「峯岸みなみ」の版間の差分

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====2006年 ====
====2006年 ====
*4月、1期生は[[チームA]]を結成し、[[A2nd「会いたかった」]]公演を開始。しかし、峯岸はユニット曲『渚のCHERRY』で、[[前田敦子]]のバックダンサーをさせられる。この様に、最初は下積み時代を経験している。[[戸賀崎]]は「そこで培った雑草魂があるのを知っているから、MCなど要所で彼女に任せられるんですよね」とコメント。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
*4月、1期生は[[チームA]]を結成し、[[チームA 2nd Stage「会いたかった」]]公演を開始。しかし、峯岸はユニット曲『渚のCHERRY』で、[[前田敦子]]のバックダンサーをさせられる。この様に、最初は下積み時代を経験している。[[戸賀崎]]は「そこで培った雑草魂があるのを知っているから、MCなど要所で彼女に任せられるんですよね」とコメント。<ref name="gb">『AKB48総選挙公式ガイドブック』</ref>
*8月20日、[[A3rd「誰かのために」]]初日。「それまでの私は、他のメンバーのバックダンサーをやったり、マイクを持てずに後列で踊っていたりと、前に出させてもらえる機会がありませんでした。ファンの方からもよく同情されていたんです。『もっと良いポジション貰えるといいのにね』って。それが、3rd公演では私がセンターに立てる曲も頂けたし、のちにシングルカットされた曲『[[制服が邪魔をする]]』でも前列になった。ファンの方々はきっと喜んでくれたんじゃないかと、私はファンの方からの手紙を無邪気に心待ちにしていました。しかし、頂いた手紙の多くは、『なんで峯岸がセンターにいるんだ?』『もっと可愛い子を目立たせてほしい』『がっかりしました』の様な、私が目立った事への批判だったのです。もちろん、温かな祝福の声もありましたが、自分よりはるかに大人である方々からの痛烈な言葉は、切れ味の鋭いナイフのように、13歳だった私の心を一瞬にしてズタズタにしました…。ステージに立つのが怖くなりました。また傷つけられるんじゃないか、誰かをがっかりさせるんじゃないか。開演時間が近づく度に足が震え、泣いていました。もう辞めたい…。その頃は、毎日そう思っていたんです。ある日、AKBの劇場へ行く時間になっても、どうしても行く勇気が持てなくて、私は一人、家でウジウジしていました。すると近所に住んでいる祖母がやってきて、突然私に言ったんです。『ファンの人に嫌なことを言われたら、おばあちゃんが劇場に乗り込んであげるから。安心して行きなさい』って。普段は物静かな祖母とは思えぬ、きつい口調でした。今の私があるのは、祖母に2度も助けてもらったお陰です。今だって、私の事を好意的に見てくれる人、見てくれない人、どちらもいます。でも、そのどちらにも笑顔でパフォーマンスを見て貰う勇気を身に付けることが出来ました」<ref name="wa101119">『週刊朝日』 2010年11月19日号</ref>
*8月20日、[[チームA 3rd Stage「誰かのために」]]初日。「それまでの私は、他のメンバーのバックダンサーをやったり、マイクを持てずに後列で踊っていたりと、前に出させてもらえる機会がありませんでした。ファンの方からもよく同情されていたんです。『もっと良いポジション貰えるといいのにね』って。それが、3rd公演では私がセンターに立てる曲も頂けたし、のちにシングルカットされた曲『[[制服が邪魔をする]]』でも前列になった。ファンの方々はきっと喜んでくれたんじゃないかと、私はファンの方からの手紙を無邪気に心待ちにしていました。しかし、頂いた手紙の多くは、『なんで峯岸がセンターにいるんだ?』『もっと可愛い子を目立たせてほしい』『がっかりしました』の様な、私が目立った事への批判だったのです。もちろん、温かな祝福の声もありましたが、自分よりはるかに大人である方々からの痛烈な言葉は、切れ味の鋭いナイフのように、13歳だった私の心を一瞬にしてズタズタにしました…。ステージに立つのが怖くなりました。また傷つけられるんじゃないか、誰かをがっかりさせるんじゃないか。開演時間が近づく度に足が震え、泣いていました。もう辞めたい…。その頃は、毎日そう思っていたんです。ある日、AKBの劇場へ行く時間になっても、どうしても行く勇気が持てなくて、私は一人、家でウジウジしていました。すると近所に住んでいる祖母がやってきて、突然私に言ったんです。『ファンの人に嫌なことを言われたら、おばあちゃんが劇場に乗り込んであげるから。安心して行きなさい』って。普段は物静かな祖母とは思えぬ、きつい口調でした。今の私があるのは、祖母に2度も助けてもらったお陰です。今だって、私の事を好意的に見てくれる人、見てくれない人、どちらもいます。でも、そのどちらにも笑顔でパフォーマンスを見て貰う勇気を身に付けることが出来ました」<ref name="wa101119">『週刊朝日』 2010年11月19日号</ref>


====2007年 ====
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