「松原夏海」の版間の差分

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====2012年 ====
====2012年 ====
*3月10日、[[秋元康]]が渡り廊下走り隊7の新メンバーは浦野一美になったと発表。<ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd</ref>秋元「渡り廊下走り隊7のメンバーのみなさま。新メンバーを浦野一美にしようと思うんですが、どうですか?」<ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/PD9HQKRassz</ref>
*3月10日、[[秋元康]]が渡り廊下走り隊7の新メンバーは浦野一美になったと発表。<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/fPoTsYkfzhd|by=秋元康|date=2012-03-10}}</ref>秋元「渡り廊下走り隊7のメンバーのみなさま。新メンバーを浦野一美にしようと思うんですが、どうですか?」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/PD9HQKRassz|by=秋元康|date=2012-03-10}}</ref>
*小森「やすす先生! なっつみーさんが渡り廊下走り隊7に入りたいといってました! どうでしょうか?」<ref>https://plus.google.com/107000363532428575751/posts/TQaBMwngjiV</ref>(※48グループでプロダクション尾木に所属しており、渡り廊下に加入できる可能性があるのは、浦野か松原か野中のみ)。
*小森「やすす先生! なっつみーさんが渡り廊下走り隊7に入りたいといってました! どうでしょうか?」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/107000363532428575751/posts/TQaBMwngjiV|by=小森美果|date=2012-03-10}}</ref>(※48グループでプロダクション尾木に所属しており、渡り廊下に加入できる可能性があるのは、浦野か松原か野中のみ)。
*松原「小森さんの優しさに感動☆ 素敵な後輩をもって幸せです(ToT) 私はもはやPTA(笑)」<ref>https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/gU6c6Vb188Q</ref>「私もなかなか爽やかに渡り廊下を走れそうなのにな~(^^)笑笑笑」<ref>https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/S1XN2svY66h</ref>
*松原「小森さんの優しさに感動☆ 素敵な後輩をもって幸せです(ToT) 私はもはやPTA(笑)」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/gU6c6Vb188Q|by=松原夏海|date=2012-03-11}}</ref>「私もなかなか爽やかに渡り廊下を走れそうなのにな~(^^)笑笑笑」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/S1XN2svY66h|by=松原夏海|date=2012-03-11}}</ref>
*秋元「何か、考えます」<ref>https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/7z7x2UPSi8P</ref>
*秋元「何か、考えます」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/7z7x2UPSi8P|by=秋元康|date=2012-03-11}}</ref>
*3月15日、Google+で[[岩佐美咲]]が「ぶさみん」と自虐的な発言を投稿すると、「わさみんもしちゃんもブスじゃないよ。松原夏海と調べると「松原夏海 ブス」で出てもめげない私は強い子(笑)。オネェとの戦いの勲章なんだ。ふふふ」<ref>https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/BBckRGakiGK</ref>
*3月15日、Google+で[[岩佐美咲]]が「ぶさみん」と自虐的な発言を投稿すると、「わさみんもしちゃんもブスじゃないよ。松原夏海と調べると「松原夏海 ブス」で出てもめげない私は強い子(笑)。オネェとの戦いの勲章なんだ。ふふふ」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/BBckRGakiGK|by=松原夏海|date=2012-03-15}}</ref>
*4月24日、大人の色香漂う21歳は、お尻に火が付いていた。「今年、(64位)圏内に入らなかったら、今度を見直す…。2年も入らなかったら…下の子を公演で注意できない。2期生のプライドもある」。30位(2009年)→39位(2010年)→圏外(2011年)と、順位を落としてきた。自分の立ち位置も理解している。「もう可愛い発言では勝負できない。ブリブリは似合わない」と、大人の様相で撮影に挑んだ。「私のファンに、石油王とかがいればいいんですけどね」と、不安もいっぱいだが、熱い思いもしっかり伝わってきた。<ref>『日刊スポーツ』 2012年4月24日</ref>
*4月24日、大人の色香漂う21歳は、お尻に火が付いていた。「今年、(64位)圏内に入らなかったら、今度を見直す…。2年も入らなかったら…下の子を公演で注意できない。2期生のプライドもある」。30位(2009年)→39位(2010年)→圏外(2011年)と、順位を落としてきた。自分の立ち位置も理解している。「もう可愛い発言では勝負できない。ブリブリは似合わない」と、大人の様相で撮影に挑んだ。「私のファンに、石油王とかがいればいいんですけどね」と、不安もいっぱいだが、熱い思いもしっかり伝わってきた。<ref>『日刊スポーツ』 2012年4月24日</ref>
*5月、[[戸賀崎]]「高橋みなみがいない時のA公演は、彼女がまとめ役をやってくれるので助かっています。後輩の面倒も見てくれますから。あと、ダンスの上手さは相変わらずなので、もう一度ダンスユニットとかも見てみたいですね」<ref name="sog2012">『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』</ref>
*5月、[[戸賀崎]]「高橋みなみがいない時のA公演は、彼女がまとめ役をやってくれるので助かっています。後輩の面倒も見てくれますから。あと、ダンスの上手さは相変わらずなので、もう一度ダンスユニットとかも見てみたいですね」<ref name="sog2012">『AKB48総選挙公式ガイドブック2012』</ref>
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*6月20日、22歳の生誕祭が劇場で行われた。父からの手紙。「なっちゃん21歳(※22歳の誤り)の誕生日おめでとう。中学を卒業してから6年間、辛い事も多かったけど、素晴らしい時を重ねて、素敵な女性になってくれたと思っています。21年前、なっちゃんが生まれた時のこと、今でもはっきりと覚えています。ビックリするぐらい可愛い顔で、めちゃめちゃ元気な赤ちゃんでした。とっても甘えん坊な女の子だったけど、2年後に妹が生まれてからは、しっかりした子になりました。お母さんを独り占めできなくなっても、ぐっと我慢して、妹の面倒を見てくれましたね。小学生の頃は、『将来アイドルになる!』『アイドルになった後に噂になったら困るんで、ボーイフレンドは作らない!』なんて言っていたけど、まさか本当にアイドルになるなんて思ってなかったよ。中3の冬は、高校受験とAKBのオーディションが重なって大変だったね。なんとかどちらも合格したけれど、不安を抱えた状態の中で、でもなっちゃんはいつも一生懸命だったね。旧チームKがとても大変だった時に、どんなに体調が悪くても、絶対に公演を休むことなく、一生懸命劇場を守ったのは素晴らしいことです。608回も連続で出演したんだ。『外での仕事が無いからだ』とか言われても、これは絶対誇りに思っていいことです。ダンスやお芝居の練習をいくら一生懸命やっても、なかなか結果が出ない。夢を叶えることが出来るのか…って、とても不安だったと思います。たぶん、今もそうだよね…。でも考えてみて。夢が叶っても、それは一瞬。夢に向かって進んでいること自体が、素晴らしい事だと思うから。なっちゃんの一番最初のファンとして、一番最後まで応援しています。この1年がなっちゃんにとって、素敵な1年でありますように。最後になりますが、メンバーの皆さん、いつも夏海を支えてくれてありがとうございます。何年のも時、楽しい時、辛い時を共に過ごしてきたメンバーの方々を、夏海は本当に大切に思っています。ファンの皆様、スタッフの皆様、本人なりに色々と考え、結果に繋がる努力を重ねておりますが、このことろの総選挙では、なかなか皆さんの期待に応えることが出来なくて、申し訳ありません。早いもので、夏海がAKBに入って7年目に入ります。こんな普通の女の子が、曲がりなりにも芸能界でやってこられたのは、やはり皆さんの支えがあってのことです。自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な子ですが、これからも応援よろしくお願い致します」
*6月20日、22歳の生誕祭が劇場で行われた。父からの手紙。「なっちゃん21歳(※22歳の誤り)の誕生日おめでとう。中学を卒業してから6年間、辛い事も多かったけど、素晴らしい時を重ねて、素敵な女性になってくれたと思っています。21年前、なっちゃんが生まれた時のこと、今でもはっきりと覚えています。ビックリするぐらい可愛い顔で、めちゃめちゃ元気な赤ちゃんでした。とっても甘えん坊な女の子だったけど、2年後に妹が生まれてからは、しっかりした子になりました。お母さんを独り占めできなくなっても、ぐっと我慢して、妹の面倒を見てくれましたね。小学生の頃は、『将来アイドルになる!』『アイドルになった後に噂になったら困るんで、ボーイフレンドは作らない!』なんて言っていたけど、まさか本当にアイドルになるなんて思ってなかったよ。中3の冬は、高校受験とAKBのオーディションが重なって大変だったね。なんとかどちらも合格したけれど、不安を抱えた状態の中で、でもなっちゃんはいつも一生懸命だったね。旧チームKがとても大変だった時に、どんなに体調が悪くても、絶対に公演を休むことなく、一生懸命劇場を守ったのは素晴らしいことです。608回も連続で出演したんだ。『外での仕事が無いからだ』とか言われても、これは絶対誇りに思っていいことです。ダンスやお芝居の練習をいくら一生懸命やっても、なかなか結果が出ない。夢を叶えることが出来るのか…って、とても不安だったと思います。たぶん、今もそうだよね…。でも考えてみて。夢が叶っても、それは一瞬。夢に向かって進んでいること自体が、素晴らしい事だと思うから。なっちゃんの一番最初のファンとして、一番最後まで応援しています。この1年がなっちゃんにとって、素敵な1年でありますように。最後になりますが、メンバーの皆さん、いつも夏海を支えてくれてありがとうございます。何年のも時、楽しい時、辛い時を共に過ごしてきたメンバーの方々を、夏海は本当に大切に思っています。ファンの皆様、スタッフの皆様、本人なりに色々と考え、結果に繋がる努力を重ねておりますが、このことろの総選挙では、なかなか皆さんの期待に応えることが出来なくて、申し訳ありません。早いもので、夏海がAKBに入って7年目に入ります。こんな普通の女の子が、曲がりなりにも芸能界でやってこられたのは、やはり皆さんの支えがあってのことです。自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な子ですが、これからも応援よろしくお願い致します」
:本人の挨拶。「私をたぶん最初から知っている人は、なんかすごくもどかしい気持ちになったりすると思うんですけど。結構、我が道を行くタイプで、『こうした方がいいんじゃない?』とか、(アドバイスを)上手く聞けなくて…。でも、なんだろうな…(涙)。今回の総選挙で、本当に…'''あんな絶望的な時間を過ごしたのは初めてだった'''し…。みんなが笑顔だったから、良かったのかなぁと思いますけど…。でも、みんなそれぞれ悔しい気持ちも持っていて、それは順位関係なく…。私は、“圏外”という二文字で…、まぁ明らかな差が出てしまったんですけど…。来年の総選挙がもしあるなら、あのステージに立てるように…、今年1年精進して、自分を磨いて、『応援して良かったなあ』って思えるような1年を過ごして、来年のこの季節にはまた笑顔で皆さんと会えることを抱負にして、この1年がんばりたいと思います。よろしくお願いします」
:本人の挨拶。「私をたぶん最初から知っている人は、なんかすごくもどかしい気持ちになったりすると思うんですけど。結構、我が道を行くタイプで、『こうした方がいいんじゃない?』とか、(アドバイスを)上手く聞けなくて…。でも、なんだろうな…(涙)。今回の総選挙で、本当に…'''あんな絶望的な時間を過ごしたのは初めてだった'''し…。みんなが笑顔だったから、良かったのかなぁと思いますけど…。でも、みんなそれぞれ悔しい気持ちも持っていて、それは順位関係なく…。私は、“圏外”という二文字で…、まぁ明らかな差が出てしまったんですけど…。来年の総選挙がもしあるなら、あのステージに立てるように…、今年1年精進して、自分を磨いて、『応援して良かったなあ』って思えるような1年を過ごして、来年のこの季節にはまた笑顔で皆さんと会えることを抱負にして、この1年がんばりたいと思います。よろしくお願いします」
*7月4日、サルオバ「7/3(火)は、「目撃者」公演でした。素人のサルオバが観ていても、振りの難しそうな演目…。そういえば、どのチームにも「danceable」なメンバーがいます。というわけで、danceableなっつみぃに、サルオバは聞いてみた。「どうしたら、そんなにかっこよくステキに踊れるの?」。松原「音に体をはめること!」。サル「AKB48に入ってきた当初、もちろんダンス経験がなかったけど、転機は、K4thの「最終ベルが鳴る」公演だったとか。今までとは違う動きやステップを使う公演曲の数々を前に、「自主的にダンスを習いに行くようになった」となっつみぃ。以来、まさに「いつでもどこでも四六時中」リズムを取ることを意識しているんだって。ダンス経験がなかったなんて意外と思える見せ方・魅せ方を心得たパフォーマンス。そういえば、梅ちゃん/優子ちゃん/なっつみぃ&のんてぃの通称「梅島夏代」による、K5thの「エンドロール」はそのダンスパフォーマンスに憧れるメンバーも多かったですね。サルオバは、衣装も大好きでした」<ref>https://plus.google.com/111110869630425643279/posts/QLFr5ySpUAa</ref>
*7月4日、サルオバ「7/3(火)は、「目撃者」公演でした。素人のサルオバが観ていても、振りの難しそうな演目…。そういえば、どのチームにも「danceable」なメンバーがいます。というわけで、danceableなっつみぃに、サルオバは聞いてみた。「どうしたら、そんなにかっこよくステキに踊れるの?」。松原「音に体をはめること!」。サル「AKB48に入ってきた当初、もちろんダンス経験がなかったけど、転機は、K4thの「最終ベルが鳴る」公演だったとか。今までとは違う動きやステップを使う公演曲の数々を前に、「自主的にダンスを習いに行くようになった」となっつみぃ。以来、まさに「いつでもどこでも四六時中」リズムを取ることを意識しているんだって。ダンス経験がなかったなんて意外と思える見せ方・魅せ方を心得たパフォーマンス。そういえば、梅ちゃん/優子ちゃん/なっつみぃ&のんてぃの通称「梅島夏代」による、K5thの「エンドロール」はそのダンスパフォーマンスに憧れるメンバーも多かったですね。サルオバは、衣装も大好きでした」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/111110869630425643279/posts/QLFr5ySpUAa|by=Kyoko Nishiyama|date=2012-07-04}}</ref>
*7月20日、インタビュー。―6月6日の総選挙開票イベントでチームAで唯一圏外に終わった。次々と仲間の名前が呼ばれ大歓声があがる中、どの様な心境で椅子に座っていたのか…。彼女の本音に迫った。
*7月20日、インタビュー。―6月6日の総選挙開票イベントでチームAで唯一圏外に終わった。次々と仲間の名前が呼ばれ大歓声があがる中、どの様な心境で椅子に座っていたのか…。彼女の本音に迫った。
:呼ばれない…。焦りが絶望に変わった。辛く、苦しい3時間半だった。松原「もし、帰ってもいいんだったら、帰りたかったです。…ちゃんと最後まで座ってましたけど」。期待はあった。反面、覚悟もあった。「今だから言うんですが、正直、そこまで心配はしていなかったんです。速報ではチームA全員64位に入っていて、『チームA全員で壇上に登れるかも』って期待してたくらい。でも本番の武道館で59位のしーちゃんが呼ばれた時に『あぁ、もう(私のランクインは)ないな』って直感しました」。イベント終盤、指原莉乃がチームA最高位となる4位で名前を呼ばれて登壇すると、会場の最前列に並べられたチームAのメンバー用の椅子に座っているのは松原一人になった。「泣いていましたね。悔しくて、投票してくれた人にもチームAのみんなにも申し訳なくて」。10日後、劇場で生誕祭が行われた。総選挙を振り返り、「あんなに絶望的な時間は味わったとこがなかった」と涙を流した。「本当にあんな絶望、今までになかったですから。ランクインした子たちと比べたら、やっぱり私は何かが足りないところがある。でも、自信過剰になっていたところがあって、『私はあれもやってるのに…これもやってるのに…』って思っちゃって。何をしたらいいのか、分からなくなっちゃったんです」。一度は目の前が真っ暗になった。だが、生誕祭を境に気持ちを切り替えた。既に先を見据え、闘志を燃やしている。「今までの4回、総選挙を意識したことってほとんどなかったんです。だけど、次は違う。もしあれば、今から来年の総選挙のことで頭がいっぱいなんですよね。それだけ今回が衝撃的だったってことなんですけど。やっぱり、名前を呼ばれたい。だからそれに向かって歩いて行きたいです」
:呼ばれない…。焦りが絶望に変わった。辛く、苦しい3時間半だった。松原「もし、帰ってもいいんだったら、帰りたかったです。…ちゃんと最後まで座ってましたけど」。期待はあった。反面、覚悟もあった。「今だから言うんですが、正直、そこまで心配はしていなかったんです。速報ではチームA全員64位に入っていて、『チームA全員で壇上に登れるかも』って期待してたくらい。でも本番の武道館で59位のしーちゃんが呼ばれた時に『あぁ、もう(私のランクインは)ないな』って直感しました」。イベント終盤、指原莉乃がチームA最高位となる4位で名前を呼ばれて登壇すると、会場の最前列に並べられたチームAのメンバー用の椅子に座っているのは松原一人になった。「泣いていましたね。悔しくて、投票してくれた人にもチームAのみんなにも申し訳なくて」。10日後、劇場で生誕祭が行われた。総選挙を振り返り、「あんなに絶望的な時間は味わったとこがなかった」と涙を流した。「本当にあんな絶望、今までになかったですから。ランクインした子たちと比べたら、やっぱり私は何かが足りないところがある。でも、自信過剰になっていたところがあって、『私はあれもやってるのに…これもやってるのに…』って思っちゃって。何をしたらいいのか、分からなくなっちゃったんです」。一度は目の前が真っ暗になった。だが、生誕祭を境に気持ちを切り替えた。既に先を見据え、闘志を燃やしている。「今までの4回、総選挙を意識したことってほとんどなかったんです。だけど、次は違う。もしあれば、今から来年の総選挙のことで頭がいっぱいなんですよね。それだけ今回が衝撃的だったってことなんですけど。やっぱり、名前を呼ばれたい。だからそれに向かって歩いて行きたいです」
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:絶望を振り返るインタビューが辛かったことは想像に難しくない。だか彼女は努めて明るくし、笑顔も絶やさなかった。そして席を立ちながら、思い出したようにつぶやいた。「これも1つのチャンスだと思うんですよ。もしランクインしていたら、こうやって取材を受けることもなかったかもしれない。せっかくのチャンスなんだから、頑張らなきゃ」。残酷な逆境にもめげず、ポジティブに努力を続けている。絶望の先に希望があると信じて。<ref name="akbgs1207">『AKB48グループ新聞』2012年7月号</ref>
:絶望を振り返るインタビューが辛かったことは想像に難しくない。だか彼女は努めて明るくし、笑顔も絶やさなかった。そして席を立ちながら、思い出したようにつぶやいた。「これも1つのチャンスだと思うんですよ。もしランクインしていたら、こうやって取材を受けることもなかったかもしれない。せっかくのチャンスなんだから、頑張らなきゃ」。残酷な逆境にもめげず、ポジティブに努力を続けている。絶望の先に希望があると信じて。<ref name="akbgs1207">『AKB48グループ新聞』2012年7月号</ref>
*8月24日、東京ドームコンサート「[[AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~]]」初日、ラストに[[戸賀崎]]が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。松原は[[チームK]]に異動することとなった。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000313-oric-ent</ref>
*8月24日、東京ドームコンサート「[[AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~]]」初日、ラストに[[戸賀崎]]が登場し、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。松原は[[チームK]]に異動することとなった。<ref>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000313-oric-ent</ref>
*9月18日、[[第3回じゃんけん大会]]で勝ち上がり、29枚目のシングルで選抜入りが決定。「選抜入りすることが出来ました! 4年ぶりの選抜です(^^) たくさんのお祝いメール。嬉しすぎる!! 応援してくれたみんな、ありがとう!!!」<ref>https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/f5SsBZe2bf5</ref>
*9月18日、[[第3回じゃんけん大会]]で勝ち上がり、29枚目のシングルで選抜入りが決定。「選抜入りすることが出来ました! 4年ぶりの選抜です(^^) たくさんのお祝いメール。嬉しすぎる!! 応援してくれたみんな、ありがとう!!!」<ref>{{出典 Google+|url=https://plus.google.com/110106903212386059477/posts/f5SsBZe2bf5|by=松原夏海|date=2012-09-18}}</ref>


===交友関係 ===
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