「仲川遥香」の版間の差分

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=== AKB48加入前 ===
=== AKB48加入前 ===
*1992年2月10日、5人姉妹の次女として生まれる(姉・本人・妹・弟・妹)。「お姉ちゃんが赤ちゃんの時すごく可愛かったから、生まれた私を見てパパが『ブサイク過ぎてうちの子じゃない』って言ったらしいです(笑)」<ref name="asu20090121">文化放送「明日までもうちょっと。」2009年1月21日放送分より。</ref><ref name="akb+10-20081001">エンタ!371「AKB48+10」2008年10月1日放送分より。</ref><ref>「週刊AKB」Vol.7 DVD特典「みなみ高橋のすべる話」より。</ref>
*1992年2月10日、5人姉妹の次女として生まれる(姉 - 2019年5月4日、28歳で死去<ref>[https://twitter.com/Haruka_NKGW10/status/1127184820516220928 仲川遥香 投稿]  - ツイッター 2019年5月11日</ref>・本人・妹・弟・妹)。「お姉ちゃんが赤ちゃんの時すごく可愛かったから、生まれた私を見てパパが『ブサイク過ぎてうちの子じゃない』って言ったらしいです(笑)」<ref name="asu20090121">文化放送「明日までもうちょっと。」2009年1月21日放送分より。</ref><ref name="akb+10-20081001">エンタ!371「AKB48+10」2008年10月1日放送分より。</ref><ref>「週刊AKB」Vol.7 DVD特典「みなみ高橋のすべる話」より。</ref>
*父親については本人は明かしていないが、別冊宝島「AKB48推し!」によると「仲川遥香はプロレスラー[[wikipedia:GOEMON (プロレスラー)|GOEMON]](本名:中川浩二)の娘である」という記述がある。その噂の言い分は「父親はプロレスラー」「仲川の本名は“中”川」という二つからだという。そこから「GOEMONこと、中川浩二が父親である」という結論に至った模様。「AKB48推し!」ではGOEMON本人が登場。「はるご…なんだそれ?」「え? はるごんの父親なんじゃないかって? だからはるごんって誰なんだよ! それをまず教えてくれ!」とコメントしている。
*父親については本人は明かしていないが、別冊宝島「AKB48推し!」によると「仲川遥香はプロレスラー[[wikipedia:GOEMON (プロレスラー)|GOEMON]](本名:中川浩二)の娘である」という記述がある。その噂の言い分は「父親はプロレスラー」「仲川の本名は“中”川」という二つからだという。そこから「GOEMONこと、中川浩二が父親である」という結論に至った模様。「AKB48推し!」ではGOEMON本人が登場。「はるご…なんだそれ?」「え? はるごんの父親なんじゃないかって? だからはるごんって誰なんだよ! それをまず教えてくれ!」とコメントしている。
:2011年7月27日放送の日本テレビ系「[[AKBINGO!]]」の企画コーナー「コトバーガー」では、「プロレス」という問題に、仲川が「パパ」と回答。その意味を聞くと「(パパが)元プロレスラーなんです」とコメント。さらに佐田正樹(バッドボーイズ)が「なんていうレスラーの名前?」と質問すると、「さぁ、それは秘密でーす」。結局のところ誰が父親なのかはやはり不明だが、元プロレスラーであるという事だけは確からしい。
:2011年7月27日放送の日本テレビ系「[[AKBINGO!]]」の企画コーナー「コトバーガー」では、「プロレス」という問題に、仲川が「パパ」と回答。その意味を聞くと「(パパが)元プロレスラーなんです」とコメント。さらに佐田正樹(バッドボーイズ)が「なんていうレスラーの名前?」と質問すると、「さぁ、それは秘密でーす」。結局のところ誰が父親なのかはやはり不明だが、元プロレスラーであるという事だけは確からしい。
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* <del>[http://jkt48.com/member/detail/id/59?lang=jp JKT48公式プロフィール]</del>
* <del>[http://jkt48.com/member/detail/id/59?lang=jp JKT48公式プロフィール]</del>
* <del>[http://www.akb48.co.jp/about/members/detail.php?name=nakagawa_haruka AKB48公式プロフィール]</del>
* <del>[http://www.akb48.co.jp/about/members/detail.php?name=nakagawa_haruka AKB48公式プロフィール]</del>
* [http://www.ogipro.com/talent/nakagawa/index.html プロダクション尾木公式プロフィール]
* <del>[http://www.ogipro.com/talent/nakagawa/index.html プロダクション尾木公式プロフィール]<del>
* [http://akb48teamogi.jp/pf-nakagawaharuka AKB48 TeamOgi公式サイト]
* <del>[http://akb48teamogi.jp/pf-nakagawaharuka AKB48 TeamOgi公式サイト]<del>
* [http://blog2.akb48teamogi.jp/nakagawaharuka/ 仲川遥香オフィシャルブログ](2013年7月8日 - )
* <del>[http://blog2.akb48teamogi.jp/nakagawaharuka/ 仲川遥香オフィシャルブログ](2013年7月8日 - )<del>
* [http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/category_4/ 渡り廊下走り隊のオフィシャルブログ](2009年1月29日 - 2013年4月3日)
* <del>[http://blog.oricon.co.jp/watarirouka/category_4/ 渡り廊下走り隊のオフィシャルブログ](2009年1月29日 - 2013年4月3日)<del>
* [https://plus.google.com/102249965218267255722 Google+アカウント]
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* [https://twitter.com/Haruka_NKGW10 ツイッターアカウント]
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2019年5月12日 (日) 09:42時点における版

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特に、JKT48での活動、交友関係について、加筆して頂ける方を求めています。
JKT48
AKB48
仲川 遥香 なかがわ はるか
2016年JKT48プロフィール 仲川遥香.jpg
公式ニックネーム

はるか

所属事務所

Dentsu Indonesia

生年月日

1992年2月10日 (32歳)

出身地

東京都

血液型

O型

身長

160cm

スリーサイズ

B80 W59 H84[1]

合格期

AKB48 3期生

選抜回数

JKT48 15回
AKB48 2回

仲川 遥香(なかがわ はるか、1992年2月10日 - )は、JKT48およびAKB48の元メンバー。現在はインドネシアでタレントとして活動。東京都出身。Dentsu Indonesia所属。

略歴

2006年
  • 12月、AKB48追加メンバー(3期生)オーディションに合格。
2007年
  • 4月8日、チームBの一員として劇場デビュー。
2009年
2010年
  • 6月9日、AKB48の第2回総選挙において20位となり、初の選抜入り。
  • 7月27日、チームAのメンバーとして活動を開始。
  • 8月18日、17thシングル『ヘビーローテーション』でシングル表題曲選抜メンバーに初めて選ばれる。
2011年
  • 6月9日、AKB48の第3回総選挙において24位となり、アンダーガールズ入り。
2012年
  • 11月1日、JKT48へ移籍。
2014年
2015年
  • 5月2日、JKT48 10thシングル選抜総選挙では2位。
  • 6月13日、『JKT48 LIVE in CONCERT「JKT48色んな味がするよ、どの味が一番お好き?」』において、チームTへの異動とともにキャプテン就任が発表[2]
  • 8月1日、チームTのメンバーとして活動を開始。
2016年

人物

キャラクター

  • (AKB48在籍時の)キャッチフレーズは、「こんばんわ! はるごんです」[6]「こんにちは! はるごんこと、仲川遥香です」[7]
  • 公式ニックネームは、「はるか」[8]。AKB48在籍初期から「はるごん」を使用していたが、2012年6月よりファンの投票で一時「はるさん」へ変更(後述)。短期間で現在の「はるか」へ変更している。また、仲谷明香からは「ごん」と呼ばれている。
  • 天真爛漫な性格で、裏表がない。元気キャラ。昔は人見知りだったが、最近は積極的に絡む様になった[7]
  • ハスキーなボイスが特徴だが[7]、東京ニュース通信社「AKB48 VISUAL BOOK」では、まだ大人の階段を登り切らないという子供キャラとされ、メンバーが選ぶチームAの“子ども王”に選ばれる。「あっちゃんが私を大人にしたいって言ってましたけど、大人になれますかね?」。また、お菓子大好きの一面もある[9]
  • AKB48のメンバーでは、前田敦子板野友美高橋みなみ柏木由紀河西智美米沢瑠美らと同学年。所属していた「渡り廊下走り隊」では、仲川が一番の年上[注釈 1]であるが、「最年長の末っ子」とも呼ばれていた[7]
  • 高橋みなみ「子供の王様。いたずら大好きの甘えん坊。でも、最近、ぐっと大人っぽくなってきました。今まではレッスンでも、『無理無理~』なんて弱音を吐いていたのが、自分から『そろそろやろうよ~』なんて言ってくれたりして、5人姉妹だから人付き合いがとっても上手。素直で可愛いから、麻里子様も放っておきません(笑)。[10]
  • 岩佐美咲によると、7期生が一番下だった時、弁当を取るのは最後で無くなってしまう場合もあったが(表向きはAKB48は早い者勝ちと言われているが、普通後輩は先輩に遠慮する)、仲川がいる時は必ず「メンバーみんな待って。研究生、先にお弁当取って~」と言ってくれた。菊地あやかは「はるごんは、研究生に超優しいんですよ」と語る[11]
  • チャームポイントは、目[12]。手。「クリームパンだから。笑」[13]
  • コンプレックスは、「むちむちな体!笑、声」[14]
  • 自分の嫌いなパーツは肩。「肩幅広すぎる!」[13]
  • 劇場支配人評。

「『渡り廊下走り隊』では最年長の末っ子と呼ばれるほど、いつも元気いっぱい、無邪気なおてんば娘です。裏表のない性格が好かれ、メンバーのマスコット的な存在になってます。人間的にもだいぶ成長……したのかな?(笑)」(2010年:戸賀崎智信[7]
「『渡り廊下走り隊』のメンバーとしてテレビやCMに出演する機会も増え、その活動が成長につながっていると思います。いつも元気で無邪気な彼女も19歳(当時)になりましたが、やっと高校生ぐらいに見えるようになったかな(笑)」(2011年:戸賀崎)[1]
「『いつも元気で無邪気なコ』から、確実に成長している。『渡り廊下走り隊7』では年齢にかかわらず”末っ子”キャラだったのに、最近自覚が出てきたかな。いつの間にか少しずつ、リーダー肌を開花させ始めているのに驚きます」(2012年:戸賀崎)[6]
「JKT48の中心メンバーとして大活躍中。インドネシアを代表する企業のCMにもメインで起用されています」(2014年)[15]

  • 将来の夢は、女優、舞台女優[16]
  • 目標とする人は、「歌えて演技もできる上戸彩さん。綺麗だし、すべてがいいよね!」[17]

AKB48加入前

  • 1992年2月10日、5人姉妹の次女として生まれる(姉 - 2019年5月4日、28歳で死去[18]・本人・妹・弟・妹)。「お姉ちゃんが赤ちゃんの時すごく可愛かったから、生まれた私を見てパパが『ブサイク過ぎてうちの子じゃない』って言ったらしいです(笑)」[19][20][21]
  • 父親については本人は明かしていないが、別冊宝島「AKB48推し!」によると「仲川遥香はプロレスラーGOEMON(本名:中川浩二)の娘である」という記述がある。その噂の言い分は「父親はプロレスラー」「仲川の本名は“中”川」という二つからだという。そこから「GOEMONこと、中川浩二が父親である」という結論に至った模様。「AKB48推し!」ではGOEMON本人が登場。「はるご…なんだそれ?」「え? はるごんの父親なんじゃないかって? だからはるごんって誰なんだよ! それをまず教えてくれ!」とコメントしている。
2011年7月27日放送の日本テレビ系「AKBINGO!」の企画コーナー「コトバーガー」では、「プロレス」という問題に、仲川が「パパ」と回答。その意味を聞くと「(パパが)元プロレスラーなんです」とコメント。さらに佐田正樹(バッドボーイズ)が「なんていうレスラーの名前?」と質問すると、「さぁ、それは秘密でーす」。結局のところ誰が父親なのかはやはり不明だが、元プロレスラーであるという事だけは確からしい。
ただし、この説を巡っては真偽は定かではない。ネットメディア「リアルライブ」では、

仲川は1992年生まれ、また中川浩二は1968年生まれで、この噂が本当なら、中川が23歳の時の子となり、年齢的には不自然ではない。しかしこの頃と言えば、FMWに入門したばかりで、当時のFMWは“鬼軍曹”と呼ばれていたターザン後藤が道場を仕切っており、練習生は合宿所への住み込みをしいられ、朝から晩まで練習、先輩の雑用に走り回っていた頃。中川はまだデビュー前で、とてもではないが次女まで子供が居たというのは難しい話。それでは、仲川の父親は誰なのか? 関係者によると、仲川の父親は周囲に「著名なインディー・プロレス団体の元練習生」を自称しているという。練習生ということは、デビューに至らず辞めており、「元プロレスラー」との表現は適切ではない。仲川は父親のことを非公開としているが、デビューしていない以上、プロレスファンでさえ知らないわけで、公開する意味もない。おそらく、このまま実名は出さずに、あやふやなままで押し通すのではなかろうか。[22]

と、仲川が中川浩二の娘であるという説に異論を唱えている。
  • 「遥香」という名前の由来は、「か彼方までる女になって欲しい」という両親の願望から名付けられた。「でも、実はその年の流行の名前が“はるか”だっただけみたいです(笑)。お姉ちゃんの名前も、その年の一番人気だし」
  • 子供の頃は大人しい性格だった。「自分で言うのもなんだけれど、学生時代はわりと静かな子で、先輩や目上の人に好かれていた」[17]
  • 幼稚園時代、目立ちたがりになり、お遊戯会では主役を狙うも、ブタ役になってしまう。「その時撮ったビデオを見ると、演技中なのに落ち着きが無くてフラフラしてて。今とあんまり変わってないんですよ」[要出典]
  • 小学4年生から6年生まで野球。地区大会で優勝経験あり。[要出典]
  • 中学校ではバレーボールに熱中する。「運動神経は良い方だったんです、かなりハマって。恋よりも部活でした」[要出典]
  • 「週刊朝日」(2011年4月1日号)のインタビューより。

AKBには一人っ子が多いんですけど、私はナント5人兄弟なんですよ。今どき珍しくないですか? 上から姉、私、妹、弟、妹。しかも末っ子を除いてみんな年子! 末の妹も弟と2歳しか違いません。お母さん、がんばりました。でもね、子供の頃は嫌だったんです。『なんでウチはこんなにゴチャゴチャ人がいるんだ~」って思ってた。一番嫌だったのは、洋服の着回し。自分だけのタンスなんかなくて、みんないっしょくた。タンスに入ってるものから着られる服を着ていいよ、みたいな。だから、『今日はあのシャツを着て学校に行こう』なんて思っても先に妹が着ていたり、お気に入りのワンピースをゲットしたら、お姉ちゃんから怒られたり。毎朝が取り合いのケンカでした。その頃の夢は、自分の服を持つことと、もう一つは自分の部屋を持つことでした。
私がAKBに入ったタイミングと親の転勤が重なって、バラバラになったんですけど、それまでは両親と祖母も入れて8人家族だったんです。でも大きな家ではなかったから、子供部屋は一つだけ。弟は祖母と一緒だったけど、あとの4人は7畳一間に入れられて(笑)。2段ベッドはよくありますけど、ウチは3段ベッド!それプラス布団が一人。さらに、勉強机は一つだけ…。春になると、教科書を入れるスペースを巡っての大ゲンカです。自分の部屋を持ってる友達がうらやましかったな~。まだあります!
友達とお祭りに行くじゃないですか。でも、私だけ妹連れなんですよ。親から『連れていけ』とか言われて。恥ずかしいですよ? 私だけって。しかも一番下の妹を連れて行った時なんか、5歳下だから歩くのが遅い。これじゃ待ち合わせの時間に間に合わないから、途中で『ついて来るな!』って怒るんです。すると『うん』と言って帰っていく。でもその5分後にはいつの間にかまた、私の後ろを『遥香お姉ちゃん、待ってよ~』なんて、泣きながら追っかけてくるんですよ。それを繰り返してたら、ホントに一人で帰っちゃった。結局、心配になった私もあわてて家に引き返すという。そんなことばかりでしたね。

ところが、あれほど邪魔だった妹や弟たちが、今ではかわいくて仕方がない…。上の妹は足が速くて、一緒にマラソンするのが楽しみだし、高校生になった弟がご飯をモリモリ食べてるとこっちまでうれしくなっちゃうし、下の妹は『将来は親を亡くした子供たちを支える職業に就きたい』って言ってます。私があんなにヒドイことをしたのに、優しい子に育ちました。奇跡です(笑)。最近は、よく一緒に遊びますよ。そして反対に、私がよく泣かされたお姉ちゃんは、今では私の大切なボディーガード。夜遅くになると、自転車で駅まで迎えにきてくれます。柔道をやっていたので、頼もしいんです!血が繋がっているからかな。今はきょうだいが集まった時が一番落ち着くんですよ。たくさんいてよかったなって思えるようになりました。不思議です…。今の夢は、いっぱいお仕事をして、すごく大きな家を建てること。いつか兄弟それぞれが結婚したら、その家族と両親と祖母と、40人くらいで住んじゃう。仲川家48みたいな(笑)。そんなことができたら、楽しいだろうなあ…。

AKB48として

2006年

  • 12月、AKB48追加メンバー(3期生)オーディションに合格。元々は、アイドルになんかなりたくないって思っていた。AKB48のオーディションを受けたきっかけは、「お父さんが勝手に応募しちゃって、本当はオーディションなんか行かないって思っていたんだけど……。でもほかに応募している方たちにそういう気持ちは失礼だなって思って」。オーディションに合格し、AKB48として活動する様になってからは、気持ちを入れ替えてアイドルを研究している[17]

2008年

平嶋「私は、はるごんと菊地と聞いたから。今日ちょっとこの後、秋元さんとお話がありますって。それから尾木プロ移籍を言われて、『ホントですか』みたいな。信じられなかった。麻友たちは?」
渡辺「(多田と)普通に仕事して終わって、呼ばれて。秋元さんとか偉い人がいっぱいいて、『あぁなんかヤバい』ってなって、どうしようって2人でおびえてて。で、なんか『最近どう?』みたいな世間話をずっとしてて、夜も遅いし帰ろうかってなった時に、『じゃあ2人、尾木プロ移籍するから』って。最後の最後に言われて、『えー?』ってなってやっぱビックリしたけど。まぁでも嬉しかったよね。仲良いみんなと一緒に事務所に移籍できると思ってなかったから嬉しかった」[24]
  • 10月、AKB48およびプロダクション尾木を解雇された菊地を除く4人で「渡り廊下走り隊」を結成し、活動を開始。

2009年

  • 1月28日、渡り廊下走り隊の1stシングル『初恋ダッシュ/青い未来』でCDデビュー。仲川は、AKB48のシングルでは選抜されたことがなかった為、この曲がデビュー曲となる。
  • 8月23日、「AKB104選抜メンバー組閣祭り」において、チームAに異動することが発表(組閣#2009年参照)。

2010年

当選スピーチでは「去年入れなくて悔しくて。私はそのとき、もうAKBにいられないんじゃないかってくらい悔しくて、みんなが入っていく姿を見るのがすごい悲しくて」と昨年の悔しさを涙ながらに語り、続けて「みなさんがいなかったら私はこの順位になれなかったと思うし、みなさんの1票1票のおかげでこの 20位という順位をいただくことができました」とファン向けて感謝の気持ちを述べた[25]
仲川がラジオを聴いていなかったので(ちなみに電話を受けたメンバーの9割方は聴いていないとのこと)
梅田彩佳「ラジオ聴きなよ」
仲川「ラジオつけ方分かんない」
秋元才加「えっ?」
仲川「ラジオなんか聴くのないよ」
梅田は苦笑、秋元は「いや。あのね。インターネットでも聴けるしね[注釈 2]。あのね、その発言ダメ」と注意された。
翌14日の自身のブログでは「ANNさんごめんなさい」というタイトルで投稿。
「夜中(生電話のコーナーは深夜2時過ぎ)と言うことで、あんまりなに言ったか覚えていなくて、朝起きて聞いたら『ラジオ聴かない。。。』。もーいつも家族のみんなにテープにとってもらってんのに。オールナイトニッポンの皆さん本当にごめんなさい。もっとラジオで喋れるようになりたいので、これからもよろしくお願いいたします。ファンのみなさんにも誤解招いてしまってすみません」と、昨日の発言について謝罪した[26]
  • 9月18日、仲川が初主演となった映画「×ゲーム(バツゲーム)」(福田陽平監督)の舞台挨拶(東京・シネマート新宿)に共演した菊地あやかとともに出席。共演者の鶴見辰吾は「この映画は見終わると自分がSなのか、Mなのかよくわかる」とリトマス試験紙のような映画であることを説明。仲川は「スケジュールはタイトでしたが、結構楽しく撮影させていただきました」とケロリ。荒木宏文(D-BOYS)らほかのキャスト陣が、スケジュールの厳しさに音を上げそうになったのとは対照的で、ドMな素顔を披露。と思いきや、「監督が現場で見せてくれた一発芸がきつかった」。「もしこの映画がヒットしなければ、バツゲームでモノマネ大会をしたい。全体責任なので、全員参加。わたしはそれを見物します」などと発言し、ドSキャラに変身。二つの顔を使い分け、周囲を翻弄した[27]
  • 9月21日、19thシングルの選抜メンバーを決める第1回じゃんけん大会では第4位となり、選抜入り。
  • 9月23日、テレビ東京系「週刊AKB」のチーム対抗球技大会の収録にて負傷。ブログで診断の結果「人差し指は靭帯が切れてしまっていて、中指は中指の筋肉を痛めており、完全に治るまで3週間かかる」と診断されたことを明かす[28]
  • 10月1日、アトリエ・ダンカンプロデュースの音楽劇「ACT泉鏡花」に、秋元才加浦野一美片山陽加佐藤亜美菜とともに出演(同月24日まで)[29]。この舞台に出演していたアトリエ・ダンカン所属の女優木の実ナナとの交流の機会が生まれ、親交が続くこととなる(後述)。

2011年

  • 2月、一人暮しを始める。
一人暮しの実態をメンバーが暴露している。エアコンを使わない(扇風機も無い)。冷蔵庫・電子レンジが無い(買ってきた物はすぐ食べる。飲み物は水道水)。掃除機が無い(拭き掃除)。8月の電気代は、わずか1300円だったとか。多田愛佳は「1回だけ泊まりに行ったんですけど、2回目はもう無いですね。暑くて寝られなかったんですよ!」[30]
「速報が22位だったので、選抜と圏外どっちに転ぶのかなって。もちろん選抜には入りたかったけど、去年と比べてそんなに変わった活動をした訳じゃないのに、2倍ぐらいの人が投票してくれて嬉しかったです。24位っていうのも、150人中なら凄い事ですよね。もちろん悔しいって気持ちはあるけど、24位に誇りを持ってます! 今回は順位は下がっちゃったけど、落ち込んでいる暇は無いんです。来年はビックリするぐらい上にいってやるぞって気持ちです」。―次回選抜入りしたらどんな事をしたい? 「選抜メンバーみんなで富士山に登りましょう! みんなで登って絆を作りたいんです! 力を合わせて、AKBがもっと前に進めるように頑張ろうって、それをドキュメンタリー風のPVにしてもらえたら良いですね」[31]
  • 9月1日、東京・池袋のPARCO劇場で上演されたリーディングドラマ「もしもキミが。」に、峯岸みなみ、多田愛佳、菊地あやかとともに出演(同月9日まで、キャスト交代制)[32]
  • 10月17日、横浜・相鉄本多劇場で上演されえた舞台「幸福レコード」に、松原夏海とともに出演(同月25日まで)[33]

2012年

  • 1月28日、平嶋夏海が、AKB48および渡り廊下走り隊としての活動を辞退することを発表。
Google+「今日は長いようで、とても早い1日でした。こんなにたくさんの事があったのは初めて。。。楽屋の人数が減って。声をかけてくれる人がいなくなって。三周年みんなで迎えられなくて。なっちゃんの分まで頑張らないと。ワロタ団結しないと。正直最年長だしまとめないと。とか。いろいろ不安だらけです。それだけなっちゃんに頼っていたのかな? 次は私がみんなに頼って貰えるようにしっかりしないとです。はるごんは負けません。前を向いて頑張ります! だからこれからも渡り廊下走り隊のファンでいてください! 応援よろしくお願いします!!」[34]
  • 2月10日、20歳の誕生日を迎え、秋元康はGoogle+で仲川に対しメッセージを送った。
「仲川、誕生日おめでとう。もう二十歳なんだから、自分のことを“はるごん”と言うのはやめた方がいいんじゃないか? せっかくの美形なんだから、大人の女性を目指しなさい。今年は、女優業ができるように頑張りましょう」[35]
しかしファンからは、「いつまでも変わらない"はるごん"でいて欲しい」という声も多く挙がったことを受けて、
秋元Google+「久しぶりに語りますか。二十歳になった仲川に、「いつまでも変わらない“はるごん”でいて欲しい」という声も多いので。僕も仲川の天真爛漫さ、純粋さ、屈託のなさは好きです。変わらないでいて欲しい部分でもあります。でも、もう二十歳です。変わることで生まれる可能性を知って欲しい。この20年間、生きてきた意味を感じて欲しい。
例えば、どこに革の鞄があるとする。買ったばかりのピカピカに磨かれた鞄もいいが、歳を重ねるごとに、傷がついたり、コーヒーをこぼしてしまったり、革が手垢で黒光りして来た、自分だけの鞄は素敵だ。歳を取るということは、まっさらだった自分に、自分だけの歴史が刻まれるということだ。20年の傷や汚れや変色を、個性と言うのだよ。仲川、“はるごん”という言葉で封印するな。変わることを恐れるな。二十歳の誕生日に、勇気を贈ります。別に、“はるごん”でもいいんだよ、気持ちの問題ね」[36]と投稿。
この言葉を受け取った仲川はGoogle+に投稿。
「みなさん。たくさんのコメントありがとう♪本当に嬉しいです!そして秋元先生ありがとうございます。私も二十歳です。女性として素敵な人になりたい!もう子供ではつうよう(通用)しない。大人としての自覚を持ってやらないといけないと思ってます。今まで、はるごんってあだ名に甘えていた気がします。もぅどうしていいか分からなくなったときもあります。一歩踏み出せばいいのに踏み出せないんです。一歩踏み出すのが怖いです。でも踏み出さなかったらいつまでも変わらないままなんです。二十歳という年を素敵な年にするためには一歩踏み出す!そしてそのふみだす勇気を持って行きたいと思います。
たくさんの方に支えて頂く事が多いかも知れません。みなさんの手を少し借りるかも知れません。私の夢である女優に少しでも近づけるように。たくさんのことを学んで成長できたらいいなとおもいます!これからもよろしくお願いいたします。秋元先生が下さった言葉を忘れずに頑張ります」[37][38]
  • 2月24日、「AKB48のオールナイトニッポン」の「ラジオユニット・リクエストアワーベスト5」という企画で、仲川と小林香菜の2人が、録音かつ短時間ではあるがANNに出演した。この2人は、(この時点で)まだ1度も番組には呼ばれていない。
仲川「私達はANNが始まって2年、生放送には出てないですが、今回も生放送じゃありません。まぁしょうがないよね」
小林「AKBの中では、よくおバカとか言われる2人だけど、けっこう出来るよね?」
仲川「出来るよ!」
小林「(呼ばれない理由が)私、思い当たる節があって。生電話の時に…ちょっと事故をしてしまったかなって思ったんですけど…」
仲川「あ、待って。私も思い当たることがあるんですけど。生電話でちょっと言ってしまったかな、っていうのはある」
小林「生電話コンビなんですよね。生電話の時は、私まだ20歳なってなかった。でもね、もう2年経ったら、言って良いことと悪いことの区別はつくので…大丈夫だと」
仲川「もう二十歳だし。もうそろそろ大人の人たち、私たちを出してくれと。出させてくれと! 出させてくれと!と思ってるんですけど! 頼む出してくれ~。私、夜中まで起きてるんで。Google+で実況してるんですよ、オールナイトニッポンについて!」
スタジオで聞いていた秋元康は「この2人が、なぜ自分に声が掛からないか、分かってるところが凄いよな。やっぱり大人たちが、『あの2人の生放送はやめましょう』っていう事らしいよ。それを本人たちが気付いてるところが偉い。だから生放送はまだ危ないから、信頼がないから。だから録音で、はじめ1分。翌週、2分。で、毎週ちょっとずつ増やしていこうよ。そしたら、やがて2時間なるから。でも2時間になるまで、どのくらいかかるんだか(笑)」
  • 2月29日、両声帯結節のため喉の手術を受けることを公式ブログで発表。手術後は少しの間休養する予定となっているが、渡り廊下走り隊7は活動を継続する。以前から喉の調子が悪く、手術を勧められていたという仲川は、「この度手術を受けることにしました。両声帯結節というもので、声帯にこぶができて声が出づらくなってしまうのです。手術はとても安全なものだとお医者様から言われています」と報告。「少し不安はありますが、早く治してみなさんと歌ったり踊ったりしたい!少しの間お仕事はお休みするけどすぐに戻ってきますね!」と綴った[39]
  • 3月6日、Google+で退院許可が出たことを報告。
「みなさんにお知らせ! なんと先生から退院の許可が! ただし←(ここから重要)後最低2週間は歌は禁止! そして日常生活ではあまり声を出さない事が条件! それでも嬉しいー♪ そして明日の午後から早速声の出さない撮影が。。。久しぶりにメンバーに会えるし、お仕事出来る♪ 順調で良かったです! 明日からメンバーに会ってもはしゃがないで2週間は静かにお仕事参加します! そうしないとさいたまスーパーアリーナ間に合わないからね! まだまだ本調子じゃないけど頑張ります♪」[40]
  • 3月10日、秋元康により、平嶋夏海が抜けた「渡り廊下走り隊」の新たなメンバーとして、浦野一美が発表される。以下、Google+でのやり取り。
秋元「渡り廊下走り隊について。以前から、「渡り廊下走り隊は、今後、6人で活動するんでしょうか?」という質問をいただいていた。彼女が抜けたからと言って、すぐに誰かを新加入させるのは違うと思う。彼女がいてこその渡り廊下走り隊なのだ。僕は、ずっと6人でいいと考えていた。ところが、いろいろな事情で、やはり7人組にして欲しいと言う。渡り廊下走り隊7にしたいらしい。悩んだ。誰を新メンバーにするか? 決めた。まだ、プロダクションにもレコード会社にも言っていない。もちろん、渡り廊下走り隊のメンバーにも………」[41]
仲川「やすす先生!秋元先生。どうなっても私は変わりませんよ! 一人増えたらまた新しいなにかが見えるかも知れませんね! もちろん六人でもいいなぁー。って思いもあります! だってもぅたくさん加入があったから。でも加入して間違いだった。って思った事はなぃ! いろんなお仕事やいろんな経験できたし。まぁー。一人で映る時間が減ったかなぁー。笑っ でも増えるんだったらその子が入りやすいグループでありたいなぁー。頑張るぞーーーーーー! 発表楽しみにしてます! 新しい渡り廊下のドキュメントがスタートしますね。うん。なんか私大人になった気分。笑っ」[42]
秋元「で、発表します。…………………渡り廊下走り隊7の新メンバーは…………………浦野一美。これなら、いいよね。異論は認める。でも、本気だよ。暫定的だけど。なんか、面白そうじゃないか。浦野、頑張れ!」[43]
仲川「あー! まってーーーーーー! 本当にシンディーですか? ちょっと待ってください。えーーーーーーーーーーー秋元先生ーーーーーーーーーー。」[44]
秋元「業務連絡。渡り廊下走り隊7のメンバーのみなさま。新メンバーを浦野一美にしようと思うんですが、どうですか?」[45]
仲川「感想。どうなるんだろう渡り廊下は。。。。でも秋元先生が決めたって事は、何か考えがあるのかなぁー?笑っっというより心臓に悪いです!やすす先生!んもぅ!」[46]
「シンディー加入でまた新たな渡り廊下になるかもね。やってみないと分からないけど、きっとうまくいくと思う。だって秋元先生が決めたから! 何か考えがあるんですよね? 私達は大人の事情に振り回されたくないです!だから言いますね! 大人の事情で決まったからはいるとかじゃない。私達が受け入れてみんなで話し合いして新渡り廊下走り隊7になるんです」[47]
  • 3月16日深夜2時、ちょうど「AKB48のオールナイトニッポン」放送中の最中に、Google+に投稿。
「もぅこんな時間。早く寝ないと明日もたないよ。。。みなさんも早く寝ましょう。ANA聴いてから寝るのはオッケー!」[48]
翌朝。「おはょーん。ANNなのにANAと書いていた。笑っ 英語は難しい。。。」[49]
  • 4月15日、東京・シアターGロッソで上演された舞台「新撰組異聞PEACE MAKER」(全10公演、同月22日まで)に出演。
ブログ「すごく嬉しいし、二十歳最初の挑戦です! 新しい仲川遥香を見せれるように頑張ります!」[50]
「速報は38位でした。。。たくさんの方が投票して下さってすごく嬉しいです! そしてたくさんの方が応援してくれてる事を改めて知ることが出来て嬉しいです! みなさんに負けないくらいにもっともっと頑張らないと。そして選抜にいけるように。。。まだまだ諦めてません! マイペースなだけです!笑 ねっ♪」[51]
  • 6月4日、日刊スポーツでの第4回総選挙候補者紹介記事より。
選抜と非選抜の差を最も肌で感じている1人だ。10年は20位で選抜入りも、昨年は24位で選抜から漏れた。だからこそ「厳しいけど目標は16位」と言い切る。「その差はでっかいです。選抜の子の表情を近くで見ると勉強になるし、アンダーガールズではテレビで歌えないんです」。子供っぽい発言から「20歳児」とも呼ばれるが、選抜に対する考え方は成熟している。「選抜に入れたら富士山に登りたい。入ってホッとするんじゃなくて、『ここからがスタート』って自分を追い込むために」と言い切った。
  • 6月5日、NOTTV「AKB48の“あんた、誰?”」に、仲川、岩佐美咲小森美果宮崎美穂の4人が出演。「あん誰プロデューサー」の竹中祐介が、放送後のGoogle+投稿で明かしたところでは「チキチキさんと酒を飲みながら話しましたが…無茶苦茶でしたが新しい部分もいろいろあった今回、良かったのか悪かったのか我々にはわからなくなってしまいました」と言うほどの自由過ぎる内容となった。
コーナー「立ち位置を自覚しなさい」[注釈 3]では、1個目の質問は「このメンバーの中で常識があるのは?」という質問に対し、小森は堂々の「1番」と発表。理由を聞いたところが(竹中によると)意味不明の内容だった。この様では1番から4番まで揃うのは無理、と思っていたら次の質問の「ファンへのサービスが上手いのは?」という質問で「1番宮崎、2番岩佐、3番小森、4番仲川」となり成功、高級ケーキを獲得。竹中曰く「スイーツへの執念がここまでさせか…」と思わせるほどであった。しかし、横目で岩佐の答えを見た宮崎が、岩佐へ書き換えを指示しており完全にカンニングであったと、宮崎と岩佐に不正行為があったことを暴露した。
その他のコーナーの様子。「岩佐・小森しゃべれ!ロケトーク特訓」では、「渡り廊下走り隊7」の新曲宣伝で最近ロケバラエティーにも出ている岩佐、小森が「ほとんどしゃべっていない!」ということを重く見た「あん誰」が、AKB48カフェ内を仮想ロケ地とし一人でロケリポーターの練習をさせる企画。仲川がお手本を披露した後、岩佐、小森が挑戦したが、岩佐は「カメラに背中を向け続ける」「何人ものお客に同じ質問しかできない」「音効にからみ、勝手に『無人駅』(岩佐の持ち歌)をかける」、小森は「客を無視し、水曜日の『変態作家』にからむ」「壁にかかった写真にマイクを向ける」「助けるため仲川がフォローするも無視する」と散々な様子であった。
さらに「属性企画」の「マネージャー萌え属性」ではこのコーナーの序盤、出演した4人全員がカメラにも客にも背中を向け無法地帯となり…中でも仲川はドリブル始めてしまった。
「緊急企画 コモリンピック」と銘打たれた企画では、NOTTV端末を買ってくれた小森のために、すべて小森の仕切りでのコーナーを用意。小森がやりたいゲーム企画を3つ行ったが…竹中曰く「内容を書く気力がありません」とされるほどの放送事故が連発したとのこと。その中で、あまりに無茶な展開を見かねた仲川が…仕切り役を買って出で、ほかの3人のサポートをしながら進行。竹中曰く「こんな仲川さん、あん誰でも見たことがありません。新たな仲川さんの一面が見れて本当にうれしかったです。つまり…仲川さんが仕切らないといけない局面だったということです」[52]
  • 6月6日、第4回総選挙開票。仲川は44位にランクインし、ネクストガールズに選出。
ブログ「緊張と不安のなか始まって、44位という順位をいただきました! 投票して下さったみなさん、応援して下さったみなさん、本当にありがとうございます!! 感謝の気持ちでいっぱいです。感謝仕切れないです…。私のためにCDをかって、時間をさいて投票して下さって。順位や投票数は下がりました。けどみなさんが応援してくれたことにはかわりないです! 今年は44位でがんばって、また上にいけるように自分自身が頑張らないと行けないと思います! そして大きな一歩を踏み出さないと行けないと思います! 大きな一歩を踏み出すためにも今までみなさんが呼んで下さった、《はるごん》を卒業します! はるごんのままでいて欲しい方もたくさんいると思います! でも私は一歩踏み出したいだから私を信じてついてきて欲しい。私と一緒に歩いて欲しいです。まだまだなにもできないしみなさんに恩返しも出来てない。でも絶対にみなさんに恩返し出来るように頑張ります! こんな私ですが、これからも応援よろしくお願いします」[53]
1位の大島優子をはじめ、上位陣はがっちりと順位をキープするなか、アンダーガールズからフューチャーガールズは大混戦。特にこの付近は姉妹グループ躍進もあり、AKB48の中堅メンバーの中には、かなり順位を落としてしまったメンバーもいる。仲川もその一人で、第2回は20位、第3回も24位と選抜ライン付近に位置していたものの、今年は44位で総選挙を終えた。そんな当日、日本武道館の外で「はるごん がんばれ!」とボードを頭に巻き付け、映画のチラシをまいていた男がいた。「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で史上初の4冠に輝いた「くそがきの告白」を撮った監督・鈴木太一である。「“はるごん推し”の方を中心に何人かに声をかけられてホッとした。映画のチラシなんか配ったら、便乗宣伝だと冷たい目をされるだけではと思っていたので」と鈴木。はじめは“AKB”という看板に惹かれてキャスティングし、映画宣伝のために足を運んだ鈴木も、しだいに落ち着かなくなり、ケータイの実況サイトで仲川の順位を知る。結果は「44位」。昨年の24位から大きく順位を下げた。今年見た映画で一番衝撃を受けた「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on」を思い出したという。「残酷な世界の中で生きるアイドル、AKB48が痛くて怖くて、だからこそとてつもなく美しくも感じた。尊敬せざるを得なくなった。この映画を観て『娘がAKBに入りたいって言わなくなった』という人がいるほど、とてもショッキングな映画でもあった」。それでも仲川は、しっかりスピーチをした。鈴木がエールを送る。「悔しいけど、またがんばろう。俺もがんばる。こっから這い上がろう! これからもおれ、仲川遥香応援するよ!」[54]
  • 6月7日、前述ブログでの「はるごん卒業」宣言を受けて、Google+での投稿より。
「これから仲川遥香あだ名総選挙開催します! イイと思った名前の投稿に+1してください」[55]
「エントリーNo.1『はるか』、エントリーNo.2『はるかさん』、エントリーNo.3『はるさん』、エントリーNo.4『はるかちゃん』以上です。笑っ」
  • 6月8日、Google+投稿。
「お待たせしました。ニックネーム総選挙決まりました! 結果は。。。。『はるさん』。みなさんと決めたので、みなさんとこれからも仲川遥香第二章作っていけたらいあなーって思います! よろしくお願いいたします!」[56]
「はるさん」へのニックネーム改名を受けての反応。
茅野しのぶ「はるさんΣ(゜д゜) 知らない間に、はるさんになったのね、はるご…はるさん。じゃ、これからは、はるご…はるさんを呼ぶ時ははるさんか…とゆうか、ここまできて何ですが…やすすがぐぐたすで言ったのは、自分の事をはるごんって言うのは…っていう気が…なんだか…はるご…はるさん可愛い(^O^)/でも良いキッカケにはなるかもね!」
仲川「はるさんになりましたが、これはなんて呼んだらいいか分からないって声がたくさん来たからです! 公式としてはるさんにしますが、私は仲川遥香としてたくさんの方に知ってもらいたい! はるごんって知ってるけど名前なんて言うの?って人ではなく、仲川遥香って名前をたくさんの方に知ってもらいたくてはるごんを卒業しました! だからはるさんって決まったけど、それはあくまで呼び方であって、仲川遥香って名前を忘れないで欲しいです! 私も自分じしんに挑戦し始めたから、まだまだみなさんにちゃんと伝えられてないかもしれない。。。でも負けずに第二章切り開いて頑張ります! 一緒に歩いてください! よろしくお願いいたします!」[57]
  • 6月10日、Google+投稿。ファンから「はるさん」よりも「はるか」の希望が多かったため、改めて意見を募り「はるか」へ変更することを決定。
「握手会で、『はるさんじゃなくて、はるかにして』とたくさんの方から意見が来ました! 直接意見を聞けて嬉しいです! でもみなさん『はるか』のほうがいいですか? はるさんって呼びずらいと。。まぁー。確かに。そうですよね。笑 意見をお待ちしてます!」[58]
「みなさんいろいろと本当にありがとうです! なんか迷ってしまってすみません。でも握手会で直接ファンの方の意見を聞くと『はるさん』は呼びずらいという意見ばかりでした。なので普通に『はるか』にします! はるかは多いけどその中でも一番のはるかになります! はるかって呼ぶのなら呼びやすいし親近感もあるのかなって。いろいろと変えてしまってすみません。やっぱり握手会でお話すると分かることがたくさんあります♪ みなさんこれからも私にどんどん言いたいことあったら行ってください! みなさんの意見に答えられるように頑張ります!」[59]
  • 6月30日、今野浩喜(キングオブコメディ)が主演した映画「くそガキの告白」(鈴木太一監督、東京・テアトル新宿にてレイトショー公開)に、仲川は「『赤いてるてるぼうず』と呼ばれる奇妙なおまじないをヒロインに先導するミステリアスな女学生役」として出演[60]
  • 7月26日、西山恭子(サルオバ)のGoogle+投稿より。
西山「大人っぽくなりたいと公言しているけど、仲川遥香の原点って、何だろう? 誰とでも仲良くなれるのは、なぜだと思う?」
仲川「気をつかわないから・明るいから」
西山「あっちゃんには、今だに「ご~ん」と呼ばれていて、誰にでもフランクで、面倒見がよくて、流されそうで、しっかりしていて…。ついつい、「はるごん」って言っちゃいそうになるけど、それはやっぱり愛されキャラだからかもしれないね」[61]
  • 7月27日、ニッポン放送「AKB48のオールナイトニッポン」に117回目にして、遂に生放送で初出演。
放送終了後のブログ「みなさんに嬉しいお知らせ。昨日ついにANNに出ることができました! ついにです! めっちゃ緊張したし、噛んじゃったりしたけど、さやかとさきこしのお陰で無事に終わりました♪ 今まで握手会とかで『なんで出ないのー?』とか『早く出てよー?』とか『私のANN聞きたい』とか。みなさんの期待にいつも答えれなくて。。。だから今回でれてすごく嬉しいかったです。本当にありがとうございます!! また出れるようにもっともっとトークできるように頑張ります! ANNまた出るぞ!」[62]
  • 8月24日、東京ドームでのコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、ラストに戸賀崎智信が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。仲川は、インドネシア・ジャカルタを拠点とするJKT48に、高城亜樹とともに移籍することとなった(組閣#2012年参照)。
  • 終了後のGoogle+「みなさんビックリさせてしまってごめんなさい。でも前向きな考えなんです! 私はAKB48に入って六年目です。たくさんの事を経験してきました。いいことも悪いことも。たのしいことも辛いことも。最近は自分の将来についてかんがえてました。あだ名も変えて変化していかなきゃいけないなーって思って。。。。そんなときに秋元先生からJKT48留学とう話が上がって、私は真っ先に行きたいと思いました。AKBにいるのが嫌とかじゃなくて海外にいって自分を試してみたい!挑戦してみたいって!思ったんです!! だから自分で挑戦します!って決めました。。。。根拠はないけど。絶対に行って後悔はしない!っておもいます。私は新しい一歩を踏み出します! 自分なりに精一杯頑張ります!! 不安もないっていったら嘘になるけど不安を吹き飛ばす勢いで頑張ります!! ジャカルタは日本から遠いけど私はどこにいってもかわりません!仲川遥香です! これからもこんな私を応援していただけたら嬉しいです!!」[63]
  • 8月25日、日刊スポーツで海外移籍発表から一夜明けた東京ドームで公演前、ファンに移籍の是非を問う緊急アンケートを行った。50人のファンの中で、「賛成」は27人(54%)、「反対」は16人(32%)、「どちらとも言えない」は7人(14%)と賛成派が過半数をやや上回った。もっとも多かった賛成派では「本人が決めたことだから」(20代・男性会社員)、「世界に名前が売れる」(高3・男性)、「きっと期限付きだろうから成長して戻ってきてほしい」(男子大学生)。上海で発足するSNH48に移籍する宮澤には「上海をいちから立ち上げることは、きっと本人の成長につながる」(男子高生)とエールを送るファンもいる中、ジャカルタのJKT48に移籍する高城には「本人が望んだことなので賛成だが、海外の生活や、向こうでの仲間にとけ込めるのか」(男子高生)など複雑な意見も多かった。反対派の多くがユニットの存続に危機感を持っていた。宮澤推しの20代男性は「DiVAとの兼任なのか、完全移籍なのか」、「秋元さんはシャッフルしすぎ。全体のクオリティーが低くなってしまう」(20代会社員)と不安な表情。また高城推しの30代男性は「ぐぐたすでは本人の意志みたいだけど、周りの大人たちに押されているだけ」と切り捨てた。またAKBのコンセプト「会いにゆけるアイドル」ではなくなることへの危惧も多かった。「日本にいないと困る」(男子大学生)、「握手会で握手できなくなるということですよね」(40代男性会社員)。「どちらとも言えない」と答えた人もユニットを心配する人が多かった。「ユニットを兼任する留学なのか、完全移籍なのか心配」(男子大学生)。「絶対兼任してほしい」(20代男性会社員)と明らかになっていないユニットとの存続を不安視した[64]
  • 一部ネットメディアによる、組閣についての反響記事。
夢の舞台だった東京ドーム公演を無事終えたAKB48。だが初日には、地方グループ移籍や兼任、さらに海外グループへ移籍するというショッキングな発表があり、彼女たちを「推して」いたファンたちの間には衝撃が走った。「昨秋に発足したばかりの若手・チーム4が早くも廃止され、チームA、K、Bのいずれかにメンバーが振り分けられたことも、チーム4ファンにはショックでしたね。もちろんメンバーたちも、先輩たちと比較して力不足であることを宣告されたも同然で、悔しい気持ちだと思います。チーム編成の変更が、メディア選抜にすぐ影響するわけではないので、表向きは今までとあまり変わらずに活動していくと思いますが、この大胆な“組閣”がファン離れにつながらなければいいですね」(東京ドーム観客)。
海外で新たに発足したJKT48やSHN48への移籍については、1カ月前の7月21日にGoogle+上で秋元康が示唆していた。反応したのは、小嶋菜月光宗薫島田晴香、そして大島優子らだったが、結局、彼女たちは国内にとどまり、宮澤や高城といった選抜常連の面々が移籍するという驚きの結果になった。移籍を発表されたメンバーたちは口々に「自分の意思で決めたこと」「自ら志願した」と明かしており、高城は「将来の夢のため」と発言しているが、彼女の目指す道はかねてより「女優」だったため、「演技力のスキルアップのためにジャカルタ経験が必要なのか?」とファンも懐疑的だ。
「秋元氏や運営スタッフから『行ってみないか?』と言われたら、断れないのが実状。禁止されていた男女交際が発覚した指原莉乃が国内の博多で、彼女たちが海外移籍というのは、イチ推しにしていたファンからすればたまったものではないでしょう。本人たちの希望で、という建前があれば何らかの“ペナルティ”ではないと見せられますが、実際には指原レベルの愚行があったのではないかとも言われています。これまでは握手会や劇場公演で“会いに行けるアイドル”だったのに、海外へ移籍してしまえばもう日本のファンは容易に会うことはできない。日本芸能界への未練をいったん捨てて、現地で新規ファンを獲得し、スターにのし上がるしかない」(某芸能記者)
ただ、まだ20歳前後と若い彼女たちにとっては、何事も経験。これから先の長い人生で、芸能界以外の仕事に就く可能性も否定できず、海外での活動は長い目で見れば役に立つことも多いだろう。また、戸賀崎智信は、人材育成のため「AKB学校化計画」があることも明かしている。メンバーが問題を起こした際の罰則を定めた「校則」や、ファン数などを明示する「成績表」などが検討されているといい、AKBの「名門校」化を目指している。
「これは秋元康がAKBを宝塚のようにしたいと語っていた野望が具現化されつつあることを意味しています。秋元氏は過去にインタビューで、『厳しいレッスンを積み完璧なパフォーマンスをするエンタメの完成形』と絶賛しており、一方でこれまでのAKBは『よそのオーディションに落ちた子たちが集まって一生懸命やる成長物語。そこが宝塚と違う』と語っていました。今までは素人美少女の成長物語を見せてウケていたけれど、いつまでも同じことをやっていては飽きられる、ということを敏感に察知しているんです。あと数年で、AKBはアイドル界のエリートを育成するビジネスに転換していく。ブームではなく、定番商品になるということですね。同時に海外でもAKBビジネスの枠組みを確固たるモノにするため、今回留学するメンバーが奮闘することになるでしょう」(某業界関係者)[65]
東京ドームで海外の姉妹グループへの“移籍”発表を受け、新聞、雑誌、テレビ、ウェブなどほぼすべてのメディアが「海外電撃移籍」との表現で伝えていたが、具体的な移籍期間に対する言及は特になかった。今回、戸賀崎智信は「移籍なのか? 留学なのか? 多数ご質問を頂いております」と、この点についてファンから質問が寄せられていることを明かし、それに回答する形で期間に言及。「留学する4名につきましては期間限定での移籍となります。期間は半年から1年を予定しております」とし、活動期間は限定であること、また、移籍する4人のことは“海外留学組”との表現に留めている[66]
  • 9月8日、インドネシア・ジャカルタを拠点に活動するJKT48が同日専用劇場をオープンさせ劇場公演を行った。公演後、プレスカンファレンスが行われ、JKT48への移籍を発表した高城亜樹と仲川の2人が登場した。高城は 「みなさんはじめまして。JKT48の高城亜樹です。今日はみなさんに会えてとてもうれしいです。この劇場で歌って踊るのがとても楽しみです。これからどうぞ宜しくお願い致します!」とインドネシア語であいさつ。仲川も「みなさん、こんにちは。仲川遥香です。今日はJKT48の劇場オープンの日にメンバーとこのステージに立てて、とても嬉しいです!そして早くみんなとこの劇場でライブがしたいです。これからみなと一緒に頑張るので、宜しくお願い致します!」と同じくインドネシア語で挨拶した[67]
  • 9月12日、「週刊文春」(9月20日号)が報じた前田敦子の合コン記事において、仲川が同席していたと報じられる(詳細は/ノートを参照)。
  • 10月29日、チームA 6th Stage「目撃者」千秋楽が、AKB48としての劇場最終出演となる。

JKT48として

2012年

  • 11月1日、JKT48へ移籍。
  • 12月26日、高城亜樹とともにJKT48移籍後、JKT48劇場初出演[68]

2013年

  • 4月3日、立候補制が初めて導入された第5回総選挙であったが、仲川は「JKT48での活動に専念すること」を理由に総選挙に立候補しないことをブログで表明した。
「今回は皆さんに報告があります。。。題名にもあるように選抜総選挙ですが。。。今回の選抜総選挙、辞退させていただきます!応援してくださってる皆さんすみません…でもいろいろ自分なりに考えた結果です!
私は今JKT48として活躍させていただいてます!!今まで経験してきたことも日本とインドネシアじゃ全然違ってでもそれがすごく自分のなかでは刺激になっていて毎日充実してます。JKT48でたくさん番組に出れたり、初のアルバム出せたり…ステージにたってメンバーとファンのみなさんすごく支えになってます。
私はすごく不器用です。選抜総選挙に出ることによってどちらも中途半端になる気がするんです。選抜総選挙に出るということはAKB48の活躍もJKT48の活躍もするということになります。どちらも完璧にできる?って言われたら今の私にはできないです。両方ともできないのに中途半端に立候補してもたくさんのファンのみなさん、メンバーに迷惑をかけてしまいます。。。だから今はJKT48の活躍に専念させてください。もっともっと活躍してたくさん成長してたくさんの方に成長したね!そうやって言っていただけるようになったら参加させてください。それまで待っていて下さい!!私もみなさんに頑張ってるすがたを見ていただけるように頑張ります!今回私は辞退しますがJKT48からあきちゃが参加します!!あきちゃには上を目指して頑張ってほしいなって思ってます!JKT48の代表として遥香は全力であきちゃを応援する!そして私が出るときにはよきライバルとして…これからも私仲川遥香の応援よろしくお願いします。みんなに負けないくらい海外でがんばるぜ!」[69]
  • 11月14日、「渡り廊下走り隊」が解散することが明らかになる。昨年2月にリーダーの平嶋夏海が活動を辞退し、同年3月に浦野一美が暫定加入したものの、今年8月には小森美果が芸能界を引退。多田愛佳はHKT48、仲川はJKT48に移籍して活動の場も散り散りとなり、昨年5月に10thシングル『少年よ 嘘をつけ!』を発売してからは活動休止状態だった。
仲川「解散は寂しいことですけど、これからは違う場所で、みんなの今までとは違う成長した姿を見られるのを楽しみにしてほしいなって思います」[70]

2014年

  • 2月9日、東京・Zepp Diver Cityでの「渡り廊下走り隊 解散コンサート」をもって「渡り廊下走り隊」を解散。OGの小森美果も登場して、過去のメンバー8人がステージに勢揃いし、約5年間の活動に終止符を打った[71]
  • 4月6日、第6回総選挙の立候補を届け出。AKB48の選抜総選挙は、JKT48移籍前の2012年(第4回)以来の参加。海外滞在中のため、代理人によって立候補の届け出が行われた[72]
JKT48 6thシングル総選挙ポスター
  • 4月26日、JKT48 6thシングル選抜総選挙では3位にランクインし、6thシングルの選抜メンバーに選ばれた。日本人で唯一の候補メンバーだった仲川は、第1回中間発表では460票を獲得し、2位になったもの、第2回中間発表では14位と大幅に順位を落とした。一時は選抜入りも危ぶまれたが、最終結果で13,276票を獲得し、見事に3位に輝いた。
当選挨拶「みなさん、こんばんは。チームJの遥香です。みんなありがとう! 私はこのJKT48で、すでに1年間活動をしてきました。この国で色々なことを勉強しました。1人でこのインドネシアに来て、最初は何もできなくて、本当に不安だったけど、メンバーやファンのみなさん、スタッフのみなさんからたくさんのことを教えてもらい、ここまで頑張れました。私は日本に家族がいますが、この国にも“家族”がいます! できればずっとここにいたいです! みなさん、本当にありがとうございます!」[73]

2015年

「AKB48の選抜総選挙ですが。。。。今回。そして今後も参加しません。ちゃんとけじめをつけたいしやっぱり両方をうまくこなすなんて私には無理です。。。もうAKB48には戻らない。JKT48として最後まで頑張りたい!なのに私だけAKB48の総選挙に出るのは。応援してくださるファンのみなさんに申し訳ないなって。中途半端は嫌なんです。今はJKT48として上に立ちたいのが本音です。去年JKT48の総選挙では3位という順位をファンの皆様にいただけて嬉しかったし本当に幸せでした!ジャカルタには家族も昔からの友達も誰もいない。メンバーとファンのみなさんが毎日支えてくれました。総選挙でそれをみにしみて感じてそれがすごく嬉しかったし家族みたいでした。。。ジャカルタでも家族ができてそれが今の私を支えてくれています!だから頑張れます!そんなジャカルタJKT48も今年、総選挙があります!今年はもっと上に立てるように頑張りたい。JKT48一本で行きたい!そんなふうに思っています(>人<;)
AKBでもJKTでも一番になるのは難しい。誰よりも私自身わかっています。AkB48の時も1位ってすごく遠かった。。。だって1位って誰でも取れるものじゃないから。今年は全力でJKT48の選抜総選挙にのぞみたいと思います!みなさんこんな私だけど変わらずに応援してもらえますか?私を支えてくれますか?みんなにたくさん恩返しできるようにわたしも頑張るのでみなさんこれからも変わらずに応援してくれたら嬉しいです(*^^*)」[74]「みなさんのコメントを読んで涙が。。。こんなにたくさんの人が応援してくれてるって本当に幸せです。。。そして私は忘れてません!AKB48のこともそしてAKB48の時から応援してくださってるファンのみなさんのことも。忘れたことなんてないよ。だって私のスタートはホームはAKB48なんだもん(>人<;)何回も戻りたくなったことだってあるよ。だって自分のホームだもん。でもねっ。それを乗り越えてJKT48にもホームができたのがすごく嬉しい。2つのホームは変わらずに私のホームです。ただ今はジャカルタのホームにいさせてください。ジャカルタのホームで頑張りたいです!卒業した時に悔いのないように今を頑張りたい^o^みなさんからのメッセージを胸に頑張ります!」[75]
JKT48 10thシングル総選挙ポスター
  • 5月2日、JKT48 10thシングル選抜総選挙では2位。最終得票は21,882票で、1位を獲得したジェシカ・フェランダ(チームJ、22,404票)とは522票の僅差であった。
仲川はスピーチで「JKTの活動をしていて楽しい反面、今の立場がつらく感じることもありました。自分では背負えないとも思っていました。AKBにいた頃にはなかった気持ちです」と苦しい胸の内を吐露。「日本に帰りたいと思ったこともあります」と正直に告白しながらも「私はここで頑張らないと。欠けていることもたくさんありますが、頑張り続けていきたいと思います。まだここにいてもいいですか、皆さん?」と問いかけ、ファンから大声援を送られた[76]
  • 6月13日、『JKT48 LIVE in CONCERT「JKT48色んな味がするよ、どの味が一番お好き?」』において、人事異動がサプライズ発表され、仲川はチームTへ異動とともにキャプテンへ就任することが発表される[2]

2016年

「私、仲川遥香は皆さんに報告があります。私は、JKT48を卒業します。
AKB48に戻るんじゃないんです。AKB48グループから卒業します。
AKB48で6年、JKT48で3年やってきました。
ジャカルタに初めて来た時、あまりにも日本と違って……。
言葉も生活も違って本当に戸惑いました。
でも、メンバーやスタッフ、そして何よりもファンのみんなにサポートしてもらって、
いつの間にかずっとインドネシアに居たいと思うようになりました。
9年間AKB48、JKT48でやってきて、ここが節目だと思っています。
AKB48、JKT48での経験はかけがえのないものです。
日本からインドネシアに来て、世界には私の知らないことが沢山あることに気づきました。
インドネシアで生活するうちに、いろいろな国で沢山のことを経験したいと思いました。
そして私はもっと世界を知りたくて、次のステップにすすみたいと思い、卒業を決意しました。
でも今年いっぱいはJKT48にいさせてください!
残された日を大切にしてファンの皆さんと思い出を作っていきたいです。
最後ですが、私はこの国、インドネシアが本当に大好きです!
残された日をファンと一緒に走り抜けたいと思います!
日本の皆さん、わたしはもうちょっとジャカルタで頑張っていきます!見守っててくださいね!
これからもよろしくお願いします!」

JKT48 13thシングル総選挙ポスター
仲川は「本当はセンターになりたかったけど」と悔しさをにじませながらも「この3位という順位をもらえたことをすごくうれしく思います!そしてファンの皆さんが応援してくれるからこの順位をもらえました」と感謝のスピーチ。AKBから移籍する際は「間違えかなって悩んだけど」と心境を明かしつつ「きょう答えが出ました!私が選んだ道JKT48にきたことは間違えじゃなかったです!」と改めて宣言した。そして、「私はJKT48で伝説を作ります!私が卒業したらファンの皆さんとメンバーがまた新しく伝説を作ってほしいなって思いました!」と自身が卒業後のグループを担う後輩たちにエールを送った。[77]
  • 10月15日 - 16日、JKT48が東京・秋葉原のAKB48劇場で初の出張公演を行い、年内でグループを卒業する仲川遥香が4年ぶりに“故郷”アキバに錦を飾った。アンコールで「卒業前にAKB劇場に立つのは多分これで最後」とあいさつした仲川は、高校の同級生でもあった親友・前田敦子の卒業ソング「夢の河」をJKT48の1期生とともに披露。この曲だけは日本語での熱唱となり、劇場はどよめきから一転、感動に包まれた。
サプライズゲストとして、HKT48に移籍した多田愛佳、今月10日の『じゃんけん大会』で優勝した田名部生来の同期2人が花束を持って駆けつけた。2人が手紙を読み上げ、「やっぱり同期っていいですね…」と感慨深げな仲川は「JKTの1期生も同期なんですけど、最初は壁もあった。でも、こんなにバカで何もできない私を受け入れてくれました。よく怒るし、よく泣いてたし、それでもあきらめずにお世話してくれたおかげで私らしく成長できたんだと思います」とJKTのメンバーにも感謝。劇場が感動に包まれるなか、「麻友ゆきりんどこ?」とキョロキョロ探し、最後は“はるごん”らしく笑いで締めくくった。 [78]
12年11月にJKT48に完全移籍した仲川は公演中、移籍まもなくデング熱にかかり、入院していたことを告白する一幕も。さらにはチフス、アメーバ赤痢にもかかったことをケロリと明かし、会場はどよめきに包まれた。報道陣から改めて聞かれると「でも生きてるので! 免疫力がすごいと思います」とガッツポーズ。「すべては12月末に発売される書籍『ガパパ』に書いてあります」とちゃっかり自叙伝をアピールした。『ガパパ』とはインドネシア語で「大丈夫」「問題ないよ」という意味といい、「4年間、私が一番使っていた言葉でもあるし、最初に覚えた言葉でもあるので、その大切な言葉をタイトルにしました」と明かしていた。[79]

JKT48卒業後

2016年

  • 12月31日、この日をもって、所属していたプロダクション尾木との契約を終了する。理由は「今後の活動拠点をインドネシアとするため」で本人申し出によるものである[5]

交友関係

  • 仲の良いメンバーは「みんな」[12]
  • 旧チームBの頃より菊地あやかと仲が良い。仲川曰く「きくぢは愛すべきアホです」[80]
  • 推しメンは、増田有華[12]
  • 前田敦子、増田有華とは、高校の同級生。前田の卒業発表直後、香港で行われたジャパンポップカルチャーの祭典「元気な日本展」のAKB48ライブ&トークショーに仲川・前田・増田の3人が出演し、前田はトークショーで「卒業旅行」と呼んでいる[81]
    • 帰国後も、前田と行動することが多く[82]高城亜樹も加えて「ぼっち会」と称し、朝食を作ることが多い[83]。前田の当時のブログによると、仲川が家に頻繁に宿泊し、朝食を共にしたとする投稿も頻繁に見られた[注釈 4]。また、仲川に加え大島優子も前田の家に一時期、同居していたことも明らかになっている(/ノート参照)。
  • ライバルは、「自分!っとカッコつけてみる。でも自分に勝つことが大切だとおっもって!」[84]
  • メンバーの中で彼女にするなら篠田麻里子高橋みなみ。「特にたかみなは、あの小さな身体で、チームAのキャプテンとして、いつも仕切ってくれて、励ましてくれるんです!」[80]
  • 「チーム麻里子」の一人で、年少メンバーを可愛がる篠田麻里子に気に入られている。
  • SKE48矢神久美と似ていると言われ、仲川も矢神の事を「妹」と呼んでいる[85]
  • NMB48で仲の良いメンバーは、近藤里奈。「あとはさやねぇとかかな?みるるんとかちゅんともよくお話中するょ!」[86]
  • 女優の木の実ナナとは、前述の音楽劇「ACT泉鏡花」で共演して以来、親交が続いている[16][87]

性格・趣味

  • 一人称は「はるか」。
  • 長所は、明るい[88]
  • 短所は、うるさい[88]。空気が読めないところ[16]
  • フリートークに難があるとメンバーから思われている。エンタ!371「AKB48+10!」[いつ?]のフリートークコーナーでは、MC担当だった片山陽加指原莉乃との会話から。
片山「大丈夫?」
仲川「全然もう完璧です私。得意中の得意」
指原「はるごんはねぇ、フリートークに定評が無いと思う」
片山「うん。危ない」
指原「危険な感じがする。美香ちぃと同じ匂いがする。怖いよ」
  • 怒ると怖いとメンバーから思われている。「AKB48のオールナイトニッポン」(2011年10月14日放送)のトーク「悪い事をしたら真剣に怒ってくれるメンバー」というお題から。
仲谷明香「はるごん」
松井咲子「はるごん?」
仲谷「はるごんはね、後輩をちゃんと叱るの」
咲子「あっ私、めっちゃはるごんさん怖かったの。最初」
仲谷「ちゃんとやらない子、すごく怒るの」
咲子「えっ(私)ちゃんとやってたよね!?」
また、松井咲子が直接怒られた訳ではないが、仲川を怖いと思ったエピソード。
咲子「昔、楽屋の着替えるところとドアがすごく近くて、そこではるごんが着替えててね、ドアを誰かが開けっ放しにすると、『ちゃんと締めてよ!』みたいな。それを研究生が言われてたの。これは悪いイメージを与えるんじゃなくて(笑)。それで私は勉強になったんだけど。だからすごく、『(あ…厳しい方なのかな)』って思ったんだけど…(よく知っていくと)子供だった」
野中美郷「気付いちゃった?」
咲子「可愛かった」
  • 趣味は、韓国ドラマを観ること[88]。「少女時代」のDVD鑑賞[89]
  • 特技は、スポーツ[12]。小学校の時は野球。中学の時はソフトボール、バレーボール、陸上部を掛け持ちしていた[20]。ブリッジしたまま歩いたり、階段を登ったりすること[90]
  • 野球とピアノを習っていた[12]
  • 怖いものは、お化け[13]。ホラー映画も苦手で、全然観ることができない[91]
  • サスペンスは好きで、「火曜サスペンス劇場」とか「はぐれ刑事純情派」とかを見ている[91]
  • 自分を漢字一文字で表すなら、「流。私よく人に流されるんです! 自分の意思を持たないとね」[84]
  • 好きなアーティストは、テイラー・スウィフト。「すごく素敵です!」[13]
  • アイドル好き。ハロプロの℃-uteとスマイレージ(現・アンジュルム)のファン[16]
  • AKB48で好きな曲は『RIVER』。公演曲では『初日』[12]
  • 好きな場所は、劇場。映画館。テーマパーク[92]
  • 姉妹が多いが、一人部屋だった。綺麗好きで、姉妹であっても勝手に部屋に入られるのが嫌い[93]
  • 姉妹は体型が全然違うため、服のお古などは出来ない。話も合わないため、姉妹はいらないとか[19]
  • 一番幸せな時は、「食べてるとき!笑 だから痩せれない。。。」[14]
  • 好きな食べ物は、お菓子。フルーツ。焼肉[92]。グラタン。レバー。砂肝。昆布、イカ。ししゃも[90]
  • 嫌いな食べ物は、書けないほど多い[16]
  • 白いご飯が食べられない。理由は「味がしないから」。おかずと一緒に食べるのは嫌で、別々に食べる。ご飯は、チャーハンにしたり、ふりかけをかけないと食べられない。その為、いつも「のりたま」を持っている。同じ理由で、食パンもそのままでは食べられない[94]
  • 男性で気になる所は体型。ポッチャリでもなく、痩せ過ぎでもない人が好き[95]
  • 初恋はまだ無し[12]
  • 好きな男性のタイプは、離婚しない人[88]

ギャラリー

参加曲

シングルCD選抜曲

JKT48

AKB48

派生ユニットシングル曲

渡り廊下走り隊

渡り廊下走り隊7

アルバムCD選抜曲

JKT48

  • Heavy Rotation」に収録
    • Oogoe Diamond
    • Gomenne, Summer
  • Mahagita」に収録
    • Pesawat Kertas 365 Hari - 365 Nichi no Kamihikouki
    • Laptime Masa Remaja - Seishun no Laptime
  • JKT48 Festival Greatest Hits」に収録
    • JKT Festival
    • Nagiichi
    • Mirai no Tobira

AKB48

渡り廊下走り隊

その他の参加楽曲

劇場公演ユニット曲

チームB 1st Stage「青春ガールズ」公演

  • ふしだらな夏

チームB 2nd Stage「会いたかった」公演

  • ガラスのI LOVE YOU
  • 背中から抱きしめて
  • リオの革命

※全員参加曲ではあるが、「スカート、ひらり」ではフロントメンバー(スカひらセブン)で登場する。

チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」公演

  • パジャマドライブ

チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演

  • 天国野郎

THEATRE G-ROSSO「夢を死なせるわけにいかない」公演

  • となりのバナナ

河西智美藤江れいな高城亜樹岩佐美咲のスタンバイ

チームA 6th Stage「目撃者」公演

  • サボテンとゴールドラッシュ
  • 炎上路線※

指原莉乃のユニットアンダー

チームJ 1st Stage「恋愛禁止条例」公演

  • Heart Gata Virus
  • Manatsu No Christmas Rose※

※ガイダ・ファリシャのユニットアンダー

  • Renai Kinshi Jourei※

※ベビー・チャエサラ・アナディラ、高城亜樹のユニットアンダー

「パジャマドライブ」リバイバル公演

  • Junjou Shugi(2013年、チームJリバイバル2014)
  • Temedemo no Namida(2014年)

チームKIII 1st Stage「僕の太陽」公演

  • Higurashi no Koi(2014年1月12日、サプライズ出演)

チームJ 2nd Stage「誰かのために」公演

  • Shinkirou
  • Seifuku ga Jama wo Suru

チームJ「僕の太陽」公演

  • Higurashi no Koi

チームJ 3rd Stage「シアターの女神」公演

  • Candy

チームT 2nd Stage「手をつなぎながら」公演

  • Wimbledon e Tsureteitte

出演番組

Wikipediaを参照。

注釈

  1. ^ 浦野一美の加入前。
  2. ^ IPサイマルラジオの「radiko.jp」のこと。仲川の居住している場所で、ニッポン放送が放送エリアの場合、同ツールを通じてインターネットでの受信が可能。
  3. ^ 質問に対し、自分が4人の中で何番目かを発表し、それに関するトークをする企画。きれいに1番から4番にバラバラに揃ったら成功となり、ご褒美で高級スイーツが貰えるもの。
  4. ^ 現在は前田のブログそのものが削除されており、確認不能

出典

  1. ^ a b 講談社『AKB48総選挙公式ガイドブック2011』P73より。
  2. ^ a b JKT48 メンバー人事異動について - JKT48公式サイト 2015年6月14日
  3. ^ しのぶのトーク - トークライブアプリ755 2016年2月28日投稿
  4. ^ a b JKT48仲川遥香、年内でグループ卒業「もっと世界を知りたくて」 - 音楽ナタリー 2016年2月28日
  5. ^ a b 仲川遥香 契約終了のお知らせ - AKB48 TeamOgi official website 2016年12月27日
  6. ^ a b 講談社『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』P79より。
  7. ^ a b c d e 講談社『AKB48総選挙公式ガイドブック』P53より。
  8. ^ JKT48公式プロフィール
  9. ^ フジテレビ系「笑っていいとも」[いつ?]
  10. ^ 光文社「FLASH」増刊「まるっとAKB48 スペシャル2 with SKE48&NMB48&SDN48&HKT48」より。
  11. ^ 「週刊プレイボーイ」2012年1月23日号より。
  12. ^ a b c d e f g 東京ニュース通信社「AKB48 VISUAL BOOK 2010」より。
  13. ^ a b c d 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年5月12日 ArKaiBu Gugutas
  14. ^ a b 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年5月13日 ArKaiBu Gugutas
  15. ^ 講談社「AKB48総選挙公式ガイドブック2014」P99より。
  16. ^ a b c d e ★自己紹介★はるごんぶろぐ(^ε^)-☆Chu!! - 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2011年2月16日
  17. ^ a b c [1] -(リンク切れ)
  18. ^ 仲川遥香 投稿 - ツイッター 2019年5月11日
  19. ^ a b 文化放送「明日までもうちょっと。」2009年1月21日放送分より。
  20. ^ a b エンタ!371「AKB48+10」2008年10月1日放送分より。
  21. ^ 「週刊AKB」Vol.7 DVD特典「みなみ高橋のすべる話」より。
  22. ^ AKB48・仲川遥香の父親は誰? 「父は元プロレスラー」発言の真相とは… - リアルライブ 2011年7月30日
  23. ^ 集英社「AKB48ヒストリー ~研究生公式教本~」より
  24. ^ 『大人ジェリービーンズ』初回生産限定盤C 映像特典「渡辺麻友 × 平嶋夏海」
  25. ^ 大島優子が逆転トップ当選!波乱の第2回AKB48総選挙 - 音楽ナタリー 2010年6月9日
  26. ^ 【ANNさんごめんなさい。★はるごんブログ】- 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2011年2月16日
  27. ^ AKB48仲川遥香、過激な内容、過激な撮影がむしろ楽しかった…キツかったのは監督のアレ! - シネマトゥディ 2010年9月19日
  28. ^ 【指みてもらいました!★はるごんブログ】- 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2010年9月24日
  29. ^ 【速報!】 - AKB48オフィシャルブログ 2010年5月15日
  30. ^ 集英社「AKB48×プレイボーイ 2011」より。
  31. ^ 集英社「AKB48総選挙!水着サプライズ発表2011」より。
  32. ^ リーディングドラマ「もしもキミが。」 - ネルケプランニングホームページ
  33. ^ 幸福レコード
  34. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年1月28日 ArKaiBu Gugutas
  35. ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年2月10日 ArKaiBu Gugutas
  36. ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年2月10日 ArKaiBu Gugutas
  37. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年2月10日 ArKaiBu Gugutas
  38. ^ AKB48仲川遥香20歳に秋元康が「変わることを恐れるな」 - JCASTテレビウォッチ 2012年2月10日
  39. ^ AKB48・仲川遥香、声帯結節で手術 - ORICON STYLE 2012年2月29日
  40. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年3月6日 ArKaiBu Gugutas
  41. ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年3月10日 ArKaiBu Gugutas
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  43. ^ 秋元康 投稿 - Google+ 2012年3月10日 ArKaiBu Gugutas
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  49. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年3月17日 ArKaiBu Gugutas
  50. ^ お知らせ♪はるごんぶろぐ(^3^)/ - 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2012年2月10日
  51. ^ はるごんだょ!はるごんぶろぐ(^з^)-☆- 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2012年5月24日
  52. ^ 竹中祐介Google+投稿 - 2012年6月5日
  53. ^ 選抜総選挙。仲川遥香(^з^)-☆ - 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2012年6月7日
  54. ^ “AKB総選挙”心温まるウラ話!映画監督が“はるごん”にエール - ZAKZAK 2012年6月8日
  55. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月7日 ArKaiBu Gugutas
  56. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月8日 ArKaiBu Gugutas
  57. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月8日 ArKaiBu Gugutas
  58. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月10日 ArKaiBu Gugutas
  59. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月10日 ArKaiBu Gugutas
  60. ^ 映画「くそガキの告白」公式サイト
  61. ^ Kyoko Nishiyama 投稿 - Google+ 2012年7月26日 ArKaiBu Gugutas
  62. ^ 初!!!!!仲川遥香(^з^)-☆ - 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2012年7月28日
  63. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年8月24日 ArKaiBu Gugutas
  64. ^ AKB海外移籍、賛成やや上回る - 日刊スポーツ 2012年8月25日
  65. ^ AKB48大胆再編のワケ「素人集団からアイドルエリート養成所へ」 - メンズサイゾー 2012年8月27日
  66. ^ AKB海外移籍は「半年から1年」、AKB48劇場支配人が“留学”と表現。 - ナリナリドットコム 2012年9月3日
  67. ^ JKT48 専用劇場がオープン! 移籍組の高城亜樹と仲川遥香もサプライズ登場 - Girls News 2012年9月10日
  68. ^ 高城亜樹・仲川遥香 JKT48劇場デビューのお知らせ - AKB48オフィシャルブログ 2012年12月19日
  69. ^ 選抜総選挙!仲川遥香 - 渡り廊下走り隊オフィシャルブログ 2013年4月3日
  70. ^ 渡り廊下走り隊、解散へ まゆゆ「ワロタのこと忘れないで」 - ORICON STYLE 2013年11月14日
  71. ^ まゆゆ、“渡り廊下”解散に号泣&嗚咽 OG小森さんもサプライズ参加 - ORICON STYLE 2014年2月9日
  72. ^ AKB48 37thシングル選抜総選挙 立候補メンバー 仲川遥香
  73. ^ 仲川遥香がJKT48総選挙で3位に入った背景とは - エンタメNEXT 2014年4月28日
  74. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2015年3月25日 ArKaiBu Gugutas
  75. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2015年3月25日 ArKaiBu Gugutas
  76. ^ JKT48総選挙 仲川遥香が僅差2位「まだここにいてもいいですか」 - ORICON STYLE 2015年5月3日
  77. ^ JKT48総選挙 年内卒業の仲川遥香は3位、近野莉菜は初選抜入り - ORICON STYLE 2016年5月8日
  78. ^ JKT48仲川遥香、“故郷”アキバに錦 「夢の河」を涙で熱唱 - ORICON STYLE 2016年10月16日
  79. ^ JKT48仲川遥香、移籍後の病歴告白「免疫力がすごい」 - ORICON STYLE 2016年10月16日
  80. ^ a b 渡り廊下走り隊リレー&ロングインタビュー - ORICON STYLE 2010年10月12日
  81. ^ あっちゃん、「孤高」からも卒業 - 日刊スポーツ 2012年3月27日
  82. ^ newhair☆ - MARIS GROUP オフィシャルブログ 2012年6月22日
  83. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月27日 ArKaiBu Gugutas
  84. ^ a b 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年5月29日 ArKaiBu Gugutas
  85. ^ ☆はるごんさん、にゃはっぴー★ - SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba 2011年2月10日
  86. ^ 仲川遥香 投稿 - Google+ 2012年6月2日 ArKaiBu Gugutas
  87. ^ あの〇〇さんとは… - 片山陽加オフィシャルブログ 2011年2月22日
  88. ^ a b c d 光文社「AKB48 じゃんけん選抜 公式ガイドブック」P79より。
  89. ^ 光文社「AKB48 じゃんけん大会 公式ガイドブック2011」より。
  90. ^ a b ニッポン放送「渡り廊下走り隊7のオールナイトニッポン」2011年2月9日放送分より。
  91. ^ a b [2] - (リンク切れ)
  92. ^ a b 渡り廊下走り隊公式プロフィール
  93. ^ ニッポン放送「渡り廊下走り隊7」 2010年9月29日放送分より。
  94. ^ 文化放送「明日までもうちょっと。」 2010年6月12日より。
  95. ^ ニッポン放送「渡り廊下走り隊7」 2010年8月12日放送分より。

外部リンク

先代:
(役職新設)
JKT48チームTキャプテン
2015年8月 - 2016年11月
次代:
メロディー・ヌランダニ・ラクサニ