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== 略歴 ==
== 略歴 ==
=== 2005年 ===
;2005年
*10月、オープニングメンバー(1期生)オーディションに合格。
*10月、オープニングメンバー(1期生)オーディションに合格。
*12月8日、[[AKB48]]としてデビュー。
*12月8日、[[AKB48]]としてデビュー。


=== 2007年 ===
;2007年
*4月8日、チームBメンバーとして活動開始。
*4月8日、チームBメンバーとして活動開始。


=== 2009年 ===
;2009年
*7月、[[第1回総選挙]]では17位。
*7月、[[第1回総選挙]]では17位。


=== 2010年 ===
;2010年
*4月16日、AKB48を卒業。[[SDN48]]専属メンバーとなる。
*4月16日、AKB48を卒業。[[SDN48]]専属メンバーとなる。


=== 2011年 ===
;2011年
*10月15日、SDN48からの卒業を発表。
*10月15日、SDN48からの卒業を発表。


=== 2012年 ===
;2012年
*3月10日、[[渡り廊下走り隊]]7に加入。
*3月10日、[[渡り廊下走り隊]]7に加入。
*3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。
*3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。

2013年11月26日 (火) 19:30時点における版

SDN48 [[チームAチームBSDN48→卒業]]
浦野 一美 うらの かずみ
ファイル:Urano kazumi2.jpg
所属事務所

プロダクション尾木

生年月日

1985年10月23日 (38歳)

出身地

埼玉県

血液型

O型

身長、体重

154cm

スリーサイズ

B79 W57 H77

合格期

1期生

選抜回数

AKB48 2回
SDN48 1回

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浦野 一美(うらの かずみ、1985年10月23日 - )は、AKB48チームBSDN48の元・メンバー。現在はソロタレント、渡り廊下走り隊7のメンバーとして活動中。埼玉県出身。プロダクション尾木所属。

略歴

2005年
  • 10月、オープニングメンバー(1期生)オーディションに合格。
  • 12月8日、AKB48としてデビュー。
2007年
  • 4月8日、チームBメンバーとして活動開始。
2009年
2010年
  • 4月16日、AKB48を卒業。SDN48専属メンバーとなる。
2011年
  • 10月15日、SDN48からの卒業を発表。
2012年
  • 3月10日、渡り廊下走り隊7に加入。
  • 3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業。

人物

AKB48として

  • キャッチフレーズは、「私に惚れたら上級者」。
  • ニックネームは、「CinDy」(シンディー)。由来は、憧れているシンデレラに因んだもの。「CinDy」と名乗り始めたのは、チームBに移籍したあたりからで、それまで(チームA時代)は「MIHO」(ミホ)だった。サインも「MIHO」と書いているので、初心者は非常に混乱した。なぜ「MIHO」を名乗っていたのか、その由来は将来有名になって「徹子の部屋」に出た時に話す予定だったしらしい。が、いま浦野は「その話には触れないで」と言っているらしい。[1]
  • ティアラを好んでおり、よく着用している。しかしこのティアラは、心が綺麗な人にしか見えないんだとか。
  • 2005年12月、初期メンバーとしてAKB48グランドオープンで劇場公演デビュー。
  • 2006年10月、メジャーデビューシングル『会いたかった』をリリース。元々はチームAの公演曲で、Aのメンバーが担当するかと思われていたが、実際はAとKからメンバーが“選抜”されて歌を担当する事になった。「私は選抜に入ってなかったですからね。選抜が発表になった日、友達とご飯を食べてたんですけど、『どうしたの?元気ないね』って言われて。そしたら後から後から涙がこぼれてきて、止まらないんですよ。もう、その後の事は覚えてないんです。記憶が無くなっちゃうほど悔しい思いをした事なんて初めてでした」[2]
  • 2006年12月、3期生(チームB候補生)のオーディションが終了。しかしデビュー前にかなりの人数がAKBを去る事になり、チームBの立ち上げが難しくなる。そこでチームAから3名(最初は4名の予定だったが、今度はチームAからも卒業者が出たため減らされた)チームBへサポートメンバーとして異動する事になる。そのメンバーとは、浦野一美平嶋夏海渡辺志穂
浦野「3人に決まった時点で、役割を決めたんですよ。なっちゃんは、Bの子たちと歳が近いから、仲良くなって話を聞く役。私は嫌われても良いから叱る役。志穂ちゃんは二人の中間でフォローする、みたいな」[2]
  • 2007年4月8日、チームBが劇場公演デビュー。異動したチームBでは、年長者である事や、秋元康からもリーダー的役割や任されたため、教育係として活動。[3]「あの頃は…正直辛かったです。声も低くして、口調も強めにして…怒りたくもないのに怒って…。でもやっぱり、あの子たちは『挨拶が出来てない』とか『言葉遣いを知らない』『意識が低い』とか…。自分がいたチームAと比べて、気になる事が多かったですね」[2]
  • そしてある日、仲川遥香多田愛佳からすごい剣幕で「CinDyちょっと来て!」と呼ばれ、浦野のやる事に対して「納得がいかない」と言われてしまった。自ら嫌われ役を買って出て、自分なりに頑張ってきたつもりだったが、やはりメンバーの率直な気持ちを面と向かって聞かされると、泣いてしまったという。だがその内、チームBのメンバーにも認められるようになって、仲良くなったとか。[3]
  • 「公演が終わったら、『(浦野が)みんなうがい手洗いしてー!』って言って。ご飯食べるにしても、お菓子食べるにしても、すごいうるさいんですよ。なんか姑みたい。でも、それでみんな風邪ひかないから、ありがたい」[4]
  • 10月11日、チームB公演の最後に、プロダクション尾木への移籍を発表。[5]
  • 2008年8月、チームBのオリジナル公演もやっと開始され、軌道に乗りつつあったころ、名古屋にSKE48が誕生する事に。そこで秋元康は、浦野にSKE48への移籍を提案。冗談かと思って軽くOKしたら、秋元は本気だったらしく、本当に移籍が決まりかけた。[6]
  • 2009年7月、選抜総選挙で17位となり、初の選抜入りを果たした。そして公約通り「AKBを変える」と当選挨拶した。
  • 2009年8月、今度はAKBのお姉さん的グループSDN48が結成され、浦野は他の3人と共にAKBとSDNの兼任メンバーとなる。浦野は、これまでAKB48(チームA)、チームB、SKE48は見送られたが、SDN48と、3チーム(グループ)の立ち上げに関わっているという特殊な経歴を持っている。
  • 8月23日、『組閣祭り』にて、SDN48専属となる事が発表。つまりAKB48からは卒業する事に。結果的に総選挙での選抜入りが最後となり、選挙公約の「AKBを変える」ことは出来なくなった。
  • 2010年1月、『リクエストアワーセットリストベスト100 2010』で、『言い訳Maybe』が1位を獲得。2008年度1位の『桜の花びらたち』、2009年度1位の『初日』に続き3年連続1位楽曲のメンバーだった(2011年の『ヘビーローテーション』の選抜メンバーではないため、記録は3年で途絶えている)。
  • 2010年4月16日、B4th「アイドルの夜明け」公演千秋楽をもって、AKB48メンバーとしての活動を終了。以後は、SDN48メンバーとして活動を開始。

SDN48として

  • 2010年11月24日、SDN48の1stシングル『GAGAGA』でSDN48として初選抜。選抜メンバー決定の投票では、第5位。
  • 2011年10月15日、SDN48からの卒業を発表。
  • 10月18日、「沢山のコメント本当にありがとう。どの声も想いが詰まってて感激した。まさかこんなにもみんなが私を気にかけてくれるなんて…。本当、いつも心配かけてゴメン。なんか波瀾万丈な感じになっちゃってゴメン。先が見えないのはいつものことで、未来日記があるわけでもなぃぢゃん。だから怖くて不安になる。正直みんなからの声を聞くまでは私もすっごく不安だった。ケドみんなの声を聞いて、一人ぢゃないって思えた。みんなの不安も寂しさも悲しさも、それに応援の声も沢山書いてあって。そんな風に言葉にしてくれるみんなの気持ちが、嬉しくて切なくて。読みながら受け止めて、ずっと考えてた。どうしたらみんなが笑顔になってくれるかって。どうしたらいつもみたいに笑顔で会えるかって。やっぱり、多くの場所で活躍できる人になることが一番だと思う。私はまだまだこれからで、ここからが新しいスタート。ピンチはチャンスだから。みんながいてくれるって信じて。大丈夫! どこにいても私は私。とにかく今はできることを 全力で!! ステージに立ちます!! 大好きなみんなが笑顔になってくれるよぉに。本当にありがとう。君も私も一人ぢゃなぃょ」[7]

2012年

  • 3月10日、秋元康が渡り廊下走り隊7から脱退した平嶋夏海の代わりのメンバーとして、浦野を加入させることを発表した。「渡り廊下走り隊について。以前から、「渡り廊下走り隊は、今後、6人で活動するんでしょうか?」という質問をいただいていた。彼女が抜けたからと言って、すぐに誰かを新加入させるのは違うと思う。彼女がいてこその渡り廊下走り隊なのだ。僕は、ずっと6人でいいと考えていた。ところが、いろいろな事情で、やはり7人組にして欲しいと言う。渡り廊下走り隊7にしたいらしい。悩んだ。誰を新メンバーにするか? 決めた。まだ、プロダクションにもレコード会社にも言っていない。もちろん、渡り廊下走り隊のメンバーにも………。で、発表します。…………………渡り廊下走り隊7の新メンバーは…………………浦野一美。これなら、いいよね。異論は認める。でも、本気だよ。暫定的だけど。なんか、面白そうじゃないか。浦野、頑張れ!」「渡り廊下はいろいろな契約などで、7人組にして欲しいと言われました。でも、彼女が辞退してすぐに新しいメンバーを入れたくなかった。彼女と歩んだ渡り廊下の歴史があるからです。浦野ならその歴史も知っているので、適任と思ったのです。それに、ここで浦野の空気の読めない明るさが必要だと感じたからです」「渡り廊下はいろいろな契約などで、7人組にして欲しいと言われました。でも、彼女が辞退してすぐに新しいメンバーを入れたくなかった。彼女と歩んだ渡り廊下の歴史があるからです。浦野ならその歴史も知っているので、適任と思ったのです。それに、ここで浦野の空気の読めない明るさが必要だと感じたからです」[8][9][10][11]
  • 茅野しのぶ「SDN48の浦野一美からのコメントを、代わりに載せさせて頂きます。以下原文ままになります」
「CinDyこと浦野一美です! ググタスのアカウントが無くってしのぴーのアカウントから失礼します!!! 先程 沢山の関係者さんから連絡がありまして‥秋元先生のググタスを見て今に至っております‥私自身、渡り廊下走り隊の曲は大好きですし、特に完璧ぐーのね!をTeam Ogiのライブでやらせて頂いた時に、好きからもはや憧れに変わっていました。正直いきなりの発表に戸惑いはありますし、AKB48チームAからチームB、そして今SDN48‥4回目の移籍が、まさかの渡り廊下走り隊‥急ではありますが‥精一杯頑張らせて頂きます!!! やるからには私‥センター狙ってます!!!!!!!!!」[12]
  • 3月18日、よみうりランドでラストシングル『負け惜しみコングラチュレーション』の発売記念イベントを開催。「渡り廊下走り隊7」への加入がすることが発表されている浦野は、「走るからにはセンターを走りたい! まゆゆをおびやかす存在になっていけたら」と意欲を語った。SDN48は31日で卒業が決まっていることから、浦野さんは「アイドル寿命が延びました!」といたずらっぽく話した。同ユニットの最年長となる浦野は、現メンバーの最年長・仲川遥香から「私になんでも聞いてね」と言われたと“新入り”扱いされことを苦笑い。SDN48の野呂佳代からは「奇跡を起こしてほしい」などエールを送られると、浦野さんは「気持ちは最年少でいきたい!」と鼻息は荒かった。[13]
  • 3月23日、コンサート「業務連絡。頼むぞ、片山部長! in さいたまスーパーアリーナ」にて、 渡り廊下走り隊7の新曲『少年よ 嘘をつけ!』(発売未定)を既存メンバー6人と浦野の7人で初披露。「CinDy」コールが飛び交うなか、「新加入、ニューフェイスのCinDyこと浦野一美です」と自己紹介すると、メンバーは「暫定です!」とブーイングを浴びせた。小森美果は歯に衣着せず、「シンディーさんのあだ名考えました。“ザンディー”(暫定加入のシンディー)で」と言って笑いを誘った。渡辺麻友は「センター取られないかなって不安です」と漏らすと、「私、センター取っちゃいますか!?」と満面の笑みで渡辺を追いかけまわした。10代メンバーが大半の若さが売りのユニットに、20代半ばの初期メンバーがどう絡んでいくのか、ファンの間で大きな関心を集めそうだ。[14]
  • 3月27日、インタビュー。浦野にとってまさに青天のへきれきだった。今月10日午後11時38分。交流サイト「Google+」を通じて秋元康氏が「渡り廊下走り隊7」への移籍を発表した。浦野が知ったのは自室から風呂場へ向かっている時だった。事務所関係者から電話があり「見た?」と聞かれた。「サイトを見たら発表になってて…。パニック過ぎて“無理です~”って半泣きだった」。しかし、その2分後には腹を決めた。「SDNで大人の冷静さを培っていたから」。秋元氏に直接電話をすると「“頑張れ”と応援された。その瞬間から一気に楽しみに変わった」。もっとも、浮かれた様子はない。AKBグループの人気を支えてきた「開拓者」の自負がある。劇場公演の出演は現メンバー最多の820回以上。05年12月にAKB1期生としてデビューしてから、今回で4度目の移籍。つらくて、悩んで泣き続けた日もあった。それでも前を向いて努力を積み重ねた。今はそれが自信の源だ。「幸いなことに私には“廊下”がいっぱいある。アイドル、大人路線、バラエティー…。柔軟性で言ったら私はトップ。自分を見失うことはない。今の私ならできる」。タレント業と並行して、パティシエのおじの影響で興味を持ったスイーツ教室の開業へも動き始めている。ファンとの交流を増やそうと考案。1年間通ったケーキ教室を3月に卒業し、スイーツ検定も3級を取得した。「努力の上に運がある」と秋元氏は言うが、目標に向かって全力で走る姿にはその言葉がよく似合う。[15]
  • 3月31日、「さよならコンサート」をもってSDN48を卒業した。
  • 4月20日、インタビュー。―秋元Pが浦野さんの加入を発表した瞬間を振り返ってみます。浦野さんはいつ加入について知ったんですか。「午後11時38分、ベッドでゴロゴロしながら、そろそろお風呂に入ろうかなって時に、マネージャーさんから電話がきて、一言、「シンディー見た?」って。瞬間、「やばい、なんか流出したか!?」って泣きそうになりました」。一同「(爆笑)」。浦野「いや、心当たりとか一切ないんですけどね(笑)。ちなみに、渡り廊下走り隊って恋愛禁止だよね?(※SDNはOKだった)」。多田「もちろんです。スキャンダルには気をつけて下さいね」。浦野「大丈夫。女は恋愛すると老けるらしいし。年下のメンバーに若いエキスを貰いながら、今は仕事が恋人ですからっ!」[16]
  • 6月16日、男性スキャンダルが報じられた指原莉乃が、秋元康と共にラジオに出演。騒動の責任を取る形でHKT48への移籍が発表された。そして秋元はこの処分を、かつてAKBで行われた、チームAメンバーをチームB創設時に派遣した事と同じことと説明した。
  • 6月19日、「なんだか あの日以来もやもやしていて だけど 簡単に言葉にするのは 失礼だと思って...。やっと思っていることがまとまったので書いてみました...。さっき『火曜曲!』を見て、さっしーのANNの放送を見ました。あの日の放送で秋元先生は移籍に関して、私や他のメンバーの名前をだしてくれていましたが、今回の移籍は私が経験してきた移籍とは 違うって思います。というのも、土地も違うし 一人だし....スタッフさんだって 今まで一緒だった方々は少ないと思います。だから、きっと私の移籍の時よりずっとずっと辛くて、寂しくて不安だと思います.....。よくファンの方々から『声をかけてあげてください』『アドバイスを」等々、ありがたいことに 色々なコメントを頂く事が多いのですが、きっと 今の彼女は、皆が思って居る程弱くないし、ヘタレでもないと思います。そんな彼女に 声をかけるなんて、ましてや 私なんかがアドバイスなんて、おこがましいとさえ思ってしまいます。逆を言えば、そんな期待を込めて...彼女は私とは違う意味のしぶとさを持っていると 信じて.....。それから彼女を応援してくれている方々を信じて....。今は「指祭り」で48グループのユニットとして 良いパフォーマンスが出来るようにレッスンを頑張るし 当日 出演させてもらえること 共演出来ること 会えることを楽しみに 頑張ろうと思います。みんなと一緒に応援させてくださぃ」[17]
  • 6月28日、インタビュー。「みんなと同じチームだったこともあるし、AKBに入ってきた時、挨拶からなにからすべて私が教えていたんです。AKBを卒業してSDNに入りましたが、メンバーが家族のような存在であることに変わりはなかったので、すんなりと輪に入れました。ファンの方にも「違和感ない」「安定している」と言われています。また握手会に参加できるのが一番の楽しみです。渡り廊下で私がどんなポジションなのかという疑問はありますが、やっぱりまゆゆのセンターの座を狙うべきかなと。それに尽きると思います(笑)」[18]
  • 8月3日、Google+で多田愛佳とちんちん電車に乗ったと投稿。以後コメントでのファンとのやり取り。「おばあちゃんとか言ったやつ謝れやーーーーごるぁ!!!! さもなくば一生モテない呪いかけるかんなッッ!!!」「保護者とかみんなあやまれ」「こーなったら全員モテない呪いかけてやるーーー」「本当、女心わかってなぃわね」「紳士を育てる会でもやりたいな~」「紳士を育てる会開いたら、全員 私のタイプのmen'sに変身させるょ笑」「品の良いジョークを言えたり、空気読めたり、スマートにエスコートしてくれたり、抱きしめてほしーときに抱きしめてくれるよーなマンガみたいな人ーーーどこーーーーッッ笑」「あとねー器がおーきー人。多少のロリコンは許せるけと、過度のロリコンは無理だなぁ~てへぺろ笑」「なんかどーせーしてる友達の彼がお家で アロマキャンドルすると 怒るんだってそんなのやーーーだーーーどーなのょ」「私はお家でキャンドルして、ポップコーンとか食べながら借りてきたDVDとかを見てイチャイチャとするのが夢です笑」「だからキャンドルダメとか言われたらショックだょね(_) しかもその彼は 家に無駄な物置くなって言うんだって(_;)」「私だったら無理ね。もし 『ファンレターとか置くな』とか言われたらマジキレるな笑」「趣味押し付けんなよ笑」「アイドルDVDは好き同士で観るのがオススメね」「私、仕事に熱中したらメールも電話もあんまり返さないし、なんか了解って自己完結しちゃったりするから。お友達にそんなだから、多分無理ね笑」「付き合ったら忘れないよっても沢山付き合った人がいたら忘れちゃうんかも笑」「忙しい時って半端ないんだ。尋常ぢゃなぃんだわ。だから彼氏いらんな笑。アイドルと付き合う位なら、普通のかわぃぃ子と付き合ったほーが楽だし楽しいんぢゃないかなって思うと、やっぱ妄想が一番って思うよね笑 」「イケメソってさ、見たりちょっと話したりするのはいいんだけど、実際付き合いたいとか思えないゃな」「なんか、もんのすっごい寝不足で撮影。朝までとかの時、誰か抱きしめてくんないかなぁ~って思ったことあるけど、大体 それって一瞬の隙だから、次の瞬間座ったまま寝てたりするんだょな。んですぐ起こされて撮影したりさ。だからなに考えてたかわかんなくなっちゃうのね」「恋愛したらほぼ失職ってなんか凄いやね。恋愛して 死活問題になるのよ(_)」「海外はさ。オープンだったり、祝福してたり、逆にファンが増えたり、祝福ムード多くない? 風潮なの?」「だけど実際、お仕事楽しいし大好きなんだゃな(_) だから続けてるんだけどね笑。辞めたらみんなと会えなくなるしね(_)」「私は魔性な感じでいこーっと笑。魔性ってかっこいいぢゃん。その気にさせて付き合わないわっみたいなさ笑」「ずっと芸能の世界で生きていたいと思ってるょ。もーOLには戻れないかも」「ちんちん電車だけでこんなに釣られる男子ってかわぃぃよね←魔性発言(^^) さー沢山お話したねー楽しかったな」[19]

交友関係

  • 浦野と同じくサポートメンバーとして異動した平嶋夏海によると、「CinDyにちょっかい出されて出されて、もう全然ね。仲良くなかった。結構ね、嫌いなタイプ。CinDyちょっかい出すの好きじゃん? 私はちょっかい出されるの好きじゃなかったから、『CinDyもうやめて!』」とつい言ってしまったとか。それから平嶋は浦野を避けて、楽屋とかで過ごしてた。その後、二人ともチームBに異動し、平嶋から無視されるようになった浦野は、渡辺麻友とかを可愛がるようになったらしい。
  • 柏木由紀は、浦野から遊びの誘いを受けていたが、全て断っていた。理由は「CinDyディズニー好きじゃん…だから絶対一緒に行ったら連れ回される…っていう話をなっちゃん(平嶋夏海)から聞いたの!」。[20]
  • 現在では平嶋との仲は良い。浦野「AKBに入ってなかったら絶対出会わなかったし、こんなに仲良くなれなかったと思う…こんなに歳が離れてるのに…そんなこと考えたらなんだか不思議だけど、本当大好きな存在なんだょね☆」[21]平嶋「私も本当にその通りだと思う。うちらってAKBじゃなかったらこんな関係になれなかったよね、きっと。CinDyだいすきなんだよん」[22]

性格・趣味

  • 一人っ子。
  • 母親は看護師。[23]

参加曲

AKB48名義

SDN48名義

  • GAGAGA

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

外部リンク