「宮澤佐江」の版間の差分

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=== 2006年 ===
;2006年
*2月、AKB48追加メンバー(2期生)[[オーディション]]に合格。
*2月、AKB48追加メンバー(2期生)[[オーディション]]に合格。
*4月1日、新たに結成された[[チームK]]のメンバーとして劇場デビュー。
*4月1日、新たに結成された[[チームK]]のメンバーとして劇場デビュー。


=== 2009年 ===
;2009年
*7月8日、[[第1回総選挙]]では14位。
*7月8日、[[第1回総選挙]]では14位。


=== 2010年 ===
;2010年
*6月9日、[[第2回総選挙]]では9位となり、メディア選抜入り。
*6月9日、[[第2回総選挙]]では9位となり、メディア選抜入り。


=== 2011年 ===
;2011年
*2月27日、派生ユニット「[[DiVA]]」を結成。
*2月27日、派生ユニット「[[DiVA]]」を結成。
*6月9日、[[第3回総選挙]]では11位となり、メディア選抜入り。
*6月9日、[[第3回総選挙]]では11位となり、メディア選抜入り。


===2012年===
;2012年
*8月24日、SNH48への移籍が発表。
*8月24日、SNH48への移籍が発表。
*11月1日、SNH48に移籍
*11月1日、SNH48に移籍


===2013年===
;2013年
*4月28日、大島チームKとの兼任が発表。
*4月28日、大島チームKとの兼任が発表。
*6月24日、大島チームKとの兼任解除。
*6月24日、大島チームKとの兼任解除。
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=== キャラクター ===
=== キャラクター ===
*AKB中心メンバーの一人であり、2[[期生]]から選抜されるようになってからは、全曲で選抜メンバーに選ばれている([[じゃんけん選抜]]を除く)。
*AKB中心メンバーの一人であり、2期生から選抜されるようになってからは、全曲で選抜メンバーに選ばれている([[じゃんけん選抜]]を除く)。
*キャッチフレーズは、「キャッチフレーズはゲンキング!! {{年数|1990|08|13}}歳の宮澤佐江です」。
*キャッチフレーズは、「キャッチフレーズはゲンキング!! {{年数|1990|08|13}}歳の宮澤佐江です」。
<!--//「チームKの元気のみなもと」-->
<!--//「チームKの元気のみなもと」-->
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==== 2006年 ====
==== 2006年 ====
*2月26日、秋葉原(AKB)48の第2期メンバーオーディションの最終審査に合格。芸能界を目指したキッカケは、「最初はただただドラマに出たい! って思ったからですね」<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>ちなみに歌唱審査で歌った曲は、柴咲コウの『glitter』<ref name="N20926">『AKBINGO!』 2012/09/26</ref>
*2月26日、秋葉原(AKB)48の第2期メンバーオーディションの最終審査に合格。芸能界を目指したキッカケは、「最初はただただドラマに出たい! って思ったからですね」<ref name="vb2010">『AKB48 VISUAL BOOK 2010』</ref>ちなみに歌唱審査で歌った曲は、柴咲コウの『glitter』<ref name="N20926">『AKBINGO!』 2012/09/26</ref>
*オーディションの最後に、[[秋元康]]と夏まゆみが気になった子として、2人を前に呼んだ。それが宮澤と[[秋元才加]]。この2人が2[[期生]]の代表となった。[[戸賀崎]]の印象は、「2人とも凛々しかったんです。1期生にはない感じで。宮澤は男の子そのものでしたね(笑)。思えば([[チームK]]の)チームカラーは、2人が呼ばれた時にもう決まっていたのかも知れません」。実は、宮澤は危なくオーディションで落ちるところだった。「宮澤は僕が一度書類で落としているんですよ。鼻が変だとか言って。でも落とした子の中から再チェックをするんですけど、その時に『あれ、なんで落としたんだろう?』って思い直して。危なかったですね」<ref name="fsmap">FLASH SPECAIL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*オーディションの最後に、[[秋元康]]と夏まゆみが気になった子として、2人を前に呼んだ。それが宮澤と[[秋元才加]]。この2人が2期生の代表となった。[[戸賀崎]]の印象は、「2人とも凛々しかったんです。1期生にはない感じで。宮澤は男の子そのものでしたね(笑)。思えば([[チームK]]の)チームカラーは、2人が呼ばれた時にもう決まっていたのかも知れません」。実は、宮澤は危なくオーディションで落ちるところだった。「宮澤は僕が一度書類で落としているんですよ。鼻が変だとか言って。でも落とした子の中から再チェックをするんですけど、その時に『あれ、なんで落としたんだろう?』って思い直して。危なかったですね」<ref name="fsmap">FLASH SPECAIL 2011年5月1日増刊号『まるっとAKB48スペシャル』</ref>
*3月、2期生はデビューするためにレッスンを開始。「ダンス経験者が多かったから大変でした。練習するスタジオは壁が鏡張りで、一番前のポジションが一番目立つし、先生の動きも自分の姿もよく見えるんですよ。そこのポジションには、いつも優子と梅ちゃんがいましたね。特に梅ちゃんはダンスが上手くて。私は、元々前に出る性格じゃなかったんで、後ろの列が定位置。前の人に被って、自分の姿も見えない様な場所で連取をしていたんです。そうしたらある日、スタッフさんに『宮澤は踊れるんだから前に行け』って言われて。鏡の前は競争だったから、ちょっとドキドキしながらも『前に出なくちゃ』って思ったのを覚えてますね」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
*3月、2期生はデビューするためにレッスンを開始。「ダンス経験者が多かったから大変でした。練習するスタジオは壁が鏡張りで、一番前のポジションが一番目立つし、先生の動きも自分の姿もよく見えるんですよ。そこのポジションには、いつも優子と梅ちゃんがいましたね。特に梅ちゃんはダンスが上手くて。私は、元々前に出る性格じゃなかったんで、後ろの列が定位置。前の人に被って、自分の姿も見えない様な場所で連取をしていたんです。そうしたらある日、スタッフさんに『宮澤は踊れるんだから前に行け』って言われて。鏡の前は競争だったから、ちょっとドキドキしながらも『前に出なくちゃ』って思ったのを覚えてますね」<ref name="AKB48history">『AKB48ヒストリー』</ref>
*4月、2期生はKチーム([[チームK]])としてデビュー。初日は満員となる。「けどそれは、すべてチームAのファンの方々。チームAさんと一緒に、AKBを大きくしようと応援してくださっていた方々…。その方たちにとっては、AKBとはチームAさんだけだったという気持ちも、今では分かります。でも当時は、目の前で『全然ダメだな』とか『チームAが可愛そう』『もう来ないから』などと言われるのは、私たちにとって相当キツかった。(注:当時はヤジが禁止されていなかった。むしろスタッフサイドから、チームKを鍛えるために推奨されていたくらいだという)。年下の子たちは、公演の挨拶が終わると、楽屋で泣いていました。それでも公演に来てくださっているうちは良かったんです。3日を過ぎた頃からは、目に見えて空席が目立つようになりました。このままでは、チームKはAKBのファンから本当に見放されてしまう…。あの頃は、毎晩メンバーで集まって、どうしたらお客さんを増やせるか話し合った記憶があります。そんな一方で、超マイペースな子たちもいるわけです。真剣に話し合っている脇で、レッスン用の歌詞カードにイタズラ書きをしながら渡ってたり…。さすがに私もイラッとしました。でも知り合って1ヶ月の浅い仲。頭ごなしに怒るわけにはいかないし、我慢しなくちゃ、なんて考えていた頃です。『何やってんだ! 大事な紙に落書きなんかするんじゃねえ! やる気あんのかっ!?』。才加が頭ごなしに怒ったんですよ。何の遠慮もなく、感情丸出しで! 怒鳴られた子はわんわん泣き出しちゃって、もう話し合いどころじゃない。やってくれましたよ、才加は。何だ、この体育会系丸出しの不器用な女は!? って思いました。コイツとんでもなく、私と…気があいそうじゃんって(笑)。“雨降って地固まる”と言いますけど、まさにそれ。才加があそこでキレたおかげで、ホワンとしていた子たちにも気合いが入り、私や他のメンバーも、言いたいことを言うようになりました。チームKは“体育会系”と言われてますが、今思えば、あれがきっかけですね。うちらが男勝りなのは才加のせい(笑)」<ref>『小説宝石』2011年5月号</ref>
*4月、2期生はKチーム([[チームK]])としてデビュー。初日は満員となる。「けどそれは、すべてチームAのファンの方々。チームAさんと一緒に、AKBを大きくしようと応援してくださっていた方々…。その方たちにとっては、AKBとはチームAさんだけだったという気持ちも、今では分かります。でも当時は、目の前で『全然ダメだな』とか『チームAが可愛そう』『もう来ないから』などと言われるのは、私たちにとって相当キツかった。(注:当時はヤジが禁止されていなかった。むしろスタッフサイドから、チームKを鍛えるために推奨されていたくらいだという)。年下の子たちは、公演の挨拶が終わると、楽屋で泣いていました。それでも公演に来てくださっているうちは良かったんです。3日を過ぎた頃からは、目に見えて空席が目立つようになりました。このままでは、チームKはAKBのファンから本当に見放されてしまう…。あの頃は、毎晩メンバーで集まって、どうしたらお客さんを増やせるか話し合った記憶があります。そんな一方で、超マイペースな子たちもいるわけです。真剣に話し合っている脇で、レッスン用の歌詞カードにイタズラ書きをしながら渡ってたり…。さすがに私もイラッとしました。でも知り合って1ヶ月の浅い仲。頭ごなしに怒るわけにはいかないし、我慢しなくちゃ、なんて考えていた頃です。『何やってんだ! 大事な紙に落書きなんかするんじゃねえ! やる気あんのかっ!?』。才加が頭ごなしに怒ったんですよ。何の遠慮もなく、感情丸出しで! 怒鳴られた子はわんわん泣き出しちゃって、もう話し合いどころじゃない。やってくれましたよ、才加は。何だ、この体育会系丸出しの不器用な女は!? って思いました。コイツとんでもなく、私と…気があいそうじゃんって(笑)。“雨降って地固まる”と言いますけど、まさにそれ。才加があそこでキレたおかげで、ホワンとしていた子たちにも気合いが入り、私や他のメンバーも、言いたいことを言うようになりました。チームKは“体育会系”と言われてますが、今思えば、あれがきっかけですね。うちらが男勝りなのは才加のせい(笑)」<ref>『小説宝石』2011年5月号</ref>
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