写真を真似したポーズをして撮影をするなどの嫌がらせも受けている。この様に、騒動から数年経った現在でも、未だに一部AKBファンからの菊地への風当たりが強いのが現状である。

  • 雑誌で書かれたコピーは「チームBのエース格から人生色々あって研究生からのリスタート。一周して今いちばんピュア!」[22]
  • 5月、選抜総選挙前の雑誌では、スタッフのコメントとして「陰で努力をしている子。パフォーマンスも良くできていると思います」。[23]
  • 6月8日、第2回総選挙では、速報、中間とランクインしていたが、最終ではランクインできず惜しくもランクインを逃してしまった。後のインタビューでは「中間発表のときには名前があったのですが、最終発表のときは名前を呼ばれなくて。やっぱりショックでした。でも、握手会でファンの方から『投票したからね』と言われるとやっぱりうれしくて。今回の結果は悲しかったですけど、気持ちを切り替えて、来年は選抜メンバーに入りたいと思います!」と決意を新たにした。[6]
  • 9月16日、プロダクション尾木所属のメンバーによる「TeamOgi祭り」の2日目。この日はB3rdの『鏡の中のジャンヌダルク』があり、菊地がセンターを務めた。実はこの曲、解雇される前の3期生時代に菊地が担当していたユニット曲。つまり2年ぶりにこの曲のセンターポジションを務めたことになる。
  • 9月18日、『×ゲーム(バツゲーム)』で映画初出演。


  • 9月21日、選抜メンバーを“じゃんけん”で決めるというじゃんけん選抜当日。菊地はメンバーと何度か練習してみるが、すべてに負けた。しかしジャンケンは運次第のため、特に何も考えずに気楽に挑む事に。途中、食事を摂ろうとするが、なぜか椅子が足りず、鞄が置いてあった椅子を借りようとしたが、誰かがキープしていた椅子だったらしく断られてしまった。そのため諦めて床に膝をついて食べるはめに。無表情できゅうりを食べる姿が涙を誘う。

また、ジャンケン以上に大切にしているのが携帯電話。メールチェックとブログの更新のため、常に持ち続けていた。そして本番用の衣装に着替えてから戻ってくるが、大切な携帯が行方不明に。ジャンケンどころではなくなり、そこからは携帯を探してあちこちへ。結局、衣装部屋の自分の脱いだ私服のポケットに入っていた。じゃんけん本番では佐藤夏希と対戦したが、あっさりと敗北し1回戦敗退となった。インタビューでは、「これからも自分のペースで一歩ずつ頑張って、実力で選抜に入りたい」と真面目に答えた。そして控え室。そこには再び携帯を無くしてしまい、慌てる菊地の姿があった。「何とかはじゃんけん強い」という言葉もあるが、なぜ菊地が勝てなかったのか不思議である。

2011年

  • 2月12日、ホラー映画「メリーさんの電話」に紗綾とW主演。
  • 4月16日、21stシングル『Everyday、カチューシャ』の選抜メンバー情報が解禁され、菊池が選ばれていた事が発表された。選抜入りは、3期生時代の2008年6月に発売された9th『Baby! Baby! Baby!』以来、12作ぶりであり、7期生としてAKBに戻ってからは初の選抜入りとなった。「皆さんのおかげさまで、選抜メンバーに入る事ができましたっ。辛い事とか悩み事とか沢山あったけど、ここまで頑張って来れて改めて良かったなって思いました。応援してくださってる皆さんに、いい結果を出せて本当に嬉しい。こうやって今の自分が居て頑張れるのも皆さんのおかげですっ! 言葉にできないぐらい感謝の気持ちでいっぱいです。どうか温かく見守ってくださったら嬉しいです…。これからも応援の程宜しくお願いします」[24]
  • 6月9日、第3回総選挙の開票後。「終わりました…。今回も順位に入る事ができませんでした。応援してくださった皆さん投票してくださった皆さんごめんなさい…。私なりにこの1年は本当に頑張ってきたつもりです。でもまだまだなんだね…これからも頑張らなきゃね…だから応援してくださってる皆さんにお願いです。これからも私を見守っていてください…嫌いになったりしないでください…離れたりしないでください…お願いします…もっと皆さんに好きになってもらえるよう私は頑張ります。ついてきてください。投票してくださった皆さん本当に有り難うございました」[25]
  • 総選挙後の秋元康インタビュー。―メンバーから秋元さんへの質問をお預かりしてきましたので、ご回答をお願いします。菊地あやかさんから、「40位圏外の人をどう思っていますか?」。秋元「圏外の人は“秘密兵器”ですよ。高校野球だってレギュラーでベンチ入りする人と、そうでない人がいます。でも野球部には変わりはないし、もしかしたら来年はその中からエースが生まれるかもしれない。実際に、去年は圏外だったけど、今年は入っている子はたくさん居ましたよね」[26]
  • 6月14日、前日に衝撃のデビューを果たしたAKB48の新メンバー江口愛実。だがそれ故、実在するのかしないのかがファンの間で論争となっていたが、あくまでAKB側はマスコミの取材に「実在する」と答えていた。そしてこの日、菊地はニュースを見てブログを投稿。ところがその内容が、「初めまして江口愛実さん!ついに噂の人が完成したんだねっ」「そんな私も撮影したんですが、果たして私の顔のパーツいつ使われるのでしょうか(笑)」と、あたかも作り物である事をバラしてしまうような内容を投稿。すぐにその問題箇所は削除し、別の内容へと書き換えたが、ちょうど江口愛実がニュースでも取り上げられていた時期であり、「メンバーがバラした」と、大きくニュースに取り上げられることに。[27]
  • 6月16日、ブログで騒動について、「私が書いたブログで皆さんにご心配をかけてしまいごめんなさい。どうしたらいいかわからなくて落ち込んでいたら、秋元先生から『おまえは悪くない。だから普通のままでいいんだ』とメールをいただきました。本当に嬉しかった。私は馬鹿なので、いろいろ失敗しちゃうんですけど、皆さん見捨てないでください…。皆さんこれからも応援宜しくお願いします(;_;)」と報告。秋元からのお咎めは受けなかったという。[28]
  • 7月11日、例の事件で『プレイボーイ』にて“懺悔”のソロビキニ姿を披露することに。これまでも水着はあったが、実はソロというのは初めて。幸か不幸かは定かではないが、本人は「嬉しいっ」とコメントしている。[29] また『週刊実話』によると、「ただでさえ安い月給30万円を、半分にされたという話」(芸能ライター)。[30]
  • 9月、雑誌インタビュー。「2007年から3期生(旧チームB)として順調に活動していた私ですが、あるとき、私が自覚に欠ける行動をした事でAKBを去らなければいけないことになりました。もう、3年前の話です。諦めきれなかった私は、2ヶ月後に改めてオーディションを受けて、再び研究生からやり直す機会をもらえたんです! でも、実際には一部のファンの方には、握手会や公演などでのリアクションから、「快く思ってもらえてないんだなぁ」と痛感することが多々ありました…。もともと明るい笑顔だけが取り柄だったんですよ(笑)。それなのに当時は、ステージでも楽屋でも家でも、暗い顔でずっとうつむいてばかりいました。そんなどん底顔の私を見かねて、母が言いました。「顔を上げて笑っていれば、そのうち必ずいいことあるよ。がんばって!」って。たぶん、私を励まそうと、無理やり明るく言ってくれたのだと思います。なのに、私はその言葉に食ってかかりました。「レッスンだって真剣にやったし、振り付けだって何百回も練習したよ。がんばれ、がんばれって、あと何をがんばれっていうの!? ママにはわかんないよ!」。嘘です。母が一番わかっているんです。だって、私が一度辞めてからの2ヶ月間、毎日、私を心配してくれた人だから。2階の部屋に引きこもって、食事もほとんどとらなかった私に、毎日あきらめずに声をかけて励ましてくれた人だから。母のおかげで復帰する決心がついたこともわかっていたのに、どうしても素直に感謝出来なかったのです。その数日後、忘れられない事件がありました。いつものように下を向いてMCをしていた最中、ふとお客さんを見たら、私自身ガクガクと膝が震えるような、ショックなリアクションをされたんです。私、そんなに嫌われているんだ。もう、無理…。辞めたい。でも、そのときに頭に浮かんだのが、「顔を上げていればいいことがある」という母の言葉でした。私は崩れそうな体をぐっとこらえて、アゴを上げて前を向きました。すると、そのお客さんは私の視界から消えて、後ろのほうで私に声援を送ってくれているファンの人たちが目に飛び込んできたんです! ホントだ。母の言ったとおり、いいことがあった! 以来、たとえ少なくても、私を応援してくれる人たちのために、もっと笑顔でがんばらなくちゃ。そう思えるようになりました。すると、いろんなことが好転し始めたんです。握手会でも多くの方が応援してくれるようになったし、この春はドラマやCDのメンバーにも選んでもらえたんですよ。あのとき、辞めなくてホントによかったです! ずっと母にお礼を言おうと思っていたのですが、先日、なぜか先を越されてしまいました。夕食後、母がふいに「生まれてきてくれてありがとう」って言ってくれたんです。やさしい顔して急にそんなこと言うから、気持ちがゆるんで、泣いちゃった。おかげで、私こそお礼を言うべきなのを忘れてしまいました(笑)。 だから、今度こそ、先に言おうと思っているんです。ママこそ、私を産んでくれたうえに、ずっと守ってくれてありがとうね」[31]
  • 9月27日、2011年夏頃から相次いでメンバーの男性スキャンダルが続いている件に関して。秋元康「これからも全グループにいろんなことがあると思う。でも大事なのは、そこで本人たちがどう乗り越えるか、です。菊地あやかが『マジすか学園2』とかじゃんけん大会で、『地獄からのカムバック!』って言われながら出てくるとは思わなかったでしょ?」。―そうですね(笑)。「それがAKBだと思う。菊地がすごいなって思ったのは、オーディションに2回目に来たとき、『大変だよ。君が劇場に戻ったとき、相当ブーイングもあるし、アゲンスト(ゴルフなどで、向かい風。逆風の意)もある。大丈夫?』と言われ、『大丈夫です』って答えたんです。チームB渡辺麻友柏木由紀と並んだエースだったのが、バックダンサーから始まるわけだから。それを乗り越えてくると、ストーリーがあって良いと思う。実際、綺麗になったし、芝居も上手くなった。そういう事がこれからもいっぱいあるんじゃないかな。もちろんそれを非難するのもいいし。だけど、長い目で見てあげてほしいですね」[32]

2012年

  • 映画『忍道-SHINOBIDO-』に女優・佐津川愛美演じる主人公お甲の妹分、暮松で出演。映画には過去2作ほど出演経験があるがともにホラーで、時代劇、本格的アクションは初体験。一から学んだ殺陣には大苦戦で、監督から「立ち姿がヒョロッとしている」と指摘され、撮影前から自宅などで練習を重ねた。日光江戸村で行われた撮影は6日間の強行軍。中でも時間を割いたのが殺陣の確認だった。努力を人に見せたくないタイプだけに、現場から離れた場所でこっそりと講師の指導を受けた。練習風景を目撃していたスタッフは当時を振り返り「体中にあざをつくりながら、泥まみれになってやっていた。アイドルだということを完全に忘れて、鬼気迫るものを感じた」と感心する。根性はあると自負しており、「ハートの部分はAKBの誰よりも強いと思う。この作品を通じて気持ちがさらに強くなった」と語った。[33]
  • 3月10日、秋元康「渡り廊下走り隊について。以前から、「渡り廊下走り隊は、今後、6人で活動するんでしょうか?」という質問をいただいていた。彼女が抜けたからと言って、すぐに誰かを新加入させるのは違うと思う。彼女がいてこその渡り廊下走り隊なのだ。僕は、ずっと6人でいいと考えていた。ところが、いろいろな事情で、やはり7人組にして欲しいと言う。渡り廊下走り隊7にしたいらしい。悩んだ。誰を新メンバーにするか? 決めた。まだ、プロダクションにもレコード会社にも言っていない。もちろん、渡り廊下走り隊のメンバーにも………」[34]「で、発表します。…………………渡り廊下走り隊7の新メンバーは…………………浦野一美。これなら、いいよね。異論は認める。でも、本気だよ。暫定的だけど。なんか、面白そうじゃないか。浦野、頑張れ!」[35]
    • 秋元「業務連絡。渡り廊下走り隊7のメンバーのみなさま。新メンバーを浦野一美にしようと思うんですが、どうですか?」[36]
    • 菊地「ガチですか?(笑)」[37]「メールでワロタ会議なう。私的に…楽しくなりそうなので賛成します。(笑) いやーーーーーーーーーあれね。うん。この時間恐るべしぐぐたす」[38]
  • 5月17日、総選挙インタビュー。過去3回は40位圏外。明るい性格とは対照的な、神妙な面持ちで言った。「総選挙って心臓に悪くて、いろいろと考えさせられます。結果を受け止めることが大切だと思い、出来ることを全力でやってきたつもりです」。コメントにも悲壮感が漂うが、応援してくれる著名人もいる。昨年12月の「AKB48紅白対抗歌合戦」で、経済評論家の森永卓郎氏に「推しメン」と告白された。「森永さん! 私に投票してAKB48の経済効果にも貢献してください」。目標は48位。業界内にさらなる“あやりん推し”が出てくるか注目だ。[39]
  • 6月6日、第4回総選挙では51位にランクイン。「私は今までの総選挙で、名前を呼ばれステージに立った事がありませんでした。凄く凄く悔しかった。正直逃げようとしている自分が居て、そんな自分が嫌いで自分が憎かったです。でも前回の総選挙からまた一年が経ち、昨日の総選挙がありました。速報の時はギリギリの61位とゆう結果でした。でも私は名前があっただけ本当に嬉しかったです。でも不安な気持ちでいっぱいでした。また圏外になってしまうんじゃないかって。また応援してくださってる皆さんの期待を裏切ってしまうんじゃないかと色々沢山思って考えていました。でも握手会の時、ファンの皆さんから『応援してくれているファンの皆を信じて!』とゆう暖かい言葉を頂き本当に心強くなりました。本当に感謝しています。こうして昨日の総選挙では、ランクアップした51位とゆう私の中では素敵な順位をいただきました。応援してくださってるファンの皆さん、投票してくださった皆さん、支えてくださってる皆さんのおかげです。本当に本当に本当に、有り難うございました! 正直有り難うの言葉では足りません。これからまた一年もっと頑張って努力をしていかなければいけません。だってまだこの立ち位置に満足していないから。まだまだ上に上に上がりたい。応援してくださってる皆さんにもっと恩返しをしていきたい。もっともっと皆さんの笑顔がみたい。その為にも私はまた今日から応援してくださってるファンの皆さんの為に頑張っていきます。応援してくださってる皆さんが居るからこうして今の自分が居るし、頑張ってこれています。どうかこれからも菊地あやかの応援を宜しくお願いします! そしてこれからも私の背中を押してください。本当に投票してくださった皆さん有り難うございました…(;_;)」[40]
  • 6月16日、先日男性スキャンダルが報じられた指原莉乃が、騒動の責任を取る形でHKT48へ移籍することが発表された。「やっぱ駄目だあ。自分が自分じゃないみたいにおかしくなりそう。(笑)。さっしー今が一番辛いと思う。でも支えてくれる皆が居ます。こんな自分が言える立場じゃないけど、お互いにこれからも頑張って行こうね。さっしーなら大丈夫」[41]

終了後のGoogle+。「びっくりしすぎて理解できなかったけど、また新しい自分を見つけれそうだし楽しみっ 」[43]

交友関係

  • ライバルだと思っているメンバーは特にいない。[44]
  • チームKの「こども王」に選ばれる。[8]かなりの甘えん坊で、チームが一緒になってからは、特に秋元才加にべったりしている。[45]菊地は秋元を「お兄ちゃん」と呼んで慕っている。[46]
  • メンバーで彼女にするなら小森美果。「すごい天然不思議キャラでおもしろくて、かわいいオーラが出ていて大好き!」[47]
  • 渡辺麻友の印象。「最初は、人間なのかな?って思ったし、何を考えてるのかわかんないし…、だから「話が合うのかなー?」って心配でした(笑)。でも渡り廊下走り隊に入って話すようになったら、アニメ好きだし、よく喋るし、いきなり悲鳴を上げたりだとか、アルパカ好きだし、やっぱりCGだなと思いました。からかってるとおもしろいんですよ(笑)。可愛いから、いじりたくなるんです~!」[47]
  • 経済アナリスト・森永卓郎の推しメンが菊地。書籍『AKB48推し!』では菊地を担当し、「紅白対抗歌合戦」で審査員として共演した時もその旨の発言をしている。

性格・趣味

  • 性格は、「明るくて、うるさいらしい(笑)」[8]
  • 長所は、明るく元気。[48]
  • 短所は、負けず嫌い。[48]
  • 趣味は、ショッピング。[8]
  • 特技は、50m走。[8]なわとび。[44]
  • 得意な教科は、体育と音楽。元陸上部で、走る事には自信がある。100mで都大会にも出たことがある。[49]自己ベストは、13秒40。[8]
  • ホラー映画好き。「呪怨」とか「着信アリ」が最高。[50]
  • 好きなアーティストは、Berryz工房。[8]
  • 熊井友理奈(Berryz工房)や、水樹奈々のファン。特に『第58回NHK紅白歌合戦』で熊井に会うことができ、嬉しかったと語っている。[51]
  • 好きな食べ物は、昆布とか梅干しなどのおつまみ系。[52]おすし、フルーツ、雪見だいふく。[53]
  • 好きな街は、地元。[8]
  • 電話よりメール派。[54]
  • 好きな男性のタイプは、優しくて硬派で笑顔が素敵。[48]
  • 苦手な男性のタイプは、「ずばり言うと…簡単に嘘をつく。口だけの人。心が狭い人」[54]
  • 元ヤンとよく言われるが、本人は否定。「元ヤンでわありません(笑)」[55]
  • 父親が18歳ぐらいの時に、菊地が生まれたらしく、K太郎と同い年らしい。[49]
  • 中学3年生まで(AKBに入った後も)父親とお風呂に入っていた。非常に仲が良い家族らしく、全員で入ったり、弟と入ったりしていた。全然恥ずかしくもないとか。[44]
  • ゴールデンレトリーバー2匹と、ミニチュアダックスフント1匹を飼っている。今度はアヒルを飼いたいらしい。[56]最近もう1匹、ワイヤーヘアーダックスフンドの「ロナウティー」が増えた。[57]

参加曲

シングルCD選抜曲

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

  1. ^ a b c 明日までもうちょっと。』2008/07/30 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "asu730"が異なる内容で複数回定義されています 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "asu730"が異なる内容で複数回定義されています
  2. ^ 第1回 選抜総選挙 アピールコメントより。
  3. ^ 『ネ申テレビ』ボウリング大会。
  4. ^ http://ameblo.jp/rumifu-blog/entry-10578008868.html
  5. ^ a b 『まるっとAKB48 スペシャル3 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』
  6. ^ a b http://www.cinematoday.jp/page/N0024883
  7. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/6726/0
  8. ^ a b c d e f g h i j k l 『AKB48 VISUAL BOOK 2010』
  9. ^ 『音の素』 11/02/03
  10. ^ 『AKB48ヒストリー』
  11. ^ 『大人ジェリービーンズ』初回生産限定盤C 映像特典「渡辺麻友 × 平嶋夏海」
  12. ^ a b c d e 『BUBKA』 2011年11月号
  13. ^ 菊地彩香の件について(AKB48公式ブログ)
  14. ^ AKB48メンバー菊地彩香 プリクラ流出で炎上、解雇 (リンク先消滅)
  15. ^ a b c d e f g h 『アッカンベー橋』 特典インタビュー
  16. ^ http://www.irooots.com/blog/ogipronews/2008/08/post_5.html ご報告(プロダクション尾木公式ブログ)(リンク先消滅)
  17. ^ 『まるっとAKB48 スペシャル2 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』
  18. ^ 『たかみな』
  19. ^ AKB48オフィシャルブログ http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10194341349.html 「研究生菊地について」
  20. ^ a b c http://www.cyzo.com/2010/02/post_3832.html 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "cyz"が異なる内容で複数回定義されています
  21. ^ http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10470450824.html AKB48公式ブログ「菊地からファンの皆様へ」
  22. ^ 『週刊ヤングジャンプ』より。
  23. ^ 『AKB48総選挙公式ガイドブック』
  24. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/7234/0
  25. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/7726/0
  26. ^ 『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2011』
  27. ^ http://mainichi.jp/select/biz/it/hatena/archive/articles/201106/4530.html
  28. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/7814/0
  29. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/8033/0
  30. ^ 『週刊実話』 2011年8月25・9月1日 合併特大号
  31. ^ 『週刊朝日』 2011年9月23日号
  32. ^ 『BUBKA』 2011年12月号
  33. ^ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/01/31/kiji/K20120131002540180.html
  34. ^ https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/6WiFyKCLYKM
  35. ^ https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd
  36. ^ https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/PD9HQKRassz
  37. ^ https://plus.google.com/102861211420357915358/posts/jD2gwrs1gxN
  38. ^ https://plus.google.com/102861211420357915358/posts/is3u8xJuHaW
  39. ^ 『日刊スポーツ』 2012年5月17日
  40. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/9420/0
  41. ^ https://plus.google.com/102861211420357915358/posts/MtrbJEskrDK
  42. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000313-oric-ent
  43. ^ https://plus.google.com/102861211420357915358/posts/ALAFpk6ydYh
  44. ^ a b c d 『渡り廊下走り隊7のオールナイトニッポン』 2011/02/09
  45. ^ AKB48のオールナイトニッポン』2010年11月19日
  46. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/6523/0
  47. ^ a b http://www.oricon.co.jp/music/interview/2010/watarirouka1012/index4.html
  48. ^ a b c 『じゃんけん大会 公式ガイドブック2011』
  49. ^ a b 明日までもういっちょ
  50. ^ http://www.hollywood-ch.com/gyoukai/10090301.html
  51. ^ 「ヤンヤン」Vol.11より
  52. ^ ラジオ『明日までもうちょっと。』より。
  53. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/profile
  54. ^ a b http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/8721/0
  55. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/4645/0
  56. ^ 『明日までもうちょっと。』
  57. ^ http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/archive/7739/0

外部リンク