宮脇咲良

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2014年5月17日 (土) 01:18時点におけるNo.name3 (トーク | 投稿記録)による版
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HKT48 チームKIV
AKB48 チームA
宮脇 咲良 みやわき さくら
2014年HKT48プロフィール 宮脇咲良.jpg
所属事務所

AKS

生年月日

1998年3月19日 (26歳)

出身地

鹿児島県

血液型

A型

身長

160cm

合格期

1期生

選抜回数

HKT48 3回
AKB48 3回

宮脇 咲良(みやわき さくら、1998年3月19日 - )は、HKT48チームKIVの副キャプテン、およびAKB48チームAのメンバー。鹿児島県出身。AKS所属。

略歴

2011年
2012年
  • 3月4日、チームHを結成。
  • 6月6日、第4回総選挙では、HKT48で唯一47位にランクイン。
2013年
2014年

人物

キャラクター

  • キャッチフレーズは、「あなたもあなたもみんなの心に(さくら咲けー!) 鹿児島から新幹線さくらに乗ってやってきました宮脇咲良13歳です」
( )内はメンバー・ファンの掛け合い部分。
  • 公式ニックネームは、「さくら」。他に「ばにたん」、「さーちゃん」、「さくちゃん」など。
  • HKT1期生で唯一の鹿児島県出身。
  • チャームポイントは、大きな耳。「人の話を聞いている人は、立ち耳になるらしんですが、私もそうありたいと思っています」[1]
  • 「自覚はないのですが、周りのみんなには“24時間アイドルだよね”って言われます」[1]
  • 佐藤「彼女は身長が小さく、身体の線も細いのですが、大きく踊ります。性格はしっかり者。常にみんなを引っ張っていってくれます。あと、梅干しが大好きで、いつも梅干しのお菓子を持っています。お弁当のご飯の上に乗っている梅干しは絶対残しません」[2]
  • Google+(グーグルプラス)では、非凡な文才も披露している。[3]「私、物語を考えるのが大好きなので」[4]ちなみに、1回の更新に1時間ぐらいかかっている。[1]
  • 将来の夢は、みんなを幸せにすることが出来る女優。「桜のように咲き誇れる女性になりたい」[5]天海祐希のような色々な役を演じられる女優になること。[1]

幼少期

  • 1998年3月19日誕生。弟がいる。
  • 小学生1年の頃に、劇団四季のミュージカル「マンマ・ミーア」を見て虜になり、ミュージカル教室に通う。
  • 小学校高学年の時に、劇団四季の「ライオンキング」のオーディションに合格。
  • 劇団四季の舞台裏に貼ってあった「慣れは去れ」という言葉を、現在も行動規範として守り続けている。「慣れると成長がないと思います。そのことを実践して成長していきたいです」[6]
  • 博多座で行われた小林幸子の劇に、子役として出演。[7]

2011年

  • 7月10日、HKT48第1期生オーディションに合格。歌唱審査で歌った曲は、DREAMS COME TRUEの『LOVE LOVE LOVE』[7]。オーディションを受けたキッカケは、「総選挙の映像を見ていて、迫力があり、AKBって本気のグループだなぁと感じたんです。女優という目標に近づくためにも、私も本気になれる場所で頑張ってみたいと思いました」[8]
  • 7月下旬、レッスンを開始。「オーディションに受かって、夏休みから毎日10時間ぐらい基礎レッスンをしていました。その後、セットリストと初日メンバーが発表されて公演のレッスンが始まりました。16曲もの歌とダンスを覚えることはほとんどの皆が始めてで、曲中の複雑な移動、上手下手の出はけ、MCなど色んなことが私達におおいかかってきました。それでも、皆でモチベーションを高めあって色んなことを注意しあいました。それくらいの時から反省会は始まりました」[9]
  • 10月23日、『フライングゲット』全国握手会@西武ドームで初お披露目。
  • 11月26日、1期生21名の中から選抜された16名の内の一人として劇場公演デビューした。後日の感想。「あの日はもうほとんど覚えていません。唯一覚えているのは「遠くにいても」で号泣したこと。鹿児島から出てきて、名前も知らなかった皆とただひたすらがむしゃらに歌って躍り続けた日々。そんな日々はまったく無駄じゃなかったんだな。って感じることが出来たんです。そして、順調に毎日公演をしていました」[9]
  • 12月4日、体調不良により一部出演となる。それ以後もたびたび体調不良を訴え、5日が一部出演、11・12日は休演となっている。「私は公演の中で、メンバー初の体調不良により公演を一部出演、休演をしました。悔しかった。迷惑を皆にかけてしまった。自分の体の弱さに苛立ちを感じていました。どうして、私だけ皆のように歌って踊れないの。どうして、私だけ皆より体が弱いの。そんなことを思っていました。だけど、私が体調も改善し劇場に行った時。皆が「咲良大丈夫だった?」「やっぱり咲良がいないとなー!」って声をかけてくれました。本当に嬉しかった。これからも皆と一緒に頑張りたいと思いました。その後、メディアなどの出演も増えてきて体調管理には一層力を入れるようになりました」[9]

2012年

  • 3月2日、NHK佐賀のドラマ『あのひとあの日』に、会川なずな役で出演。[7]
  • 3月4日、1期生21人の中から選抜された16人の内の1人として、「チームH」を結成。「チームHも結成し、沢山の涙を流しました。時には楽しい時もあり、時にはつらい時もあり、時には悲しい時もあり、時には怒る時もありました。家族のようにずっと一緒にいるメンバーだから、悪いところも良いところも全部ひっくるめて大好きなんです」[9]
  • 3月11日、「今日は3.11の日。一年前の今日、東日本大震災が起きました。私は一年前、中学二年生でした。あの日私は、鹿児島の海岸を27キロ歩く学校の行事に参加していました。海岸に流れる「地震が起きました。海岸から離れて下さい」というアナウンス。でも、私はその時「大丈夫だろう」と思って、海岸から離れませんでした。その後も海は荒れることなく、津波も来ませんでした。家に帰る時には地震のことなんて忘れていて、何気なく家のテレビをつけると。テレビに映る映像は目を疑うものばかり。戦争のように燃え続ける街。「逃げろ!」という声と簡単に流れていく車。「お母さん!」って叫びながら泣き続ける女の子。両親が亡くなったことがまだ理解できずにカメラに向かって笑い続ける小さな男の子。全て日本で起きていることだと思えませんでした。「テレビの画面をひとつ越えたらそんな光景が流れている」。信じられなかった。その日は寝れませんでした。というより、寝ることを忘れていました。ずっとテレビに釘付けだったんです。テレビを見ながら「生きていて。生きていて」と思い続けていました。気づいたら朝。涙でテーブルが濡れていました。見たこともない人なのに、なぜだろう。どうか生きていてほしい。そう思った一日でした。そして今日、2012年3.11。一年の間に私はHKT48に入って、周りの環境も変わりました。今日は東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト~をAKB48グループ全体で行いました。私もHKT48の一員として参加しました。公演が始まる前、急に不安になりました。こんな日に舞台に立っていいのかな。そう思ったんです。そんな思いのまま公演がはじまりました。そして、地震があった14:46。黙祷。たった一分の黙祷でしたが、一年前のことが一気に思い出されました。今日は誰かのために精一杯しよう。そう思っていつもと違う楽曲を精一杯しました。そして、最後。AKB48グループ全体で歌う『桜の花びらたち』。自分で歌いながら、本当に良い曲だなぁと思いました。そして、ファンの皆さんを見てみると泣いてる。泣いているんです。私達の歌を聞いて。その時思いました。ここに立っていていいんだ。私達の歌で感動を与えられるなら、たくさんの人にみていてほしい。震災を体験していない私がこんなことを語っていていいのかわかりません。長文を読んで下さってありがとうございました。一日も早い復興をお祈りします。~誰かのために人は生きてる~」[10]
  • 3月28日、「今日は被災地の宮城県名取市に、板野友美さん、渡辺麻友さん、横山由衣さん、竹内みうさん、中俣汐里さん、岩田華怜さん、以上の先輩方の皆さんと一緒に訪問させて頂きました。初め、被災地訪問に行くと知らされた時、少し不安がありました。3.11の震災復興支援特別公演で自分の出来ることを精一杯しようときめたのに、やっぱりいざ行くとなると私なんかが大丈夫かな...と。でも元気や勇気を届けにいくのに、不安そうな顔をしたら行く意味がない! 心に決めて被災地訪問に行きました。被災地に行くと、小さな子供達からご年配の方まで、たくさんの方が笑顔で待っていてくれました。本当に短い時間でしたが、見ていて下さった方は皆心から楽しんでいる表現をしていました。最後に握手会を開いた時「頑張ってね! 」「応援してます!」と応援の言葉をたくさん頂きました。私の思っているより被災地の皆さんは前を向いていました。だけど心の片隅に隠してはいるけど、消えることのない深い傷跡が日本人にはあると思います。私達は歌って踊って笑顔と勇気を届け、そのキズを出来るだけ癒し、一日も早い復興を目指すと決めました。誰かのためになるなら、ステージがある限り私は歌い躍り続けます。そして私達の握手会が終わりバスに乗り込もうとした時、「息子の為に1本でもいいのでお線香をあげてもらえますか?」。ある女性の方が声をかけて下さいました。女性の方から、本当に一生のお願いだからと必死に頼まれました。私達に少しでも出来ることがあるなら...と思い仮設住宅に向かうと、一番最初に思ったのは狭いということです。広さ的には大体独り暮らしの部屋ぐらい。その部屋には4人で生活していて、そんな不便なところに一年も住んでいる人が今もいるのです。お部屋の中には犬が1匹がいました。女性の方は大事そうに犬を抱き抱えて「唯一、家から持ってきた荷物なんです」と笑顔で言っていました。津波で家は流され、息子さんも流され亡くなられたと話して下さいました。息子さんは私と同い年で、AKB48さんの大ファンだったそうです。仏壇には息子さんの写真とAKB48の下敷きが置いてあり、私達は下敷きにサインをしました。サインを書きながらふと女性の方を見ると「亡くなってもこうやって親切にしてもらって幸せだね~」と写真に向かって笑いながら泣いていました。「ずーっとずーっとAKB、AKBってうるさくてねー下敷きとかグッズを集めてねー。まぁ、全部流されてしまったけどね!」。女性の方は、話しているときずーっと笑顔でした。話を聞いて私達が泣いていると励まして下さいました。本当は私達が元気を届けないといけないのに、逆に笑顔を貰ってしまいました。その後、津波の被害を受けた場所に行きました。本当に何もなかった。住宅街だったその場所は、あと影もなくただの原っぱにしか見えませんでした。原っぱの中心に小さな丘のようなところがあって、そこには震災の一日も早い復興を祈願する場所がありました。その丘から周りを見渡しても、空襲があったんじゃないかと思うぐらい何もなかったです。何も。私が被災地に行って学んだことは書ききれないぐらいたくさんあります。そして、気付いたことがあります。きっとガラスが飛び散っただけだと思いますが、土はきらきらしてました。津波によってたくさんの命を奪い、たくさんの人を悲しませましたが、海はきらきらしてました。心のどこかに深いキズがあるんだろうと思いますが、皆の笑顔、瞳はきらきらしてました。被災地はきらきらしてました。今被災地は復興に向かって、一歩一歩ゆっくりですが確実に進んでいます。明日からの一日一日を大切に一生懸命悔いのないように生きていきます。被災地の一日でも早い復興をお祈りします」[11]
  • 3月29日、秋元康「AKB48を作って本当によかったと思う。初めてのことばかりで迷走したり、闘ったり反省したり、奮起したり…いろいろあったが、どんなに苦しくてもAKB48をあきらめなくてよかった。「誰かのために」という歌を作った時、アイドルのくせにメッセージソングかよと馬鹿にされた。馬鹿にされてもいい。アイドルはアイドルなりにメッセージしよう。でも、AKB48の思いは少しずつちゃんと届いていたのだ。宮脇咲良たちの世代が歌い継いで欲しい。また、次の世代も。僕たちには僕たちのやり方で誰かのためになろう」[12]
  • 3月29日、「昨日の私の更新、秋元先生も読んで下さったようです...とても光栄です。そしてたくさんの方に、今の被災地のことをほんの少しでも知って頂くことが出来て本当に嬉しかったです。これからも期待に応えられるように、少しずつでも成長していきたいと思います。本当にありがとうございました」[13]
  • 5月、佐藤「歌もダンスも勉強も、すべてにおいて真面目に取り組んでいます。Google+でも文才を披露してくれています。おまけに、小さい頃舞台の仕事をしていたこともあり、演技力も抜群で、優等生を絵に描いたような感じです」[8]
  • 5月28日、兒玉遥松岡菜摘宮脇咲良インタビュー。―HKT48お披露目の舞台は、昨年の10月23日、西武ドームで開かれたAKB48の握手会でした。松岡「始まる前は、緊張がすごくて…。裏でみんなでジャンプしたりしてました。『Overture』を聞くと、今でもあの緊張感を思い出します」。宮脇「ずっと基礎のレッスンを頑張ってきたので『やっと皆さんの前に出られる』という気持ちと『いよいよHKTが始まるんだ』という気持ちで、ワクワクしてました」。
―翌月の26日には、HKT48劇場で公演がスタートしました。兒玉「ダンスや歌のスキルはまだまだ先輩方に及ばないけれど、最年少グループらしく、一生懸命さは伝えられたと思います」。―12月には、東京ドームシティホールで、AKB紅白対抗歌合戦がありました。HKT48も、何度か出番がありましたね。兒玉「私は、『スカート、ひらり』を披露したんですけど、立ち位置の表をもらったのが当日で(笑)」。―えっ、そうだったんですか? 兒玉「はい。本番はやり切ったんですけど、ちょっと不安な表情とかしてしまったりして、『まだまだだな』と思ったので、とっさに言われても対応できるようになりたいです」。―大みそかには、本物の紅白にも出ました。宮脇「単純にうれしかったのと、いつも家族で見ていた番組に出演できたのは、やっぱり先輩方が頑張ってきてくださったおかげなので、感謝したいです」。松岡「本当に不思議な感じで…。こんな大事な場所に、私たちが立っちゃっていいのかなって思ったりもしました」。
―3月4日には16人が選抜され、チームHが始動しました。松岡「うれしさもあったけど、不安もあって…。チームに選ばれたからには、年齢が若いからって甘えていられない。もっとプロ意識を持たなきゃいけないと思いました。(チームHの選に漏れた)研究生のみんなは練習量もすごくて、みんなの頑張りを見てると、私も頑張らなきゃ、と思えます」。
―その1週間後、東日本大震災から1年たった3月11日は、劇場で特別公演を行いました。これまでに、兒玉さんは宮城県塩釜市へ、宮脇さんは同県名取市へ、松岡さんは岩手県釜石市へ訪問しましたね。兒玉「被災地は本当に何もなくなっていて…私が行ったときは雪で真っ白でした」。宮脇「ニュースで被災地の状況をそれほど聞かなくなっていたので、『だいぶ元通りなのかな』と思っていたんですけど、行ってみたらまだまだで…。でも、被災地の人たちはみんな本当に笑顔で迎えてくださって、逆に『頑張ってね』と言ってもらいました」。松岡「4月だったんですけど、まだすごく寒くて。でも、ハイタッチで触れたみなさんの手が、本当に温かかった。あのぬくもりは、一生忘れません」
―今月13日には、AKB48グループが行ってきた全公演を、披露する「見逃した君たちへ2」に参加し、「手をつなぎながら」を披露。素晴らしい出来だったそうですが。兒玉「リハーサルで、舞台監督の方に『30%の出来だね。本番はこんなもんじゃないよね』と脅されて(笑)。悔しくて、本番では全力で歌いきって、踊りきりました。でも、MCがヘタクソだなって…(苦笑)。せっかくいいパフォーマンスができても、MCで盛り下がってしまうので、そこが課題です」
―ざっくり振り返っただけでも盛りだくさん。全力で駆け抜けた約半年だったようですが…。つらかったことはありますか? 松岡「解散危機があって…」。―…それは初耳です。松岡「レッスンが始まって1カ月ぐらいたった時だったんですけど、公演曲の歌詞をみんなが覚えていなくて…。マネジャーさんが怒って『解散します』って」。―そんなことがあったんですか。松岡「そのとき『すごく嫌だ』と思ったんです。いつのまにか、HKTが生活の一部というか、本当に大事な居場所になってたんだなって気付くことができました」。―なるほど。でも、それは確かにつらかったでしょうね。松岡「マネジャーさんとか、スタッフさんも本当に帰っちゃって…」。―えっ、帰った? 松岡「ハイ。みんなで泣きながら、裸足で追い掛けました」。兒玉「でもね、うちはね、(解散は)絶対しないと思ってたけどね。そんなことにならないって思ってた」。一同「えー!!」。松岡「明日からどうしようと思ってたのに…」。
―さ、最後に…。6月6日は初めての「総選挙」です。意気込みなど聞かせていただけますか? 兒玉「初めてのことなので、入学式に行くみたいなドキドキ感があります。とにかく、お祭りなので楽しみたいです」。宮脇「初めてで、どう頑張るとか言えないんですけど、毎日の公演をとにかく全力で頑張ってその日を迎えたいです」。松岡「とりあえず楽しんで、今よりもたくさんの人にアピールできたらいいなと思います」[3]
  • 6月6日、第4回総選挙では47位にランクイン。壇上では「投票して下さったみなさん、応援して下さったみなさん本当にありがとうございました。私はHKT48として、劇場公演や握手会などで活動していることが本当に本当に楽しいです。これからも昨日より今日、今日より明日と日々向上心を持って支えてくれた人たちに恩返しをしながら、頑張って行きたいと思っていますので応援よろしくお願いします。ありがとうございました!」とスピーチした。
  • 終了後のGoogle+。「私は総選挙初参加ということで、まさかランクインすることが出来るとは本当に思っていませんでした。総選挙の時名前を呼ばれた時、頭が真っ白になってどうやって舞台まで歩いて行ったか覚えていないくらいです。それくらい本当にびっくりしました。舞台上で話している時も夢の中で私が話しているような変な感じがしました。こんな素敵な順位でこんな素敵なステージに立てていることが本当に嬉しく思い、本当にたくさんの方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。今日は先輩方と一緒にお仕事をすることでたくさんの事を学ぶことが出来ました。この学んだことをこれからの活動に生かしていきたいと思います。でも、選ばれたからといって今まで出来ていたこと、当たり前のことがおろそかにならないように日々成長していきたいです!!(慣れは去れですから...)。皆さん本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします! 早く公演に出て、大好きな歌やダンスをして、皆さんに元気を伝えたいです♪」[14]
  • 6月10日、福岡のテレビ番組『今日感テレビ日曜版』に、先日の総選挙でHKT48から唯一当選した宮脇が出演。宮脇は「4日が経つけれど、まだ実感がわかない」と当日の様子を振り返った。6月6日、司会の徳光和夫から名前が読み上げられると、涙ながらにステージに上がった宮脇は「これからも、昨日より今日、今日より明日と日々向上心を持って、支えてくれた人たちに恩返しをしながら頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします」とコメント。47位と発表されてからは、「頭が真っ白になって、何が起きているのか分からなくなった」という宮脇は、コメントも何も考えおらずその時の思いをそのまま話したのだ。「HKT48」と発表された瞬間、会場にいたHKT48メンバーは全員が驚き、感激したようだった。この日スタジオで共演した本村も、「HKTの中から一人でも入ってもらいたかったので、すごく嬉しかった」と話す。もちろん「次は私も入れるように頑張ります」と自身の活力にもなったのだ。47位となった宮脇はネクストガールズとなったことで、“JOY SOUND”のCMや“FRIDAY”のソログラビアへの出演というチャンスを手にした。そのことについては「劇場公演に出ることが少なくなるのは寂しいが、HKTの名前がもっと知られるように頑張りたい」と意欲を見せた。AKB関連グループでも、未だにCDデビューもしていないHKT48は、やはり知名度が低い。宮脇咲良をきっかけに全国区になることで、シングルデビューの日も近づくかもしれない。そうなると次の選抜総選挙ではHKT48のさらなる躍進が期待できそうだ。[15]
  • 6月15日、先日一部マスコミでスキャンダルを報じられたAKB48指原莉乃が、総合プロデューサー秋元康と共にラジオ『AKB48のオールナイトニッポン』に出演。涙ながらに謝罪したものの、誤解される非が指原にあったとして、HKT48への移籍を命じた。
翌日のGoogle+。「おはようございます\(^^)/ AKB48の指原さんがHKT48に移籍するみたいです。今の気持ちは、ただただびっくり。これからどうなるんだろう...」[16]「AKB48の指原莉乃さんがHKT48に移籍すること。色んな考えや思いがあると思います。しかもまだ、何も決まっていません。最初聞いた時は、驚きでした。「.....っえええ?!」ってなりました。夢を見てるんじゃないのかなぁ...って思いました。朝、メンバーと会ってその話題で持ちきりになって。「どういうことなんだろー」「指原さんが入ってきたらどうなるの?」 皆、混乱して不安な気持ちばかりが募っていきました。でも、MCとか色んな事が刺激になります。この頃、HKTはマンネリが出てきたような気がしていたんです。だから指原さんが入ってきたことによって、私達も指原さんも沢山の事を刺激しあって成長出来る。まだ始動していないのに、否定から入ったら何も可能性がなくなります。正直私もまだ頭がついていっていません。だけど、それ以上に指原さんは不安だと思います。私達は21人だけど、指原さんは1人。私がネクストガールズのお仕事があった時、指原さんがとても気さくに話しかけてくれたあの日。私ははじめてだったし、グループの中で一人だったんです。そしたら指原さんが優しく「さくらちゃん、ちょっと話そーよ!」って言って話しかけてくれて、フルーツを頂きました。その優しさが本当に嬉しかったんです。だから今度は、私が指原さんを温かく迎えたいと思います。そして、HKT48を一緒に盛り上げたいと思います。秋元先生のぐぐたすを見ました。グループ最強のHKT48になるためにこれからも前向きに頑張ります」[17]
  • 6月26日、指原が電撃移籍したことでにわかに脚光を浴びるているHKT48。昨年秋に活動を開始したばかりの、博多を中心に活躍する若いグループだ。まだまだ全国的には人気も知名度もこれからのHKTだが、6月6日に行なわれた総選挙で、ただひとり47位にランクインしたメンバーがいる。それが宮脇咲良だ。HKTで注目を浴びるメンバーとしては、センターを努め、AKBのシングルの選抜経験もある兒玉遥、週刊誌での初ソログラビアが話題になった菅本裕子、さらには今回の速報で62位にランクインした研究生の江藤彩也香などがいるが、宮脇は彼女たちを上回った結果を残した。体はまだまだ小さい宮脇だが、ステージでのパフォーマンスはひときわ大きく、存在感も抜群。彼女がセンターで踊るユニット曲『ウィンブルドンへ連れて行って』は史上最強との声もあり、「これを見るために博多に来た」と語るファンもいるほど。そして握手会での人気はトップクラス。しっかりと誠実に受け答えする姿はファンを飽きさせない。だが、何よりも彼女を有名にしたのは、今年3月、メンバーと一緒に東日本大震災の被災地訪問をした日にGoogle+に書いた文章。その悲しみを伝えながらも、未来への希望にあふれた内容は多くの人の心を打ち、総合プロデューサーの秋元康氏も「泣いた」とコメントしたほどだ。ほかにも地元・鹿児島の名所をガイドのように紹介したり、童話を書いたり、その文才は驚くばかり。まだ中学生であり、成長していくさまが楽しみなメンバーだ。宮脇をはじめとして、まだまだ原石ばかりのHKTだが、今後に注目したい。[18]
  • 7月3日、明後日の指原のHKTデビューを控え。「仲良しこよしなだけでは、HKT48は全国的に有名なアイドルグループにはなれません。今の一期生だけでは、HKT48は成り立たない。これから二期生、三期生と後輩達も沢山入ってくるし、さっしーさんだってくる。変化を恐れず、立ち向かえばいい。それが良い結果だろうが、悪い結果だろうが私達にとってはプラスになります。7/5、また新しいHKT48が誕生します。これからもよろしくお願いします!」[9]
  • 7月5日、指原が劇場デビュー。またチームHにも加入し、17人体制という新たな形でスタートした。「Team Hはこれから指原莉乃さんを迎え、17人体制で活動していきます! 今日の公演は、一曲ごとにメンバーの一人が抜けて、その抜けた場所にさっしーさんが入るという方法でしました! でも、これからの公演もこうやってするのかはまだ決まっていません。とりあえず、7/5はそういう方法で行いました! 劇場に着くまでのバスの中でメンバーと「緊張するね」「ちゃんとお話できるかな」と話していました。でも、さっしーさんがとてもフレンドリーに話しかけて下さって本当に嬉しかったです。リハーサルの時、メイクや髪を気にせず真剣にリハを受ける姿をみて「本気で頑張るつもりなんだな」と、改めてさっしーさんの強い決意を感じることが出来ました。さっしーさんは休憩時間に沢山のことを教えて下さいました! MCのことや今日の公演のこと。本当に学ぶことばかりでした。今日の公演は、初日公演の時と同じくらいメディアの方もAKBのスタッフの方もたくさん来ていました! さっしーさんが来たことで、HKT48の知名度ってぐんって上がりましたよね。それぐらい、やっぱりさっしーさんってすごい方なんですよね。でも、これはチャンスです。「HKT48全体への」でもあるし、「自分自身への」でもあるし。メディアの方やAKBのスタッフの方に公演を見てもらえることってとっても貴重なことなんです。だから、メンバー皆気合いが入っていました。しかも、秋元先生も公演を見に来て下さいました。11/26の初日公演以来でした! 今日の公演を見て、「シングル書こうかな...」とか「オリジナル公演も...」って少しだけでも思ってくれるように皆で力を合わせて歌って躍りました! 公演中では、「マンゴーNo.2」のペアダンスや「ロープの友情」でペアになったり、後半組のMCで一緒になったり、さっしーさんと沢山の接点がありました! リハ中に会うたびに「あ、さくらたんだ!サシハラスメントしたい!」って言ってきて下さいました笑っ この間、皆さんも言っていたように、今日はHKT48第2章の始まりです。これからも私達は私達らしく何事にも一生懸命全力で向き合っていきたいと思います!」[19]
  • 8月18日、メンバー5人が辞退を発表しグループから脱退した。「皆さんが、私達HKT48メンバーの事を本当に、大切に大切に思っていてくれていたこと。皆さんのコメントを読んでいて、とっても胸が熱くなりました。オーディションで合格した日から、ずっと一緒にレッスンして、汗や涙を流してきたメンバー。時には、仲間として。時には、ライバルとして。競いあい、励まし合い、刺激しあった色んな思い出があります。家族以上の時間を共にしてきたメンバー。それぞれ違う道、違う夢に向かって進んでも、空は続いているし、同じ時間が流れています。これからを応援しています。これからは、17人でHKT48。この先にある、たくさんの壁を17人で力を合わせて乗り越えていきます。これからがHKT48にとって本当の力の見せどころです」[20]
  • 8月20日、「昨日の公演とイベント。本当に本当に楽しかったです!! 皆さんが「頑張れ!」って言って下さって、私達はたくさんの人に支えられてるなぁ...と改めて感じました。公演中、「手をつなぎながら」や「遠くにいても」で泣きそうになりました。でも、私達は元気や笑顔を皆さんに届けたい。だから、ステージ上では泣きませんでした。公演後に、皆で大泣きしました。そして、決心しました。「私達には、後ろを振り返る時間はない。前だけを見つめていよう」。昨日、新しいスタートをHKT48は切りました。これからも日々向上心をもって17人で切磋琢磨し、成長していきたいと思います」[21]
  • 8月24日、コンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日。サプライズでAKB48が3年ぶりの再・組閣。HKTにはAKBの多田愛佳が移籍することが発表された。「サプライズでチーム組閣があって、今頭の中が整理出来ず、ぐちゃぐちゃなんです。HKT48には、らぶたんこと多田愛佳さんが移籍することになりました。高みなさんが「深く考えてもしょうがない。目の前の事だけ見ていよう」って言っていました。今は目の前の事だけ見ています」[22]
  • 9月18日、第3回じゃんけん大会でAKBの新曲「UZA」を初披露。HKTから指原と共に、16人の選抜メンバーに選ばれたことが発表された。「今日のじゃんけん大会の前に、新曲28thシングルの披露がありました! 私宮脇咲良は、28thシングル選抜メンバーに選んでいただきました。選抜メンバーに選んでいただいた事をスタッフさんから聞いた時、「今回のシングルは、ダンスのレベルがかなり高い。秋元先生が、これぐらいのレベルは踊ってほしいと言っていたので、精一杯頑張って。」と言われました。選抜メンバーに選んでいただいたからには、恥のないように一生懸命頑張ろうと決心しました。「私が、28th選抜メンバーです。」と胸を張って言えるように、日々の生活から、公演、お仕事まで、礼儀正しく、皆さんの期待に応えられる人になれるよう、真剣に取り組みたいと思います。これからも応援よろしくお願いします!」[23]

交友関係

  • 仲の良い他のグループのメンバーは、「AKB48さんの小嶋菜月さんです! いつも会ったらお話してくださって凄く嬉しいんです。あと、AKB48の柏木由紀さん渡辺麻友さんは、お会いしたら手を振ってくれます」[24]SKE48さんで特に仲良しなのは木本花音ちゃん。かわいいのはもちろんですけど、私と同い年なのにしっかりしてるんです。やっとアドレスを交換できたので、メールもしているんですよ。」[25]
  • 尊敬するメンバーは、AKB48柏木由紀渡辺麻友SKE48松井玲奈[24]
  • SKE48松井玲奈が会長を務める「メロンパン同盟」に加入。[26]「メロンパン同盟に入ることが出来ました(^^) あんなと一緒にメロンパンを持っていったら『メロンパン同盟に入ってほしい~!』って言ってもらえました」[27]
  • HKT48の推しメンは、穴井千尋[28]
  • 48グループの推しメンは、島崎遥香[28]

性格・趣味

  • 趣味は、ミュージカル鑑賞。[29]
  • 特技は、ダンス。[29]
  • 運動音痴。「50m走10秒台なんです。野球、サッカー、テニス、全て空振りします。逆上がり出来ません。なぜかバドミントンは出来ます♪」[30]
  • 部活は、帰宅部。[31]
  • 苦手なものは、幽霊。お化け。[32]「真っ暗だと眠れません」[33]
  • ミステリー小説が好き。「大好きだけど、たまに怖くて眠れなくなります」[33]
  • 好きな食べ物は、梅。「カリカリ梅から干し梅、ねり梅も全部大好きです! でも名前は『さくら』ですが(笑)」[32]
  • やってみたいユニット曲は、「いっぱいありますねー...可愛い曲なら「狼とプライド」や「ハート型ウイルス」、「パジャマドライブ」、「キャンディー」、「わがままコレクション」。カッコいい曲やセクシーな曲なら「黒い天使」や「口移しのチョコレート」、「抱きしめられたら」「禁じられた二人」「奇跡は間に合わない」...あー止まらないです!とにかくたくさんのユニットに挑戦してみたいです!」[34]
  • 好きな男性のタイプは、「家族を大切にする思いやりのある人。顔の好みは、特にないです」[32]
  • 父親は(2012年5月現在)36歳。[35]
  • 認知されるには。「私も出来るだけ沢山の方を覚えようとしていますが、お手紙をいただいたり、たくさん公演に来て下さっていたり、握手会に来てくださる方は覚えやすいです!!」[34]
  • クマのぬいぐるみが大好きで常に持ち歩いている。現在確認されているぬいぐるみは9体(ブラウニー、ラビー、チョコチップ、チェリー、モンブラン、ベビー、ホワイトブラウニー、ココア、ティラミス)。[36][37]
  • 年齢が離れている弟がいる。[38]

参加曲

シングルCD選抜曲

HKT48

  • スキ!スキ!スキップ!
    • お願いヴァレンティヌ
    • 片思いの唐揚げ - あまくち姫名義(センター)
    • 制服のバンビ
  • メロンジュース
    • そこで何を考えるか?
    • 希望の海流 - あまくち姫名義(センター)
    • 波音のオルゴール
  • 桜、みんなで食べた
    • 君はどうして?
    • 昔の彼氏のお兄ちゃんと付き合うということ - Team KIV名義(朝長美桜とのWセンター)

AKB48

アルバムCD選抜曲

  • 1830m」に収録
    • いつか見た海の底 - Up-and-coming girls名義
    • 青空よ 寂しくないか? - AKB48+SKE48+NMB48+HKT48名義

劇場公演ユニット曲

チームH 1st「手をつなぎながら」公演

  • ウィンブルドンへ連れて行って

チームH 2nd「博多レジェンド」公演

  • ガラスのI LOVE YOU
  • 制服のバンビ

出演番組

Wikipediaを参照。

脚注・出典

  1. ^ a b c d 『まるっとAKB48 スペシャル3 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48』
  2. ^ http://ameblo.jp/hkt48/entry-11059118012.html
  3. ^ a b http://www.nishinippon.co.jp/nlp/item/304692
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外部リンク